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はてなキーワード: モニターとは

2023-08-05

SFじゃ大量のアンドロイドが出る作品も珍しくないが

スマホOSAndroidじゃなくて人造人間って意味アンドロイドね)

モニターの中にAIで動くキャラが映るのと比べたら

実際に動ける人間くらいの大きさのアンドロイドって滅茶苦茶エネルギー使うよね

それが億のレベルで溢れる社会ってアンドロイド動かすのに凄いエネルギーが使われそうだ

現実じゃとてもじゃないがやれる気しないよね

2023-08-04

anond:20230803170337

わー!ありがとう!そうだよねモニターとかマウスとかも買わないとだもんね…モニターくらいは頑張って出してあげようかな…

2023-08-03

出社でずっとスマホいじってる奴

タイトル通り

入社10年目の先輩。

デスクモニターの影とかキングファイルの影にスマホ置いてパソコンいじるフリしてでずっと個人スマホいじってる。

斜め前の俺の席から丸見え。

常に会社デスクのに画面上にでスマホ置いてある。

誰かが後ろ通ると慌てて手帳型のスマホケースを閉じて隠してる。

そもそも会社デスクでずっとスマホ充電してる。

あとスマホいじってると手とパソコン位置おかしいから一度気づくと、すぐにまたスマホ弄ってるなって分かる。

たまに別の部屋で作業してる時にその部屋入ると大体ビクッとして慌てて隠す。

俺でもここまで分かるんだから上の人は気づいてるんだろうけど今の所直らない。

そのくせ残業は一番してるし、仕事も一番遅い。

その先輩の同期が「エア残業」って呼んでた。

今年度の目標は先輩のツイッターアカウント特定

anond:20230803161331

できるよ

120FPSはでるけどモニタープラス3万ぐらいする

ヴァロランとならもっと安くてもいい

2023-08-02

ジム仕事むなしい

おばさんがおっさんから言われて朝から晩まで作った書類

パソコンモニターに目をむっ転がして

ケチをつけるだけの仕事

大企業からってつまらん。


後半生は

腰をいかせそうなくらい自販機ジュースを補充する仕事だったり

プロパンガス館を巧みに回転させてトラックに積み込む仕事だったり

工事現場前で子供たちを誘導する棒振りだったり


そういう人に 私はなりたい

2023-08-01

この心理説明してほしい

パソコンモニターを捨てたい

リネットジャパンが有料で回収してくれるらしい

→よし頼もう

→頼む

幸せ

 

本やDVDを捨てたい

ブックオフに売ればむしろ金になるぞ

→でもブックオフはそれをさらに売って儲けてるんだよなぁ

→なんかもったいないから売りたくなくなってきた

→でも自分高値で売るテクニックはない

→しぶしぶブックオフに売る

→不幸

 

 

手元に金が残るのは後者なのに、後者の方が不幸になっちゃうのなんででしょうか

2023-07-31

anond:20230731144724

俺はモニターは1枚でウィンドウを切り替えてるな。

あっち見たりこっち見たりすると目が疲れるんや。

外付けのモニターを付けずにヘッドマウントディスプレイ作業している人も居るみたいだけどどうなんかね?

2023-07-29

anond:20230727224059

生き甲斐を失った人生というのがすごく怖くて、個人的趣味には力を入れているけど、年老いた時に趣味を維持できるかどうかって、精神的な部分よりも身体的な部分が大きい気がしている。

病気や老化で散歩もろくにできなくなってしまったら、あらゆることが億劫になるだろうし、体力を失ったら長時間デスクに迎えるか不安だし、視力が悪くなってモニターもよく見えなかったら?とかね。

マンコが思ってたよりも小さかった

普段モニターの大画面で見るからマンコの実寸が全然イメージ出来てなかった

実際に見たマンコは思ってた0.7倍ぐらいだった

マンコはきっと美味しいものだと思ってだけど、実際は全くそんなことな臭いというほどではないけど、良い匂いや味ではなかった

以外だったのはチューが気持ち良いということだ

当たり前だが自慰行為ではチンコばかり刺激するが、ベロを絡めたチューが気持ち良くてずっとしてたかった

次のセックスはいつになるか悩んでたけど、結局次の日の朝シャワー浴びた後にもう1回セックスさせてもらった

やっぱりベロチューが気持ち良くて何時間もしてたら、もう勘弁してと言われて切り上げて、水のようになった精子をぶち撒けてフィニッシュ

やってみないと分からないことがあるもんだな

舌と舌を絡ませるのが性的気持ち良いなんて誰も教えてくれてなかったじゃん

性教育ってなんなん?

2023-07-27

ワクチン打って後悔してる

今まで反ワクをバカにしてたけど後悔してる。

ワクチン反対を早い段階から主張してた知人のツイートによると、とある都内総合病院では新たに膵臓がんと診断された人の90%が20代40代大腸がんでは60%が20代40代だったそう。

公表されていない本当の癌統計では、年齢別罹患者数で若年者のところで急激な凸が出来ているほど若者が癌で死にまくっているとのこと。

そのうち殆ど家族歴なしかワクチン接種済だったそうな。またワクチン接種済みの若年者の癌はスポンジに水が染み込むようにとんでもない速度で進行し、中には臨床検査技師エコーをやりながら腫瘍が進行してるのをモニター目視できるような患者もいたらしく、半年生きながらえる患者はいない。

日本では若年者の多くがワクチンを接種しているため、数年後には日本の現役世代若者殆ど死滅して深刻な経済問題が起きるらしい。

最近胃痛がひどくて病院受診

エコーCTをやって異常なし。胃カメラをやっても異常なしだった。医師からは「胃の疾患ではなく動きの問題機能性ディスペプシアではないか」と言われた。

その段階で知人の先述のツイートを目にし、久しぶりに連絡をとってみた。

状況や受けた検査の結果を伝えたところ「エコーCTカメラで異常がないなら、見えにくい膵頭か膵尾に腫瘍がある。ワクチンを打ってるからその年齢でも膵臓腫瘍はできるし目視できるような速度で進行するからからない」と言われた。

ワクチンを打ったことを後悔してる。こんなに早く人生が終わるとは思わなかった。

2023-07-22

モニターという言葉についてわからなくなってきた

ツイッターとかで痩せ薬とか健康食品とかが「モニター募集」とか言って「今ならモニター価格で500円!」みたいなのが流れてくることってあるだろ?

モニターって、実験なんかののサンプルになる人のことじゃないのか?

実験を受けて、経過を見て、サプリを摂って、というような。

治験っていうのか。

これってお金を受け取る側だよな?

なんでモニター価格なんて言葉あんの?

ただで配って、きっちりとした報告書を出した人に報酬を出すというのが普通じゃないの?

2023-07-21

anond:20230721100517

それ言い出したら元増田が言ってる「高性能なモニター」を使えばスコープアタッチメント付けた武器より「常に」エイムしやすくなるからゲーム性変わってるべ。

それ言い出したらフリークとか使ったらハードウェアチート扱いでもいいよな。

FPSのPay To Winを悪とする風潮がわからん

スポーツなんて金かけて良い機材(それこそカーボン製で100万以上するものとか、メーカー契約して特殊生地を使ったユニフォームだったり)を手にするのは当たり前で、

典型的なPay To Win世界な訳。

FPSなんて高々数千円で買った武器スキンがやれ見やすいだなんだで大揉め。

いや、勝ちたければ買えばええやん。現に有利なスキン、不利なスキンなんて当たり前の様に決まってるんだから

そもそもプレイヤーだってウン万する超低遅延、敵の見た目がしっかり見える特殊機能の付いたモニターに、

軽量かつ緻密なセンサーを付けたマウスや背面パッドや改造されたコントローラーは当たり前に使っている。

より高額で高機能グラボ1020万は当たり前の世界で、数千円のスキンで大荒れ。

やれフェアじゃないだなんだ。

・・・バカなの?

勝つためにカネをかけるのは当然でしょう。その結果勝ちやすくなるのは当たり前。

カネをかけたから有利な「ルール」になる訳じゃない。当たり判定が変わるわけでもない。

それ言い出したらゲームだろうがスポーツだろうが、社会生活だろうがPay To Win世界だらけなんだよ。

結局Pay To Winを悪としてる連中って、貧乏人かカネは出したくないけど文句は言いたいクレーマーなんだろうな。

2023-07-20

マウスキーボードとへッドセットとモニター私物で持ち込んで仕事してる(記憶装置がついてなければオーケー

2023-07-19

ライブ行くの楽しいよな

俺は全然アーティストとか興味ないか自分ではチケット買わないんだけど

高校来の友人が「ライブは好きだけど一人じゃ行けない」系の奴で定期的に誘われる。

それこそ地下アイドルから今はちょっと言いづらいジャニ〇ーズの大型ライブまでいろいろ奢ってもらった。

正直知らん曲が9割くらいだけど、会場で爆音で視界を証明でチカチカさせながら聞いてると

脳にドーパミンがドバドバ出て来るのがわかる。うーん、これは洗脳の手口。

小規模のライブだと出口の物販で演者がお見送りを兼ねて販売員してることもあって

そういう時は別に聞かんやろなと思いながらCDを買ったりする。

いまだにCD-Rとか売っててビックリするよな。

あと地下アイドル共通して同じ曲やりすぎ。初恋サイダーとnerve何回聞いたかわからん

個人的にはドームとかよりも2500人くらいのZepp系くらいの箱が一番楽しめる。

まぁドームのあの異常な数の人間がいる空間しか味わえないグルーヴ感ってのもあるけど、

ぶっちゃけ音楽聞く環境ではないわな。モニターしか見えんし。

友人が友人の友人がやってるアマチュアバンドライブチケットを買わされて一緒に行ったりもするんだけど

ガラガラライブハウスで各自バラバラに散らばって酒飲みながら駄弁ってて

バンドが入れ替わるたびに身内がダラダラと最前列に移動する、みたいなライブも詫び寂びがあってよい。

明らかなド素人の中にたまにクソ上手い洋楽カバーバンドがいるのも好き。

みんなは最近ライブ行ってる?

2023-07-16

今使ってるPCWindows 11更新できないから新しいPCを73000円で買った。

27インチIPSモニター込み。

2023-07-15

テレビ電子機器進化は凄かった…。

俺が小さい頃に初めて見たテレビは「小さく低画質なブラウン管テレビ」だった。

俺はそのテレビを使って、ビデオを見たり、スーパーファミコンをやっていたりしていた。あんな小さいテレビで、よくゲームをすることができたものだ…。

最近10代(特に2006年以降に生まれ子供)は知らないかもしれないが、鮮明に映してくれる今のデジタル放送とは違い、当時はアナログ放送だったため、電波が悪いといつも「ザーザー」と砂嵐ばっかりになって画面が見えずらくなり、大好きな放送が見れないことにがっかりしたり、イライラしていた時期がよくあった…。

小学生高学年になってから、「ニンテンドーDSを買え!」と親にねだった時もあって、親はイヤイヤながら買ってくれたのが懐かしい…。

中学生になってから、家にあった「Windows Vista」の新しいノートパソコンをよく使うようになったのだが、動作が非常に遅く、じっと待つしかなかった…。どのくらい待つのかといえば、電源ボタンを入れてから、間食用カップラーメン3分で用意できるぐらいだ…。ゲームぐらいさせてくれよ…。

あとインターネット回線の速度も死ぬほど遅かったものだ。画像1枚を読み込むのに1分もかかったことも珍しくなかった…。

高校生になってから自分お小遣いを使って、内緒ウォークマンNW-Sシリーズ」を1万円で買って、沢山の音楽を聴いていた時期もあった…。

大学生になり、家電量販店に行った俺はアルバイトで貯めたお金を使って、3万円した32型の液晶テレビを買うことができたのは、何よりうれしかった思い出だ…。

数年後には「各4Kテレビ」が販売されるようになったが、当時はまだ気軽に買える値段ではなかったぞ(たしか50型の4Kテレビ最初「40万円以上」もしていたのは覚えている)…。

そしてしばらく時が経ち、コロナ流行り始め、家に居る事が多くなった俺は、久しぶりに家電量販店に行ってみると、50型の4Kテレビ20万円以下で買えるようになったことに驚き、これを機にそのテレビを買った。やっぱり新しいテレビはいいよ…。より快適になればなるほど、感動は沸くものだ…。

そして最近になって、コンビニの店内や駅前さら電車の中にも、巨大モニターが設置されるようになったため、もはや街路中にモニターがあることが珍しくなくなった。

街路中に巨大モニターがあるだなんて、俺が高校生になるまで、「渋谷ビル」か「新宿アルタ」ぐらいしか思い浮かばなかったのに…。

まとめに入るが、俺は人生の中で最も変化があったものは、やはりテレビ電子機器進化だったのではないかと思う…。

ちなみに今、4Kテレビの値段を見てみたが、50型でも10万円を切るほど気軽に買えるようになった…。あと8Kテレビの値段も、「20万円以下」で買えるようになったのも驚いた…。

1950年代に白黒テレビ販売された当初、一生かけても庶民には買えないぐらいの値段だったのが、今ではもう気軽に超高画質なテレビが買えるというギャップよw

2023-07-14

昨日の夢は漫画を読んでる夢だった

漫画の中にはそこそこ仲のいい3人の同期がいて、1人の同期の彼女レイプされたという噂だった

あくまでも噂なのでどうすることもできずただ仕事をするだけの2人

パソコンモニターになんとも言えない顔がうかぶ

仕事はいろんなアプリを使う

同期が仕事ヘルプを出してきたのでいつもより丁寧に仕事に付き合う2人

パソコンアプリは便利だけどできることが限られてる

そういうことと俺たちにできることはこれくらいだけど出来ることはいくらでも利用してくれていいから、という絡め方で物語が進んでいく

やがてレイプ本当にあったんだとわかっていく

そんな夢だった

2023-07-13

総務省調査家計簿をつけて毎月2000円もらうモニターをやっている

からちゃんエロサイトのサブスク登録したらエロサイトのサブスクに入ったと正直に書いて国に報告してる

ワイくん正直でえらいなぁ!

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-09

人を呼べる家

最近マッチングアプリを始めて、やり取りをしていたら家に来たいという話になった

流れが早すぎるのもヤリ目っぽいのも全然構わないんだけど冷静に考えて人を呼べる家ではない

散らかってるのは掃除をすればいいけれどそういう問題ではなく、ちゃぶ台座椅子と敷き布団しかない家に誰を呼べるというのか

人を呼べる家というのは

・2人分以上の最低限の食器

ソファー

テレビ

・(ベッド)

・そこそこの広さ

が少なくともある家で、そんなの誰かと暮らしたことがないと無理だと思う私は生活が雑すぎるのかな

みんなテレビモニターが家にあると思うなよ

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