はてなキーワード: きな子とは
みんなにも昔、好きな子がいたと思うけど、昔の好きだった子って今でも好き?
僕は今思うと、
昔の「好き」ってごく単純なもので、「かわいい=好き」「カッコイイ=好き」だった。
矛盾してるように聞こえるかもしれないけれど、
もしその子がカワイイ顔をしてなかったら、僕はその子のことを「好き」だとは思わなかったと思う。
「顔」が好きだから好きだったわけで、その子”本人”が好きだったわけではなかった。
それでも今も、昔好きだった子はやっぱり今でも意識してしまう。。。
まだ錯覚してんのかな。
今思うと19歳に成長した僕は、
「好き」の形が単純なものから、どんどん”複雑化”してるんだと思う。
だって、今の僕は「顔」だけでその人を好きになるようなことはないし、
今の僕の「見てるところ」は、顔だけじゃない。
その人の目や口、表情や体格、言葉や話し方、雰囲気や人格、、、
見れるようになったものは全部見てる。
最近になって、
自分の好き嫌いを紙に書き出したりして「自己分析」を続けていったことが良かったのか、
自分の好き嫌いや欲望や感情などを含め、少し自分のことが分かってきたのかな、と思う。
自分の「好き」の正体を知らないと、自分の「本当の好き」に気づくことができず、
顔は好きだけど、その人自身は好きじゃない。でも「好き」っていう気持ちはあるから好きだと錯覚しそうだから。
僕が思う「本当の好き」ってたぶん、
ブサイクだけど好き。
口が悪いけど好き。
お金を持ってないけど好き。
何も持ってないけど好き。。。
そんな感じで、「○○だけど好き」の○○に入るところは、
好きになる人にとってはどーでもいいことで、そんなところを本人は見てないんだと思う。
結局、人を好きになる仕組みってのは、
好きな相手を見てる自分の目(フィルター)に依存するものなんだと思う。
「自分が相手のどこを見てるか?」にかかってるんだと思う。
そういうわけで、僕は今でも顔が可愛い人は好きだけど、
毒親に育てられたら、100%毒親になる
http://anond.hatelabo.jp/20131103143341
俺はまさにそういう考え方で生きてます。(毒親の連鎖を断ち切れる人もいるとは思うけど)
なぜかというと、俺の親自身が毒親に育てられた人だったんですが、俺が物心ついて間もない頃に「毒になる親」などの本に出会って読んだらしく、「自分は理不尽な育てられ方をしていたんだ!!」とか、「自分も毒親になってしまっていたかも!」と気づいたらしいんです。
にもかかわらず、それを機にうちの親の振る舞いが改善していったかというと、全然そんなことはなくて、むしろ自分が毒親であることの言い訳として使うようになりました。
「今自分は間違ったことをしてしまったかも知れないが、自分がそういう育てられ方をしたんだから、しょうがないんだ!」と。
もちろんあれはそういう本じゃありません。毒親に育てられた人が、毒親の呪縛から自由になって前へと進むための本です。だけどうちの親は自分が悪くないという免罪符にしてしまった。
そして、常にそうやって完全に開き直っていたならただのクズだったとでも思えたかもしれませんが、そうやって酷いことを繰り返しながらも、必ず俺に謝ってくるんです。
情緒不安定な俺の親は、謝罪と開き直りと暴力のループをひたすら繰り返していました。
だから俺は長い間迷ってきました。自分だけはこうはなるもんかという考えと、自分もこうなってしまうかもしれないという考えの間で迷ってきました。
しかし、大きくなるにつれて自分の事をより客観的に見れるようになってくると、自分の中にコントロール出来ない感情を見出すことが増えてきました。
「こんなことでここまでイラつくなんて、畏まらなくていい自分より弱い身内がいたら絶対に暴力を振るってしまう」と思うようなことが多くなってきました。
俺が夢見てた自分の理想的な振る舞いとかはただの願望で、実際に俺に出来ることじゃないという現実が見えるようになってしまったんです。
寂しいなあとか悲しいなあとは思います。かわいい子や好きな子と結婚するなんて願望くらいはある。だけど、自分みたいな人間を増やさずに済むほうがよっぽど大事です。
俺の親と同じような存在になってしまったら、歯を食いしばってきた自分の経験そのものに顔向けが出来ない。
一昔前だったら結婚しない生き方はずっと難しかったんだろうけど、多様性や未婚率が高まってきた今の社会ならそこまで特別でもなくなってきたし、生まれた時代は運が良かったなと思います。
問い合わせは、こちらに。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
こんばんは、前回統合失調症で夢をあきらめたと書いた石田サナです。
ブックマークコメント、ツイッターなどの、皆様の反響を、一つ一つ読ませていただきました。
ずっと栄養士を、目指して十年以上、そのことだけを心に思い描いて、生きてきました。
しかし、生きている中で、統合失調症や、躁うつ、てんかんなど、とても多くの病気が誤解されていることを知りました。
私ひとりには、何もできませんが、もしこのはてな匿名ダイアリーをみて、何か私に協力しようと思ってくれたなら、その誤解を解くお手伝いをしてください。
私は、もう、栄養士をあきらめ、就職活動し、働いて奨学金を返します。
4年間、片道2時間の通学を実家からして、卒業要件単位のほとんどを取れた私には、きっと働くこともできます。
そして、世界は、美しいです。
ほかの生き物、動物や植物を食べられ、生きていけることにも、感謝します。
生きていたら、確かに辛いことも苦しいこともあります。
しかし、生きてさえいれば、それ以上の幸せなことが、必ずあります。
どうか、自殺も、自傷もせず、自分の体を大切にして、生きて下さい。
努力が必ず報われるわけではありませんけれど、何も身につかないってことは、絶対にありません。
高校は、面倒みのいい私立で、全日制普通科に行きました。トータルで四年通って卒業しました。
@kihara_hfpdd 本人です。入試に面接はありませんでした。入学してすぐ、新入生全員で主要4科目の筆記試験をしたら、学年でトップ20人以内でした。つまりは、学力が十分あったから、入学はできました。
@kihara_hfpdd きはらさんから、なにか質問があれば、このアカウントにツイートいただければ、答えます。石田
@kihara_hfpdd 実習が、必修科目なんです。しかし、病気を隠して頼むことはできません。そして、病気を告げると、断られるそうです。
@kihara_hfpdd 留年です。来年度受けれる場所を必ず探してくるといわれました。その間在学するように。 (注意大学の対応についてどうか?という返答)
もう、ほとんど卒業要件単位取っちゃったから、留年しても、受ける授業ないんだよね。
@kihara_hfpdd しかし、私は、退学するつもりです。四年超えたら、奨学金がでなくなったり、返済を求められるでしょうから。
@kihara_hfpdd でも兄弟がいるんですよね。妹か弟かは、ここでは伏せますが、そっちの学費もかかるので、早く働いて楽させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd 私は、高校生のとき、とても成績が良かったので、奨学金が通りましたが、下の子は、めちゃくちゃ成績悪くて、まず奨学金を断られる成績です。でも、姉としては、望むなら進学させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd バイトで、年間100万円以上稼げるでしょうか。留年すると、結構な学費を、納入します。下の子も、進学ですし、下の子は奨学金制度使えそうにはないし。
@kihara_hfpdd とりあえずは、まだ大学に四年生として在学していて、まだ退学願いは出していません。もう少し学校と相談して、みると、いいかもしれませんね。
@kihara_hfpdd 仕事に就くこと自体は、できそうな健康状態なんです。ちゃんと通院して、服薬すれば、なんとかなりそうです。
@nohohondo 大学が悪いとは、あまり思っていないですね。私が統合失調症なのに、学力入試に受かったからと、面接してない大学入ったのが悪いんですよ。
@nohohondo でも、入試は、学力で一定以上勉強ができれば、入学させてしまうではないですか。私も、大学入ったら、学年でトップ20人以内でしたから。管理栄養士として、不適格でも、勉強できれば、合格なので。
以上、コピペです。
実話です。
学力があったため、管理栄養士養成施設の大学に合格して入学してしまいました。
統合失調症だったのに。
だれか、これをもとに、二次創作をしてください。
原案、石田サナ、とクレジットを入れれば、自由に使ってくれてかまいません。
妹か弟を主人公として、「統合失調症の姉」という話でもかまいません。
まだ、大学4年生です。
ただ、3年のときも、実習先は来年度と、先生に言われ、信じていたら、4年になっても、いけませんでした。
そのため、管理栄養士の夢をあきらめるつもりです。
ここまで、読んでいただき、ありがとうございます。
以下雑感。やなせたかしが死んだ。私も幼い頃アンパンマンが好きな子どもだった。今はアンパンマンという作品が好きだが、それは幼い頃とは少し意味合いが違う。
アンパンマンは「正義とは何か?」それを考える上で非常にシンプルで明快な作品であり、それが今でも好きな理由だ。
知っての通りアンパンマンが成す正義の行いは大きく分けて二つある。
・バイキンマンと戦うこと
知っての通りこの二つである。作中でアンパンマンはこの二つを両立させている。それを可能にしているのはジャムおじさんによるアンパンの無限供給である。アンパンマンは顔が濡れると力を失う。すなわちあんぱんはアンパンマンにとって命そのものとも言える。ジャムおじさんがいる限りにおいてアンパンマンは不死身ともいえる。作者であるやなせたかしは「貧困している人がいれば、パンをあげる」それこそが絶対正義だと言っていることは、実に興味深い。それは不老不死であるアンパンマンにしかできないことでもある。さらにアンパンマンは顔をちぎっても痛みや苦痛をともわない。命が保障され苦痛も伴わない、そのうえ人々に尊敬される存在。なんとも卑怯な存在とも言えそうだ。
そこで私はひとつの思いを走らせる。アンパンマンの不死を支えるジャムおじさんの死。そのとき、アンパンマンがとるべき正義とは何だろうか?
これは大きくわけて3つある。
・自分の命を犠牲にしてお腹の好いた人に自分の顔をあげて死ぬこと
・己の命を守りぬき、できる限りの人を救うこと
アンパンマンはジャムおじさん抜きでバイキンマンと戦えば間違いなく負けるだろう。これら3つは一つとして同時には成り立たない。さてここでもう一度やなせたかしの言葉を思い出してみよう。仮にやなせたかしがジャムおじさんの亡くなった後を描くとすると、アンパンマンは正義のために3つのうち一番上の選択肢、すなわち「自分の命を犠牲にしてお腹の好いた人に自分の顔をあげて死ぬこと」ということになる。しかしながら、作者であるやなせたかしは自分の命と引き換えに貧困者を救うという選択は選んでいない。寧ろ、作者の人生は一番下の選択肢を選んだ様に私には思える。
果たしてどれが正義なのか?それは人によって答えが違うかもしれない。しかし、私としては己を犠牲にしてまで人を救えるのはヒーローであるアンパンマンだからこそ出来たことであり決して普通の人間が考えるべきことではないと思う。
ジャムおじさん亡き世界でアンパンマン、それこそを考えさせてこそ教育的に価値のある本だと私は思う。さてジャムおじさん亡き世界でアンパンマンがとった行動とは?
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
全員を平等にレベル上げするこだわりがある人間にとってはかなりの苦行。
レベル上げ自体はそこまで苦ではないが、100人以上いて、弱いタイプの子は結局レベルを上げても限界があるから。
好きな子だけ育てればいいって割り切れる人はいいんだろうけど、全員に惜しみなく愛を注いでハーレムを築くのが趣味の俺みたいな人間にとっては、レベル上げ作業時間が半端ないことになる。
でもいいんだ。
声もいいし。
妄想もはかどるし。
形のないものに課金(笑)なんて思ってた俺がすでに3000円も課金してしまったよ。
一度課金すると抵抗なくなるね。
それでも簡単に終わりが見える課金だから、ハマりすぎてお金やばいってことにもならないし。
文月ちゃん、待っててね、おじちゃん仕事終わったら帰るからね。
あー暁ちゃんもそんな寂しそうな顔しないで。無理して背伸びしなくてもいいんだよ。ほらお昼ごはんのときの米粒が口元についてるよ。とってあげる。
雷ちゃんにひざまくらしてもらいたい。
響ちゃんの、普段はそっけない態度してるけど俺が帰ったときに少しだけ顔が明るくなるところ、俺しか知らないわからない区別がつかないその顔を早く見たいよ。
榛名はわかりやすいね。そんなに慌てなくても俺はいなくならないから大丈夫だよ(笑
潮ちゃんもようやく心を開いてきてくれたね。編成で選んだときのはにかんだ笑顔を早くみたいよ。
北上様に無表情でその振り上げた足を振り下ろされたいよ
球磨と遊びたいよ。
漣ちゃんの宿題を見てあげたい。
不知火ちゃんに肩とんとん→人差し指でほっぺぷにしてすっごく蔑まれたい。
陽炎ちゃんの幼なじみになってふたりきりの新聞部を作って活動したい。
書ききれない。
書ききれないよ。
全員愛しているよ。
『馬鹿と言う人が馬鹿』 これはもう疑いようのない事だと思う。
これについてこれから度々考察し、匿名ダイアリーに書くことにしようと決めた。自分の考えをまとめて整理する為だ。
この『バカとゆう人がバカ』といった言葉に、最初に出会ったのはいつであったであろうか。
過去を遡れば小学生の頃であろうか。・・いや、もの心がついて間もない時まで遡るかもしれない。
その時は自分も含め、親兄弟そして友達クラスメイト、はたまた恩師にいたるまで『馬鹿』とゆう言葉を多用していたように思われる。
「この馬鹿っ」「いやーぃバーカばーか」「うるせーよバカってゆうおまえが馬鹿だよ」「カーバ」「ばっかじゃねーの」
「馬鹿なんだからやめろよ」「んもう・・バカなんだから❤」・・・など多種多様な使われ方、使い方をしてきた。
この『馬鹿』という言葉について違和感や嫌悪感を感じたのはいつであっただろうか・・・
この疑問もきっと幼少時まで遡ることになるのだろう。
それほど馬鹿と言われるような行為をしてきたし、また短絡的に『馬鹿』と言ってしまう人物に囲まれた環境であったようにも思う。
ここで『馬鹿』と『馬鹿といわれるような行為』は分けて考えるべきだと提案したい。
理由は後で上手く説明できれば良いと思っている。
それで、馬鹿という言葉に対しての違和感や嫌悪感なのだが・・・
こんなもん言われたら嫌に決っているからだ。
なぜならば他者を『馬鹿』と断罪する人間は、決まってその対象者を見下し侮蔑しているフシがある。
この点については、異論など様々状況によって変わってくるであろうが、総じて『馬鹿』と他者対して言う人間は自分のほうが優秀だと思っている。
そして『馬鹿』と言ってしまう人間は言った相手に対して、考える事をやめてしまっている。
短絡的に『馬鹿』と断定し断罪し、慮ったり思いやったり、なぜ相手がそうなのかについて思考することをやめてしまう。
思考を停止して決めつけてしまう・・・。これはとても『愚かな』行為なのではないのだろうか。
まして『馬鹿』とゆう言葉を受け取った側の人間からすると不愉快極まりない。
その言われた瞬間に、相手から見下されてしまっているからだ。ここで怒らない人間はよっぽど出来た人ではないと無理だと思われる。
くだらないプライドを捨て、謙虚に真摯に『馬鹿』という言葉を受け止める。そういった人だ。
あほか!無理や!
日々そうゆう人間になりたいと努力は続けているが無理や!短絡的に『馬鹿』っていってくるような人間に謙虚などなれるかいっ!ぼけぇ
・・・少々取り乱してしまったが、本人が故意に間違いを犯したり、性根が曲がっていてワザと『馬鹿な行為』をしている場合ではないのに対し、
『馬鹿』だろ?「おまえバカだろ」などと言ってくる人間を、私は軽蔑するであろう。
なぜなら【人にされて嫌なことはすべきではない】と思っているからだ。
これは年を重ねていくうちに経験として、また他者から教えられて実感し学び身につけて来たことだと思う。
この点についてだけでも、他者に対し『馬鹿』などと言うことは良くないことだと明らかだと思われるのだが。
だって嫌な事されたり言われたりしたら不愉快じゃん。ムカムカイライラするじゃん。嫌われるじゃん。
別に嫌われてもしかたない場合もあるけれど安易に嫌われる必要ないじゃん。好きな子にフラれちゃうじゃん。
あと自分自身が『馬鹿』と言われる対象者ではなく、第三者の立場であった場合においても不愉快である場合が多い。
誰かが誰かに『馬鹿』と言われているのを聞いてしまったりする場合だ。陰口であったりした場合などは、なおさら最悪である。
まあ例外もあって、自ら『馬鹿と言われるような行為』を理解したうえで行った場合は別である。
「うわーい今日は白ーしーろしーろ白パーンツー」「ばっっかじゃないのっ!」
とかいった場合は『馬鹿』と言われても仕方がない。自ら解っていてやっているのだ。
しかしこれについてもスカートめくりをした本人が『馬鹿』なのではなく、スカートめくりという『行為』が『馬鹿』なのだ。
なぜなら・・・なぜならスカートをめくった本人は相手の女の子を好きであったりするかもry)
その人自身が『馬鹿』なのではなく『馬鹿』といわれる行為があるだけだ。
『馬鹿』と言われる『人間』があたかも存在し、またそれが当たり前かのように思われているかもしれないが、
それは『馬鹿』と他者に対して言ってしまっている人間が創り出し、短絡的に決定付けてしまっているにすぎない。
この言葉を意識し、本当に考え始めたのはいつだったろうか・・・
やはりトム・ハンクス主演の映画[フォレスト・ガンプ]を見てからだったように思う。
あの映画の主人公は、自分の話し方や行動行為で、他者から絶えず『馬鹿』(gump)と言われていたはずだ。
そして言われるたびに主人公は言い返すのだ。『馬鹿と言う人が馬鹿』であると。
映画を観た方ならわかると思うが、はたして主人公は『馬鹿』であっただろうか。
決してそうではなかったはずである。
昨今インターネットを閲覧していて、とてもよく見かけるのだ・・・短絡的に他者を馬鹿よばわりする人を。
安易にそういった言葉で他者を避難したり卑下したり揶揄したり見下したりする人たちは、自分がされる場合になったら嫌ではないのだろうか。
果たしてその対象者は『馬鹿』と断ずるに値するのであろうか。ただ単に経験が足りなかったり、知識がなかったり、知らないだけだったり、はたまた勘違いをしていたり。
そういった事なだけではないのだろうか。
上記のような状況を私はインターネットや私生活で見聞きしたりする度に、悲しくなったり深く考えたり、気分が悪くなったりするのだ。
そして
嘆かわしいとゆうか悲しいとゆうか驚くのだが、「知識人」と呼ばれている方などに特に多く見うけられる気がする。
ある程度の地位などに就いている方なども、そういった傾向がある気がする。
そしてだ。こういった方々は必ずといっていいほどブーメラン現象をみせてくれたりする。
自分が行っていた行為や言説で、自ら墓穴を掘ったりしてしまうのだ。
はたから見ていて目も当てられない。
最悪な事に、自分が間違ったとしても認めなかったりもする。間違っているのにもかかわらず、自らを省みずに他者を攻撃し続けたりもするのだ。
恥ずかしくはないのだろうか・・・もはやそうゆう感覚もないのだろうか。
それとも自分だけが正しく、まわりは間違っているに決まっていると思い込んでしまっているのだろうか。
他者をすぐ『馬鹿』だと断定してしまう人に、こういった事例が多い傾向があるように思われる。
こういった事こそが愚かで『馬鹿』な行為なのではないのだろうか。
確かに解らなくもないのだ。
知識がある方からすれば、知識がない人は愚かに見えることもあるだろう。
経験を積んだ年長者から見れば、若い人々の行為が愚かに見えることもあるだろう。
知っていて当然だと思う事を知らなければ「え?」っとなる気持ちもわかる。
出来て当然だと思える事ができなければ「なんで?」となる気持ちもわかる。
しかし気をつけて欲しい。果たしてそれは知っていて当然なのだろうか。出来て当然なのだろうか。
知らない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来ない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来る人はできない人の気持ちはわからないのだ。
目が見える人に目が見えない人の気持ちはわからないのだ。
歩ける人に歩けない人の気持ちはわからないのだ。
若い人に年老いてしまって体が不自由な人の気持ちはわからないのだ。
高等数学を苦もなく解ける人に算数でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
語学が堪能な人に国語の勉強でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
会話が得意な人に吃音で悩んでいる人の気持ちはわからないのだ。
赤ちゃんが何故なくのか日々生活に追われる大人や子育てをしたことのない人にはわからないのだ。
または忘れてしまっているのだ。
まだまだたくさんあるだろうけど、今挙げた例は逆もまた然りなのだ。
経験していない事、出来ない事や立場については理解することは難しい。
きっと何かについて苦もなく出来てしまう人は、出来ないという経験を積む事がないから
悩んだり苦しんだりする気持ちがわからないのだ。
悩んだり苦しんだりという感情を経験してないから、そういった感情自体を知らないかもしれない。
あまりにも出来てしまう人はきっと悩んだり苦しんだりする経験が薄すぎるから、感情が希薄になってしまう事もあるのかもしれない。
怖い事なんだけど、有能だと言われている人にはこうゆう傾向があるように思える。
・・・これはまた別の問題かな。今回の『馬鹿とゆう人が馬鹿』といった問題とは別かもしれない。
さて・・・
しかし、だ。
それら理解できない状況や立場、行動行為、人などを『馬鹿』と断定してしまって良いのだろうか。
切って捨ててしまっていいのだろうか。
理解しようとせずにいていいのだろうか。
それではあまりにも短絡的すぎるのではないだろうか。
思考停止と言えるのではないだろうか。
短絡的にすぐ断定したり、思考を停止させてしまう行為こそが愚かなのではないだろうか。
決め付けや憶測での価値判断こそ『馬鹿』な行為ではないだろうか。
高度な事を教えるのなら段階的に教えればいい。
基礎の事から学ぶように導けばいいだけの話だ。
なぜそうなるのかわからない場合、局所的な事実では見えない事もあるのだから、大局的な捉え方に目をうながすのも良い。
ちょっと立ち止まって思いやったり想像したり、相手の立場になって考えたりしてもいいのではないだろうか。
自分が上手く説明できたりするようになればいいのではないだろうか。努力してみたらいいのではないだろうか。
そういった姿勢や考えこそが賢く、【利口】と言えるのではないだろうか。
ふぅ~・・・ここまで書いてきて今気づいたのだが・・・あまりにもまとまりが無い。
文体、文脈、論理展開など滅茶苦茶じゃないだろうかこれは・・・。
このテーマについてはまたこれからも考察したりしていこうと思っている。
自分が他者にたいして短絡的に『馬鹿』などと言わない人になるために。
だが人に言われるのは好きじゃない。
好きな女がさ、他の男に取られて、妊娠して結婚して、何がおめでとうだよ。
俺、そんなお人好しじゃねーよ。
素直におめでとうなんて思えるか?好きな子だから幸せを祈ってる?そんな清々しい気持ちあり得るわけないだろ?
平然を装って紳士ぶって、カッコつけてんじゃねーよ。
俺はその女を憎んでる。
何で俺を選ばなかったんだと。
何であんな男の子供を宿したんだと。
俺には心も体も許さなかったくせに、あの男には全てをさらけ出しやがって。
この感情わかるか?
おめでとう!なんて笑顔で言える神経が理解出来ない。
この喪失感は計り知れないけれど、
でも今でもやっぱり好きなんだ。
あの時、君をもっと強引に奪えば良かったのかもしれない。
せめて来世はよろしくね。
君は諦めていないかい?
営業のお客さんだってそう。一回二回の話じゃ会ってくれない。
何回も何回も電話して、ようやく、じゃあ会いますよってなって、
そこが初めての始まり。
一回二回断られたからって諦めたら、
成就しないよ。
しつこいっていうくらいでやっとスタートなんだよ。
営業の仕事がまさにそう。
どんどんどんどん踏み込んで行くの。
そうしないとその先は開かないよ。
相手が迷惑かな?なんて考える優しい気持ちじゃ
達成できないよ。
強く想う気持ちを持ってやりすぎ!ってくらいに踏み込むんだ。
それで初めてスタートラインだ。
相手の事を考えて、なんて、そんな優しさじゃ突破できない。
それでやっと結婚できたよ。
36歳の今。
私は独身でもちろん子どももいないけどまあそう考える人については別にいいと思う
そう言う人は、自分に子どもがいて、それだけそのことを幸せに感じてるんだなーと思うだけだから
微笑ましいくらい
でも、子どもがいない夫婦に対して「子どもいいよ~」「子ども作りなよ~」と連呼するのはどうなんだろう
職場の既婚子持ちのお姉さんがたが、子無しのお姉さんに対して毎日のように言っているのを見て、すごく嫌な気持ちになる
その子無しのお姉さんはなにも新婚ではなくて、結婚10年目くらいかな
普通に考えれば、結婚10年目で子どもがいない夫婦なんて、なんかしら理由があるじゃないか
子無しのお姉さんはいつも苦笑いで「欲しいとは思ってるんだけどね~」と言っている
もしこの人が「子どもができない人」だったら、毎日毎日ひどく傷つけられているんだろうなと思う
私やこのお姉さんが一番年下の世界で「うちの子どもがかわいい」の話題しかないお姉さんがたに対して「そういうのやめて」なんて言える空気は存在しない
もし同じことを男性上司が言ったらセクハラだって騒ぐんだろうな
まあうちの職場の男性は30代から50代まで全員独身なもんだから、既婚子持ちのお姉さんがたいわく「これだから結婚もできない人は」「子どもがいない人はこれだから」で、人間扱いされてないしなあ
きっと私も陰では同じようなことを言われてるんだろう
結局、モンハンが大好きな子どもが、モンハンしないでポケモンしている子どもに対して「ポケモンなんかやめてモンハンしようぜ! モンハンすげえ楽しい! モンハンしないやつは人生損してる!」って言ってる感覚と同じだよなあなんてぼんやり思った休暇の朝
その後も夢の中で何度も舐めた気がする。
もはや現実の思い出と夢の中での妄想がごっちゃになってもはや本当にやったかどうかすらあやふやな状態。いややったんだけど。
想像する通りの味だよ。ちょっと苦いだけ。あとプラスチックっぽい味?だけ。
残念ながらにおいフェチではなかったから単なる好奇心の杭はすぐに打たれた。
体操着とかには手を出そうと思わなかったのになぜか上履きというレベルを飛ばした変態性に挑戦した自分が何を考えていたんだろうと思うと、好きな子に近づきたかったっていうそれだけだと思う。
間接足の裏舐めと同じだし。
手もつなげなくても舌と足の裏でつながっている関係。
単純なつながりよりもよっぽど深いものを感じるよね。
自分が粘膜、相手が足の裏っていう一方的な関係もまた特別なんだと思う。
本来なら出会うことのない二人が出会ってしまったかのようなときめきがそこにはある。
大人になってラブホで相手の下着を履いてみたのも同じ感覚なんだろう。
密着、同一化といったような、より高次のつながりを求めていたんだ。
相手とどうにかして近づきたい、一緒になりたいと考える。
その手段の一つとして上履きを舐めるという行為があるんだと思う。
増田を読んでる小中高の学生がいたら是非好きな子の上履きを舐めてみてほしい。
そのほろ苦さが君を新たな次元に導くだろう。
――それが、青春の味だよ。
本当はそうなんだろうなって今なら思う
だけど当時は
「男は本当に好きか、ただやりたいだけなのかはやったあとじゃないとわからない」
と言っている人がいたり
「やりたいだけだけど、やりたいから本当に好きなフリをする」
みたいな話をよく聞かされていたんで、男の人を全面的に信用してなかったんだよね
今ならそうじゃない人がちゃんと沢山いるってわかるんだけど(後者はまだ多い気はするが)
変に耳年増になってしまって、警戒心強すぎたなとは思ってる
私が「男だったら」って想像してるのはなぜかそういう人たちになってしまっていたけど
「好きな子と」って前提で自分が男だったらを考えると、処女でもめんどくせえなとは思わないね
というか、まったく気にならないといったら嘘になるけど
先日肉体作業に従事する機会があった。
真夏の暑い中、汗をダラダラ垂らしながらスコップを使ったり重たい土を運んだりした。
一日だけの仕事だったが、翌日には筋肉痛で身体のあちこちが痛い。
あれを毎日やっている人たちは本当に偉大だと思う。
ところで、作業中、「もしも魔法が使えたら、この地道な作業もあっという間に終わるのになぁ」と夢のようなことを考えついた。
「そこにある大量の土をあっちへ運べ」とか、「ここを○メートル掘れ」とか、何でもかんでも自分の好きなように現実を操れたら。
もしも魔法が使えたら、こんな汗だくの泥だらけになりながら仕事をする必要はなくなるのに。
だが、そう考えていると大きな問題も浮かび上がってきた。
もしも魔法が使えたら、作業員の仕事が無くなってしまうではないか。自分は一日だけだったからいいけれども、これを毎日やっている作業員の人たちにとっては、魔法に仕事を奪われてはたまったもんじゃないだろう。
肉体作業に限らずどんな仕事も魔法で業務が達成されてしまうかもしれない。
仮に何でも人間の好きなようにできる魔法が登場したら、失業者がどれだけになるのか想像しただけでも恐ろしくなってくる。
魔法は仕事だけではなく子供たちの教育にも大きく影響するだろう。
学校で宿題を出したとしても、子供たちが魔法を使えたらそんなものは無意味になってしまう。
そもそも、欲しい知識を思いのままに魔法で頭の中に入れられるとしたならば、学校そのものも不要になってしまうかもしれない。
魔法って怖い。
細身の自分にとっては肉体作業があまりにも大変だったのでこんな非現実的なことを思いついてしまったのかもしれないが、22世紀にはドラえもんが登場するともいうし、いつか人類が魔法を手に入れる日も訪れうるのではないか。
自分の好きな子とエッチできる魔法が使えると考えれば魔法を手に入れたいとも思うし、一方では自分の仕事を奪われてしまうと考えれば魔法なんか絶対にいらない。
うーん、何とも悩ましい。
その女に振られてもう1年が経とうとしている。
その子が会社にやってきて一目惚れして、頭の中はいつもその子のことでいっぱいだった。
2ヶ月ぐらいして、仕事上の会話もほとんど無い状態でライブに誘った。
その子の好きなアーティストとはいえ、思いのほかあっさりと快諾されて、もしかしたらいけるんじゃないか、と思った。
しばらくは関係を断とうと思っていた。
同じ職場にいるからそれなりに関わり合いはあるんだけど、極力事務的に済ませようと思った。
ところがその子は他愛も無い雑談を笑顔で振って来たり、ちょっとしたお菓子をくれたりなんかする。
おまけにCDを貸してくれる、ということになって、たまたまバレンタインデーだったとはいえ「ハッピーバレンタイン♥」なんて言ってきて。
そんなわけで俺は予定を変更して、あきらめないことにした。
CDを返すときはちょっとしたキャラクターグッズ (値段的には1000円とかの些細なもの) を付けて返したら凄く喜ばれた。
(その後職場の他の女たちにも嬉しげに話してたらしく困惑したけど...)
ときどきどうでもいい雑談をしたり、業務中に30分ぐらいチャットでコソコソダラダラやっていることもある。
そして月イチぐらいのペースで遊びにいくようになった。
先月は飲みに行ったし、来月は演劇 (お互いの趣味のやつ) を見に行く。
終わったらご飯にでも誘うつもりだ。
でも「やっぱり好きなんだ」とは言わないだろう。
俺としては、とりあえず補欠の一番に居て、機会を伺うのが最良だと考えている。
さて、ところで俺は20台も半ばを越えて彼女いない歴イコール年齢だしもちろん童貞である。
振られたとはいえ、生まれて初めて女に自分から告白できたし、その気になればデートなんかもこなせることもわかって、ささやかながら自信が芽生えた。
彼氏持ちじゃない子を狙って行けば、そのうち誰かと付き合うことだってできるんじゃないかという気はしている。
彼氏持ちであるところの今好きな子を思い続けるのはある種のリスクを伴う。
彼女いない歴 (イコール童貞歴) をいたずらに伸ばし続けるリスクを。
その子が結婚でもしてしまえばさすがに諦めるだろうが、職場の女たちの話によるとどうもそういう感じではないらしい。
すごく落ち着いた関係で、喧嘩もしないし、お互い結婚には興味が無いそうだ。
あと相手は20歳ぐらい年上らしい...
もしかしたら3年とか5年とか経ってもこんな感じの関係が続いているんじゃないか、と思うことがある。
そのときには俺は30を越えている。
果たして俺は諦めた方がいいのか、それとも僅かな可能性に賭けるべきなのか。
ま、とてもじゃないけど諦められないんだけどね。
なっつってったって10年振りの恋だもん。
物心ついた頃、よく覚えていないけどきっと多分その頃から女の子になりたい、可愛くなりたいと思っていた。
背の順に並ばされると必ずクラスで一番前になる背格好や小学校に入って少し経つくらいまでよく女の子にも間違えられた容姿もそれなりに影響していたのかもしれない。
幼稚園に入る前あたりの自分の写真を見ると全部首をかしげてニコニコして映っている。そのポーズをとると可愛く見えると思っていたから例外なくそうしていた。
両親はそういう行動を取る息子のことをさして気にはしてなかったようだ。「男の子なんだからしっかりしなさい」と言われるようなこともなかった。
しかし幼稚園に入ってから、どうやら男の子はそういうことをしては変に思われるのだということに気がついた。
でもぼくは最初はあまり気にしてなかった。18cmのお気に入りだった赤い靴を履いてたらなぜか色々言われたりもしたけど、そこまで気にすることは無かった。
その当時ぼくは男の子にしては少し長めの髪型にしていたのだが、ある日幼稚園の同学年の男の子がぼくの髪をハサミで切り落とした事件が起きた。
その時は悲しくて泣いてしまったけれど、その時に男の子が可愛くなりたいと思うのはダメなことなんだなとようやく理解した。
それ以来、ぼくは表向きには一切そういうことは考えないように、そして他の男の子達が好むものを好きだというようになった。
好きな色は赤より青を、好きなテレビ番組はカクレンジャーを推すようになった。
ちょうどその頃から好きなものが何なのかよくわからなくなってきた。いろいろどうでもよくなった。
そしてぼくも遅ればせながら中学校に入っていわゆる第2次性徴の時期を迎えた。そして好きな子ができた。相手は女の子だった。背が高くてちょっと同学年の中では少しませてて、ぼくの仲のよかった女の子だった。その時もしかしたら自分のことを同性愛者なのではないかと思っていたぼくは、差別的な言い方になってしまうけど正直少しホッとした。
かと言って、じゃあ告白するかとなるとそれほどでもなかった。一緒によく遊んだけれど。
付き合わなかった理由は、はっきりとしない。でもなんとなくその時にぼくは彼女の彼氏には似合わないなと思ったのは記憶にある。
他の男の子ならもしかしたらそこで釣り合うようになるべく格好良くなろうと努力するのかもしれない。
でもぼくはそれをする気が起こらなかった。格好よくなろうという気にならなかったのだ。
しばらくして彼女は他のイケメンの男の子と付き合うようになった。ああ、これはお似合いだなと他人事のように思った。
お察しの通り、その頃になっても相変わらずぼくの身長体重はクラスの一番前に並ばされるくらいの低空飛行を続けていた。
確か中学入学時は140cm37kgだったし、卒業するときも160cmまでしか大きくならなかった。
でもその頃のぼくは一気に身長が伸びてガタイがよくなっていく周りの男の子たちを見ながら、この低空飛行状態を望ましく思っていた。もしあんなにガタイがよくなってしまったら、可愛くなくなってしまう、それだけは避けたいと誰にも言わなかったけど内心はそう思っていた。
容姿ももちろんもう女の子に間違われるようなことはなかったけど、あまりゴツゴツしておらず中性的な顔を保っていた。
元から高かった声も少し声変わりした(と小学校の時から仲のよかった女の子には言われたけれど、一般的に言われるような声が出しづらくなるとかそういう明らかにわかる変声期というのはぼくにはやって来なかった)けど甲高いままだった。顔を上に向けるとなんとなく喉仏らしきものが見えるかなという程度で、喉仏が目立つということもなかった。足も23.5cmでそこまで大きくならなかった。
遺伝的要素に感謝する一方で、高校に入学してから一気に身長が伸びたいう母親の話を聞きながら、そのことを恐れる日々が続いた。
中学校に入学した時、ぼくは自分の部屋にネット回線を引き、パソコンを手に入れた。
そのうちぼくは夜更かしをして女装している人達のHPを観るようになった。可愛らしい人もそうでない人もいたけど、どの人も楽しそうにしているのが印象的だった。時々オフ会なんてものをやってて、友達もいるようでいいなと思っていた。当然ぼくにはそんな秘密を共有できる友達はいなかったから羨ましかった。
そして写真を見ているうちにこれはぼくのほうが絶対に可愛くなるとの確信をもった。単純に年齢の問題もあるけど、それを差し引いても。
そしてその日ぼくは初めて母親が若かった頃着ていた服を着た。やっぱりどうしようもなく古臭かったけれど、初めてのワクワク感で曇った目にはとても可愛らしく映った。そしてそのままぼくはオナニーをした。
そこからの転落は早かった。
中高とそんな生活を続けたぼくは、東京の大学に入学し一人暮らしを始めた。家族の目を気にする必要のない空間と恐ろしく持て余した時間と家庭教師のバイトで生活費とお小遣いを捻出しても少し余るくらいのお金を手に入れ、趣味に恐ろしく拍車がかかった。
ぼくはずっと欲しいと思っていたものをその時に一気に揃えた。
周りの女子大生が買っているような(安い)ブランドの洋服、バッグ、靴、メイク道具、ウィッグ…資金難になりながらも安いものを中心に通販で買い揃えていった。幸い高校生で急成長するという懸念はどこへやら、165cm52kgで成長は止まってしまい、足の大きさも24.5cmで止まってしまった。女性の体格としては大柄なほうではあるけれど、それでも普通のお店で手に入る大きさの服や靴を買えばよかったのでその面ではすごく助かった。
そしてある程度まとまった暇な時間が出来るたびに、ぼくは鏡の前に立って女の子になるようになった。
もちろん最初は鏡の前におてもやんが出来あがるだけだった。それも悲しくて、女性向けファッション誌を買って研究してみたり自分の顔に何度も塗りたくって練習するようになった。ちょっと痩せすぎててほっぺたに肉が無いなと思って笑顔を作る練習をしたり、ちょっとごはんを沢山食べるようにしてみたり、やれる範囲でいろいろやってみた。
そんなある日、奥二重の目をアイプチではっきりさせてやって黒髪のウィッグを被ってみたら、鏡の前に劣化版松井玲奈(ファンの方々申し訳ありません)が出来上がった。あ、凄く可愛い、と自分で思った。
その場ですぐにオフホワイトにブルーのボーダーが入ったワンピースにベルトをしめてカジュアルなバッグを持たせて帽子をかぶらせてみた。鏡の向こうの「玲奈ちゃん」はえ?って感じでちょっとポカンとしていたけれど、ちょっと顔が赤くて贔屓目だってわかっていてもとても可愛らしかった。
それから「玲奈ちゃん」はいろいろなことを経験した。ビクビクしながら外出もしたし、学校の大学祭でメイドさんになったりもした。酔っ払ってネットに少し画像を上げたりもした。知らない人に可愛いねと言われた。凄く嬉しかった。一人エッチもしたりした。「玲奈ちゃん」でいるとその間はニコニコしていられたし、幸せだった。
もう「玲奈ちゃん」とのお付き合いも5年くらいになる。ぼくも24歳になった。昔はある程度の年令になったら限界を迎えるだろうしその時には別れようと思っていたのだけれど、結局ズルズルと続いてしまって関係を持ってしまっている。むしろ、社会人になってお金に余裕が出てきた分、玲奈ちゃんも貧乏女子大生からそれなりな社会人さんって感じになってきて、これはこれで可愛いかななんて思ってる。なんというか、本当に業が深いなって自分でも思う。
結局今まで彼女を作ろうという気も起こらないまま、そして作ることもないままズルズルと来てしまった。いくら「玲奈ちゃん」が可愛くてもぼくの客観的なステータスは24歳男性・会社員であるということには変わりない。数年したら結婚したらどうかとかそういう話にもなるだろう。その時にはぼくは「玲奈ちゃん」に『ごめん、一緒にはいられない。別れよう。』って言わないといけないのだろうか。そうだよな言わないといけないんだよな。
その時に「玲奈ちゃん」はなんて言うだろうか。
「わかった、いいよ」って言ってくれるだろうか。「ずっと一緒じゃなきゃヤダ。一生玲奈になって。」って言うだろうか。
いつか言わないといけない時が来るというのはわかってはいるのだけれど、悲しくて向き合えなくてまだずっと言えてない。
追記
これ酢豚ちゃんに載せてほしい。