はてなキーワード: プロダクトデザインとは
プロダクト開発するときの一番最初のラフな設計を共有したときに
みたいに言ってきて、かなり反対したんだけど
そのせいでDBのテーブル名からカラム名まで全部日本語の名前が付いてるし
それに合わせてオブジェクトやAPIの機能名まで全部日本語で設計
実装するときに全て英語にする必要があって英語名の付け方で揉めるし
そもそも日本語的には良くても英語にするのが難しい(もしくは凄い長くなる)みたいなのもあってスケジュールは大幅に遅延
課題が出てきたときもシーケンス図とかE-R図とか全部日本語で作られてるのでソースを見てから図を見ても理解に時間がかかる
バグ修正でカラム追加やAPI追加するときにもいちいち日本語名と英語名を付けないといけなくて滅茶苦茶めんどくさい
似たような名前の取り違えとかも起きてバグが増えてプチ炎上してやってられん
マジで日本のITが遅れてる原因は日本語問題なんじゃないのかな
最近Twitterで「リクルートプロダクトデザイン室」とかいう広告が流れてくる。最初はリクルートが商品のデザインでも始めたのかと思ったけど、この室はリクルートの各種サービス=プロダクトを総合的にディレクションしていく=デザイン、な部署ということらしい。
あのさあ。
「プロダクトデザイン」って言葉は長い間工業デザイン(インダストリアルデザイン)という意味で用いられてきたわけですよ。工業デザインの分野で日本で一番の多摩美もずーっと「生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻」でやってきてるわけ。それを、「最近サービスのことを”プロダクト”て呼ぶのがいけてるよね → それを担当してる俺らってプロダクトデザイナーじゃね ドヤ」って感じで俺らはプロダクトデザイン室でございって言い出してるの、気持ち悪すぎるわ。学問の軽視。工業デザインの伝統への挑発。これこそ文化の盗用だと思うんだけど、まあ完全なる社会悪であるリクルートのことだからなんの罪悪感もないんでしょうね。
数年で加水分解してボロボロになってしまうのに、なんでポリウレタン使うんだよ。
肌に直接触れるからボロボロになった時点で(その部分だけ交換するとかしない限り)使えないじゃないか。
安い割に見た目が良くて肌触りもいいから?
それ以外に何か理由があるのか。
安物を買った俺が悪いのか。
でも安くないVRゴーグルでも使ってないか。PSVRのゴーグルもボロボロなんだけど。
数年後にはこうなるって分かりきってるのに、なぜポリウレタン使うの?
数年後にもう使われてないだろうという想定なの?
それとも消費者をなめているの?
どういう思考回路で、ここの素材はポリウレタンにしようって意思決定しているの?
(見た目は多少劣るかもしれないけど)もっと耐久性のある素材はないの?
ポリウレタン以外の素材だと、一気にコストが激増するか、許容できないくらい使い心地が悪くなるとかなの?
プロダクトデザインとかやっている人、教えて。
本日AdobeによるFigmaの買収が発表され、私の愛するデザインツールは世のクリエイター達が唾棄するかの忌まわしいCreative Cloudの一員となることが決まった。ユニコーン以上の時価総額とされるデカコーン企業が開発する新進気鋭のクリエイティブツール、FigmaはAdobeの軍門に下ったのだ。
Figmaの最もクールなポイントの1つとして、そのデザインのあり方がとてもオープンだということが挙げられる。ワンクリックでURLを発行して共有、ブラウザ上で動作するのでインストールも不要、OSも関係ない。PCに疎いクライアントだって簡単にデザインのチェックができる。
これは単なる "Easy to share" ではない、デザインプロセスに変革をもたらしデジタルプロダクトのデザインを開かれたものにした。デザインのあり方そのものを変えたことがFigmaの最もクールな部分であり、Sketchと比較して動作が軽快なことやAdobe XDよりもカラーマネジメントがまともなことは本質ではない。
一方 Adobeの提供するCreative Cloudは本質的にGated Communityであり、毎月5000円程度の "Adobe税" を納めた者だけが居住を許されるエデンである。問題は金額の多寡ではない、一般のユーザーはAdobe CCなんて契約していないということ、そしてAdobeはAcquireした数多くのプロダクトをぶち壊してきたということだ。
Macromediaを買収したAdobeはFireworksのサポートを打ち切り、FLASHを亡き者にし、Dreamweaverを倉庫の片隅に追いやった。大方のデザイナーはFigmaの代わりにXDが無くなると予想しているが、Figmaだって無傷では済まないだろう。Figmaを取り巻くクールなコミュニティは、クリエイティブの皮を被ったM&A企業 Adobeによって、クリエイティブ市場のコントロールのために骨抜きにされたのだ。
Figmaを愛用してきた私たちはどうするのか。Figmaが買収されると聞いて目の前が真っ白になった。オマケに相手はAdobe。これはCloudじゃなくってFogだ。
Figmaの対抗馬としてはSketchやInVision Studioが挙げられる。しかし、すぐに飛びつくのは尚早かもしれない。Sketchはかつて日本の、特にエンジニアに愛されていたがFigmaのほとんどのユーザーを奪われた過去がある。InVision Studioは? オタクのデザイナー以外誰も知らないだろう。
しかし希望はある。すべてのクリエイターはAdobeがヘイトを集めていることを知っているのだ。機を見るに敏と、デジタルプロダクトデザインのアプリ達は猛攻勢をかけるだろう。私たちはその可能性に賭け、できるだけクリエイティブ業界の勢力図がカオスになるよう努めるべきだ。そもそもクリエイティブの市場がほぼ一社に独占されているのはかなりマズい状況だ。"クリエイティブたれ" と言われたみんなが同じ筆しか使えないのは正常なんだろうか? これは業界全体の敗北といっても良いだろう。
クリエイティブ業界を札束で引っ叩き、そのイニシアチブを取って業界のコントロールのみに奔走するAdobeに私たちは立ち向かわなければならない。この業界が完全にAdobeに支配されることはデジタルデザインの死だ。そのとき、"Creativity" の意味は "Adobe Score" なんかと同じものになってしまうだろう。
激しく同意する
GCPに限らずGoogleってプロダクトデザインが下手すぎる気がする。
コンパネであっちでコレを設定、そっちでコレを設定て手順に「一貫性」が無いからピンと来ないんだと思う。
例えばGCPでGoogleMapの設定をしようと思っても具体的にどうやったら良いかがUIから見えてこない。
結局チュートリアルみたいなサイトの手順のままやってやっと出来る。まだチュートリアルがあるなら良いけど、時間が経ってUIが変更されたら迷った挙げ句分からなくなる。
Firebase Cloud Messaging(FCM)を使いたいな〜て思っても、Firebaseのページから設定するのが正解っぽいがGCPにもFCMの選択肢があってどっちで設定していいのか迷う。
逆もまたしかり。
「デザイン」とひとくくりにされがちだけど、
畑が全く違うのである。
佐藤ナオキ氏のサイトで作品を見てもらうと分かるように、プロダクト作品が10ページに渡っているのに対して、グラフィックは2ページだ。
その道のプロではないのだ。
パッケージデザインの作品もあるけれど、今回の件と同じく分かりにくいものが目につく。
佐藤ナオキ氏(というかnendo自体)はプロダクトデザインの人、という印象だったので、今回の件はちょっとびっくりした。
例が1つしか示せないのが申し訳ないけど(しかも何年も前のことを未だに言ってて二重にごめん)、セブンイレブンのクソ分かりにくいコーヒーのやつのデザインは、佐藤可士和氏。グラフィックデザイナーです。
あとなんかのブコメで「最終決定はクライアントなので氏を責めるべきではない」というのがあった。
これは一概にそうとは言えなくて、クライアントは言うてもデザインの素人なので、ようわからんが有名な人が良いというんだから良いんだろう、という判断をしてしまうことはある。
クライアントが船頭になって道を誤ってしまうことはよくあるが、今回のは違うと思う。
なんせ素晴らしいプロダクトをたくさん作ってる人なので、本来の土俵じゃないとこでこんな結果になってしまったのはなんとなく悲しい。
デザイナーになりたい、漫画家になりたい、アニメーターになりたい、3Dモデラーになりたい、職人になりたい‥そんなクリエイティブ職を目指す皆さん、ならびに搾取され続ける地獄を味わっている最中のクリエイティブ職のみなさん、こんにちは。こんばんは。
ところで、デザイナーって言葉の響き、めっっちゃかっこよくね?仕事内容はともかく名前は本当に好きだわ。
わたしはデザインが好きだった。ので、デザイナーを目指しそれっぽい専門学校を卒業した。そして企業に属するプロダクトデザイナーになった。
デザイナーというと響きはかっこいいが、しがない企画職である。転職は一度したものの、今の職場は安定して勤めていた方である。
そして少なくない年数勤めた結果、体調壊した。体調を壊すまで、わたしは頭がおかしくなっていることに気がつかなかったし、搾取されていることにも気がついていなかった。こんなもんかと納得し、騙し騙しなんとかやっていこうと思っていたのだが、遂に顔面が痙攣し始めて退職することと相成りました。
漫画家になりたいと言って周囲に反対されない若者はそんなにいないと思うが、デザイナーも然りだし、クリエイティブ職なんてもんは目指すもんではない。一部を除いて搾取され続けることを約束された未来である。
そんなわけで、私の体験したことを愚痴としてここに書き残しておくので、クリエイターを目指そうと考えている若者に読んでもらえると嬉しい。
私の所属する会社がお客様として相手をしていた企業は、某超大手キャラクターメーカーだった。某ネズミである。ネズミなんて何人もいるので察することは出来ないと思うが、ネズミが相手だった。
私はネズミのことが別にすきではなかったが、デザインしたりするのを、絵を描くことを苦に思ったことはなかった。何故ならそれがよくてこの職種を目指したからである。夢を叶え続けてかわいい商品が店頭に並ぶ時はとても嬉しかったし、楽しかった。お客さんが次々きては、これかわいい!買う!と言ってくれたときの喜びは計り知れない。開発段階での苦労や納品時のトラブルはすぐに忘れてしまえるほどの喜びだった。
ただ圧倒的に搾取だった、と気がついたのは、先方にデザインを盗まれたときだった。
勤務時間が長かろうと、残業代やボーナスが出なかろうと、寝れなくとも、私の勤めている会社に搾取されるのは、最早どうでも良かった。一般的に良くなくともデザイン業界なんてこんなもんだと、もはや諦めていたのはあった。休みが取れるだけマシだと思った。やりがいで十分お釣りがくるし、暮らせるだけいいと思った。
先方のネズミの企業にデザインが盗まれることが増えた。盗まれる、というと語弊があるかもしれない。提出されたデザインが私の勤める会社ではなく、他企業に回され商品化されることが増えたのである。
理由はいくつかあるだろう。先方にもいろんな取引先との関係性があり、商品数のバランスがあったりするだろう。先方にうちの会社の作るプロダクトはあまり品質が良くないと、たびたび苦言を呈されることがあったりすることもあり、会社内でもチームでなんどもミーティングを行い、改善してきた。うちの会社の信頼度が落ちていた、そのせいはあっただろう。
それでも、何も言わずに、私が足りない頭を働かせて提出したデザインが、夜中まで考えて描いたデザインが私が携わることなく何故か店頭に出回っている。あのときの私の虚無感は、口にすることが出来ないほどだった。
お客さんがお店に来て可愛いと言って買ってくれたとき、それデザインしたけど開発したのは他企業なんだよな、と思った時に悔しくて虚しくて仕方なかった。
私が本格的に体調にトドメを刺されたとき、私がデザインしたのに知らないうちに何故か店頭に並んでいる商品は1シーズンおよそ15種類にものぼっていた。
一度は復職しようと頑張った。体調が良くなり店頭に行ったとき、またデザインが盗まれていることを知った。また知らないうちに、先方に10種類ほどデザインを盗用されていた。
私の勤め先の会社で売り上げが落ちていると叱責された。だが私に何か出来たのだろうか。デザインを盗用されたと言ったら先方を訴えられるのか。うちの会社に回ってきて売り上げにつながるはずだった商品を別企業に回されていると言えたのか。あの大手企業を敵に回して生きていけるのか。
私は何も出来ず口を噤むことしか出来ない。
今の私は疲れ切っていて、日中頻繁に起きて動くことが出来ない。1日動けなかったり、食べても吐いてしまったり、とにかく怠かったり、耳がぷつぷつと水中にいるような感覚に陥ったり、外に行くと漏れなく吐き気が襲う。気圧差にかなり過敏になっている。
デザイナーなんてロクなもんじゃない。搾取されて搾取されて、大手企業ですら筋を通してくれない。商品を買おうとネット通販を見ても、この商品の裏には私のようなデザインを盗用されたデザイナーがいるのかと考えるようになってしまった。
デザインを盗まない。たったそれだけのことが誰にも出来ない。個人のデザイナーだってネットにデザインをあげれば、絵をあげれば盗まれる。何故そのデザインに金を払えないのか、何故その労力を買うことが出来ないのか、私にはわからない。
少ない横の繋がりでも搾取されて辟易としてデザインを辞めた人を何人も知っている。3DCADなどのプロダクトデザインも然りだ。
それでも私はデザインしかできない。デザインで生きていくことしか出来ない。それしか学んでこなかった。そのことを後悔している。なぜデザイン一本で学んできてしまったのか、心底後悔している。体調が良くなったら私はまたデザイナーになるんだろう。
こんなに辛くて苦しいならデザイナーになんてなるんじゃなかった。本当にそう思う。
【追記】
もちろん個人的な妄想だと本文に書いている通り、まじめに読んでもらわなくていいです。
間抜けな仮説です。
(「結果があるので、いくらでも後付けで正当化できる」「過剰に意味を見出しすぎかもしれない」って繰り返し本文に書いてあるのに、それで突っ込んだつもりになられるのは反応に困るけど)
ただ「セブンカフェが何故売れたのか=あのデザインだからだ」ではなくて、
開発に2年もかけて大ヒットしたセブンカフェのマシンが何故「あんなデザインだったのか?」という話がしたかったのです。
わかりにくい文章でしたが。
また、佐藤可士和については手放しでほめるつもりはなくむしろ疑問な部分もあって、
下記のtogetterのような話がデザインやブランディングのプロから聞ければな、と思った面もあります。
(たしかそう思って書いた気がする)
https://togetter.com/li/469151
以下補足
機械自体がセブン主体なので「口を出せなかった」可能性は低いと思います。
「価格が安い」「セブンだから」が理由なら、セブンイレブンが数十年に渡り4度も失敗した説明がつきません。
マックのコーヒーや、映画館にある自販機のコーヒーが昔から売れていたのに、セブンを含めたコンビニがコーヒー事業で30年間失敗し続けてきた、という部分が話の根本にあります。
セブンカフェが売れた主な理由はもちろん「味」だと思いますが、
なおさら「使いにくいデザインが根拠もなく採用されるのはおかしいのではないか?」と思ったという話です。
それに、味だけが理由ならそれこそあんなクソデザインはすぐに修正すれば済みます。
でもそれをしなかったんです。
それだとセブンカフェの1、2年前にコーヒーにチャレンジしたローソンやファミマが先に成功していないことを説明できません。
実際には2社は一旦サービスをやめ、セブンカフェ成功の後に再開した流れです。
https://toyokeizai.net/articles/-/47750
https://toyokeizai.net/articles/-/51509
本文を書いた前後に小規模なデザインリニューアルをしたんですが、リニューアルまでに5年くらいの期間があったんじゃないかと。
5年も経ってからというのは、失敗が理由のデザインリニューアルではないと思います。
「デザインがよければ『シェア6割』よりももっと売れた」可能性があるのなら、普通は5年も待たずにすぐにでもリニューアルするかと。
その時点で客からのマシンに対する不満はわかっていたはずであり、リニューアルも出来たと思います。
(RLのボタン名称変更などは低コストですぐできるし、そのためのテスト期間です)
さすがにコーヒーチェーンの売上を抜き去り、コンビニコーヒーを消費者物価指数にまで押し上げ、業界6割を誇るシェアとそのプロダクトをただの「無能」で片付けられる人向けの話ではありませんでした。
「むしろこの程度のこと」すら考えられなかったらデザイナー、それもブランディングを手がける人には絶対なれないんですけど。
(本当はこの1億倍こまかい)
「考えすぎ」だと思う人は、仕様書を作った経験などはないんでしょうか?
世の中のサービスやプロダクトが何も考えられずに作られてると思うんでしょうか?
本文の内容通りの思惑があったとは自分でも思いませんが、「何らかの見通しがあって作られている」とみるのが普通です。
過剰な決め付けは禁物なんですけどね。
なんにせよ、こんな長文を読んでいただいてありがとうございました。
【追記おわり】
この記事のコメントで相変わらず佐藤可士和が馬鹿にされている。おれも以前はセブンのコーヒーマシンを多少なりとも馬鹿にしていた。
しかし、コンビニコーヒーについて少し調べてみたら考えが一変した。実はこれも計算づくだったのではないかと思えてきたのだ。
いま、なんだ信者の戯言かよ、と馬鹿にした人がいたでしょう。でも、いったん待っていただきたい。
よくよく考えるとあんな出来そこないみたいなデザインと、セブンカフェの大規模な成功が結びつかないのだ。
まず、俺は勘違いしていた。
あれだけ叩かれたのだから、セブンカフェのコーヒーシェアは高くないのだろうと。
そして、コンビニで出来たてのコーヒーを出せばそりゃ売れるだろう、デザインもクソも関係ないアイデア勝ちだなと。
しかし違った。
セブンカフェのシェアは6割超の独り勝ち。圧倒的な人気で売れ続けているのである。
そしてアイデア勝ちなんてとんでもない。
日本のコンビニは、1980年代からコーヒーマシンを導入しようとして、2013年まで30年間ずっと失敗し続けてきたのだ。
2000年代にも売り上げが伸びずに、セブンだけでなくファミマやローソンがあきらめた事例もあるようだ。セブンの試みも5回目の挑戦らしい。2013年のセブンカフェのために開発に2年もかけていたようだ。
こうなってくると事情は変わる。
今やスタバやドトールなどの売り上げを抜くほどコンビニコーヒーが浸透したという記事も見た。こんな成功を納めるきっかけになった事業が偶然のわけがないし、一番肝心なマシンのデザインを適当な仕事で済ませるわけがない。
佐藤可士和というデザイナーに簡単に触れると、シンプルなデザインを手がける事の多い人だ。
Tポイントカードや今治タオルのデザインがわかりやすいだろう。
そしてシンプルなインターフェースのコーヒーマシンでボロクソに叩かれた。
シンプルというのは、要素が限られるということだ。右や左、上と下という感覚はその中でも大きな基準になる。
佐藤可士和どころか全デザイナーにとって当たり前のことだが、左右とLRという表記が逆になっていたら使い難いことくらい、気づかないわけがない(素人だって気づく)。文化大革命時の中国で「赤信号が進め」になりかけたみたいな話だ。
コーヒーマシンのようなプロダクトデザインが出来上がるまでには、長いプロセスがありテスト使用だってある。
身近な家電製品が出来上がるまでを想像してもらえれば早いが、市場調査や企画やデザイン、機械の調整など、様々な検証がされた末に製品化される。
当然、あのコーヒーマシンが使いにくい事は、プロセスの途中で関係者全員がわかっていたはずだ。
それなのに、絶対成功させなければいけない30年越し5度目の挑戦でああいうデザインにしたのは、わざととしか思えない。
普通ならば失敗を何としてでも避けるため、左右のわかりにくさなど、いの一番に潰すミスだ。
佐藤可士和が無理に推し進めたにしても、絶対セブンの偉い人からストップがかかる。だって悲願のコーヒー販売のために開発に2年もかけてるんですよ。意図がなければリスクは取らないはずだ。
ではその意図はなんだったのかというと、「使いにくいことそのもの」ではないかと思うのだ。
ここからは、乏しい想像力による推測というかほぼ妄想でしかないために一気に話が飛躍するが、堪えていただきたい。
日本人には、行列に並びたがる性質がある(らしい)。飲食店での紹介には「行列」は欠かせない文句だ。
あの使いにくいマシンはそうした「行列効果(バンドワゴン効果)」と、「炎上商法」そして「学習した事はやってみたくなる」という効果を狙ったのではないかと思う。
客が店内に入ると、レジ近くの目新しい機械の前でモタモタしてる人がいる。客はセブンがコーヒーを売り始めたというニュースを思い出す。店内にはコーヒーのいい香りが漂い、コーヒーマシンの前に並ぶ人も増える。
しかし実際使ってみると、非常にわかりにくくて混乱する。行列も増える。なんじゃこりゃ、誰が作ったんだこんなマシン、テプラが貼られてたぜ、酷いデザインだなとネット上では炎上気味に話題になる。
しかし、たかが左右の使い分けくらいは一度使えば覚える。いやむしろ、覚えるというアクション自体がユーザー体験になるし、セブンに行くたびにその事を意識する。なんなら汚く貼られたテプラも記憶に残る役割を果たす。
コーヒーは習慣性のある飲み物だし、人間はわざわざ覚えた事は実践してみたくなる生き物だ。それに実際飲んでみると、低価格とは思えない程度には美味しい。
そうやってリピートしてみて、スムーズに操作出来る自分と、コーヒーの味に満足感を覚える・・・
と、こういう画が描かれていたのではないかと思うのだ。もちろん、セブンカフェの成功とトップシェアという結果があるので、いくらでも後付けで正当化できる。
しかし佐藤可士和はマシンのデザインだけではなく、セブンイレブンのブランディング自体も担当し、セブンカフェの細かいアイテムのデザインも担っている。
そしてこのアイテムの内、カップのデザインこそ、あまり話題にならずに見落としがちだが、他のコンビニとの差別化の要因になった強力な武器と言われているのだ。
コーヒーがホットで注がれても熱くなりすぎることがなく、手のひらの中でちょうどいい温かさを得られる。
滑り止めがついていて扱いやすいし、手触りも抜群に良い。
RのカップでLを押し間違えても、ぎりぎり収まるサイズにも設計されている。(内容量についての詐欺説は悪質な嘘なので注意)
間違って蓋をつけたままマシンに入れてしまっても、ちゃんとコーヒーが注がれるように注意を払ったデザインが蓋には施されている。
他のコンビニと比べ、これだけこだわったデザインをカップに施した人が、マシンについてはただの無頓着だったとはやはり考えにくい。(マシン自体もカップを斜めに設置しないようにスペースが工夫されていたりするらしい)
上記の解釈が正しいかは別として、消費者の行動を踏まえた何らかの戦略があったことは違いなく、だからこそ30年も失敗し続けてきたコンビニコーヒーの導入に大成功したのだ。
繰り返すが、あの「使い難いコーヒーマシン」からコンビニコーヒーの躍進が始まったのだ。そして2015年には、コンビニコーヒーは総務省の消費者物価指数に加えられるまでの巨大市場に至ったのである。
以前の俺は違うデザインのマシンならセブンのコーヒーももっと売れただろうにと上から目線で思っていたが、こうした事実を知ると間違っていたのは俺のほうだった気がしてくる。
佐藤可士和の全仕事が素晴らしいとは言わないし、セブンのコーヒーマシンの意図も正確なところはわからない。だが、馬鹿にするだけでは見えないこともある。
コンビニ業界の悲願の達成、日常の消費をここまで変えた商品という結果はやはりすごいことだし、その一部は佐藤可士和の手によるものだ。
過剰に意味を見出しすぎかもしれないが、彼を馬鹿にしている人も、そのことはほんの少しだけでも覚えていてもらいたい。