はてなキーワード: 社会貢献とは
http://anond.hatelabo.jp/20150219000533
愛する夫との間に出来た子供。
その小ささとは相反する大きい産声から、命の力強さと母になった喜びを実感した。
「守るべき者が増えた。夫と子の為にもしっかり働いて幸せに暮らせるよう頑張らねば。」
あれから3年。時短で4時に上がれる期間は1歳の誕生日前日で終了し、今は6時まで働いて猛ダッシュで保育園に駆けつけ、帰宅して食事を作って食べさせ風呂に入れ洗濯機を回し等々を全速力で済ませて、添い寝で一緒に寝て3時に起きて持ち帰った仕事をするという日々を続けている。
子供が出来た。嬉しい。でも社会貢献できる今の仕事も捨てたくない。その想いが両立をめざす原動力だった。
「仕事も家庭も両立するぞ!!」と張り切っていた夫は、ほぼ今まで通りの生活をしながら、時々は早く帰って子供を風呂に入れたり洗濯物を干したり皿を洗ったり、たまには「明日は仕事休みだから大丈夫」といって夜泣きに付き合ってくれたりもした。
しかし、やはり我が家の育児部長は私なのだった。全責任がそもそも私にあり、夫はあくまで「育児は妻ほど理解してないから、自分はサブ要員として手伝ってあげる」存在と自認しているようだった。
私だって明日も仕事がある。それどころか3時に起きて昨日の仕事を片付けなければならない。でも、子供は容赦してくれない。
嬉しかった。でも、つわりで体調が悪く、さらには流産の兆候があり、これまでのハードな生活を続けることができなくなった。
無事に安定期までいっても、おなかが大きくなるにつれ、肉体的な負担が増していく。これ以上、背負いきれない。でも毎日遅くまで残業している同僚にはしわ寄せできないし、満足いく成果品を提出できずにお客様に迷惑をかけることもできない。
夫は「これ以上仕事は休めない」と言っている。
両親も義両親も遠方に住んでいて、頼ることはできない。
周りに相談したら、子供の将来のことも見据えて働き方を変えた方がいい。
子供の養育のため月々の出費は増えているが、自分が辞めても夫の稼ぎがあればなんとか暮らせるだろう。いつか子供の手がかからなくなったら、パートに出られるかもしれない。
何度も話し合ったが、夫が仕事をセーブして私が仕事を続けるように調整することは、できないという結論だった。
・家庭は大事だが、家庭の為にも仕事もこなさないといけないと寝ぼけた主張をする夫
・家庭を守る全責任を抱えて、無理を承知で身を削ってギリギリまで調整する立場の妻
もともとそんな両者の議論が噛み合うわけがないが、私としては、「守るべき者の為に、そして期待してくれる同僚や客先のために、今は頑張って両立しなければ。」そう思って働いていた。
でも、やはり無理だったのだ。
いまでも、なぜ私が「家庭を守る全責任」を持たなければならなかったのか、釈然としない。
社会人生活は充実していた。両立は、苦しかったが、やりがいがあった。
仕事と家族とどっちが大事かといったら家族に決まっている。だから、仕事は辞めてしまった。
給料が減っても、一時的に仕事を減らしてもらえるならそうしていたが、それが叶う状況ではなかった。
どうすればよかったんだろうか?
こんな結末がわかっても、じゃあ就職活動の時にどうやって会社を選んだらよかったのか、いまだに答えは出ない。社内でも、部署によってまったく事情が異なるからだ。
先週、離職票が届いた。
ノーベルは自らの発明したダイナマイトを、自身の肛門に突っ込みながら空想に耽っていた。「もしもこのダイナマイトに引火したら私はどうなるだろうか。木っ端微塵になるだろうか」 ダイナマイトの先端が前立腺を刺激したのだろう。すでにノーベルの股間は硬く膨張していた。
当時ノーベルは科学者としてはすでに一定の社会的評価を得ていた。しかし彼が社会貢献のために発明したダイナマイトが戦争に利用され始めると、ノーベルに対する非難の声も高まっていった。ノーベルはただじっとその罵詈雑言を聞いていた。そしてこう思った。「もっと罵ってくれ」 矢のように痛烈な言葉を浴びるたびに、ノーベルの股間のダイナマイトは今にも爆発しそうになるのだった。
幼少の頃よりノーベルは女性の生理用品に並々ならぬ関心を示していた。ダイナマイトの着想を得たきっかけも妻のタンポンだった。そして今ノーベルの肛門からは導火線がひょろりと飛び出している。ノーベルの背後には妻の姿があった。妻の右手に握られたオイルライターが、徐々にノーベルの導火線へと近づいていく。すぐに火を消せば間にあっただろう。しかしノーベルは敢えて火を消そうとしなかった。慌てず騒がず、泰然自若とした態度でノーベルはそのときを待った。
数瞬後、爆風と粉塵の中を一枚の紙が舞っていた。その内容は財団の設立を意図したものだった。後にこの書面に基づき財団が設立され、ノーベル賞が誕生することになる。
新婚です。
こないだ嫁が「今、実家に親戚のおばさんが来てて、体の悪いところとかわかる機械を持って来てるらしいから診てもらいに行こうよ。」と言うので「うさんくせぇ…」と思いながら妻の実家へ行ったですよ。
そしたらすでにおばさんの友達やら遠い親戚のおばさん達やらでいっぱい、「今、誰々さんを診てるからちょっと待ってね~」と言われ、嫁の実家で肩身の狭い思いをしながら時間を潰した後その機械とやらにセット、なんか科学的な力でその人の内蔵の不調から遺伝子の欠損まで調べてくれるらしい。
「肝臓にちょっとダメージありますね~晩酌は控えたほうがいいですよ~」「いや、酒は家では一滴も飲みませんが」みたいなやり取りの後、俺の体に足りない栄養素をサプリとしてくれる事になった、アッハイ
んで、家に届いたサプリ(料金は妻の親が払ったらしい)に書いてあるラベルでぐぐったらもろマルチですよ。
おまけにこないだ俺の通帳に不明な振り込みがあったんだけど、それもそのおばさんのマルチからの給料だったことが判明した、かってに会員になってんじゃねーか。
嫁によるとおばさんは後進国への社会貢献とかをたくさんしてる人で、その健康食品の副業(マルチだってば)の収入でいっぱい良いことしてるんだって、もうどこかに逃げたい、でも寒くてどこにも行きたくない、助けて。
今回の卑劣な誘拐・脅迫事件に対してクソコラをつくるくらいしかやることないとおもているヒトもいるかもだけれど、もうひとつできることがあります。それは彼らのアカウントをスパム報告すること。そうすればテロリストが日本のことを軽んじるのも、日本に興味を持つのも避けられるかもしれない。
Twitterの規則では迷惑行為・脅迫は禁止されているので彼らはギルティ。クソコラのぜひについては議論の余地はあるんだけどちょっと見てらんない、
そもそもなんで殺人現場の画像あげてるアカウントが放置されてるんだろね。
40秒で可能ですのでTwitterアカウント持っている人はぜひ。
元増田じゃないけど予想通りの
「偽善」とは言っても個人の中で自分の気持ちの問題でやってる分にはなにも問題ない、
ってか、その場合は「偽善」と言うより普通に「善」な気もするが。
ただ、今ある「偽善」は、本当に「人の注目を集める手段」「自分を評価してもらう手段」としてしか使ってない所は大きな問題。
それに関し、はっきり言って善行であろうとバカッターがやってる迷惑行為と境は無い。
もし、ウェーイなノリのIT会社とかがどこよりも給料が高く就職したい会社になったとして、
その様な会社とかが「バカなノリ」を推奨し、バカなことやったやつを高く評価する、
みたいな状態になったら、ゴミ拾いしてる連中はゴミ拾いなんてしないで皆、ウェーイなバカな事をこぞってやって
単にリクルートに踊らされてるだけ。
その証拠として、そのようなTwitterやFBに上げるバカに社会人は少ない。
勿論、時間が取れないと言う問題はあるが、土曜だったら、もし仮に、「偽善でも社会貢献」ということが
起きた頃には台風は過ぎ去っていた。
どうせまたろくでもない電話だろうと思いながら、8コール目くらいでしぶしぶ受話器を取る。
「先日おたくに面接に行ったAの母親ですが!」とすでにちょっとだけキレている。
電話を取って後悔しなかったことはないが、今回は特に後悔すべき相手にあたってしまった。
「店長いない?」
「何で誰でもできる仕事にうちのAが落とされないと行けないの?」
「あなたなんてどうせ何の目標もなくアルバイトしてるだけなんでしょ?未来ある若者に社会経験を積ませなさい」
「お客様の気持ちを知るにはお客様の話に耳を傾けることが重要なの」
「うちの子は立派にB大学に通って、成績だってトップクラスなんだから」
「今この地域があるのは代々続くうちの先祖のおかげなの。それをわかった上で判断しなさい」
他にも色々な嫌味と自慢話を言ってきた気がする。
店長がいないばかりに、30分くらい電話に付き合わされてしまった。
一丁前に筋が通ったクレーマーよりはムカつかないし対応も楽だったけど、トンデモ度ではダントツだ。
先日、あるお客様に
「いや~ ぼく、最近 会社の新陳代謝って考えるんっすよね~。
確かに、長く働いてくれる人がいて助かっているんですけど
新しい風が吹かないっんすよ~」
一方で また違うお客様に
ある方は、
「小学生に教えるように こんなこと?という子供でもわかりそうなものでも
ひとつひとつマニュアル化してあげないと わかってもらえない」
いずれにしても
椛には、たくさんの経営者が集まる故
なんとか育ってほしいと願っているってことは
それぞれの社長さんに代わって、アタシが代弁したい。
ほんとに、みんな
今は、なぜか過保護的に
自分のために稼ぐはずなのに
または、
楽しく仕事できないんです という
人任せで、自分たちに合わせた
ご都合オーダーが入る。
少なくてもあたしたちが
会社員だった頃に
そんなこと言ったひとはだれ一人いなかったし、思いつきもしなかった。
たぶん
ほんとここ数年なんじゃないだろうか?
ふと
誰のせいにして、
どこにモチベーションを上げてもらえば
いいのか?
セミナーにでも行けばいいのかな?
こんなとき
よく社長たちが口にする
だからある日突然
叱るひと、怒る人は 嫌な人
やさしい人はいい人 といったように
自分に嫌な感情を持たせる人から離れ、甘いところにばかりにいる傾向。
トップも、どこまで言おうか悩んでいる。
でも、はっきり言って
お小言を言われなくなったら、終わりと思った方がいい。
もう、それは見捨てられたと。
良い例が
小言を言う妻が、何も言わなくなった。
わーい♪ ぼくちゃんのこと やっと理解してくれたんだ~❤
と 思ってたら、数日後に離婚届を突き出された みたいな
何も言われなくなった あかつきには
いつか、突然サヨナラが訪れることは覚悟しておいた方がいいと思う。
もう、その人のことが、どうでもよくなったら言わなくなるもんね、
お好きにどうぞって。
関心がないから、頭にも来ないんだと思うんだよねぇ。
というか、叱る方が 叱られるよりも
どんなに嫌か。
何度も何度も同じことを言わないといけない。
オームか?俺は?
と
数日間、重い鎖に繋がれてる感じ。
だいたい、言われる方も嫌だよね。
ほんと、嫌だよあの感情は。
日常のすべてが楽しくなくなるほど。
あたしは、言われるのが嫌なので
言われる前に やったクチ。
お互い気分悪いでしょう
あと、もうひとつ言えば
仕事のできる人は、不満を言わない
というか
嫌な感情を持つ機会がない
企業で、文句ばっかり言ってる人に
仕事のできる人を見たことがないのは、ほんと言い切る。
これは 答えはNOだと思う。
ある程度まではできるかもしれないけれど
伸ばせる人と、そうじゃない人がいると思う。
伸びると思える人に集中して伸ばした方が良いのではないかなと思う。
じゃないと
どこで、この台やめる?という 引き際の判断が
身体に置き換えればいいのかなと。
身体の悪いところ、薬で治せるところは 投与してみて
それでもダメなら手術して取り出すか
うんちと一緒に流すか。
ガンは広がるので、すぐに取り出す。 長生きするために。
いつまでも若々しくいるためには
ただ衰えていく古い細胞ならば(年齢とかではなく)老朽化する一方なので、
新しい細胞を取り込んでいった方が 若さを(新しい発想)保てるだろうと。
うんと大事にすればいいし
信じてついてきてくれる社員とか
苦しい時を一緒に過ごしてくれた社員って
社長にとっては、
場合によっては
全部、白紙に戻して作り変えることも良いのかもしれない。
今のスタイルを続けようと執着しなければ
そんなに苦しいことじゃないような気がする。
積み木と同じで
なんかしっくりしないなーと思ったら
その度に
蹴っ飛ばして、壊しちゃって
また新しいのに作り変えるのも
なかなかそうもいかないかもしれないけど
廃屋をだましだまし使うよりは
リフォームするっていうのも、良さげ?
イヤイヤ仕事をやってもらっても
良い仕事はできないよ。
それは、仲間にも
取引先にも、お客様にも失礼。
辞めたらいい。
会社のやり方が気に入らない人なら
借金でもして、自分の思い通りになる会社を作ればいいことだけ。
簡単だよ。
社長になっても
絶対に思い通りにならないことを
知ればいい。
どうして、数々のセミナーに
それが答え。
「人不足」ということで 妥協している経営者たちがたくさんいるけれど
それで、質を保てないなら 本末転倒なような気がする。
健康な企業であってこそ、納税もできるわけだから (*^^*)。
あたし、そんなに優しくないんだわ
ごめん(笑)。
“多様な価値観” などという一見高度で進んだ社会的意識っぽいソレは、口にすれば簡単に自分は思慮深く先を行っている感を演出できる便利ワードだが、こと育児の話でそれを口にする者は「私は実際、よく考えていないし自分が良ければそれでいいです」と元気よく表明しているのと同義なのに気付いていないアホが多すぎる。
そんな、一時の自由や権利()を主張するが為に確実に少子高齢化に向かい、私の子供をはじめ今後生まれてくるであろう子供達のその先の将来において負担増を強い、我々が感じている “生きていくことの大変さ” にさらに大きな岩を乗せるような鬼畜な主張を、私は到底、許容できない。
“多様な価値観、人それぞれ自由な意思、権利” などという、目標でありながら極めて高度な社会システムの上でしか成し得ないソレを、さながらトレンディードラマのセリフのようにカジュアルに吐く輩に限って、 “子を育てるべき” という主張に対して「前時代的押し付けだ老害だ」というテンプレレッテルを口汚く貼り付けまくるが、実際どちらが酷いことを言っているかはもっとよく考えるべきだ。
“仕事をするために子を育てない” という選択をいわゆる “頭脳の優秀な人” “自立し自分の社会的地位を確立している人” がするケースが多いのだろうが、頭が良いのになぜそれが極めて自分本位で経済効果的にも社会貢献度的にも “ショボい” ことが計算できないのか不思議で仕方がない。その優秀な頭脳をもってして、 “少子高齢化” というものがどれほど酷い地獄になるのかなぜ想像できないのかが分からない。
利己ために働き、己の収入を得ているだけでは生涯を通じてせいぜい数億円が自分の口座に入りそのうち何割かを税金として収める、それで終わりだ。極めて大きな功績、例えばその後に残る巨大企業を作り上げる、その後に残る研究結果を得るなどがあれば話が変わるがそんな事を成せる人はただの “偉人” だ。世間一般の “ちょっと仕事ができる人” が会社の為に一生懸命働いたところで生涯で生産できる事などたかが知れている。
一方、子供を育てた場合はどうか。貴方の手によって子を育てることの意味、経済的な効果、価値。何世代続くか分からない、その時点で貴方一人が生涯で動かせる額とは桁が違う。期待値として圧倒的な差がある。その意味では子供は明らかに “資産” だ。子供を育てている時点でかなり価値の高い資産を持っているのと同じことだ。そしてそれはもちろん養子でも同じだ。(だからここでは“出産”には言及しない)
はっきり言って子を育てない一般人の持つ将来まで含めた資産価値や社会的貢献度は、子を育てた人間に比べてかなり劣る事は自明だ。逆に、それがどんなに低所得だろうがいわゆるDQN親だろうが税金を収め子を育てている時点でその期待値は圧倒的に上だ。頭脳が優秀な為に “社会的地位” などというそれ自体に実は大して価値の無いものに囚われ育児を放棄したキャリアより、子を育てた人間の将来も含めた生産性と期待値は圧倒的に高い。子供が将来犯罪を犯して負の貢献をする可能性を加味しても上だ。
ひとつ、最近目立つ子を育てない人間による酷い勘違いとして、子を育てている人間は “恵まれている” から富や幸福の象徴として子を育てているなどというものがあるが、決してそうでは無い。馬鹿もほどほどにして欲しい。それはペットだ。酷い勘違いにも程がある。そうではないまるで逆だ。子供を育てる為に考え、努力し、労働をしているのだ。たとえここで述べているような将来性まで考えておらずとも、なんとなく当然の事として子供を育てているような親であっても、生物として放置すれば餓死してしまう、自動的に子が育つわけでは無い以上、育てる努力をし将来における生産に加担している事実は変わらない。普段貴方達が嘲笑の的にしやすいDQNとかマイルドヤンキーなどの方が、考えすぎて生産しないキャリアなどよりはよっぽど将来に貢献している。
子を育てるというのはそういうことだ。 “多様な価値観” という言葉を免罪符だと思っているならそれは違う。多様な価値観が認められた方が生きやすいのは確かだが、そのせいで利己に囚われ己の価値を落とし将来自分より先を生きてゆく人間たちに負担を強いる事が貴方自身が産まれた意味であるのか、よく考えて欲しい。
私は目標としての “多様な価値観” は認めるが、自分の子供を含めた将来の彼らの事を考えると、 仕方がない場合は除き、“子を持たない自由” などという詭弁を到底許容できない。それは地獄の入り口だ。子供達を地獄へ導いているのは誰なのか。後先考えない政府や電力会社には激怒し子供達の未来などと叫ぶくせに、自身の身勝手な “自由” は主張する。それが高度に発達したはずの文明にあるべき姿なのか。一時の富に溺れて貯蓄投資をやめてしまった愚者の末路がどうなるか、などという極めて基本的な教訓すら忘れてしまう愚かな人類の行く末は。
言いたいことはだいたいわかるが
これについては何をどう美談かしようと、覆ることのない「事実」だぞ?
それを無駄に「みんな平等」みたいなことしようとするからあんな「専用席」みたいな物が出来るわけで。
っていうけど、過激だろうがなんだろうが、「善意」というものをどう取るかだが、障害者に対する補助は事実、健常者によって作られてる。
勿論、健常者でもニートもいれば全く社会貢献してない奴もいるけど、基本、健常者に余裕があるからこそ障害者を補助出来る、というシステムだ。
従順で弱くいろ、とは言わないが、そりゃ、親切にしてあげたら親切を返して欲しい、位は通常の知り合いとのやりとりでも十分あること。
ただ、障害者からは親切を返して欲しい、とは言わないが、その新設を当たり前と取って横柄な態度をとられたらそりゃ誰だって嫌になるだろう。
人間、「無償の愛」なんてものをホントに配れる者なんて普通は居ない。
「人を優先させる」という事態ではなんらかの理由がはっきりしないと納得なんて出来ない。
はてなーだと妊婦とかにすら勝手に孕んで的な非人間的な「物」も居るが、少なくとも赤ん坊として生まれてくる、ということは誰もが体験してるわけで、
自分や自分の母親もそうやって優先されたから、と納得する事もできるかもしれない。まあ、出来ない物も多いみたいだが。
一方、障害者になると、将来的になるかもしれないがならないかもしれない。家族にも居なければ完全に「一方的な提供」になる。
これを心の底から「当たり前」と思うのは難しいことだろう。
多少なりとも「上から目線」になるのは仕方ない。
ただ、そこで、障害者側も別に媚びへつらえ、とは言わないが、普通にありがとう、ということでOKだろ。
おばあちゃんが大きな荷物持ってたらちょっと手伝ってやった、その後おばあちゃんがありがとうといった、そんなのと一緒のこと。
コレに対して、「ありがとうなんてのがおかしい、自然とできないのがおかしい」とか某Zさんの様な話になると、健常者側はなんでやらなきゃいけないのか納得ができなくなる。
「髪型ってのは、男として有利な武器の1つ。服装や高いクツとかもそう。銃を持ってたりナイフを持ってれば余裕綽々で戦えるのと同じ。そりゃ余裕がでてくる」
「見た目は表現だからブサメンはゴミ表現しててダメっていう風にリア充はブサメンをあおるけど。表現しようと思ってない人にまで表現だ表現だってあおるのはやっぱおかしい」
「見た目に気を使うってのは他人に気を使えてる証拠。他人を寸分も意識しないというのは精神に悪いから、人間性を保つためにも見た目に気を使うってのは悪いことではない。いただきますご馳走様を言って料理に感謝するみたいな精神論といっしょ」
「イケメンは周りに見られることで社会貢献しているから、図書館とかでキリっと勉強するおれかっこいい!みたいに思っておけるから、だから勉強も運動も頑張れる。カッコイイ自分ってのが社会資源になってるから。でもブサメンからみたらはた迷惑な公害」
1(遊)大黒柱に車をつけよ
2(二)タヌキやキツネの出るところ、カエルの鳴くところに店をつくれ
3(三)上げに儲けるな、下げに儲けよ
6(中)店は商店街のためにあるのではない
8(捕)本業は小売りだ
9(投)実印を押すがごとく値段をつけるべき
地域のニーズに合わせたフットワークの軽い出店戦略と、過去に対してこだわりのないスクラップ&ビルド。顧客ニーズさえあれば、事業領域にはこだわらないよ。
あえて中心地から離れた郊外に出店して、当時の小売トップのダイエーに対応。時代はモータリゼーションだから郊外にショッピングモールつくるね。
便乗値上げでは儲けない。割安感の訴求が命。デフレや円高を利用するよ。
大戦終了後に四日市(三重県)で、「焦土に開く」をチラシの文言にして岡田屋の店舗を再開したさ。社会貢献が企業の根幹だ!
ローカルチェーンの岡田屋が、フタギ、シロと3社合併して「ジャスコ」が成立。マイカル・ダイエーなどを吸収して大きくなったよ。
顧客ニーズに合致しない旧態依然とした商店街には存続意義は認めない!必要ならばガチンコで闘うぜ。
日本の政治・行政は、常に製造業・農業を優先し、小売業は虐げられてきた。小売業が価格主導権を取り戻すためにもトップバリュをつくるぜ。
レジャー産業や不動産業には手を出さないよ。プロ野球球団も持たないからね。
値段の上げ下げで顧客と駆け引きしないよ。EDLP(Every day, low price)が理想だね。
参考文献:
綺麗な努力とは何なのか。
それは一般的に向上心だったり成長の為の努力だったり社会貢献的な行動だったり
いわゆる世間一般が目指している、目指すことを強制している、そんな理想。
その全てが憎い。
「ホラ、努力はこんなにも尊く素晴らしい物なんだよ、何で成長を目指さないの?さぁ、ホラ!」
みたいな風潮。クソッタレだ。
じゃあ何でそういった綺麗な行動が憎いのか。
人が嫌いなんだ。単純に。
どうしても、どうしても好きになれない。
自分が努力をした結果で得をするのが、この大嫌いな世界だったら
そりゃ何の綺麗な行動も起こす気にはなれないわな。
もっと汚く生きたい。
何の生産性もなく、人間的成長もなく、ただ命の無駄遣いをしたい。
全く関わらないから、関わらないでくれ。
心を開かせないでくれ。