はてなキーワード: 突撃とは
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
空にサンライズ でもマジ暗い
なら俺がぶったぎろう この先を切り裂き
とめどない自殺者 誰もみないや
助けてやろうや それが武士の心だ
俺は勇敢だ 悪に立ち向かう
金と権力その他諸々
お前ら何してンだ それが実力か
まずは一階 軽く蹴散らす
これで終わりかい?
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
話を現代に戻す
差別はまだ消えぬ
レイシストマジ消えろ
国も国だ マジなんなんだ
下への格差は埋まってねえ 俺は助けてえ貧民を
恐怖を断ち切る 悪は全てKILL
今俺はここにいる それが全てを物語る
ダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュ…
スペースとかに突撃してきた男や表現の自由を掲げてなんか言ってる男はいたけど、でもそいつらが性的にユーザーを今まで見てきた&これから性的に見にくるってわけじゃないやん
そもそも女子学生というものが存在したの自体が明治以降だし昔は女子の進学率も低かったので
「女子高生が性的に特別に価値のあるアイコンとしての意味を持つのは男性の生来的なものではなくて後天的な刷り込みなのではないか」という疑問は至極真っ当だと思うんだが。
フェミさんたちが、たわわ広告にキモいと言ったり、たわわいいじゃんと言った女性経営者のアカウントに突撃してボロクソに言うことと
ネトウヨさんたちが、昭和天皇を戦犯扱いする動画を公開したウクライナ大使のアカウントに突撃してボロクソに言うこと
両者に本質的な差はない。
強いていえば、女性経営者にもウクライナ大使にも人格権があるので、ボロクソの程度によっては良くないことになるので、一線を越えないようにしましょうというくらい。
大きく違うのは、後者の話では日本政府がウクライナ政府に「全く不適切で極めて遺憾」とか言ってること。これにしても、日本政府とウクライナ政府の関係では、日本国憲法上の表現の自由とかの問題にはもちろんならない。恥ずかしいことだとは思うが。
前提を共有する努力を怠った。いくら私の中で自明だからといって説明しないとそりゃ誤解されるのは当然だ。
反論で「フェミニズム」は負けてないし勝ってるっていう意見が多かった。これについては完全に同意。
格ゲーでいうと「フェミニズム」は使用キャラで、「ツイフェミ」はプレイヤー。
ツイフェミは「フェミニズム」という強キャラを使って自分な嫌いな表現をたたいてる連中のことを指す。
具体的に言うと今回の国連たわわ問題の准教授さんや、突撃オタクの車いす対策!問題の伊是名さん。ローザ・パークス気取りで行動したけどただの迷惑客になってしまったのは、根本的に差別というものについて理解が足りないからだろうね。
あと、彼女たちがやっていたことを擁護している人たちもツイフェミさんと認識してる。
この人たちは、明確に自分がルール違反をしたのに「フェミニズム」を印籠としてその不正行為に開き直ってるのが良くない。短期的な勝ちに固執していると感じた。
かぐや様は告らせたいの藤原書記がやるんだったら可愛いねですむんだけど、現実で同じことやるなら石上くんにネタにされるのは当然かなと。
アンチフェミ側にも同じようなやつたくさんいるというのは元増田でも述べたとおりだよ。でも攻め入る側はただの蛮族で終わりたくないならもう少し賢くないとね。
ドラゴンコミックスエイジは少年漫画レーベルのため「宇崎ちゃんは遊びたい!」は間違いなく少年漫画カテゴリで展開・販売されているのだけれど、ストーリーを読み込めば読み込むほど少女漫画的なストーリーであったりする。
言うなれば少年漫画誌の中で連載されている少女漫画なのだ。
宇崎ちゃんとセンパイの出会いからして宇崎ちゃんはセンパイへ悪印象を持っており、その後に部活動の中でセンパイの良さに気付いていくという過去談がある。少女漫画のド定番シナリオだ。
そのセンパイのキャラクター像だが、不器用で鈍感で人付き合いが苦手で、限られた人とだけコミュニケーションを取るような性格だが、宇崎ちゃんには心を開き、更には作中で宇崎ちゃんを裏切ることはないと明言されていたりもする。
しかも目つきは悪いが高身長の細マッチョ、武術を修得しており、勉強もそこそこできる様子、バイトに明け暮れる忙しさの中で、押しかけ女房のように突撃する宇崎ちゃんへ文句を言いつつも相手をするという優しさがある。
これが少年漫画の王道的な無気力系主人公であれば、次々と異性を虜にしてハーレムを築くところだがセンパイが真に受け入れるのは宇崎ちゃんのみなのである。
宇崎ちゃんは男へ尽くす都合のいい女と表面上は見て取れるが、実際のところはハイスペックなセンパイが突撃してくる宇崎ちゃんに尽くすというストーリー構成だったりする。
もちろん少年漫画レーベルの都合上、宇崎ちゃんへ水着を着用させたり胸を強調するような表現が散見されるものの、それと同等レベルでセンパイの細マッチョさも強調されている。
何なら酒に酔わせて自由にしてしまうという18禁では定番のシチュエーションで自由にされる対象はセンパイのほうである(自由にすると言っても全年齢なので本音を言わせるに留めているが)。
印象を誘導したいわけては決してない。
「宇崎ちゃんは遊びたい!」を読めば読むほど「センパイではなく宇崎ちゃんに都合のいいストーリー仕立て」であることに気が付くだろう。
無料公開している部分だけでも良いので読んでみよう。ストーリーが進めば進むほどに少年漫画としてのメッキが剥がれ落ちていくことがわかるはずだ。
ストーリーがまったく同じで絵のタッチが少女漫画だったら誰も気付かないのではないか。
しかし決して少年漫画誌の中に少女漫画があることへ非難を寄せたいわけではないと理解しておいて欲しい。
そんな前例いくらでもあるし、逆パターンだっていくつも読んできたのだから。
「月曜日のたわわ」が話題になってるときなので改めて「宇崎ちゃんは遊びたい!」がどんな内容なのか確認してみると良いかも知れない。
たわわ戦争初期の頃、無名のTwitterユーザーらがたわわ広告を指してキモいキモいと言い、表現の自由戦士たちはそれに突撃してたわけだよね。
表自戦士「キモいは存在の否定。行き過ぎで、名誉毀損や侮辱罪にあたる」
みたいな感じだろうか?
作品に対する批評や感想も当然表現の自由であるし、作品に対して言ってる限り、名誉毀損や侮辱罪なんか成立するわけないだろ。
でも、ハフポストが治部れんげ専門家とパワーワード「見たくない表現に触れない権利」とともに堂々登場してから、なんか潮目が変わったよね。
ブコメでもTwitterでも、治部れんげ専門家やハフポストの話に沿って話されるようになった。
そして何人かの弁護士が即座にツッコミ入れて、形勢が変わってきた。
挙げ句、ハフポストがUN Womenの抗議とUN Women日本事務所長のインタビューをどういうわけだかすっぱ抜いて、
3つのP!とかこれまたどうしようもない基準を持ち出して正当化をはかったけど、当然すぐにツッコまれた。
この後はどうなるのだろう?
アンステレオタイプ・アライアンスも、曖昧な基準で掲載広告を事後チェックされて、一方的に抗議をネットメディアに流されるとわかった以上、今後わざわざ新たに参画する企業がいるのだろうか?
元増田だけど色んな人が意見を出してくれていて少々驚いた。
結構気軽なつもりでやった投稿なのだけれど、ココまで皆さんがリアクションしてくれているのならば私も本気を出さなければ失礼だろう。
ちなみになぜ私が街中の広告の写真を取っているのか?という点についてだけれど私は物書きなので流行っている作品の調査・備忘録のつもりで広告などの写真を撮っていて、本屋でもPOPや平積みしてある作品をよく撮る。
だから物書きとして本気を出そう。本気で熱を入れて書くため文体が変わることをご了承いただきたい
気付いてるかな?たわわもアウトならば女性向け広告の規制基準はたわわレベルになるのよ。
それがどういうことか考えたことある?
それはつまりオタク女性が男性へ対してエロスを感じる表現の一切合財がアウトになるってことなの。
例えば首筋、手、目、胸板、背中、微笑etc...これらすべてが女性向けに描かれたらアウトなのよ。
「そんなことはないでしょ!」って思うじゃない?いいえ、そんなことはあるわ。
何故ならたわわや以前に問題となった作品にも明確な基準がなく非難された結果として炎上したからよ。
そのジャンルを嗜好する私たちの基準で評価されるのではなく、ジャンルをよく知りもしない誰かよくわからない人たちの基準で、しかもその基準が示されることなく規制されるの。
私たちがその不明瞭な基準で規制することへ対して文句を言えば「とぼけるな」とか「理解する気がない」と言われてしまうのよ。
フェミニストはよく一般女性を名乗るわ。
一般女性が男性向けジャンルのココが良くないとして指摘しているのだけれど、同じように謎の一般男性が私たちが嗜好するジャンルへよく知りもしないでココが良くないと指摘してくるのよ。
規制してくるのはエロいオタク男なんかじゃなく謎の一般男性なの。
これらの意味をよく考えたほうが良いわ。
最近の子たちは知らないだろうから私の世代の経験として共有するわ。
実は私たち既に抑圧を経験しているのよ。
宮崎勤事件によるオタク抑圧の時代のことと思うでしょう?
違うわ。あの事件によって抑圧されたのは主にオタク男性よ。あの事件に限ればオタク男性の抑圧に比べるとオタク女性が受けた抑圧は微々たるものだったのよ。
多くのオタク女性が受けた抑圧はパソコン通信終期(2000年前後)から20010年に入るか入らないかまでの10年間、いわゆるオタク女性による同人サイトブームがあった時期にオタク女性たちは抑圧されていたの。
何故オタク女性たちが抑圧されていたのか?と言えば、それは今で言うところの「学級会」の発生がこの時期に集中したからなの。
学級会がなぜ発生したのか?と言えば、別にジャンル同士の抗争でも、掛け算の順番に関する論戦でもないわ。
当時のオタク女性(というよりもパソコンの初心者女性)は電子掲示板のトピックやスレッドという概念、そういうものに関する前提のルールというのを理解してないことがあまりにも多かったのよ。
どういうことかと言えば、特定のトピックやスレッドで話題が固定されていることに慣れていなかったのよね。
今では信じられないかも知れないけれど、つまり例えば「幽遊白書を語るスレ」で「幽遊白書以外のことをメインとして語ってしまう」という事が頻発していたの。
オタク男性も他作品と幽遊白書を比較することはあったわ。でもそれは幽遊白書を主軸として比較しているだけであって幽遊白書以外のことを語っていたわけでないの。
冨樫先生と鳥山先生の比較することはあっても鳥山先生のことばかり語るのは変よね?それをやってしまっていたのよ。
これはもう一般的な女子トークのせいよね。
同性の私でも話題がアッチコッチに飛ぶなと感じることがあるほどに女の話は飛ぶわ。いやそれはそれで楽しいから良いのだけれど男の人は嫌がるのよね話題がコロコロ変わるの。
それで薄々勘付いている人が居るだろうけど、その話題が変わった先がBLだったらどう感じる?
しかもNIFTY-Serveや2ちゃんねるでそのジャンルのメインのトピックや本スレッドで行われたとしたらどうなるかは想像付くわよね?
そう、他の人から注意されるのよ。
でも1人に注意したからと言って慣れてない子たちはまだまだいっぱい居るわ。新規に参加するたび今ではやっちゃいけないとタブー視されていることをやってしまう子が大勢居たのよ。
もちろんパソコンや電子掲示板へ慣れている歴の長いオタク女性たちも居て、慣れていない若いオタク女性たちをどうにかしないといけないという動きが自然と発生したの。それが今で言う「学級会」の元なの。
今でも2ちゃんねる(5ちゃんねる)のジャンル別のオリキャラスレやBL板などには本スレへ投下するなという注意書きが残っているのもあるけれど、なぜそういう記載があるのか?と言えば、やらかしてしまう子がいっぱい居たからなのよ。この辺りはオタク女性の黒歴史ね。
じゃあオタク女性向けのそういうトピックやスレを作ったら良いじゃないと思うでしょ?
それが可能になったのは2ちゃんねる以降なのよ。2ちゃんねるでも限定的であったと言えるわね。
例えばNIFTY-Serveではコミュニティ単位がフォーラムという枠組みになっているのだけれど、このフォーラム設立はニフティの許可制なのよ。
2ちゃんねるでも例えばスレッドを自由に立てられてもBL板は2ちゃんねる管理者じゃないと設置できないでしょ?NIFTY-Serveも似たようなものだったの。
私たちの嗜好するジャンルを会話する場がネットワーク上へ最初から用意されていなくて、どこで話しても2ちゃんねるでいうところの板違いスレ違いにならざる得なかったわけよ。
もちろん時間経過とともに需要が認知されて場が作られていくのだけれど、作られるまではタイムラグがある。
そこで私たちは同人サイトを作成し自分のものだから同人サイトで好き勝手にやることを覚えたのよ。
でもね問題は、この同人サイトでやることをパソコンや電子掲示板へ慣れているオタク女性たちが一時期であれパソコンや電子掲示板へ慣れてない若いオタク女性たちへ半ば強制した時期があったの。本スレでやらないで自分のホームページでやれとね。
同人サイトの多くは当時インターネットプロバイダーのホームページスペースで設置されることが多かったのだけれど、そもそもホームページを作る知識を学んだりやホームページを自分のものとして所有できる権限が若いオタク女性たちにあったのか?と言えば難しかったわ。
プロバイダーのホームページスペース以外にもロリポとかレンタルサーバーはあったけど同人サイト設置を誰でも可能になるのはいわゆるガラケーの勝手サイトやレンタルホームページの登場を待つことになるの。
パソコンや電子掲示板に慣れているオタク女性は同人サイト設置を強制してくるけど若いオタク女性にはそれが無理。
しかもそれぞれが同人サイトを個々に設置するわけだから情報が分散したり、更に言えば趣味嗜好の対立なども起きたわ。
なぜ同人サイトで鍵が設置されるようになったのか?と言えばオタク男性による突撃なんて偽史を語る人も居るけど、実際はそんなの少数で趣味嗜好の対立を防ぐためが主な理由だったのよ。
何なら当時を振り返るとオタク女性の一部は「男性のふりをしていた」と語る人が居るけれど、性別を偽装できるのならばなぜオタク〝男性〟の突撃としているのかは謎だわ。もう一度言うけどオタク女性による趣味嗜好の対立があったのは確かよ。
正史は「性別はわからないが突撃があったから鍵をかけた」だわ。
ガラケーレンタルホームページの時代へ入るとむしろ同人サイトはオタク女性の嗜みくらいの地位へ登り詰めるのだけれど、同人サイトのスタートはオタク女性同士の抑圧からよ。
コミケでも「同人サイトやらないの?」みたいな話は定番だったわね。
これは認めざる得ないわよ。
どう考えても涼宮ハルヒの憂鬱ブーム前後でオタクの風当たりが変わり、ハピマテをCDTVへ載せるなんてのもオタク男性が主体だったし、ニコニコ動画も引っ張ってたのはオタク男性のジャンルだったわ。
その後に続いていったのがオタク女性だったじゃない。
じゃあ今の時代に表現の自由を守ろうと声を上げている漫画家は誰?赤松先生よ!?また男性なの???
その今の時代に私たち女性は一体何をしているの?日経新聞に月曜日のたわわの広告が載ってけしからん?また女性同士で抑圧し合おうっていうの???
まるで私たちは悪役令嬢よ。
横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけて追放されて、戻れたと思ったらまた横暴で自分勝手で周囲に迷惑かけようとしてる。
このまま行けば趣味語りのTwitterアカウントへみんな鍵かけることになるの理解していないのかしら?
もちろんTwitterの投稿へいちいち注意してくるのオタク男性じゃなくて風紀を守る自称一般女性よ?
知ってる?今の時代の流行りはね、ヒロインと悪役令嬢が手を組むのよ。
また規制抑圧という魔王が復活しようとしてるの。
前回は悪役令嬢が取り込まれてしまったけど今回は違う結末を迎えたいじゃない。
ヒロインと悪役令嬢が手を組めば最強。男なんて引き立て役にすぎないわ。
日本のサブカル史には魔王からオタク開放の立役者としてオタク男性が主体だったと刻まれているわ。
今回の魔王からオタク開放の立役者はオタク女性と日本のサブカル史へ刻もうじゃない。
ヒロインと悪役令嬢のお嬢様方、清く正しく美しく、華やかに可愛らしく強いオタク女性が表現の自由を守ったと10年20年後に振り返ってもらえるよう、私とともに征きましょう(高笑い)。
雑記になりますがなるべく整理して話そうと思います。読みにくかったらすみません。
以下本文
最近、街中で以前より多くの頻度でスポーツタイプの自転車を見かけるようになりました。その最も大きな要因としては、やはりコロナがあるでしょう。「密にならない交通手段」として注目され、加えてこのような接触しないタイプのレジャー注目されました。また、スポーツタイプの自転車が比較的安価で手に入るようになったこともサイクリングが人気になっている要因の一つだと思います。エントリーモデルのクロスバイクなら、メーカーにこだわらなければ5万円前後で買えるようになりました。(今年に限ってはなんか値上がりしてますね)また、サイクリングロードの整備等自治体もこのような変化を後押ししています。(つくばりんりんロードなど)
これらの影響によりサイクリスト人口が増加している現状ですが、問題も少なからず発生しているようです。例えば、多摩川サイクリングロードでは自転車による接触事故が過去に発生していました。また、レジャーとしての”サイクリング”には当てはまらないと思いますが、危険運転を繰り返す某宅配サービスの自転車について最近TVでよく取り上げられていました。更に、具体的な事例や重大事故のみならず、これを読んでいる方が車を運転したことがある方であれば車道で中途半端な速度で走っているロードバイクに対し邪魔だと感じたことがあるでしょう。とにかく、自転車というのは二大交通者たる”歩行者”と”自動車”のどちらにも属さない中途半端な性質上、公道で走る際には多かれ少なかれ問題が発生します。
さて、ここまで現状のなんとなく私が感じている現状を主観的に書きましたが、これらはロードバイク乗りが「ルール」を守って乗れば解決する話なのでしょうか?私は、そういう単純な話では無いような気がします。というかそもそも、レジャーやスポーツとしてのロードバイク乗り(以下ローディー)はルールを守っていないのでしょうか?私は、一般的にローディーは"ルール"に対して厳格であると考えています。例えば、サイクリングロードに行くと分かると思うのですが、彼らの多くはかなり自身を守るための装備のみならず、自身の存在を周りに伝えるための鈴やライトをしっかりと装備しています。また、車道を走る際にはほとんどの自転車はしっかりと二段階右折を実施しており、さらに「原則として車道のここを走りなさい」というような法律上の規則も守っています。そして、車道で彼らはよくハンドサインを使い、車とも積極的にコミュニケーションを取ります。更に、走るという部分からは外れてしまいますが、輪行の(自転車を電車に積んでどっか行く)際には、JRが定めている大型荷物の輸送の規則に厳密に従っています。そしてこれらのルールについて、ローディーは彼ら同士がそれを守っていない人を見つけるとそれを互いに指摘しあえるような自浄作用を持っています。これらのことから、私はローディーは一般に”ルール”に対してはかなり厳格であり、更に自浄作用も良い感じで機能していると思います。
一方で、”マナーの良さ”はあまり感じられないような気がします。まずそもそもですが、どこをどう走ろうが「30 km/h巡行」のようなことは邪魔です。車道にいたら、それはそれで車からしたら邪魔ですし、歩道にいたら歩行者からは恐怖でしかありません。また、多くのローディーはこれらの自分以外の交通者(歩行者・自動車)がどう感じているのかに対して極めて無頓着であり、彼らの多くは車が来ても頑なに車道の邪魔になる部分を走り続けています。車を運転する皆さんは、抜かせそうだけど抜かせない微妙な速度で走るローディーにフラストレーションを感じた経験が一度はあるでしょう。また、先ほどは「歩行者のいるサイクリングロードでは鈴やライトで自身の存在を周囲に知らせる」と言いましたが、これ自体がそもそも怖いと感じることもあるでしょう。ピチピチのサイクリングウェアを身にまとった人間が猛スピードでライトを点滅させ、鈴を鳴らして来るわけです。怖いですよね。そして、そもそもですが彼らの多くが交通手段としてロードバイクに乗っている訳ではなくレジャーや競技として乗っているため、「公道で練習すんなよ~~」という気持ちになることもあるでしょう。
ただ、これらの”マナー”も何も彼らの民度が終わっているからそうなっている訳では無いと思います。例えば「ローディーは車が来ても少しも内側に避けてくれない」と言いましたが、歩道と車道の境目には排水溝が多くありそこには雨水で流されてきた多くのゴミが溜まっています。パンクを避けるためにそういう場所を通るのをローディーは避けたいのです。また、単純な話ですが自転車での加減速はかなり大変ですから、歩行者のいるサイクリングロードであってもいちいち人を発見するたびに減速・加速をしてられないのです。そして、車道を走っているローディーの多くはそもそもルールを守って車道側で走っているわけで、「40制限の道路で60とか出してる車こそ」という言い分もあるでしょう。周りからしたらあまり”マナーが良くない”と思われてしまうようなローディーの動きも、彼らが彼らなりに見つけた最適解である可能性が高く、これらは彼らなりに周りに気を遣った結果だと思います。
このようなマナーについての認識のギャップが生まれてしまう原因として、ローディーは”ルール”という形而上学的なものに固執しすぎている点にあると思います。例えば、公道でハンドサインを利用しているローディーを見たといいましたが、そもそもそのようなサインが分かる交通者は少ないでしょう。(一応車の免許持っている人は知らないとまずいのですが)また、自転車の通行場所についても、誰もいない見通しのいい歩道があるのに態々幅の狭い白帯の付近を走ることもないでしょう。ろくにスピードの出ない上り坂であれば尚更です。また、彼らは”ルール”を守るということについての自浄作用が強いと言いましたが、少しその”ルール”に固執してしまう傾向があるようです。以前、「輪行警察」というようなものが少しネットで流行ったことがありますが、満員電車にやばい梱包して突撃するようなレベルでなければ本人に何も言わずにネットに晒すことも無いような気がします。確かに、当然そのような”ルール”に対して厳密であることは自己防衛の一種でもあり、昨今の自転車乗りにとって窮屈な現状に対してそのような対応をすることは重要です。しかし、もう少し上手くできないのかと思わなくもないものです。
そもそも法律に代表される”ルール”というのは慣習というか公序良俗に即した形で尤もらしい形で形成されていくものであり、それに対して成文的な形が付加されているということに過ぎません。ですから、紙に書いてある”ルール”を守っていても現状の交通事情に照らし合わせて明らかにまずいことをしていたら、やはりそれはまずいことに変わりはありません。このような場合が続けば、いくら”ルール”を守っていても更に規制を強化するということになりかねません。(軽車両通行禁止等)
と書きましたが、正直現状の交通事情がそもそもロードバイク乗りに対して半端すぎるということも否めません。この前驚いたのが、横須賀一周ことスカイチで通る三浦海岸の道は、そのほとんどが片側一車線のあまり広くない道に申し訳程に青い自転車通行帯の表示がされていたことです。こういうのを見ると、「流石に酷いなあ」と思ってしまいます。私は基本的には、交通量の多い道はそもそも行かないか当たってしまった場合は迂回します。ただ、サイクリスト側の人間としてはもう少しどうにかならんのかなあ~と思います。なんというかルールに加えて”マナー”まで守ると逆に立場を危うくしそうな感じがするのです。