はてなキーワード: グリーン車とは
逆の考え方もあるんだよ
一般の指定席だと席も狭く人も多いし、子供運ぶのは骨が折れるんだ
そういう考え方の人もいるし、その使い方を咎める権利は誰にもない
グリーン車をどう使うかは客次第だ
それに、グリーン車でダメなことが一般席で許されるのかというと俺はそうは思わない
守るべきマナーと、我慢すべきことはどの席でも同じなはずだ
グリーン車でも一般席でも、子供を騒がせ過ぎてはいけないし、グリーン車に乗ってても
赤子が多少泣くのは我慢しなきゃいけない
騒ぎすぎるならデッキに連れてくのも必要だし、一人で数人の子を連れた親なら様々な
事情もあるだろうと思いやってデッキに連れて行けなくても我慢しなきゃいけない
そのへんは席種で差はない
差があると思ってるなら思い上がりだ
十年前からネットに詳しかったであろうのに、今更「武田邦彦がデマばかりで」云々と噴き上がっている人たちを見ると、何を見てきたのかなあと思います。こういうことをする人だということが、2011年にはもう広く知れ渡っていませんでしたか?
ペットボトルのリサイクルは駄目という説に対する反論が目立たない理由
http://archive.wiredvision.co.jp/blog/fujikura/200804/200804041200.html
1と2の議論では、双方が主張する数値が違っている。武田さんは、「国のデータが信頼できない」から、「独自に計算」したデータを使っていると言う。しかし、環境省が実数を何倍もゴマかしているとはちょっと思えない。また、武田さんがPETボトルリサイクル推進協議会から引用したとする「再利用量」データは、「捏造」であるとデータ元とされた同協議会が指摘している。武田さんも協議会や環境省のデータが信じられないと主張するのならば、「独自」の計算の根拠を示すべきだが、見たことがない。
3の議論は、かなり前から武田さんが主張している。しかし、森口さんや安井さんが指摘するように、「お金が3倍かかるから、エネルギーも3倍かかる」という主張は理解できない。金額とエネルギー消費は必ずしも比例しない。グリーン車に乗るには普通車の2倍近いお金が必要だが、だからグリーン車での移動は普通車の2倍エネルギーを消費するとは言わない。リサイクルも同じ理屈である。人手を使って、分別収集すれば人件費がかかるのは当たり前だが、それによって化石燃料の消費が増えるわけではない。
武田さんの言説は一刀両断歯切れが良い。「駄目!」と言明する。しかも、リサイクルは良いという「常識」に挑戦している。だから、マスメディアにも受けるし、市民が受ける印象も強い。結局、多数の研究者の「学者っぽい」指摘よりも、武田さんの断言が勝ってしまう。
未だに
「コンビニで菓子を買うなんて、学生のころにはやらなかったなー」
「1時間程度の乗車のために、グリーン車に乗るなんて、学生のころにはやらなかったなー」
などとちょっとした贅沢や無駄遣いをするときに、学生のころを比較してしまう。
いい加減、その癖止めた方がいいのではと思った。
6年前の自分比較って、小学1年生と中学1年生、中学1年と大学1年、大学1年と修士卒を比較しているようなものだ。
違って当たり前だ。
なのに、違うことにしみじみしたところで何の意味もないではないか。
むしろここ数年変化がないことの方を危ぶむべきだ。
考えてみれば、日々の業務に忙殺されて、何かを進めた記憶があまりない。
いや、業務をこなしている以上、業務に関しての知識は積まれていっているが、それはあくまで会社の中での話。
世間一般の視点からみた場合、資格を取ったわけでもなければ、社外に人脈を作ったわけでもない、交友関係を深めたりしたこともない。
このままでいいのだろうかと思ってしまう。
PGは、まず見積もりを依頼されます。この時ほとんどの場合、要求仕様書が無いか、あっても伝聞で情報が欠落もしくはエラーを起こしています。残念ながらエラー訂正機構は装備されていません。CRC、せめてパリティでも入っていればちょっとは違うかもしれません。期待出来ませんが。
ここでプロジェクトマネージャー(又は管理者・経営者等。以後PMと称する)から「最速でやった場合」「割り込みが入らない場合」「君がやった場合」or「部署内で最高ランクのPGがやった場合」「仕様変更が無い場合」という条件が付きます。
底辺PG諸君。ここでこの言葉を額面通りに受け取ってはいけません。
「【最速で】3ヶ月かかります」
と答えたらPMは【普通に】3ヶ月の工程を工程表に書き、見積書に3人月分の金額を書きます。そしてこれは後述する危険と隣り合わせとなります。
この危険を経験したPGは大抵リスクを込みで【黙って】見積もりを伝えます。
しかしPMはお見通しです。「高い」「そんなに時間がかかるわけが無い」と言い、受け付けません。何故なら実はPMの頭の中では既に「3ヶ月」なのです。PMは追い込むために見積もりの詳細を聞いてきます。
ここで素直に「リスク込み」と答えてはいけません。既にPMは前述の前提条件を述べているからです。無下に却下されます。
戦いたいPGかつPMが同じ会社であれば「後学のためにPMの詳細見積もりをお聞かせ下さい」と聞いてみるのも良いでしょう。ただし確実に印象悪化は避けられません。PMが発注元の場合は禁句です。まずキレます。そのまま発注されない事もあるでしょう。発注されなかった事を喜びましょう。
なぜキレるか。それは簡単です。「明確で論理的な理由が無いから」です。理由が無い上に実は既に予算が決まっており、それを超える事は許されません。予算を超えた見積もりはPMがさらに上層部・経営陣から怒られる事を意味するからです。理由が無いから理由をPGに考えさせているのです。PMが仕事をした気にさせるのも底辺PGの役目です。
予算を超えた見積もりはあり得ませんので、答えは「がんばります」しか残りません。しかしPMはそれすらもPGの口から言わせたいのです。でもよく考えて下さい。あなたの脳はオーバークロック出来ますか?
底辺PGが出来る事は、PMやユーザーが分からないように期間と予算を加算するくらいです。
一応、市場原理が働くため、安い方がいいに決まっています。金払いのいいユーザーや元請けってのはあんまり無いです。そして金払いの悪い所ほど後々してやられますので、最初の予算の付け方でどういう所かが大体予測出来ます。
そんなわけで、予算と期間に品質と内容は関わりがありません。もちろん企業の使命として、安くて良い品を、安くても利益を、は追求してしかるべきなのですが、日本の場合質と金額が比例するのは極一部。IT業では基本的に、安くて良い品を出来るだけ高速に、がモットーです。受注しなければ会社がやっていけないのは分かりますが、「安さ」だけしか売り物に出来ない会社は、IT会社として失格でしょう。
かくして、短納期低予算のプロジェクトが組まれるわけです。そのPMの理論からすると、高速バスで東京から新大阪へ行く方が、新幹線のぞみの指定席グリーン車で行くより高く、書留速達の郵便より普通郵便の方が値段が高い、という事になりますが。質、時間、価格の何がIT業と違うんでしょうか。
実のところ発注や作業開始は遅れている事が多く、納期に間に合わせるには発注前に作業を開始せざるを得ない場合が8割ほどです。実はここにも罠が仕掛けられています。
作業に取りかかろうとようやく出てきた仕様書を見ると、見積もり時の時と変わっていたり、追加されていたり、未だに仕様が無い場合がほとんどです。
「こんなものをこんな期間で出来やしない!」と憤慨してはいけません。なぜなら
という答えが返ってくるだけです。PMが見積もらない理由がここです。PMに見積もりを聞いてはいけない理由がここです。これは後々まで効いてきますので注意が必要です。「前提条件と違う」と反論するのは無駄です。PMはそれは忘れています。そもそも考えて発言していないので口が勝手に脊髄反射で言った事であり脳は関知していないのかもしれません。PMにとって最重要な事は「PG自身が言った事」です。そう、工程表にも議事録にも「3ヶ月」という数字のみが記載され、いわゆる「リスク」は何処にも書かれて残っていません。
PMやユーザーは絶対にリスクや前提条件を書き残しません。それがこの業界の伝統ある慣習だからです。
ここで言った言わないの不毛な戦いをしてもいいのですが、確実に査定は最低です。もしプロジェクトから外されたらそれは喜びましょう。
管理者や経営陣等からは「やる前に出来ない言うな。やってから言え」と怒られます。残念ながらこれも真に受けてはいけません。
設計、構築など作業をしている間もどんどん仕様変更・追加は流れ込みます。
PMは工程進捗を把握しているのでは無く、PGが【自ら】工程表や報告書に纏めます。遅延していれば遅延の理由も書き、挽回策があればそれも書きます。しかしPG個人が取れる挽回策などたかがしれています。と言うよりそれが分かっていれば遅延などしません。他の策は既に実行済みなので、挽回策には「残業・休日出勤」くらいしか書く事が残りません。しかしこれは現実にこれしか書く必要がありません。なぜならPMはこれ以外の挽回策は理解不能だからです。
仮に報告をしても「早すぎる。もっとやってみてから」「がんばれ」という答えが返ってくる事でしょう。
遅れを放置するPMもいますが、許容範囲はPMにもよりますがある程度遅れが見えてくるとPMから追求がやってくるようになります。
「なぜこんなになるまで報告しなかった」
そう、報告出来る時期というのは非常に限られています。多分プロジェクト工程(今の例なら3ヶ月)の中の30分くらいです。それより早いと相手にされず、それよりも遅いと怒られます。報告時期を見誤らないのもPG業の技です。
実装が難しかったり、無理難題は多々あり、その上工程が遅延しているので、相談をしに行きます。しかし、それは無駄です。
「自分で考えろ」
「やってから言ってるんじゃねぇ。やる前に言え」
他似たような答えしか返ってきません。非常に非生産的です。理不尽です。時間の無駄と考え報告・相談に行かないPGも多いとか。非生産的ですが、一応相談はしておきましょう。ただし時間は取られないように。
同僚やチーム員に相談してもいいのですが、昨今のプロジェクトは人員がスタンドアロンで動いています。したがって、隣の人やチーム員がが何をやっているのか知らない事が非常に多く、相談出来ない事も多いのです。PGにメンタル病が多いのは実は理由がここにあると自分は思っています。孤立感が半端無いのです。まぁ、元を追えば、そいういうチームを組む事、教育訓練しない事など、実は管理者・経営者が「カイゼン」や「効率向上」を題目に目の前の超短期的コスト削減だけを考えている結果なので、PGとしては何も出来る事はありません。管理者・経営者は中長期について考える必要が無いからです。なぜなら「その頃には自分は満額の退職金を貰って定年退職済み」だから。
実のところ単独の仕事をしていればいい、と言う事はあり得ません。同じプロジェクトの中からも割り込みや、他のプロジェクト・部からも割り込みは多々入ります。
始めに言ったじゃん。どうにかして。というのは無駄です。覚えてないし、「会社員なら当たり前だ」という答えが返ってくるだけです。「15分だけ」「ちょっとだけ」が頻発しますが、塵も積もればなんとやら、です。ちなみにこの件は査定・人事評価には全く影響がありません。
相談すれば「午前中はこの仕事、午後はこの仕事、定時後はこの仕事をすれば並列同時が可能だ」とあたかも新発見超名案を出したかのように返されるのが落ちです。そう、1日が24時間しかない事は忘れ去られ、PGが人間である事は忘れ去られ、思考の分断は効率を激しく低下させる事を知らないのです。
ここで断る勇気を持つのが大事ですが、職場内の雰囲気は格段に悪化します。評価は「人でなし」「自分勝手」「自分本位」「冷たい」。これらの視線に耐えられるのなら断りましょう。こちらからすれば「自分の時間を奪う方がよっぽど人でなしだ」と言い返したい気分です。
テスト工程も始まり、遅延が激しくなる上に、バグが発見されさらに遅延という状況が始まります。
ソフトウェアである以上、バグが無いプログラムなんてのはあり得ないのでバグを出す事自体は不可避です。
ところがPMは激しく怒り出します。バグの発見はPMに一報が行きPMが怒られるからです。
底辺PGはバグを出す毎にこっぴどく怒られます。中には仕様変更の事実がPGまで伝わっていないのにバグ扱いされる事も多々あります。
バグを出すと修正、テスト、再発防止策の考案などの厄介事が増えます。
再発防止策は通常「どうやったら自動的にそうならないか」を考えますが、あまりに根幹すぎるので、底辺PGの身分では権限が無く、出来る事が限られます。そしてPMが理解出来る策を考えねばなりません。結果「テストを増やす」「チェックシートを作る」とかになりがちです。しまいには「チェックシートのチェックシートを作る」などという意味不明の現象に陥ったプロジェクトを何度も見ています。
厳しく、それは厳しく怒られる上に、チームの前でさらし者にされる事、人格を否定される事も多々あるので、PGはバグを出さないように、見つけても出来るだけ極秘裏に解決しようとします。
「恐怖駆動型開発」
というもので、日本の場合ほとんどがこの開発手法をとられていると聞きます。この開発手法は書籍になっておらず、書籍としてよく売られているのはアジャイルな開発手法の本が多いです。知識として持っているのはいいと思いますが、役に立たないと思いますねぇ、恐怖駆動型開発の前には。まわりの人間も恐怖に巻き込まれないようにするため、どんどんスタンドアロン化が加速します。
その上、バグを隠すようになり、バグが出るようなテストを避けるようになるため、短期的に収束しているようにみえます。だから効果絶大と見るようです。リリースしてからが楽しみですね。
PMが空想から覚め、もう救いようが無くなった事が事実と認識出来るようになった時、ようやく、2度目の相談・報告時期が訪れます。ただし、PMの第1声は「どうしたらいい?」です。そんな事が分かっているのなら実行済みなので、黙っているしかありません。
するとPMは「何人入れれば良い?」と聞いてきます。意味が分かりません。IT業を労働集約型産業と勘違いしているのが未だに存在している事に驚きです。頭脳集約型の形態に人を入れて解決しようとはどういう脳をしているのか。一度解剖してみたいものです。多分、高校を受験する中学3年生の受験者が100人集まれば旧帝大の入試に合格すると考えているのでしょう。もしくは1Km走というのは1000人が一斉に1m踏み出せば1Km走った事と同じ記録である、と考えているのでしょう。
脳を電通で直結出来れば若干違うかもしれませんが、IT業の1+1は2では無く、良くて1.5。ましてやこれで増えていくのは3~4人までが限界でそれ以上は人を入れても上がらないどころか、マイナスになる事が常。
PGなら他のプロジェクト、他の部、他の会社に信頼出来るエース級のPGを何人か知っているかと思います。なのでついPMに「エース級を3人」等と提案しがちです。しかしこれは叶わぬ望みです。その提案に対する答えは「そんな事出来るわけないだろ」です。そりゃそうです。予算が無いのだから。
自分の仕事があるのに、何故かこの後から来た人員を纏めるようPMから指示が出ます。PMが指示出来ないからです。破綻は間近です。いや、既に破綻しています。
プログラムが出来上がっていく以上、バグをつぶす速度以上の割合でバグを注入していく事になります。
「混乱しているプロジェクトに人を入れれば、なお混乱するだけ」
という有名な文を実感する事でしょう。なお、実感するのはPGだけであり、PMは実感出来ません。
この辺で思わぬ事態が発覚します。実は発注が遅れていた事です。
発注日以前にドキュメントがあっては監査にひっかかるため、今まで作ったドキュメントを作り直しをしなければならないという、まさに想定外の事態です。ほとんどのドキュメントには作った日付や判子が押されているはずです。それを全部作り直しするのです。納期は間際です。これも納期までに間に合わさねばなりません。
PM(重ねて書くが、プロジェクトマネージャだけでなく管理者や経営者も含む)が発狂し始めます。宛先は底辺PGです。
中には「お前を精神的に追い詰めるしか手がねーんだよ」とストレートに言ってくれるPMもいたりしますが、あまり出会った事は無いですね。
あの手この手で精神的圧迫を始めます。圧迫すれば脳がオーバークロックして作業が進むと考えているからです。残念な事に、脳の別の部位がオーバークロックしてショートしてしまいます。
こういうプロジェクトを経験し、運がいいのか実力なのか、生き残った人達がSEとなり、いずれPMとなっていきます。
不思議な事に日本では、PGが成長してSEに、SEが成長してPMに、とクラスチェンジするものだと考えられている会社が多のですが。
自分としては、座標軸のX,Y,Z軸の様にPG軸とSE軸とPM軸と全く異なるベクトルだと考えています。X軸の先にY軸Z軸があるわけでは無い、と。もちろん、軸に沿っているだけでは無く、他の軸のベクトルも併せ持つのもよいエンジニアでしょうし、ベクトルの方向を伸ばし続けるのもよいエンジニアでしょう。
ところが、クラスチェンジするものだと管理者・経営者は思っているから、給与体系もPG<SE<PMとなっていたりします。この時代錯誤的階級社会はどうにかならないものでしょうか。
自分はPMを否定しているわけではありません。いいPMの元でいい仕事をしたい、と思っているだけです。今までに何度かそういう良い経験をした事はあります。それは成功経験としてモチベーションを保つために必要な事なのです。
PG至上主義でもありません。分業形態として、SEやPMは必要不可欠だと思っています。ただ、PGを粗末に扱っておきながら高品質の製品を要求する風習・慣習が納得出来ないだけなのです。
東京圏の家族が、朝7時前に家を出て、東京100キロ圏迄休日ドライブして、夜21時~22時までに帰っていく、の典型的な行楽ドライブパターン。
クルマがない家族の場合、「カーシェアの24時間パックが最安」と自分は思っていたが、実は郊外部まで鉄道で行き、格安レンタカーを借りた方が安い。
この場合、「都内で格安レンタカーを借りる」だと、うまくいかない。
何故ならこの手の格安レンタカーの営業時間はおおむね8時~20時なので、都内を出発する時間に開いていない。
http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/20141110で調べてるが、「JR休日おでかけきっぷ」の最遠駅で、格安レンタカーが駅前にある駅が結構ある。小田原、小山、土浦など。
その駅まで鉄道で行き、そこで格安レンタカーを借りた方が安い上、何より「渋滞を回避できる」というメリットがあまりにも大きい。
実際に試算。前提:夫婦+小学生2人、都内からだと往復200キロドライブ、現地だと100キロドライブ。
カーシェアを都内で借りた場合。24時間パック8,230円+距離加算3,200円+往復高速代4,000円=15,430円
ちなみに練馬インター~高崎インターで休日片道2,250円、川口ジャンクション~栃木インターで休日片道1,910円。だから、まあ往復の高速代4,000円は妥当な計算。
一方、例えば小山や土浦まで家族がJRで行き、そこで「ニコニコ」「ワンズ」レンタカーを借りた場合。
休日おでかけキップ大人2人子供2人で8,000円、格安レンタカー代3,000円、ガソリン代1,000円。つまり合計12,000円。15,430円より安い
仮に「都内のJR最寄り駅まで、朝も深夜もタクシー利用」しても、往復タクシー代で2,000円加算して14,000円。これでも都内でカーシェア借りるより安い。
小田原、小山、土浦まで行けば、高速道路の休日大渋滞をかなり回避できる。
あるいは、「全員が中学生以上」の大人料金4人で計算しても、ギリギリ現地までJR+現地で格安レンタカーを借りた方がトクになる計算。もっとも、この場合はタクシーに乗るだけの余裕はないが。
ちなみに、子供のうち1人、2人が未就学児なら、もっと「鉄道+現地レンタカー」が有利になる。但し、その場合はベビーカーとか大変になるが/その分、グリーン車を奮発することも可能にはなる
「休日お出かけキップ」+「格安レンタカー」というハイブリッドな組み合わせを提唱しているサイトって、ないんだな。推測するに、これが首都圏では超合理的なカー&レールライフになる筈だが。
http://anond.hatelabo.jp/20141102212809
まさに昨日も東海道新幹線の車内で嫌な思いをしたんだけどさ。
サンドイッチは素手で食う。手が汚れてる。
手が汚れてる場合はおしぼりで手を拭く。そして財布を出して、もしくはポケットから、切符を出す。
切符をしまう。切符触ったくらいだったらいいけど、財布とか鞄とかあまりごちゃごちゃ触ってたら、
もう一度、おしぼりで手を拭く。そしてまたサンドイッチを手でつかんで食う。
そんな動作を強いられる。
その情態でゆったりと飯食ってるときに、切符の確認。面倒臭い。
実際、見てると、他のおばあさんの客とか、財布を棚の上にのっけた鞄に
しまっていたらしく、わざわざ立ち上がり、鞄をおろし、中をゴソゴソやって、
そしてやっと切符を見せるという面倒臭いことを強いられていた。
もし自分がそのおばあさんの横に座ってたら、隣でそんなこと食事中にやられたら、すごい嫌だよ。
通路側だったら、いったん自分も席を立たないと、隣の人は荷物下ろせないかもだし、
あと、寝てるときにも来る。
完全に寝てたら、声をかけられても目は醒めないけど、
ちょうどウトウトし始めたときに、「お客様…」って声かけられると、目が覚める。
本当に鬱陶しいったらない。
一昔前までなら、それも正しかっただろうさ。
でも、今はネットで空席の情報とか時間差ほとんどナシで共有されてるよね?
みどりの窓口ではなく、自動券売機で指定の切符を買えるわけだし、
車内で席の変更をお願いしたりするときも、車掌さんは端末を手に売れてない席を
すぐにピピッと探して、変更してくれる。
実際、聞いてみた事があるんだけど、その指定席の人が駅の自動改札を通ったかどうかの
情報まですべて反映されてるそうだ。
あらかじめ売れてる席に人が座ってる。そして、改札を通った記録もある。
だったら、飯食ってるの邪魔してまで、睡眠の邪魔してまで、切符確認する必要ないよね?
列車を乗り間違えたのか、席を間違えてるのか、それとも不正乗車か。
そういう客にだけ、声をかけ、確認すればいい。
人件費の削減にもなるだろうし。
端末を手に席の情態を確認してるだけ。切符を見せろとはいわない。
同じ事が何故、東海ではできないのかな。
客に切符を出させるって、それ必要なことでも、サービスでもなくて、
いいかげん意味のない事はやめてほしい。
自由席のことは知らん。
不正防止の観点からいえば、むしろ自由席の車内検札は必要かもしれない。
だが、指定席、特にグリーンに関しては、客はその分、よぶんに金を払ってる。
それは、快適に移動するための金額だ。
平日18時頃、赤ん坊連れで帰宅ラッシュであろう電車に乗らないといけなくなった。出来れば乗りたくない。でも乗らないといけない。
どうしても時間帯をずらすことが出来ない。もちろん出来る限りの対策はするつもりだ。抱っこ紐で、荷物は出来る限り小さく。ぎゅうぎゅうの満員電車レベルの混み具合ならグリーン車両も選択肢のひとつ。
激混みの電車は押しつぶされそうで怖い。赤ん坊がうるさくすれば周囲に迷惑をかける。不快感をあらわにする人も出てくるかもしれない。今から胃が痛い。
赤ん坊は寝てる時以外はうるさいものだと思う。機嫌が良ければきゃっきゃと笑うし、不機嫌になれば泣く。笑い声も泣き声も、音量は調節が効かない。抱っこしてればおとなしいというものでもない。
仮にグリーン車両に乗るにしても泣いたらどうしようといった不安はなくならない。押しつぶされる心配はないかもしれないが、帰宅時のグリーン車両なんて疲れているサラリーマンからすれば赤ん坊がいることに耐えられない人もいるだろう。
泣き止まなければ途中下車も必要だ。でも、一度降りたら次乗る時にはさらに混んでる可能性が高い。なるべく途中下車はせずにゴールまで行きたい。
ソートしてみた。
なんとなくhttp://anond.hatelabo.jp/20140527121719に乗じて。
※はてなidで書き込まれていないものもあるので騙りが混じっている可能性があります。
※http://anond.hatelabo.jp/20140527121719とそのブックマーク・トラックバックで言及されているものは除外しました(多分)。
こちらからは以上です。
まじめに働いてきた30代後半の給与所得者です。今日は税金に関して、話をさせてください。
高額所得者の烙印を押されており、毎年確定申告をさせられ、最高税率の税金を徴収され、自分の資産もリストで毎年提出させられるという屈辱的な扱いを受けています。
給与所得者なので、すべてガラス張り。ごまかす隙など微塵もありません。
みなさんにはない、予定納税という謎の仕組みもあって、別途税金の前納までさせられます。給与所得者は、通常、給与支払い時の源泉徴収のみですが。
税金というのは、誰もが払いたくないものなので、民主主義という多数決が決定される社会においては、多くの人がより払わないで済む手段が選択されがちです。より少ない一部の人達だけが大きな負担を強いられ、それ以外の多くの人達が利益を享受するというものです。これが、民主主義だと言われてしまえば仕方ないのですが。
まもなく、消費税が8%に上がり、翌年には10%に上がり、文句を言っている方がたくさんいらっしゃいますが、私は、むしろ、消費税を上げて、所得税を廃止できないかと考えています。(問題がややこしくなるので、国の予算の使い方とか、国債の乱発によって維持している問題点については、ここでは議題にあげないようにします。)
ご存知でない方も多いと思いますが、日本では1800万円以上の所得に対して所得税40%、住民税10%の計50%の所得税率、
さらに、
があるので、最高税率は50.84%です。
(超過累進課税なので、所得全体にかかるわけではないので、実効税率ではありませんが、超過分に関してはこの額がかかります。これが、平成27年度からは、55.975%に上がります。)
江戸時代にも、年貢を家宣・家継時代の四公六民(実際には平均2割7分6厘)の負担から五公五民(5割)に引き上げた結果、人口の伸びは無くなり一揆も以前より増加したという重税の基準が5割という税率です。考えてみてください。
例えば、給与所得が最高税率ギリギリの水準の方がいたとします。来月から、給料が5万円アップすると喜んでいたら、実質の手取りは、24,580円しか上がらないということです。これでは、お金を稼ぐ意欲が減衰します。というより、これが自分だけに課されていると考えるとやるせない気持ちになります。
実は、累進課税の最高税率は、引き下げても税収が下がらなかったり、むしろ上がることのほうが多いというケースのほうが圧倒的に多いのです。
もともと、ヨーロッパは、陸続きで、富裕層が最高税率によって、国を変えることもあって、租税競争が盛んですが、アジアにおいても、香港、シンガポールなどは、最高税率を抑え、毎年のように税率を引き下げているにもかかわらず、税収は増えています。
http://www.nikkei.com/article/DGXNNSE2INK01_U1A500C1000000/
アジアにおいても、富裕層における急速なグローバル化に伴って、租税競争が盛んになってきています。
では、そんな中で最高税率をさらにあげて何が得られるのでしょうか?
これ以上、最高税率を上げたとすると、現在すでに始まっている富裕層の富の移転がさらに加速するでしょう。
仮に、富の移転が起こらず、同数の富裕層が日本にいつづけたとしても、実際に増える税収は、わずか500億円。日本の所得税収14兆円のわずか0.35%に過ぎません。その負担を強いられるのは、ただでさえ、五公五民を超える重税を課されている国民の0.1%に満たない最富裕層なのです。
国全体としては、大した影響はなく、負担者にとっては、大きな負担になるこの増税によって得られるものは、ただひとつ、金持ちを妬んでいる国民の人気くらいしかありません。
「少数派を押さえつけることにより、多数派の支持を得る。」
少数派の高額所得者の多くは、華麗なる一族のような財閥一族の出身でもなんでもなく、ただただ謙虚に学び、正直に努力を続けてきた結果、人より少しだけ多くの給料がもらえるようになった真面目な人なだけなのです。
もちろん、一部の金持ち出身だから、金持ちだという人もいますが、大半は(私も含め)、ほぼ環境は似通っています。
子供の頃から真面目に勉強をし、グレたりすることもなく、結果として、一流と言われる大学や大学院を出て、有名な会社に入社し、出世したり、時には、周りの仲間と企業して成功をおさめたという、当たり前で普通な人たちです。いわゆる、ヤンキー的な文化からは、最も遠いところにいる集団と考えれば、1億総ヤンキー化と言われる現代においては、かなりの少数派かもしれません。
私も含め、周りの友人達は、皆、高額所得者ではありますが、大半は、夢の様な生活をしているわけではありません。
みなさんより、少し値段の高いものを普段使っている、その程度です。電車で移動するところを、少し値の張るタクシーで移動していたり、毎日の食事代が少し高かったり(高い店に行かなければ大体5000円〜1万円くらいです)、旅行をグリーン車やビジネスクラスで移動したり、都心の土地の高いところに住んでいたり(それも豪邸ではなくマンションです。)フェラーリやベントレーに乗っている人は少なく、よっぽど車が好きでない限り、1000万円以内の車に乗っています。
少し贅沢な庶民です。
夢のような生活ができる人は、自分の会社を上場させて数十億以上の金融資産を作った、さらに、一部の人たちで、いわゆる富裕層です。
少し前から、富裕層の友人たちが、香港やシンガポールといった税金の安い国へ、移住するケースが多くなってきました。資産を多ければ多いほど、その傾向が強い。
アジアの特定の都市に集まっているので、日本にいる時よりも、合う機会も多いみたいで、そこでビジネスが生まれることもあり、流行りのようになってきていて、じゃあ、俺も!みたいな感じで、加速しています。
日本に事業を持っていても、自分が非居住者になるだけでも、日本の高税率のおかげで差額分で十分費用がでてしまうので、必要に応じて、飛行機で日本に来て、ホテルに滞在しても得になるとのことでした。5000万円以上の所得税率がさらに上がるということになれば、この動きはさらに加速するでしょう。
平成25年度一般会計当初予算を見ると、日本の所得税収は、14兆円。一方消費税は10兆円。所得税を廃止して、消費税を3倍の15%にすると30兆円。
http://www.nta.go.jp/nagoya/shiraberu/gakushu/kyozai02/pdf/05.pdf
消費税を15%に上げるだけで、所得税をゼロにしても、十分成り立つはずでしょう。
今の所得税は、300万円未満の年収の人は、ほとんど税金を払わなくて良い仕組みになっています。
年収300万円というと、月額にならすと25万円。名の通った大学をでて、普通に就職したら、初年度でも超える額ですが、日本では年収300万円以下が41%を占めていて、彼らの所得税貢献度は、なんと、5.8%足らずです。
平成23年分民間給与実態統計調査
http://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/minkan2011/pdf/001.pdf
さらに、生活保護世帯数は1994年58万→2012年156万世帯と急激に増えています。
(不正受給がどのくらいあるのかは、不明ですが、おそらく、かなり入っているでしょう)
まともにやってさえいれば、十分に稼げるはずなのに、それをやらずに(怠惰にサボったりグレたりして)大人になって、さらに、大人になっても、努力をせず、税金も払わずに、まじめにやって、たまたまお金を稼いだ人だけが、税の負担を強いられるというのは、いかがなものでしょうか?
消費税に逆進性があるという言葉がありますが、そもそも、高収入の人は、たくさんお金を遣います。消費のときに、かならず、課税される、消費税であれば、たくさんお金を遣う人は、たくさん税金を払うことになりますので、逆進性は理論上、絶対にありません。
ただ、大半の人が恩恵を受ける側なので、どうしても、一部のお金を稼いでいる人から不当に高い税金を取るという法案が否決されることはないのです。
私は、生まれ育った東京、日本が大好きです。が、このままでは、つらすぎるので、近い将来、友人たちの待つ国へ移住して、たまに、一時帰国するという生活になると思います。
公平性のある税制にさえなれば、多くの富裕層が日本に戻ってくると思います。
そのためには、まずは41%の方たちにまじめに働いてもらうしかないのですが。
すべての座席が優先席って何それ、気持ち悪い
金を払いたくないけど座りたい→始発まちして下さい
並びたくないけど座りたい→グリーン車へどうぞ
これでいいんじゃないの?
それも払えないのにこども育てるお金あるの?と思う