はてなキーワード: 社会貢献とは
また、元犯罪者が自己の犯罪をふりかえりの手記を出版する事による社会貢献があると考えているので、むしろ、僕は肯定的に捉えている。
これに関しては同意。
印税は受け取らない、もしくは寄付する、神社仏閣教会に被害者の供養を頼む、インターネットで公開する等、色々な方法はあるはず。
売れてしまった結果は、売る側では無く、買う側のみ問題だと考えているので、出版側、書き手が悪いとは思わない。
「元犯罪者の知名度を利用したビジネスが成りたってしまった」というのは、あくまで、提供側では無く、受けての責任だと考えている。
むしろ、そういうビジネスが成りたつ状況自体が良くないということに近い。
これについては、種々の意見があるとは思っている。
そもそもの僕は「元犯罪者の知名度を利用したビジネスが成り立ち、元犯罪者が利益を得る」ということ自体は、そもそも悪でもなんでもないと考えている。
元犯罪者は刑務所(この場合は少年院だが)で、制裁など不利益を受けている。更生した元犯罪者が、自身の過去を綴った書籍を出版して何が悪い?
また、元犯罪者が自己の犯罪をふりかえりの手記を出版する事による社会貢献があると考えているので、むしろ、僕は肯定的に捉えている。
以前見て感じたことと、今見て思うこと。
全然違う。
当時は凛ルートの士郎のあり方にあこがれた。
真っ直ぐに愚直に実直に生きる姿。
これこそがあるべき一人の人間の姿なんじゃないか、って思う。
みんなを救いたい、みんなが幸せに暮らせるように、笑顔で生きられるように。
極端なとこいくと、こうなるんじゃないかなと思った。
凛ルートでのアーチャーの言い分も、当時はまったくわからなかった。
なんであきらめた、なんでそんな風になってしまったんだ、と。
真っ直ぐ夢を追い続ける士郎こそが正しいと思ってた。
当時は中学生。多感な時期だったんだろうねえ。
自分が知ってる世の中といえば、学校という限られた社会と、テレビを通してみる社会。
当時の道徳の授業では、貧困問題についてよく取り上げられてたなあ。
食べるものもろくにない、学校にも行けない、朝は片道2,3時間の川へ水汲みに行くことから始まる。
貧しい国の貧しい子供たち。自分たちが恵まれていること、恵まれている自分たちができることはなんだろう、なんて話をしていたのが心に残ってる。
そんな自分がfateをプレイして、あこがれたのは、UBWの士郎の生き様だった。その理念にあこがれた。
こうやって生きられたらどんなに素晴らしいだろうか、と。
そんな自分が、先週UBW21話を見て、「あれ、なんか…」と違和感を覚えたんだよ。
当時の心にあれだけ響いたものを見て、心に浮かんだものはまったく違う思い。
働いて5年たつ中でわかる、自分ができる数少ないことと、圧倒的多数のできないこと。
みんなのためにありたい、誰もが笑顔でいられるように。それが美しい生き方だろう。
…なんてことを、無邪気に掲げていられるほど、真っ直ぐには生きてこれなかったよ。
せいぜいできることはといえば、
真面目に数学とか英語の講義動画を作成してYouTubeにあげたら、安定して再生回数を稼げると思うんだけど、今までどうして無いのだろう。
東進とか代ゼミが90分の講義1コマ三千円くらいで展開しているビジネスを講師自身がタダでやるイメージ。
ターゲットは自習出来る小学校高学年〜高校生で好きに決めて、学校の授業に沿ったものでもいいし受験対策でもいい。扱う問題は教科書の例題や受験の過去問を用いつつ、単元毎にPDFも配布する。講義して動画あげるサイクルを繰り返していくだけなので、ネタ切れもないし無理なくつづけられるはず。
スマホかPCとネット環境があれば受講可能なわけで、地方でろくな教育環境がない子供や経済的に余裕がなくて塾に通えない子供への支援にもなって教育格差の是正にもつながり、かなり重宝されるだろう。
本職の教師や塾講師がやると割りが合わないし業務上の支障が出るかも知れないのけれど、アルバイトなんかで経験を積んでノウハウをもった学生なんかであれば大してしがらみもない訳だし、わりとたやすく可能なんじゃないだろうか。
もしくは予備校講師としてすでに一生分の給料を稼いでしまったような方々(林修とか西きょうじとか)は社会貢献だと思ってやったらいいと思うけどな。
(追記)
すでにワールドワイドに色々あるよって指摘はその通りだと思うんだけど、国内のものでYouTubeのチャンネル単位で人気があるものって知らないなぁ。
いわゆるユーチューバーと言われる人達が固定客を掴んで再生回数を伸ばすスキームに、予備校の人気講師がキャッチーな講義によって生徒を集める手法を当てはめて展開していけば、けっこういい線行くのではと。
なんら日本経済の成長に寄与しない社会貢献度の低い人間だよね。
起業などの挑戦者のある程度の母体数がなければ、知恵がたまらないし、起業の支援側もすることができない。
失敗者を攻められないよね。
それに元増田は成功した時には激しく嫉妬する日本人が意味不明と言ってるのに、嫉妬って決めつけんな、はないでしょう。
もう認めましょうよ。嫉妬してるって認めると楽だよ。
あとついでに、自分は臆病で小さい人間ということも認めましょうよ。認めると賢くなれるよ。
また本気で挑戦した人間は、失敗したとしてもそれなりに知恵がたまっているし人間磨かれている。そこらのバイトからでもやりはじめられるし、本気でやってたら何かのご縁があって、とある会社に落ち着くよ。
挑戦するものは、安定人間から見ると理解できないかもしれないけど、なんだかんだ言って道が付くんですよ。
そういう嗅覚も働くし、道のない道に、道をつけるスペシャリストなんですよ。
挑戦してる人でも何でもないよ。逃げてる人だよ。
あと、安定志向なのに名誉欲がある(嫉妬する)って言うのが意味不明で、
逆に、大志を抱く人間の方が名誉なんてご遠慮します、っていうのもまた滑稽だよね…
「お前は名誉が欲しいんだろ」と言われるけど、
それは、あんたでしょう、と。
名誉欲なんて、挑戦する道のりの初期の段階で捨てないと、
かならず躓くからね。
生物自体遺伝子のゆりかごで、究極、(個人の目的じゃなく種全体が)子孫を残すのが目的で人生はその付属品だとも言えるけど、だからこそ個人の子供の有無が注視されずに、社会貢献=人類やコミュニティへの貢献でも全然立派なことだし後ろめたいことは何もない、っていう雰囲気になればいいよな
だから子供や孫を見るのが幸せなのは至極当然であってそれが過剰に尊いことでもそれがバカにされるようなことでも無いし。
生物が遺伝子のゆりかごであったとしても、人類全体で「種を残さねば」とか考える必要だって、他の動物は考えてないわけだから別に無いし。言うて生殖行動はできるできないの差はあれど好きなやつのほうが多いし。文明が滅んでも人間は蘇る気もするし。
文系の院入学は”入院”、すなわち後戻りできない病院での長期”入院”と近しい意をもち
引き返せなくなるところまでは決して行ってはならぬ
というお達しをどこかで聞いた。
実際、大学院に進学して今年で三年。
この三年間で、色々なことに気づくことができたと個人的には思っている。
まず、上にはいくらでも上がいるんだろうなという
当たり前のことを、授業の度に痛感した。
文系院生の肩身の狭さは、まるでそれが社会貢献として役に立つのか立たないのかあやふやなままに
ただひたすらに大量の資料を読み、文章を書き続けなければならないという事実にあるだろう。
これ一体何の役に立つの?
と自問したとき、答えが返せないという恐怖と戦うために
ゼミの度に教授の語学力の高さに圧倒され、自分の能力に絶望、ゼミが終わるたびにトイレで泣き暮れる日々が続く。
また何より学部のころと比べて随分、笑いの数が減った。
周りの友人が社会人となって卒業し、大学院での友人もこの春卒業を迎え、残された今
そして研究室の隣の席には、論文が書けず、ずっと休学したままの先輩がいる。
彼の机には山積みの資料がどっさりと置かれていて、毎日毎日それを読み漁っている。
しかし議論の場になると、その人の言っていることは何やらさっぱりわからない用語を繋げた謎々みたいで
挙動からも、精神状態が徐々に崩れているのが明らかにわかり始めた。
そのような姿を横目で見ていると、さていよいよ
自分達がやっていることが、あまりに”他者”のいない閉鎖的な営みであることに気づかされて、ゾッとする。
普通に就職していれば、その倍以上のお金が、同じ時間で稼げたというのに。
さらに言えば、理系とは異なり、就職口は進学によって減るばかり。
どう考えてもこの選択、常軌を逸した愚か者の所業としか言いようがない。
そう確信したのは、去年の秋で
嗚呼、疲れた、もう大学出たい、文献読めない、いやだ、十分だ、どうして進学したんだろう、やだ、と
ぐるぐる考えてばかりいた。
諦めの境地に至ったのかもしれない。
今更、どうにもならない。
どうせ選んだ道ならば、のんびりやろう。
よく考えれば自分のことだから、大学院に進学しなければ、これほど社会と繋がることの大切さを意識することもなかった。
今後、誰かのためにという気持ちで働くための動力源に変えていければいい。
そのためにも今できることをやろう。
あれほど苦労していた英文献の講読が、それほど苦にならなくなったことも
大きいかもしれない。
文献が読めると、知識も広がり、やりたいことが増えていく。
もっともっとと欲も出てきて、開き直り、最近ではまだ勉強したいなと思うこともある。
そして何よりも
いつも冗談ばかりを言っているその姿からは学部時代、想像することもできなかったが
呆れ顔を浮かべながらも
ちょちょいと頭の中で辞書を広げるように、色々な助言を次から次へと加えていく恩師の姿を見て
世の中には本当に、恐ろしいくらい頭の良い人間がいるものなんだな、と思いつつ
あと十年二十年、学び続けることができたのなら
私もいつか
こんな風に楽しそうに、学びを得ることもできるようになるのかしら、と夢を見つつ
誰もマジレスしてないんですると
金目当てで里親になって育児放棄する奴続出間違いなし&そもそも里子候補になる子供の数が圧倒的に足りない。
誰が子育てすんの?