「カテゴリ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カテゴリとは

2022-12-11

anond:20221211020612

エリートかJの裾野拡大か。ですが、Jの裾野拡大はどうでしょうかね…私が一応サポートしてる地方貧乏クラブ運営を見てると厳しいか

私もマリノスの他にも今、J3にいるクラブ応援しています。「厳しい」がどういう意味なのか、というのがありますが…(経営が厳しくないJクラブの方が圧倒的に少ないと私は思います、J1でも、もっと言えば世界中サッカークラブほとんどの経営は厳しいです。世界中しょっちゅうお金がなくてチーム崩壊カテゴリ降格とか身売りとか起きているでしょう?マリノスだって身売りされました笑)

厳しいかな、と簡単に切り捨てるのはかなり違うと思うので(厳しいのはもちろんそうなのですが…)、以下にこういうケースもありますよということを長くなりますがしたためます

私の応援しているJ3クラブは、地元スポーツ少年団からスタートしてトップチーム大人クラブチーム)までを持つようになったクラブです。そしてJ参入を考えるようになった理由の一つは、アマチュアのままだとクラブ運営継続が安定しないのでは、ということだったんですよね。

クラブを立ち上げたメンバーが何かの理由で(病気になったり亡くなってしまったり)いなくなったらその後を誰に引き受けてもらえばいいか、儲かるどころか持ち出しのような仕事ですし、簡単はいかない、こちらのクラブ子供たちのためのサッカー教室も行っていたので、運営経営)が安定しないのでは地域の子供たちにも迷惑をかけるかもしれないという心配もあったんですって。

当時Jリーグにいたヒロミさんから、「地域とともにサッカーを楽しみ広めて育てているこのクラブはJの理念体現したクラブ、J1で優勝することを目指す力はなくても存続していくことが日本サッカーの力になる」と口説かれたこともあって、J3参入を目指す決断をしたと代表から聞きました。

裾野の拡大、というのはこういうことかなーと私は理解していますちょっと語弊がある話ではあるけれど、Jクラブの全員がマリノスとか浦和とかフロンターレを目指さなくてもよくて、細々と存続していけるためにプロ化する、ということもあると思うんですよね。

毎週末の試合で負け続けても、クラブがその街にある限り私たちは「応援できる対象」を持ち続けることができるし、その街で暮らす子供たちは質の高いサッカー、将来プロにつながる糸につながることができる。とても素晴らしいことだと思いますし、そういう「プロにつながれる糸」は多ければ多いほど日本代表にとっても良い。「才能のあるかもしれない子供たち」を、日本中のいろんな街でなるべく多く「一番上へ繋がり得る糸」に紐づけしておくこと、が「裾野を広げていく」ことなんじゃないかなと思っています

今回W杯招集された日本代表メンバーのうち、生粋Jリーグ下部組織育ちの選手はそれほど多くはありません。中学高校年代では所属経験がある選手や、セレクションに落ちた経験のある選手もいますが、彼らが育成年代の時に地元にJの育成組織が無かったという選手もいるわけです。

日本の育成環境の、世界とは異なってとても素晴らしい点として、プロの育成組織以外のプロ選手になるルートはてなでは、めっぽうPKに強いことでおなじみの「部活育ち」ルートがあるということがあります。が、部活学校なので、活動場所が「学校のある場所」に限られてしまます。一方で、クラブチームであれば、複数の育成拠点を持つことも可能です(多くのクラブチームでは子供向けの教室複数場所で開いています。私が応援しているマリノスJ3クラブ複数スクールを開校しています)。

下宿させて自宅から遠いユースや強豪高校に通わせる決断をするご家庭もあるでしょうが地元から通える教室がないから、と「トップに繋がる糸」と紐づけない子供もいるだろうなと思うんですよまだまだ。だから裾野はどんどん広げた方がいいと、私は思うし、原博実さんもそう言っているのかな、と思います

田嶋さんも、もちろん理解はしてるんだろうと思います。でも短期的に結果を出さないとすぐに世間からそっぽを向かれる日本代表なので、つい焦って代表の戦績成果を最優先に考えちゃうのかもしれないし、あとはスポンサーから見た「見栄え」を考えなきゃいけなかったり、FIFA会合に出てなんか色々言われてきたり、するのかもしれないですね。

でも彼の口に出すJリーグに対するアイデアは「いつもギリギリで生きてる」Jクラブ簡単に転落させ得るものなので、私たちは「…お前!」と怒っているのです。何度も繰り返しますが、彼に対して怒っているのにはちゃん理由があり、ネットイナゴ的に怒っている人の方が少数だと思います(もちろんゼロとは言わないけど)。

周囲にサッカー普段興味を持ってない、W杯代表戦だけ見る、ぐらいの人、山ほどいらっしゃると思いますけど、田嶋さんを知ってるか、田嶋さんがどういう功績がありどんな仕事してる人なのか、彼に対して批判があるか、聞いてみると良いと思います。あーなんかよくわかんないけどサッカー好きから嫌われてる人だよね、ぐらいの認識だと思うんですよね。

ロシアW杯の時、私の周囲の「非サッカー」な友人たちに実際「なんで田嶋って人はネットで叩かれててんの?」と聞かれたことがあります。そりゃ社長が間の管理職をすっ飛ばし現場の人事に口出ししたからなぁと答えたら、なるほどなーそういうことかーとなっていました。要するに、そういう人は「批判を発信する人」にはならない。まあ積極的擁護する人にもならないけど笑。サッカーファン以外で、彼を批判をするほどの情報情熱を持ってる人はあんまりいないと思うよ。そしてサッカーファンは批判する理由ちゃんとあって批判をしています。繰り返しになりますが。そして一番偉い人だから批判をするなってのは、どう考えても間違ってるでしょう?

私も彼が好きで擁護してると思われるのは心外です。

好きで擁護しているんでしょ?とは全然言ってないです。「批判している人は、ただ批判したいだけ」というのは、認識が違うんじゃないでしょうか?と言っているだけなんです。私たちには怒る理由があると言っているだけです。もっと言えばどっちの方が日本サッカー事情に詳しいか競争をしているわけでもないです。

2022-12-10

スマホで見た時にはてブトップが崩れてる

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/himasoraakane/status/1601148491396702208

このエントリが原因ぽい

カテゴリ世の中と総合以外のトップは崩れてない為)

何が悪さしてるんだろ??

2022-12-06

お前らは知らんかもしれんけど騒音問題の近隣トラブル戦争なんだよ

追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすしました。文章自体は改めていません。簡単趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブル戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題トラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。

長野市遊園地問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。

自分長野市住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。

NIMBYと、子どものことを考えろ主義について

まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものであるNIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。

話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁一種である

子どもを抜きで考えた場合騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに騒音我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である

子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である簡単に例えよう。

あなた限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなた限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子ども可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)

別の例で例えると、ベビーカー子どもを載せて電車に乗る行為問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在邪悪である」という信念を持っている。

子どもとの戦いではなく、子どもを盾にする親との戦いであることについて

こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストフェミニストと名乗るようなものである普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符しかない。

誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子ども排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。

そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子ども騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子ども騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単すり替えてくるからだ。

実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである長野市で言えば多くの車の長時間アイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子ども騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市問題については自分意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子ども可哀想であるのはそのとおりだと思う)

子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話不可能であるそもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明クレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマー擁護したいわけでもない)

子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつう暮らしているだけなのに、騒音解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である

近隣トラブルでの対応の非常な困難さと、想像以上のストレスの大きさについて

これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。

「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万単位で金が変わってくる。つまり人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通我慢ならないだろう。

そして、トラブル悪化すると、人生で最も嫌いな存在自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。

死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。

もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロ個人単位我慢解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしま論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。

無関係立ち位置の人でも、可能ならば心に留めておいてほしいこと

「近隣トラブル戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子もの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。

これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。

ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから

そして残念ながら、今の社会解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。

ももしそうなったとしたら、自分あなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなた理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。

ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。

まり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」戦争することになる。

まあこれが2022年日本だということ。少子化は仕方ない。

anond:20221206194859

ITに限らずエンジンからと言って高給取りとは限らないんやからお前こそカテゴリを捻じ曲げるなという話

anond:20221206194732

図体だけでかい技術者事務員として扱う会社従業員エンジニアの枠にいれないでいただけますか?年15万ドルもらえない奴をエンジニアカテゴリにしないでいただきたい

化粧しない生き物男も女も関係なく生き物のカテゴリ卒業してるよね

未診断だけど生きづらいか発達障害だ!って人、さっさと診断受けるか、飽きるか、HSPに行くか、発達達障害が生きづらさ系カテゴリとしてあんまりカッコいい感じじゃなくなったかして減ったとおもってたけど

まだおるんか

十年前にくらべりゃ検査機関いっぱいあるから一回行ってみればいいのに

まぁ診断って病院行けばそこで白黒決着するたぐいのものでもないけど、医者に行く気もなくて発達障害自称していいみたいに思ってるのが謎

もう発達障害がなんか特別でかっこいい響き持ってた時期はとっくに終わったのに

サッカー日本代表PK戦に弱くなった、たった一つの理由

あのPK戦はひどかった。トーキックしか蹴れない素人プロ相手PK蹴ってみて止められたような感じだった。

昔の日本代表PK戦に強かった。2004年アジアカップなどが未だに記憶に残っているが、W杯だと2戦2敗。

原因は単純。これまでW杯PKを外した人は全員「高校サッカー経験者」である。今回外した3人が全員そうであり、2010年駒野例外ではない。今回決めた浅野高校サッカー経験者、2010年に決めた3人も高校サッカー経験者、つまり部活組。

W杯PK戦に限っては「ユース組の成功率0%、部活組の成功率100%であるのだ。これは偶然とは言えないだろう。

なぜユース組と部活組で違ってくるかについてだが、部活組は学校看板を背負ってサッカーしており、特に高校サッカー選手権におけるPK戦生殺与奪がかかるシーンだ。プレッシャー半端ない

ユース組は別に所属チームの看板は背負っている感はない。クラブユース選手権とかでPK戦をやる機会はあるが、高校サッカー選手権と比べると悲壮感やプレッシャーが天地の差。

この経験の差は、今の日本サッカーの仕組みでは、代表クラス選手については大人になっても埋まることはない。

プロになってから所属チームのカップ戦PK戦を行うことはあるが、代表クラス選手はそのPKを蹴る機会はほとんどやってこない。カップ戦決勝戦を除いて原則代表活動期間に行われるからだ。これは日本でも海外でもほぼ同じ。

まり高校までのPK戦経験がそのままプロになってからPK戦スキルになってしまう。厳しい環境でのPK戦経験して来なかったユース組が代表の中心になった今、PK戦に弱くなったと言うことだ。

今回、自ら立候補して第1キッカーになった南野や第2キッカーの三笘はボールを持った時点で顔面蒼白だった。極度にプレッシャーがかかるシーンでのPK経験していなかったが故のものである。蹴り方も方向が読まれやすインサイドキック。今時、高校サッカー選手権都道府県大会でも見ない低レベル(インステップで蹴るのが今の標準)。可哀想だが、J2ヴァンフォーレ甲府選手に蹴らせた方がまだよかっただろう。唯一決めた部活組の浅野は目が座っていた。吉田は論外だった。

厳しい局面でのPK戦大人になっても経験できる機会を増やさないといけない。例えば、Jリーグ高校カテゴリリーグ戦高円宮杯プレミアリーグプリンスリーグなど)で90分やって決着がつかなかったらPK戦にして、勝ったら勝ち点+1(引き分け勝ち点プラスする)というのもアリかもしれない。地域チャンピオンズリーグと言う地域リーグ関連の大会でも実際にやっている方式だ。地域CLはこの勝ち点+1JFL(実質4部リーグ)への昇格有無を分けることもあるし、Jリーグで導入したら優勝や残留、昇降格を分けるケースも出てくるだろう。

PKは運と言ってる限りは今の状況からは脱せない。

追記

中田英寿の事例を反証として書いてる人がいるので追記する。

中田PK戦成功体験がなく、失敗体験しかないままプロ入りした。当時の韮崎高校で、高3の選手権予選決勝でPK戦で敗れている。中田本人は成功していたが、すでにプロ入り後のことを気にしていて心そこにあらず、だったようだ。これは「外したら何もかも終わるというプレッシャー経験」にはならないだろう

https://nirasakisoccer.hatenablog.com/entry/2020/06/15/111615

2022-12-05

anond:20221205122526

作品と中身は別物だって見るべきなのはどの芸能人でもそう。

芸能人否定するなよ?増田はその芸に魅せられたんだろ。

ただの配信者でしょひきこもりでしょとかは作品とはなんも関係いからな。

それに芸能人ってのもさほど品行方正ではねえし、たまたまそういう品行方正っぽい奴らがよく見えるところに置いてあるだけなのに。

で、別に曲が良くてもファンにならなくてもいいと思うよ、俺もアジカンの曲は好きだけどアジカンボーカルのやってることはよくわからん上にサムいと思ってるし。坂本龍一と同じ。

 

あと5ちゃん被害妄想ヘイト書けばレスポンスをたくさんもらえるような文章をまともに受け止めてるのはどうかと思うよ。

冷静に考えれば「書いてる奴らが期待しすぎ」だし「やってることは普通人間と変わらん」し「配信かいう垂れ流しにたまたまキツい言葉が紛れ込んだ」だけだし

それが無理なら多分人間配信してるものは見ちゃダメだと思うのよ、人間に期待しすぎなのよ。逆に毎日善性の言葉吐いてる奴らなんて然程視聴者残ってないからな、つまんねえから

もしくは“こういうキャラ付けから受け入れられる”のカテゴリ増田の中にできててそこに何人か特定人間がいるのなら、そこに入れたらいいじゃんとは思う。

 

どうしてもそのカテゴリそいつが入れられないなら曲だけ聞いとくでいいと思う。

 

ただいつか誰かに「この人の曲好きなんだけど配信たことないし5ちゃん嫌儲スレで見たけどクソ性格悪いらしいんだよなぁ」とか言うことがあったら“コイツってアホだな、努力方向性間違ってるな”って思われると思う。

これはV関係なしに。

というか全体的にV関係ない言い方だったわ。

2022-12-03

anond:20221203020548

自分の子供の頃の行動範囲内では、ああいう絵は「個人経営PCショップの前に飾られてるやつ」ってカテゴリだった

元増田も未熟さゆえの自己投影のことに言及してるけど、子供心にも恥ずかしいし絵の女の子がかわいそうで、見ないように顔を背けてたな

 

ブルマ廃止スクール水着露出抑え目で、男女ともに性被害自衛プライベートゾーンなど)の教育受けてて

教師の性加害もちゃんと罰される環境で育ったの今の子たちが、生活と共にあるああいう絵をどう思ってるのか気になるね

2022-11-28

異性観って異性親との関係性が大きいと思うんだよな

母親と仲の悪い息子がミソジニストになり、父親と仲の悪い娘がミサンドリストになる

やはり最初に関わる異性の影響は底知れない

異性というカテゴリの中で、嫌いな人/知ってる人が1/1で100%から始まってしまうんだよな

異性との関わりって避けようとすれば避けられてしまうから分母が増えにくい

同性の場合だとなんだかんだで分母が増えやすいから、同性が嫌いなんじゃなくて親個人が嫌いだと気付きやす

まあ男女問題に限らずだけど嫌いな人間の属する集団は嫌いになる、その集団を知らなければ知らないほど

2022-11-25

anond:20221125115215

日本の子供を指導した海外指導者のよく言うところやと

技術は高いがサッカー脳がウンチみたいやで

きちんと戦術的な動きを指導できる少年カテゴリ指導者がおらんのと

トーナメント偏重試合経験が少ないのが影響してるとかなんとか

だいぶ改善してきてるみたいやけどな

2022-11-24

anond:20221124133415

自分はこう思ってるから男もみんな同じこと思ってそう(主語でかおじさん)

女はこう思ってそう(ガチ根拠なし)

自他の境界曖昧かつ「男女」みたいなクソ雑なカテゴリ分けで判断ちゃう知能で、根拠なしの思い込みが激しい上自己評価低いってなると、第一希望の男とは程遠いだろうなぁ

anond:20221124094206

国ごとのカテゴリにして、こう言う対立煽りが起きることもマイナスだよなあ。

気にくわねえんな自分たちだけで争えばいいのに、代表チームに仮託して争うから面倒くさい。

2022-11-23

anond:20221122235230

ほえ~~~全然違うもんやねえ

個人的にはなんかその辺は観光地っぽいカテゴリに入っちゃってるわ

京都みたいに綺麗じゃない木造長屋に住んでたことはあるけど、そっちはそっちで幼少の思い出フォルダに入ってる

2022-11-22

anond:20221122112752

初めてはてな匿名ダイアリーカテゴリのすべて表示を見たけど

アファーマティブ・アクションが云々だらけだった

1つ1つにみんな俺の増田を取り上げてくれ!という情熱を感じた

2022-11-21

anond:20221121014539

SEEDの頃は2chカテゴリが旧作と新作用に分けられる勢いだったし、昔から騒ぎながら見られてたコンテンツだろ

2022-11-17

anond:20221117134400

世界中女性のことを考えてるフェミが、自国のことしか考えないウヨと同じカテゴリに入れられるのは屈辱

2022-11-16

[]という謎の増田

オレオレFC」というカテゴリを作って謎エントリ投稿し続けている謎の増田がいる。

一見するとサッカー速報のような記事なので、最初Jリーグファンが贔屓チームのことを書いているのかと思っていた。

しか最近になって、「自分Jリーグのチームになったらどうなるか」という視点記事を書いていることに気付いた。

オレの考えた妄想チームだからオレオレFC」ということらしい。

まりサッカー版の夢小説をなぜか増田で延々と続けている狂気存在なのだ

しかしこのオレオレFC、その異様さに見合わず増田においては全くと言っていいほど知名度がない。

記事トラバがつくことも言及されることも殆どない。

これだけ異様な存在であるにも関わらず番付に載ったこともない。

似たような存在で言えば「すいすいすいようび」がいるが比較にならないくらい知られていない。

一体何をモチベーションにこんなことを続けているんだ、オレオレFC

2022-11-13

anond:20221113225133

男とはしゃべってるよね?

男も女も同じ人間というカテゴリに入るのは変わらないので、そこまで気負いせず行きたいならさっさと行った方がいいと思うよ。

anond:20221111230201

現在進行系のクズ過去クズだった奴を平気で選べる人間は、同じカテゴリに属してるんじゃあないの?

同じなら気になるわけないよね

(相手クズだと気付かなかった場合はその限りではない。能力的に見抜けなかった/危機意識が足りないってだけ

でも、後でクズだと気付いたのに離れない場合は惰性とか抑圧とかあるかもしれない

婚姻関係子供が居たりしたら更に経済的社会的理由で離れられないってのもあるだろう)

可愛くてマトモそうな女の子であっても、相手の男がクズだと知りながら平気で付き合ったり結婚出来たりするのは

「同じクズから

だと思います

そもそも「こんなイカれた女/男がなんで結婚して子供作ってんだろ」って思うことが多いんだけど

そいつらが「自分はマトモでスタンダード生き方をしている(そうじゃない奴は異常者)」って面して暮らしてるのに反吐が出る

2022-11-12

サンドバッグにされる義務

現在どんな「損」や「困苦」を味わっていようとも、10代、20代の頃になに不自由なく暮らしやりたい事を親にやらせてもらい、ちゃん社会に居場所を得て最低でも「年齢と同額の月収」得て30代くらいまで穏当に生きてきた人間は、そのような道を歩めなかったヒトから無条件にサンドバッグにされるくらいの「不幸」は味わって然るべきだと思うし、なんも言い返す権利はないと思ってる。

能力技術獲得する上で当人がどんだけ努力し工夫した的な事実は一切関係ない。

努力し工夫できる環境や知性を与えられた時点で一切合切全部「外的要因に基づく運の良さ」でしかないのだ。下地ちゃんとしてりゃ努力や工夫なんて誰でもできる。AIが描いた絵にちょろっと加筆するくらいの難易度しかいからだ。

から「運が悪い」ヒトは無限かつ無条件に運が良いヒトを叩いても良い、と僕個人は考える。

もとい、そうはいっても運良いサイドも腹が立ったら自分のこと棚上げして運悪いヒトに反論してもいいし、より運がいいヒトに対しルサンチマンをぶつけても良い。それによって被る「損」はそこれそ他罰などせず当人自己責任やXX税として引き受ければよいだけ。「既に得している側」が損している側と同じカード切るならより沢山税金払うのは当たり前。

能力立場の全ては「運」が生み出した格差しかなく、各々が立脚する地平に見合った「正義」を信じて納得するなり怒ったり泣いたりしていればよい。

持つもの、あるいは「かつて持っていた者」は持たざるもの無限愚痴と悪意をぶつけられても「仕方ない」と言わざるをえない。さもなければ不公平すぎる。

人間社会に属している限り絶対の善などというものはないし万人にとって得のある秩序などというものもない。

「真の自由」とはむちゃくちゃ厳しく何のフォローもないクッソ塩対応の「荒野」で暮らす事であり、その中で「自然ネイチャー)」と対話できたと実感できた時こそ、真の意味で「自活できている状態」と言えるだろう。自由安心は容易には両立できない。

人間管理し親を努めている環境はことごとく「親の利益」を最優先にした環境となっている。親の利益が「強い子孫を維持する事」であれば、仮に子供主観的には地獄のような体験をさせてでも「親を継ぐ事ができるだけの強度」を獲得させるべく「負荷」をかけるだろうし、それをしなければ子供はオートで親の財産や親が築いたインフラを食いつぶして「弱体化」するのは人間元来の性質的にも、歴史的にも自明事実である

「弱体化する方向に餌を巻いたりヒトを操る」事ほど邪悪無為アプローチはなく、エンタメというのは基本的にそういう性質無責任甘やかし特性)を備えているので個人的には「悪カテゴリ」に入れてある。

楽しい時間を過ごす代わりにむっちゃ無為に歳だけとってその責任は全部エンタメ摂取した人間自己責任」。そんな残酷があってたまるかという話だが、世界事実そのように仕組まれユーザーを「嗜好品中毒」にする事を是として回っている。

抗いがたい魅力をふりまきながら「それに翻弄される側が悪い」と嘯く態度は「挑発的」だし「残酷」だ。

「魅力や快楽を用いて他者に何らかのアクションを起こさせようとする振る舞い」はことごとく「挑発」かつ「暴力」であり、これを無自覚アンド無責任に行う人間こそが「真の邪悪」だと僕は思っている。

それを自覚的手続き的にやっている場合は「普通悪人」。

普通悪人自身がやっている事の加害性を多少は理解しているのでまだ対話余地があるぶん「相対的には善良」であるしかし、何故か世の中では自覚的悪人の方が無自覚なそれよりも悪者扱いされていて納得いかない。

自身の加害性を理解できず加減無く加害してしま人間」のほうがどうして純粋可愛いという事になってしまうのだろう。力を持ったピュア加害者の方こそ真の邪悪だろう。

しかしやはり感情的には「力加減を知らずに無自覚に加害してしま赤ちゃんみたいな存在」は可愛いと言わざるをえない。ゆえに、私は邪悪ものが好きだと結論する。

「悪と邪悪を弱体化させる」ならば、まずは暴力的で挑発的な魅力に溢れたエンタメ共産国ばりに「制限」かけて抑制する必要があるだろう。

―と、そこまで話をシリアスに飛躍させずに「なあなあで終わらせる」為にはふつうにどん詰まりになるまでなんも考えずテキトー現状維持して(エンタメ中毒のまま弱体化するに任せて)暮らしましょうねという話にしかならない。「真剣」になったら上記理屈にたどり着かないほうがおかしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん