2014-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20140813230247

言いたいことはだいたいわかるが

恵まれてる健常者が、哀れな障碍者を導いてやるべきだって発想なんだよ。

これについては何をどう美談かしようと、覆ることのない「事実」だぞ?

それを無駄に「みんな平等」みたいなことしようとするからあんな「専用席」みたいな物が出来るわけで。


これ以上の過剰な善意は、一種の見下しでしかない。

自称弱者の味方って奴は、障碍者をまともに意見も表明できない奴だとみなしてるし、

また実際にそういった受け身で、従順で、弱い障碍者を求めてるんだよね。

っていうけど、過激だろうがなんだろうが、「善意」というものをどう取るかだが、障害者に対する補助は事実、健常者によって作られてる。

勿論、健常者でもニートもいれば全く社会貢献してない奴もいるけど、基本、健常者に余裕があるからこそ障害者を補助出来る、というシステムだ。

従順で弱くいろ、とは言わないが、そりゃ、親切にしてあげたら親切を返して欲しい、位は通常の知り合いとのやりとりでも十分あること。

ただ、障害者からは親切を返して欲しい、とは言わないが、その新設を当たり前と取って横柄な態度をとられたらそりゃ誰だって嫌になるだろう。



人間、「無償の愛」なんてものホントに配れる者なんて普通は居ない。

「人を優先させる」という事態ではなんらかの理由がはっきりしないと納得なんて出来ない。

はてなーだと妊婦とかにすら勝手に孕んで的な非人間的な「物」も居るが、少なくとも赤ん坊として生まれてくる、ということは誰もが体験してるわけで、

自分自分母親もそうやって優先されたから、と納得する事もできるかもしれない。まあ、出来ない物も多いみたいだが。

一方、障害者になると、将来的になるかもしれないがならないかもしれない。家族にも居なければ完全に「一方的提供」になる。

これを心の底から「当たり前」と思うのは難しいことだろう。

多少なりとも「上から目線」になるのは仕方ない。

ただ、そこで、障害者側も別に媚びへつらえ、とは言わないが、普通にありがとう、ということでOKだろ。

おばあちゃんが大きな荷物持ってたらちょっと手伝ってやった、その後おばあちゃんがありがとうといった、そんなのと一緒のこと。



コレに対して、「ありがとうなんてのがおかしい、自然とできないのがおかしい」とか某Zさんの様な話になると、健常者側はなんでやらなきゃいけないのか納得ができなくなる。

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