はてなキーワード: きな子とは
今まで何人かの男性と付き合ってきた。
そこそこ人数は多いらしいが、どの人もきちんと愛していたと思う。
素人の男の裸を見るたび、身体への愛おしさ、執着が増してくる気がする。
雑誌の男グラビア、モデルの裸、アイドルの腹筋、全然興奮しない。
・服を脱ぐと、均整が取れていない身体。
・細い手足に比べて太めな胴体。
・腹筋があるようでないガリガリな身体。
・印象に反して濃すぎたり、薄すぎたりする体毛。
・昔手術をやった事があり、跡のある腹。
・変なところにほくろや痣がある。あるいは火傷や肌荒れの跡。
・鍛えているらしく、やたら腹~胸ばかり筋肉の発達している身体。
これは、今まで見てきた裸の印象の一部であるが、
どの人のどんな裸も覚えている。
完全にバランスの取れた美しい裸など一つもなかった。
素人男の裸が好きだ。裸なんて本来、隠しておくべきものである。
大嫌いな男も、いけ好かない男も、家に帰ってシャワーを浴びればみな裸。
皆、裸を愛そう。恥ずかしく愛おしい裸を肯定しよう。
好きな子だけが全てのモチベーションだったのに辛いなあ。と思う。
結構長い間好きだった子なんだ。
別に特別美形とか、スタイルが良いとか、そういう訳じゃないけど、
すごく愛想が良くて、一緒に居て楽しくて。なんかもう天使みたいな子だった。
お嫁さんにしたいなあ、とも考えていた。
今思えば、すごく一方的な考えだ。本当。
まあ、おとなしく時が過ぎるのを待ってみます。
きみはオデコが広いことを理由に、友だちに散々、「ハゲ!」「ハゲ!」っていわれてきた。さぞかし辛かったね。
ハゲる人もいるけど!僕は違う!なんて、虚勢を張ってた君だけど、
おやじの頭を見ないように、見ないようにしていたこと。僕は知っているよ。
だが現実から目をそらすな。どうにもならないことがこの世界にはある。おまえはハゲるのだ。
きみの時代には想像もつかなかったことだろうけど、君が親に隠れてコソコソ、夜な夜なエッチな画像を探すための手段に過ぎなかったインターネットというものは、それからとても発展するんだ。
Facebookというサービスが生まれる。きみもそれに触れることになる。
そして見つける。
きみが結局告白できなくて、離れ離れになってしまったクラスのアイドル。清楚で素敵、可憐なあの子。
彼女がデブっている。それどころかガングロにさえなっている。きみはそれを見つける。
きみの瞳から色が抜ける。
でもどうしようもない。Facebookのような実名インターネットの普及を止めることができないように、僕がなにを言おうとも、好きな子の名前を検索したい青年男子のリビドーを、妨げることはできないだろう。
かくして悲劇は起こる。誰にも止められない。
これをきみに言ったなら、おそらくきみは口をへの字に曲げ、何言ってんだこいつ、という表情を浮かべるだろう。
きみは将来、クルマを運転するようになる。車道を走る危険や、それを回避する方法など、クルマの世界の危険な現実を知る。
そしてそれを知ったあとでは、もう、あの時間のつつみこまれるような安心感は帰ってこない。それと比べられるほどの体験を、二度とすることはない。
それだけじゃない。今のきみには想像もできないだろうが、親は死ぬ。
親は、死ぬ。
嫌われるのが怖いからとか、クラスのみんなにからかわれるのが嫌だからとか、甘えてるんじゃないよ。君が行動しなかったことで失ったものは、そんなちっぽけなものだけじゃない。
そこで勇気を出さなかったら、それから先、ずっと誰にも気持ちを告げられなくなるんだよ。
恋人も、友達も、できない。君はそこで、未来に仲良くなるはずだった、すべての人たちと縁を切ったんだ。
なに?ひとりだって平気?おとなになってもそんなふうに虚勢を張り続けられると、本気で思ってんの?
たしかにね。でも、お金がなかったら愛する人を守ることさえできないんだよ。そして、君がそんなふうに言うのは、お金を稼いだことがないからだよ。
必死で勉強しろ。挫折しても起ち上がれ。ちょっと「場合の数」がわからなかったくらいで諦めてるんじゃあない。
君は「勉強ができると、将来いい大学にはいれて、就職した時に年収が上がる」くらいに考えているんだろう。
でもそれだけじゃないんだ。見える世界が違ってくるんだ。
動揺を抑えられないので書き込ませてください。
でも俺はそんな目が大好きだった。
モー娘の鞘師みたいな目。
切れ長で和風っぽくて控えめな目が良いと思っていた。
照れもあるし、あんまりかわいいと言えなかったのを後悔している。
久しぶりに会ったら誰だか分からなかった。
ますわかつばさとか、きゃりーぱみゅぱみゅみたいな顔になっていた。
嘘だろ。
目やったろ?と聞いてみたら「うん、ちょっと、、、やっちゃった」
と照れながら話す彼女。
「でも、昔から気にしてたしいいんだあ」
何がいいんだよ。
長年付き合っている相手なら、途中でフラッと気が変わる事はあるだろう。
バレないように浮気するならまあ良いんじゃない。と思っていた。
ずっと良いな、付き合いたいなと思っていた女友達。
付き合いたいと思っていた矢先、彼氏ができてしまった。一年前のことだ。
悔しいと思う反面、幸せになれよ、と素直に思う気持ちもあった。
しかし、どうやら付き合って一年も経つと様々な不満ができるらしい。
相談をしたい、という名目のもと、彼女と一緒に飲みに行く事に決まった。
お酒の入った彼女は、俺の事を見た目も雰囲気もすごくタイプで、今の彼氏がいなかったら付き合いたかったと彼女は言った。
酔った勢いもあって手を繋いで駅まで一緒に帰った。
それからというもの、身体の関係はないものの恋人のような関係が続いた。
一緒に料理をしたり。
一緒に買い物行ったり。
などなどなど。
キスをしようとすると「それはまだ」とたしなめられた。
「彼氏と別れて俺と付き合わない?」とそろそろ言おうと思っていたころ。
ある日を境に彼女と連絡が取れなくなった。
何でだよ。どうしても気になって、普段はあまり観ないFacebookを見た。
二人とも凄く良い笑顔で微笑んでいた。
相手は大企業の社員らしい。真面目で固そうな雰囲気をしている。
ユルそう、お笑い芸人っぽい、とよく言われるヘラヘラした俺とは対照的なタイプに見えた。
多分結婚前に少し遊んでおきたい、というやつだったのだろう。
旦那となる相手に密告しようかとも思ったが、そんな女々しいことしたくないと思いやめた。
少し泣いた。
♯今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。
平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。
2人と猫2匹で同棲していた分譲物件でタオルをドアノブにかけた非定型の首吊りによる縊死だった。
前日に喧嘩をした。予感はあった。
しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、
どうしよ~と彼女に報告した事。
要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。
最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら」
僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、
その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。
と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。
僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。
僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。
だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、
車をなかなか発車させることができなかった。
その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。
家や携帯はかけてもやはりでない。
家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。
よかった生きている。
僕は安心してその日予定されていた自治会の行事、マンション前の草むしりに参加した。
▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。
11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。
意気揚々と家のドアを開けた。
距離は遠いが、明らかにあの子が不自然な体制でドアに寄りかかっているのが見えた。
見た瞬間にすべてを悟った。
2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。
ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。
首吊りの縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。
ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。
でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。
飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。
それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。
そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。
また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。
それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。
ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、
「呼吸はありますか」
「脈ははかれますか」
「心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」
あの子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。
でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。
足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。
死後硬直まで起きている。
生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。
彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。
まったく入っていく気配はない。
と、いうか口の中が乾きすぎている。
もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。
救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。
まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。
そんな馬鹿げた事を考えていた。
救急隊員があの子をストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。
野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。
あの子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。
僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心で
白い布を顔までずらしました。
しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論で
白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。
中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、
彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています。
しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。
もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。
そんな気は全然しないな。
命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。
あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。
でも、本気で笑う日は少ない。
すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。
だけど、こんな悲嘆すること言いながら、
都合いいよね。
嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。
でも、気落ちした私を心底支えてくれました。
大切な人が命を断つ。
あまりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、
いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、
皆さんこもごもにケースが違う。
似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。
また、社会に出ると毎日のように人身事故、自殺のニュースが目に入ってきます。
その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。
自分の価値観が大きく崩れて、自分も首吊りで死ぬことが一番最良の方法なんではないかと
感じてきてしまっている。
後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。
あの子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。
でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。
少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。
きっとなかったんだろうなとは思う。
hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、
それを真似したわけではなさそうです。
とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。
実行の際にはオムツも履いていましたし。
それほどまでに死に執着していたのか。
話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。
昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、
あの子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。
人の死というのは、電気のスイッチと同じで、OFFになると消える。
今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、
何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。
あの子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、
僕の夢にも一度も出てこない。
そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。
事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、
あの子の器だったものの骨壷を持ったときの違和感が今でも手に残っている。
しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。
僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。
葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。
あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫。幸せに過ごしている」を見せている。
葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。
これまで大変お世話になりました。
と、言われました。
正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、
遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。
そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています。
また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています。
これまで育った経緯の写真。
その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真、
何も捨てられません。
また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。
今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。
再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺のニュースを目にします。
見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから。
身の回りの日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。
でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、
いてもたってもいられなくなる。
でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。
けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。
ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。
その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。
皆、こういう感じなのかな。
だとしたら、少しホッとする。
(追記 1/18)
多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。
あの子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。
僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます。
でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。
しかし、時は最良の薬なのですね。
この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたものに
そんな事ばかりしか書いていませんでした。
それは自分の希望であって、多くのコメントでいただいているように、
結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます。
上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。
僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。
あの子の納骨が終わった日の夜、
15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります。
地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。
妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と
思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。
また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。
期間にすると約3年くらい。
あの子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。
しかし、あまりにできなかった事から、あの子は産婦人科で不妊の検査、
自分の精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。
とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます。
ありがとうございました。
子ども時代、親に「ぶさいくだ」「愛嬌がない」と容姿を散々人前でもけなされた。そして「運動神経がない」「どんくさい」とスポーツが苦手なこともバカにされ続けた。
親に繰り返し言われ続けた言葉の数々は、次第に私自身の残念な部分に目を向けさせ、私自身がそれにとらわれるようになっていった。
おかげで、人前で笑うことが苦手になり、写真も数えるほどしか残っていないが、どれも横をむいてふてくされた顔をしている。スポーツも苦手なまま、人目につかないように、できるだけスポーツをしないですむように生きてきた。
そして子どもが生まれた。
絶対にほめてほめてほめよう。
おかげで子どもの容姿は私に似ているけれど、とても素敵な笑顔で笑ってくれる。本当にかわいくてかわいくて仕方がない。
7歳になった男児は、今も夜布団の中で「ぼく、かわいい??」とときどき聞くので「うん、とってもかわいいよ!」というと、「ありがと」といって目をつぶってすーっと寝入る。
ぜんそくの持病があり、体は強くないので水泳を習っているけど、いつも「かっこよく泳いでるね」「上手になったねー!」と褒め、応援し続けた。
かけっこも早くないし、よくこけるけど、「がんばってたよ!」「かっこよかったよ!」とほめる。本当にそう思ってるから。
そうしたら、決してスポーツが得意な俊敏な子どもではないけれど、外で走り回って遊ぶのが大好きな子どもになった。
小学校の懇談会でも「休み時間には真っ先にお外に飛び出していきますよ」と先生に教えてもらった。
親は、わが子の残念な部分を子どもにとってのスティグマにしてはいけない。
成長したある日、子どもが自分自身を見つめたとき、自分の中に残念な部分をみつけてしまかもしれない。
その時までに・・・
親として、「お前はだめだ」と烙印を押して子どもの人生の邪魔をしないように
精一杯応援して、かわいがって育てていきたい。
そうすれば、自分のなかの残念な部分をみつけたとしても、それを乗り越える力を備えた自分がいることに気づけるはずだ、と信じている。
そりゃはてなのサービスも好きだけど、TwitterとFacebookは特に好きで周りの人がたくさんインターネットにいて、いろんな情報が入ってきて楽しい。
なかでも「ふぁぼ」とか「いいね」とかは結構敏感になっていて、もらえるとやっぱり嬉しいし、好きな子の好きだなーと思ったポストにはひたすらにリアクションする。はてなスターみたいに好きだと思ったら連打できればいいのにね。
ちょっとプログラミングをかじっていて、TwitterとFacebookのAPIなら簡単に叩ける。何が始まるかって言うと、サードパーティのクライアントがよく出来ている・Webのインターフェースが良さげって言っても知りたい情報を得る為にずっと画面に張り付くなんていくら時間があっても無駄だ「自動化だ!Push通知だ!」という結論。
TwitterはStreamingAPIとかが整備されててめっちゃリアルタイムにいろんなことがわかる。Facebookはクロールさせなきゃいけない、面倒だ、何もしてない。
まず手始めに好きな子がツイートしたら、それをPushでスマートフォンに通知するようなアプリを書いた。iPhone使ってるからBoxcarとかを駆使すればすぐできる。
次に隠れているAPIを使って、好きな子が「ふぁぼ」を送ったら、それをPush通知するアプリを書いた。
とりあえず、そんなところ。他にも、いろいろ通知させてるアプリあるけれど、エゴサとかプロフィールの更新とか、どうでもいい。
今のところ、その好きな子は鍵垢でも何でも無いし、ツイートとかふぁぼとか、その子に関する全てをDBに叩き込んでる。アイコンの変更とかBioの更新、フォローのステータスとか、その子の全部。ポストが日に50前後だからそんなにTwitterやってるわけではないけれど、Facebookもそんなにしてるわけではないし、インターネットで知りうる情報って自分からその子にしてみればTwitterくらいなものだから。
で、今晩、クリスマスイヴ、ちょっとその子の関係を顧みて自分のやってることを考えた。
「アレ、俺のやってることってストーカーじゃね?」
今年も就活の時期はやってきた
私も昨年、今年の就職活動のことを懐かしく感じている
そして、面接に対して「コミュ障だから落ちる」という意見をよく目にする
私はこれに苦言を呈したい
かくいう私もコミュ障だ
※コミュ障
>人とまともに話すことができない、極度の人見知り、どもり、対人恐怖症など。
>長年引きこもり生活が続くと発症しやすい。また、逆説的ではあるが、コミュ障の人は引きこもりになりやすい傾向にある。
(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%DF%A5%E5%BE%E3 より引用)
極度の人見知りだ
休日は絶対に家から出ないし、友人も少ない、彼女ももちろんいない
なにより男女問わず、仲良くない人と話すのが嫌いだ
言い淀んでしまったり、気まずくなってしまったりすることも多い
面接が1次~3次とあれば、1次で落ちることはなかった
むしろ面接までいければ最終、もしくは内定をいただけることが多かった
なぜか?
相手が親切にも知りたいことを聞いてくるからだ
メールの返信と同じだ
好きな子とメールを続けるには疑問文を入れるとよい、とはよく言われる
そこまでの熱意がないか、志望理由が曖昧であるか、もしくは頭の回転が悪いか、だろう
質問に対して答えは浮かぶものの文章として口から出せないのは、
単に文章力が乏しいのだろう
「変なことを言うと気まずくなる」
言われたことにただ答えればいいのだから
もちろん面接の中で
「相手にどう話せば自分をアピールできるか」
「どう話せば自分に興味を持ってもらえるか、うまく伝わるか」
などは考えなければならないが、
それは「話す」こととは関係ないと、私は考える
もろもろの聞かれやすい質問には回答を用意しておくのは当然のことだ
話を戻して
趣味も合わない、相手のこともよく知らない、何を話していいかわからない、話したくもない
それでも話しかけられたときなどやむを得ないときは話さなくてはいけない
相手はこんな私と話して楽しいのだろうか?
自分の興味のある職種・企業、相手に自分をアピールする"目的"での対話、自分の将来のために話す
そして内定が頂けたら、自分自身が、自分の話がその企業に認められた証拠だ
こんなに嬉しく楽しいことはない
酒飲みながらそういう話してたんだ。
私がうぶすぎたのかしら、
完全に悪の権化、嫌々、何それセクハラやめてよの対象として捉えていると思っていたのだけれど、
実はそんなことなくて。
ちょっとあんためくってよ的なテンションだったりしたんだって。
そんなアホなって。
その子はその子でなんか勝ち誇った感でその時は丸く収まったんだけど。
そして、その話をまた別の機会に持ちだしたんだ。別の同世代女子に。
すると、やっぱりそんなの常識で、
むしろ、パンティめくられる順番決める為に打ち合わせしてたとか、
めくられないけれど、いざという為に
パンティめくりの達人、クラスで一番かっこいい男子の和也くんの、
いや、私あほだったな。
全然そんな曲線見えてなかったわ。
需要過多で私のまわりは物凄いかわいいパンティだらけだったかもしれない。
と言うことを考えながら山手線の中、
危ない、妄想に侵されかけた。
おまわりさんおれです。
残念ながら全く無いと思う。
お前に好かれてるのが分かってるから、お前を精神安定剤に使ってるだけだ。
考え方としては最低だが、お前の好きな子もそれに近いんじゃないだろうか?
片思いの女の子 (彼氏持ち) とふたりっきりでご飯を食べに行った。
いろいろ盛り上がったんだけど、その中でも卒アル写真見せてくれたのが印象的だった。
正直お世辞にもかわいいと思えなかった (今は超可愛い) し、本人もそういうものとして見せてるようだった。
まぁ子供のときなんてそんなもんだろう、ということで、別にそんなんで想いが冷めるわけはない。
でもその子がその写真を見せてくれたことには何か意味がある気がしてちょっと嬉しくなった。
向こうは、こちらが自分に対して好意を持っていることは知っている。
というか去年一度告って振られてる。
別れ際にも「じゃあ次はあの店で!」なんて向こうから行ってきたし、まだ希望はあるのかな。
今年がいい年で終わりますように。
http://anond.hatelabo.jp/20131124213950
> 家庭があるため?
まずもって、他人の家庭には簡単には入ることができません。
> 小学生以下だったら
子供が小学生以下なら、他人の家庭に入るのは、可能性はあるでしょう。
> 35歳なのは相手の女性?息子が35歳で大きな子供ってこと?
35歳は、自分が35歳だったらと言うことです。彼女もぼくとほぼ同じ世代です。
もう、この歳だと、新しく子供を育てることはできません。
子供を作るでもないのに、一緒に暮らす提案は、まあ、ないでしょう。
少なくとも先方も子どもたちも望んでないでしょう。
35歳前なら、ありえたかもしれませんが。