はてなキーワード: オヤジとは
19歳女です。
AVは自分もたまに観るし、それを観る男の人を気持ち悪いとも思いません。
自慰行為をみじめだとも気持ち悪いとも思いません(実際に見たことないからそう思うだけかもしれませんが。)
父親は嫌いですが、中年オヤジ化しているからでもないし、そこに性的理由が絡んでるわけでもありません。
将来結婚するかわかりませんが、結婚相手がAVを持っていたら、多分私も観ると思います。知的好奇心から。
ただ、それとは別で、どうしても気持ち悪い男っていうのはいる。
私が高校生だったころ、髪ぼさぼさな黒縁めがねで身長が低い男の子が同じクラスにいた。
別にそれくらいだったらどこにでもいるんだけど、どうしてもその人の性格だけが気持ちが悪かった。
AVを見てると公言していたわけではないけど(しててもどうとも思わないけど)、暇さえあればクラスの女の子をSかMかで分別しているような人だった。
一度話したとき、「○○(私の名前)はMだよね。なんかそんな感じがする」
「へえ、人間はすべてSかMかで分けれるんだ?」
と聞いたら、
「まあね」
と言った上に、
「世の中の女は、大体おれみたいなSが少し調教すれば全員Mになる」
とも言ったので、ああ、こいつはダメな人だな、と思ってそれからはなるべく話さないようにした。
AVの観すぎか、それかエロい同人誌とか漫画の読みすぎか、多分どっちかだと思う。
私はAVも好きだしAV女優さんも好きだけどフェミニストでもあるので、どうしてもそういう女の人を馬鹿にするような、下に見るような発言をする人はダメで、未だに上記の男だけは地上から消え去ってくれないかなと思う。
そいつはその後、学校で「昨日は何回やった」とか報告してくるような女の子と付き合ってたみたいだった。でもそれでも「世の中の女は、大体おれみたいなSが少し調教すれば全員Mになる」思考は消え去っていなかったようなので、その女の子は勘違いを正してあげれなかったんだな…と思った。
AVも自慰も気持ち悪くないけどAV脳だけはまじで気持ち悪いんでなんとかしてほしいんだけど、現実の女の子とやっても治らない場合があるってことはどうしたらいいんだろうね。
38歳女です。
たが、16歳彼女の言い分は良く分かる。
たとえそれが釣目的だったととしてもかなり核心をついている。
そしてこれは特定個人だけの感情では無いと思っている。
世の中の女性はかなりそう感じているはずだ。
結婚して奥さんにAVを捨てられた。みたいな話をネタにする人がいるが
みじめたらしく気持ち悪い自慰行為にふける様を想像させられしてしまうのが。
それも違う。そもそも娘は、思春期になるまで父親を男と認識していない。
異性という感情は早期に芽生え、男の子として父親を好きになることはある。
だが、それはあくまでも男の子であり、男ではない。
今まで父親だと認識していたものが、同級生と同じオスだったと気付かされる。
父親は、オヤジだから嫌われるのではない、オスだから嫌われるのである。
そして、人間特有の自慰にふけるあの惨めな様は、オスとも形容しがたい。
学校から家に帰るとオヤジに投げ飛ばされ失神し倒れていた時もあった。
俺は二人とも好きだっただけに辛かった。
多くの思い出は夫婦喧嘩ばかり。近所に住んでいたおばちゃん(母の姉)に「すぐきて~っ!」て呼びに行ったことは数えきれない。
原因は親戚関係にあった。
誰かに病気や不幸があれば「仏壇の管理が悪い」とイチャモンと付けに来る。
オヤジにではない。母さんにだ。
そんな親戚を私は今も恨んでいる。
そして母を守らなかったオヤジも恨んでいる。
母の母、ばあちゃんがボケてからというもの、良くある話が頻発。
「誰々の家ではご飯を食べさせてくれない」
「誰々が誰々の文句を言ってる」
ウチはオヤジの仕事の都合で転勤があってばあちゃんを引き取ることができなかった。
短い間ではあったが面倒を見ていた母の兄の転勤を機に病院へ入れることに。
ばあちゃんは「・・・・(母さん)と一緒に住みたい」と言ったらしい。
しかしそれはできなかった。
なぜかは分からないが母は兄弟姉妹に入院するまでそれを言わなかった。
おばちゃんにだけ伝えていた。
母は袋叩き。母対一番下の妹との取っ組み合いの喧嘩も見せつけられた。
私が小学2年の頃。40過ぎた今もはっきり情景が焼き付いている。
母の手術後もだれも見舞いにすら来ない。
回復後も同じ。
オヤジ方もそう。
おばちゃんだけが拠り所。
それを気遣ってか、親もおばちゃんも1万円くれる。
だから毎年2万円。まあ友人たちよりは少なかったが不満はなかった。
私が小学6年の時、母の癌が再発する。
後から聞いた話だが、オヤジには医者から余命2年と告げられていたらしい。
でも私もある程度悟っていた。
入退院を繰り返す。
その度に痩せていく。
私がギターが欲しいと言ったら母の同級生からギターをもらってきてくれた。
中学2年の頃、思い切って、エレキギターが欲しい、と言うと「いいよ、上手くなったもんね」。
当時は高価だったエレキギターとギターアンプを買ってもらった。
おばちゃんに「私は反対だな」と言われたとき、冗談で「何かあるのかな?最近全然反対しないんだよ」といったらおばちゃんの血相が変わった。
明らかに動揺していた。多分おばちゃんも悟っていたのだろう。
「ま、まああんたは勉強も部活も頑張ってるからじゃないの・・」とだけ言われた。
入退院を繰り返す。
入院のきっかけは呼吸困難。私はたまたま直面しなかったが、姉が2度救急車を呼んだ。
そして2,3週間で退院。
もう確定だ。母さんの体は小さくなり、顔や肩にこぶができ始めていた。
ご飯は自分で。洗濯も自分で。家の掃除は気が付いた人がやる、という暗黙のルールができていた。
たまたま友達が腎炎になり数か月入院していたので見舞いがてら学校帰りに病院に遊びに行っていたようなものだ。
それでも母は喜んだ。友人も母といろいろ話せるようになっていた。
しかしこの頃から急激に体が弱り始め、会話もやっとの状態になった。
4月に入り、急に疎遠だった親戚連中がやってくるようになる。
「ごめんね、ごめんね」と泣きながら話しかける奴ら。私にも「久しぶりね、元気だった?大きくなったね」
鳥肌が立つ。なんだこいつら。
同時に母の死期が近いことが分かった。母を見て明らかだ。そして個室へ移された。これは常識的に「最後」であることを意味する。
姉と冷静に話す。
「そうかもね・・・」
その3日後、早朝に電話が鳴る。
「来たな」
「来たね」
病院に着くと呼吸困難の発作が出ていた。
ほとんど口をきけなかった母が叫ぶ。聞いたことのない大声で叫んでいる。
そう叫びながら処置してくれている先生の白衣をぐいぐい引っ張っている。
先生も大声で「大丈夫!大丈夫だから!ちゃんとやってるからちょっと離して!注射打てないでしょ!」
ヤバかった。見ていられなかった。計器の音と叫び声だけが響き渡る病室。
小一時間ほどで状態が落ち着く。その日は日曜だったが私の部活の催しがあった。
オヤジに「落ち着いたようだから行って来るわ」と言い残し、家に行って道具を持って体育館へ。
着替えていると体育館の職員さんが大声で呼びに来る。
「親戚の人が来ているよ!急いで!」
事情を聴いたんだな。それよりも「あちゃ~来たか」という感じだった。
仲間に聞かれても「いや、そのうち分かるから」と言い残して病院へ急ぐ。
到着したとき、母さんは亡くなっていた。
タイミングよく集まった親戚中が泣いている。
この時初めてオヤジの涙も見た。
でも私は不思議と涙が出なかった。「やっと楽になれたね」という気持ちが強かった。久しぶりに見る母の安らかな顔。
人とは不思議なもので、毎日痛みに襲われ続けると表情や顔のカタチすら変わってしまうものなのだ。
手を握るとまだ温かい。
私は一言、「お疲れ!」。
周りは煽る。私を泣かせようと煽る。なぜ泣かないのか、悲しくないのか、とまで突っ込んでくる。
いい加減、ついに私がキレる。
「おめぇらに何が分かる?!うるせぇんだよ」
病室の外でも言い合いが。
オヤジと私を迎えにきた親戚だ。
「なぜ(私を)行かせた?!誰が許した!」
「俺だ!何か文句あるか!」
胸ぐら掴みあってる。
私が割って入る。
「アンタに何が分かる?俺は見ていられないから行ったんだよ!ドラマみたいな場面作られても満足するのはオマエらだけだろうが!母さんは分かってくれてんだよ!」
で、全員に
「つうか、てめえら急に兄弟ぶりやがって何様だおらぁ!」と壁パンチ一撃。看護婦さんに止められる。
中学3年のガキとはいえすでに身長は180cm、体格は大人、しかもヤンキーときた。誰も止められない。
シーンとする。
「アンタのムスコ、やっぱり立派になったよ。いい子だねぇ。育て方間違ってなかったよ。あれだけ辛い思いさせても大丈夫だったんだよ」
「お母さんね、いつも私に言ってたんだよ。教育上良くない場面を何度も見せてきた、母親らしいこと何もできなかった、一番母親が必要な時までいてやれるかな?って」
兄弟姉妹たちはぐうの音も出ないで押し黙る。私はその一言で涙腺崩壊した。
通夜には大勢の人が訪れた。クラス全員、姉のクラスも。そしてオヤジは金融機関勤めだったのでその関係者。豪勢な式になった。
遺族席でいるとひときわ号泣して要る奴がいる。あの母と同時期に入院していたアイツだ。
聞くと、私がいない時も母の病室に行き、母と話をしたことがあったらしい。
その時に「あの子をよろしくね。これ内緒でね」と毎回言われていたそうだ。そいつの退院が決まった時も車椅子で声を掛けに来てくれたという。
そいつもそんな人前で涙を流すような奴じゃない。この話を後から聞いた時の方が参った。アイツも参ったらしいが。
親戚は帰るときも「これからはちょくちょく連絡取ろうね」と言い残したが、
おばちゃんから伝え聞いた話によるとその後も親戚関係はぐちゃぐちゃだったらしい。
母と取っ組み合いの喧嘩をした妹は旦那が会社の金を横領、その穴埋めができずに旦那が夜逃げ。
家を取られまいと抵当権を外すために兄弟じゅうに借金。子供の学費の工面で借金。
もう何年も前に話なのに誰にも一銭も返していないことでいまだにモメているという。
誰でもどこの家庭でも何かしらの問題は持っている。
しかしウチの親戚連中は結構ひどいな。みんな仕事は立派なのだが。
今はおばちゃんも亡くなり、長兄も亡くなり、オヤジ方を含めみんな年老いた。
生きていても、離婚した人、精神病院に入ってしまった人、奥さんが自殺した人もいる。
某携帯キャリアの開発部門で立派にやっている人もいるし、教員も多い。みんないろいろなんだ。
親族間のつながりの希薄化が言われているが、悪いことばかりじゃない。
遠くの肉親より近くの友人。
的を得ている。
でも親族が円満な人たちがうらやましくなる時もある。
母さん、おばちゃん、俺はこの生き方でいいのかな?
事あるごとにどちらに進むべきか聞いてきたけど、言う通りにしてきたぜ?
自分なりに全力も尽くしてきた。
母さんに言われた通り「どんなことがあっても女性に手を上げてはいけない」も厳格に守ってる。もちろんムスコにも同じように伝えてる。
最近いろいろ考えるんだ。
今、心を病む寸前かも知れない。声が出にくくなってきた。震える。人と会うのが怖い時が多くなった。
でも無理矢理「これでいいのだ」と言い聞かせている。
これでいいのかな?
やりたいことはたくさんあるんだけどな。
上手く行かないことばかりでさ。
そうなったら俺一人になるな。
一人でやって行けるかな?
なあ、どうして最近出てきてくれないんだ?
間違ってるなら間違ってるって言ってくれよ。
あの頃あったはずの自信がないんだ。
本当にそんなやついたのか自分自身も記憶が曖昧くらいの微妙な世代ではあるのだけれどもかつて存在したという怒ってくれる近所のオヤジはもう死んでしまったのだ。理由はわからない。核家族化とか地域コミュニティの希薄化などはメロスにはわからぬ。メロスそういう難しいのわからぬ。なのでメロスは走った。走り続けた。友を助けるために昼夜を問わず走り続けてあと走ってたら暑いから途中で寄ったコンビニの冷凍庫とか入ったりした。あずきバーめっちゃ固くてくるぶしの骨と当たってゴリッって言って超痛かった。それでもメロスは頑張って走った。すべては親友セリヌンティウスのためである。日没が近づいている。メロスは不安に思った。セリヌンティウスはまだ死刑にされていないだろうか?メロスは走りスマホでツイッターをチェックしたがまだ死刑なうのツイートはタイムラインに流れてこなかった。大丈夫だきっと間に合うはずだ、メロスはこめかみを伝う大粒の汗を拭おうともせず走り続けた。もう間もなくで王の城につく!メロスは私有地を突っ切ったら早いんじゃないかと思い完全に立ち入り禁止と書かれている柵を飛び越えた。
「こらー!」
怒声がメロスの耳をつんざく。オヤジだ!怒ってくれる近所のオヤジはまだおったんや!メロスは思わず関西弁になった。オヤジがさらに何か言っている。
「まだこんなところにいるのか!早く逃げろ!」
オヤジが早くこっちに来いと手招きしている。何事かと思い後ろを振り返ると空が真っ黒だった。イナゴだイナゴの大群だ!メロスは走った。もうセリヌンティウスとの友情だとか約束だとかどうでもいい逃げなければ、あのイナゴから何としても逃げ切らなくてはならぬ。メロスは走った。瞬く間におっさんを追い抜き駆け続けた。イナゴの群影に取り込まれたおっさんは瞬く間に白骨となった。やはり怒ってくれる近所のオヤジなんておらんかったんや!メロスは再び関西弁になった。やがてメロスもイナゴに追いつかれた。イナゴに目をつけられて生き延びられる人間などこの世にいはしないのだ。これがこれからの私刑のスタンダードである。地震、雷、火事、イナゴ。大イナゴ時代の到来を謳う黒い影はもう白骨化したメロスになんか目を暮れもせず新たな獲物を探し北へ北へと進んでいった。
ちょっとわけあって大学受験関連のアレコレをしてる。詳しくは当然書けねえ。
日本の未来を背負って立つ若人にこんなこと言うのもアレだが、キミらの行く先は、まだ学歴社会よ?
雑すぎるから補足するとな、日本は複数のレイヤーが重なって出来てる。
同じ国に住む同じ人達だと思ってるだろ?殆ど同じ人種だし。でも違う。
はてブで良くバカにされてるDQNとされる金髪のヤンキー上がりも、同じ日本に住んでるが、見てる風景がまるで違う。
日本の建築土木ってのは世界でも有数だから、当然現場作業員のレベルにもトンでもない差がある。
だから、単なる工事現場のおっちゃんでも、その世界で屈指の技術者だったりする。
長えトラック転がす運ちゃんも、家建てられるくらい稼ぐしな。もちろん逆もいる。
美容師になりたい料理人になりたい、植木屋になりたいんだって人は、その道に進んだ方が良い。
どの業界が先細りとか、未来を見通せたらこんな時間まで仕事しちゃいないさ。
だから、電気工事に生き甲斐を感じそうなら、専門学校に行くのは悪い道じゃない。
少なくとも「稼ぎ」に直結してる進路先なら、どんなことになるのかは調べるだろうからな。
ホワイトカラーを目指しつつブラックは嫌だなあとかちっとでも思ってるならな、
悪いことは言わないから、MARCH以上に入って下さいお願いしますから。
もー、正味な話、進学校じゃないならすぱっと遊んで浪人した方が良いと思うよ俺は。
なんでかっていうとな、まあぶっちゃけ旧帝大と比較すると、専門行った方がマシな大学ってゴロゴロしてる。
いや、俺だってわかってるよ。高校生とかあんま将来のこと真面目に考えてないってのは。
「東北大学の宇田先生の所で、結晶の研究がしたいんだ!」とかいう高校生が超レアで、カードだったらたぶんホログラムレベルってのは判る。
でもな、取り立ててやりたいことねえから夢のキャンパスライフ!とかいうなら、そこそこの大学入って下さいな。
旧帝大なら言うこと無いわ。変なヤツも一杯居るし。
興味があるなら電農名繊あたりもオススメだけどな。変なヤツ山盛り居るし。
奨学金でFラン行って、4年後に不況だから世の中が悪いブラックは嫌だと叫んでも、そりゃどう考えてもお前が悪い。
いま高校で2年とか3年とかだとするな、つうことは就職活動は4,5年先だ。
たった5年で世の中変わらない。
Fランの何人かに一人が職を得られないんじゃない、そこで比較されるのは大学生全員とだ。
世の中が悪い社会が悪い、国が政治が会社が仕組みが、人生なんてクソゲーだ!と叫んだところで、変わらんよ。
そりゃあきょうびどの大学に行っても就職余裕って事は無いさな。
九大出てすんなり決まるかって言うと、それは判らん。
でもな、「大学」って名前が付いてるだけなんじゃねえの?って大学に行っちまうとな、もうほぼドン詰まるんだよ。
大学の4年生だか4回生だかになったときに「就職の意志無し」ってチェック付けさせられて、就職率の分母から消されることになる。
京大の連中が大挙して「奨学金は学生ローンだ!未来を潰す!教育は国力の要だ!」って叫べばそりゃみんな聞くさ。
でもな、聞いたこと無いような大学名ぶら下げてプラカード振って、したり顔のヤツに同情されたいか?
お前が今の学力で行けそうな所って選んだその大学、「日本の将来を作るのはおまえらだから頑張れよ!」ってオヤジに言われて下向かなくて済むか?
浪人は許さん、とかいう両親が居るってのは判る。説得しろって。
1年死ぬほど勉強してMARCH以上に入れないなら、もう就職する気で資格取るために専門行ったが良いよ。
ごくごく当たり前の話なんだが、今18歳のやつらは、これ以上増えない。
ざっくり20年後、いま大学受験に向かってる連中が38歳になるころにゃ、第二次ベビーブーム世代が老後になる。
まあ、オマエラが支えることになる。
定年時死亡症候群みたいな60以上が死滅する奇病が流行るとか、30歳になったら体が三つに分裂するとかでない限りはな。
要は、税金という名の国民の義務は重くなる一方で、産めよ増やせよ家を買い消費せよと言われ続ける事になる。
今笑ってみてるオッサンオバチャンに、オマエラもきっとなる。まだ不老は美魔女だけのモンだ。
大学にいきゃ先延ばしできるって思ってるだろ?違うから。悪化してるだけだから。
成人しても責任感とか生まれないから。来年は今年の続きだから。
18にもなりゃ、そろそろ夢も覚めどきだろ。
オマエラの将来には、信じられないほど大きな可能性がある。それは間違いない。
いくら少ない可能性だって、賭けてみる価値はある。それが人生だ。
と、言うほどのこともないが、まあ、胸張れる大学の方が楽しいぞ。
こち亀の両さんじゃないけど、意外にちゃらんぽらんでもどうにかなっちまうのが人生の面白いところではあるんだが……
やっぱホワイトカラーの世界に入るにゃ間違いなく大学名ってのは強力な「資格」として作用してる。
もちろんデータは出せねえよ。俺の首が飛ぶ。
つまりだ、まだニートじゃないが、一度ニートになったら戻れない気がする。
伊集院光とか、みうらじゅんみたいな、童貞じゃないが童貞気質というか、理解できるというか。
給料はもらえてる。残業は多いが殺人的じゃない。土日もだいたい休みだ。
毎日22時を過ぎて帰り着いて、コンビニ飯か、たまに作った飯を食う。
なんとなくワールドビジネスサテライトを見て、取っておいたアニメを見て寝る。
そして次の日は朝慌てて起きてパンを食って、会社に行く。
土日は洗濯して、溜まってる映画かアニメを見る。たまに図書館に行って本を借りる。
で、気がついたら三十代も後半戦に突入だ。
そこである日気がつく。
これは、維持しているだけだ。
人生は15年ごとに区切りがあると思う。
まず最初の15年。これは子供時代だ。思い出を作る、子供の頃。
そして次の15年。これが青年時代。独立するにせよしないにせよ、もう子供では居られない。
続いて次の15年。中年時代の始まり。人生が見え、もう取り返しの付かないことも多い。
終わりに向かう15年。46〜60は、仕事でも人生でも円熟に向かう。
終わりの見える15年。61〜75は、前半の積み重ねや運で、ゴールする人も居る。
だれもが終わる15年。あえて言うこともない、まさにゴール直前。
このフェーズ切り替えは、取り返しが付かなくなるという意味がある。
もう、俺は青年時代には戻れない。大学に入り直しても同級生と付き合うのは違う意味を持つ。
そして、人生は思ったよりも短い。
ニートは絶対に飽きるって言うヤツが居る。そういうヤツが居ることは否定しない。
映画を見て本を読むのが好きで、ラノベもアニメも好きで、ゲームもたまに遊ぶってヤツがさ
何かの拍子に、結婚せず、彼女がいないまま、安定してしまったときに
例えば毎月WOWOWに金を払って、毎日飯が食えてネットが使えて、それで15年飽きるか?
要は、老後だぜ?
俺はきっと飽きない。
45になって、その後の20年の維持費が貯金できてしまっていたら、会社を辞めない自信が無い。
そして、年金をもらえたら、そのまま余生を過ごす。
そして、そんな人生が決して悪くは無い、アニメを見続ける生活が悪くないと思う自分がいる。
フリクリのナオ太のような気分で、でもベスパに乗った女にギターで殴られる日は来ない。
特別なことなんか無い。
特別なことなんて起こらない。
勤労は?してる。税金は?はらってる。誰にも借りはない。
今が楽しくて、維持が出来ていて、いずれ死ぬのが分かってても今死ぬつもりもない。
単に金を稼いでいるだけで、ニートと何が違うのか。
上の人の「子供を産むことは親の勝手で、子供にとっては理不尽でしかない」って主張はそうだなあって思うけど、それにしても、なぜそんなにその面だけを声高に主張しなければならんのか、という気がするなあ。「親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。」っていう思いをただ吐き出したかっただけじゃないの?
ただ、俺自身も、親に対して「なんで産んだ?」って気持ちはある。「なぜ産んだ」って聞いたことはないけど、母親に「なんで父さんと結婚したの」と聞いて「普通にお見合いで。あと仕事が辛かったから」と言われたときの脱力感ったら。村上龍の「55歳からのハローライフ」に、「女は20代前半で結婚するのが当たり前の時代だった」みたいな表現があるんだけど、自分が産まれたことの根拠を問うた時、単に当時そういう時代だったから、って返事されるのは子供にはつらいもんよ。
まあ俺の場合は、思春期に家庭不和があったり性格こじらせちゃったりしたから、よけいにそういう「根拠」を欲しがりすぎる面もあるのかもしれんけど。「なぜ産んだ?」って聞いたときに、自分は父親と母親の愛の中に生まれたんだ、って感じられるような答えが欲しい、ってのはある。
まー30を前にした男が言うことじゃないけど。すべてを親のせいにしてそこでストップしても何も得られん。
あと蛇足。俺の父親がいわゆる団塊の世代なんだけど、その層向けに出してる週刊誌のセックス特集の最近のエグさっていったらひどすぎる。「60代でもセックスできる」とかガンガンやって、挙げ句の果てに「20代とやってから死にたい」とか、もう身も蓋もない。「とりあえず結婚」したあげくに、実際はセックスレスのくせに勝手なセックスを妄想してる。60代のオヤジどもが。そんなことより奥さんと子供大事にしろよ。
「大学を卒業して20年たつとわかる、終身雇用なんて、幻想だった。 - 竹内研究室の日記」
は、実体験とともに思い出を振り返る上品なオヤジの説教なので、
居酒屋で絡まれたら、大変な時代でしたねー今もどんどん悪くなってますねーとか言っとけば良いわけだが、
ブコメが興味深い。
http://b.hatena.ne.jp/entry?eid=150492630
このテの話題が出る際には、鉄鋼、造船、繊維などの、大量のブルーカラーを必要としたが、ある時期を境に必要としなくなった産業を指すことが多かったので、隔世の感がある。
南満州鉄道が実質的には"国家運営"プロジェクトであったことは結構有名だろうが、挙げられているいずれの業種も強い"国策"企業であって、官僚として中枢に入るか、実地に出て国を変えるかという、エリートの選択肢でしかない話題ではある。
(その意味で、件のブログの東大工学部出の連中の話なんか知らねえよ、という揶揄なのかもしれないが、夢に賭けた若者を笑うのは、自虐にしても寂しいことではある)
まあ、本題はこっちである。
時代は既にもう一歩先の「普通の人生(結婚してマイホーム持って子供育てて…)なんて、幻想だった」のフェーズに行ってるんですけどね。この国もうダメじゃん
なのに日本の社会は未だに終身雇用前提でできてるからなぁ。これでは住宅ローンも組めないし、子どもも作れない。理系の研究者の方でこれだから、我々文系の人間はどうやって食べていけばいいのか。
これは、ある程度は誇っていいことなのかもしれない。
「一億総中流」は遠い過去の夢となっても、少なくともはてブでコメントを残す人間の脳裏には、鮮烈な印象として焼き付いているわけだ。
列島改造をすすめ、基盤を整備し護送船団で企業を育て、労働組合を抑えつつ国民の意識を総中流に向ける。
出稼ぎ労働が上京へと姿を変え、地方は公共事業を、都市は民間企業を躍進させた。
日本住宅公団が「団地」を建て、借家ではなく「家」をという意識を持たせていった。
その意味で、「普通の人生」や「日本の社会」が、未だに1960年代に築きあげた幻想を基にしているというのは、
とても、とても、とても、感慨深い。
一応補足しておけば、日本が終身雇用前提の社会になったことなど一度もないし、
普通の人生が、結婚・マイホーム・子供のセットになったことも、やはり一度もない。
平安時代後期に「禄をもらって荘園を維持し、遊興に耽るとか既に幻想だった。この国オワタ」と言うのと同じだ。
もちろん王朝国家体制は、その制度設計を平安貴族を中心に置くだろう。
でもそれは「普通」じゃ無い。
今我々がここにいて、増田を読み、はてブのコメントをしているのは、
貴族が紡ぎ、武士が駆け、商人が席巻して、軍人が靴を鳴らしたその系譜じゃない。
そのほとんど大多数は、主流ではない人達の脈々と続く人生の連続が途切れなかったからだ。
子を産み育てることが楽であった時代はない。
しかし、たった一度でも途切れれば、今ここに我々は居ないのだ。
一億総中流は、「自分たちがどの階層にいるか?」というアンケートへの回答からなった。
時代が下るに連れ、平均すれば間違い無く豊かに生きやすくなっている。
一億総中流という意識が、上を見ればキリがない日本を生きる中で、前向きに豊かな気持ちを持たせてくれた事は良いことだと思う。
だが、いままさに最頻値にいる人達が「昔、幻想を信じさせることで上向きにしていた時代」を「普通の事」だと思い込むことは、果たして良いことなのかどうか、僕には判らない。
まぁ、店主に差別的な意図があったかは微妙だな。少なくとも、同行の女性が強いショックを受けるような言動があったんだろうけど、店の運営の妨げになる(と主観的に思った)客にきつく当たる類の「頑固オヤジ」は存在するし、店内では彼女だけで乙武氏の姿を見てないわけで、降りていったら相手が「たまたま」五体不満足の著名人だったと。
とはいえ、だ。「頑固オヤジ」を「スタイル」として消費する風潮がやはり歪んだものであることは、今回の一件で明らかになったのではないか。「頑固オヤジ」とはつまるところ、その本質は「排除の論理」だから。それを「社会からの排除」を切実な問題として引き受けている障害者に対して向けたら、相手はどう思うか。
客を選ぶのは、もちろん構わない。しかし、「頑固オヤジというスタイル」が発する攻撃性や排他性、そしてそれに対してリアルに身の危険を感じ取る人々が存在するということを、少しばかり自覚しておくべきだったと、後知恵だとしても言わざるを得ないだろう。
店の事情をきちんと説いて引き取ってもらう、それだけで今回の問題は回避できたはずだ。
もちろん、これは単純に店主の責任に帰して済む問題ではない。「頑固オヤジ」を肯定的に消費してきた我々の態度こそが、一番に問われていると考えるべきだろう。
PS:
乙武氏の反応は褒められたものではないけど、あまり責める気にはならない。だって、女性が泣いて出てきてオロオロしてるところに、その後から泣かせた張本人が上から降りてきたら、ラスボス感が漂いまくりだろうし。
PS2:
「40過ぎの腹の出たオヤジになってよかったこと。」http://anond.hatelabo.jp/20130521102114
を綴られた増田殿。
おくつろぎのところ大変恐縮ですが、そういうあなただからこそ、性的な目を向けてしまうオナゴもおりまするぞ。(※貴殿が既婚者でない場合※)
スーツとお腹は最強です。
文脈無視の、全然違う意味で、激しく同意!!!(オナゴ目線) うん、最強。いやぁ、最強ですよ……
問わず語りをいたしますと……このわたくしめ、10代の、正真正銘の「女子」だった頃から、
「オトコは腹が出てからが旬。身も心もどっしりしててこそ、イイ男」
が持論でありました。
165cm推定85kg(10年近く付き合ったけど体重は絶対教えてくれなかった)の、
実年齢こそピヨピヨの20代前半でしたが、高卒で社会経験豊富(過ぎ?w)、
精神年齢は当時ですでに不惑を越えておりました。今思い出しても、若いのに当時からめちゃくちゃ人間できてたなあ……
(わたしのこれまでの人生で、唯一、身をあずけたオ・ト・コ♡)
かくいうわたしも、30を越え、最近やっと「ガリ痩せ(だけど心はズッシリ)男」にも目がいくようになりました。
我ながら、大人になったなあ……(遠い目)
追記 ちなみに、わたくしめの体型は157cm、46~48kg(周期変動)でござりまする。
162cm72kg吊るしのスーツを買うのは似合わな過ぎる。最近はイージーオーダーが安くて嬉しい。すばやい動きや大きな声は過去のこと。ふよふよしたお腹周りがかわいいと自分で納得している。日帰り旅行の仲間はずれにされて、もう若い子なんかと遊べないんだってショックもありました。でも居酒屋にひとりで行っても、サボって映画館に行っても、パチンコで負けても似合いすぎる。
スーツで外出するとみんながやさしくしてくれる。映画館のチケット売り場のお姉ちゃんも特別笑顔で「ありがとうございました」って言ってくれる。デパートの店員さんに見るだけだよって言っても「どうぞどうぞ」って笑顔。街のパン屋さんでカレーパン一個でも「あらーうちのカレーパン美味しいからねー」って笑ってくれる。
今度はオススメじゃなくて、単なる俺のハマった作品だ。文句あっか?
・さよならジュピター(小松左京。さっきと同じだって?、だってハマったんだから仕方ないだろ。映画は駄作でもノベライゼーションは傑作なんだよ)
・今宵、銀河を杯にして(神林長平。はっきり言うと、雪風より好きなんだよな。テーマはどっちも同じだが、ユーモア感覚が「敵は海賊」に通じるものがあって楽しいのよ)
・本邦東西朝縁起覚書(小松左京。彼の短篇集の中では一番好きだ。特に「極冠作戦」は一度は読んでおいて欲しい。現代にこそ読むべき作品だぞ)
・宇宙人紛失事件(森下一仁。優しい作風は本当にハマった。星新一に通じるものがあって良い。)
・声の網(星新一。スマンな、ショートショートじゃなくてw、でも、SFにSF的な道具立ては必要ないという事を痛感させてくれる名作なんだよな)
・大渦巻Ⅱ(アーサー・C・クラーク。やっぱ、この作品は外せないわ。ワンアイディアストーリーの名手の名に恥じない出来は本当に凄い。これ読むと、SFが短編のジャンルであることが本当によく分かる)
・敵は海賊(神林長平。頭使って読むスペオペと言えば、多分これしかないwww、神林長平のユーモア感覚の凄さが本当によく分かる。アプロは日本SFの生み出したキャラの中では最高だと思うwww)
・梅田地下オデッセイ(堀晃。だって、大阪出身なんだから外すわけにはいかねーじゃんwww)
・兎の夢(神林長平。短編、しかも結構マイナー。でも、雪風を読むのなら、これも読んどけ。特に「改」以降の雪風を理解する上で重要なヒントが入ってる)
・ドルロイの嵐(高千穂遥。要するに、ダーペの「大乱戦」のクラッシャー版www、ジョウじゃなくてオヤジのダンの時代の活躍が読める。にしても、ジョウの母親の名がユリなんだけど、やっぱ、ダーペのユリの事なのかねぇ。そうなると、タロスの相方はケイになるのか?www)