はてなキーワード: ストレートとは
ツイッターで見かけるSM系方面の人(基本的に主側)。何故高確率で面倒くさい人ばかりなんだろうか。
どう面倒くさいのか上手く言えないんだけど、ツイートの文面がイチイチ高尚な雰囲気を醸し出す書き方をしている。
(例:「乙女の柔肌は叩かれる度に夕焼けの様に赤く染まっていく…。」「私はこの主従関係に特別な事はしていません(中略)私だからなせるのです」等)
あと性格の面倒臭さが文章から伝わってくるぐらい、回りくどい書き方をしてて、見ているコッチが渋い顔をしてしまう。
やっている活動そのものは、プレイの写真も上がるので、とてもスケベなのでつい見てしまうんだけども、それでも文章とセットで見るハメになるので若干見ることに対して辟易な気分になる。
私の会社は激務だ。
新卒ストレートで入ったので、長い間激務だということに気づかずにいた。
月の1/3以上が夜勤であり、そもそも夜勤というか、1回の拘束時間が異常に長い。
ちなみにここにはムダな朝会や仕事の準備時間であるサービス残業4、5時間が含まれている。
当然夜勤なので、仮眠時間があるはずだが、忙しすぎて2時間ぐらいしか横になって眠れない。
そもそも忙しくてご飯やトイレも行けないので、睡眠は一番後回しになるのだ。完徹もザラだ。
これで終わりではない。夜勤明けの日にはなんだかんだで仕事が入っている。
夜勤明けで昼過ぎに帰り、また夕方から深夜まで仕事をすることもよくある。
前提として夜勤明けにお昼過ぎに帰れる日も少ない。不眠不休のまま夕方や夜まで仕事をすることもある。35時間だ。
休日は了承もなく潰れる。勤務から次の勤務までの時間が10時間も開かない。残業代は2万ほど。有給は取れない。
夜勤明けにもかかわらず上司にあいさつしないと帰れないという決まり。1時間電話をしている上司の横でただ「帰ります」の一言を言うためだけに待たされる。
少ない休みにもかかわらず、朝会で上司の毎回代わり映えのしない話を聞くためだけに出勤させられる。たった数時間のために無給で。
時間関係なく休みでもかかってくる電話。朝の6時、夜の12時。それ今じゃないとダメなの?という用件の数々……。
なんだか本当に疲れてしまった。
仕事内容も危険な上、人から罵倒されたり、緊張度も緊急度も高い。
その仕事の前ではご飯やトイレなど人間らしい欲求は後回しなのだ。
ここまでして働かないとダメなのか。
もう人間に戻りたい。
年収は20代後半で約450万円だが、それと引き換えにいろいろなものを失っている気がする。
私の職場はおかしいと思う。でも職場ではおかしいと言う私の方がおかしいという扱いだ。
よくもうわからない。
シュルレアリスム、シュールを説明するときのいい例えとしては、
落ちているマシュマロを
もーなんなの
この事務所にいたらあっと言う間に
旅の癒やしもなにもないじゃない!
せっかくの旅が台無しよ!と言うか、
世知辛いわね。
もうさ
さすがにまだ早いわ、
この時感に飲んじゃったら
何事にも
うふふ。
良い出汁ストックがあったのでそれで雑炊をささっと作って頂きました。
自分でスーパーでそこら辺にある適当な昆布ではなかなか同じようには行かないのかもね?
試してみたいわ。
チャレンジングスピリッツをかき立てるなんか他の食材と混ぜて研究の余地ありね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前期で必修の再履修を落としたので留年が決まった。大学に入るために一年浪人していたので一浪一留の絶望大学生が生まれる。
最近悩みが尽きない。
国立大なので学費はそこまでかからないが,5年分の学費を出させてしまう。あと,50万はなんだかんだでかなりの大金である。また,私のいとこには大学生が二人いてそれぞれ医学科,国立最難関大学に通っている。彼らはストレートで卒業する見込みなので彼らより劣っている学歴にさらに一年の留年してしますというダメ人間がこの家の長男なんだと思わせてしまうことが辛い。
私は現在の専攻に興味が持てず,大学院で情報系への分野転向を考えていた。独学でプログラミングの勉強を始めたがなかなか楽しかったので将来的にエンジニアになりたいと考えていたからなのと,情報系でかなり興味がある分野があったので大学院でそれらの勉強をしたいと考えていた。
しかし,留年してしまったのである。必修の再履修は絶対に落としたくなかったので,最前列で受講し,全出席,課題も全て提出した。テスト勉強もかなり時間をかけたのに,学部内容の簡単なテストを落としてしまったのである。現在の専攻に興味がないとはいえ,自分の中では頑張ったつもりだった。テストの感触もよかった。なのに単位を落とした。
人間関係はとても良好で、オフィス環境も快適。業務は忙しいけれど充実している。とても恵まれた環境で働いていると思う。
ただ、ひとつだけ許せないことがある。
トイレのウォシュレットの水圧が、高い確率で、最大になっている。
私は臀部に爆弾を抱えている。
よりストレートな言い方をすると、痔持ちだ。
痔持ちの同士にはわかってくれると思うが、トイレにウォシュレットがあるかというのは生命線の1つである。
たまに腹を壊し、瀕死の状態で駆け込んだトイレにウォシュレットがあったときは、地獄の空の上から蜘蛛の糸が降りてきたカンダタの気持ちもわかるというものだ。
話を元に戻そう。あれは1年ほど前、この会社に入ってちょっと経ったころに、はじめてトイレで大きいほうの排泄を試みた。
自分はストレスに弱く、体質的に緊張していると出るものもなかなか出ないほうだ。
こうして用を足せるようになって、私も少しずつこの会社に慣れてきたのかな...なんて感慨に耽っていると、
私の肛門に槍が突き刺さった。
激痛に耐えかねて思わず「ア”オ”ッ」という声が出る。なんだ。何が起きた。
私の肛門に突き刺さったのが槍ではなく、最大出力に設定されたウォシュレットだと気がつくことに、そう時間はかからなかった。
ふざけるな。
お前は道徳の時間に何を学んできた?お尻が強い人も弱い人もいるっていう想像力はどこに置いてきたんだ?
そもそもウォシュレットって水圧でウンコを流すもんだと思っているのかお前は?
ウォシュレットの意義はケツを濡らしてウンコを落としやすくする以外に何があると思ってるんだ?
それをよりによって最強にする意味はどこにある?最弱ですら十分だろうが。
五体満足で鋼鉄のように頑丈なケツの持ち主であるお前は最大出力のウォシュレットでも物足りないのかもしれないが、
私のナイーヴなケツはそんな水圧に耐えられるようにできていないんだよ。
などと心の中で一通り悪態をつき、辛うじて一命をとりとめた私は、30秒前に抱いていた感慨などとうに忘れ、修羅の表情で業務に戻った。
それからというもの、用を足す時にはできるだけ水圧を「最弱」にするのを忘れないようにして、用を足すようにしている。
しかし、忙しいときや考え事をしているとき(そういう時こそトイレに入りたくなるものだ)、ウォーターカッターの如き水圧のウォシュレットは私の無防備な菊門を狙ってくる。
この1年間で、私は何度こいつに煮え湯を飲まされたかわからない。
前述したとおり、この職場の人間関係はとても良好だ。先輩も同期も後輩もみんな優しい。少ないメンバーで、かなりうまくやっていると思う。
「この中の誰かが、いつもウォシュレットの水圧を最大にしている」
「誰だ?どいつだ?」
「温厚な同期のAくん?」「職場のマドンナのBちゃん?」「凄腕エンジニアのC先輩?」
「クソッ、どいつなんだ...」
「いや、待てよ。複数犯ということは...」
「...」
私には、「こんなかでウォシュレットの水圧上げてんの誰だ?あ?お前か?お?」と凄むことも、
また、誰がウォシュレットの水圧を上げているのかを調べるために、人がトイレから出てくるたびにウォシュレットの水圧を確認することもしていないし、できない。
私の心も自分のケツと同じぐらいナイーヴだからだ。なのでこうして増田に書いているわけだが。
ウォシュレットの水圧を最大まで上げている奴に言いたいことはたくさんある。
トイレくらい気を抜かせてくれ、お前のケツどんだけ頑丈なんだよ、痔とかなったことないんだろうな、ふざけんなマジで...
でも一番言いたいのは、これだ。
今回の件では、ラノベを批判する側も決して一枚岩でなく、いくつかのグループがありました。
そのうちのあるグループがこう主張していました、
「エロい表紙だからダメ」でも「差別的な意図があるからダメ」でもなく、
「私たちに『差別的な意図がある』と思わせたからダメなのだ」と。
なかなか理解できずにいたところ、ふと思いついたのが、
「差別的な意図はなかったとしてもステレオタイプな黒人を描くのは差別」という論理でした。
「差別的な意図はなかったとしてもステレオタイプな巨乳女性を描くのは差別」。
なるほど、対応しているように見える。
いったい何が問題なのでしょうか?
なぜ「意図的でなくとも」なのか。
それは、差別的なステレオタイプを「無自覚に」支持していることがありうるからです。
そこからは作者の「意図」が差別的かどうか、という問題となり、
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
葵・喜美というキャラクターの格好には、もちろん作者の「意図」がありますが、
その「意図」を評価するには、作品内容に踏み込まねばならないでしょう。
「被害者が差別的に感じればすべて差別」という論法が使われることもあるらしいですが、
これは「差別かどうか」を機械的に分別しうる分かりやすい基準が欲されているだけだと思います。
当然ながら、「そこに意図はあるのか」「その作者の意図は差別的か」といった判断に思考放棄は許されず、
男性への媚びや隷属、あるいは羞恥といったイメージを抱く人がいます。
一方で、オタクには「エロい女は強キャラだ」というステレオタイプがあります。
あられもない格好をして興奮しているようなキャラクターが弱いはずがない。
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
主人公も含め、多くのキャラクターが頭の上がらない存在でもあります。
たとえば「ハーレム」というと男性優位をイメージするでしょうか?
多くのハーレムラブコメにおいて、男性主人公は情の深さと優柔不断を併せ持ち、
その性格がためにむしろ周囲のヒロインたちに奉仕する構図になりがちです。
(もちろん英雄好色を地で行く奔放なキャラも一つの類型として存在しますが)
言うまでもなく「いずれのステレオタイプが正しいか」と主張したいわけではありません。
ステレオタイプというものは意外に食い違っているものだということです。
「女性の頬が紅潮しているのは男性への媚びである」が「黒人の唇は厚い」などと
同程度に共有されたステレオタイプであるのかは議論の余地があるでしょう。
『境界線上のホライゾンXI中』の表紙に描かれた、
(ちなみに境ホラⅤ下の表紙は男性です)
しかし、たとえばセリーナ・ウィリアムズをカリカチュアライズして炎上した風刺画とは違い、
オタクにとってあのイラストは、あくまで葵・喜美というキャラクターの「真像」です。
これは、あのイラストを広く遍く「女性」のカリカチュアとして捉える人々との深刻な齟齬となります。
特に、葵・喜美はキャラクターとして「ごく一般的な女性」として設定されているわけでもありません。
シリーズに深く親しむファンほど、「女性」全体のイメージと結びつけるような見方に反発するでしょう。
これはデータも何もないただの推測なんですが、ストレートの人らがLGBTについてまず思うことはセックスについてだと思うんです。
件の社会学者が例に出した「殺人」に対する「嫌悪感」も嫌悪感覚えるから等価になるね。
「殺人」に対する嫌悪感はまたひと味違った「嫌悪感」となれば、LGBTに対する「嫌悪感」もラノベ表紙に対する「嫌悪感」も違うものになるね。
別にわたしどっちかと言うなら表現規制反対派マインドの人だし、LGBTとか関係のない話すんなよ、論点それんじゃねーか、としか思ってないので、
何をそんなにLGBTに対して拘ってるのかわからないんだけど。百歩譲ってフェミニストのあり方を論理で殴るなら、わかるんだけど。
むしろLGBとTを一緒にしてること自体そのものが間違いだと前から思ってるんですけど。
ただ今回の件、その人のやり取り詳しく見てないんで当人の意図はわかりませんが、
こういう議論で取り上げられるLGBTってのは主にレズやゲイの事が多いので、そういう括りで言ってるんじゃないかと思ったりします。
雑なんですけど、対するラノベの表紙についてもダメなタイトルはおろか描写のどこが悪いかに至るまでかなり雑な取り上げ方してるんでその点はおあいこかなと思ったり。
これはその通りというか当たり前ですが、自分が言ってるのは「なぜ差別されているのか」という話です。
両性具有など目でわかる場合を除けば、性指向や性嗜好は表現しなければ他人に判別されることはあり得ません。
表現したうえでそれを確認した人が嫌悪を表して差別につながるわけです。
ラノベの表紙と一緒と言ったのはここが同じと思ってるからです。存在の保障の話をしてるのではないです。
あと質問の答えじゃないですが、「なぜLGBTの人らが気持ち悪いと言われなきゃならないのか」という点もラノベの表紙の件と根底は一緒だと感じてます。
これはデータも何もないただの推測なんですが、ストレートの人らがLGBTについてまず思うことはセックスについてだと思うんです。
何度考えても自分に何か非があったとは思えない。
ただ人に望まれるままを言われたとおり文字通りにサービスして来たに過ぎない。
間違っていたことがあるとすれば、嘘を嘘と見抜く力がなかっただけだ。
それを嘘をついた張本人に責められる筋合いがあるのだろうか。
自分で自分の望まない結果に誘導するような嘘を、ついついついてしまう方が、
なぜ自分が何を求めているのかもわからない人の、言葉の向こう側にある本音を汲み取ってやらねば俺が責められるのだろうか。
なぜ自分が何を求めているのかを、素直にストレートに表現する能力がない無能が正常で、
それを言葉通り忠実に守ってサービスしてやろうとした善良で利発な俺が異常かのように扱われねばならないのか。
何故いちいちエラーを起こさずに,合理的に活動することが出来ないのだろう。
俺は自然に帰りたい。
気軽にゾーニングすればいいだけだろと多くの人が言ってるけど、
なにか勘違いしてないだろうか。ゾーニングはそんな単純な話じゃない。
長くなってしまったが、エロだからってすぐゾーニングしろという話がおかしいことや、
流し読みだけでもしてもらえるとありがたい。
ゲームとか映画とかの話題が出てるから、レーティングと勘違いしてる人が多いのかも。
一緒の意味で使う場合もあるけど、物理的区分の話と年齢などで購入制限する話は別。
レーティングするにしても、専門の審査団体が必要になるので気軽にできるものではない。
日本で販売される書籍(海外翻訳も含む)を審査し、全てにレーティングを施さなければいけないのだ。
適当に「エロを指定するだけなら簡単だろ」ぐらいのイメージかもしれないけど、
そういうものでは全くない。
売り場がジャンルごとに分かれていることは、緩いゾーニングとして機能する。
意味がないと思ってる人もいるかも知れないが、少女漫画コーナーに男性が行きにくいことを想像してもらえればいい。
子供時代に入りにくいコーナーもあったと思うが、その程度には有効なのだ。
だが今回の件では、みんなAVや成人漫画のような意味でのソーニングを望んでるように思える。
成人コンテンツに指定しろゾーニングしろと言う人がいるが、待って欲しい。
世の中に存在するエロ描写はむしろ、ほとんどがゾーニングされていないのだ。
漫画でいえば青年漫画、少女漫画、TL、レディコミ、BLなどの単行本、および掲載されている雑誌がある。
それだけでも膨大な数だが、
小説でも文学、一般文芸、ラノベ、官能小説、ロマンス小説、美少女小説などが、雑誌、単行本、文庫と大量に存在するし、
話題になったananのセックス特集など、女性向けの雑誌も含まれる。
表紙がエロティックな書籍、変態性欲をメインに扱う書籍だって山ほどあるが、
レーティングでR-18の作品があるが、18歳以上が作品の対象という表示の意味しかなく、
暖簾で仕切るような区分陳列が求められているわけではないのだ。
以上のように、エロであっても全年齢向けのままか、
レーティングがあっても一般と同じ売り場で流通する方が、普通なのだ。
(もちろん、先に書いた「緩いゾーニング」として棚が分かれるなどの対応はされているが)
そんな中で、売り場からの隔離が必要な成人コンテンツ化を急に言い出す人は、
そういうことを踏まえて今回のラノベが
AVや成人漫画と同じようなゾーニングが必要かと言えば、当然答えはNOだろう。
先ほど例に挙げたように、ラノベよりエロに特化した全年齢向けの書籍は、ラノベの何倍も存在する。
それに文字が主体表現である書籍でレーティングがされるなんてことは、現状ではほぼあり得ない。
作品そのものやジャンル自体を糾弾したり、ゾーニングを望むことが性急過ぎる。
また、性表現が行き過ぎているのであれば、
出版業界が野放しのように思えるかも知れないが、締め付け役としての存在はちゃんとある。
表現そのものより、性の扱い方が問題なのだという話もあったが、
女性が虐げられる暴力描写などは他の書籍でも見られるし、そういうストレートな表紙の小説も存在する。
これも、今回の件だけを選んで騒ぎ立てる方が特殊なように感じる。
ラノベコーナーに子供が立ち入るのと同じ程度には、小説の文庫コーナーにも子供は行くと思うが。
表紙の差し替えなどの話はありだと思う。
ただ、繰り返しになるが、ananのセックス特集は全裸で絡む男女の写真が表紙で、
(雑誌は書店の正面入り口付近に置かれることが多く、人気特集でもあるので、当然誰もが目にする場所に配置される)
女医が教えるセックスとかいう全裸で喘ぐ女性イラストが表紙の本も、入り口の目立つところに置かれていたのをよく見た。
これなどはネットで多少問題になった気もするが、実際にはゾーニングに至っていないし、
当然、有害指定も受けていない。
もっと視野を広く持って、他の物と比較して総合的に判断して欲しい。
「ラノベがダメなら、BLはどうなんだ」という意見に「どっちもダメに決まってるだろ」というコメントが寄せられたが、
これがおかしいこともわかってもらえるだろう。
こういう風に基準を厳しくして「あれもダメ、これもダメ」をやっていくと、
例に挙げた書籍は全てゾーニングされるだろうし、そうしたら児童書くらいしか残らなくなる。
「女性はBLのゾーニングを望んでる」という意見があった。これ自体は昔から言われていることだ。
(二次創作の検索よけと混同して、BLはゾーニングがしっかりしていると勘違いしてる人もいたが全然別の話)
だが、長年望まれていて、しかも今や男性作品より有害指定が多いという苦しい状況なのに、
なぜ未だにゾーニングが実現しないだろうか。
男性と違って成人コンテンツが少ない女性にはそういう習慣や文化がなく、
成長する見込みも薄いと推測されているのだ。
(すでに販路がある男性向けでも、あの規模を一斉にゾーニングしたら大変だと思うが)
BLでは成人向けの同人が盛んだと思うかも知れないが、商業BLの市場を支えられるほどの規模ではい。
また、商業の客層には未成年者がそれだけ多いということでもあるのだろう。
何度か成人化を試みて失敗した上で、
だから、都条例で指定を受けながらも、全年齢で作品を出し続けている。
「ゾーニングは自分たちの表現を守るための物」という言葉には正しい部分もあるが、
今回の件では、なぜか女性側から、男性向け作品や業界を揶揄するような発言もあった。
女性向け界隈の方がよっぽどグレーな状態なのだということは理解して欲しい。
このように、多くのエロ関係の作品は全年齢向けで売られているし、
売り場も隔離されていないし、
錦織も、エア・ケイなんて言われてた頃は馬鹿そうな顔してて、やっぱり会見とかでも大した質問されてなかった記憶が
主語をデカくして書くが、日本人は優れた人物のスゴさをストレートに賞賛しない
何か風変わりな点や、未熟なところをクローズアップして、それを「庶民感覚」なんて言葉で正当化するが、とにかく、目立つ奴の足元を掬う、出る杭は叩きたいだけ
ただ、錦織も藤井も、今は相応の知見を備えた(ように見える)顔になってるので、大坂なおみも馬鹿扱いされるのは、もうしばらくの我慢だな
※この記事はウィスキーストレートの影響により読みづらい部分があります。
クラスやインスタンスすら知らない人達がJavaエンジニアを名乗ったり、Hueのデモをしただけで IoT 特区に派遣されたり
色々不安はあったので、いつか転職しようとは思っていたが、これがまた微妙にぬるま湯な環境なので特に行動しなかった。
インフラ系なんで経営的には過去最高だったり(でも給料はかわらない)会社の存続を心配することは皆無だけども
特定派遣法も厳しくなったこともあり、エンジニアリングより営業や、データーセンターのベンダーコントロールを任されることが増えてきた。
中学の頃からVBをやっているくらいプログラミングが好きなので、
来年の30前に転職を経験しておこうと思って活動してみた・・・わけだが。
書 類 す ら と お ら ね え ^_^
とりあえず、”業務経歴として”開発できることを求められることがわかった。
ちなみに、自分のコーディングスキルは、学生の頃にSDL、末期にはXNAやcocos2dxでスマホゲーくらいなら作ったことがある。
Unityはまったくしらん。
Web系では vue.js+rails で社内(2000人程)向けの okweb的なものはつくったりもした。これは割と好評だった。
しかし、振り返れば、確かに「一般サービスの開発経験」は皆無だし、自分が業務でやってきたのは公共系の改修作業がメインで、
新卒であれば、業務経験は問われないので、そういう意味では新卒で入る会社を誤ってしまったようだ。