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はてなキーワード: 収容所とは

2021-12-11

グラブル、令和にもなってきのこたけのこ戦争ネタで喜ぶような、頭が昭和、とまでは言わないが平成前半からアップデート出来ていないような老害寸前の人々の収容所って感じだ

2021-12-06

anond:20211206154059

いまウイグル収容所の話をしてるんだけどえ

つごうがわるいときの話そらしがうまいなあw

2021-11-20

最近増田よりふたばの方が治安がいい

増田が明らかに民度が下がってキッズレベルマウント煽りが増えてる。

自虐だったのが、今は本当に掃き溜め収容所になってる感じがする。

2021-11-19

幸せになりたーーーーい!

宇宙ができてから138億年、地球ができてから46億年。一瞬で終わる俺の人生ナチス収容所で殺されたり特攻隊で死んだりした人もいたわけだから俺がこのまま特に何も良いことがないまま死んでいくのは何もおかしいことではない。俺はなぜか今辛かったらどこかでそれをプラマイゼロにするすごいことが起きるんだと無根拠に信じ込んでいた。でも実際にはそんなことなくて何もないまま、もしくは不幸のどん底死ぬ可能性も十分ある。事故即死とか寝たまま死んでたとかもあり得る。幸せになりたーい。今は幸せ?いや幸せじゃない!リスクを取っても何かやらないと何も良いことがないまま死んでしまう。もう今年で23歳だよ。まだ若いじゃん!とかいう人いるけど23歳は若くない。死まで一瞬だよ。幸せになりたい。

2021-11-04

anond:20211104091501

アナタそれ騙されていませんか?

…そこは収容所ではありませんか?みんな処刑の順番を待っていた、という。

2021-10-23

ハロウィーン渋谷に集まる人って頭おかしいんじゃないの。

なんで渋谷に集まるの?そしてなんで集まるなって言われても集まるの?

バカで頭に障害でもあるんじゃないの。

集まるなって言っても集まる奴らはみんなどこか収容所にでも押し込んでおけばいいんじゃないの。

どうせ人語を理解できない畜生以下のなまものでしょ。

2021-10-22

anond:20211022053855

ナチスシーメンスユダヤ系企業排斥し、ユダヤ人収容所収容

 

イーゲーファルベンやシーメンスが、収容者を工場で働かせたという話は

 

イーゲーファルベンはガス室に関与しており戦犯企業となったが、シーメンスは不当労働についての賠償のみでしょ

シーメンス銀行がしたユダヤ排斥は罪にならなかったようだね

2021-10-16

anond:20211016160332

とはいえそもそも収容所が完全にキャパオーバーで統制を失い、脱走が相次ぎ、周辺の治安悪化していたので、見せしめのために囚人処刑せねばならない、ということを収容所側の偉いさんと合意のうえで実行した、という面はあるらしい。

anond:20211016155322

尋問中、虐殺動機について問われると、「何故収容所の人々を撃ったのか、自分にもわからない」と答えたという。

[]ヴィリー・ヘロルト

「エムスラント処刑人」として知られる。

1925年ドイツ生まれる。

第二次世界大戦下の1943年徴兵され、1945年3月、戦いの最中に本隊とはぐれてしまう。

そのときたまたま空軍大尉軍服を手に入れたへロルトは、それを着て大尉なりすまし

同じく本隊からはぐれた数十人の兵士たちを引き連れて、エムスラント収容所に到着した。

へロルトは、自分ヒトラー命令で動いていると偽って、そこの収容者たちを処刑しはじめた。

一週間ほどで200人近くが殺害されたという。

イギリス空軍の爆撃を受けたために、収容所破壊され、ヘロルトたちも脱出した。

各地を放浪しながら、ヘロルトたちは散発的に処刑を行った。

その後、一旦はドイツ軍に逮捕されたが、混乱のなかで釈放され、そのままへロルトは逃亡した。

終戦後の1945年5月23日に、パンを盗んだ罪でイギリス軍逮捕されて、あらためてその戦争犯罪が発覚した。

そして1946年11月14日、へロルトの命令にしたがった何人かの兵士とともに、ギロチン処刑された。享年21。

2021-10-08

anond:20211006211009

共産主義の是非なんて戦前からずっと検討されているから、良い面も悪い面も出尽くしている。その上で現状があるわけで、今の状況で再検討しても新しいものは出て来ない。

色々な書籍でさんざん検討されているので、まずはそれらの本を読んで欲しい。新書がとっつきやすい。

ざっと解説するなら、

共産主義個人資産所有を禁止国家の所有と個人への貸与という形に移行する。これは富の再分配効率良く行うため。

→所有欲は個人が持つ基本的欲求だが、それを否定するところから始まっているので既にひずみがある。所有欲が満たされない場合は前向きな動機付けが損なわれ、それを補完するために後ろ向きな動機付け強制労働収容所送り)が強化される。

富の再分配は、分配される前に集約される。この集約時に、抑圧された所有欲が得てして汚職という形で姿を現す。目の前に山ほどの札束が合ったら少しくらい貰ってもばれないって思うでしょ?

・富の生産政府コントロールするのは強権と知能が必要

→知能については、政府コントロールより市場原理の方が優れている。戦後証明された。

→強権は相対的人民権利を下げることとなる。中国情報統制等はその一例。結果、個人利益は低下する。

・主な共産主義国はソビエト連邦中国ベトナムキューバ共通するのは、劣悪な状況を改善するための方法論として共産主義標榜したこと

→劣悪な状況が改善されると、弊害が目立ち、瓦解する。これがソ連

→未だ劣悪な状況にあるとの立場で引き続き推し進めているのが中国中華世界の中心を名乗っていたころに比べたら未だ復権は成っていないとの立場

大分良くなったので市場に関しては市場原理に戻したのがベトナム

大国アメリカが近くにあり、気を抜いたらまた革命前に戻ると思っているのがキューバ

東欧ソ連衛星国は、ソ連テコ入れ西欧との緩衝地帯として赤化された面が強いので、共産主義国として検討するのはあまり意味がない。

まり、よほど酷い状況でなければ共産主義という選択肢は出て来ない。特に戦後ドン底を内需拡大復興してきた経験がある現在日本では、共産主義を取る必要性が薄い。

昨今の情報革新がそれに輪をかけている。

これから共産主義が出てくるとすれば、アフリカかな。

マルクス資本論は「すべてをコントールできる知能が市場政治コントロールする」という理論なので、かなりの理想論

今となってはその理想は「実現し難いもの」と認識されている。

「こうしたらいいじゃん!」が「出来ないんだってば」で反論しつくされている。

そのプロセスがあって今がある、ということを勉強した方が良い。

2021-09-18

anond:20210918145426

ジャップ清濁併せ呑む詭弁)」

ジャップ「白黒つけない(逃避)」

ジャップ「水に流す(忘れろ?いいな?)」

ジャップShikata ga nai (仕方がない)」

サンノゼ日本人街にある石碑にも刻まれてる、責任追求を放棄する呪文 ↓

「仕方がない」は日本人自己犠牲的な悲観性を表す表現として、多くの外国著述家によって指摘されている。

 

また、太平洋戦争時のアメリカカナダで行われた日系人強制収容において、収容所での絶望感と虚無感を克服するべく、「Shikata ga nai」というフレーズを頻繁に用いりつつ、そのような苦しい状況の中でも、挫けることな希望を見出そうとし続けていたと言われており、その精神性は現在でも日系人社会において根強く残っているという[2]。

ピューリッツァー賞作家のジョン・ハーシー1946年ルポルタージュヒロシマ』で、広島住民はおおむね核爆弾使用道義的責任無頓着であったと記し、ある被爆者の、戦争だったのだから「仕方がない」(Shikata ga nai) という発言を紹介している

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%95%E6%96%B9%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84

2021-09-03

anond:20210903034805

ウィシュマさん衰弱死 名古屋入管職員は「業務上過失致死」

日本には外国人虐待する収容所があって実際に殺されている

>>報告書によると、ウィシュマさんが死亡する5日前、カフェオレを飲み込めず、鼻から噴き出す姿を見た

>>職員は「鼻から牛乳や」とからかい

>>死亡当日の朝にはぐったりするウィシュマさんに対して、「ねえ、薬きまってる?」と話しかけていたという。職員は「フレンドリーに接したいとの思いから」

2021-08-30

anond:20210830084801

批判されると都合悪いから拘束しよう

・大量の人間収容所の維持費が大変だから臓器抜こう

・臓器を高額で外国に売ろう → 年間1兆円ビジネス

これが中国人

2021-08-23

「ガス殺死体は一体も見つかっていない」ホロコーストの話

阪神淡路大震災オウム真理教をめぐる事件で騒がしかった1995年に起きた、文藝春秋雑誌マルコポーロ』を廃刊にしてしまった事件の、そのホロコースト否定記事の著者である西岡昌紀氏がその記事でも使った文章がこれである

 

「なんと驚くべきことに、ガス殺の遺体は一体も見つかっていないのです」

西岡はそれ以来、繰り返しこのセリフを語った。今回はこれについて考えてみよう。

 

ガス殺遺体は見つかってないこともないのだが…… 

上の西岡が使う常套句は、実は微妙に嘘なのであるが、ほんとでもあるというややこしい話でもある。嘘であるというのは、見つかっていたという報告自体存在するからだ。知られているのは二つあり、一つはマイダネク収容所ソ連犯罪調査委員会による報告書であり、1944年10月頃という早い時期にまとめられた報告書の中に、ガス殺遺体発見事実さらっと書かれている。マイダネクはソ連赤軍の急襲にあって終戦前年の1944年7月にさっさとソ連解放されてしまったので、ガス室やその遺体の処理が間に合わなかった、とされている。もう一つはロシア南西部黒海に面するクラスノダールでもガス殺遺体発見されたと報告されている。こちらの方は1943年初頭にさっさとソ連占領されてしまっているので報告(裁判)の時期も1943年7月と最も早い。ガス殺遺体写真である

 

このように実際には見つかっていたという話を知らないネット否定派は多いようだが(西岡1995年当時には知らなかっただろう)、見つけたのがソ連であるという理由で信じないのが否定である。実は個人的にもマイダネクの報告書ちょっと怪しいと思っているが細かい話になるのでそれはここでは言わない。クラスノダールの方は写真まであり、その写真自体に「一酸化炭素中毒死体」とまではっきりコメントが書いてあって、信頼性はあるように思うのだが、ソ連裁判という理由否定派は認めようとしない。当時ソ連見せしめ的な裁判をやっていたらしく、それが信じない理由とされているようだが私は詳しくは知らない。

 

しかしこれが、否定派が主たる攻撃対象としている絶滅収容所、中でもアウシュヴィッツ収容所の話になってくると、確かに解放後に連合国によって一体も発見されていないのは事実である定説では、それらのガス殺による遺体は全部焼却処分してしまたかである。が、ここでは少し否定派側の視点に立って考えてみよう。

 

ガス殺死体が一体も見つかっていないのに、なぜガスによる虐殺があったと認定されるのか?

かに、そう言われると奇妙な気もしてくる。一般的に言って、死体なき殺人は肝心の殺された死体存在しないため、その立証は困難である。かつて日本で起きた北九州一家連続殺人事件では家族七人が殺されたが、その死体は一体も見つからなかったどころか、犯行現場とされたアパートからも血痕の一つも見つからず物的証拠は何一つ存在しなかった。その為、主犯格共犯者である愛人と逃げて助かった生存者の証言事件を立証する以外になかったのである

 

しかし、アウシュヴィッツは七人どころではなく、約百万人がガス室で殺されたとされている。ニュルンベルク裁判時点では250万人〜400万人という膨大な犠牲者数が述べられた。なのに、ガス殺死体は一体も見つかっていないというのは極めて異常な話ではないのか? ガス室による殺人は全く立証されていないじゃないか、と言いたくもなるのだろう。特に、青酸ガスという毒ガスで殺されたという類例のない事実を立証するには、遺体の検死解剖の一つくらいあっていいはずなのにそれすらないのだから疑惑を持つ人がいても不思議ではない、とは思う。

 

では一体どうやって毒ガスによる大量虐殺を立証したのであろうか?

 

実はその立証の主役となった証言は極めて多数でありまた詳細でもあった

流石にニュルンベルク裁判やその他の裁判で具体的にどのように立証していったのかという全貌は知らない。よほどの研究者でもない限り、膨大な裁判資料精通している人は限られると思う。ニュルンベルク裁判資料ですら素人には手に負えない。

 

しかし、物証の一つである文書資料もそこそこ裁判採用されているようであるナチス親衛隊は徹底的に大量虐殺事実隠蔽しており、例えば直接「毒ガスで殺した」などと文書記述したりしなかった。ガス室についても、残されている図面には「死体安置所」としか書かれていないし、アウシュヴィッツ火葬場に関する使用データも一切残さなかった。収容所解放前にガス室のあったビルケナウのクレマトリウムは全て解体撤去・爆破処分しており、火葬炉の一つも残っていない。それでも、ある文書の中には「ガス室」とついうっかり書いてしまったのであろう記述があったりもしたし、クレマトリウムの残存パーツからシアン成分も検出している。

 

さらに、裁判採用された証言者は何百人にも上り、その多くは非常に具体的にガス室のことを証言しており、詳細な証言もいくつもあった。ガス室での殺害目撃証言も多数存在したし、ともかく大勢の元囚人ガス室に関する証言を行なった。中でも、遺体処理を担当したゾンダーコマンド生存者の証言は極めて詳細であった。最も衝撃的だったのはアウシュヴィッツ収容所司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスニュルンベルク裁判での証言であった。彼は、他の多くの加害者側の人間とは異なり、無罪を主張しなかった。それどころか、自分から進んで積極的にそのおぞましい犯罪の全貌を裁判で語ったのであるさらに彼は、拘置所において自らの意思回想録執筆し、裁判時の証言よりもさらに詳細な内容であった(この自伝日本でも普通に売ってる)。

 

かい話をすれば、例えばナチス親衛隊による大量虐殺隠蔽に関する証言でさえも、囚人証言している。「ガス室での殺害については、「特別処理」という表現記載していました」などの証言も何人もしている。これは事務的部署でも囚人が働いていたかであるさらにそうした証言をしている法廷で裁かれていた加害者側の被告であった親衛隊員たちは、ガス室を全く否定しなかった。それら親衛隊員が裁判反論したのは、自らの意思に基づく非道な行い等についてのみであり、指示・命令で行っていた任務であるガス室に関しては否定しなかったのである

 

結局、後々のナチ犯罪裁判を含めそれら戦犯裁判では誰一人、ガスによる大量虐殺否定しなかった。少数の「知らなかった」と語った証人被告存在しただけである果たして、こうした証言状況で、「ガス殺死体が一体も見つかっていない以上、それらの証言は全て疑わしい」と言えるのであろうか?

 

ガス室大量虐殺を認める証言否定派にとっては全て嘘になる法則

ネットに多い素人否定派程度では、まさかガス室大量虐殺を認めることになる証言が何百件もある(裁判以外も含めれば何千件になるのか見当もつかない)だなんて知らないと思うし、それらの証言の一つもまともに読んだことすらないだろう。例えばその一つを任意に選び出してみよう。

証人アウシュヴィッツ絶滅された子供たち移送に関しては、ゾンダーコマンド特別部隊)で働いていた同僚からいたことを繰り返すことができますの子供たちはガスで殺されました。ビルケナウの最初火葬場で行われたテストガスの犠牲者でした

私は3週間の検疫を経て、クレマトリウム建設班に配属されましたが、そこで初めてグラブナーと出会いました。ある時、私の仲間が50キロセメント袋を運んでいたのですが、その重さに耐えられず、グラブナーは私のカポーに向かってこう言いました。「あの犬にとどめを刺せ」と。カポーシャベルの柄を折って、それと自分の足を使って囚人を激しく殴り、彼は本当に死んでしまいました。これはグラブナーの指示で行われました。

その後、私は火葬からカナダ」という兵舎に移されました。そこでグラブナーと再会しました。グラブナーは政治部部長で、ガス処刑される人たちの書類をモルに渡していました。グラブナーはほとんどすべての輸送列車の到着に立ち会っていました。

ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(2)|蜻蛉|noteより

 

人間証言には、しばしば誤りが存在する。記憶間違いであったり認識間違いであったり誤解であったり、場合によっては意図的な嘘であったりもする。個人的に、こうした証言をたくさん海外サイトから翻訳したので、そこそこ誤った内容を含む証言があるのも知っている。しかしだからと言って「ガス室」に関する証言のその全てが嘘になることなどあり得るのだろうか? 知っている裁判証言だけで数百件に上るのだが。

 

しかもそれらの証言に含まれる「ガス室」に関する内容は、ただ単に「ガス室があった」と言っているだけでなく、上にあげたたった一つの例ですらも具体的な内容を持つ証言の中で示されているのであるしかもそれらは裁判の中での証言であり、被告法廷存在しており、被告には証言者への質問の機会も与えられていたのに、誰一人被告ガス室否定しなかった。

 

でも否定派は、それら証言をどんな難癖をつけてでも否定する。上の例では、「連合国陰謀者によって、ガス室証言をするように脅迫されている可能性がある」等。また、否定派が最も証言に対して使うセリフは「矛盾があるものばかりであるであるルドルフ・ヘスに至っては、ほんの些細な記憶間違いとしか考えられない証言上の矛盾を元に、証言の全て(もちろんガス室大量虐殺に関することだけ、であるが)が連合国によって強制的に嘘を言わされていることにされた。私はそれをいうネット否定派に対して、「ではあなたは数年前の出来事について一つの誤りもなく証言できるのですか?」と質問したがまともに答えが返ってきたことは一度もない。ひどい場合には、単なる翻訳上の間違いを元にして「この証言には矛盾がある」と難癖をつけられていたことさえある。

 

でも、真面目な否定派もいるにはい

少なくとも、マルコポーロ事件西岡昌紀は真面目とは言い難い。その理由は、絶対にただの一つとしてもホロコースト否定説には欠陥があることを認めようとはしないかである。実は、稀にこの「否定説の欠陥」に気付く否定派がいる。中でも否定説の最大の欠陥は、では「一体、数百万人に上るユダヤ人はどこへ消えたのか?」に答えられないことであるユダヤ人ナチドイツの手によって大量移送されたこ自体否定する人はいないので(それすら知らない人は別だが)、殺されていないのなら数百万人の消えたユダヤ人はどこかに生存していなければならない。古くは、ソ連だった。ソ連スターリン収容所収容しただとか、移住させたのだとか、色々言っていたらしい。だが、冷戦が終わってなお、そんなユダヤ人は全く確認することは出来ない。旧ソ連に関するそうした情報も公開されているのだが、どこにも出てこない。

 

ほんの僅かだけど、ネット議論しているとそこに気づいた否定派もいた。確かにその質問には否定派は答えられない、と。欧米では、著名な否定派が、さらに高名な否定派の誰にそのことを聞いても「知らない」と返答されるだけだったので、否定派を辞めてしまった人さえいる。この重大な欠陥を認めるか否かが、ある種の分水嶺になっているとは思われる。

 

2021-08-21

アウシュヴィッツプールと『パサジェルカ』

ホロコーストは嘘」って主張自体が嘘である、と言うことは日本ではあまり知られていない。せいぜいが「ホロコースト否定してはいけない」程度の認識であるようだ。私ほどの物好きでもない限り、そのファクトチェックを行うという面倒なことをする人は滅多にいないから仕方ない。欧米否認論の本場なので、否認論に対抗する人もそれなりにいて「ホロコーストは嘘」自体が嘘であることはそこそこは知られているようであるTwitterなどで状況が意外と簡単にわかる。

 

だが「嘘」と言っても、その実態はややこしい。そのほとんどは事実を用いた印象操作のようなものであり、細かな具体的主張それ自体が嘘そのものであることは少ないかである。いわばホロコースト否定論はその主張をする人が意図的無自覚であるかは別として「詐術」なのであるしかし、あなたの知性が正しく働いているのならその詐術に騙されることはない。例をあげよう。

 

アウシュヴィッツプール

アウシュヴィッツには遊泳プール存在し、親衛隊員や囚人水球で楽しく遊んでいたという事実まで存在する。アウシュヴィッツ収容所地獄のような過酷収容所ではなかったのか?」というものである。後段の疑惑はともかく、これは事実であり、確かにアウシュヴィッツには遊泳プール存在し、元囚人の手記によると親衛隊囚人水球などで楽しんでいたようである

 

先に結論を言うと、遊泳プールがあったからと言って、アウシュヴィッツ収容所地獄のような過酷収容所であった事実は変わらない。登録囚人限定しても(登録されずに殺されたユダヤ人が圧倒的に多いが)、毎月数千人単位で死者が出る収容所だったのである。だけど、そう説明されたところで、遊泳プール存在は思っていたアウシュヴィッツイメージ全然違い、かなり違和感があると思う人もいると思う。実は肝心なことは「思っていたアウシュヴィッツ収容所イメージ」なのである。そしてこのプールの話は、実際、相当色々とよく知っていないと納得しづらい人もいて当然だと私も思う。

 

まりに何もかもをここで説明するのは無理なので、アウシュビッツ収容所のみに限定して簡単解説する。アウシュヴィッツ収容所ポーランドにあり、1940年5月ごろから実質的スタートした強制収容所である最初は、ユダヤ人のためではなく、政治犯主体として収容するための強制収容所であり、ドイツ人ポーランド人などが収容されていた。翌年1941年6月を過ぎると独ソ戦によって発生した赤軍捕虜が大量に収容されるようになっていく。が、この赤軍捕虜に対する扱いはあまりにも非道であり、特に政治将校はその大半が銃殺刑で処分された。いわゆる国際法ガン無視のコミッサール司令である。また、アウシュヴィッツで行われた最初ガス室での殺害犠牲者はこのソ連捕虜だった。そして、元のアウシュヴィッツ強制収容所からキロ離れたところにあるビルケナウ捕虜収容所建設が始まると、そのソ連捕虜建設労働に駆り出され、一万人くらいいたはずのソ連捕虜の大半は一年も経たずに大半が過労・餓死などで死んでしまったのである

 

ユダヤ人については、当初からユダヤ人も含めて政治犯として収容はされていたものの、囚人登録もせず収容もしないで収容所到着時にそのままガス室送りにしてしまう、いわゆる「ユダヤ人絶滅」がアウシュヴィッツで始まるのは1942年3月からであり、ビルケナウの敷地外にある農家を改造したガス室(ブンカーと呼ばれる)で最初一年くらいは実施されており、1943年3月にクレマトリウムと呼ばれる火葬場が完成すると、その後はビルケナウのクレマトリウムで行われるようになっていく。アウシュヴィッツの基幹収容所ガス室は併設された火葬場の火葬能力が低いこともあり、実は絶滅にはほとんど使われておらず、1942年末でガス室使用を終了している。ともかく、ビルケナウ収容所でのユダヤ人ガス室での大量殺害は、ヒムラーが中止命令を出す1944年10月末ごろまで続いた。ガス室ではトータルで100万人程度虐殺されたと言われている。

 

もちろんだが、ガス室での殺害は何も囚人にさえしてもらえなかった非登録ユダヤ人だけではない。最初の選別では老人や14歳以下の子供、子持ちの女性などが労働不適格としてガス室送りにされたが(概ね到着したユダヤ人の75%、ただし選別条件に当てはまるのに例外的囚人登録された人もいた)、囚人登録されたところでその大半は3ヶ月程度で役立たずになりガス室送りになるか病棟バラック注射で殺されたりもした。こうした収容所内での「選別」は常時行われており、その選別方法親衛隊の選別の担当長が適当恣意的に選んでいるだけなのが実態だった。親衛隊員による囚人への暴行日常茶飯事であり、殴り殺すことさえ珍しくなかった。些細なことでも見せしめ的に処刑されたし、収容所内での配給食料だけに頼っていたらすぐに死んでしまうほど食料の質も劣悪だったりもした。

 

……とまぁ、これだけ酷い話を聞いていたら、「プールで遊ぶなど考えられない」と思う人がいても全く不思議ではないと思う。プール存在に対する疑念はこのアウシュヴィッツ悲惨イメージとあまりにかけ離れているから生ずるのだ。だが……。

 

遊泳プール存在アウシュヴィッツ残酷場所だったことを示す

このプール詐術に引っかかる人は、人間が斯様にも残酷になれるということを理解出来ていないのである。ここで一つ解説を加えておくと、このプール絶滅の行われていた現場であるビルケナウではなく、アウシュヴィッツ基幹収容所の方にあったが、元々の目的防火用であり、完成したのは1944年8月ごろである推定される(フランクフルトアウシュビッツ裁判証言にある)。収容所親衛隊員は、ユダヤ人囚人に命じて飛び込み台を作らせ、遊泳プールとしても使えるようにした。で、このプールを利用して遊んでいたのは親衛隊員と、上級囚人だけだったのである上級囚人とはユダヤ人でない囚人のことであり、おそらくは過酷労働をしていなかった囚人であるカポなどであろう。つまりは、大半の囚人毎日酷い目にあっているそのすぐ側で、収容所生活を存分に謳歌している人たちがいたというのが事実なのであるビルケナウの方ではサッカーでさえ楽しんでいたそうだし、有名なアウシュヴィッツオーケストラ演奏会をさせたり、囚人劇団まで作らせて劇場で公演させたりもしていた。また親衛隊員は当然として上級囚人も、ユダヤ人ら下等囚人食事量・質とも全く違ったし、親衛隊員は恣意的食品などを横流しさえしていた。さらに、ユダヤ人が持ってきた私物(「再定住させられる」と言って騙されて連れてこられているのだから、それらはユダヤ人の全財産と言っていい)を全部収容所の方で掻っ攫うのであるけれど、そこから横領しない親衛隊員などいなかったと言われるほどである(ただし横領は発覚すると厳罰処分が下される)。

 

もちろん、囚人たちの多くはそうした私腹を肥やす親衛隊員たちの行動や、プールなどを楽しんで収容所生活謳歌している姿も知っていた。だから戦後地元法廷で、少ないとはいえ裁かれた親衛隊について証言者となった元囚人たちのほとんどは、それら親衛隊被告非道ぶりを存分に告発したのである

 

「単なる印象」にあまりに弱すぎるネット否定派達。

ほんとに否定論の細かい具体的な主張ってこの手の話があまりに多い。例えば「ガス室の扉が木製だなんておかしいじゃないかアメリカ死刑ガス室は鉄製の部屋でありドアだって厳重なハンドルまでついていて非常に厳しい毒ガス管理をしているくらいだ。あんな木製の簡易な扉だったらガス漏れして外にいる人まで死んでしまうに違いないから、あれがガス室だったなんてあり得ない」ってのがある。んでこの話、たくさんの米国死刑専用ガス室写真とともに出回っている。

 

えー、青酸ガス発生用に使っていたチクロンB害虫駆除用として当時一般に広く使われており、それなりに密閉処理さえすれば「どこでも」使えた。それなりの密閉処理とは空気漏れ起こしそうなドアの隙間などにダクトテープを貼る程度のものであるアウシュヴィッツ収容所にも、殺人ガス室以外に衣服などのシラミ駆除のための専用ガス室複数存在し、現在現存しているが、それらのガス室の扉も殺人ガス室と同じ木製扉であり、気密には隙間にフェルトが貼られているだけであるチクロンB製造であるディケシュ社の文書にも別に木製扉がダメだとは書いてない。専用の頑丈な鉄製のガス室しか青酸ガスを発生させられないような害虫駆除剤だったとしたら、当時一般的に広く使われたはずがないだなんて、少し考えればわかることなのに。

 

「じゃぁ何故米国処刑ガス室あんなに頑丈そうに出来ているのか?」と聞かれたって答えは知らないが、それなりの要求仕様があるとか昔からの慣習であるとか、何か理由があるからであろう。でもそーういうことは否定派さんは全く調べない。いずれにしても、実際にチクロンは当時広く使われていたのだから米国処刑ガス室構造は、アウシュヴィッツガス室に関しては何の参考にもならないのである。どうしてそんな見た目の単なる印象に過ぎないことが、アウシュヴィッツガス室否定する理由になるのか?

 

『パサジェルカ』

今年はホロコースト映画公開が少し多いようだけど、一つとして見に行こうとは思わなかった。あんまり興味が湧かなかったからだけど、しか最近、古い映画にすごいホロコースト映画があるのを発見した。YouTube全編上がっているのだけど、惜しいのはポーランド映画であり全編ポーランド語でさっぱり言語がわからなかったりすることだ。日本でもDVDは発売されてるけど、買ってまで見ようとは思ってない。しかし何が凄いって、何気に再現度が凄い。興味がなければ何のことはないシーンだけど、ガス室にガスを投入する作業のシーンが思ってた通りの再現だった。ガス室というかクレマトリウムはすでに破壊されてなかったからわざわざセットで作ったのかと思うと尚更すごい。何気にあのチクロン投入煙突位置が正確なのも素晴らしい。未完成監督が死んでしまい、友人達で残っていた映像繋ぎ合わせただけらしいけど、唐沢寿明の『白い巨塔』よりもずっと前にアウシュビッツ収容所ロケ地に使っていた映画存在したというのも発見だった。

PASAŻERKA - POLSKI FILM PSYCHOLOGICZNY HD, WYSTĘPUJĄ: ALEKSANDRA ŚLĄSKA (SOUS-TITRES FRANÇAIS)

2021-08-17

anond:20210817114150

ホームレス収容所送りにして処刑しろ」と一度も叫んだことがない人だけDAIGO信者批判しなさい

2021-08-16

バイデン氏、アフガン戦争終結固執 「米国第一」貫く

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN150GW0V10C21A8000000/

バイデン氏は2020年2月CBSテレビインタビューパッカー氏の著作に関連し「タリバンアフガンを再び支配して、女性権利を失っても責任をとらないということか」と問われた。

責任ゼロだ」。バイデン氏はこう断言した。CBS司会者に「あなたは100万人のウイグル族収容所で行われていること(の解決)のために中国戦争しろというのか」とまくしたてた。「私の責任米国国益を守ることであり、軍事力を使って世界のあらゆる問題解決するため米兵危険さらすことではない」と強調した。


バイデンって論点ズラしてまくしたてる(しかもよりによってウイグル話法)ネット論客みたいな人だったっけ?

大統領って職務は良くも悪くも人を変えるなぁ

2021-08-13

anond:20210813061230

ユダヤ人収容所に片っ端から入れて処刑するのも、ドイツ戦勝国だったら正しいことになって居たんだろうな

勝てば官軍

2021-08-12

サラダ油ホロコーストの謎

増田でほぼ誰も読まないホロコーストネタを時々投稿してる私であるが、「サラダ油燃えないネタ」がバスっていると、どーーーしても気になって仕方がなかった。というのはこんな話があるからである

 

死体を焼却するための火葬場は溝の中に置かれ、その底には溝の長さに沿って水路が掘られていて、(液化脂肪の)通り道になっていました。この水路からは、2×2メートル、深さ4メートルの竪穴へと分岐していました。炉の上で死体を焼却している間に、脂肪がこの穴に流れ込んでいました。この脂肪を使って、よりよく燃えるように、焼却炉の上の死体に液化脂肪をかけたのです。

 

これは、アウシュヴィッツビルケナウ収容所火葬場で、ガス室で殺されたユダヤ人遺体焼却作業担当していたユダヤ人ゾンダーコマンドの、ヘンリク・タウバーという人が証言したものである。なおここで火葬場と言っているのは、有名なクレマトリウムという建物の中にある火葬場ではなく、野外に掘ったピットの中に作った簡易の遺体焼却場所のことである。こうした人間の液化脂肪を利用して遺体を焼却していた証言は他にもいくつもある。

 

ホロコースト否認論者は、ホロコースト定説を認めてしまうことになる証言者は嘘つきにしなくてはならない義務があるようで、この証言を「そんなことは不可能である」として例えば以下のように否定する。

 

かに火で焼かれた肉から脂肪が出てくる。しかし、脂肪は非常に燃焼を起こしやすいので、脂肪を集めることはできない。また、脂肪は沸騰せず、一定温度(184℃)を超えると分解して燃えしまうのである

 

同様の否認論理が何人もの否認論者によって語られている。要するに、遺体にある脂肪は野外焼却をしているピットの底に垂れて流れていったりはせず、野外焼却をしているのだからそのまま液体脂肪はその焼却の炎で燃えしまう筈だ(からそれら証言はあり得ないことを語っており嘘である)と言って否定しているのである別に収容所遺体を焼却処理していたこ自体は誰も否定していないし、ガス室関係しない話なので、無理に否定する必要はないと思うのだが、証言は嘘ではないと思う私でも、そんなことが出来るんだとトリビア的にちょっと驚く感じの話ではある。

 

この話が興味深いのは、焼却中の遺体脂肪が液化して燃えずに垂れてその液体状の脂肪をどこかに一旦溜めておき、それをガソリン燃料のようにして遺体の上からかけると今度は燃えるという点にある。燃えないのに燃える、というのをホロコースト否認者が大好きな「科学的」に説明するのはなかなか難しい。動物性脂肪の引火点は200℃前後であり、発火点が280℃くらいらしいが、そんなデータを知っていてもうまく説明することは私には出来ない。ちなみに話題サラダ油場合は引火点も発火点も動物性脂肪よりも100℃くらい高い。

 

今回の事件で、サラダ油燃えない話を知った否認論者は今度は逆に「液化脂肪燃えないのだからである」と逆の論理を使い始める気がするけど、上の引用で示した野外火葬における液化脂肪の利用をうまく説明できる人はいるだろうか? 現象としては網焼きグリルの上での焼き肉を思い浮かべれば、肉から液化した脂肪が下に垂れるのも、その液化脂肪に火が着いて燃えるのもよく見るわけだから現象自体不思議はないとは思いますが、科学的にそれを説明しろったって難しくて出来そうにありません。

2021-08-11

入管は命預かる施設ではなく犯罪者収容所ということを忘れてる人多いな

本来ならビザを取り続けて働いたり住むところを期限切れのまま放置して勝手に住み着いてる犯罪者

密入国して住んでいたところをしょっ引かれた犯罪者

が主に入ってる施設だよ

 

件の人の場合非常勤内科医が週二回しかきてくれなかったり、その人が苦しんでた時に医者がいなかったことは遺憾だけど、

鼻から牛乳とか、薬きまってる?とか言われても仕方ない場所なんだよ。

いやそもそも鼻から牛乳って日本人牛乳飲んでむせて鼻から牛乳出ても「鼻から牛乳やん」って言うだろ

これは日本人犯罪犯して取り調べられたり留置所でも起きている普通のこと。

犯罪者からって何してもいいって訳じゃないけど、犯罪者にしていいギリギリのとこ突いてるよね。

 

でも入管収容されている人は犯罪者しかいないんだから帰化した外国人とかと同じ扱いはしないほうがいいよ。

そこだけは線引き守っておいた方がいい。

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