はてなキーワード: 視力とは
お前の見間違いだろ、ふざけるなよ、なんで『そうしたいならそうしてもいいよ、今なら全然間に合うけど』みたいな言われ方しなきゃいけないわけ?間違えられたこと自体よりもその物言いがめちゃくちゃ苛立つ。なんで?ちゃんと読めよ。クソ腹立つ。もしかしたら視力が落ちてるのかもしれない、でもさ、自分は絶対間違ってないって思い込んで人へそんな嫌な言い方するのはどうかと思う。そんな言い方する人に『まあ視力落ちてるかもしれないし私が折れるべきか』ってこっちが下手に出た対応するわけないじゃん。あと、そんな些細なことでキレるなよって思うかもしれないけど、でも何回も理不尽なことを言われるともうキレるしかないわけ。なんなんだよ。本当に嫌。能力に尊敬する気持ちと人間性に嫌悪する気持ちは両立する。デリカシーもないから、あなたの前で趣味の話は絶対にしません、心に決めました。何言われるか分かったもんじゃない。はー。吐瀉物。
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
https://anond.hatelabo.jp/20130520215954
昨年末一昨年末『お前それサバンナでも同じ事言えんの?』というコピペが流行った。
ネット上では半分ジョークだが、弱者というのは、ほとんどこのような意味のことを『真面目に』言われ続けるのだ。
どの程度の障害かと言えば、
****
週末。財布と携帯だけ持って家をでる。さあ、どこにいこう。とりえあず電車に乗って街に出よう。本屋と手芸屋には行きたいな。映画もいいかも。あ、こんなところに新しいお店ができてる。入ってみよう。
****
なんてことは、全く、出来ないレベルだ。少なくとも思いつきで外出することなど到底ムリである。
とりあえず街に出て、あとは気分で散策。ぶらぶらとウィンドウショッピング。
まだ健常者だった20代のころに、意識することすらなく当然のようにできていたことが、今は出来ない。
このような生活の苦労について、語る。
辛いことがあった、と語る。
すると時偶、こう言われる。
要約すれば、
『特別扱いされるのを当然と思わないほうが良い。むしろ今の状態に感謝すべきだと思え』である。
『特別ではない、普通の、自然の扱いなら障害者なんか……』どうなるっていうんだろう?生きていけない?だから感謝しろ、か。
まあ、やや意味がずれるかもしれないが、要は、
『お前なんかサバンナだったらもう死んでる。生きていけるだけでありがたいと思え』である。
確かに、私なんかサバンナに行ったらすぐに死ぬだろう。1人では移動することもままならないのだ。
『障害者なんて本当は取るに足らない存在だ。生きていけるだけでありがたいと思わなければならないのだ。我々は善意で、お前たちを特別扱いしてやっているのだ。勘違いするな。調子に乗るな』
行き着く先は『生かしてやっている』でしょうか?
インターネットは顔が見えない。
だから今日は、非常に生意気で馬鹿な発言をさせていただこうと思う。
『自分は特別扱いされていない』『自分は[自然な存在]だ』という思いがあるのだと思う。
『自分は裸足で立っている。なのにあいつらは下駄を履いている』と。
それは本当でしょうか?
と、私は問いたい。
人間には、出来不出来がある。
運動能力、知力、コミュニケーション能力。
ありとあらゆることに、優劣がある。
歩けない人がいれば、歩ける人もいる。
遅くしか歩けない人がいれば、速く歩ける人がいる。
日本人のほとんどは、マサイ族より歩くのが遅いだろう。歩ける距離も短いだろう。
あなたはマサイ族のようには歩けない。
たぶんね。
そんなあなたが下駄を履かせてもらっていないとどうして言えるのです?
あなたはおそらく、能力のレベルの人口分布図の、最ももりあがったところにいるのに過ぎないのではないですか?
言い出したらキリがないです。大変にしょうもないです。
あなたよりもっと優秀な人類だけに合わせた世界が作られてもいいんですよ?
能力の高い人が、能力が低い人に合わせてあげる必要なんかないんですよ?
あなたが本当に下駄を履いていないと言うのなら、あなたよりもっと優秀な人達は、もしかするとあなたに合わせて、長い脚を短く切り詰めているのかもしれませんね。
長くてかっこいい脚をわざわざ切り詰めるのはさぞ痛く辛いでしょうね。
『身長は平均以下で顔の造形もやや醜いです。IQは100程度。運動神経は普通。美的センスは悪いです。こんな私ですが入店してもよろしいでしょうか?』と。
自然と不自然のあいだに、正常と異常のあいだに、きっちり一本?
違いますよ?
『境界線』は無数にあるんです。
知ってました?
もしかしてあなたは『正常と異常とを』『自然と不自然とを』隔てる境界線があなたの足下にあると思ってましたか?
その境界線より下にいる人達のことを、不自然で異常で劣っていると思っていませんか?
じゃあ、ちょっと上を向いてみてください。そこにも見えませんか? 境界線が。
『弱者の言うことなんていちいち聞いてたらキリがない。どこまで特別扱いしろってんだ』って?
あなたが年寄りなら若い人に、あなたが病気がちなら一度も病気をしたことのない人に、低所得者なら高額納税者に、そう思われているのでは?
あなたが『普通に暮らす』のは本当に本当に『当然の権利』ですか?
年収がいくら以上なら、自分が受ける公的サービス分をペイできるか知っていますか?
酒を呑むのでは?油物が好きなのでは?
健康に気を使い酒や油物や甘いものを控える人も居るんですから。
生まれながらにして体が丈夫で、病気にかかりにくい人も居るんですから。
そういう人に合わせた世界を作っても良いのでは?
あなたは外に出るのに、いちいちトイレのつくりやエレベーターやスロープの有無その他ありとあらゆることを確認しますか?
あなたは外に出て、通れない通路や入れない店に頻繁に出くわしますか?
そういうことがあまりないのであれば、それは社会があなたに合わせて作られているからではないですか?
社会があなたに合わせて作られていることを、あなたに対する『特別扱い』であるとは思いませんか。
上を見たら、きりがない。
下を見ても、きりがない。
きれいな水が飲めるだけで良いではありませんか。
数の多さにかまけているだけでは?
****
こんな話、本当に馬鹿らしい。しょうもない。へどが出そうになる。うんざりする。
でも、私はこんな感じのこと、わりとマジに、そこそこ頻繁に言われてます。
『辛い』と愚痴をこぼすと、
『もっと辛い人もいる』
『生きているだけでありがたいと思え』と。
でもそれは、そう言った本人にも、そのまま返ってくる言葉なんじゃないでしょうか。
その面では日本という国においてマジョリティだと言えるでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/afa901c655d2cdfb38c83fd1c73638520995e1a4
以前、わざと女性にぶつかっていく男性の動画が話題になったけれどもアレに関しては弁明のしようがない。
その件を別として、世の中と言うかインターネットではあまりにも男性にぶつかられたと主張する女性が多いように思う。
そしてこの原因は「視力の性差」が関係しているんじゃないかという推論を立ててみたい。
つまり結論から言えば、女性からすると男性がぶつかってきているように感じているが、実際のところ男性は回避しているものの女性が回避しきれていないというということだ。
もはや語られ尽くされていることだが、素早いものを捉える動体視力や、距離感を計るための深視力、物体を追うための眼球速度、空間に存在する物体を把握する空間認知能力は女性よりも男性の方が高いスコアを示しやすいことは知られている。
だからといってあらゆる面で男性が女性より優れているのだと言いたいわけではない。どう考えても(骨格などの影響もあり)女性の方が柔軟性があり、他にも視力に関することであれば色彩感覚などは女性の方が高いスコアを示しやすい(色盲も男性の方が発現しやすい傾向にある)。
筆者も実際に新宿駅などで筆者目線ではあるがコチラは回避しているのに回避してくれない女性や、肩からバッグを下げているのにも関わらず身体を避けてはいるもののバッグのみ当てられてしまうといった経験が少なからずある(バッグを当ててしまった経験は思い当たる人が多いのではなかろうか?それくらい混雑している駅ではあるあるだ)。
最近はこの推論に立って大幅に避けることで女性にぶつかってしまう頻度は減少傾向にあるが、半年に数度は女性もしくは肩から下げているバッグがぶつかってくる。
何なら先日などタックルしてきたのかと思うくらいの勢いで横から女性が衝突してきた。流石に相手の女性は申し訳ないというような表情を浮かべていたけれども。
まぁ色々と語ったが男性諸氏に言いたい、性差だろうし諦めろと。
ぶつかってしまったら事が大きくならないようコッチが悪くなくてもスマートに謝罪して立ち去るのが安全なんじゃないかなと思う次第だ。
ただすごく怖い手術だったので、後進の覚悟のために記憶が新しいうちに書いておく
手術を受けることを前提に診察を予約
最初に精密検査をするので検査の3日前からコンタクトをつけないように指示を受ける。
目の検査ってこんな機械あるんだなと感心する程度に何個も検査を受ける
多分6個くらい
ここで手術の予約をするが、流行っていたので1.5ヶ月先になった
どうにもコンタクトで目の形が変わっていると具合が悪いらしい。
ハードコンタクトは7日前、ソフトコンタクトは3日前から装用しちゃダメ
3日前からは毎日6回2種類の点眼を行う、起床時、朝食後とか細かく書いてあるが3時間ごとと解釈し
なお2種類の目薬は5分間隔を開けるのが地味に大変
検査後は待合室で待機しながら定期的に瞳孔を開く目薬などをさして瞳孔の開き具合などをチェック
手術着に着替えて手術室に通される
手術着は別に脱ぐわけではなく、襟カバー前開きのポンチョ、シャンプーハット、ハットを額に固定するテープという感じ
手術台は大体歯医者さんです。
消毒と言われ目を閉じた状態で両目まぶたの上からクマが出るあたりまで、イソジン的な匂いのなにかと、その後もう一つ薬液でビタビタにされる。
目玉の部分だけ穴が開いている布を被される、まぶたを開いた状態で固定するテープや、何らかの固定具をつけて目が開いた状態で固定される。
(生理食塩水とか、涙に代わるなにかかもしれないが、執刀医が「水!」というと横から誰かがかけてたか先生に手渡していたので私の中では水)
なおここから先は目のピントが合ってないのと専門用語が分からないので主観である。
なにかの薬を眼球に直接塗られる、麻酔で眼球そのものに感覚はないが、眼下など押された感触でそう感じた。
ここまでが多分消毒等の準備でここからが本格的な手術
「3つの光のうち左側を見てくださいね」の指示が出され麻酔の目薬や同行を広げる目薬などをドバドバ透過する。
このときの視界は水をちょんちょん垂らしている水面を真下から裸眼でぼやっと見ている感じ
目薬の容器的な物、光、落ちてきた目薬の波紋が見える。
完全に 無感覚と言うことはなく、少ししみるなと言うような感触はある。
目薬は比較的に説明してくれたが「切りますよ」は1回も言われなかった。
手術本番中は時折「光を見て」「上 /下/左/右を見て」と言う指示にしたがい
触られる感触、いろんな種類の目薬とうかに耐えていると20分くらい耐えていると「あと瞳孔閉じたら終わりですねー」と声が掛かる
が…ここからが長かった。
「あれ?引っかかってる」(ん?道具の手入れがなってないのでは?)
「瞳孔閉じないな」(あ、引っかかってるの僕の瞳孔ね!)
から始まり瞳孔を閉じる薬をたぶんスポイトかなんかに3ccずつ吸い取って次々刺しても瞳孔が閉じない
「3ccで吸ってるよね?次のやつから5ccにして!」「…7cc!」
少しは感覚あったりしみたりするのでこの時間がかなり苦痛でした、多分手術そのものと同じ20分くらい
その前に機械の入れ替えと言うことで15分ほど時間が空きました。
トラブルで疲れましたね?と言う気分です。
ミスされても困るので充分休んで欲しいところ
なおこのとき目を瞑って休んでてねと言われたのですが、その前に見た天井が手術前より少しだけ鮮明に見えたことを覚えています。
あと異物感がすごい状態でもありました。
同じ流れのところは飛ばすとして、消毒が終わったところで、こちらには乱視矯正があるので
多分医療用のマーカーで眼球にポチポチッとされたと思ってます(見えてないので主観)
そして手術本番、怖いとは言え右目で一度体験したのでもう大丈夫よと思っていたのもつかの間
ある目薬を入れた時点で視界がだんだん暗くなり
物の輪郭だけが見える圧縮動画のデコード失敗のような視界になり
最終的に真っ暗な中に何かうごめいているような、まぶたを閉じたのと同じ状態の視界になりました。
一時的に視界消えるなら、言ってよ!失明かと思って怖いじゃん!
と思っていたのですが、その後の一言で私はさらに凍り付きます。
「!!!!!!!!!!!!!!???????????????」
え?見えてるのが正常なの?全然見えませんけど?
「すみません、真っ暗です何も見えません」
手術中初めて口を開いたのがこれ
「あ、じゃあねもう少し下を見て」「もう少し右」と見えないこともあるような
誘導をすかさずしてくれたのでなんとか精神状態を落ち着けました。
その後も見えるように見えなかったりを繰り返し
やはり、全然瞳孔が閉じずに瞳孔閉じる薬をバシャバシャやって、長めの手術となり左目も終了です。
手術後は目の上の布を剥がされて、消毒液まみれの目の周りを拭いてもらいます。
手術中湯水のようにかけられた目薬ですが、歯医者さんのような手術台で目薬をドバドバかけるとどうなるか?
排水機構もあるのでしょうが頭を伝わって頭の後ろは結構濡れています。
まずはシャンプーハットの上から外側の水分を拭き取り、シャンプーハットをとって際を拭きます。
私の場合は目薬大量投下の影響かシャンプーハットの内側もぐっしょり濡れていましたが、ここは拭き取ってもらえませんでした。
※このあととても後悔します。
一通り手術着を脱ぐと回復室で休憩です。
手術室を出るときに時計を見たところ2時間か3時間経過していました(視界がはっきりしなかったのと、精神状態で短針の位置の記憶が微妙)
1時間で再びトイレに行ける当初の予告からすると少なくとも2倍の時間が掛かっていたことになります。
保護めがねをかけ、リクライニングチェアに横になって回復を待ちます。
なかなかの恐怖体験をしたこともあり、正直ショック状態になっていた私はてが真っ白になり
なお回復中はドバドバ投下された目薬が口まで(涙腺から?)流れてきて味が気持ち悪いのと
朝から指示されていた絶食ですでにおやつの時間にもなろうという感じで空腹にもなり
追い打ちのように濡れた後頭部が気化熱で冷えて頭痛まで襲ってきて吐き気につながり大変な状態でした。
2時間ほど休憩と言われ、時折追加の目薬を入れられ最後に簡単に診察をして手術日は終了
帰りの視界ですが、この人近視ダナという感じの見え方
絶食でもうダメだったのでタリーズでパスタを食べて帰りましたが
メニューを見るためにかなり持ち上げたりとそこそこ苦労しました。
前日のスマホ充電に失敗していたり、待ち時間でバッテリー使い切ったこともあり。
電車に乗れずタクシーで帰宅08:30に家を出て16:00の帰宅でした。
そこまで良くなっていない視界に慌てては居ませんでしたが
この時点で外側の周辺視野が遮られている感じで消えているのが不安な状態です。
また異物感が続いています。
なお病院で渡された保護めがねは長時間かけると痛くなってきたため
それよりかなり保護面積の大きい花粉用サングラスを家ではつけることとしました。
くらいけど快適…一週間つけ続けるのでクリアversionを追加発注しました。
手術当日は1時間おきに目薬をさすのですがこれが4種類になり
5分だと大変だよね2分は開けてと言われたので、起きている時間の1/6を点眼で過ごしました。
なお、なるべく目を閉じて過ごしてねと言われたこともあるのですが。
ショックからの回復のためベットの上でほぼ無為に過ごしていました。
スマホもテレビもダメな時間どうしよう?と悩んでいた自分は何だったのか
左目は真っ赤、右目もそこそこ赤い
翌日検診で視力を測定 左 1.5 右 1.0 まで回復、体感でもかなり見えています。
なお手術前は両方 0.08だっけかな? コンタクト度数-3.75にて矯正視力1.2でした。
昨日心配していた周辺視野も右側は大分回復左側はまだと言う状況
異物感は減ってきていますが、まだまだある
目の赤さは全然引きません
今日は通院もなく、心の余裕も取り戻しつつあるので有り体に言って暇である。
心の余裕は取り戻したのに、目が疲れることはしてはいけない
異物感は日に日に軽減されて行っている。
視野が狭い感じは右側は完全に回復した、左側は小さくなっている感じがない
何故昨日の診察でこのことを聞かなかったのか後悔している。
流れ作業のような診察に口を挟む暇なく流された結果ではあるが…明日の診察では聞こうと決意
今日から美容室で髪を洗ってもらうことが解禁されている。※仰向けに洗ってもらえる目に水が入らないところ限定
手術後びっしょり濡れてから3日洗ってない髪は、油でギトギトである。
行きつけの美容室には事前に話を通してあり、カット&ブローを昼過ぎにお願いする。
洗髪後すぐに枕と枕カバーをコインランドリーに突っ込んで洗濯、油ギトギトの寝具をすっきりさせてゴロゴロできる時間を長めにとれた。
全休にしなくて本当に良かった、暇で死んでしまう。
仕事は術後2日後からデスクワーク、3日後から力仕事が解禁されている。
プログラミングの仕事は目が疲れる行為なので一週間禁止されているような気がしないでもないが
さて午前の診察、視力検査と眼圧検査をして簡単な問診で終了だ。
流れ作業で流されそうになったので、無理矢理視野が狭くなっていることを質問する
メスを入れたところと見えなくなっているところが一致していて、右側は既に回復していると言うこともあり
手術跡の箇所であると判明、時間と共に治っていきいつの間にか透明になって回復するとのことだった
と憤りながら目薬がなくなりそうなので、追加を受け取り、帰宅
左の赤目はまだまだ真っ赤っか、右は大分白くなった
次の診察は術後7日後だ
さて7日後検診、視力・眼圧を測定し医師の検診と問診を受ける。
まだ左目の端に見えない領域が少しあるのでそのことを聞いてみるが「原因になりそうな所見は見られない」とのこと
やや不安になるが、スポーツでもやらない限り問題にならない周辺視野領域なのでまあいいかな
相変わらず視力教えてくれない感じだったので「視力いくつでしたか?」とやや強引に差し込んだところ 両目とも1.5との事だった、見えるぞ!!!
すがすがしさが半端ない
公衆浴場・プールなど安全とは言えない水にはまだ入れないし激しいスポーツは禁止だが生活の制限は大分なくなった
目薬は1日4回に減ったが3種類でまだまだ面倒な日々が続く
目には手術後の違和感が残っていて、ゴロゴロした感じがまだのこっている、裸眼で最高!!!というには目の違和感が消えていないというのが本当のところ
目の赤みはまだ何かあった???と聞かれる程度には残っている
次の検診は術後1ヶ月なのでしばらく先
目の違和感は日に日に薄くなっているが、14日経ってもまだゴロゴロした感じがあり、裸眼最高!!!には届いていない
赤みは大分減っている、もしかすると術後の赤みは全部引いたかもしれないのだが、花粉症で赤くなっている疑惑もあり完全に白くならない
逆に言うとその程度の赤さで他人になにか言われることもない赤みだ
さて7日後検診で保護めがねを外して気がついたのだが、ハローがかなり強く出ている、夜の街頭に光の輪が見える感じだ
ハローは日数経過により右目は消えていって14日後には右目は気にならないようになったが左目のハローは強く残っている。
左と右でレンズが違い、乱視用のレンズでハローが出ているのではないか?と言うような気がする。
ハローはレンズの眼圧対策のホールが原因らしいので治らないかもなー…
書いている時点で術後4週間を過ぎた。
一つ変わって気がついたのがピントを合わせるのに慣れてきた感じがすると言うこと、術後間もない頃はピントを合わせることになれていなくて目が覚めて目を開けて見えるようになるのに時間が掛かったのと少し目が疲れた記憶がある。
メガネをかけたり外したりしたときの感覚と言えば分かってもらえるだろうか?
この感覚がじょじょになくなり何か物を見ていても目が疲れなくなってきた。
治っていないこととしては
ハローは左目に相変わらず見えている、左目の視界がほんの少し狭いのも治っていない。
それとコンタクトレンズに汚れがついてちょこっとぼやける、みたいな感じが続いている
常にぼやけるのではなくて汚れがついたときにぼやける感じ
これは瞬きを何回かしたり目をこすったタイミングで治るのだが、裸眼の時ってこんなことあったっけ?と不思議に思っている。
コンタクトはもうつけていないのに…目に直接汚れがついてぼやけている???何か不思議な感触だ
一ヶ月検診がもうすぐあるが、予約の関係で検診は5週間のタイミングとなっている。
予約の関係で5週間目となった一ヶ月検診
視力を測って眼圧を図って、問診と診察をして終了
両目1.5だった、2.0となるレンズは選択しないようで、1.5で視力が安定すれば100点とのこと
追加の目薬はなく、目薬は使い切っていたので治療としては終了で、後は数ヶ月おきの経過観察
次回は2ヶ月後で術後3ヶ月検診だ
状況としては先週と同じで特筆することがない
つづく
聞くに看板娘は他の仕事も2, 3掛け持ちしており, ミュージカル俳優を目指しているそうな.
オタクは一般男性よりも収入・体格・身分で劣る. 三低である. 明日を見る目も視力0.01の乱視である.
臆病でプライドの高いオタクはその劣等感を見せず, しかし手を出さず踏み込まず.
そもそも手の出し方も知らぬ. オタクは童貞である. オタクは看板娘と客との関係なのである.
日々当たり障りのない会話をし, クリスマスやらバレンタインやら看板娘の誕生日やら, イベントごとがあればプレゼントを贈ったり贈られたり.
それもそうである. 看板娘はとうに30を越えている年上なのだった, 一般女性とて未婚の方が少ない.
ただ, この情報は他の客と店長らとの会話を耳に挟んだだけである.
本人との会話や発信でその存在は出ていなかったのだ.
吐きそうになって発揮したオタクのネットストーキングスキルで, 看板娘の俳優アカウントを見つけたが, そこでも匂わせるようなこともなく, 流石のプロである.
今日も今日とて看板娘は俳優アカウントに自撮りを載せるだろう.
何故か今年度は他の客とは違い, 個別でプレゼントもらって浮かれていたオタクはぬるま湯から抜け出せず, 悪夢と知って虚しい芝居を続けるだろう.