はてなキーワード: 学費とは
例えば伴侶が事故や病気で障がい者になったら、一馬力で家庭を支え、施設に入れられるほどの稼ぎがなければ仕事終わってから介護
子どももいたら子供の世話もだし、学費も貯めたりを1人でやらなければいけない。
結婚した場合は、家族の生活に関するものは家計として管理するのが一般的で、それとは別に個人の財産や消費はあってもいい。
借金も家計に関するものは夫婦で対応、個人の物は個人で責任を持つ。
家のローン
自動車のローン
奨学金も、学んだことが将来の収入増などに結び付くのであれば、家計から投資として出すこともあるとして、基本的には個人が自分の為に学ぶものだから個人負担。子供の学費は親が責任を持つけど、成人同士の夫婦が対等であるならば親子のようにどちらかが学費を出すみたいなのは不健全。ただ昔ながらの男が稼いで女が家のことをやるみたいな夫婦であれば、妻の借金を夫が払うこともあってもいいのかも。
ヤパ裏金か。
ドラフト指名されるとサッカーみたいに育成費が入るんやろうか?
花巻東・佐々木麟太郎内野手(18)が、米スタンフォード大にフルスカラシップという全額奨学金で進学することが分かった。
デービッド・エスカー監督(58)が15日(日本時間16日)、日本の報道陣に取材対応。
「彼はフルスカラシップ。学費も寮費も100%大学が負担する」と明かした。
同大は奨学金なしで4年間通った場合、約5000万円の学費がかかる。
私は服が大好きだからいつでも気合い入れてかわいい格好してるしちょこちょこ買ったりしてるのね。でも時々知らんおばさんとか親戚からあなたのお姉さんはいつも適当な服着てるのにあなたは贅沢ばっかり!家のお金を無駄なことに使ったりして!とか謎に怒られたりするわけよ。でもこれってなんかおかしくない?って思って、実際は
私(学生):服欲しいけどお金かかるな…→バイトがんばる!→給料の中で交通費学費食費出しつつ残りを貯金してかわいい服買う
姉(社会人):ゲームめちゃくちゃすき!やりたいやつリストちょっとずつ買ってくぞ!→給料の中で家にお金もいれつつ残りでゲームを手に入れていく
だから私は別に家の金を食って浪費してるわけじゃないし姉は服より優先順位が高い大事なものにお金使ってるわけだし、確かに私は家にお金入れてないけども社会人になったら姉同様入れたいと思ってる。
前提としては100万円以上、総資産の1/3〜1/2くらいは現金で持っていたいとして、
重い病気怪我や災害だったら、その時は諦めて損してでも引き出すかな(確率が低いので)
子供の学費や家族の介護みたいにある程度事前に予想できそうな場合は、それに備えて現金比率を高めておくかな。
安全な資産運用先としては、銀行預金の代わりに個人向けの変動10年国債がいいかなと思っている(1年は縛られるけど、その後は元本割れなし)
んーそうだねえ…まあ味方ならすごく頼りになる人だとは思うのね。
夫婦の話し合いもコロナ前まではなんとかできてたし、まあ確かにこれって決めちゃったら動かないなりになんとか私もそこから妥協案を引き出せてたっていうか。
でもお互い加齢で話し合いに使える体力は毎年なくなっていく一方なのに、それに反して社会的な責任は増大していくばっかりの時期で。家も買ったし。
そこにきてのコロナ禍のストレスで10年目の破綻、みたいなのが実態かも。
コロナがなかったらギリギリその閾値を越えずに家庭崩壊も免れてた可能性もあるけど、まあ運が悪かったのかなーって思う。
まあお互い様なんだけどコロナ禍中は随分お互い傷つけ合っちゃったしね…
んでそうなるともう夫にとっては私は敵でしかないっていうかもう彼にとっては私が味方っていう認識になることはないのかもしんない。
と、私ももう諦めてるのが現状かなー。
私も夫に言われたこととか思い出すと今でもちょっとポロポロって泣けちゃうくらいには傷ついてるし、もしかしたら夫もそうなのかもしんないし。
そのうえもう今は実家戻っちゃったし、暖かく迎え入れてくれた両親にも随分心配もかけてるし世話にもなってるし、そうなったら私も実家に対しても恩義を返さないとっていう思いもあるし。
実家に資産は大してないんだけど親は年金と資産運用で自立してるから私は自分と子供たちの生活費だけ稼げばいいし実家が太いってこういうことなんや…って身に染みてるとこ。
そうでなかったら娘たち連れて家出ても、路頭に迷うしかなかった…
一緒に住んでた時は生活費はずっと私が出してたし(ローンとか住居とか学費とかは夫もちだった)、世間では7割は養育費払われないって聞いてたからドキドキだった…
でもちゃんとしてくれたので、やっぱ私がちゃんとできてなかったのかなー…っては今でも思う…けどあれがあの時の私の精一杯だったしどうしようもなかった…
実家は太くも細くもなかった。統計年収の中央値、300万くらいは年収がある家だった。
田舎の有名企業の工場でブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり。家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。
勉強は田舎の公立小中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。
高校進学の時、親は地元の偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。
まず、この高校に進学するときに約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。
周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分が大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。
そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。
ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学金20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。
親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取りで20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。
その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。
でも、この世帯年収で特別に生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMacを自分のバイト代と親の援助で買うことができたのに。
だから、大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。
けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。
親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らしの最初の資金だけは援助してくれた。
それ以降は、昼間バイトして夕方から大学で勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパートの家賃も払うという生活をしていた。
でも、大学はお金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費も生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。
そして今、大学で出会った人と結婚して、子どももいて東京に暮らしている。
区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子どもの学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。
こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。
しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。
知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。
実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。
それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしまう世界が存在する。
これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。
だからもしかしたらこの結論が分からないかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。
だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。
実家から離れた地方の国立大学の学費四年分と毎月15万の仕送りを貰っていたから、奨学金返済もなくバイトもせず社会人になったけど、家族で海外とかもなかったし実家は祖父母の代からある家で同居してるし、太いかと言われたら違う気がするな
父親の年収はおれが高校の時単身赴任手当が出て最高で1000万、母親はおれが小4まで月8万くらいのパート、俺が大学出るまでは月18万くらいで契約社員してた
姉が1人、小学校の時はおれは水泳、書道、姉はピアノと書道、おれは小学校4年から塾通い(月謝1.7万とかだったと思う、中学はもう少し高いと思うけど忘れた)2人とも私立大学だけど実家通い、学費は全部出してくれた、あと免許取るお金も出してくれた
小学校の小遣いは学年×100円、中学は学年×1000円、高校は5000〜7000円
社会人になってからは一人暮らしで特に家にお金は入れてない、父の日、母の日には5000円、誕生日は1万円くらいのプレゼントあげてる
あと還暦とかそう言う節目は姉と10万ずつくらい出して温泉旅館とかで祝ってる
実家は俺が小学校1年の時に買った郊外の1戸建て、車は国産の普通のセダンだった
外食はほとんどなくて、ブランド物とか高いものもあんまりない家だった
中学までは年1回くらい国内の家族旅行、盆正月はそれぞれの実家に帰ってた
家が金持ちと感じたことは全然なかったけど、不自由もなかった、まさに昭和の中流家庭だと思うけど、これでも太いって言う?親ガチャで言ったらBくらいだよな
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
何でバブルの頃でもと言ったかというと、それが確認できる中で大学生の海外旅行率としてもっともと高かったからです。
最大でもその程度だから海外に行くと言うのはシンプルに太いと言って良いと言う話です。
それを踏まえて2つ指摘しておくと、
俺も実家が太い。
母は看護婦で、父方の親戚は弁護士だの会計士だのがずらずら並ぶエリート一族である。
大体他の増田と同じで、卓球に器械体操、ピアノになんかよくわからん英語教室、公文式に塾とサッカークラブをローテで回すという幼少時代だった。
習い事に関しては大体全部つまんねーなって感じだったので、隙を見てサボりまくっていた。
小中学校は公立校だったのだが、学校のやつらはマジで貧乏で頭悪いなって思っていたので、学校でもなんか本ばっかり読んでいた記憶がある。
あと学校はトイレがキレイなところで、バカがあまりいないところ、
かつ俺があんま勉強しなくても上位の成績にいけて、エスカレーター式で就職も強いところ、
親にはレベルの低い高校受験を、「大学は別の学校を受験するから」ということで納得してもらった。もちろんそんなことする気などさらさらなかったが。
まあ、マーチの付属高くらい、推薦ならば特に勉強の必要などないのは皆さんご存じだと思う。
俺も無事入学し、頭の悪いゴミ共とぬるく、楽しい青春を送った。
文系は卒論すらなしで卒業できる。これも中学時代に調査した通りで、本当に365日ほぼ全て遊んでいた。
勿論、学費は全部親持ちである。ついでに一人暮らしがしたかったので、月額30万ほど仕送りをしてもらいつつ、
あと、なんかよくわからん奨学金?(多分返さなくていいやつ)を適当な書類をそろえて受け取り、全部株にぶちこんだ。
株は面倒だからあんま見てないけど、多分10倍か20倍くらいになってると思う。
大学4年間は楽、かつ他人に自慢できる職場を探すのがテーマだった。1年くらいで見つかって、中小だけど多くの人が知る会社に入った。
採用枠は5個で、倍率は200倍くらいだったが、まあそこは持って生まれた運だな。無事に受かった。
そして今も楽しくやりたいことだけやって生きている。
27歳男
真面目な人が多いという有名マッチングアプリで彼女ができて、お互いに年齢もあって結婚も視野にお付き合いをしているつもりてはいる。
俺には相応しくないくらいに美人で頭も良く、色々なところに気がきく性格ではあるのだけれど、結婚するにあたって1つだけ懸念点がある。
具体的に言えば、特別な日とかでなくても25万とかするブランド物のバッグをホイホイ買うし、一度買い物に行ったら5万くらいは使って帰る。
もし結婚するとしたら、子供のことや生活費もあるので贅沢は控えてほしいかな〜とやんわり伝えたが、自分で稼いだお金なんだから使い道は自由だろうと歩み寄る姿勢は見せてくれなかった。
自分で稼いだお金なのはそうだし、生活費分も余裕を持って確保できているのはおっしゃる通りなんだけど、やっぱり子供を塾に入れたりとか、中学から私学に通わせると思うとその学費なんかも今の間に貯金しておきたいし、ある程度節制してくれないと、お金がいざ必要になったタイミングで都度都度稼げるとはあんまり思えないんだよな。
それこそ育休とか取るだろうし、そのタイミングで仕事を辞めないとも限らんし。
俺だけの稼ぎでやりくりしなきゃいけないタイミングで高いブランドものを欲しがられたりしたらと思うとちょっと耐えられない気もする。
ただ、それ以外は本当にいい人で、結婚をすべきかどうかというところについてかなり悩んでいる。