はてなキーワード: 少年院とは
なんなんだろうね?
何が好きかじゃなくて何が出来るか何が分かるかでしょ。
「ガンダムのアニメは全部見たから語れるだけどプラモやゲームにしか出てこない設定は知りません」みたいな感じでさ。
「拙者子供が好き好きでござるからして~~オスガキにわからさせられたさ~~」みたいなの、マジでアホかよ……。
個人的には「巨乳サイコー!一番好きなおっぱいです!増田くんはAKBで誰が好き?」みたいなのでもう無理ポ……「ジャニーズ誰が好き?ウチはJrの~~マジちっちゃくてかわいい~~」みたいなショタコンアピールとかもマジ結構すわ勘弁してクレマチス。
こういうと安易に反論する奴いると思うんすけど、ちょっと考えてほしいのが、「銭湯に入ったら同性の美男美女に興奮して、逆にきったねえオッサンオバサンを見るとキッズがブサイクな同級生に抱くような殺意に包まれる」ってのがLGBTだって気づくトリガーなら、それって結局性癖でしかないんじゃないっすかって話をしてるわけですよ。
なんつうのかなあ……結局精神的な性ってようは何に欲情するかでしかねえってことだと思うんすよね。
いいやそこに愛が云々っつー奴は、これは単に恋愛至上主義っつー別の病気なんすけど。
「俺さ……男だけど男が好きなんだ」って話を男二人きりの状況でするのって、オッサンがJCに「俺さ……ちっちゃい子でオナニーしてるんだ」って言うのと変わらないじゃないっすか?
まあ一応は「子供は意思決定のための知能が足りてない社会の付属物でしかないので、可愛そうなクソ雑魚脳みそを守るために恋愛禁止にしよーぜ」みたいな風潮があるんでそこがちょっとちゃうんすけどー。
でもそれも眉唾っつーか、要するに社会が「子供は親のおまけなんだよ」って価値観を補強したいっつーかそれが当然っつーか、まあ内心クソほど小馬鹿にしてるところからスタートしてるわけなんすよね。
流石に幼稚園児に興奮して手まで出しちゃったような奴らは金玉と子宮摘出して脳にチップ埋め込んでよくねなんすけど、14歳ぐらいからはもう大人と同じ扱いにしてよくね?つーか少年院とかもそこら辺からナシでよくねって思うんすわ。
話が横にそれたんすけど、よーするにワシが言いたいのは「子供好きで変態アピールしてる奴らと、同性愛者で特別感アピールって何がちゃうんすか?」なわけっすよね。
まあでも結局の所、ゲイやレズが嫌われるのって、爆発寸前になってから「同性愛者なんだ!やらせてくれ!キスだけでもいいから!ミサトさんがシンジくんにしてたほう!」ってカムアウトしてくることに問題があるのかなって。
まあその点では、イキリロリコン共がネットのアカウントではワイワイ騒ぐけどリアルじゃおとなしいのに近いっすよね~~つーわけで同類だと思いまーーー。
まあでもそれに対して「うるせー性欲爆発宣言したら許されると思うな。キメーんじゃ」ってのは一緒でー、ちな巨乳好きとかに対しても同じように人前で性癖暴露コーナー始めるのはやめーやって思うわけっすわ。
んでなー異性婚や異性愛を特別視してる奴らも結局はネットによくいる「お前も、ロリ巨乳が好きなんだろ?」とか「お前も、鬼畜メガネ反転総受けが好きなんだろ?」と同じような、性癖暴露同類認定イキリの一種だと思って軽蔑してまーす。
ばーかばーか自分のちんちんくりまんがどうすりゃ固くなるのかでコミュニティを形成しようとすんじゃねーよダンゴムシみてーにアングロの中でひっそりやってろばーか
今から本の話をしますので、「ほーん」と思いながら見てください。(推敲後追記:本の話より自分語りが多くなってしまいました。)
自分は公立高校の教員を10年ほど続けています。最初の数年は比較的、学力の高い高校に勤務していました。中学段階での学力を輪切りにする入試で入学してくるので多少の上下はありつつも、中学校で上位30%〜15%の生徒が入学してくる学校でした。大学入試でいえば関関同立レベルに1/3程度の生徒が入学し、半数以上が産近甲龍に合格するような学校でした。(国公立はほとんどいません)
その後、異動した今の勤務校はいわゆる「生徒指導に課題のある学校」です。立地的なことや設立の経緯から、様々な背景を持つ生徒が多く在籍しています。ほぼ毎日のように生徒指導上の案件が発生し、停学を含めた懲戒案件も年間に50件以上起こります。
生徒の多くは中学校段階、あるいは小学校段階で「問題のある生徒(家庭)」としてリストアップされ、「高校に行くなら〇〇高校(本校)しかない」と言われて進学してきた生徒です。実例は挙げにくいですが、「金八先生」や「GTO」、「クローズ」をイメージすれば近いです。
勤務する中で最初は前任校との違いに翻弄されましたが、よくよく考えればその「違い」は当たり前で、今、目の前にいる生徒に対して必要な事を考えながら働いています。
在籍する生徒の多くは発達に何かしらの課題を抱えていて、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を持つ生徒もいます。診断があれば、個人内絶対評価などの合理的配慮も行っています。
ただ、生徒の大部分は診断されていない、あるいは診断が出ない生徒です。しかし、それでも支援を要する生徒はたくさんいます。いわゆる「しんどい子」です。
「しんどい子」を前にした時、我々教員は大体2つのパターンに分類されます。①「しんどさ」に寄り添いすぎて甘々になる教員②「しんどさ」を理解せずに厳しさを押し付ける教員です。①に関しては「課題を多く抱えているのだから優しくしてあげれば良い」②に関しては「教員の言う事は全て正しい、言う事を聞けないのはおかしい」というように両極端になります。
教員の人間性やスキルにもよりますが、どちらにせよ「課題を多く持つ生徒を少しでも伸ばす」という視点に欠けてるなぁと思いながら過ごしています。
確かに、「しんどい子」を前にした時どうすればいいかわからないことは沢山あります。原因もわからない事が多く(発達上の課題に関しての理由はほとんどわかりません)、対処方法もわかりません。
そんなこんなでモヤモヤしながら勤務を続けて数年目ですが、2年前に「ケーキの切れない非行少年たち」という本に出会いました。この本は〜児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。 〜(出典:Amazon)という内容です。
この「境界知能 IQ70〜84」の人々が、我々の目の前にいる生徒の多くに当てはまると感じました。そして、この本から多くの気づきを得て、生徒との関わりを変化させてきました。
この「ケーキの切れない非行少年たち」の続編として「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」が出版されました。
この本です。紹介したいのは。学校教員や、対人の仕事をしている人、自分の子どもが「しんどい」保護者に読んで欲しいと思います。
特に教員の人には高学力の学校に勤務していても、いつかその様な生徒を前にするかもしれません。あるいは、こちらが気づいてないだけでそんな子を指導しているかもしれません。
我々(一般的な大人)には理解できない世界(環境という意味ではなく、認知力の不足による)で過ごしている子どもは多くいます。ですが、我々はそのことに気がつかず、気が付いても対応の仕方がわかりません。そうして、そのことに少なからず絶望し、他者との関わり方が歪む子どもがいるのは事実です。
しかし、おそらく多くの大人は(少なくとも教員である私は)目の前にいる子どもが「今の自分」よりも良くなり少しでも明日に希望を持って生きていくことを望んでいます。
正当化を避けるために、あえて言えば私自身も生徒指導の困難さから、いつも正解の指導ができているとは思いません。正直な所、自分の人間性に合わないことや、スキルに見合わない事、どうしようもない事が毎日起こります。
しかしながら、場当たり的な甘やかすだけの指導や、有無を言わせず従わせるだけの指導を超えた支援を考え続けたいと思っています。そうすることで「生き辛さ」を抱える人が減っていけばいいなぁ。と思いながら教員という仕事を続けています。
長くなりましたが、少しでも興味がでれば「どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 」を読んでみてください。
相談者さん、大変な悩みを打ち明けてくれてどうもありがとう。自分のことではなく、幼馴染のことを心配している相談者さんは優しいのですね。
そこで相談者さんに出来そうなことをいくつかアドバイスしたいのですが、それにはふたつ相談者さんに覚えておいて欲しいことがあります。ひとつは相談者さんが幼馴染に嫌われてしまうかもしれないということと、もうひとつはアドバイス通りにしても解決しないどころか相談者さんがよくない目にあってしまうかもしれないということです。
何故嫌われてしまうかというと、相談者さんは幼馴染のためにと思って行動しようとするかもしれないのですが、幼馴染からしたら大きなお世話になる可能性が高いからです。結果として彼氏と別れてしまったりお母さんと離れて暮らすことになったりすれば、幼馴染はそれが良いことだと頭ではわかっていても心はすぐに受け入れるのが難しいでしょう。そうなるとまず相談者さんを恨むかもしれません。
また、相談者さんが幼馴染のことをどれだけ心配していても幼馴染の人生のことは幼馴染が決めないといけません。まず相談者さんの思う通りにはならないと思っていいと思います。幼馴染に恨まれるくらいならまだ良いほうで、下手をすると幼馴染のお母さんや少年院に行くような彼氏たちからも恨まれて相談者さんの手に負えない事態になるかもしれません。そうすると相談者さんや相談者さんの家族に何か危害が及ぶかもしれません。
だから先にひとつ提案をします。相談者さんはもうすぐ高校生になると思うのですが、幼馴染と高校が別になったら関係を解消して幼馴染の人生に干渉しないことです。残酷な話だと思うかもしれませんが、相談者さんの身を守るには一番最適な方法です。それほど幼馴染を助けるのは過酷なことだと思ってください。
さて、ここからは実際にどうすれば幼馴染を助けられるかについて一緒に考えていきましょう。まず絶対必要なのは、大人の協力です。相談者さんの家族や学校の先生や地域の人、誰でもいいです。相談者さん一人で動くことは絶対にやめましょう。ただし、先程述べたように家族や先生が必ずしも協力してくれるとは限りません。特に家族から反対されたら相談者さんもあまり食い下がらないほうがよいと思います。
もし一緒に真剣に考えてくれる大人が出来た場合は、警察や児童相談所など子供のトラブルを解決してくれる機関へ相談しに行きましょう。そして後のことは大人に任せましょう。ここから先は大人の問題になります。上手くいくかもしれませんし、上手くいかないかもしれません。大人が幼馴染を保護してくれることを願いましょう。
そしてこれは家族の協力が不可欠になりますが、幼馴染と妹をなるべく相談者さんの家の夕食に招待できたらしてあげましょう。そして彼氏のところに行かなくてもいいように相談者さんがたくさん遊びに誘ったりしましょう。出来れば相談者さんの家など信頼できる大人がたくさんいる場所がいいですね。とにかく彼氏よりも楽しいことがたくさんあるということを幼馴染に見せましょう。しかし、この方法は逆に幼馴染を傷つけることにもなりますので周囲の大人の協力が万全に得られた場合のみ行いましょう。
この人生相談は幼馴染が酷い境遇にあるということですが、私は心の優しい相談者さんが幼馴染の心配をしすぎて一緒によくない方向に向かってしまうことも心配しています。よくない方向とは、幼馴染を助けようとして幼馴染から反発されてしまったり、家族や先生が力になれずそんな大人を見て相談者さんが失望してしまったりすることです。幼馴染の問題は非常に難しく、大人でも解決できることではありません。そして一度関わってしまうと最後まで幼馴染を守らなくてはいけないため、見て見ぬふりをすることになったとしても誰も責められるものでもありません。もし大人たちの理解が得られなかったとしても、それは相談者さんのことを考えてのことだと思ってください。
繰り返しになりますが、相談者さんが直接できることと言うのはあまりありません。それよりも周囲の大人をどう動かせばいいかを考えてください。そして大人が思うように動かなくても、相談者さんが自分を責めることのないようにしてください。もし相談者さんができることがあるとするなら、幼馴染の言葉を聞くことです。何も出来なくても、彼女の話を真剣に聞いてあげてください。ずっと後で「あの時話を聞いてくれた友達がいてよかった」と幼馴染に思ってもらえるような関係を維持することが彼女にとっての救いになればいいと思います。
いじめという言葉があるせいで、いじめがなくならないのだと思う。
いじめは、脅迫、恐喝、暴行、侮辱、強要、窃盗、器物損壊等などの要素を複数含んでいるため、いじめという言葉を使わずに、
「暴行を受けた」や、「窃盗の被害にあった」のような適切な言葉を使うべきだと思う。
脅迫された。恐喝された。暴行を受けた。このような場合どうするだろうか。
程度によって変わると思うが、最終的に警察に相談に行くと思う。
では、これらの犯罪要素を含む"いじめ"を受けた場合はどうするだろうか。
学校の先生に相談しようと考えるが、警察に相談するという選択肢が最初に浮かぶ人はあまりいないと思う。
これは、脅迫、恐喝、暴行、侮辱、強要などは犯罪だと認識しているが、"いじめ"は犯罪として認識していないことが大きいと思う。
このような状態になってしまった理由は、大きく2つの理由があると思う。
学校が教育機関であり、加害者は未成年のために、犯罪として罰するより、まずは加害者を教育しなけらばならないと世の中に認知されてしまっているのだと思う。
いじめの被害を受けた家族は、警察に相談することを考えると思う。
だが、警察に相談するとなると、クラスメイトを含む学校全体を巻き込むことになり、今後の子供の人間関係や今後の生活を意識し、できないことも多いのではないのかと思う。
なぜ犯罪を受けた被害者が人間関係を気にしないといけないのだろうか。
"いじめ"は犯罪であるにも関わらず、警察に通報するのは特殊なことだと認知されているからだと思う。
学校の先生の立場としても”いじめ”対応となると、何をしていいかわからないと思うし、先生によって対応が変わってくると思う。
学校の先生は教育の専門家であり、犯罪の専門家ではないからだ。
教育の専門家である先生に、犯罪の対応をさせ、その結果により被害者の子供の人生を左右されるから必ず成功しろ。というのはさすがに求めすぎではないかと思う。
学校の先生に「窃盗の被害にあったのですが、どうしたらいいでしょうか」と相談した場合、警察に相談してくださいとなるはずだ。
だが、日本には矯正教育,社会復帰支援を行う専門の施設が存在する。少年院だ。
とそれぞれの専門家がいるので、それぞれ専門に任せたらいい。
だが、いじめという言葉でオブラート包まれているせいで、犯罪という意識が薄まってしまっていると思う。
「こらー、わんちゃんをいじめちゃだめでしょー」と親に注意されたことはあると思う。
いじめ加害者の子供が持ついじめへの認識はこのレベルなのである。
少年院の方じゃないけどシバターがゆたぼんのチャンネル数が大したことないのを指摘してたのが一番核心を突いていると思うよ。
要はゆたぼんの稼ぎは小学生としては多いとしても人生上がれるレベルには到底達してないんだわ。
どうせ父親に大半持っていかれるだろうしぶっちゃけ最終的には平均的なサラリーマン以下の生活に落ちてくと思うよ。
海外のキッズYoutuberなんかだと数十億稼いでるようなのがいるけどそのくらいまで行けばぶっちゃけゆたぼんのような生き方でもまあ困ることはないだろう。
少なくとも余裕ブッこいて良いのは大手企業のリーマンの生涯賃金くらい稼いでからだわ。
再生数からするとゆたぼんの収入なんてちょっと裕福な一般人から見たって鼻で笑えるレベルであってそんなもんでイキっちゃってんのがお先真っ暗でやばいなって話よ。
ゆたぼんは不登校なのがやばいんじゃなくてYoutuberとしての才能が並でしかないのにそこに人生賭けちゃってるのがやばい。
90年代に出版された男性向け投稿写真系エロ雑誌の編集後記的な所に内容をある程度ぼかした感じで「やおい」と言う言葉を直接使って言及されていたのを見た覚えがある(そういうジャンルのことを知らなかったのでなんでこの人は矢追純一の名前を出して変な事言ってるんだろうと思っていたけど)。
地元の図書館に行けばノンケの若侍が義兄にレイプされてから好きな女性がいるにもかかわらず色んな男に想われたり手を出されたりしながら悲劇的な結末を迎える時代小説や不幸にも女顔だったためやたら男にちょっかい出されてきた少年が暴走族の男に手籠めにされた挙句に少年院に入れられるもそこで運命的な男と出会う青春小説や八岐大蛇であった織田信長が森蘭丸とセックスする怪奇小説がなんの区別もなく本棚に並んでいた。
ネットが普及する以前に専門誌が刊行されていたような一大勢力を築いたジャンルに何故隠れるのが当り前みたいな風潮が蔓延してしまったのだろうか?
昔、中学受験をやった
当時の担任に「勉強だけできてもろくな人間にならない」と怒られたのを覚えている
だったら親に言ってくれよと、そればかり願っていた
家にいれば勉強しないといけない
こんなどうしようもないジレンマからも、暴力と監視の日々からも
「第一志望に合格すれば今後はゲームをして良い、学習塾も強制しない」という約束を親と交していた
やった!自由だ!
放課後、自習に使おうと思っていた時間を、身の丈に合わない高レベルな授業に費やされた
サボって連絡でも行くと後が怖い
嫌々通った
自由が遠かった
しかし実際は、努力をして更に自分を苦しめる状況に身を置いただけだった
勉強させるために親が使う文句が「ゲームを壊す」から「学校を退学させる」になった
学校は学校でクソみたいな校則と精神論で溢れた受験少年院だった
手に入れたものがゴミだったのに、ただただプライドからそれに縋った
死にたかった
いとも簡単に約束を破る親の元に生まれた自分から解放されたかった
努力が実を結んでも、それが自分を救う結果にならない星の元に生まれた自分から解放されたかった
好きな物を作らなかった
好きな物は母親にバレると、自分を勉強させるための脅迫材料になる
ならば何も趣味を持たなければよかった
趣味で脅せないなら、次は自分を捨てると言い出すだろうなと思った
それならそれでよかった
死んでやろうと思っていた
どうせ生きていても、生きていたいという気持ちを利用されるだけなら死んだ方が幸福だった
これは死ねると思った
自分が死んだら事故物件になるマンションの、その管理人があまりにいい人だった
その人を困らせる真似はしたくなかった
他にいい場所もなかった
自堕落に生きた
派手さも名誉もないが、自分のやりたかったゲームに埋もれた幸せな日々を送れた
こうやって一生、努力を避けて生きていくんだろうなあと思った
毎日好きなゲームをして、最低単位で卒業して、目先の幸せだけ齧って生きていく生活だった
これからもきっと、子供時代の幸せの追求と最低限度の努力だけで生きていくんだろう
それから涙が出た
何かを始めようとすれば「ダメな奴は何をやってもダメ」と出鼻をくじかれ、じゃあ迷惑かけたくないんで何もしませんと言えば「逃げるな」「努力しろ」「甘えてる」、でしたら頑張ってやります、でも失敗しましたとなると「初めからやるな」「お前は引っ込んでろ」「努力が足りない」「そもそも努力してない」、仮になんとかやり遂げても「当たり前」「みんな出来てる」「そんなことで褒めてもらえると思うな」「下手くそ」
結局社会は無能に消えてほしいと思っている。同じく無能も社会から消えたいと思っている。双方の意見は合致してるはずなのに、無能は消えることも出来ず毎日社会の足を引っ張り続け、社会は毎日無能に迷惑を被る。ここで言う社会が受けている迷惑は仕事場でのミスや脛齧りの引きこもりだけではなく、電車の人身事故や投身自〇の巻き込み事故など〇殺が引き起こす二次被害も含む。
自分は無能で社会に要らないと確信し、社会から消えようとも今現在の日本では自主的に死ぬ時まで社会に迷惑をかけなくてはいけない。おまけに自〇未遂で病院送りになると治療費は全額自己負担となるらしい。
そこで私が提案したいのが⑴安楽死の合法化⑵希望制の人権剥奪⑶1と2で発生した死体の有効活用だ。
まず⑴の安楽死合法化。これは何度もネット上で議論になったり、これをマニフェストとして掲げる政党も現れるくらい広まった提案だ。まあ最近だとTwitterの自称反出生主義者が自分の気に入らない他ユーザーを叩くための免罪符にして暴れ回るので話が拗れて訳が分からなくなっているのだが、こういうネットチンピラを一掃するにも安楽死は是非実装されるべきだと思う。(かと言って合法化された所でコイツらが大人しく安楽死するとはあまり思えないが)話が逸れました。無能の話を続けます。家庭から、学校から、職場から、社会から爪弾きにされた無能を救ってくれる制度はありません。そして自主的に死ぬと死体蹴りされます。これじゃあどっちも損です。じゃあ自由に合法的に死ねる制度を作りましょう。これでwinwinです。でもそんなことしたら日本から人が居なくなる?これは完全に主観ですが人口は減っても大して損害はないと思います。あるSF小説であった話で、死後の世界を映すモニターが開発され、そこに映された天国の様子や死別した愛する人を観て多くの人々が自ら命を絶っていく。でも一部の人は拭いきれない死への恐怖から生き続け、ひたすら死体の処理をし続ける、という内容でした。この話をどう捉えるかは人それぞれでしょうが私はこう捉えました。「死にたい奴らは勝手に死んで生きたいor死ねない奴らは勝手に生きろ」と。私はこの物語の世界は凄く理想的だと思います。ただこの話だと死ぬ方法が苦痛を伴うものしか描写されてなかったのが少し残念ですね。かなり昔の作品なのだからでしょうか…。現実安楽死が合法化すればいわゆる自認のある弱者は淘汰され、人生お気楽有能ラッキーマンや根性論信者が生き残る「理想の社会」が生まれますね!そこでもカーストは生まれるだろうけど私みたいな底辺には知ったこっちゃありません。だって死んでるし。それに私らが受けた迫害なんかよりずっとマシだろうし。
⑵の希望制の人権剥奪は私の勘違いから思いついたことです。死刑=殺人の合法化=人権剥奪だとつい最近まで思い込んでました。馬鹿なので。でも不思議な話ですよね、法の下で人の生死を決められるのに自由な自〇は許されない。そもそも死刑確定しても何年間も国民の税金で生かして死刑にするときもあれこれ手順を踏まなきゃいけない。馬鹿らしいですよね?生きる価値がないと公式に認められた人間を血税でしばらく生かすなんて矛盾してますよね?それこそ某番組の雑ドッキリみたいに死刑確定したら即執行すればいいんですよ。罪人に死を覚悟する時間を与えるだけ無駄です。また通り魔がよく口にする動機で「死刑になりたかったからやった」、これは単なる建前かもしれませんがもし1%でも諸事情により自〇出来なかったから犯罪するしかなかったと考えてたら、是非人権を剥奪してあげてほしいと思うんですよね。
⑶は上の話の続きになりますけど、⑴のように自主的に命を絶つときにただ埋葬するのではなく、臓器移植など生きたいけど生き残れる可能性が低い方々のために役に立たせる方法を希望できるようになると良いと思うんですよね。また⑵のように死刑囚は人権を剥奪し今まで倫理の問題で出来なかった実験の被験者になってもらったり、死後も標本か何かにしてこれからの科学の発展に活用した方が遥かに明るい未来が待ってると思うんですけどねえ。
あるスポーツ選手はこう言いました。
「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない」
あるアーティストはこう言いました。
「不遇を社会のせいにして、いつか大きな何かに無償の愛で救ってもらえると夢見てる負け犬どもが多過ぎる。いい加減目を覚ませよ。まだ間に合うから」
でもそれって成功したからこう言えるんですよね?努力が結ばれたからこう言えるんですよね?才能があったからこう言えるんですよね?周りの環境が恵まれてたからこう言えるんですよね?
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という有名な格言がありますが、これ裏を返せば1%のひらめきを生み出す才能が無ければそこでおしまいなんです。どんなに努力しても結局天賦の才能には勝てないんです。これ、ごく普通の人でも99%の努力しても1%の才能には到底及ばないのに、生まれ持っての無能となると99%努力してもやっとスタートラインかその手前なんです。それを「努力と呼べない」「社会のせいにしてる」なんて言われたらもう死ぬしかないですよね。じゃあ120%の努力をしろよとも思いますがそうして燃え尽きた無能を私は何人も見てきました。
ここで散々無能と呼んできた人の種類を詳細に伝えます。無能とは「発達障害」「精神障害」「知的障害」「サイコパス」そして「やる気のない人間」です。ちなみにわたしは知的とサイコパス以外全部当てはまります。このように書き連ねると今までの文章からして私のことを植松信者だと思われそうですが断じて違います。
優生学という考えがあります。簡潔に説明すれば劣った人間を減らし、優れた人間だけ生かして生み出そうというものです。世の中にはこの簡潔な説明文を見ただけで発狂し噛みついてくる人がいますが、それは植松事件や旧優生保護法、そしてナチスのT4作戦を想起させるからだと思います。これらは優生学に基づいた犯罪・政策であったから非難されていますが「『同意を得てない』人間に『有無を言わさず』優生思想に基づく方法で理不尽に命を奪ったり手術をした」という面にもっと注目してほしいんですよね。優生学自体を頭ごなしに否定するのははっきり言って思考停止してます。少し前某ミュージシャンの「お化け遺伝子」発言による炎上騒動がありましたが、これに反する意見としてナチスの政策と同じだ!と主張する人が多く見られましたが、ちょっとズレてるな〜と思いました。ミュージシャンの主張は「優れた才能を持つ人達(=お化け遺伝子保持者)を国がプロジェクトとして集め、その天才同士での結婚相手を決めるという、なんだか某アイドルが入信した統〇教会を思い出させる失笑モノの意見(もっと言えば結婚=子作りという旧時代の考え丸出しの発想がさらに大衆の失笑と非難を浴びた)でしたが、要するに彼の主張は「積極的優生政策」であり、一方ナチスが行ったので有名なのは前述のT4作戦やホロコーストなど「既に産まれてしまっている劣った人間を抹消する」方なので、お化け遺伝子をナチスと同じだ!と批判するのはあまり噛み合ってません。(一応ナチスも党の基準での「優れた人種」の女性とナチス親衛隊の男性を結婚させた事例があるので間違いではありませんが、例のミュージシャンのリプ欄でT4作戦のことを挙げ反論している方が多く見られたので敢えてこう述べさせていただきました)
それから記憶に新しいやまゆり園事件。これに関しては事件そのものより植松のダブスタっぷり、思考の浅はかさを指摘していきたい。「ケーキの切れない非行少年たち」という一昨年くらいにヒットした本がある。この本の内容をかなり要約すると「いわゆる非行少年と呼ばれるような少年院にいる子供達は軽度知的障害を抱えてるケースが多く、これを解決するにはある訓練が必要だ」となる。つまり知的障害があるから物事の良し悪しが分からないため罪を犯すのだ。そして植松は学生時代未成年飲酒や喫煙、さらに暴行事件や薬物乱用など起こした罪の数々を見れば典型的な「非行少年」である。ここで植松の思想及び主張を思い出してみる。「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」ケーキの切れない(略)と植松の前科、そしてこの主義主張、こうしてみると「軽度知的障害者が重度の障害者を攻撃している」という事が分かる。植松は正式に軽度知的障害と診断された訳ではないが、過去に軽犯罪を繰り返しその後件の事件を引き起こしたとなれば、立派なダブルスタンダードである。むしろ犯罪者は軽度知的障害者に多いとなると介護が必要なくらいの重度障害者と比べてどちらが社会に不必要かは言うまでもない。
最後に旧優生保護法について。私の正直な意見を言うと、この制度多少の改良を経て復活させてほしい。遺伝性の障害を持つ人が子供を持とうというのははっきり言って傲慢だ。だからと言って強制的に不妊手術を全員受けろとまでは言わないけど、発達障害精神障害知的障害を持ってて自分の面倒すらまともにみれないのに、同じ障害を持つかもしれない子供を育てられるのか?無理だろ。子供が生まれれば自分は変われる?幸せになれる?人生がバラ色になる?寝言は寝て言え。子供はお前らを幸せに導くラッキーアイテムじゃあないんだよ。これは健常者にも言えることだが、子供を作る動機として挙げられるもので、子供のためを思ったものがほとんどと言っていいほど存在しないのだ。「なんとなく欲しいと思った」「子育てがしてみたい」「夫婦間の中が悪いから仲裁役として」「とにかく楽しそうだから」「将来介護してもらうため」こんな感じである。(私はなんとなくで産み落とされました)せめて建前でも「子供にも幸せな人生を送ってもらいたいから」とか言えないのか。結局親というものは最初から自分第一なのだ。確証も無いのに何故か五体満足でオツムもまともな子供が生まれると信じて止まないのだ。そして実際出生前検査でダウン症など先天性の障害が見つかれば中絶を決断する親もいて、産まれても泣き声がうるさい言うことを聞かないなど予測可能なことで子供に危害を加え最悪殺害する親なんてのも後を立たない。さらにもっと視野を広げれば、人生なんて苦難の連続と散々言い伝えられているのに、それを経験しているはずなのに、ウエディングハイの延長で人ひとりの人生を強制スタートさせてしまう身勝手さと計画性の無さ、非常に軽蔑させられる。また優生保護法で強制不妊手術を受けさせられた方のインタビュー記事がネットにあったので読んでみましたときのことです。その方は精神障害を抱えており、自分に子供がいたなら人生は間違いなく幸せだったと仰ってました。いやー反吐が出る。子供は幸せを運ぶ天使か何かと思ってないか?こういう考えしか出来ないから自分の人生不幸だと思い込んで優生保護法に八つ当たりしてないか?まあいいや、少なくともこの方の子供となる不幸な人間は存在せずに済んだので良かったとしよう。
私は発達障害と精神障害を抱えているので絶対に子供は欲しくないし、もしこの先異性と体を重ねることになるとしても避妊失敗が怖くてとても出来ません。もし優生保護法がまだ現役で強制的に不妊手術します!費用は国が負担します!なんて言われたらきっと狂喜乱舞するでしょう。
まあ要するに何でも希望制にすれば良いんですよ。死ぬにも手術するにも人権捨てるのも。夫婦別姓も同性婚もしたい人だけやればいい。どうしてそんな簡単なことが出来てないんだ。多様性って何だ。あっ、でも子作りだけは免許制にしてほしいな。子育てって車の運転以上に知識・技量・適性が問われるはずなのに。おかしいよね、世界。
とりあえず、この人はすごく頭がいい、は天才ということでいいとしよう
天才的で、承認欲求が強すぎて犯罪まで走ってしまったのではないだろうか、と自分が思う人は色々いるような気もするが、
宮崎勤は宅八郎やマスメディアの扇動でロリコンだのアニメオタクだののイメージを視聴者に植え付けることに成功してしまっている気がするが、
宮崎勤はパズル雑誌を愛読しており、独自のパズルを考え掲載されもしている
もしかしたらgiftedと呼ぶに相応しい能力があったかもしれないが、幼女連続殺人を犯したというのは揺るがない事実であろう
酒鬼薔薇、少年Aに関しては宮崎勤のパズル雑誌のような話は自分は聞いたことがないが、
なんとなくではあるが、彼は弁護士資格ぐらいなら余裕で取得できるだろうと思う
少年Aが人間的にどうかは分からないが、知的水準が高いだろうなと思ったのは、あの赤い字で書かれた犯行声明文である
schoolのスペルを間違えたりはしているものの、知的な人間だというのは十分感じられる
本人は別人を装うための偽装工作だと供述しているが、自分には納得できない
「絶歌」を読んだわけではないが、報道されていた内容から考えるに、
少年が開設したHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」を納得させるようなものに思えた
死体に対する性的興奮、ナルシストなぐらいの筋トレ好き、ナメクジへの異常な執着などがあったようにうろ覚えだが記憶している
自分が思うに、少年Aの犯行動機は性的興奮のためでもあったと思われるが、
そのHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」というのはかなり的を射ている気がしたのを覚えている
しかし、それが普通の人の承認欲求のレベルではなく、自分の存在がいつも揺らいでいる、自分が存在するかどうかさえいつも不安であるとしたらどうだろうか
ラヴクラフトの「アウトサイダー」のように、他者に自分を認識されて初めて人は存在するのであり、そして自分が怪物であったことも明らかになるのである
少年Aは偽装工作と述べているが、いちいち鼻を突く挑戦的な文言は偽装工作にそぐわない
もちろん、天然でこれが偽装工作だと思っているのかもしれない
しかし、あの赤字の犯行声明は偽装工作の裏から犯人の少年Aの承認欲求が滲み出すぎてしまっている
宮崎勤は将棋も得意だったようだしパズルの能力も高かったと思われる
高校卒業後の1981年4月、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学する。このころはパズルに夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されることもあった。
宅八郎やマスコミの作り上げたロリコンだのアニオタだのウルトラマンの切断技が影響しただのは疑わしい
部屋に収集したビデオは視聴目的というより収集目的であったようである
このころアニメの同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープのほとんどは自ら鑑賞することはなかった。ビデオサークルでは、ほかの会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6,000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。
無理なダビングを注文する、というのは極度の完璧主義者であったのだろう
天才かどうかはともかく、狭い領域に極端に執着するタイプであったのは事実だと思う
そして、宮崎勤の犯行声明も、これもまた挑戦的な文面だったように記憶している
凡人の自分からすると、挑戦的な犯行声明など逆効果なようにさえ思う
雄弁は銀、沈黙は金ではないが、なぜ少年Aも宮崎勤も犯行声明ではここまで挑戦的な文面になってしまうのか
コンプレックスの裏返しと述べるのは簡単だが、ここにも承認欲求の拗れみたいなのを感じるのは私だけだろうか
天才的な能力を持っていたかもしれないのでありながら、ここまで非人道的な犯罪にまで走ってしまうと、その能力を役立てることも不可能になってしまう
ただ、少年Aは少年院に入っても更生が難しく、出所後も出版物や週刊誌の内容から更生できているとは思い難いところがある
座間の事件もそうだったが、凡人の自分にはまったく理解できない話である
ではあるが、怪物のように思われるシリアルキラーも人間であることに変わりはないわけで、
根本的なルールが異常であったとしても、その異常なルールを根底に考えれば、なんとなくこんな気持ちだったのではないか、と思うところはある
少年Aにしても宮崎勤にしても、正解は自分だけが知っていて、当ててみ?という優越感はたまらなかっただろうと思う
面接する側、雇う側だけが正解を知っている、就活の面接はまったく情報が非対称なゲームである
パズルを解くというのは、その挑戦に抗い、打ち勝つことで逆転する喜びなのかもしれない
昨今話題の性的同意年齢について、いくつかの事例を考えてみました。
増田さんは16歳の高校1年生です。ある日、生理が来ないのでお医者にかかったら妊娠が発覚。お相手は誰? 「同級生の近藤くんです。めっちゃしたいって言うから1回だけやりました。まさか妊娠するなんて……」
え? ちょっと待って、近藤くんって3月生まれだから、まだ15歳だよね? 16歳未満の子供と性交した増田さんは強制性交罪(かつての強姦罪)(5年以上の懲役)です!
増田さんは妊娠した挙げ句に、性犯罪者として退学を強いられ、少年院に送られることになりました。めでたしめでたし。……あれ? 今より状況が悪化してない?
増田さんの悲劇を防ぐために、「ただし年齢差が3歳までの場合は真剣なお付き合いということで免責♡」という規定、通称ロミジュリ規定を入れることにしました。
さて、鹿瀬さんは20歳の女子大生です。卒業した高校の文化祭にOGとして遊びに来て、後輩たちから歓迎を受けました。すると、鹿瀬さんに一目惚れした後輩の大常くんから猛烈アタックを受けます。
大人びているし割と好みのタイプだったので、年下だけど付き合うことに決めて、えっちもしました。ところが、実は大常くんは高校1年生で、しかも1月生まれなのでまだ15歳だったのです!
5歳も年齢差のある16歳未満の相手とえっちした鹿瀬さんには強制性交罪(かつての強姦罪)(5年以上の懲役)が適用されます。
え? 大常くんも合意してたしむしろ大常くんの方から誘ってたって? いやいや、その年齢未満の者がいくら同意していたとしてもその同意は無効になる、っていうのが、刑法上の性的同意年齢ですから!
鹿瀬さんには情状酌量で執行猶予がついたものの、性犯罪で有罪が確定したので、大学は退学となってしまいました。さらに20歳だったので実名報道もされることになりました。……従来の青少年健全育成条例なら真剣交際はセーフだったんだけど、強制性交罪が適用されちゃったら真剣でもアウトになるんですよねえ。
さすがに鹿瀬さんがかわいそうなので、ロミジュリ規定を5歳まで引き上げることにしました。15歳と20歳のカップルはこの規定で保護されることになります。よかったね!
さて、ある日、小学5年生の果奈ちゃん(11歳)が、近所の高校生である悠くんとセックスしていたことが発覚します。果奈ちゃんのご両親は激怒し、悠くんのおうちに怒鳴り込みました。
ところが、悠くんは答えました。「僕は16歳で、果奈ちゃんとは愛し合っています。5歳差なのだから合意さえあれば法的には問題ないはずです」
果奈ちゃんに話を聞くと、「悠お兄ちゃん大好き! 大好きだからえっちもしたの! 何がいけないの?」と言っています。……現行刑法なら、13歳未満と性交した段階でいくら合意があろうが強制性交罪に問われて悠くんは少年院送りになるのですが、ロミジュリ規定がある以上、悠くんは無罪放免ですね。
いかがだったでしょうか?
現行法では、事例1と事例2は、女性が性犯罪者として扱われることはありません。また、事例3は、男性が性犯罪者として裁かれることになります。これは、現在の社会通念からみて違和感の少ないところだと思います。
ところが、仮に16歳まで性的同意年齢を引き上げた場合、ロミジュリ規定を入れないと事例1の増田さんが性犯罪者になってしまいます。ロミジュリ規定の範囲が小さいと事例2の鹿瀬さんが性犯罪者になり、逆にロミジュリ規定の範囲が広いと悠くんは無罪放免になってしまいます。
現行法の「刑法上の性的同意年齢は13歳、ただし18歳以上の者が18歳未満の者と性交する場合は青少年健全育成条例などでカバー」というのは、そんなに捨てたもんでもないと思うんですが、どうでしょうか。
今の基準でも12歳同士とか、12歳と16歳とか有りそうだけど、犯罪なのか?
実際に捕まったりするの?少年法が有るから大丈夫か、少年院には送られるのかな?
そう言えば少年法でも刑事責任年齢が13歳なのか、性的同意年齢を上げるなら、こっちも上げるのかな?子供に判断の責任能力が無いのが根拠だとすると、有りそうだね。
もし上がらないのなら、性的同意年齢未満かつ刑事責任年齢以上、という層が出来そうだね。
となると捕まるのか(例えば性的同意年齢が16歳になった時に15歳同士でやると、犯罪かつ刑事責任に問われる?)
あと、12歳同士でヤッたらどっちが捕まるのかな?両方?或いは男の方が多く責任を問われたりするのかな?男同士女同士の場合もあり得るよね。
同意が不可能な年齢って事だから、両者が合意の元やったとしても同意は成立しておらず、両者が互いに「同意を得ずに性交」つまり強姦した判定になるのだろうか?(なんかバグ技みたいだな)
私立と比べて公立は〜という文脈で引用されがちだが、私立にも動物園はあるしそれなりの需要もある。
ご自身のペットを通わせる際にはペットの特性や飼い主の思想、どういうペットとどんな進路を選ばせたいのか、といったことから十分に吟味しましょう。
どの動物園を選ぶのがいいか参考になれば幸いです。人類の通う立派な学校は取り上げません。
35:下位6%くらいのレアさ。リスニングの日本語版みたいな教材があるのだが、解かせるとわりと50点とかを取ることも珍しくない。一般的な教員は満点にしかならない難易度です。
30:下位2%くらいのレアさ。作文が支離滅裂になったり、悩みとかを聞いたときに原因も結果もこちらの理解が難しくなることがある。
25:下位0.6%くらいのレアさ。「分からないから反省もできない」と言われる層。物の貸し借りをしてはいけません、制服には校章をつけましょう、というルールがあるとして友達の校章を盗んでなくなった友達が困っているのを見て別の他人の財布から金を盗って購買で買うよう親切に勧めるケースがありました。(フェイクあり)
自由な校風は動物園ではあまりないと思います。普通の厳しさから少年院レベルまで。
・普通なところ
厳しすぎないのでペットも飼い主もストレスをためにくいです。その代わり進学や就職も実力相応。
0時間目から9時間目まで授業、部活は禁止、髪型はかなり厳密なルールあり、身なりの靴下までチェックあり。といったところがあります。
ペットも飼育員も大変でストレスを抱えがちですが、下位30%レベルのペットでもうまくハマれば地方国立やGMARCHに到達することがあります。
親の教育、学校の教育は大切ですが、人間でなく動物が生まれるときは生まれます。
その動物をどう育てるかは将来をどこまで許容できるか、育てている間にどの程度のストレスを許容できるかは大きいと思います。
私に子どもはいませんが、もし動物が生まれた場合は私の価値観では特別支援に該当しそうなら確実に診断を受け、しない程度なら受験少年院かなという価値観です。
実際に生まれたら変わるかもしれないけどね。
ではどうすればこの問題を解決できるのだろうか。答えは一つ、ゾーニングしかないのだ。中学校入学時点で問題行動を取るような生徒はせいぜい10人程度なので、その人たちだけ少人数制の特別クラスにぶち込んで隔離するしかないだろう。そんな事をすれば人権問題になるかもしれないが、そもそも彼らは国民の学ぶ権利の敵なのだ。ある程度強権的ではあるが、都市と地方の教育リソースの差は簡単には埋められないので、現状こうでもしなければ私立進学校の選択肢のない地方民は安定した中学校生活を過ごせないのではないかと思う。
あのさぁ……。はてなでは定期的にADHDネタがバズるからそれで例えてみるよ。
はてなでは知らん人が多いだろうけど、実はADHDは犯罪とすごく親和性が高い。
100のうち99の研究がADHDと反社会的行動との親和性を報告している[142]。ニュージーランドで行われた大規模調査では、ADHDのうち60%が非行化したと報告されている[143]。またアメリカで行われたADHDと診断された児童と一般の児童に関するコーホート調査では、ADHDと比較群において、青年期の犯罪はADHD群が46%で比較群は11%、成人期における犯罪はADHD群が21%で比較群が1%、成人期の服役はADHD群が11%で比較群が0%という結果であった[144]。実際にADHDの児童や人物は、一貫して世界中の少年鑑別所、留置所、刑務所において大きな比率を占めていた[145]。グジョンソンたちは、成人の服役者に対してさまざまな診断基準を使用して、多数の国々におけるADHD率をレビューした結果、ADHD率は24~67%であった[146]。ドイツの研究では囚人の45%が何らかのADHDであったが、一方で対照群では9.4%であった[145]。2007年に発表された日本の研究によると、少年院生185名(全員男性)を対象にLD・ADHDスクリーニングテストを実施した結果、ADHDと疑われる者は153名で全体の82.7%を占めていたことがわかった[147]。また、同じく2007年に発表された日本の研究によると、女子少年院生70名を対象にLD・ADHDスクリーニングテストが行われた結果、ADHDの疑いがある者は36名で全体の51.4%を占めていた[148]。このようにADHDと犯罪行動の親和性は極めて強く、ADHDは犯罪学で頻繁に登場する概念の一つである低セルフコントロールとの関連性が高いことが指摘されている[149]。
ADHDの児童や人物が素行障害(CD)と診断された場合、成人まで犯罪を持続させる可能性が劇的に高まるとされる[150]。これは、ADHDは行動抑制系の機能障害でCDは行動賦活系機能の亢進異常であるので[151]、ドーパミン行動賦活系機能の亢進(ドーパミンレベルの上昇)によって人は刺激的な場所へと誘われ、行動抑制系機能の低下により、意識的に立ち止まって思考することが制限されるためである(低セロトニン機能)。また、ADHDの人物、そしてADHDとCDの合併者は自律神経系の覚醒度が低下しているため[152][153]、そのことも犯罪行動に影響するとされている[154]。ADHDとCDの合併率は30~50%であり[150]、CDは5歳時辺りで発症する遺伝的基盤が極めて強い神経学的障害である[155]。
アメリカではADHDの人物が犯罪や非行を行うことで、年20~40億ドル相当の国家的負担となっていると試算されている[156]。
で、こういうのはどうよ。
ではどうすればこの問題を解決できるのだろうか。答えは一つ、ゾーニングしかないのだ。人生で反社会的行動を取るような人間はせいぜいADHDやダークトライアド程度なので、その人たちだけ少人数制の特別区にぶち込んで隔離するしかないだろう。そんな事をすれば人権問題になるかもしれないが、そもそも彼らは国民に対して犯罪を行う敵なのだ。ある程度強権的ではあるが、知能指数や自己コントロール能力、ADHDの遺伝率は60~70%ほど高く、環境による対処は簡単ではないので、現状こうでもしなければ発達障害者や精神障害者の犯罪に不安になっている一般国民は安心した人生を過ごせないのではないかと思う。
真面目な話、それは昔から言われてるんだよ
やりたくないのは管理する側の立場であって、メンバーを入れ替えないと組織の階層、カーストが固定されるのは社会人でも同じなんだよな
しかし、ケーキが切れない非行少年少女のようなIQが低い生徒は遵法意識も低い、流石に社会的に最低限これはマズいという価値観が根底からない
こういう生徒をブコメにあるように教師側が対応しろというのは無理があるだろう
実際のところ、こういった問題を諸外国でさえ上手く対応できているのか、すべては知らんが自分には疑問に思える
となるとスクールカウンセラーなどという甘い話ではなく、医療機関、少年院のような施設も一般的な教育施設と連携していく必要がある
でも、政治家も教育者も、デジタル教育がどうのという話はしたがるが、本質的に人をどう管理するか、育成するかということはやりたがらない
単に面倒なんだろうけど