はてなキーワード: 銅メダルとは
ラグビーワールドカップの影に隠れてあまり注目されてないが、陸上日本も躍進している。競歩でダブル金メダルとかは、これでもかというほどのジャイアントキリングだが、今回は比較的世間の注目度が高かった男子4x100mリレー(四継)のレビューを贈りたい。
ウサインボルトが引退して初めての世界陸上ということもあり、記録低調になるのじゃないかと噂されていたが、蓋を空けると四継予選はかつてないレベルのハイレベル。カナダが37秒台で予選落ち、世界記録を保持してる、ジャマイカも予選落ち。そんな中残ったのは下記8国。
※予選タイム順
37秒56 英国🇬🇧
37秒65 南アフリカ🇿🇦
37秒78 日本🇯🇵
37秒79 中国🇨🇳
37秒88 フランス🇫🇷
37秒90 ブラジル🇧🇷
37秒91 オランダ🇳🇱
38秒03 米国🇺🇸
ちなみに決勝開始前の日本記録は37秒60
アメリカはアンカーで完全に止まるレベルの失敗バトンパスでこのタイム。
振り返りだが、今回日本は100mも200mも個人では決勝に行けてない。イギリス、アメリカ、南アフリカ、中国は誰かは決勝に残っている。アメリカに関しては100mの金(コールマン)、銀(ガトリン)200mの金(ライアス)を使ってるチートチームだ。
日本は決勝に際し、メンバー変更をしてきた。1走を9秒台の小池から今季10秒0台も出せてない多田に変更。だがこの採用が大当たりした。アメリカのコールマン、イギリスのジェミリと強豪に引かず好スタート。多田のリアクションタイムはトップ(0.132)だった。アメリカ(0.149)イギリス(0.156)。余談だが失敗したと言われたサニブラウンの100m準決勝のリアクションタイムは0.206
1走→2走は多田の練習パートナー白石へ。白石も初の世界陸上と思えないスムーズな渡し。持ちタイムは圧倒的に離れている、南アフリカを激走。
そして、3走桐生へ。桐生の走りは本当に圧巻!アメリカはさておき、イギリスにはなんとここで追い抜いている。間違い無く世界最速の3走。あのスピードでカーブを走る技術が優れているのだろう。
アンカーサニブラウンへ。正直桐生の走りを見たときは、銀メダルいけるのじゃないかと思った。バトンワークで一瞬イギリスの前へ行ってたからだ。しかもイギリスのアンカー、マイケルは今季そこまでタイムも出てない。
しかし、イギリスも最後は自力で日本を突き放す。アメリカ一着37秒10、イギリス二着37秒36、日本は三位の位置をキープしてゴール。そして、日本のタイムは37秒43アジア新!前回のロンドン世界陸上の優勝タイムを上回っていた。
総括してアメリカは今までバトンミスが多くなかなか金メダルとれてなかったが、バトンが渡れば無敵のチームだ。そのアメリカに0.3秒に迫れてるのは実力の底上げが感じられる。イギリスは個々の力が強いことに加えバトンワークも日本同等。個人の力を上げるのもやはり必要。
しかし、決勝の各チームのタイムが至上最速のレースで銅メダルに入れたのは改めてすごい。
まず最初に断っておきますが、ボクはパラバドミントンには20年以上関わっており、当該選手のクラスだけでなく、他のクラスの選手との交流もあります。また交流大会などでの対戦経験もあります。
そんな経験を持っている自分からすると、このニュースには強烈な違和感しか感じなかった。なぜ批判されたのかすらわからない。
そんなボクの言い分を言いたいだけ言っておくのが今回の記事です。
パラ選手のポスターに「配慮欠く」と批判 都が撤去 | NHKニュース
引用の範囲を超えているとは思いますが、ネットニュースはそのうちアクセスできなくなるのと、間違った意図が伝わるのを防止するために全文を掲載。
東京都が、再来年の東京パラリンピックを盛り上げるためのイベントに合わせて東京駅などに掲示したポスターの一部に対し、障害者への配慮が欠けているなどという意見が相次いだことから、都は16日までにポスターを撤去しました。このポスターは、東京都が今月12日から21日まで東京駅などで開いている東京パラリンピックを盛り上げるためのイベントに合わせて作成したもので、障害のある選手23人の競技中の写真と、それぞれの選手が競技に向き合う気持ちが掲載されています。このうち、パラバドミントンの杉野明子選手のポスターには「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」と記されていましたが、インターネットや電話を通じて「障害者への配慮が欠けている」などという意見が相次いだということです。都はこのメッセージについて、杉野選手が競技と向き合う自分自身の気持ちを表現したもので、ほかの障害者に向けた言葉ではないとしています。しかし、批判が相次いだことを踏まえて、杉野選手側と協議した結果、16日までに東京駅に掲示した杉野選手のポスターを撤去したほか、ホームページに掲載したポスターの画像も削除しました。東京都は「不快な思いをされた方々に心よりおわび申し上げます。杉野選手や競技団体にもご迷惑をおかけし、深くおわび申し上げます。展示物などの制作はより一層慎重に行い、多くの方にパラスポーツやパラアスリートの魅力を伝えていきたい」と話しています。
批判されているのはパラバドミントン 杉野選手のポスター。コメントは「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」とパラバドミントンに向かう杉野選手の決意表明があります。
個人的にはこれを見たとき、パラバドミントンの同じクラスで競うから「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」というのは当然のことだと思ったんです。
「障害のある選手23人の競技中の写真と、それぞれの選手が競技に向き合う気持ちが掲載」されているものとして、杉野選手の表情も含めていい作品だと思いました。
それが「障害者への配慮が欠けている」って何だ? うーん、理解不能。
いくつか目についたツイートを拾って、それに対しての反論をしていきましょう。
東京駅にある東京都の広告。「障がいは言い訳にすぎない」。つまり東京都庁で障害者雇用されると、障害を理由にできないことがあっても、「言い訳だ!」と上司に詰められるわけですね。障害の「害」を「がい」にした表記で差別をあおる東京都。素晴らしい日本です(棒) pic.twitter.com/ud701E1Zv6— 障害者雇用の働き方 (@YANA1945) October 12, 2018
そもそも、このポスターはパラスポーツの普及啓発を狙っているものであって、障害者雇用とは全く関係がない。
論点がズレているにも関わらず脊髄反射でリツイートしてる人の何と多いことか!
ツイート主がこのポスターと障害者雇用にどう関係があるのか論理的に説明できるのであればしてもらいたいですけど、ムリだと思うので次行きまーす。
杉野明子選手の発言「健常の大会に出ている時は、負けたら『障がいがあるから仕方ない』と言い訳している自分がいた。でもパラバドミントンでは言い訳にできない。負けた自分が弱いだけ」
「同じ条件なら言い訳にできない」
↓
「障がいは言い訳にすぎない」
なぜこんな悪質な言い替えをしたのか? https://t.co/JWAKj24aYB— 盛田隆二 (@product1954) October 16, 2018
これを悪質な言い替えと言うならこのツイート主は発言を削って足しています。
「言い訳にした障がい」から東京の主役へ 杉野明子を変えたパラバドとの出会い - みんなの2020 - Yahoo! JAPAN
「それまで健常の大会に出ているときは、障がいがあってもできるんだという気持ちもあれば、負けたら障がいがあるから仕方ないと言い訳している自分がありました。でもパラバドでは言い訳ができないんです。シンプルに勝ち負け。負けたら自分が弱いだけ」
今回のポスターで使われた「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」も、本人と日本障がい者バドミントン連盟に確認を取ってから使っているはずです。
ではなぜ杉野選手が許可したのか。それは先程の元発言がベースにあり、同じクラスで競うから「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ」という思いがあるからに他なりません。
同じクラスで競う。すなわちそれは、同じ障がいを持つものと判断された選手同士で競うこと。
本人の思いを都合よく改変した先程のツイートと、今回のポスターは全く意味合いが違うんですよ。
どれだけ批判があったか知りませんが、制作者と本人の思いがあって作ったポスターをそんな簡単に引っ込める東京都もどうかしています。
しかも撤去したのは杉野選手のポスターだけ。これでは杉野選手が悪者になってしまいます。
制作の意図が伝わるようなポスターにできなかったことはたしかに問題がありますが、だからと言って一部の中途半端に意識高い系の言葉狩りをキッカケに撤去するのは本末転倒です。
東京オリンピック・パラリンピックはすでにたくさんの批判にさらされています。また問題を起こしてはという思いがあるのかもしれませんが、引っ込めることに意味はありません。
最後に言うとすれば、ポスターは元通り掲示して欲しいということ。想いがあって作ったなら、最後までその想いを突き通して欲しいということ。
言いたいことはだいたいこれくらいです。
最後に。杉野選手、アジアパラ大会でミックスダブルス SL 3 - SU 5クラスでの銅メダル獲得おめでとうございます。来年以降の活躍を祈念しています。
しかし、同性愛者って、異性愛をできないんでしょ。もしくはできるのに思想的に思い込んでサベツダーサベツダーと叫んで利権を得る。
はっきり言って、自分にとっての唯一絶対のパートナーなんてありえないよ。キリスト教の思想を中途半端に取り込んでサベツダー言うのはキモイ。
神に作られた自分が人間Aで、神に作られたイブとしてのBが絶対的に存在する!なんてキモイに決まってる。
人間C~もいるし、Zで終わるわけでもない。
他者を好き/パートナーにしたい差でランク付けして上から何人が同性でも、何人か目で異性が現れる。っていうか異性が出ないならそいつは差別主義者でキモイ。
人間はその中で、異性と家庭を作ってきただけ。
同性と性的交渉を持つ必要性はない。その必要性で思い詰めている人間もキモイ。
世界一愛してる同性との子供はできないけど、孫は(もちろん周囲の同意があってだけど)出来うるんだよ?
【追記】もしくは恋愛をスポーツか何かと勘違いしているか。「銀メダルでは意味がない」とパートナーに言いたい/言われたいってのは思想の自由に含まれるのか。含まれるとして、保護されるべきなのか?でもまあスポーツ庁とかである意味アスリートは保護してるから、税金投入はアリなのか?アリだとしたら人気次第だな。オリンピックやワールドカップの視聴率や経済効果と同等のものがLGBTQにあればいいのかもね。
スポーツ庁新設の背景には、スポーツを国策として捉えようという政府の考えがある。スポーツは国民の体力維持・向上を図るとともに、人々に豊かな生活をもたらし、健全な青少年の育成や高齢化社会における社会保障費削減、障害者の尊厳ある暮らしにつながる。またトップアスリートの国際舞台での活躍は国民に大いに活力をもたらす。さらにスポーツは今や、多様化する国際社会において友好、平和、相互理解などに貢献するため、20年東京オリンピック・パラリンピックのホスト国である日本も世界の中でリーダーシップを発揮し、存在感を示していかなくてはならない。
こんな理由でスポーツに税金投入がありなら、LGBTQに税金投入もありだと思う。
個人的には、銀メダルも、銅メダルも、というか日本代表の時点で、ものすごく価値があると思うよ。でも、そういうものに選ばれなくても価値は変わらないと思うよ。選ばれた/勝ったから価値が出るわけでもないと思うよ。人気は出るかもしれないけどね。
松本育夫とは日本サッカー黎明期を支えた人物である。メキシコ五輪で銅メダルをとった日本代表メンバーであり、引退後はユースの日本代表監督などを歴任した。なかなかの熱血漢でググるとその種のエピソードがけっこうでてくる。1990年ワールドカップ、彼はテレビ放送の解説陣の一人をつとめていた。
とある試合、西ドイツのオラフ・トーン選手がミドルシュートを外したプレイに対して、解説の松本育夫が「トーンじゃだめですね」と言い放った。
僕は前にも後にも、ミドルシュートを打つことをこんなふうに否定する解説を聞いたことがなくて衝撃的だった。しかもワールドカップが夢のまた夢の時代の日本人が、ワールドカップで優勝した西ドイツの選手に対して。実際にトーンがミドルシュートが下手だということはなかったと思う。技術のあるいい選手だった。
ここで松本育夫を貶めたいわけではない。むしろこういうことを平然と言ってのける自信のようなものに羨望がある。この出来事をネット上に残したくて、はてな匿名ダイアリー に記した。
やっとカーリングのルールも理解され、競技として注目されるようになったんだなと感じていたのだが
健闘した男子の話題がなく、メダルをとった女子の話題ばかりに傾いていた
それもアスリートとしてというより、かわいい女の子たちとしてアイドル的に持ち上げている
正直に言えば僕は完全な後追いで、今回のオリンピックでやっと競技としてのカーリングの深みを理解し
しかしそれにしても、「まだアイドル的人気でわいわい持ち上げるだけなんだ」とがっかりした
日本人特有なのかはわからないが、すごい人に対して素直に「すごい」と敬意を持てない傾向があると思う
とくに悪い場合は「妬み嫉み揚げ足取り」になるが、今回のような(安い)アイドル化やキャラ化も良い傾向ではない
アイドル化、キャラ化する際には敬意は失われることが多く、馴れ馴れしく、庶民的な存在にされてしまう
彼女らが素晴らしいアスリートであるという意識が希薄になっていて
銅メダルという結果を手にしただけの普通の女の子に貶められてしまうのだ
まず、私は https://anond.hatelabo.jp/20140306023419 の増田と同一人物である。証拠は出せないが。
最近になって元増田にいくつかブコメが付いてたのを見て気づいたが、4年後の予想図が大体当たっててびっくりした。韓国の躍進、スウェーデン決勝進出、イギリス(スコットランド)の4強、国内ではチーム富士急(旧チームフジヤマ)が躍進して今年の日本選手権で優勝したこと、などなど。
日本女子の銅メダル獲得の原因は、とにかく「藤澤五月の居場所が見つかった」ことに尽きる。藤澤加入前のLS北見はとても世界の舞台で活躍できるレベルになかった。いつかの日本選手権でストップウォッチを落として、投げてる石に当てるという素人レベルの反則をしたのが記憶に残っている。それと、本橋のチームマネジメントが昔は貧弱で、元増田でも書いたが2013-14シーズンは途中でメンバー脱退という事件も起こしていた。
舞台裏は分からないが、吉田姉や本橋がどれだけ藤澤のダークな部分を出さずに、チームとしてまとめ上げるように尽くしたかが思い浮かばれる。
さて気が早いが4年後を予想してみる。
日本は北海道銀行の若手衆(特に吉村)が見事に伸び悩み、ジュニア(21歳以下)の層も育ってないなど、後継者がほとんど出てきてない状況。何気に結構ヤバイのである。
そんな中、唯一の希望はチーム富士急のスキップ、小穴桃里。まだ22歳と今回のLS北見より一世代下で、LS北見不在ではあるが今年の日本選手権で優勝。世界選手権にも出られるので、ここで国際舞台の経験を積んでどれだけ伸びてくるかがポイント。伸びてこなかったら、次回の五輪はほぼ全員三十路のLS北見がまた出てくることになり、体力的に不安がある。メンバーの年齢的に出産離脱もあり得るので、チーム富士急が出てこないと、日本は五輪出場権ロストもあり得るのではないか。
韓国は日本と同様クラブチーム制だが、代表権を争えるチームが5チーム以上ある。その中にはジュニア世代のチームもあり、代表選考会1回目では、なんと高校生チームが最上位という結果だった。このチームが五輪に出てきたかもしれないのだ。2回目の選考会でこの高校は脱落したが、日本と比べて後継者が圧倒的に多いことを示している。4年後も活躍しない理由が見当たらない。4年後もメダル候補だろう。
中国は五輪直前の国際大会では出てこなかった王氷玉が満を持して復帰するも、結果は振るわず。何より王氷玉の後継者が出てきてない。中国は唯一選抜制を敷いているところだが、近年は限界が見えてきて、他国のようにクラブチーム制への移行も検討しているという話は聞くが、あまり進行してないようだ。代わりに選抜候補となる人数を40人くらいに増やして切磋琢磨させているが、結果は出るかどうかは分からない。
スウェーデンは世代交代に成功した。次回も金メダル候補だろう。スイスは代表クラスのチームが3チームあるが、今回はよりによってその中で最も国際舞台で結果が出ない、「ツアー番長」(カーリングツアーという8エンド制の公式戦だけ強い)と揶揄されるトリンゾーニのチームが出てきてしまったため、五輪では不振を極めた。2016世界選手権の覇者フェルスチャーが出てくれば結果は違っただろうが、運悪く代表選考会の時期はチーム状態が悪かった。それでも国全体として地力はあるので、次回も普通に強豪として出てくるだろう。
一方、イギリス(スコットランド)は厳しい。ミュアヘッドの次が居ない。今回も、ミュアヘッドのチームが圧倒的な実績を残しているため、イギリスは代表選考会がなかった。でもミュアヘッドは次で三十路。そろそろ次を育てないと厳しいだろう。
メダルには関係ないクラスの話をすると、デンマークは多分次は居ない。ソチ代表だったニールセンが腰痛で引退し、代わりに出てきたのがトリノ代表だった「デュポン姉妹」。12年経ってもこの体たらくでは次はないだろう。ラトビアかノルウェー辺りが代わりに出てくるかな?
ホーマンのまさかの大乱調で予選落ちという大惨事に見舞われたカナダは、チームのガラガラポン、つまりメンバーの移籍ラッシュが始まる模様。競技人口数では圧倒的だが、少し混乱気味に見える。次回どうなるかは分からない。アメリカは知らん。
ずっと羽生結弦が嫌いだった。
発言は優等生、行動はドラマチック、絶対王者の名に相応しい勝率。それにあの綺麗な顔と、二次元から出てきたような体と、二次元のキャラクターみたいな名前の字面。
肝心のスケートは全く好みではないが、並の実力と精神力では不可能なジャンプの堪え方と、演技中にジャンプの構成を即座に計算・変更する頭の回転は尋常ではなく、そこだけは本当に認めていた。
どこを取っても全く隙がなく、面白くなくて不愉快で大嫌いだった。
自分はあまり人気ではないスケーターのファンだったので、僻みだとか言われたらあまり否定できなかった。
僻み半分、完璧すぎる存在へのおぞましさ半分といったところだろうか。とにかく嫌いだった。
それが、平昌五輪で変わった。
もともと好きではなかったので、あまり見てなかったために今まで気付いてなかったことは多かったのかもしれない。動画などで彼の演技をとりあえずおさらいするくらいのことはしていたが、ただの流し見で足元までは注視していなかったので、今までも同じことはあったのかもしれない。
ショートプログラム、怪我でずっと休んでいたのに素晴らしい演技だった。相変わらず魅力は感じなかった。でもやっぱりすげぇ奴なんだなと思った。
これは両足着氷の判定になるはずの降り方だった。きっとそれは本人が一番わかっているはずなので、いつもの通りすごいリカバリーをしてくるのだと思った。
彼も怪我でしばらく氷に触れていなかったとのことだったので、まだ本調子でないのかもしれない。後半は失速し、3回転ジャンプの着氷も乱れ、ステップパートは彼らしい気迫が見られたが、繋ぎのスケーティングは遅く、これは宇野ハビエルの演技によっては金メダルを逃すかもしれないと思った。
しかし実際はそんなこともなく、フリーレッグのことはなかったかのように満点のGOEがつけられ、後半明らかに滑りきれていなかったスケーティングも素晴らしく加点され、彼は金メダルを獲得した。
このような事はこの競技ではよくある。
演技以上に何故か不明瞭な加点減点がされる、それはもう10年以上もこの競技を蝕む癌のようなものである。銀メダル銅メダルの選手にも、それがないわけではないことは知っている。
しかし自分が嫌いになった羽生結弦はプライドが高く、スケートにひたむきで、「全員がノーミスの中圧倒的に勝ちたい」と発言するなど、誰よりも高みを、競技の成長を望む人物だった。こんなことで満足するわけないと思った。不正な採点をされたとまでは言えなくとも、「満足はしていない」くらいは言ってくれると思った。
それなのに現実の羽生結弦は涙を流して連覇を喜び、他の選手の肩を抱いて健闘を称え、とても満足げだった上にあろうことか「演技が終わったとき(SP僅差の2人が後ろに控えてるにも関わらずに、だ)勝ったと思った」とメディアで発言した。
なんだそれは。
見間違いだっただろうかと何度演技を見直しても、フリーレッグの着氷を主張するように削られた氷が飛ぶ。
安藤選手が「もっと流れのあるサルコウを飛べるはず」と完璧ではなかったことを指摘する。
首相が祝電で後半の疲れを指摘する。
右足靭帯損傷で全治何週間とか報じられていたのにも関わらず、検査ができてないとか注射ができない位置だとか(注射ができない足ってなんだ)、まぁ紆余曲折あってあんまり良くないので団体は欠場、痛み止めを飲んで競技に臨みました!と言っているのに、よくないはずの右足を携えて表彰台に勢いよく飛び乗ったりする。その後のインタビューではやっぱり「良くない」と言うのに、21日の練習では問題なくアクセルジャンプを飛びまくる報道があった。日の丸を大事にするくせに団体戦は休むほど重症だった足は、ある日突然治るものなのだろうか。
おまけに怪我の休養が明けて五輪に出たらまぶたが二重になっている。
この記事(http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2018/02/post-4b9b.html)については筆者だけでなく、ブコメでの反応を見ても本来混ぜるべきでないものを混ぜて考えている人も多く危惧を抱いたので私の考えを簡単に記しておきたい。
氏の主張としては「怪我が悪そうなので回復を第一に考えて出場しないほうがよかったのでは?」というものだ。そこそこのボリュームの記事なのでほかにも色々書いているが、煎じ詰めるとこの一言であろう。しかし決定的に間違っているのがこの「回復を第一に考えるなら」という前提の部分である。一見正しそうだし、実際多くの場合正しいのでたちが悪い。多くのブクマもこの一見正しそうなマジックワードに騙されている。
「回復を第一に考えるなら」という前提の何が間違っているのか。ここではこれを「回復してどうするの?」という問いに対する答えを考えてみることで説明してみたい。
本題に入る前に最初におことわり。以下に私は「回復を第一に考える必要などない」旨を書こうとしているが、それは「羽生選手が痛み止めを使えば金メダルの可能性がある程度には飛べる」程度には回復していることを前提にしている。実際その程度の回復具合だったことが明らかになった今では不要な断り書きかもしれないが、たとえば「どう考えても滑れないしジャンプも飛べないのに正常な判断力を失って<出場>を主張している」ケースなどはまた別の話というか、普通に出場すべきでないことは明白であり本稿では考慮しない。
それでは本題に入る。
いきなり結論を書くが、回復したとして羽生選手にとってオリンピックでの金メダル以上のモチベーションはおそらくない。これが1年に何度もあるGPシリーズのうちのひとつ、あるいは毎年あるGPファイナルや世界選手権なら「回復して次の機会に頑張ろう」という理屈も成り立つし、仮に本人が出たがっていても周囲が無理にでも止めさせるという判断はあろう。しかし4年に一度のオリンピック、それも金メダルが狙える状況で止めさせるのは、あまりに酷である。
「そうは言っても23歳の未来ある若者なんだし」的なブコメも散見されたが男子フィギュアにおいて23歳は「未来ある若者」ではない。むしろラストチャンスの可能性もあり、頑張れば金メダルをとれるかもしれないのなら「出たい」と考えるのは自然なことだ。最悪選手生命を絶たれたとしても悔いはないというくらいの計算も働かせたのではと推察するが、その上での出場判断をいったい誰が止められようか。繰り返すが出ても出なくてもこれが最後かもしれないなら出る、当たり前でシンプルな結論である。
これで最後かもという部分は反論が予想される。4年後の27歳でも十分に一線級で戦えるかもしれないからだ。銅メダルのハビエル・フェルナンデスは26歳である。ただ信じられないほどジャンプの難易度がインフレしている男子フィギュアでは、4年という時間と27歳という年齢はプラスよりマイナスに作用する可能性が高い。実際もう30年以上25歳以上の金メダリストは出ていない。回復しても27歳の一発勝負で金メダルをとるのは難しいなら、そして痛み止めさえ飲めばジャンプできるなら、多少の無理は押して目の前の金メダルをとりに行こうというのは決して分の悪い勝負ではない。最悪メダルもとれず怪我が悪化し今後の選手生命が断たれたとしても悔いがないと思えるくらいの年齢が男子フィギュアにおける23歳という年齢である。
この点が一部ブコメにも見られた「甲子園での高校球児の酷使」問題と混同してはいけない点である。高校球児、とくに卒業後プロを目指そうというレベルの投手は文字通り「未来ある若者」である。本人がどんなに連投を望んだとしても、無理にでも大人がストップをかけることに一定の合理性がある。もっと大きな舞台でもっと大きな成果を挙げるチャンスを、若者特有の好ましくも危うい一時の情熱にまかせて摘み取ってはいけない。
私が冒頭で「回復を第一に考えるなら」という前提は「多くの場合正しい」と書いたのはこういうケースである。無理せず回復を待って次のチャンス、次の飛躍へつなげよう!というのは高校球児をはじめとした多くのティーンエイジャーには当てはまるし、ハードワークを強いられ心身が疲弊している一般労働者にも当てはまる。世の中の99.99%の人にとって正しいのが「回復を第一に考える」ことである。
翻って羽生選手の場合はどうか?オリンピックよりもっと大きな舞台があるのか?金メダルよりもっと大きな成果があるのか?たぶん答えは「NO」だし、仮に「YES」だとしても「YES」と言えるのは羽生選手だけである。「回復を第一に考えて」というのは彼の身体を気遣った大人の分別ある意見のように一見思えるが、実際には、世界最高の舞台で世界最高の輝きを放つチャンスを永久に奪い去る暴挙に等しい。幾人かはコメントで指摘していたが羽生選手や彼の決断に対する敬意を欠く行為でもある。
Finalvent氏および氏に賛同した人たちにあらためて問いたい。「回復してどうするの?」。