はてなキーワード: 少年院とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3440718/
この中の
id:ustam いとこがこれだと、息子の意見も聞いてみたくなってきますね。クズの家系である可能性が否定できないので。
この一族はクズ、これがいじめの抑止力になると考える などといった傾向があるようだ。
id:ak1024 2021/07/20 背後から撃たれる感がすごい
id:frizzante パラに小山田が関わらないなら、あとは当事者同士で。または個々人で好き嫌いを決めればいいいと思うよ。
id:osugi3y 小山田圭吾のいとこの音楽プロデューサー #田辺晋太郎 辞任発表に「正義を振りかざす皆さん、良かったですねー!」とツイート → ツイ消し&謝罪&垢消し逃亡 オリンピック開会式に向けて一族のクズっぷりを見せつける
id:iimodedo 燃え盛る火にガソリン撒いてる。これぞ無能な味方 / いじめが原因で人生狂うって世間への宣伝効果は大きい。倫理的に私刑は間違ってるのは承知だけど
id:togusa5 やまゆり園で聖火マラソンやる連中だからな
id:ottyanko イジメをすると大人になって成功した時に、アキレス腱になって全てを失うよ。と子供向けの教材としてすごく優秀な事例だと思う(・∀・)
id:heNULLPO 本人のみならず一族も底無しのクズ。お前も正義を振りかざされて死ねとしか言いようがない
id:mk16 小山田圭吾を解任しないなら五輪相・IOC・JOC・スポンサーを「人道に対する罪」で裁いてほしい。
id:baronhorse この話が広く知られるようになっていじめが減るといいな
id:fishma そりゃ、間違いなく「無視」が風化させるのに最も正解な選択肢だからだよ。今回はどうかな。今までとは毛色が違うからなあ
id:gesyo いじめが警察や少年院で断罪されず、被害者への救済もないなら、加害者を社会から徹底的に排除していくことで抑止力とするしかありません。教育現場が変わるまで、加害者が救われることはないです。
なんなんだろうね?
何が好きかじゃなくて何が出来るか何が分かるかでしょ。
「ガンダムのアニメは全部見たから語れるだけどプラモやゲームにしか出てこない設定は知りません」みたいな感じでさ。
「拙者子供が好き好きでござるからして~~オスガキにわからさせられたさ~~」みたいなの、マジでアホかよ……。
個人的には「巨乳サイコー!一番好きなおっぱいです!増田くんはAKBで誰が好き?」みたいなのでもう無理ポ……「ジャニーズ誰が好き?ウチはJrの~~マジちっちゃくてかわいい~~」みたいなショタコンアピールとかもマジ結構すわ勘弁してクレマチス。
こういうと安易に反論する奴いると思うんすけど、ちょっと考えてほしいのが、「銭湯に入ったら同性の美男美女に興奮して、逆にきったねえオッサンオバサンを見るとキッズがブサイクな同級生に抱くような殺意に包まれる」ってのがLGBTだって気づくトリガーなら、それって結局性癖でしかないんじゃないっすかって話をしてるわけですよ。
なんつうのかなあ……結局精神的な性ってようは何に欲情するかでしかねえってことだと思うんすよね。
いいやそこに愛が云々っつー奴は、これは単に恋愛至上主義っつー別の病気なんすけど。
「俺さ……男だけど男が好きなんだ」って話を男二人きりの状況でするのって、オッサンがJCに「俺さ……ちっちゃい子でオナニーしてるんだ」って言うのと変わらないじゃないっすか?
まあ一応は「子供は意思決定のための知能が足りてない社会の付属物でしかないので、可愛そうなクソ雑魚脳みそを守るために恋愛禁止にしよーぜ」みたいな風潮があるんでそこがちょっとちゃうんすけどー。
でもそれも眉唾っつーか、要するに社会が「子供は親のおまけなんだよ」って価値観を補強したいっつーかそれが当然っつーか、まあ内心クソほど小馬鹿にしてるところからスタートしてるわけなんすよね。
流石に幼稚園児に興奮して手まで出しちゃったような奴らは金玉と子宮摘出して脳にチップ埋め込んでよくねなんすけど、14歳ぐらいからはもう大人と同じ扱いにしてよくね?つーか少年院とかもそこら辺からナシでよくねって思うんすわ。
話が横にそれたんすけど、よーするにワシが言いたいのは「子供好きで変態アピールしてる奴らと、同性愛者で特別感アピールって何がちゃうんすか?」なわけっすよね。
まあでも結局の所、ゲイやレズが嫌われるのって、爆発寸前になってから「同性愛者なんだ!やらせてくれ!キスだけでもいいから!ミサトさんがシンジくんにしてたほう!」ってカムアウトしてくることに問題があるのかなって。
まあその点では、イキリロリコン共がネットのアカウントではワイワイ騒ぐけどリアルじゃおとなしいのに近いっすよね~~つーわけで同類だと思いまーーー。
まあでもそれに対して「うるせー性欲爆発宣言したら許されると思うな。キメーんじゃ」ってのは一緒でー、ちな巨乳好きとかに対しても同じように人前で性癖暴露コーナー始めるのはやめーやって思うわけっすわ。
んでなー異性婚や異性愛を特別視してる奴らも結局はネットによくいる「お前も、ロリ巨乳が好きなんだろ?」とか「お前も、鬼畜メガネ反転総受けが好きなんだろ?」と同じような、性癖暴露同類認定イキリの一種だと思って軽蔑してまーす。
ばーかばーか自分のちんちんくりまんがどうすりゃ固くなるのかでコミュニティを形成しようとすんじゃねーよダンゴムシみてーにアングロの中でひっそりやってろばーか
今から本の話をしますので、「ほーん」と思いながら見てください。(推敲後追記:本の話より自分語りが多くなってしまいました。)
自分は公立高校の教員を10年ほど続けています。最初の数年は比較的、学力の高い高校に勤務していました。中学段階での学力を輪切りにする入試で入学してくるので多少の上下はありつつも、中学校で上位30%〜15%の生徒が入学してくる学校でした。大学入試でいえば関関同立レベルに1/3程度の生徒が入学し、半数以上が産近甲龍に合格するような学校でした。(国公立はほとんどいません)
その後、異動した今の勤務校はいわゆる「生徒指導に課題のある学校」です。立地的なことや設立の経緯から、様々な背景を持つ生徒が多く在籍しています。ほぼ毎日のように生徒指導上の案件が発生し、停学を含めた懲戒案件も年間に50件以上起こります。
生徒の多くは中学校段階、あるいは小学校段階で「問題のある生徒(家庭)」としてリストアップされ、「高校に行くなら〇〇高校(本校)しかない」と言われて進学してきた生徒です。実例は挙げにくいですが、「金八先生」や「GTO」、「クローズ」をイメージすれば近いです。
勤務する中で最初は前任校との違いに翻弄されましたが、よくよく考えればその「違い」は当たり前で、今、目の前にいる生徒に対して必要な事を考えながら働いています。
在籍する生徒の多くは発達に何かしらの課題を抱えていて、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を持つ生徒もいます。診断があれば、個人内絶対評価などの合理的配慮も行っています。
ただ、生徒の大部分は診断されていない、あるいは診断が出ない生徒です。しかし、それでも支援を要する生徒はたくさんいます。いわゆる「しんどい子」です。
「しんどい子」を前にした時、我々教員は大体2つのパターンに分類されます。①「しんどさ」に寄り添いすぎて甘々になる教員②「しんどさ」を理解せずに厳しさを押し付ける教員です。①に関しては「課題を多く抱えているのだから優しくしてあげれば良い」②に関しては「教員の言う事は全て正しい、言う事を聞けないのはおかしい」というように両極端になります。
教員の人間性やスキルにもよりますが、どちらにせよ「課題を多く持つ生徒を少しでも伸ばす」という視点に欠けてるなぁと思いながら過ごしています。
確かに、「しんどい子」を前にした時どうすればいいかわからないことは沢山あります。原因もわからない事が多く(発達上の課題に関しての理由はほとんどわかりません)、対処方法もわかりません。
そんなこんなでモヤモヤしながら勤務を続けて数年目ですが、2年前に「ケーキの切れない非行少年たち」という本に出会いました。この本は〜児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。 〜(出典:Amazon)という内容です。
この「境界知能 IQ70〜84」の人々が、我々の目の前にいる生徒の多くに当てはまると感じました。そして、この本から多くの気づきを得て、生徒との関わりを変化させてきました。
この「ケーキの切れない非行少年たち」の続編として「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」が出版されました。
この本です。紹介したいのは。学校教員や、対人の仕事をしている人、自分の子どもが「しんどい」保護者に読んで欲しいと思います。
特に教員の人には高学力の学校に勤務していても、いつかその様な生徒を前にするかもしれません。あるいは、こちらが気づいてないだけでそんな子を指導しているかもしれません。
我々(一般的な大人)には理解できない世界(環境という意味ではなく、認知力の不足による)で過ごしている子どもは多くいます。ですが、我々はそのことに気がつかず、気が付いても対応の仕方がわかりません。そうして、そのことに少なからず絶望し、他者との関わり方が歪む子どもがいるのは事実です。
しかし、おそらく多くの大人は(少なくとも教員である私は)目の前にいる子どもが「今の自分」よりも良くなり少しでも明日に希望を持って生きていくことを望んでいます。
正当化を避けるために、あえて言えば私自身も生徒指導の困難さから、いつも正解の指導ができているとは思いません。正直な所、自分の人間性に合わないことや、スキルに見合わない事、どうしようもない事が毎日起こります。
しかしながら、場当たり的な甘やかすだけの指導や、有無を言わせず従わせるだけの指導を超えた支援を考え続けたいと思っています。そうすることで「生き辛さ」を抱える人が減っていけばいいなぁ。と思いながら教員という仕事を続けています。
長くなりましたが、少しでも興味がでれば「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」を読んでみてください。
相談者さん、大変な悩みを打ち明けてくれてどうもありがとう。自分のことではなく、幼馴染のことを心配している相談者さんは優しいのですね。
そこで相談者さんに出来そうなことをいくつかアドバイスしたいのですが、それにはふたつ相談者さんに覚えておいて欲しいことがあります。ひとつは相談者さんが幼馴染に嫌われてしまうかもしれないということと、もうひとつはアドバイス通りにしても解決しないどころか相談者さんがよくない目にあってしまうかもしれないということです。
何故嫌われてしまうかというと、相談者さんは幼馴染のためにと思って行動しようとするかもしれないのですが、幼馴染からしたら大きなお世話になる可能性が高いからです。結果として彼氏と別れてしまったりお母さんと離れて暮らすことになったりすれば、幼馴染はそれが良いことだと頭ではわかっていても心はすぐに受け入れるのが難しいでしょう。そうなるとまず相談者さんを恨むかもしれません。
また、相談者さんが幼馴染のことをどれだけ心配していても幼馴染の人生のことは幼馴染が決めないといけません。まず相談者さんの思う通りにはならないと思っていいと思います。幼馴染に恨まれるくらいならまだ良いほうで、下手をすると幼馴染のお母さんや少年院に行くような彼氏たちからも恨まれて相談者さんの手に負えない事態になるかもしれません。そうすると相談者さんや相談者さんの家族に何か危害が及ぶかもしれません。
だから先にひとつ提案をします。相談者さんはもうすぐ高校生になると思うのですが、幼馴染と高校が別になったら関係を解消して幼馴染の人生に干渉しないことです。残酷な話だと思うかもしれませんが、相談者さんの身を守るには一番最適な方法です。それほど幼馴染を助けるのは過酷なことだと思ってください。
さて、ここからは実際にどうすれば幼馴染を助けられるかについて一緒に考えていきましょう。まず絶対必要なのは、大人の協力です。相談者さんの家族や学校の先生や地域の人、誰でもいいです。相談者さん一人で動くことは絶対にやめましょう。ただし、先程述べたように家族や先生が必ずしも協力してくれるとは限りません。特に家族から反対されたら相談者さんもあまり食い下がらないほうがよいと思います。
もし一緒に真剣に考えてくれる大人が出来た場合は、警察や児童相談所など子供のトラブルを解決してくれる機関へ相談しに行きましょう。そして後のことは大人に任せましょう。ここから先は大人の問題になります。上手くいくかもしれませんし、上手くいかないかもしれません。大人が幼馴染を保護してくれることを願いましょう。
そしてこれは家族の協力が不可欠になりますが、幼馴染と妹をなるべく相談者さんの家の夕食に招待できたらしてあげましょう。そして彼氏のところに行かなくてもいいように相談者さんがたくさん遊びに誘ったりしましょう。出来れば相談者さんの家など信頼できる大人がたくさんいる場所がいいですね。とにかく彼氏よりも楽しいことがたくさんあるということを幼馴染に見せましょう。しかし、この方法は逆に幼馴染を傷つけることにもなりますので周囲の大人の協力が万全に得られた場合のみ行いましょう。
この人生相談は幼馴染が酷い境遇にあるということですが、私は心の優しい相談者さんが幼馴染の心配をしすぎて一緒によくない方向に向かってしまうことも心配しています。よくない方向とは、幼馴染を助けようとして幼馴染から反発されてしまったり、家族や先生が力になれずそんな大人を見て相談者さんが失望してしまったりすることです。幼馴染の問題は非常に難しく、大人でも解決できることではありません。そして一度関わってしまうと最後まで幼馴染を守らなくてはいけないため、見て見ぬふりをすることになったとしても誰も責められるものでもありません。もし大人たちの理解が得られなかったとしても、それは相談者さんのことを考えてのことだと思ってください。
繰り返しになりますが、相談者さんが直接できることと言うのはあまりありません。それよりも周囲の大人をどう動かせばいいかを考えてください。そして大人が思うように動かなくても、相談者さんが自分を責めることのないようにしてください。もし相談者さんができることがあるとするなら、幼馴染の言葉を聞くことです。何も出来なくても、彼女の話を真剣に聞いてあげてください。ずっと後で「あの時話を聞いてくれた友達がいてよかった」と幼馴染に思ってもらえるような関係を維持することが彼女にとっての救いになればいいと思います。
いじめという言葉があるせいで、いじめがなくならないのだと思う。
いじめは、脅迫、恐喝、暴行、侮辱、強要、窃盗、器物損壊等などの要素を複数含んでいるため、いじめという言葉を使わずに、
「暴行を受けた」や、「窃盗の被害にあった」のような適切な言葉を使うべきだと思う。
脅迫された。恐喝された。暴行を受けた。このような場合どうするだろうか。
程度によって変わると思うが、最終的に警察に相談に行くと思う。
では、これらの犯罪要素を含む"いじめ"を受けた場合はどうするだろうか。
学校の先生に相談しようと考えるが、警察に相談するという選択肢が最初に浮かぶ人はあまりいないと思う。
これは、脅迫、恐喝、暴行、侮辱、強要などは犯罪だと認識しているが、"いじめ"は犯罪として認識していないことが大きいと思う。
このような状態になってしまった理由は、大きく2つの理由があると思う。
学校が教育機関であり、加害者は未成年のために、犯罪として罰するより、まずは加害者を教育しなけらばならないと世の中に認知されてしまっているのだと思う。
いじめの被害を受けた家族は、警察に相談することを考えると思う。
だが、警察に相談するとなると、クラスメイトを含む学校全体を巻き込むことになり、今後の子供の人間関係や今後の生活を意識し、できないことも多いのではないのかと思う。
なぜ犯罪を受けた被害者が人間関係を気にしないといけないのだろうか。
"いじめ"は犯罪であるにも関わらず、警察に通報するのは特殊なことだと認知されているからだと思う。
学校の先生の立場としても”いじめ”対応となると、何をしていいかわからないと思うし、先生によって対応が変わってくると思う。
学校の先生は教育の専門家であり、犯罪の専門家ではないからだ。
教育の専門家である先生に、犯罪の対応をさせ、その結果により被害者の子供の人生を左右されるから必ず成功しろ。というのはさすがに求めすぎではないかと思う。
学校の先生に「窃盗の被害にあったのですが、どうしたらいいでしょうか」と相談した場合、警察に相談してくださいとなるはずだ。
だが、日本には矯正教育,社会復帰支援を行う専門の施設が存在する。少年院だ。
とそれぞれの専門家がいるので、それぞれ専門に任せたらいい。
だが、いじめという言葉でオブラート包まれているせいで、犯罪という意識が薄まってしまっていると思う。
「こらー、わんちゃんをいじめちゃだめでしょー」と親に注意されたことはあると思う。
いじめ加害者の子供が持ついじめへの認識はこのレベルなのである。
少年院の方じゃないけどシバターがゆたぼんのチャンネル数が大したことないのを指摘してたのが一番核心を突いていると思うよ。
要はゆたぼんの稼ぎは小学生としては多いとしても人生上がれるレベルには到底達してないんだわ。
どうせ父親に大半持っていかれるだろうしぶっちゃけ最終的には平均的なサラリーマン以下の生活に落ちてくと思うよ。
海外のキッズYoutuberなんかだと数十億稼いでるようなのがいるけどそのくらいまで行けばぶっちゃけゆたぼんのような生き方でもまあ困ることはないだろう。
少なくとも余裕ブッこいて良いのは大手企業のリーマンの生涯賃金くらい稼いでからだわ。
再生数からするとゆたぼんの収入なんてちょっと裕福な一般人から見たって鼻で笑えるレベルであってそんなもんでイキっちゃってんのがお先真っ暗でやばいなって話よ。
ゆたぼんは不登校なのがやばいんじゃなくてYoutuberとしての才能が並でしかないのにそこに人生賭けちゃってるのがやばい。
90年代に出版された男性向け投稿写真系エロ雑誌の編集後記的な所に内容をある程度ぼかした感じで「やおい」と言う言葉を直接使って言及されていたのを見た覚えがある(そういうジャンルのことを知らなかったのでなんでこの人は矢追純一の名前を出して変な事言ってるんだろうと思っていたけど)。
地元の図書館に行けばノンケの若侍が義兄にレイプされてから好きな女性がいるにもかかわらず色んな男に想われたり手を出されたりしながら悲劇的な結末を迎える時代小説や不幸にも女顔だったためやたら男にちょっかい出されてきた少年が暴走族の男に手籠めにされた挙句に少年院に入れられるもそこで運命的な男と出会う青春小説や八岐大蛇であった織田信長が森蘭丸とセックスする怪奇小説がなんの区別もなく本棚に並んでいた。
ネットが普及する以前に専門誌が刊行されていたような一大勢力を築いたジャンルに何故隠れるのが当り前みたいな風潮が蔓延してしまったのだろうか?
昔、中学受験をやった
当時の担任に「勉強だけできてもろくな人間にならない」と怒られたのを覚えている
だったら親に言ってくれよと、そればかり願っていた
家にいれば勉強しないといけない
こんなどうしようもないジレンマからも、暴力と監視の日々からも
「第一志望に合格すれば今後はゲームをして良い、学習塾も強制しない」という約束を親と交していた
やった!自由だ!
放課後、自習に使おうと思っていた時間を、身の丈に合わない高レベルな授業に費やされた
サボって連絡でも行くと後が怖い
嫌々通った
自由が遠かった
しかし実際は、努力をして更に自分を苦しめる状況に身を置いただけだった
勉強させるために親が使う文句が「ゲームを壊す」から「学校を退学させる」になった
学校は学校でクソみたいな校則と精神論で溢れた受験少年院だった
手に入れたものがゴミだったのに、ただただプライドからそれに縋った
死にたかった
いとも簡単に約束を破る親の元に生まれた自分から解放されたかった
努力が実を結んでも、それが自分を救う結果にならない星の元に生まれた自分から解放されたかった
好きな物を作らなかった
好きな物は母親にバレると、自分を勉強させるための脅迫材料になる
ならば何も趣味を持たなければよかった
趣味で脅せないなら、次は自分を捨てると言い出すだろうなと思った
それならそれでよかった
死んでやろうと思っていた
どうせ生きていても、生きていたいという気持ちを利用されるだけなら死んだ方が幸福だった
これは死ねると思った
自分が死んだら事故物件になるマンションの、その管理人があまりにいい人だった
その人を困らせる真似はしたくなかった
他にいい場所もなかった
自堕落に生きた
派手さも名誉もないが、自分のやりたかったゲームに埋もれた幸せな日々を送れた
こうやって一生、努力を避けて生きていくんだろうなあと思った
毎日好きなゲームをして、最低単位で卒業して、目先の幸せだけ齧って生きていく生活だった
これからもきっと、子供時代の幸せの追求と最低限度の努力だけで生きていくんだろう
それから涙が出た