はてなキーワード: 挑戦者とは
挑戦者の拙い演奏に審査員がキレて、演奏中の挑戦者のギターを奪い取り即座に破壊
という内容。
この審査員、さすがにこれはねーわ
ってのと
ほぼ全員が俺と同じくらい、この審査員をねーわ判定してる。
ちょっとほっとした気持ちも正直あったんだけど違和感もあった。
こういうの(挑戦者がいきなりギターを破壊されること)って本来普通にどこにでもある「世の中の厳しさ」ってやつじゃないの?
仮に俺が挑戦者だったとしたら、まず、誰もこのことについて俺に同情も共感もしないという前提で、これが俺の実力なのだから仕方がないと戒めるし、誰かに同情や共感を得られることを期待しない。(もちろん、映像の挑戦者だって誰かに何かを期待したわけでもないだろうし、いきなりのことでわけわからん感じだと思う)
にしても、そのコメント欄はみんな優しすぎて、こんなにみんな優しすぎるなら、世の中もっと生きやすいに決まってるはずなのに。
本当の世の中だったら、半分以上の人間が、ギターを破壊した審査員を擁護するに決まってる。
じゃなきゃ、この世の中はこんなに生きづらいわけがない。
ユーチューバーの「コラボ」ってなかなか独特な言葉選びな気がするな
ポケモン新作に出てくるキャラクターであるナンジャモっていう動画配信者ジムリーダーが挑戦者と動画共演してる様子を「コラボ」と表現していてそう思った
ユーチューバーの動画ほとんど見ないから聞き馴染みがあまり無い言葉だ
確かにコラボってコラボレーション、すなわち共演なので意味は何もおかしくはないのだが
仮にラジオ番組で誰かを呼んできてトークすることは「ゲスト」と呼ぶだろう
コラボ相手もユーチューバーとかであればなんとなく「コラボ」という言葉のニュアンスがしっくりくるのだけれど
ラジオ番組のゲストに他ラジオ番組の看板を背負った人がやってきたらゲストであり、なおかつコラボという表現もされることがあるのかな?
そういうイメージが自分の中にあるせいでジムチャレンジャーである一介のポケモントレーナーである主人公とナンジャモ動画共演するのをナンジャモが「コラボ」と表現していた様子に自分の中に無い文化を感じた
あるいはポケモン世界のポケモントレーナーという身分の特殊性があるのかもしれない
ジムチャレンジするようなトレーナーはいわばアスリートだとかパフォーマーのような性質を持っているのかも
ましてやナンジャモ自身も動画配信者でありポケモントレーナーでもあるわけで
ユーチューバーをやってる野球選手が他の野球選手と一緒に動画出演したら「コラボ」と表現してもおかしくはない……いや、やっぱり「ゲスト」のほうが自分的にはしっくりくるんだよな
ツッコミを色々と入れていますが、この話の前提条件として、私は佐藤天彦九段が救済されるべきと考えていることをご承知おきください。
端的に言えば、臨時対局規定には看過出来ない欠陥があるためです。
臨時対局規定の解釈が誤っているとし、その中でマスク着用規定は故意に外した場合に適用されるもので、過失の場合は含まないという趣旨の主張をしています。
後段の相当性を欠く判定において、一般的な企業の規則を持ち出していますので、この主張に対してもその筋で考えますと、一般的には形式的な違反を規定し、その上で故意または重過失の場合を規定する事が多いのでは無いでしょうか。そして、これらの規定があった上でさらに、場合によって情状を考慮するという構えになっているのがよくあるパターンです。
また、二歩の事を持ち出しており、その中で二歩は当然に過失という主張をしていますが、この解釈にもかなり無理があると感じます。二歩においては、故意なのか過失なのかを判断する意味が無いため、あるいは、故意でも過失でも反則であるため、明文化していないと解するべきでは無いでしょうか。
その証左に、二歩が発生した場合、その時点で反則負けとなってしまい、故意なのか過失なのかを確認する事はしません。
申立書の主張が正しいのであれば、故意の場合は別の措置が存在する、あるいは逆に反則にならないという様な事があるのではないでしょうか。
故意に二歩をした場合は、恐らくですが、その対局は一先ず反則負けとなり、その上でどうして故意にその様なことをしたのかをプラスで対応し、八百長等の問題が確認されれば資格の剥奪や出場停止の追加措置をするという事になるのではないでしょうか。
本件を故意とか過失とかいうのが無理筋で、さらに、二歩の例を出せば、寧ろ故意や過失は関係無いと思われるのですが…。
「相当性を欠く判定」という事を主張していますが、判定自体は相当だと思われ、相当性を欠くのは規定の方なのではないでしょうか。
報道や連盟のホームページの抜粋等で、断片的にしか規則が分からないので確定的な事は言えませんが、その断片的な規則の中では、現在の規定がマスク着用を二歩などの反則と同列に扱っている(準用している)様に読めます。
となると、マスク着用がなされていない、あるいは一時的に外していたとは言えない(長期に外していた)のであれば、審判は反則としなければなりません。
規則がおかしいのではないかという意見が多く見られますが、この臨時対局規定の最も愚かな間違いは、反則条項を準用しているところにあります。競技上の反則ではなく、棋士として懲戒される行為とするべきだったのです。
安易に対局規定の方を変更した(臨時で設定した)のは、理事会の重大な過失では無いかと私は考えます。
申立書では「臨時対局規定は抑制的に使われなければならず」と記していますが、対局規定は抑制的に使うものでは無くなるべく「厳密に」使うべきものです。前述の様に懲戒という形にしてあれば抑制的に使うというのは有り得たでしょう。
一時的の定義が恣意的である点や、立会人の利害関係などの主張自体は理解出来ますが、それをもって1時間もの間マスクをしていない事が、現在の臨時対局規定の中で許容されるとは思えません。
「判定は致し方無いが、そもそもの規則に構造的な欠陥がある」、「この欠陥で被った損害は補償されるべき(救済されるべき)」という事を主張すべきなのです。
判定がおかしいという主張を入れてしまうと、規則には問題が無いという事に繋がりかねません。判定が相当かどうか評価をするという事は、その前提の規則は受け入れているという事になる可能性が出てくるのではないでしょうか。
ここまでの無理筋は、常務会に求める裁定のうち、反則負けの判定取り消しや対局のやり直しに繋がる主張でした。
もちろん、規定の修正や明確化を求める事は良い事だと思うのですが、不服申し立てはあくまで反則行為について絞るべきで、規定の改善は別の文書にするべきでしょう。
臨時対局規定上も判定の不服申立を1週間以内にする事が規定されており、判定以外のことの不服を申し立てる事は(この規定上は)出来ないはずです。
ですので、そもそもこの求めを行う事自体、筋が悪いです。重ねてですが、これは別に行うべきです。
別に行うのであれば、その部分については他の棋士の賛同を得ることも可能で、改善したいという目的を達成するためにも適切な手段ではないでしょうか。
書いてある内容については他にもツッコミどころが多く、この書面を作った人はもうちょっとしっかりして欲しいという印象です。
佐藤天彦九段が、色々な感情の中で書いた文書であれば、こういった文書になったのは理解できるのですが、もしも誰か別の人がプロとして書いた文書であれば、ちょっといただけないと思います。
色々と無理筋である旨を書いたのですが、最も肝心なのは佐藤天彦九段の救済をどうするのか、という事です。この点への配慮が無いからこそ、何となく法律っぽい用語を使って書いている文書という形になっている可能性があります
今回の件で、永瀬王座には対局規定上の落ち度が無いわけですし、形式的には今回の判定が絶対的に間違っていると言えない(私は、判定自体は現規定上致し方無い判断だったと考えます)ことから、対局のやり直しというのは現実的ではありません。
裁定を求める部分については、もしかしたら佐藤天彦九段ご本人の強い意向があったり、あるいは、最初は大きな要求をぶち上げておくという戦略的なものだったりするのかもしれません。そうであればすみません。
重ねてですが、佐藤天彦九段は救済されるべきと私は思っていますので、前述の通り、最初にあえて大きな要求をする背景があったとしても、最終的にはその点をしっかり主張するべきだと思います。
では、私だったらどういった裁定を求めるのかを考えますと、以下の2点を要求すると思います。
1.降格争いについて便宜を図ること
他にも、永瀬王座の勝ち星を保障する方法ならば、色々なアイデアがあると思います。
再戦するにしても、永瀬王座の勝ちは補償して、佐藤天彦九段の勝敗だけを設定するという事も有り得ます。(永瀬王座に負担がかかりますし、モチベーションの問題もあるかもしれませんが…)
ここは知恵の出しどころではないでしょうか。
今期は混戦で、挑戦者になる目も充分にあるので、そこが救済の大きなポイントです。
私のアイデアでは継続協議にしてしまいましたが、そもそもこの不服申し立ては反則なのかどうかを判定するための申し開きの塲という側面があると思います。裁定で反則の判定が覆されないとしても規定の不備を理由に救済はしてほしい、という意図があるわけです。。
そういう意味では1の降格争いも継続協議とすれば良いわけですが、こちらは挑戦者争いと違って、心理的に挑戦者争いよりは同意にこぎつけられる可能性があると考え、ここで要求してしまうという意図があります。(この辺りは交渉の感覚的なものです。)
この体力論にはいろいろ反証も考えられるけど、まず思いつくのが、村山聖よりも大変なはずがねーだろ、ってのね。
ネフローゼ患って、竜王戦挑戦者になって、順位戦A級在位のまま村山聖は死んだけど、別に、A級になれとか、竜王戦挑戦者になってみろやとかまでは要求していないので。
三段リーグを突破して見ろと言う、たったその程度のことなんで。
それに「体力不足や生理でまともなタスクが果たせない」のであれば、それはなんだってそうなんじゃないの?
そんな人に国民の生き死にの決定を下さなければならない政治家が務まるの?
会社の存亡にかかわる判断をしなければならない重役が務まるの?
将棋に関して言えば、しょせんはゲームなので、体力も含めての能力だよ。障碍者手帳持っているようなガチ弱者の村山聖だって、香落ちのハンデをもらえたわけじゃないんだし。
フライング・オープン・チャックとは、トイレに着く前にズボンのチャックを下ろすスポーツ競技のことである。
ルールは簡単。トイレの小便器に付く前にズボンのチャックを下ろし、着くまでの距離を競う。
紳士のスポーツなのでチャックを下ろすだけであり、ものは出してはいけない。
また他人に不快感を与えた時点(他人に見られた時点)で失格となるので注意しよう。
以下、各ステップを見ていこう。
トイレの扉を開けた瞬間にチャックをスムーズに下ろす、いわゆるオープンチャックの練習をしてみよう。
チャックの開閉に不安があるなら、品質の高いチャック(YKKなど)に交換するといいだろう。
初心者におすすめなのが、人感センサーのあるトイレだ。電気が消えていれば中に人がいる確率はグッと低くなるので、安心してオープンチャックできる。
ただし中にいる人が長時間動いていないため電気が消えていたというパターンもあるので、そこだけは気をつけてほしい。
常にクローズチャックできるよう、チャックから手を離さないように。
人感センサーありのトイレに慣れてきたら、通常の公衆トイレに挑戦だ。ここからが本番と言っていいだろう。
まずトイレに入ったら、手洗い場や小便器に人がいないことを確認する。
ここで誰もいないからと言って安心してはいけない。個室トイレの扉から人が出てくる可能性もあるからだ。
個室トイレの鍵が空いていることも確認したら、オープンチャック。慣れてくると1秒以内で確認できるようになる。
トイレ内を目で確認する前に、音や空気感(できれば匂いも)など、五感を澄ませる。
気配がないなら人がいないと判断し、オープンチャック。もし誰かがいても、相手が背を向けていればセーフなので焦らないように。
相手に気づかれた場合は即座にクローズチャック。できるだけ涼し気な顔で行うこと。
もしクローズチャックに慣れていない場合はステップ1の自宅でのエクササイズを復習しよう。鏡に向かって表情の練習をするのも効果的だ。
誰にも気づかれてはいけないし、不快感を与えてはいけない。たった一人で立ち向かう、孤高のスポーツだ。
競技人口は日本だけでも10万人とも100万人とも言われている。
つらつらと書いているが棋士と評価値観るだけなら1-7を飛ばして8からだけでOK。
Go-Up(レベル選択あり。ガチャや称号などのコレクション要素があってソシャゲ好きに最適)
碁色(危ない石は△、もうほぼ死んでる石は☓が表示されるので、初心者でも非常にわかりやすい)
囲碁道場やGO-UPで上のレベルに勝てなくなった時は詰碁や手筋の問題集をやると一気に棋力がアップする
・棋書『囲碁手筋 基本のキ 正しい攻め方守り方』
・棋書『入門、初心者のためのはじめての詰碁』
まずはCOM戦で慣れてみよう
『みんなの囲碁』で19路に9子置かせて始めて、徐々に石を減らすかAIのレベルを上げていこう
じゃあどう学べばいいのか。
Youtubeを見よう。
一手一手にどういう狙いがあってどうしてそこに打っているのか
19路における作戦を級位者にもわかりやすく解説しながら打つ動画を上げている
あたりがとても19路の考え方や作戦の参考になる
いろんな対局場があるので好きな対局場を選ぼう
・囲碁クエスト(スマホで打てる、しかし最初から強い相手と当たる。中国ルールなことに注意。)
・KGS(2ちゃん棋院やVIP囲碁部などがありコミュニティ機能が充実している。仲間を求めるならここ)
・OGS(ブラウザのみで対局できる。リアルタイムの他に通信碁もあり)
・囲碁オンライン(こちらもブラウザのみで対局できる。その上登録すら不要ですぐ遊べる。気軽さを求めるならここ)
・幽玄の間(日本棋院公式の対局場。ここの段位で免状を申請できる。無料枠のままで月15局打てる)
ここまでのカリキュラムをこなしたらもうプロの碁を解説付きで十分理解できる。
Youtubeの日本棋院チャンネルでは日々棋戦を中継しているのでぜひ観てみよう
一番賞金が高く、昇降級ありのS、A、B、Cリーグがある。囲碁には順位戦はないがこれが実質順位戦のようなもの。
Sリーグは6名で争い、成績下位の半分が陥落するとても厳しいトップリーグとなっている。
予選を勝ち抜くと一番下のCリーグ(32名)へ入り、4勝で昇格、3勝以上で残留。3敗したら陥落となり次年度はまた予選から勝ち上がらなくてはいけない。
各リーグの優勝者がステップラダートーナメントを行い挑戦者を決める。
そのためトップリーグへ上がらなくても下位リーグの優勝者にも挑戦者になれるチャンスのある棋戦となっている。
リーグは予選トーナメント勝ち抜き者3名、前期からの残留者5名、七番勝負敗者1名から成る。
囲碁界で一番歴史の長い棋戦で、1934年、最後の世襲本因坊である21世本因坊秀哉が引退にあたり、その名跡を全棋士に開放して実力制本因坊戦が開始された。
本因坊タイトルを獲得したものは、本因坊○○と雅号を名乗ることができるのが他の棋戦にはない最大の特徴。
(現在の本因坊である井山裕太は『本因坊文裕』と名乗っている)
前年度の本因坊七番勝負敗退者と前年度のリーグ戦二位から四位までの4人に加え、予選トーナメントによって4人を選出し、計8名によるリーグ戦を行って挑戦者を決定する。
リーグ戦の五位以下は陥落となり、翌年度は再び予選トーナメントからの参加になる。
これらを全て含めて七大棋戦という。
その中でも特に賞金の高い棋聖、本因坊、名人を指して三大棋戦(タイトル保持者は大三冠)と呼ぶ。
棋聖・名人・本因坊リーグは「黄金の椅子」とも呼ばれ、この3大リーグに参加することが一流棋士の証とされている。
また、3つ全てのリーグに参加している棋士を俗にトリプルリーガーと呼ぶ。
今年から新たに始まった日中韓の都市ごとに選出された棋士によるチーム戦。
この棋戦が面白いのは通常のチーム戦では勝利数を競うところを、盤面で何目勝ったかという目差の合計で競うところである。
そのため、100目でも半目でも1勝に違いのない通常の対局と違い、どれだけ大きな差をつけて勝つか、ということにゲーム性が変わり
他のチームメイトが負けていても最後の一人で一発逆転のあるとてもユニークな棋戦となっている。
https://www.toyo-igo.com/event/com2ustygem/2022/team.php
棋戦を楽しむにはやはり棋士を知っていたほうが何十倍も楽しめるので主要な棋士を知っておこう
囲碁界のトップオブトップ。七冠を二度達成し、現在も四冠を保持と圧倒的な強さを誇示する。
棋風は常に妥協しない最強手を選ぶので、乱戦になりやすく見てて非常に面白い。
世界戦でも農心杯で4連勝をし日本勢を15年ぶりに最下位を脱し2位に導くなど世界戦でも活躍。
井山から棋聖を奪取。宮城県を牛耳る河北新報の御曹司であり記者でもある。
河北新報の記者が読売新聞のタイトルを獲得したのは前代未聞である。
井山にめっぽう弱く、棋聖戦ではフルセットの末タイトルを奪取したものの、次の本因坊戦ではストレート敗退。
碁聖戦でも同じ顔合わせとなる。
あらゆる棋戦の挑戦者に進んでおり、井山と1、2を争うツートップ棋士だ。
棋聖、本因坊、名人の三大棋戦の全てのリーグに在籍するトリプルリーガーで、関西棋院のホープ。
文句なしにトップクラスの実力を持ちながら、ここ一番で勝てず、挑戦者や挑戦者決定戦まで進むも全敗の憂き目を見ている悲哀の棋士。
通称高尾山。平成期にタイトルを四分した平成四天王の一角。薄くなっても実力は健在。
師匠・藤沢秀行の余計なところまで受け継いでしまいお酒大好きの飲兵衛で競馬も大好き。千葉ロッテマリーンズファン。
ヒカルの碁のヒカル対社の「初手5の5」「二手目天元」「3手目 また5の5」その後天元で切り違いという非常にユニークな碁を打った当事者(天元側)
相手は山下敬吾で平成四天王の一人。ヒカ碁の元ネタ棋譜は後のタイトルホルダー二人の若手時代の碁だったのだ。
最年少タイトル獲得(名人位・19歳11か月)、最年少三冠(20歳7か月)の記録保持者。今はすっかり無冠に。
しかも段位も八段、七段と似ている上に棋戦での実力や実績、年齢も似ている。
入れ替えても気付かれない。
無類の強さを誇る女性棋士で、女性初の一般棋戦でのタイトル挑戦者になりうる存在。
天元戦では女性初のベスト8まで進出。タイトル挑戦まであと3勝と迫った。棋聖戦Cリーグに在籍。
大石を狙い殺して大勝をするのが棋風で、その棋風からくる愛称はハンマーパンチと呼ばれている。
先日のSENKO CUP世界戦でも相手の大石2つをハンマーパンチでぶっ殺し勝利を収め、決勝でも勝利し見事日本勢の初優勝を果たした。
こちらも国内レーティング35位と、男性と遜色のないトップ棋士。
妹の上野梨紗(15)も棋士で、姉に負けずおとらずの強さを持つ期待の若手だ。
特別英才枠で最年少で入段を果たし、最年少で女流タイトル挑戦者になった実力者。
レーティング的には同年齢の時の藤沢里菜や井山裕太よりも成長が早いと言われている。
棋聖戦Cリーグに最年少で進出。(12歳2ヶ月。菫ちゃんの前は福岡航太郎の15歳4ヶ月なので3年も更新。しかし1年で陥落)
韓国留学で韓国のテレビ番組に出演していたため韓国でもファンが多い。
(https://www.youtube.com/watch?v=HMEoTbipcAQ)
・鶴山淳志 八段(林漢傑八段とつるりんチャンネルを運営。リーグ在籍の実力者ながら普及にも力を入れている)@igo_mokkosu
・張栩 九段(平成期にタイトルを四分していた平成四天王の筆頭、最盛期は五冠に。妻はレジェンド棋士小林光一の娘の小林泉美。娘二人も棋士に)妻Twitter @cho_kobayashi
・三島 響 初段 (ダウンタウン松本を知らなかったうぶっこ)@hibiki_0202_15
・徐 文燕 初段
・兆乾 二段
楠みちはるの「あいつとララバイ」に「首都高の青い鳥編(首都高速のキング編)」がある。
楠みちはるの漫画なので例によって公道でレースをしてるんだけど(危ないね)、
首都高キングってのはSUZUKIのカタナに乗る、誰も正体を知らない謎のバイク乗りなわけなのよ。
その謎の男は首都高を走る馬鹿っ速のライダーで何人も挑戦者が現れるけど誰も勝てない、
やがて首都高を舞台にいったいどちらが速いのか?を争うことになる。
という悲運の天才レーサーの泣ける身の上話が展開されるわけ。
そのクライマックス、とっくの昔にバイクから足を洗ったかと思われていた元レーサーがひょっこり昔の仲間のもとに突然現れて言う。
ってセリフのあとに
『……首都高で』
ってキャプションとともに見開きページで早朝の首都高が描かれた中に
これがね、本当にね、最高にすごくいいんだよ。
といっても実は、すでにその漫画は手元にない。
少年の頃、何度も何度も読み込んだその漫画だけど実家が取り壊さるときにどこかへ消えてしまった。
だから、オレっちは記憶だけを頼りにそのシーンを何度も何度も反芻するわけ。
もちろん今や電子書籍の時代だからワンクリックでその書籍を買えることは言うまでもない。
だから、いつでも読み返すことは出来るんだけど、なんかね、そうしようと思わないんだよね。
今読んでも、多分、すごくいいんだろう、と思うし、死ぬ前にもう一度読もうとは思ってる。
でもね、いまはまだいいかなって思ってる。
文章流れ的に少しずれますが、holoの記載がないやんけと言われた気がするので。
hololiveは旧v的大手プロダクション型とにじさんじ的マネジメント型の中間に位置するかなと思います。配信やその管理としてはにじさんじ同じく個人でマネジメントを行っていますが、大枠の活動方針や交流関係を管理している、という感じですね。また、所属するのが女性アイドル系のv中心で、ターゲット層もオタクのマス層を狙っており、以上から芸能事務所ライクな面が強いです。
話の分かりやすさ的に、おおよそ対極となるにじさんじのみを本文では取り扱わせてもらってます。
vはガワだから中身の交換可能だの実体バーチャルだと炎上が無いだのあまりに古臭いので何とかしたい。とりま初期vからにじさんじまでどんな変遷があったか理解深めようぜ。
読むの面倒な人は→昔と今のvはもともと違う。以上。
元祖は~~だ!とかの主張は置いといて、一般的にvはキズナアイから始まった。彼女はAIという設定はあるものの、その中の声優が公開されていたり運営プロジェクト情報が前面に出ていたりと、vをいわゆるアニメキャラの「ガワ」としての活用を想定したキャラといってよいだろう。背景には初音ミクの成功例をもとに、共感できるキャラクター性を利用したオタクユーザ層へのマス型プロモーションを想定していたのだろう。
この時代は配信方法も限られており、ライブ配信よりは動画投稿であり、まともに3Dモデルを使っての提供はスタジオ、モーションキャプチャの活用が必須だったため、技術的背景から見ても大型プロダクション型からスタートにならざるを得なかっただろう。
5人いると噂の四天王時代でも基本はプロダクションモデルであり、のじゃおじのみが個人路線。とはいえもともと3D技術職を志望するような技術保持者であり、まだまだ個人の参加障壁は高かった。
また、この頃は商業的にも軸足としてはマス指向であり、youtubeでブレイクした後のTV出演がひとつの成功方向で、superchatで稼ぐ!というよりはyoutubeで名前を挙げてそこから商業的プロモーションを増やしていくというのが基本だったように思える。
配信アプリ開発として組織されたにじさんじプロジェクトは、vtuber団体の名称として活動方針を大きく変えることでvtuber大手「にじさんじ」が誕生した。にじさんじとそれ以前とで一番の違いはプロダクション型キャラ作りからの脱却だろう。会社がガワをどう動かすかを「企画」することから、個人に配信を任せて会社は最低限の「マネージメント」に徹する、という変革をにじさんじが起こす。
ビジネス面でにじさんじが躍進の足掛かりを作る一方、技術面ではlive2Dを利用したモデル作成・再生、カメラによるモーションキャプチャーの実現、ツイキャスを利用した個人ライブ配信等、Vtuberの実施が個人でもできる程度へ障壁が下がっていった時期でもある。そんな時期にたまたまかもしれないが、大量に個人配信を行える配信者募集を積極的に行ったことで今の多様なキャラクター展開につながっている。
ただ、当初のにじさんじも目指すべきビジネスモデルが明確だったわけでもなく、SEEDs、ゲーマーズといった箱で出して、ほかの箱とは関係性を持たせないことで価値醸成を検討したり、バーチャルさんは見ていたりと何らかの芸能マネジメントをしていたりする。これはやはりvtuberで稼ぎが成り立つ前の時代で、何らかの出口をマス方向に狙っていたのではないかと思われる。ちなみに箱間交流の限定はのちに解消され、今はENを除く世界のライバーがにじさんじという箱で交流を行う体制となっている。
個人で配信できるようになった効果で爆発的にvtuberが増加する。これは顔をさらすことが基本のyoutuberは出来ないが、顔を出さずに活動できるという可能性に魅せられた一般人が多くなったあらわれだろう。時を同じく、コロナウイルスが流行しはじめ、結果、ウェブコンテンツの相対的価値の向上とともにyoutubeを収入源とするプレイヤーも多くなったことも後押しとなっている。にじさんじでもこの頃からゲーム配信で人を集める男性vが活躍しはじめ、ロールプレイとしてのキャラ性よりは、中身の技術・面白さがフォーカスされるようになってきている。中身の人らしさが際立つことで、見る人だけ見ればよい、というとがったキャラクターも登場しはじめ、ロングテイル化も進んだ。
今のvの源流はここにある。何らかの理由で顔を出せないが、自己表現をしたい、何かをしたい。それはゲーム配信かもしれないし、歌ってみたかもしれない。そういう承認欲求がvという選択肢になっている。
vtuberは着々と増えている。個人、法人問わず、いろいろな挑戦者が参加する、最早レッドオーシャンである。今ずぶの新人が参加しても人を集めるのはまず不可能だ。
そんな中、先見の明か「箱」という強力な相互集客体制を作ってvtuberマネジメントとそれに伴うIP商売するという新しいビジネスモデルを確立したにじさんじが上場した。にじさんじはUUUMのようなyoutuberの集まり、アミューズのような芸能プロダクションと比較されがちだが、ビジネスモデルはこれらとは少し毛色が異なる。企業としての収入源はyoutube一本やりというよりはIPを用いたボイス、キャラグッズ販売や専属タレントを用いたプロモーション配信が成長トリガーであり、一方で積極的な企画はせず個人に方向性は任せる。どちらかといえば、個人でvtuberをやりたい人達を集めてそのおこぼれでキャラクタービジネスを推進するというかたちだ。
vはガワである。ガワではあるが、個人vからの潮流からいえば、中身を交換できるガワというよりは、顔を出さずに自己表現するためのもう一つの顔、という側面が強い。そして、中身が問題を起こせば当然炎上する。あくまでガワはガワでしかないからだ。中身を交換可能な公表された声優、ととらえていた時代とはもはや違う。
ただしそれはにじさんじという一団体がvtuberの可能性を壊したというものではなく、v量産期の潮流そのものがvtuberというものの定義を大幅に変更していったととらえるほうが適切だ。にじさんじはその個人vを束ねる箱でしかない。
プロダクション型から個人へ、マス指向からロングテイル指向へ、そして、キャラクターロールプレイから現実の人間性表現へと変遷をしたvtuberだが、形を変えたというよりはもともとの潮流が別物だからこそ、昔とは概念が異なるのである。
NHKでクラシック音楽(以下クラシック)の番組が放送されていたので、食事をしながらぼんやりと見ていた。私はクラシックをたまに聞くことはあるが、好みの曲はあるけどそれ以外の曲は皆同じに聞こえる、程度の浅さで楽しんでいる。つまりよくわかっていない。
NHKで放送されていたクラシックの番組は『クラシック音楽館「次世代の挑戦者たち」』で、次世代を担うであろう才能のある若手を特集していた。クラシック音痴の私は、若手が上手に演奏していてすごいのだろうなあとぼんやり見ていた。流れていた曲の良し悪しとか難易度とかはよくわからないけど、聞いていて不快ではないので食事をしたり薬を飲みながらなんとなく楽しんでいた。
ある若手ピアニストを紹介していたときだった。高校2年生のときにコンクールで挫折したが、その後大学で自分らしい表現を追求する楽しさを発見。翌年のコンクールで優勝した上で観客賞も受賞したという。
優勝したときの演奏のダイジェストが放送されたのだが、そのピアニストはノリノリで実に楽しそうに演奏していた。そのさまは終盤には顔にはっきりとした笑顔という形であらわれる。そして曲を終えた直後の満面の笑み。観衆が大喝采するなかで、礼をしながらやりきったという表情を浮かべるさま。
これはいい、とその時私は感じた。具体的に何がいいと感じたのかは、まだ言語化できないけれど。私にとって好ましく感じる何かが、今のこのシーンにありそうな気がする、と感じた。
それはもしかすると、自分らしさを追求して楽しくやり遂げることかもしれない。それはもしかすると、自分らしさを楽しく追求しながらどこかに向かっている人をサポートして一緒に喜びを分かち合いたいのかもしれない。それはもしかすると……なんだろうね。
ともかく、今回の気づきは迷宮に迷い込んでいる今の自分にとって、一筋の光になるのではないか、と思っている。まあ、脳が雰囲気に流されて勘違いをしただけかもしれないけれども。
うれしいです。
紹介してくれたものを参考にしながら、なんとなく同じような感覚の再来を探しつつ、一歩ずつ手探りで進んでみようと思う。無理のない程度で。
続きだよ
色々調べて考えた
そうするとねー、なんというかドウデュースが強いし結果残してる割に、関係者からの評価がそこまで高くはないんだな、という感じはすごく伝わってくる
レースが上手な優等生だから、荒削りな素質馬に勝てている、みたいな見方をされている?
まあ強い馬のひとつだよねー、みたいな扱いを感じる
関係者が1番意識してるのはダノンベルーガなんだな、というのは安田先生の談話などからも感じる
ダノンベルーガは大目標はダービーだったので、皐月賞では余裕を残したかったらしいけど、馬に余裕がなくて仕上がってしまった、とのこと
これはまずいから今からでもなるべく余裕残るように、ではなくて、こうなったら皐月賞とるぞ、ってなってるかどうかだよね
アスクビクターモアはその点、挑戦者の立場で世代トップを迎え撃つ覚悟を陣営が持ってた
騎手の田辺も中山巧者だし、この馬がG1を勝つとしたらここだろう、というのは思う
でも向正面まではポジション取らなきゃいけないからきっちり内をロスなく回っている
短距離はロスを嫌って内で伸ばす馬もいたし、内は多少不利だけど、内では勝負できない、みたいなことはどうやらなさそう
しかし、外に出す方が馬場が良くなることを思うと、最終コーナーで大外回してもリターンがあるということで、最終コーナーは全員が殺到しそう
中山2000の内回りを18頭で走るので、やはり最終コーナーで少なくとも7、8番手くらいまでにはつけておきたいところ
多少外目でも、不利を受けにくい位置で半分より前につけれる馬が良さそう
そうなると外でも逃げるだろうし荒れ馬場も苦にしなさそうなデシエルト
様子を見ながら進められる中心付近のドウドュース、ジャスティンパレスあたりはよさそう
しかし、ダノンベルーガやアスクビクターモアが重馬場を気にしないなら内をスパッとぶち抜けそう
枠で言えばやっぱり真ん中付近が臨機応変にいくからいいよなあ、と言う感じはある
でもまあ、外枠に行ったジオグリフより外は、少し割引かなって気はしてる
で、結局どうなのと言われたらわからん
やはりドウデュース、アスクビクターモア、ジャスティンパレス、キラーアビリティ、デシエルト、ダノンベルーガ、イクイノックス、ジオグリフの8頭でほぼ決まるのでは?
オニャンコポン入れるかどうかですね
3着はほぼ全頭に可能性あるだろうから、買うなら全頭流ししかない
3連複、3連単はよほど何か情報や確信を持ってる人でない限り、あてるのはきつそう
じゃあ複勝や単勝はと言うと、それも、こいつは必ず入る!みたいなのがいないのが難点
そうなると買える馬券は限られている
併用でもいいかもしれない
買う馬は上述のドウデュース、アスクビクターモア、ジャスティンパレス、キラーアビリティ、デシエルト、ダノンベルーガ、イクイノックス、ジオグリフの8頭
軸はアスクビクターモア、ジャスティンパレス、キラーアビリティ、ドウデュースの4頭のうち1か2にしぼりたいよね
それでもまだガミが発生するのをどうするか
また直前まで考えます
2月24日の昼間はそれでもちきりになった。
この文書が面白いのは信憑性ではない。むしろ、いま起きていることがちゃんと過不足なくそのまま表現されているという印象だ。
私は一般の人間でただウクライナ戦争に興味を持っただけだが、わたしの目から見たこの戦争のポイントを書き残してみたいと思った。
現在の諸国の指導者の中でも、プーチンはキャラがトップクラスに立っているほうだ。
ウラでは、プーチンという権力にとって邪魔な人間がバンバン消えている。
事実がどうということはおくとしても、明暗のコントラストというだけでもすごい。
しかし、対するウクライナのゼレンスキー大統領のキャラも、ぽっと出にしては立ちすぎている。
ゼレンスキーは、テレビドラマで大統領役をやって好評を博し、そのイメージのまま大統領選挙に出たら通ってしまったという経歴だ。
しかもそのコメディアンであったときの持ちネタのことも散々話題になっている。
そのうえで、大統領として首都キエフに残って戦い続けるという姿勢を堅持していることから支持率も爆上がりしているらしい。
そりゃあそうだろうな、という気分である。
いや、まったくキャラが立っている。
プーチンというデフェンディングチャンピオンと、挑戦者ゼレンスキーの戦いという観点からするととてもいい勝負だと言わざるを得ない。
もうその時点で目が離せない。
この対決で例えば普通の指導者を失脚させるという場合には、よく、スキャンダルのようなものを引っ張り出してきてどうにかするということがある。
プーチンはもう20年もトップにあるので、あらかたスキャンダルのようなものは出尽くしてしまっているし、そのうえで、余計なものは洗い出されて消されている。
対するゼレンスキーは、Twitterでも散々話題になっているが、そもそもが、テレビに出て壇上で男性自身でピアノを弾くという、ある意味ノーガード戦法フル・モンティ戦術で立っている。
これを見て、内心で楽しまないひとというのはやはり人間として「どうか?」と思う。
ロシアが他国に攻め込むということはもう言い古されたことだが重大すぎる意味を持っている。
議決で拒否権を行使すると他のどれだけの国が賛成していたとしても否決される。
国連安保理で意思表示をしましょう、という議決があって、200近い国のほぼ全部が賛成しても、たった1国、常任理事国がNOと言ったらNOなのだ。
それがロシアだ。
ロシアは常任理事国だから拒否権を行使するだろうとみんな思ったし実際にそうなった。
ただ、今回の戦争で、この仕組みにも、ちゃんとフェイルセーフがあることがわかって勉強になった。
つまり、緊急会合という、常任理事国の拒否権の及ばない形で、国連として意思表示ができる仕組みがあり、ちゃんとそれが発動したことは、よく考えられているなあと思った。
これはとても意味がある。
国連はロシアの行動を公式に戦争と認めたということにほかならない。
明治維新で言えば、菊の御紋、錦の御旗だ。
こうなれば本人がどれだけ「特殊軍事作戦だ」と言い張ろうと、戦争は戦争だ。
アメリカは第二次世界大戦のあと、何度も他国に軍を派遣しているが、朝鮮戦争以後の戦争でペイしたのは湾岸戦争である。
つまり、安保理が動かないことにはどんな国も動きたくないのである。
そういう、世界の安全保障に対して大きすぎる責任を負っている安保理常任理事国が、よもや侵略戦争をおっぱじめるなんて思いもしないことがおきたというわけだ。
侵略戦争というのはつまり、他の国の領土をぶんどろうということである。
日本の首相も「武力による現状の変更」と繰り返しているが、そういうことだ。
G7の会合で首相が、ロシアが核兵器を行使することをちらつかせることに対し、自分の地盤である広島を持ち出して、反対の意思を表明したのはなかなかいいなあと思った。
結局ウクライナの戦争というのはNATOの話なので、日本としては関係ないのだが、まあ、そういう形で「核兵器は許さん!」と息巻いてもふつうならドッチラケになる。でも、ホームタウンが広島ということになると意味が随分変わってくる。
だから議論がどう変わるかということは一切ないけれど、「ああ、このひとはそういう強いお気持ちがあるのね」というのは伝わるだろう。
ヨーロッパの軍事連合体のNATOはロシアの拡大の可能性に対して身構えるなか、一気に大きな動きがあった。
歴史からすれば「まさか」ということがいくつも積み上がってコピペまとめになっていっている。
いくつかあるが「ドイツが軍拡を表明するレベル」「スイスが中立を破って経済制裁に加わるレベル」というものだ。
ドイツが作った車を売る。
まわりの国はドイツに働きに行って車を作る。
ただ、その都度イキってしまって空気読めなくて調子乗って、それで戦争おっぱじめてボコボコにされるというパターンだった。
今回は満を持して、連合国側に入った。これがアツい。
背景となったことで重要なのはロシアが、SDGsという国連の枠組みを追い風にして、他の欧州諸国に対して自分たちの輸出するエネルギー・資源に依存するように仕向けていった流れがある。
グレタ・トゥーンベリなんかに対してプーチンはずいぶん肩を持っていた。
いまにしてみるとなるほどと理解できる。
SDGsから石炭を回避して、天然ガスにしたいという世界というか特にEU・欧州の流れを、資源大国であるロシアは歓迎していたのだ。
展開としてひときわ興味を引くのは、その超大国ロシアに攻め込まれた小国ウクライナが、意外にも持ちこたえてしまったことだった。
ウクライナを攻略せんと投入された戦車は、道路をなんと64キロも埋めつくしているという。
なんという数の大軍だろうか。
その戦車は、なにをしているかというと、1週間以上待機している。
なぜ道路しか通れないかといえば、ウクライナの平原は現在の時期、雪解けのために泥濘になってしまっている。
この泥濘はいかな戦車といえど突入するやいなや沈んでしまい、行動不能に陥る。
しかもそのタンクローリーは、ウクライナ軍に狙い撃ちされてあえなく喪失してしまった。
なんだよ、このコントみたいな展開は。
戦車だけでなく、投入された兵士たちも練度が浅く、すぐに戦線を離脱しているというウクライナ側の発表も続いている。
それを鵜呑みにするのではない。
アルファブロガーのfinalventは、この戦争の基軸を、クリミアとアゾフ海の保全だろうJK、とYoutubeで言っていた。
これは3週間経った時点でもいちおう一定の見通しとしてはまだ成立してはいる。
彼以外でも、ロシアの動きとしては(ウクライナの)「北では雑、南は緻密」という見方が広がっているようだ。
北が雑と言っても、もう流石に北も飽和してきている。
総攻撃まで時間の問題だろうというのはペンタゴンも言い始めている。
やはり露助の物量はすさまじいので、おおかたのひとが予想したように、ロシアは悪虐街道を爆走中である。
しかもその悪虐を全部ウクライナ側のやったことだと主張している。
どうやらマンションに地対空ミサイルが突っ込んだのはウクライナ側らしいとも言う。ただ、街の広場に巡航ミサイルが突っ込んだのはロシアのものだともいう。
大事なのは、そうした主張・発表の整合性を、政権の中枢や、大本営発表だけでなく、駐日大使あたりまで全部整合性を取るように徹底している。
もちろん、古来、大使・外交官という存在は、リモートかつオフラインの状態でありながらも、自国が駆動している根本の論理を考え詰めて、どんな状況を突きつけられても、その場で取り繕えるような論理の訓練をしているのだということは、例えば佐藤優が書いていたように思う。
もっとも佐藤優はこの事変のさなかで随分、親プーチン的な姿勢を批判されているが。
専門家としてTwitterでながく生息していたミリオタのひとが有識者としてメディアに出ずっぱりになっているのも面白い。
そのハンドルネームが「丸の内OL(27)」だったり「コスメ女子@美容垢」だったりしてネタになることも華を添えている。
いまは「人」だ。
ただ、彼を中心とした専門家たちも結局ほんとうにどうして起きたのか、何が起きているのか、これからどうなるのかということはわからないでいる。
わからないでいるのであれば何も考えなくていいいかといえば、そうではない。
事実として、現在進行系で、ひとは確実に死んでいるということがわかる。
これは重大である。
米国は、ロシアが侵攻するまでの意思決定をかなりの精度で把握した上で、それをおおっぴらにすることで、かえって侵攻を抑止しようとしたと言われている。
そういうわけで、わたし自身は、基本的に情勢を、ペンタゴンの分析を軸に見ていくのがいいと思っている。
ともあれ、現状では何もわからないままだ。
だから、開戦1週間はずっとこのウクライナの話題を追いかけてしまった。
しかし、1週間をすぎたあたりから、戦況が膠着から、どんどんウクライナ市民の被害が拡大していくなかで、冷静に恐怖が高まってきた。
どう考えても落ち目の国のロシアだが、資源と核を握り続けている分、他の国は手を出せない。
そういう、暗い、なんというか耐え難いビジョンを前に、正気を保つというのはそれ自体が困難な挑戦だ。
さて、笑い話ではないところとして、この事例は、顔貌がよく似たひとびととの実力行使のうらで生じうる破壊工作がどのように起きていくかという現在進行系の事例であることだ。
そうした、個々の情報がリアルタイムで出てくることに対して、どう反応するかということを自分で鍛える絶好の機会である、ということだ。
これは日本にとっても決して見逃してはいけない瞬間であると思う。
似た顔、似た容姿、深い断絶の関係から、潜入してくる存在にどう対処するかという格好の事例となるだろう。
特にSNS、つまりリアルタイムで情報端末に全世界のひとびとがつながっている状態で発生した戦争ということで、乱れ飛ぶナラティブが、ロシアもウクライナ側もすごい。
陰謀論はかまびすしい。
この二週間で、いろいろなプーチン擁護やウクライナ陰謀論が出てきた。
それがロシアから出てくるならわかるが、ぜんぜん関係ない日本のタレント評論家勢がそうしたことをタレ流しているらしいことが伝わってくる。
肩を持たないまでも、「両論併記」のようなことをいう。
本稿はどちらが正しいかを論じるわけではないけれども、私は西側主流派の見解をいちおう沿って考えているので、そうした見方を、両論併記まで含めて、ある程度の陰謀論として遇する。
ここで言いたいのは、陰謀論というのは、「認知的不協和の否認」として出現するのだなということがハッキリわかったということだ。
あと、歴史を除く人文の研究者らしきひとがTwitterとかにでてきて「いまこそ思想の研究が大事なんだ」と絶叫する例が流れてきたりした。
そりゃないだろ、と思う。
せいぜい役に立つとしたら、人間の社会性にビルトインされたバイアスをときほぐす、社会心理学のような取り組みにとどまるだろう。
つらつらと書いてきたが、おおっぴらに書けないことばかりなので、増田に上げる。
まず、「コロナに飽きた」ということからして、オモテでは書きづらい。
医者だからといってまともじゃないのもいっぱいいるが、医者だからといってちゃんと考えられるわけでもない。
私がコロナについて知りたいのはもっとどうして発症するのかとか、どうして死ぬのかとか、そうしたメカニズム面でのことだった。
久しぶりにアニメHUNTER×HUNTER(日テレ版)のG.I編を見たらやっぱり面白かったのと、自分なりに発見があったから聞いてほしい。原作はもう20年も前にやったところだから、とっくに誰かが同じ趣旨のこと書いてると思う。細かく説明するの面倒だから、ストーリーやルールががわかってる前提で進める。
作中のビスケの言葉「順序よくゲームを進めていけば確実に強くなるようプログラムされている」を念頭に置いて見ていくと、製作者はプレイヤーがある程度強くなるまでは島外に出す気がないのが分かる。
生きたまま島の外に出る方法は3つ。
①の「離脱」はレアなカードで、入手するにはマサドラのカードショップでスペルカードガチャをする必要がある。つまり金が要る。②も書いたまんま、金が要る。
この世界で金を稼ぐのに最も手っ取り早い手段がモンスターを倒して得たカードを売ることだと考えられる。
プレイヤーが強くなればよりレアリティが高く高値で売れるモンスターを狩れるようになるだろう。頭を使いながら真面目に取り組めば金策を続けるうちにプレイヤーの戦闘力が上がっていくことが期待される。そうこうしている内に戦闘力が上がり金も溜まり、①や②で島を出られる。③も出来るかもしれない。
モンスターを狩る以外にも金策の方法はあるだろうが、このゲームの趣旨を考えるとやはり戦闘力アップか思考力アップにつながるような労働やクエストでも用意されているのではないかと思う。
とにかく、①②③のどの方法でも島を出られる頃にはそこそこ強くなっているはず。上で書いた「ある程度」の強さの最低ラインがおそらくここ。キルアは瞬殺していたが、通行チケットの入手難易度はBなのであの所長は多分ビノールト(ビスケ曰くランクD相当)より強い。そりゃ何年かけても島から出られないプレイヤーが多数いても不思議ではない。それにGIをプレイするのは生身の人間で経験値と共にレベルアップするものでもないから、己を鍛える気もなく何も考えずに諦めの気持ちでただ過ごしているプレイヤーが最低ラインまで強くなれるかは、火を見るより明らかである。
ちなみに交換で「離脱」を入手するという方法があるが、個人的には交換するに至ったコネ作りや交渉力もハンターとしての実力のひとつとして捉えてもいいと考えている。ゴン達一行と「離脱」交換できた人達は単なるラッキーかもしれないが。
島から出る方法ひとつ取ってもこんな調子なので、ゲームマスターの1人が直々に登場するイベントにはより大きな意味があるはず。
一坪の海岸線入手のためにクリアしなければならない「レイザーと14人の悪魔」では何が得られるのか?
このイベントの発生条件を見るに、このイベントは作中でゴン達が置かれたような状況を予見して設定されたのではないかと思った。
例えば弱いプレイヤーがいたとする。
弱いなりにこのゲームを真面目にプレイするなら、スペルについて学び、G.I編序盤に出てきたスペルカードを集めるハメ技組のように仲間を集めて徒党を組むだろうし、他のプレイヤーのクリア阻止のためにまだ誰も入手していないカードの情報を集め独占を目論むだろう。
そうしてカード化限度枚数が少なく独占しやすそうな「一坪の海岸線」がソウフラビにあることを調べてアカンパニーで移動してイベント発生……ここまでは作中の流れと大体一緒。
問題は作中でアスタが言っていたように、下手にカードを入手したら凶悪なプレイヤーに狙われる可能性が出てくることだ。圧倒的な実力者が相手だったら、たとえ15人で団結しても秒でカードを奪われるかもしれない。そこでレイザーの存在が鍵になる。
このイベントがクリアできるか否かはレイザーの匙加減一つで決まる。ではその匙加減の基準は何か?
私は、カードを奪いにきた凶悪なプレイヤーに襲われても凌げる程度の実力の有無ではないかと考えている。
もし実力がない者にカードを渡してしまえば、それはそのまま凶悪なプレイヤーに奪われることになり、わざわざイベントをこなす意味がなくなってしまう。弱いが故に徒党を組んでいたプレイヤーの場合、レイザーがこれなら大丈夫だろうと判断するまでクリア出来ないのではないだろうか。
スポーツ(=課題)は種類豊富、多少対策は立てられるし、メンバーを入れ替えさえすれば何回でも挑めるし、イベントとしても修行としても親切設計なので、鍛錬に適していると言える。挑戦者の1人がゴンでさえなければ。
戦闘力が上がり晴れてイベントをクリアしてもまだ問題があるのが「一坪の海岸線」の厄介なところ。15人縛りの割に3枚と少な過ぎるカード化限度枚数、ゴレイヌも「えげつねえな」とこぼすアレである。
最初はこのカード化限度枚数の意味が分からなかったが、これもハンターを育てるための課題と考えたら腑に落ちた。
おそらく、仲間割れの火種を抱えているこの状態を収めて仲間と協力できる交渉術・人身掌握術なんかのコミュ力を伸ばす訓練になるのではないか。
特に例にあげた弱さ故に徒党を組むことにしたプレイヤーほど、これらが重要になってくる。弱いなら弱いなりの生存戦略があるが、カード1種で仲間割れするようじゃ先が思いやられる。
戦闘力に劣る弱いプレイヤーを中心に話を進めたが、強い熟練プレイヤーでも求められることは同じだろう。ハンターやってたら仲間と協力しなければならない場面・報酬の山分けが難しい場面はいくらでも出てくるだろうし。実際、ゴン達もここでツェズゲラやゴレイヌと共闘したことがゲームクリアに繋がった。
ゴチャゴチャ書いたけど、簡単にまとめると
・武力に限らずハンターとして必要な能力を伸ばす課題が揃っている
・「レイザーと14人の悪魔」も例外ではなく、一定の戦闘力・仲間との協力が不可欠な課題になっている
今原作手元になくてしばらく読み返してないからほぼアニメの情報とWikipediaのカードリストから考察したけど、やっぱH×Hおもしろい。
渡辺明王将(名人、棋王)に藤井聡太竜王(王位、叡王、棋聖)が挑む第71期ALSOK杯王将戦七番勝負は、2022年1月9日、静岡県掛川市の掛川城で開幕した。王将含む三冠を保持する渡辺と、竜王含む四冠を保持する藤井。三冠と四冠によるタイトル戦は史上初で、文字通りの頂上決戦である。両者によるタイトル戦はこれが3回目だが、2日制のタイトル戦を戦うのはこれが初めて。より深い次元で互いの読みをぶつけ合う、最高峰の舞台がここに整った。過去2回のタイトル戦では、藤井の前に敗れ去った渡辺。初となる2日制の対局で、藤井相手にどのような将棋を見せるのか。戦前に今回のタイトル戦を「(自らにとっての)正念場」と語った渡辺、過去6戦全勝と抜群の相性を誇る掛川城で、最強の挑戦者を迎えた。
戦型は相掛かり。振り駒で後手番となった渡辺は、比較的穏やかな形を選択し、自然な駒組みを続けた。先手番の藤井がどのような作戦に出てくるか、その動きを静かに待つ。
盤上に突然の嵐が吹いたのは41手目。藤井が指した▲8六歩という一手は、盤上に突如緊張を走らせた。この▲8六歩という一手は、将棋をある程度知っている人からすれば、思わず何事かと凝視してしまうような衝撃の一手である。この8六の地点は、盤上にある一つの「火種」。後手からは、△8六歩▲同歩△8五歩と合わせる継ぎ歩の攻めや、△8六歩▲同歩に△8七歩と垂らす垂れ歩の攻めがある。さらには桂馬を跳ねてくる手もあり、やられる先手としてはどれも相当に嫌らしい攻めである。できれば先手としては触りたくない火種に自ら歩を伸ばしたのだから、解説陣は騒然。立会人で永世名人資格保持者の森内俊之は、「何が起きたのか、すぐには分からないくらい衝撃的な手」と評した。
盤上に嵐を読んだこの手だが、藤井がこの手を昼食休憩の直前にさらりと指したことにも衝撃が起こった。このような大胆な手があったとして、普通は休憩後に一呼吸置いてから指すのが定跡である。大胆な手は後に引き返せないし、休憩前に指してしまえば、休憩中に相手の渡辺に考える時間を与えてしまう。勝負術という面でも、休憩後に指すのが有効と思われるところ、藤井は何事もないかのようにその一手を指した。ただ、この「▲8六歩」という一手は、初見なら相当な衝撃を受ける一手だが、すでに類似形の将棋も現れており、トッププロの間では水面下で着々と研究が進んでいるという見方もある。藤井にとっては、この手は大胆でも何でもなく、すでに嵐は過ぎ去った後なのかもしれない。現代将棋は、ものすごいスピードで変質を遂げている。昔は、2日制の将棋といえば、1日目は互いの了解で通い慣れた手順をなぞるだけ、本格的な解説もほとんどないというような時代もあった。しかし、現代ではそんなことは全く通用しない。2日制の1日目から、研究がぶつかり合い、激しく火花が散るのが現代将棋である。1日目の、まだ昼食休憩も迎える前に時間に放たれた「▲8六歩」の一手は、かつての常識が全く通用しない、むしろかつての常識を全て疑ってかからなければ始まらないという、現代将棋の一端を高らかに宣言しているかのようだった。
藤井に大胆な一手を提示された渡辺は長考に沈む。藤井が自ら突っかけてきた▲8六歩を咎める手順はないのか、それともこれは「罠」か。非常に悩ましい時間だったと思う。長考すること1時間31分、昼食休憩も含めば2時間30分以上も考えた末、渡辺は△1四歩と反対の端の歩を突いた。藤井が突き出した歩には触らず、引き続き戦機を窺う一手だった。
藤井の▲8六歩は、本当に突いて大丈夫な一手なのか。危険はないのか。それは、これから研究が深められる点であり、まだ分からないとしか言えない。ただ、盤上の形勢を示すAIは、▲8六歩が指された後も特に波打つことはなく、「互角」を示し続けていた。盤上に嵐が来たと人間が騒然とする中、その静かな波形はどこか不気味だった。嵐とは、これまでの価値観に囚われた人間だけが見てしまう、幻のようなものに過ぎないのかもしれない。
その後はじりじりとした難解な手順が続いた。互いに間合いを取り合い、ひりひりした駒のポジション取りと鍔迫り合い。何がどうなっているのか。つかみどころのない将棋だった。この将棋には「羅針盤」が見当たらない。羅針盤を取り出したところで、針は決まった方位を示すことはなく、ただ揺れ動くだけである。羅針盤が機能せず、どこにどのように進めばいいのか分からない。そのような中で、二人の対局者は(AIが示すところによれば)均衡を保ちながら進めていく。これが現代将棋の最先端かと、半ば呆然とするような気持ちで盤面を見つめた。
戦機は熟し、堰を切ったように局面は動き出した。ここからの応酬も難解を極めており、私には手の解説をすることなど到底できない。ただ、難解な応酬の中で感じられたこともあった。それは、渡辺明が、今回の王将戦に向けて、自身の将棋観を相当にアップデートしてきたということである。
「玉の守りを固めた後、細い攻めをつなげる」。かつての渡辺が得意にしたスタイルはもはや見る影もない。渡辺は現代将棋に対応するため、バランス型の将棋に棋風をシフトさせたが、今回はそれをさらに進化させてきたということが随所に感じられた。戦いが始まり、渡辺の玉の周りには守り駒がほとんどない。74手目、△4四金と強く盛り上がって、玉の周りの8マスにはついに一つも駒がなくなった。裸の王様。藤井の攻め駒が前に出てきており、傍目には相当に怖い。しかし、これでも均衡は保たれている。堅さより「広さ」「バランス」。ここにも現代将棋の価値観が現れていた。このような将棋において、「囲い」の概念はすでに消失している。戦いは、盤上の空間を広く使って起こさなければいけない。駒の価値、手の価値に定まった指標はなく、局面によってその価値は微妙に揺れ動いている。玉はもはや、周りの駒に囲われ、ただ守られている駒ではない。玉もまた戦っている。盤上を泳ぎ、時には自らが攻め駒にもなる。盤面は液状化され、局面に羅針盤はない。難解熾烈を極める現代将棋だが、37歳の渡辺明はここに来てさらに自身の将棋観をアップデートさせてきた。新時代の棋士、藤井聡太を挑戦者に迎えた番勝負への覚悟は並大抵のものではなかった。そうして、濃密で難解な異次元のねじり合いは演じられた。
将棋は激戦のまま最終盤に突入し、双方1分将棋を迎えた。互いにどうなっていたのか分からないと述べた大激戦。「終盤は悪手の海を泳ぐようなもの」。1分将棋では、到底全てを読み切ることはできない。二転三転の展開で、双方にチャンスがあったように見えたが、最後は藤井が渡辺玉に生じた長手数の詰みを読み切っていた。1分将棋の中を抜け出したのは藤井。大激戦を制し、七番勝負の初戦を白星で飾った。
この将棋が終わった時にまず湧き起こったのは、勝敗についての感情ではなく、「この将棋を永遠に見ていたかった」という思いだった。最後は1分将棋という制約の中で、盤上は1つの結末を迎えた。しかし、この将棋には途中で気の遠くなるような、膨大な数が分岐があり、この結末はその中のたった一つでしかない。もし、持ち時間が無制限で、両者が次の一手を極限まで追求できたとしたら、この将棋はどこまで均衡を保っていたのだろうか、そんなことを思った。実際には、持ち時間が無制限というルールは不可能だし、仮に無制限に考え続けたとしても、膨大な分岐がさらに膨大に広がるだけだろう。81マスと40枚の先にある結論には、まだ誰もたどり着けていない。人間はいったいどこまで行けるのだろうか。番勝負の行く末のはるか遠くにあるそんなことを思うような、壮大な将棋だった。
渡辺明と藤井聡太。人類最高峰の番勝負を生で見届けられる僥倖に感謝しながら、次局以降も、一局でも多くの熱戦が繰り広げられることを期待したい。
プログラミング未経験から1ヶ月ほどで、将棋の評価値の新たな方法でのグラフ化を行うPythonツールを作った。
https://github.com/k-the-p/notherscore
この記事は2本立てです。結果のグラフや将棋よりプログラミングに興味がある方はもう一方のプログラム編から読むことをおすすめします。
未経験から1ヶ月!Pythonで観る将ライフを向上させた話(プログラム編)
一局全体において、AIの示す第1候補手と第2候補手の評価値の差をグラフ化するツールを作った。
評価値は強力で便利なものだ。それを否定できる人はいないでしょう。しかし評価値が絶対に正しいものかといと、それは怪しい。単にAIが今も強くなり続けていることは多かれ少なかれ現在のソフトが間違っていることを意味するし、そこまで極端なことを言わなくても、評価値はそもそもAIのための数字であって、それを人間の将棋にどれだけ活かせるのかという問題もある。
こうした考えは、私が振り飛車党であるということが影響しているのかもしれない。AIは飛車を振った瞬間に、相居飛車戦であれば若干形勢を損ねているぐらいの評価値を出すのだが、いくらなんでもそれはないだろうと思う。そうした思いを抱えている中で、もう一つの記事でも紹介した藤森哲也先生の「AIの一手は最強の一手なんです。確かにプラス1000点になるけど一手間違えた瞬間にマイナス何百点になるような綱渡りの手。それよりもアマチュアの皆さんにはプラス数百点で得は少ないけど安全な道、最善の一手を学んで欲しい」(大意)という言葉や、佐藤天彦先生の振り飛車転向以降のインタビューを読むにつけ、「それをAIを使って調べてみると面白いんじゃないか?」と思うようになりました。
なのでプログラミングを覚えるところからやってみた。その辺りはもう片方の記事で詳しく書いたので、以下では分析してわかったことを書いてみます。
まずは、1995年に行われた藤井猛六段-井上慶太六段戦(段位はいずれも当時)、有名な藤井システムの第一号局を見ながらグラフの見方を確認しましょう(以下全て使用エンジンは水匠4、1手10万局面)。
このグラフを見ると、30手ごろから井上六段のグラフが下方向に向かって大きく傾いているのが見て取れます。30手ごろと言えば、まさに桂馬が跳ねて角道を開ける、藤井システムが炸裂した瞬間とも言える場面ですが、評価値自体はやや藤井有利程度で、すぐに大きく開いているわけではありません。
しかしこの局面でグラフが下に振れているということは、井上六段は「一手間違えると大きく不利になる局面」に連続して立ち向かわなければならなかったということがわかります。結果として井上六段は徐々に不利に陥っていきます。
他方の藤井六段のグラフは中央から大きく離れることがなく、一見すると「何を指しても大勢に影響はない」ように見えますが、不安定な藤井システムの将棋においてそうした均衡を保つのにこそ超絶的な技量と研究が必要とされることは言うまでもありません。
佐藤康光・山崎隆之・糸谷哲郎、はい、今期A級へんt…力戦派三羽烏ですね。「力戦派」の定義って今まで定量的に分析されたことが無かったと思うのですが(見れば分かるので)、今回分析してみてそれができそうだな、と思いました。ここで3枚のグラフを見てみましょう。
それぞれの共通点があることがわかりましたか? ここでは序中盤に着目してみましょう。どれも評価値自体は互角なのに、力戦派の方だけグラフが振れているのがわかるでしょうか。これを言葉で言うと、「相手は何を指してもいいのに序盤から自分だけ綱渡りしながらも互角を保っている人」ということになります。
自分で言うのもなんですがこれ、けっこう面白い知見ではないでしょうか。言われてみれば確かにそうだけど、というのが数字で表せるということは、「山崎糸谷佐藤康光みたいな将棋を指すAI」という可能性が決して夢物語ではないことを意味しています。だいたい互角の手の中で、綱渡りの手を選ぶようにすればいいわけですから(上手くいくかは知りませんが)。
では、正統派(3人の先生申し訳ありません)の将棋はどんなグラフを描くのだろうか?
1枚目は棋聖戦第2局の藤井渡辺戦ですが、これはある意味でとても典型的な藤井四冠のグラフです。自分だけ選択肢が多い状態にしながら、相手だけを間違えたら危ない状態に置く。その後に行われた棋聖戦第3局のグラフ(2枚目)を見ると、渡辺三冠も藤井四冠と同じ方針をとって食らいつこうとしているのがわかります。3枚目の王位戦挑戦者決定リーグ戦における藤井豊島戦も、藤井四冠の方だけグラフが落ち着いているのが目に付きます。4枚目の竜王戦第4局豊島藤井戦は、豊島竜王が藤井四冠のお株を奪うような指し回しをしていましたが、最終的には崩れてしまった。この指し方はそれだけ難しいということでしょう。
自分だけ選択肢を残しながら相手に難しい必然手を指さざるを得ない状況にさせるということは、藤井四冠からすると相手の反応を予測しやすく、相手からすれば最善手を見つけるのみならず藤井四冠の多様なありうる応手を調べなければならないということを意味します。言葉にすれば簡単ですが、これはまさに超絶技巧でしょう。単にAIの評価値が右肩上がりになるのを眺めているだけでは分からない、藤井四冠の強さを示すことが出来たと思います。
ここではいちいちグラフを示しませんが、振り飛車のグラフは、評価値はもちろん若干悪いのですが、中盤で居飛車側のグラフだけが振れる傾向にあるように思いました。すなわち、中盤になると振り飛車はまったり指せるのに対して、居飛車党は間違えると形勢を損ねやすくなるということです。これが、AIが評価しないのに反して、人間同士ではまだまだ振り飛車が有力である一つの理由であると私は思いますし、これは多くの振り飛車党の先生が言っている「評価値は若干悪くてもねじり合いになれば美濃囲いが固くて有利」という見解にも一致します。
私は評価値だけを見て悪手だの名局だの言う傾向には嫌気がさしていましたが、今回は自分で作った愛着もともなって、ろくに指し手の意味も考えずに多数の対局をグラフだけ眺めて面白がる、という行為につい耽溺してしまいました。
あなたもぜひ楽しんでみては、というには導入のハードルが高いのですが、きっとここまで読んでくださった方には価値があるのではないかと思うので、暇な方はトライしてみてください。ただ、導入方法についての質問にはお答えできません。これは意地悪でも手抜きでもなくて、単に人に教えられるだけの知識を私が持っていないからです。頑張ってください。
A夫さんとの面談の日はすぐやってきた。先日と同じ面談室だった。
こちらは予定どおりの布陣で、A夫さん側は2人。今回は上司と一緒だった。「一緒に来てほしい」と上司に頼んだという。
あの時と同じく、だらしない恰好だったが、上司の指導によるものか、前回よりは綺麗だった。ネクタイはまっすぐで、謎のシミもない。
「A夫さんですね。今年から人事~~として採用されました××と申します。前回、あの端にあるソファに座っていた者です……いきなりで申し訳ありません。A夫さん、今日はどうして呼ばれたかわかりますか?」
「そうです」
※方言を標準語に直したうえで、特定のおそれのある箇所を編集している。以下、職員の会話はすべて同じ処置を行う。
会話のクッションを何度か挟んだ後、私はついに言った。
以下、主要なやり取りを抜粋する。
「単刀直入ですが、A夫さんには退職の道を選んでいただきたいと考えています」
「……ん?」
「いや、いや、それできないでしょう!」
「市としての決定です」
「労働組合は?」
「組合は関係ありません。組合に入っていようがいまいが、処分内容が変わることはありません。今回、あなたは万引き、窃盗という罪を犯しました。それだけでなく、過去に社会人としてよろしくない行為、仲間から尊敬されえない行為を繰り返している。改善の見込みもない」
私は、A4用紙にプリントされた罪状を読み上げていった。その数は20件以上にもなる。
どうしてこんなものがあるかといえば、人事課のデータベースに、職員のさまざまな問題行為が毎年追加されているからだ。三十年以上前の忌避行為であっても筒抜けというわけだ。
A夫さんは硬直していた。最初よりもはるかに緊張感に満ちている。睨むようにこちらを見つめながら、両手の指を組んでさするような手つきだった。
彼の上司は、何も言わずに片目でガラス卓の鏡面を見ていた。部下を庇う様子はない。
「なんとかなりませんか」
「なりません。しかし、総務部長とも話し合った結果、A夫さんが自ら退職願を出すのであれば、懲戒免職にはしません。通常どおりの退職となり、退職手当も満額出ます。これまで40年近くもK市のために働いてこられたんですから、この程度の寛大な措置(※諭旨免職)はあってしかるべきかと。そのうえ、今回は早期退職制度の利用を認めるので、割増退職金もつきます」
「わかりました。では、こちらがA夫さんが今回の処分に不服である場合の申し出のやり方を書いた資料になります。受け取ってください。それで、A夫さんがどうしても納得いかなければ」
「……はい」
「K市は妥協しないので、後は裁判しかありません。判決でA夫さんの主張が認められた場合は、K市に残ることになりますが、今の部署は相応しくないと判断されるため、異動を覚悟してください。今のところは、〇〇課か〇〇センター(※一般的な公務員にとって辛い労働をする部署。不要と判断した職員を、サイコパスと思しき管理監督者の元で働かせる。その管理監督者というのも、K市にとって不要な人材と判断されたため、同じく問題職員を監視するポストに就いている。いわゆる蟲毒)を予定しています」
「A夫さん。あなたは罪を犯しました。信用失墜行為です。全体の奉仕者としてふさわしくありません。繰り返しますが、本来の処分は懲戒免職です。しかし、法をそのまま適用すべきでない場面だとも判断されることから、これまでのA夫さんの功績を考慮して依願退職を認めるものです」
A夫さんは、不服申し立てに関する資料を受け取ると、そそくさと出て行った。彼の上司がその後に続く。
それからの1か月は、あっけないほど順調に進んだ。
まず、労働組合の執行委員長や書記長ほか数名が怒鳴り込んできた。彼らのスタンスはわかっている。怒鳴り声に2、3分も耐えていると、あちらも私達が本気であることがわかったのか、冷静になった。
「組合としては、A夫さんは必要な職員だというご認識ですか?」
「組合員としてA夫は仲間だと思っている」
「知ってのとおり、A夫さんは信用失墜行為を犯しています。K市としては、彼のような職員はいりません。A夫さんが、自らの意思で早期退職を選ぶのであれば問題ないですね」
「当局がA夫を脅迫しているなら話は別である。もしそうなら、仲間として守らせてもらう」
「そうでないならいいんですね?」
「当局は~」(以下略。何かあっても組合に責任はないことの確認をしていた)
さて、労働組合の本質は政治運動にある。K市の組合もそうだった。加入者の毎月の給料から約3パーセントを徴収し、その何割かを左派政党に納める。そして、プッシュした議員に労働者寄りの政策を実現してもらうのだ。
職員労働組合――職員同士の互助会であり、組合員を不当な権力から守るという本来的な意味での組合活動は、それに比べると優先順位が低い。口には出さないが、彼らはそう思っている節がある。この事件の後で、団体交渉を何度も経験した私はそう直感した。
A夫さんは、別に組合にいてもいなくてもいい。組合費が入らなくなるのは惜しいが、当局(※労働組合は経営者側をそう呼ぶ)に対して、「A夫さんをなんとかしてほしい」と交渉するまでの価値はない。とはいえ、組合員のために戦った、働いたという実績はほしいので、こうして形だけの食い下がりを続け、ほどよいところで悔しそうに退散する。それが私が見た、一市町村の労働組合の姿だ。
これ以降、私は計15人の問題職員に退職勧告を行い、そのうち13人が実際に退職した(残り1人はK市を訴えた。もう1人は更生の余地が認められたので勧告を撤回)のだが、労働組合が最後まで食い下がって助けた職員の数はゼロだ。本気で当局(私たち)を動かそうと行動に出た回数もゼロ。こうして辞めたうちの1人は、組合の元役職持ちだった。
彼らは、口酸っぱく、「当局、当局!」と騒ぎ立てるだけだ。本気で争うつもりなどない。ただ組合員に、「当局は許しがたい行いをしている」と知らせるにすぎない。
交渉のテーブルの上で、彼らはよく主張していた。「仲間をクビにするとはどういうことか」「同じ職員として恥ずかしいと思わないのか」「〇〇さんは十分市に貢献してきたはずである」と。しかし、同じ交渉の最中に、「職員組合としては、免職処分の取り消しと引き換えに、このようなことできる~」などといったバーターの提示や、「取り消さないなら現業ストライキを行うことを辞さないが~」(※公務員は労働三権の一部しか認められないが、現業職員に限ってはもう少し広く(+団体交渉権と協約締結権)認められている。なお、現業職員であってもストライキは認められないが、一部の地方自治体では事実上のストが行われることがあるという)といった、交渉者としての態度が出てくることはなかった。
彼らは、組合の利益が薄いと見るやいなや、交渉と見せかけた陳情だったり、見かけ倒しの規範論を繰り返すばかりだった。これは、まったく個人的な感情になるが――それにしても気持ちの悪い連中だった。偽善と嘘ばかりを繰り返している。ああいう男らしくない連中には虫唾が走る。
結局、A夫さんは、年度末での退職を選んだ。
何のことはない。あと数年で定年退職だったので、裁判で争うよりも、あと1年未満でいいので今の職場でゆっくりやりたいと考えたのだろう。正しい判断だと思う。
勝てるかどうかもわからない裁判を抱えて、勝ったとしても地獄のような部署で働くことになるよりは、早期退職を選んだ方が本人にとっていい。
今回の結果を受けて、副市長が激怒した。私は電話で副市長室に呼び出され、ほかの総務人事関係の幹部職員と一緒に説教を受けた。
上述のとおり、市長から退職勧告を行うことについての了解は取っていた。以後、A夫さんが退職を決めた後で正式に市長の了解を取り、文書での稟議を回していた最中の出来事だ。意思決定者の合意が先で、文書での伺いは最後。民間企業でも一般的なやり方である。
誤算の一つは、市長や他の幹部が副市長に一声かけていなかったこと、もう一つは副市長が同意しなかったことだ。主には、私がK市での仕事に慣れていなかったせいである。
・なぜ早まったことをしたのか?
・身分保障という慣行を破ってはならない。先人が決めて守ってきた大事なルールである。
といった意見をぶつけられた。副市長とA夫さんが同じ年に入庁した同期という事情もあっただろう。ちなみに人事課長も同期だ。
ほかの幹部は、申し訳なさそうにしていた。私は堂々たる姿勢で、「K市にとって不要な職員だと判断しました。罪を犯したのに反省の色もなく、最初の面談ではヘラヘラと笑っていました……切るべきかと。市長もやってみろ、と言っていました」と答えた。
これらの台詞は、当時のメモを見返しながら書いている。そこまで間違ったものではないはずだ。私は確かに、副市長に対して上記のような返答をしている。
こういう時に大事なのが『自信』だ。自らの想い、行動への信仰と言い換えてもいい――下の人間に好き放題やられた副市長からすると、自信なさげだと「悪意でやった」と思われかねない。越権行為であるからこそ、組織にとって正しいことをしたのだとアピールする必要があった。
「目的はわからなくはない。理解はする。だが、こういったことをする場合は、私に事前協議するように。私を飛ばして市長のところに行くな。今後相談しなかった場合は、決裁の判を押すつもりはない」
それが副市長のメッセージだった。その後、幾人もの問題職員が諭旨免職によりK市を辞めることになった。副市長のところには事前協議に行ったが、判を押してくれたのは2人分だけ、A夫など比較にならないほどの悪に限って決裁の判を押してくれた。
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
これは、私が要約した副市長の主張だ。
一応言っておくが、副市長の考えは正しい。ただ、私や市長の考えと合わなかっただけだ。公務員の身分保障は、行政行為を円滑に回すための全世界共通ルールである。実際、公務員に身分保障がなければ、社会制度をまともに維持できないことには私も同意する。
例えば、税務系部署にいる職員は、自らの裁量で税務情報システムにログインし、市民の課税情報を書き換えることができる。K市くらいの住民規模だと、上司もいちいち課税情報の変更をチェックできない。彼ら彼女らは、やろうと思えば不正ができる。
もし彼らの身分が保障されていない(生活できないレベルの給与水準、簡単にクビを切られる環境、権力者に脅迫されても守ってくれる存在がいない)場合、何が起こるのかを想像していただければ、副市長の言うことに理があり、私があくまで慣習への一挑戦者にすぎないことを理解いただけると思う。
結果についてはこれanond:20211226160229
夜になって録画を見て復習
直線に入る時、クロノジェネシスの前にエフフォーリア、外にステラヴェローチェがいて、クロノジェネシスに進路がなかった
エフが伸びて、ステラが外に振れてできた隙間にクロノがしっかり入り込んで伸びたからクロノは3着に入れたけど、あの壁によって仕掛けはだいぶ遅れたように見えた
しかしあの前壁からしっかり伸びたのはさすがクロノジェネシスといったところ
じゃあなんであそこに壁ができていたのか?というところに着目
2コーナーあたりまではクロノが前、エフがすぐ後ろに構えていたところ、向正面でエフが外からクロノに馬体をあわせ、3コーナー入り口では完全にクロノの前にエフが出る、武史らしいそこそこ早い仕掛けをしていた
が、ダービーは早仕掛けから最後差されていたし、この仕掛けがベストかはまだわからない
クロノとルメールはまだ仕掛けどころではないと見たのか動かない
中段インコースに入ってロスなく周ってるクロノは脚が残ってるはずだし、4コーナー出口からで十分間に合うはず
ところが3コーナーに入ると後方のアカイイトがエリ女と同じく大外ぶん回しの追い込みを仕掛け始める
アカイイトの前にポジションを取っていたステラヴェローチェとミルコは、アカイイトが並びかけるのを察知すると、並ばせまいと進出を開始して促し始める
ステラヴェローチェのポジションは、クロノジェネシスのすぐ後ろだった
アカイイトに並びかけられたステラヴェローチェは前に出て、すぐにクロノジェネシスの横にぴったりつける
これでエフフォーリアとステラヴェローチェによるポケットが完成
どうもこの流れを見ていると、最初からミルコも武史もライバル視していたのはやはりクロノジェネシスだったと思われる
グランプリ3連覇の馬とルメールのコンビに負荷をかけないと、やはり取り返しのつかない結果となる恐怖を皆んな持っていたということだろう
武史からしたら、クロノジェネシスの前に位置取って直線に入れば、クロノが脚を伸ばしても抜かせない自信があったのだと思う
そしてクロノのすぐ前に位置取ることで、気配をすぐ察知できるし、進路取りも迷わせることができると思っていたのかもしれない
それが後ろのミルコと思惑が合致してポケットに入れることができた、と見ると、このクロノの進路取りは、クロノの不運というより、武史の狙いだったと思う
ポケットに入れられ、ステラヴェローチェとばっちり並びながらも、そこから進路をこじ開けて伸ばす脚はステラヴェローチェの及ぶものではなかった
が、その前に、エリ女を制したアカイイトを一蹴できる力はステラヴェローチェにあったのもわかった
ステラヴェローチェの現在の力は、ほぼしっかりわかるようなレースとなったと思う
クロノジェネシスはさすがだったし、武史の騎乗はかなり上手かったと思う
ルメールは、いうとアレだけど、馬には上手く乗ったけど、駆け引きでは武史に負けたと思う
あまりに無策だったのでは?
逆にルメールが武史を出し抜く展開を作れていたら、結果は逆だったのかもしれない
3歳馬と若い騎手というのは、大胆に、挑戦者の気持ちで戦えるのがやはり強いのかもしれないな
事前予想で言ってた、クロノ、エフ本命、次いでタイトルホルダーとステラ、その次がボンドで、ここまでが勝ち得る、と言っていたけど、その5頭がきっちり掲示板全頭的中だったのは誇りたいと思う