はてなキーワード: 学費とは
そのため高卒、独身、貯金ゼロ、引きこもりという3Kも真っ青の不良債権になってしまった。
区切りをつける決心も準備もないまま30を迎えた。
同年代の話を聞いてみると、子育ての話や同居、昇進の話が飛び交っていた。50でリストラされ無職の父と、破産した弟に挟まれ細々と働いている私とは別世界だ。
無気力になったきっかけは大学の願書を破られたことだ。学費を理由に進学は許されなかった。
ただし高卒で入れる会社は総じて低賃金で、12年働いた今も手取りは20万未満だ。
大学や奨学金の話を見ると、社会人をしながら受験しようとした過去を思い出す。
私は一年で諦めてしまった。残業があれば勉強する時間は取れず、一年働いて国立二年分の学費しか稼げない。奨学金は両親の記入する欄があり使えなかった。
社会人をしながらの受験は大変な労力が必要なので、進学したい子が不安なく勉強でき、のびのび研究できる環境を切に願いながら、今日もリセットのきっかけを求めている。
やれ女には学歴なんて必要無い大学だって金の無駄だ、長男様が家業を継ぐ為にお前ら(母・叔父)も仕事辞めてサポートしろ、
とにかく長男に従え一切逆らうな、みたいな当時でも少し古めの考えの人間ばかりで、家にいた頃から成人してからも凄く苦労してきたという。
だから私自身は特に進路も何も口出しされなかったしノビノビやれた。
幼い頃から「何で母親は兄に対してやたらと口うるさいし、厳しいんだろう?」と幼いながら思っていた。
兄は私の目から見ても、真面目でどちらかと言えば大人しい方で、何も言わずに勉強して成績も上位をキープしていた様なタイプだった。
一方私はどちらかと言えば適当なタイプで、勉強もスポーツも大して出来ないし、高校の頃は周囲に影響されてギャル化してよく夜遊びもしていた。
けれど、いつも本当に細かい所やどうでも良い様な事で、母に厳しく注意されたり怒られていたのは、常に兄の方だった。
私は色々遊んでても、遊びすぎで成績が落ちても「次から気をつけなさい」ぐらいで特に怒られはしなかったのに
兄はちょっと成績が落ちた(90点代~100点が、一教科だけ80点後半だった)みたいな事でも
「こんなに成績を落とすなんて!お前は努力が足りない!もっと勉強しろ!」
とか、私の部屋に聞こえるぐらいまで大声で怒られていた。
そんな母が怖いのか、父も空気になったり、母に同調してやんわり注意したりと、兄にとっては凄い居づらい家だったと思う。
私も兄と二人の時は普通に接するけど、母の雰囲気が怖くて、兄が理不尽な事も怒られたりしていても、何も出来なかった。
私にとっては母はおおらかで良い母親だったと思う。それだけに兄への態度が何でこんなに厳しいんだろう?って思っていた。
大学進学の時も、兄は奨学金で大学行け、小遣いはバイトして稼げ!って感じで一切援助も何も無かったが
私は浪人しても良いとすら言われていたし、学費どころか一人暮らしのお金も全部出してくれていた。
さすがにこれはどうかと思って、母にそれとなく聞いたら「(兄は)男だから良いの。男なら自分の力で大学ぐらい行かなきゃ」って言っていた。
結局兄は大学卒業・就職してから一気に疎遠になった。電話にもいつも出なくなり、恐らく着信拒否されているか、番号を変えられたんだと思う。
連絡すら取れないから、両親が亡くなっても葬式にすら来ないだろう、という程度には縁が薄くなってしまった。
母は「どうしてこんな事になったんんだろう?ちゃんと分け隔てなく育てたのに…」って言っていて、さすがに正気を疑った。
でも母の中では差をつけている自覚が本当に無い様で、便りも何も無い事を本気で嘆いていた。
恐らく母は、男尊女卑家庭で育って苦労した鬱憤を、本来は伯父や母方の祖父母にぶつけるべき不満を
兄という「男」に対してぶつけていたんだろうなって思う。悪く言えばただの八つ当たりだった。
結局母は、自分が男尊女卑家庭で育って散々苦労したのに、兄に対しては同じ様な苦労をかけさせてしまった。
インターネットの言論では男児に厳しくしろ、厳しくして育てるべき、少しでも粗相したら厳罰を、厳しく育てて正しい男女観を育てよう、
男児は男児の頃から去勢すべき、といったママ達や彼女らを支持する人達の書き込みが目につく。
知人や(元)友人にも、似たような考えの人はいた。
彼女らの家庭環境はそこまで詳しくは知らないけど、もしかしたら普通の家庭に見えて、家庭内では凄い嫌な思いをしたのかも知れない。
それが原因で男嫌いのフェミになったのかも知れないけれど、そんな彼女らが子供を厳しく(理不尽に)育てたら
そんな育て方をされて歪んでしまって異性憎悪を拗らせても不思議では無いと思う。母の様に。
5ちゃんねるに暇アノンが「更なる火種か 社会の闇を次々暴いていくの凄いな]と暇空への賞賛を書き込む
ザンギエフ、「暇空が放火して回ってるだけじゃんw 最早社会の害悪レベルだよw 」とレス
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ザンギエフ、Twitterにアカウントを作り相談しあうように
ザンギエフは毒親のもとから早くに自立して高校の学費と家賃を自分で払い、就職後に労災で身体障害者になり生活保護受給中
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ザンギエフ「裁判起こされたら俺絶対負けるんだけどね、弁護士雇う金もなければ裁判所まで移動する事も出来ないから」
暇空「生活保護がどんな暮らししてるかみんな興味あるよね。勝ったら動産回収かけてどんな手段でも取り立てる。ザンギエフの生活晒すわ」
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暇空「ザンギエフがガチガチに弁護士の書いた書面出してきたんだよね 善意で弁護士がついたとおもう?生活保護に? 俺は生活保護が嘘で、俺を諦めさせようとしたけど、俺が諦めなかったから弁護士つけたんだと思う」
弁護団に1億円以上課金している暇空、無償で動く弁護士の存在を信じられず
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私立を先に受けて合格したら少し難易度上げて公立にチャレンジするか、妥当なレベルにするか。
そんな駆け引きがあった。
両親ともに必死で働いていた。
ともかく私立を受験させてもらえなかった、受かっても学費が払えない。
普通の家庭はそれでも念のために受験するのだが、公立一本が親の方針。
私立を受けていないので公立は確実に受かる下の下の受験しか認められなかった。
俺は頭が良かった、中学でやらされたIQテストは相当スコアが高かったらしい。
しかし、そう、頭が良いのが欠点だった、俺は猛烈に怠惰な人間だった。
なんとかなっちゃうんだもん、そりゃ世の中ナメる
アホ街道まっしぐらで大学受験にも失敗し専門学校にしか進学出来なかった。
ともかく、なんやかやで今でも生きてるが
不幸か?
能力よりも下のところで生きるの楽でいいんだわ
2,3時間労働すれば周りと同じアウトプットが出せちゃう、器用だから。
あぁこれが塞翁が馬かと
そんなもんわからんじゃん
思い通りの高校に入ってたら、悲惨な出会いや経験になってたかもしれない
逃した魚は大きい、入るはずだった高校に入れなかった事件が中学生にとって大きな人生のターニングポイント、転落の序章に感じるのもわかる
が、人生に大した影響は無い
アホはアホなりの人生だし
利口なら高校がどこだろうがどうにかなる
大した問題ではない
マスコミ大騒ぎしてるが、アホかとw
2000円
売上や寄付金は全て「恵まれない家庭の女子児童とその家族をイメージビデオ出演、ジュニアアイドル活動を条件に生活面や学費面で支援する財団」の設立費及び運営費に使う
なんで僕をいじめるんですか
僕は精神薄弱者で、大学生活で一人暮らしをしていたらストレスに耐えられず発狂して精神病院に何度も入院して、
いじめないでください
暇空茜が敗訴した際の判決文で、「両者に争いのない前提事実」として「堀口英利は学生である」と記載された
しかし敗訴してヤケになった暇空と暇アノンは堀口への中傷をより過激化
「堀口は親に、病気の医療費か、学費か、どちらか一つを選ばされて医療費を取っている」という自説を披露
そして堀口のその病気とは詐病であり実際には親からせしめた金でシンガポールや韓国など各国の風俗を渡り歩いて遊んでいたと主張した
ソースは、堀口のインスタから画像を転載して堀口の複垢を名乗っている鍵アカウントであり、
鍵垢なので「タレコミ者」しか見ることができずスクショは出回っているが魚拓はないという怪しいもの
「堀口のことを言ったのではなくその鍵垢の話をしているだけ」と暇空は言い訳もするが、たびたび「堀口」と口を滑らせるしTwitterでも開き直って堀口だと言う
暇空茜、またその弁護士である小沢一仁、渥美陽子、松永成高、垣鍔晶は、裁判では学生であることについては争わず認めた
それなのに敗訴した途端に「やっぱり学生じゃない、金を使い込んで買春してる」と暇空は主張し、弁護団はそれを止めもせず放置
敗訴したことを認めたくない人たちにとって、勝った側が誹謗中傷に耐えられなくなって自殺してくれたら溜飲が下がるのだろう
大学の行財政関係科目の教員をやっているのですが、民青が受験シーズンに合わせて受験生を大学近くで勧誘しててモヤモヤしています
というのも、
①自分が見たときは通行できなくはなく、通行はスムーズだったもののの、道路を占有して椅子と机、看板・のぼりを広げて活動していて、ただ単に立って勧誘をしている予備校関係者や不動産屋に比べて明らかに邪魔、
②大学の学費について該当の人にシールを貼ってもらって意見を聞くボードをもっていたのですが、日本とは大学の位置付けが異なる国(フランス)の話をして『そこだけ切り取っても、、、』と純粋に自分の専門の観点から思った
③制服姿の受験生が(まんまと?)勧誘されて、入会届的なものを書いているところで、大学に受かってからサークル活動やゼミがあったり、授業で色々なことを学ぶ機会があったりするのに、そういう機会に出会う前に特定の政党の指導を受ける団体に入ってしまうことが残念
ということをそれぞれ感じたからです。
民青の指導団体の主張についてはさておき、こういう形で受験生を勧誘してメンバーにしていくのはちょっと頂けないなあと思ってしまいました。
色々と選択肢がある中でアピールをして民青に興味のある方から選んでもらえる組織なのであれば、健全だと思うのですが、まだ合格かわからない学生をデフォルメした主張をしつつ道を占有して勧誘しているのはどうなのかなあと思ったり。
とは言え、別に高校生を勧誘するのは高校生活で色々な選択肢を見てきた高校生にアピールして選ばれたということでもあるのだから問題ないとと思うし、受験生は大抵成人しているのだから、成人しているのであれば勧誘に乗るのは自己責任でもあるし。
・父
・母
・第一子 (以下,私)
・第二子 (以下,二号)
2002年生まれの大学3年生.幼稚園から大学の学科まで私と同じ.
・第三子 (以下,三号)
大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.
・理系の,
・国公立大学に,
・予備校などには頼らず,
・現役で合格すること.
これら全てを満たせば学部を卒業するまでの生活費も学費も払ってくれるという.
私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.
同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.
が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校を中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれた環境にいるということを私は知っていた.
そして私は父の出した条件に従うことにした.
・A大学
通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・B大学
通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・C大学
通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験は得意科目の配点が大きい.
A大学にどうしても通いたかった私は,合格の可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.
私はC大生になった.
入学一週間後には,自分が大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.
シラバスを読む限り1年生の講義は高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.
1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.
やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.
私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センターの数学で65%しかとれないくらい勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.
やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義を毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.
堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.
その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京で一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人も視野に入れているという.
一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.
私は理解できなかった.親の方針って,絶対的なものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.
親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.
与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ.
はっきり言ってこれは逆効果だった.
医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.
結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.
だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善し大学へ通えるようになった.
真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.
通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語の先生に相談したら週1でレッスンをしてくれた.
特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.
進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.
その部屋には布団とトイレと監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集も勉強もできなくなった.
数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.
入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.
入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.
昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.
夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.
二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.
三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.
春からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.
アメリカにありそうなスラムみたいな学校へ行くと、日本であるにも関わらず当たり前のように修学旅行全員参加じゃなかったゾ
ワイの学年は5クラスあったけど、たしか2〜3クラス分くらいしか参加しなかったんじゃないかな?
ワイも金もったいないからサボったもん(学費は自分で払ってた)
ワイに良くしてくてた聖人みたいな先生は『立て替えようか?』とか言ってくれたが、
修学旅行ですらこれなんだから、運動会・文化祭も当然バイトをもりもり入れられる期間としてみんなサボりまくり
遊ぶのとバイトで忙しい生徒らに部活を強制なんてことは起きるわけがない
地方の目上の人を立てる文化と、出来るだけみんなと同じにしよう・余計なおせっかいをしよう文化は、素晴らしい👍とは思うが、
ここは、自分自身の心に沿って決断するのと、親が子の特性と成長に合わせてフォローするところだと思うな
現代(令和・平成後期)はスラムみてーな学校(or地域)じゃなくても、
子供も全員小学校を卒業する歳になり、いよいよ「子育て」として苦労するフェーズは終わりつつあるような気がするので振り返りたくなった。
タイトルの通りだが、マジで全然大変でも何でもなかったので、みんなじゃんじゃん子供を作って欲しいし、さも大変かのようなアピールをしている人たちは何が大変なのか普通に教えて欲しいくらい。
前提として、うちは福利厚生の手厚い会社に勤める妻が仕事を継続し、フリーランスで仕事をしていた俺が家事と育児をメインで担当していた。
振り返ってみて、強いて言うならやはり生後1年くらいまでは少し負荷が高かった気もする。
夜泣きの対応に追われ、慢性的に寝不足の状態ではあった。基本は俺が対応していたが、妻の眠りも確実に妨げられており、妻の方にも支障は少なからずあったと思う。
とはいえ俺は家にいる間は好きに昼寝したりできたから、間違いなく仕事をしている妻の方がしんどかったと思う。
さらに言えば俺なんかは社会人時代の方がよっぽど寝不足と通勤で削られていたので、それに比べれば全然マシだと思っていた。
普通にサラリーマンよりも大変だと主張している人たち、そのキャパシティで社会に出たら終わってただろうから子育てに従事する側の選択でまだ正解だったと思う。
もちろん食事やオムツの対応に加えて、泣くたびにあやしたり、あとは(効果があったのかはわからないが)発育のためにコミュニケーションを取ったりテレビを見せたりしていたが、そんなもんだった。
誤飲とかは怖かったから目の届く範囲にはずっと置いていたし、誤飲するようなものは手の届かない場所に整理したりしていたので、結果として大きなインシデントはなかったと思う。
その頃には多少自分の仕事も再開していたが、社会人時代を思えば暇で暇で仕方がなかったし、子育ての過酷さを聞いていただけに、拍子抜けだった。
2人目、3人目がそれぞれ2つ違いでいたので隔年で新生児対応をしていたのはややしんどかったが、2人目以降はある程度手慣れてくるし、手の抜き方もわかってくるので3人兄弟でもそこまでハードではなかったと思う。
幼稚園やら小学校に入ればいよいよやることも無くなるし(保育所に入れないという問題はあった)。
あとはスケジュールが読めないという点は少し難儀したかもしれない。
本当にびっくりするくらいの頻度で体調を崩して熱を出すので、その度に病院へ行ったり看病をしたりする必要が生じていたのはちょっと面倒だった。
ただ、そこで生じるイレギュラーなタスクそのものは大したことはなく、結局はこれも俺が仕事をしていたから、そのスケジュールが狂ってしんどいというだけだったので、専業主婦でこれを大変な理由に挙げる意味はやっぱりわからない。
全体として、本当に子育てはクソ簡単で、マジでしんどいことなんてなかった。
俺は怠惰だから、タスクを書き出して整理したり効率化のために何かを組んだりするのが面倒で、かなり場当たり的に(効率の悪い)子育てをしてきた自覚があるが、それでもこの感想なんだから、ちゃんと事前に対策を取れば本当に余裕で子育てを終えられると思う。
どちらかというと、子供の中受にかかる塾代やら学費やらがかなり重たくなっており、これからはまた仕事を増やさなくてはいけないのが憂鬱だ。
GMARCH以下の私大文系に進んでも学費回収できずバカにされる人生しかないことが普通社会人ならわかるだろうに