はてなキーワード: 脳内とは
子供のころから数えて15年以上はアニメ見てきたが、5年くらい前にvtuberにハマった
それまで声優にもアイドルにも歌手にもハマったことはなくて、二次元最高の人間だったから、生きている存在を好きになるのはこれが初めてだったと思う
vtuberも二次元ではあるけど、やっぱり生きていて意志があるという部分は普通のキャラとの大きな違いだ
意志と人格がある存在を好きになるというのはとても新鮮な感覚だった
普通のキャラクターが創作物の設定内で動くのとも、脳内で妄想して話すのとも違い、その人は外界で人間として生活している
おまけに毎日のように配信活動するから、その人の人格みたいなものが見えてくるような気分になる(まあ実際、毎日配信見てりゃいくらキャラを演じていようと「だいたいこんな人」みたいなのはうっすらと分かる)
自分の都合の良いようには動かないこともあるし、趣味が決定的に合わないこともある
そんな感じでも好きになれるのはなんとも言えない気分だった
アニメキャラなら自分に合わないキャラは好きになれないで終わりだけど、vtuberを相手にすると自分の趣味や嗜好がその娘に合わせていくようになった
自分とは違う趣味や価値観を尊重するみたいなことまで学んだ気分にまでなる
で、それはいいんだが一番変わったのは、キャラクターが処女とか非処女とかどうでもよくねえと思い始めたことだ
だってさ、こんなに可愛くて魅力的な娘なんだったら過去に彼氏がいたとか、なんなら今いても大した問題じゃないと思う
一度そう思ったら、アニメとかの二次元キャラでも処女とか非処女とか全く気にならなくなり始めた
魅力のある娘なんだったらどうでもいいや
ちょっと幅が広がった気がして得した気分
CYBERPUNK2077の主人公は性別を選べて、男主人公の場合は異性愛者女性のパナム、同性愛者男性のケリーと恋愛できる
主人公は20代ほどの若者だが、色々あって数十年前に死んだ極左テロリストのキアヌ・リーブスの人格チップを読み込んでしまい脳内でキアヌと同居することに
この世界では高度経済成長期から2077年まで日本が成長を続けアメリカも日本企業に支配されているディストピアである
極左キアヌは闇の日本企業アラサカと戦い、その中で恋人のオルト(女性、キアヌはノンケ)をアラサカに奪われた
オルトは現実の肉体は死んだが電脳空間に人格データが残された「サイバーゴースト」になり、ネット空間を統べる女王となった
キアヌは最終的にアラサカに捕まるも、キアヌを利用すればサイバー女王オルトに接触できるかもしれないとキアヌもまた肉体的には死に人格データだけ残されていた
キアヌは武器だけではなくギターでも戦うロック歌手であり、ケリーはそのバンドメンバーだ
ケリーはキアヌの死後にはソロ歌手として大ヒットしていたが孤独を抱えていた
寝るだけの男はたくさんいたが、彼が真に愛していたのは、ノンケのキアヌだった
主人公とキアヌは反発しながらもやがて仲良くなり、「仲間の多くが現代では死んでいるが、生きてる奴に会いたい」というキアヌの夢を主人公は叶えることにした
だが、ケリーからすれば見知らぬ若者のはずの主人公が奏でるギターの音色は確かにキアヌのもの
音楽を生業にするケリーは、「数十年前に死んだ仲間が若者の体に宿って会いに来た」という荒唐無稽な現実を受け入れた
「キアヌを完コピできる謎の大型新人」として一夜限りのバンド再結成したりと交流するうち、惹かれ合う主人公とケリー
燃え盛る豪華クルーズ船の中でケリーは妖しいダンスで誘惑し、二人は炎をバックに結ばれる
キアヌは二人が結ばれる様子を主人公の脳内で見物するハメになり、複雑そうに振る舞っていた
結局、中にキアヌがいるからケリーは主人公に惚れたのではないか?
本当に主人公のことが好きなのか?とプレイヤーも複雑な気持ちになった
例えばパナムは出会いから結ばれるまでにキアヌの大きな影響はなく、キアヌは色々コメントはしてくるがあくまでも主人公とパナムの恋愛だ
4歳と1歳の子の母親で、専業主婦をしているのだが読書する時間がびっくりするほど少なくてつらい
4歳の子が平均的な4歳より手がかかる 子供の遊びタイム、甘えタイムにつきあっていたら本を読む時間が足りなさすぎてつらい 読んでるものが小説だとしたら脳内でいちいち情景を思い浮かべないといけないのに、 頻繁に「ママー!!」と呼ばれてつらい 1歳児は私の顔を真っ直ぐ見て泣いて「抱っこして」アピールをめっちゃする 1歳児をだっこしながら読書すると急にのけぞるので危ない
今日はな、記憶っちゅうもんについて考えてみたんやけど、ほんま大した話やで、ほんまに。
まずな、エントロピーっちゅうのは、情報幾何学っちゅう視点で見ると、確率分布の集合における距離の概念と関連があるんやわ。
ほんで、確率分布間の距離を測るのに使われるんが、情報利得っちゅうやつやねん。
これ使うとやな、ある状態から別の状態への情報の「距離」っちゅうもんを測れるんやで。
ほんで、記憶の形成っちゅうのは、脳内の神経ネットワークでのトポロジカルな変化として捉えられるんや。
トポロジーではな、空間の連結性やら穴の数を考えることで、系の安定性を評価できるっちゅうわけや。
記憶が安定してる状態は、トポロジカルに「閉じた」状態としてモデル化できるんやで。
脳の構造はな、微分幾何学っちゅうのを使って、曲率や接続性を考えることで、情報の流れを表せるんやわ。
リーマン多様体の概念を使うとやな、脳内の情報の流れを曲面上の最短経路(測地線)として表現できるんやで。
これで、情報がどないに効率的に伝達されるかを理解できるっちゅう話や。
ほんで、脳が情報を処理する過程は、作用素代数っちゅうのを使えばええんちゃうかな。
ヒルベルト空間上の作用素を考えることで、情報の操作や変換がどないに行われるかを数学的に記述できるんや。
そんで、記憶の形成や情報の統合がどないに行われるかを理解できるって話やで。
要するにやな、記憶を作るっちゅうのは、エネルギーを効率的に使うて、エントロピーを下げて脳内の秩序を保つプロセスやっちゅうことや。
これを意識して、毎日楽しいことを覚えておくと、心の中のエントロピーが下がって、より豊かな人生が送れるんちゃうかな。
でも猫に特段興味ない俺から見るとただの動物じゃねーかという感想しかないわけです
自分の妻というのは、猫好きにとっての猫と同じようなものだと思うんですよね
他人から見るとただのおばさんであっても、俺にとって可愛ければいいわけです
シワが増えたり肌にハリがなくなったりという部分は、見なければいいだけです
チラッとだけみて脳内で補完すれば、いつまでも妻は可愛いままです
中学生の頃から、はてな、なろう、Twitter、個人ブログ、note、某ゲームのファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンルの文章を書いてきた。主戦場を匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。
このような過去から察せられる通り、自分は文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説やはてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。
最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときはサービスのアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。
このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分は文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロの小説家先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリーの矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントはストーリーの構成がしっかりしていて、論理的に妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。
しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主の自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品を主観的、客観的に分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである。
このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分の意見を表明する場合でも、脳内にある自分のアイデアはパソコンのディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分の脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分の脳内にあるものと自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内にしかないもの、書いたものにしかないものも無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行の名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色、スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分の意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。
そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかったことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分は普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたものを100%他人のものであると断じてしまうことである。中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去の自分と現在の自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分の文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法は文章を100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章とにらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分の意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分の意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分の脳内と文章が一致する。
根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分の意見が初めから脳内に整然とした文章で存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分の意見は言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章を100%自分のものにする方法の最後で、自分の意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分の意見を言語化するあいだに自分の意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ある場所の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●脳内の認知などを平和に鎮まらせておくために、私たちはいろいろな手段を試します。その中に、『食べ尽くす』や『甘いもの』に頼るということが入ってくる人は多い。私もいろんな理由で覚醒すべきときに覚醒が不足してしまうので、甘いものの所在はほぼ確実に記憶に入っている。コンビニを見ても、多くの人が質の高い甘いものを、お値段が高くても欠かせないことがよく分かる。
でもね、という警鐘。
健康保険が高過ぎて未加入の一般人が多いアメリカ、なのに、こんなに危険な人生が待っていても、あまり自覚無く食べ続けられる。その原因が、お金が少ない。長時間労働。だから働きながらおやつをつまむ。健康の知識と意識向上を促してくれる環境の不足。口に物を詰めたら言っても無駄なことを言わなくていい。忘れられる。不満を蓋する。個人が治療を受けられない病気の苦しみを次から次に背負う。もうなにか言う元気も無い。治安が保たれる…。
不満は、言わなければそれでいいのか?
脳内は、静まっていさえすればなんでもいいのか?
疑問を持ったり、よくよく考えて怒ったりすることはとにかく良くないからやめさえすればいいのか。果たして思考停止が『永遠の『宿題』の提出』の最適解なのか?
認知を正常に健全にしておくことはとても大切だけれど、いっぽうで、社会で作ってる普通の規格がはなはだ合わない私たちなので、まだまだこだわるところはこだわっていいのでは。「考え過ぎだよ」とたまにたしなめられると嬉しいくらい、私たちは確かに疲れている。でもやめないで考え過ぎることも物事によっては、必要なのではないかと。
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●【お一人さま視聴注意】
ずっと以前、ブログでも挙げていたんですよ。『とても分かりやすい説明をできる厳しいおねえさん』という表現で。
刺さりますよ~。心にグサグサですよ。新年から弁慶の仁王立ちですよ。
でも、よそでは聞けない言語化をしてくれるから、たまに大笑いしながら聞いてこれたんですよ。私はね。
私は自分がどう癒されたいかよりも、社会にどこなら許してもらえるかの場所をうかがいながら、歯車になって生きる運命なので相談所は利用しません。
ご指導によると、つまりは家庭を一企業のように運営、経営する覚悟をしてガッツいていかなきゃならなさそうですけど、私はそれができない特性持ちで、生きるだけでもうサバイバルなので。
が、客観的に見て、なるべくしてなってるお一人さまの独身者ってどんな生態なのかをはっきり言ってくれてるんですね。
・ボケーっとしてる。
……どういう意味? 私たちの大半は、ここまでたどり着けないんですよ。
タイムパフォーマンス(時間に対する生産性)だって、時計の時間で測られたら弱い。過集中スイッチが入ってからの時間で測ってもらえる環境じゃないと、私たちからは生産をあげていけないんですよ。だから私たちは社会に頭を下げ続ける。時計の時間じゃなくて、脳の気分が向いた時間で出した生産で報酬をください、すみませんが、あなた方の想定の働き方ではないかもしれませんが、すみませんが報酬をください、生きていけないんです、ってね。
https://www.youtube.com/watch?v=zTWnyrCAH08&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=84
https://www.youtube.com/watch?v=hSB82lXBaKc&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=88
https://www.youtube.com/watch?v=RVCcB0d8lqY&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=89
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※あとねー 耳掃除動画も目を離せないですよ 人さまの分泌物を大写しのサムネ画面は、ここに載せるのは自粛してますが。
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●発達支援のニーズがあるお子さんを、こういうところを利用してサポートしてもらうご家庭は多いかもしれません。
なにが変わるかというと、正規職員複数勤務で開きなさいというルールから、正規職員一人で、あとは非正規、もっとゆるく言うならパートの職員でも開いて営業していいですよと、そういうルールに変わるんだそうです。『朗報』と表現されるということは、人員が不足しているんだろうなと……。非正規の職員でも、教員や保育、看護師などをリタイアした、腕に覚えのある人たちに恵まれるといいなと願います。あとは、腰とか壊しやすそうなので、病気休暇とか労災適用とかの福利厚生も厚くなって欲しい。
個性的な子どもたちと関わりたい、若い人たちも自活していけるように、給料が増えて、専門知識の研修を受けやすくして、正規職員を雇いやすくなるともっと支援は充実するはず。
https://www.youtube.com/watch?v=K7tyRsRjzvk&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=83&t=3s
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実際:「後でこれをこうやって片づけるつもり」のタスクが脳内に溜まりすぎて、非効率。キリの良いタイミングは永遠に来ない。小さいサイクルで区切りをつける。
実際:片付けこそ、エネルギーと発想力に余裕のある時にしかできない。覚悟を決めて、業務時間に片づけまで行う。片付けから初めて、エンジンが暖まってきたところでメインの仕事をこなし、帰り際は頭を使わない単純作業で時間を潰すくらいが良い。
他にあれば教えて。
1. 脳の活動と夢:
2. 感情の処理:
1. シナプスの強化:
あなたの夢は、脳が最近の経験や感情を処理し、統合しようとしている過程を反映している可能性があります。ヤクザの集会や墨を使う場面は、現実での不安や新しい挑戦に対する脳の反応を示しているかもしれません。この夢を通じて、あなたは無意識の中で自己理解を深め、現実世界での問題解決に役立てることができるでしょう。
自殺というカードが現代社会において強すぎて、俺もいつかどうせ死ぬんだからどうせなら人生を最大化したいなと思うようになった
他人に何かを責められたとき、自殺することで相手を強制的に加害者-被害者の関係に引き摺り込もうという選択肢が脳内によぎるようになるの、普通にあってはならないことだよ
だけれども、既存の自殺案件を軽く見ることも出来ないわけで、かといってそれを続けると自殺というカードは年々強化される一方で
はて、どうすればいいんだろうね
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/saebou.hatenablog.com/entry/2024/08/07/044725#bbutton
大変な労力をかけて勤勉に運用をしていたということを考えると、
ファシストにならないよう、気をつけて怠けて暮らそうと思う。
この文章を受けて、
「怠けて暮らそうと思う」は逆で、むしろ何も考えずに唯々諾々と命令に従った者が多数いたからこそ、この悲劇は起きた。ハンナ・アーレントが説く「平凡な悪」は怠惰から生まれる。
yamazakickerさん がスターを付けました。
yunotanoroさん がスターを付けました。
toshikishさん がスターを付けました。
まじで
頭悪いで済まされるレベルじゃない。
人に対する敬意がない。
人の心がない。
やばい。
やばすぎる。
https://anond.hatelabo.jp/20240807134220
私に、はてブを、やれ、と。。
HAHAHA。バッカジャネーノ
https://anond.hatelabo.jp/20240807135537
そこまでわかってる人はそういうコメントを書かないしましてスターを付けない。
わかっててとぼけるの見苦しいぞ
https://anond.hatelabo.jp/20240807140146
ここまでのツリーを全部一人で書いてるのやばすぎるだろ。
これについて結構危険性とか思うところがあるんだけど、なかなか明文化できない。
脳内で練っているのをちょっとまとめるためい、書き出してみるか。自分用まとめノートなので文章はまあ…。
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「MMOロールプレイ」や「Vtuberのガワ」このあたりも同じような類似性があると思うんだなぁ。
これをでっかくイメージしてて、練度精度はぜんぜん違うけど、おままごとに分類されると思うんだよなぁ…。異論めっちゃ認める。
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うちよそ… 自分用の架空のキャラクターを作成し、他の人と交流をもたせる関係性を作ったおままごと
なりきり… 版権キャラなどになりきってロールプレイをし、他の人(の同作品のキャラなどと)と、シチュエーションなどを作って演技するおままごと
MMOなどのRP(ロールプレイ)…自分が作ったゲームキャラを操作し、その設定に合わせて自身が演じるおままごと
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で、何に引っかかってるかと言うと、このおままごと遊びのヤバさについて…。
ヤバさと言うと何がやばいんだってなりそうなので、もうちょっと細分化してみると…。
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・快楽物質出まくって、かなりの依存状態になる、脳内お花畑になる
・うまくいくと究極の推し活、自分に対して反応してくる推し最高、生きるのがハッピー
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・演技やキャラ想像が行き過ぎて、自分がそのキャラに同化していく
・演技が行き過ぎて自分を見失う
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良い悪いどっちもめちゃくちゃありそうだけど、どっぷり浸かりこんだときの快楽とその反対の感じやばくないですかね…
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もともとこういうのにほとんど興味がなくてそういうひともいるんだな~くらいに見てたのに
MMOなどでキャラを作り、それが実際の自分ではなく憧れのキャラだったり好きなキャラだったり
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本来のだっさい自分がなくなった感じ、もしくは直視できなくなった感じ、
のめり込みすぎて失ったときの欠乏感とか
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今までこういう界隈をしらなくてたまたま踏み入れて大事故した感じなんでしょうねこれは…。
恐ろしい。
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多分こういう界隈のドが付く初心者。依存しすぎとか云われるやつ。
いやはやびっくりした、こんなふうになってしまうのかと。
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あと改行かってにつめられるんだけどどうすりゃいいのこれw