「原爆資料館」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 原爆資料館とは

2022-06-01

anond:20220601180025

BTSはあの後(韓国の)原爆資料館行って再教育されて、実際に(韓国の)被曝者謝罪してるからセーフ

ってなってたはず

2022-04-17

千羽鶴無駄になっていない!広島では卒業証書原爆資料館チケットなど、さまざまに再利用されている!

っていうのは、全国からいらない紙が大量に集まってきて、どうしようもないかしょうがなく再生紙にしているというだけだよね。千羽鶴を折った人は、自分の作った鶴が使い捨てチケットになって、半分ちぎられて、1、2時間で捨てられたかったの? 卒業証書をもらう人は、人生の節目にもらう大事な1枚を、折り紙を溶かして作った低品質再生紙でもらいたかったの?

2022-03-24

anond:20220324132630

ワイの会社の元同僚とか原爆資料館に行ったら終始ふざけた態度でいたし

しょーもねー展示だなあ。って言ってたけど

そういう人と増田が巡り合って対消滅しないかなといつも思っている。

真に攻撃すべき人はそういう人だよね。

2022-03-02

anond:20220302230650

知識としてある程度知ってても、広島原爆資料館に行ったことがあるかどうかで、イメージできる悲惨さ、その具体性は変わってくると思うけどね。

2022-01-22

三大都市圏の人たちは広島長崎原爆資料館なんて一生行かない

その通り!とかそんなことないよ!と思った人たちは当時を想像したり現地に行ってくれ

2021-10-17

戦争の話って子どもを蝕むのか?

自分子供の頃(確か小3-4くらい)、何かで話題にでたので、友達原爆アウシュヴィッツの話をしたことがある。

その後、その友達のお母さんにうちの子は夜寝れなくなっちゃうから、そう言う話はしないでと言われた。

また別な子に(それも小学生の頃)、原爆資料館?だったかな、戦災や原爆の記録を残す所に今度行くみたいな話をしていたら、その子母親にもうちの子には原爆のことはしかるべきタイミングで話すから絶対それまで教えないで、と言われたことがある。

そういうもんですか?

 

の子たちは守られていた子で、わたしは違ったんだろうか?

なんで同じ歳の子歴史の話するのを大人に止められなきゃいけなかったんだろう。

なんかふと思い出してもやっとした。

2021-08-26

anond:20210826135742

原爆資料館とか出産ビデオとか実際を目で見るのと映像ではやはり違

実際なのか博物館に足を運ぶか教室映像教科書文章だけか

パラリンピックリアルに近い方が教育的で良いのでは

2021-06-23

マ●コ・デラックス日記


六月十六日(水)

コロナ禍で遠出をしていないせいか、何年も前の旅行きっかけもなく思い出す。たとえば友人と厳島旅行したとき土産物屋に「マ●コおすすめ」と書いてあったのだが、それを指さして友人が「一瞬ぎょっとしたわ」と口にした。自分は「西日本だとオ●コになるんじゃないか」と指摘したが、友人にはスルーされた。「九州だとボ●」だよな、と続けたら「お前いい加減にしろ」と𠮟られた。言い出しっぺは友人なのに納得できない。

なお、厳島の鹿は落とし物のパンフレットも食い散らかすほど貪欲である

六月十七日(木)

そういえば、同じ旅で広島原爆資料館を訪れたのだが、「これだけ戦略上有利な兵器を捨てるのって無理じゃないか?」といつになく深刻な雰囲気になった。するとタクシー運転手さんがそれを察したのか、ゲイバーを訪れた時の話をしてくれた。営業時間が終わると中から化粧を落とした屈強な男性が出てきたので、「昼は何をしているのか」と尋ねたところ、「肉体労働をしている」との返事だったそうだ。

適度な生活感がある話であり、多くの死を前にしたあとに何となく救われた思いがした。自分たちは今のところは生きているのである

六月十八日(金)

三大欲求生活感をもたらす際たるものなのだけれど、それが思いがけない人の口から出ると幾分ぎょっとする。学生時代から十年以上前になるか、京都哲学の道沿いにある枯れ山水のきれいな寺を訪れたとき、入場券売り場の男性言葉を交わした。そこでどんな文脈だったか忘れたが、彼が「六年生にもなると覚えちゃうでしょ、オナニーとか」と放言したのである

この日記を見ればわかるように、自分は卑俗卑猥ものは嫌いではないが、さすがにこの時は面食らってしまった。一応宗教施設であるのに、いったいどういう経緯でこういうタイプおっちゃんが寺の受付に選ばれたのか、まったくの謎である

六月十九日(土)

寺といえば、近頃は有給休暇を取ってひっそりと鎌倉を訪ねている。今年は生きてきて一番たくさんアジサイを眺めた年になりそうだ。鎌倉観光地化が著しいが、それでも土日は混雑緩和のために敷地を非公開にしたり、一眼レフカメラ禁止したり、庭園鑑賞の前にまずは本堂で参拝することを命じていたりと、それにあらがう流れもあるようである

この日は歩いていたら新しい喫茶店を見つけたので休憩。旅先ではしばしば牡蠣ソフトクリームだとか醤油ソフトクリームだとか普段食べないものを頼むし、前述の友人は旅先では一日に三杯から四杯のアイスを平らげていたが、今日はそういう気分ではない。

変わりものといえば、別の友人から下北沢納豆クレープを食わされた。味はまあまあ。少なくとも名古屋喫茶マウンテンよりはうまかった。

六月二十日(日)

食の話ついでに書く。この日に久し振りに高級な肉を食べたが、以前よりも脂肪タンパク質を口にしたときの喜びが減衰している。確かに良い肉であって摂取しても不快にならないタイプ脂肪なのだが、それよりも山盛りの野菜と豆が食いたいのだ。お前は当分肉を食うことはまかりならんと言われても、さほど傷つかないだろう。魚だってある。

野菜で思い出したが、最初非常事態宣言以来、ひいきにしていた店のランチサラダビュッフェがなくなってしまった。しかも、経営難ランチを二度も百円値上げした。しばらく足を運んでいない。

六月二十一日(月)

近頃は新しいランチ開拓するのが難しい。コロナ禍で店が閉まっているからだ。そんな中、新しく見つけた蕎麦屋天丼に乗ったエビの食感が良かったのだが、店員女性からおつりの小銭を受け取るときに指が妙な具合に絡まってしまい、ばつの悪い思いをした。もう一度行くことをためらう。

ところで、渋谷駅構内を歩いていたら、短パンブラトップ女性とすれ違った。先週はへそ出しファッション女性自分の目の前に座っていた。確かにこう暑くては脱がないとやってられないが、食道楽自分としては見せられる腹がうらやましい。

2021-03-11

anond:20210311080925

見たくない人が多いから被ばく人形撤去されたんだろ

広島に行ったら原爆資料館見学などよりも

呉の海上自衛隊戦艦大和博物館潜水艦の内部見学をしてカレーを食い

コーヒーを飲んで帰ったほうが楽しいと思う子供のほうが多い

見ていて心がドンヨリするだけの津波映像など見る意味なし

津波映像を見たところで死んだ人間が返ってくるわけでもない

原爆資料館津波映像意味ない

anond:20210311080734

んなこと言ったら原爆資料館に行きたいガキなんて一匹もいない

2020-08-07

出張のついでに有給をくっつけて広島観光したことがある。

原爆資料館に行った。すげえ大規模な、誰もが参拝しておくべきお墓参り場所だった。

落とすのが正しいとか正しくないとかじゃない。ただただ死んだ。たくさん死んだ。覚えておいて、おもいださなくちゃいけない。人間はこれができる。やってしまう。ということを。

展示見て出てきてから、すこしのあいだなにもできなかった。あのお土産売ってるとこ、あー記念品買おう―ってテンションじゃないよな。やってけんのかなあれ。

それはそれとして腹は減るので適当食堂で食ってお城(コンクリだ)行って刀とか甲冑とかみてカキのたくさん入ったお好み焼き食って次の日大ミュージアム行って鉄のくじら館行って地元に帰った。

こっちはエンタメ寄りなので原爆関連より心が重たくない。ちょっとだいぶ心に胃もたれしてたので助かった。

大和沖縄に死にに行くところ以外全然働いてないし役にも立ってない(≒あんまり殺してない)ので。乗組員ほとんど死んでるけど悲惨だけど原爆前の日に見てるとレベルほっこり程度である

展示も「いやー作るの大変だったっすわー」「期待すごかったんすわー」「作るの大変大変」「あっちこっちいって遠目から砲撃したりはしました」「あ、沖縄で壮絶に討ち死にしました」みたいな。あっさりなんですね最後みたいな。

はいつまでも衝撃を受けた状態を維持できないみたいだ。

でもたまにあの「お墓参り」にまた行きたくなる。

「きみたち日本人は腹が立たないのか」チェ・ゲバラは、広島原爆資料館で憤った。

そんなゴジラ映画ヒーローアニメ主人公みたいな男ばかりだったら、敗戦になるわけねえだろ

チェ・ゲバラ絶対日本人じゃないだろ

2020-08-06

修学旅行楽しいものだと思ってる人たちが羨ましい

自分の通った田舎の町立小学校修学旅行は、

二泊三日の広島で、移動は全部貸切バス

班編成は出席順で強制割り振り

カメラ含めて電子機器類はアナログ腕時計以外持ち込み禁止カメラは班に一台の使い捨てカメラだけ

金銭持ち込みは二千円まで

宿泊先はボロい旅館で部屋に風呂トイレも洗面台もなくて、大人が四人も入ったらいっぱいになりそうな大浴場と廊下にある共同トイレと流しだけ

朝は混雑の回避とかで班ごとに15分単位に利用可能時間決められて、流しは使ったら水滴を残さず拭き上げろとか、チェックアウト前には部屋掃除させられて髪の毛一本残すなとか、ゴミは全部持ち帰れとか…

原爆ドームお好み焼き屋宮島地方遊園地

食事も移動中もずっと班行動で、ちょっとでもはぐれると監視してる先生に止められて集まるまで待機

遊園地も乗り放題じゃないから持ち込み金額内だと乗れても二つかそこらへんだからただただ園内を無意味にうろうろしてただけだった

何も学ぶものなかったよ

せいぜい、行きのバスで歌わされた原爆の歌(原爆を許すまじ〜我らの町に〜みたいなやつ)が悪ガキにうけて卒業までいじめられっ子名前もじって囃し立てられてたくらい

同じく町立の中学校は行き先は姉妹都市協定のある海外だったけど、内容はほぼ変わらず

交流校との交流会以外は全部バス移動で班行動

日中制服指定運動靴に指定鞄、就寝時は体操服、靴下下着も色の指定ありの名前記入必須私物は筆記用具と時計以外は持ち込み禁止

写真先生専属カメラマンが撮るもの以外はなし

飲み物おやつも持ち込み禁止業者手配の現地語の書かれたペットボトルの水と飴とガムだけだったか

部屋は二〜三人で一部屋で風呂トイレも洗面台もあったけど、オートロックから夕食後に部屋に入ったら消灯巡回先生に鍵を預けて部屋の外に出るの禁止

さすがにゴミは置いて帰ってよかったけど、部屋の風呂とかトイレ掃除させられた

ご飯も、田舎町でその国の料理なんか給食しか食べたことない子も多くて口に合わずに残す子多数なところをマナーが悪いって完食強要して移動のバスゲロ吐く子が複数出た

そういうわけで、何一つとして修学旅行に良い思い出がない。

地元公立高校修学旅行あるところとないところが半々で、自分のところは修学旅行なかったから行ってない。

余裕がなくて家族旅行もしない家だったから、進学して一人暮らしし始めるまでディズニーランドUSJ富士急ハイランドも行ったことなかったし、社会人になって出張ついでに観光するようになるまで旅行とか遠出とかつまらない無意味行為だと思ってた

何年か前に一人で広島観光したらすごく楽しかった。修学旅行がつまらなさすぎて記憶が無かった原爆ドーム原爆資料館行ったし宮島も行った。あんなに衝撃的な場所でも記憶に残らないって相当だと思う。

去年はついにパスポート取り直して海外にも出た。一発目は修学旅行で行った国にした。気になったところ全部回って、現地の料理もおしゃれなカフェも気になったものはなるべく回れるように厳選した。言葉は分からないけどすごく充実してて楽しかった。行ったのが観光地ばかりだから治安別に悪く無かったし、親切な現地人にお世話になったシーンもあったし、初めての一人での海外旅行だったけどすごく良い旅行になった。

修学旅行楽しい思い出がある人たちはせいぜいその思い出を大事に盛り上がれば良いけど、えー修学旅行が楽しくないわけナイでしょー!とかいってくる奴が本当に鬱陶しい!!!クソが!!!って内心思ってる

2020-03-24

今でも多く目にするけど

福島をあえて「フクシマ」とカタカナ書きにして「これは原爆惨禍を忘れないためにヒロシマを使うのと同じだ!」と言い続けてる人がいて、そういう人間はもう説得できないことが明らかになっているから何も言わない。

俺の話は福島ではなく「ヒロシマ」の方で、原爆イメージに結びついた広島市の書き表し方としては、カタカナのそれよりも圧倒的に旧字体で書かれた「廣島」の方なんだよな。

理由単純明快で、修学旅行で行った原爆資料館に展示された写真絵画ジオラマにある表記は、いまでは使われない旧字体のそれで、旧字体広島文字が明瞭な象徴として原爆惨禍を想起する時のフックになっているのだと思っている。

まあ、カタカナ広島が「象徴」として頭に浮かぶのは大江健三郎の本とかが理由なんだろうが、俺は彼の人の本を読まないし読むこともなかろうと思うので、全然ピンとこないのであるよ。

2020-02-25

anond:20200225000832

最近の子が言うグロって漫画アニメの綺麗な死体から

ほんとうにグロが見たいなら原爆資料館人形が怖いとかはだしのゲンアニメを放映するなとか

そんな流れにならないはずだ

2020-01-04

博物館等身大人形が好き

博物館蝋人形が好きだ。

小学生の頃に見に行った足尾銅山

当時の鉱山労働者の再現人形が妙にリアルで恐ろしかった。

暗いトンネルの中でむわっと汗の匂いが漂ってきそうなところ、自分が瞬きしている間に目玉がギョロッとこちらを向いてるんじゃないかっていう恐怖感。

ゾクゾクしつつも目が離せなかった。

その後、大人になって観光に行った網走刑務所再現人形もよかった。

囚人から少し見える痩せた胸の感じに妙に興奮した。

リニューアル前の広島原爆資料館の例の有名な人形こちらに加えるのはいささか不謹慎か。

こういった博物館に展示されているどこか薄暗く怖い印象がある蝋人形がある博物館があれば教えて欲しい。

2019-08-08

あいちトリエンナーレについて

話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。

クソ長い。

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表現不自由展・その後」について

最初に断っておくと、今話題になっている「表現不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。

と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃん理由もある。

他の人は知らないが、個人的には「表現不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄デスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ

話が変わるが我々ボランティア研修で何をやっているかと言うと、作品知識を蓄えるのではなく、自身感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義微妙に違うのだが)と呼ばれているもの実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て

「すごく煌びやかで綺麗、幸せカップルの絵に見える」

「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局予兆しているのでは?」

関係ないけど雲の形が昨日食べたたこ焼きに似てる」

などとそれぞれの感性経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。

だがそういった観点から見ると、「表現不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。

そんなわけで「表現不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレ第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。

慰安婦像インパクトコンテクスト

さて「表現不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的インパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。

表現不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像なのだ

ソウル日本大使館前慰安婦像が設置されたときメディアはこぞって大使館慰安婦像が一緒に映った映像放送したと思うが、あの報道に対して「不快から映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合制作サイドの意図別にあるのだが)。

今回の展示ではそこのコンテクストおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報事態が拡大してしまった感がある。

また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的コンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。

そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。

しかし、詳細については諸説あるが、そういうもの存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。

負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑モニュメントがある、ドイツカンボジアには国内虐殺記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。

場所によって反応も変わる、オバマ広島原爆資料館に行ったが、アメリカスミソニアンエノラ・ゲイ展示をやろうとしたとき退役軍人たちからバッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史意味に影響を与え得るのか、得ないのか。

そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性日本女性慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。

話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかたかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ

勿論コンテクストには政治だってまれる。慰安婦像純粋歴史的モニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あん一触即発もの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。

ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディア報道を見ていると日韓政治的同意が得られれば慰安婦像撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋プロパガンダだったって言っているようなものからやめろ。

像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である

批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。

それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。

アメリカコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。

個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場モニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。

まり慰安婦像撤去したいのなら何らかの方法歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。

トリエンナーレ側の対応について

トリエンナーレ運営が「表現不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。

第一に展示施設自体問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本災害が多いだけあって美術館博物館といった文化施設安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策防火設備さらには盗難破壊防止のための監視員監視カメラが多くの施設で導入されている。

しかテロ大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。

第二に運営側の問題最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。

かに税金から拠出予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティスト100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度ルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。

よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。

これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。

最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。

運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営作家が一体となって特定テーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。

表現不自由展・その後」だって別に運営企画した訳ではなく、かつて行われた「表現不自由展」を招待しただけだ。

展示施設職員に至ってはそれを公務員業務として受け入れているだけである

よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ施設や関連団体スタッフさら作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNS関係者に絡んで「トリエンナーレ見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。

そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。

それらを踏まえてトリエンナーレ運営対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。

表現自由について

先述の通り、施設組織問題テロ脅迫対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。

しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手総本山とかか?結構大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。

暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。

最初特定されたら困るから匿名意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体おかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。

また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。

抗議の電話でまず事務局回線パンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員罵声を浴びせられる、しか公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂電突」と呼ばれるものだ。

ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。

かに組織には説明責任がある、取材報道自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。

誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。

表現自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。

話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいか物理的な暴力を伴わず決められたルール範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明指標なのだと思う。

抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアート作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名デモでも良い。そして表現自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権著作権憲法に定められた公共の福祉概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。

pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人意見から忘れてくれ。

じゃあこの場合どうしたらいいのか。

少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。

何故ならあくまコンビニ民間営利団体からだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。

抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。

コンビニ18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性ネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界Permalink | 記事への反応(15) | 22:16

2018-11-20

反核運動

唯一の被爆国として原爆の恐ろしさを世界に伝え原爆の根絶を目指す運動です。

アメリカ謝罪を求める運動ではありません。

から第2次世界大戦で原爆使用する必要があったかどうかは関係がないのです。

アイドルグループの主張を擁護するのではなく

広島長崎原爆資料館に招待するのが真にリベラル的な行動なのではないでしょうか。

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