はてなキーワード: 挑戦者とは
藤井四冠の強さが圧倒的だ。
タイトル戦では渡辺さん、豊島さんをいずれもストレートで下して早くも四冠。しかもまだ10代だ。
将棋は強さを数値化したレーティングというものがあるが、藤井さんは2位に約170ポイントの差をつけて圧倒的な首位。
将棋には駒落ちというハンデがあるが、レーティング100差で香車落ち、250差で角落ちとなっている。
ざっくり言うと現状、他のトッププロと藤井さんの間で銀落ちくらいの差があるのではないだろうか。
レーティング2位は豊島さんだが、それに対する藤井さんの期待勝率は73%である。
通常大きなタイトル戦は4勝先にしたほうが勝ちだが、そうなると藤井さんが先に4勝する確立は91%になる。
トーナメントで一発勝つことは大いにありうるが、番勝負となるタイトル戦に挑戦者として出場したり保持タイトルの防衛戦のときには失冠しようのないレベルになっている。
なぜここまで圧倒的なのか?
これは藤井さんの手を読む際の思考方法にあるんじゃないかと考えている。
通常、棋士は脳内に盤面を浮かべてそこで駒を動かして手を読む。強い人は複数の将棋盤を同時に浮かべて同時に駒を動かせるらしい。
ただ、藤井さんは違っていて何かのインタビューで頭の中に盤面でなく、符号(駒の種類と位置を示した文字)を浮かべて読みを進めると答えていた。
通常、PCで処理をする際には文字データよりも画像データのほうが圧倒的にサイズも大きく、処理に時間がかかるものである。
これと同じ状況が脳でも起こっていると推測する。
つまり、脳内イメージで盤面を浮かべて画像処理をするよりも、符号のみを考えて文字データとして処理するほうが同じ手数を読むのがより効率的なんじゃないだろうか。
だから藤井さんは高速かつ大量に手を読むことができて、それが圧倒的な終盤力や正確さに繋がってるんじゃないかと思う。
これはある意味、これまでの将棋における思考方法に対する破壊的イノベーションだが、もちろんこの芸当は一朝一夕に身につくものではなく、幼いころからの鍛錬の賜である。
これを見てほしい(見なくてもいい)
https://www.youtube.com/watch?v=4viE2RYAwok
abemaTVの看板番組で若年層を中心にそこそこ人気がある。
昨今のひろゆき人気も、その一端はこの番組のおかげといわれていて、そこそこ影響力のある番組だ。
#アベプラ では過度な演出や切り取りを完全排除。たっぷり時間をかけて、ニュースの本質を探る報道リアリティーショーです。伝えることだけに満足せず、社会課題を解決するには何が必要なのか?出演者や視聴者の皆さんと一緒に考えます。番組には、芸人からジャーナリスト、社会起業家、AV女優まで、幅広いジャンルで活躍する論客がレギュラー出演、カタガキ抜きのリアルな言葉でニュースを斬ります。ほかのメディアでは見られないアベマならではの尖った特集にもご期待下さい。
まあ要するにキー局のワイドショーにありがちな過剰演出、偏向報道をやめて、「まともな」報道番組をやりますよ、とのことだ。
そんなアベプラの新コーナーが冒頭の動画なんだが、これがひどい。
バズリたい素人を募集して、ひろゆきの前でプレゼンさせ、内容が良ければひろゆきがフォロワー130万人のツイッターで拡散する、って企画。
コンセプトからしてマネーの虎を彷彿とさせる時代錯誤感があるんだが、実際放送された中身はもっと酷いものだった。
記念すべき第1回の挑戦者として自称ラッパーアラサー元ニート美大卒の弱者男性が登場。
若いころに画家やバンドなど色々挑戦したが芽が出ず、30代を前にしてラッパーに転向、自身の失敗や苦難、挫折をライムにすると海外で火が付きインドやフィリピンで1000万回再生された、との経歴。
そんな彼はひろゆきのツイッターを通して自分のように報われず希望を持てない若い男性に希望を与えたい、と語る。
彼はまな板の上のサンドバッグとして終始なじられ、笑われ、自尊心をズタズタに引き裂かれていた。
何を言ってもニヤニヤされる。周りが鼻で笑う声が聞こえる。ヤジられる。
一対一なら勝負かもしれないが一対多ならイジメである。さらにいえば彼は喧嘩する気などさらさらなく、ただ誠実に言葉を尽くしているのに、返ってくるのは圧倒的な量の嘲笑なのだ。やるせない。
これが「ニュースの本質を探る報道リアリティーショー」なのか?
これが「ほかのメディアでは見られないアベマならではの尖った特集」なのか?
(たしかに昨今のテレビはコンプラに厳しいので、こんな時代錯誤の素人をコケにして笑い者にする番組はつくらないかもしれない。)
もともと『東大王』は東大生の中でもクイズ研究会の部員で構成された
東大王チームが「知識の壁」となって挑戦者チーム(インテリ芸能人だったり大学のクイズ研究会だったりする)を迎え撃つ、
そういうコンセプトの番組だったのだが
それが数年間の放送期間のうちにルール変更やメンバーチェンジやら
問題傾向の変化(明らかになぞなぞ・ひらめき系が増えた)を経て
「芸能人・専門家からなる遊園地マニア軍団と、遊園地について1ヶ月勉強した東大王チームが対決する」
という内容だった
と予告の段階から思ってた
本編をTVerで見たが、予想通りだった
東大王チームは負けていた
こうなった一番の原因は
ことだろうと考えている
過去には東大王メンバーが修学旅行と称してハワイに行く回(申し訳程度にクイズはある)や
今年の頭に「プロジェクト東大王」というアイドルオーディション番組まがいのことをやっていたが
2人のビジュアルは「ただのクイズが強い東大生」として消費することを許されなかった
その延長の「インテリアイドル」を必死に作り出して担ぎ上げているのが
初代キャプテンである伊沢拓司は現在Webメディア「QuizKnock」を運営していて
YouTubeでの発信も行っているが、その動画に出演しているメンバーにもやはりアイドルのようなファンがついている
伊沢自身は「QuizKnockはアイドルではない。歌手デビューしろと言われたら全力で断る」と発言している(https://telling.asahi.com/article/13022469)
が、「アイドル視されている」ことを認識しているからこそ出てきた言葉だろう
今の『東大王』は東大王チームに歌を歌わせてももはや驚きはない
YouTubeでQuizKnockの動画のコメント欄にはよく
「視聴者置いてきぼり」と書かれることがある
要するに「問題の難易度が高すぎるor会話の内容がマニアックなため自分は全くついていくことができなかった」という意味である
もともとクイズが好きで動画を見始めた自分からするとこの感覚は正直かなり理解し難い
この視聴者はわからない内容の会話をどうやって楽しんでいるのだろうか?
決して絶世の美男子ばかりを取り揃えているわけではないが、
スタイリストをつけ、テレビのバラエティ番組のような編集をした動画の出演者は
(余談だが、「視聴者置いてきぼり」はせいぜい高校レベルの理科・社会の内容でも書かれたりする)
『東大王』に話を戻せば、
そういった「クイズ的or学問的な知識があまりない」層に向けて
問題をひらめき寄り、もしくは簡単な問題にシフトしていったのだろう
スポーツ選手やら将棋棋士が、好きな女性のタイプが何であろうが、風呂で最初にどこを洗おうが
そのようなくだらない質問に答え続けなければならない
趣味が多様化しどの業界もいつ見捨てられるかわからない今の時代だから
有段者でないとプロの手に好手・悪手を自分なりに判断できないだろう
野球・サッカーみたいなメジャースポーツでも、プロでも難しいプレーを
「クイズの内容は全くわからない、でも参加者は魅力的」と感じるような
アイドル的ファンが『東大王』とQuizKnockには増えすぎてしまったと私は考える
しかも野球・サッカーのようなメジャー競技は経験者による「わかってる楽しみ方」が崩れないのに対し
クイズ界はむしろ未経験者による「ニワカ的な楽しみ方」が支配的になるんじゃないか、と危惧している
難しく見える問題をすごいすごい言った方がバラエティ的には映えるから
番組としての『東大王』は来年3月までに終わるんじゃないかと予想してる
遊園地の特集をしたいならジャニーズにでもロケ行かせたほうがよっぽど面白い
『東大王』が人気を得た理由を未だに番組側が理解してないのだろうなと
放送を見るたびに感じる
やあ、かつて初心会についての記事を書いた増田だよ。いろいろ本を買い足して読みなおしては新規の古い知識を突っ込んでるよ。新作はまだもうちょっと時間がかかるから待っててね。
息抜きとして今まで読んだ業界本を簡単にレビューしていくよ。当時のことを調べたい人は参考にしてくれるとうれしいな。
ある種のバイブル的存在。スーパーファミコン登場時の任天堂やゲーム業界周りのことを非常に詳細に書いている。任天堂のことを持ち上げつつも当時から流通網の矛盾、ロイヤリティビジネスのおかしさを指摘していて非常にハイレベル。是非読んで欲しい。ただ後日山内社長は「300万台買うからリコーのCPUを安くしてくれ、なんて言ってない」と否定してる。(後年の社長が訊くではリコーの工場の稼働率が非常に悪いことが上げられていた。だから任天堂の無茶振りにリコーが応えたのかな?)
PS1立ち上げに関しての裏事情を綴った本で、流通やソフト会社呼び寄せるにあたってのアプローチが詳細に書かれている。またこの本では「任天堂がふざけた契約違反をしたからソニーが激怒してゲーム機突っ込んできた」説を取っていて、任天堂との会談をまるで見てきたかのように書かれているが、久多良木健氏は別に恨みをベースにやっていなかったんじゃないか、とは丸山茂雄氏の談。それはさておき、最初に任天堂に久多良木氏が接近した話なども載っていて面白い。FM音源(ディスクシステム音源?)と、PCM音源(スーファミ音源)との聞き比べ対決をして久多良木氏は任天堂に音源チップの売り込みにいったんだと。
「セガ・ゲームの王国」が改題された文庫。セガがメガドライブでどんどん任天堂を追いつき追い抜く(米国にて)様を持ち上げたもの。セガの歴史を学びたい人にはうってつけ。ただ今読むと苦笑してしまう持ち上げっぷりなのはご愛嬌。
スーパーファミコン全盛期に書かれたものだが、上の「スーパーファミコン 任天堂の陰謀」などを読んでそのまま書き足した記述があちらこちらにあってげんなり。作者自身で取材した様子はなく、今の時代わざわざ読む価値はないと思う。ちなみに同作者は同時期「ソニーが任天堂に食われる日」「セガにおびえる任天堂」、後年には「ソニー・プレステが消える日」なんて本を出している。一応全部読んだけれど、わざわざ読まなくていいレベルの本。唯一評価できるポイントはソニーがスーパーファミコン一体型CD-ROM機について「スーパーディスク」と銘打ち、ソニーだけの独自規格と広告したのを任天堂が危機感持ったのでは、と指摘したことくらいでは。
PS1立ち上げの話をいろんな人にインタビューして記事にしたもの。CPU、流通、本体機構、サードのサポート、コントローラーのグリップ、値下げ合戦と、セガと任天堂に負けるなという気概でどのようなことをしてきたのか、どう決めてきたのかわかる一級品の資料となっている。PS1発売が12月3日に決まったものの、8月の時点でまだ生産台数が決まっていなかったなど、当時のどたばた状況が伝わってくるインタビューが載っている。あと最初のほうの開発機材でCD-Rに10枚焼いてもまともに読み込みできるのは3枚だけだった、などなど。
タイトルはプレイステーションだが、内容は任天堂、セガ、松下にもバランスよく触れていて、いかにしてソニーが任天堂を打ち倒すべく思案してきたかが書かれている。洗練された流通で、問屋を利用する任天堂よりもきめ細かい制御ができるソニーだから勝利した、という内容なのだが、最終章に「このままいけばこの流通も破綻するのではないか?」という記述があって驚く。革命は起こした時よりも、その後のほうが大事だという至極最もな結論に至ってる良書。
当時のゲーム流通をうまくまとめてある本。セガ、任天堂、ソニーの三社をそれぞれ解説している。特にこれと際だってすぐれたものはないが、初心会流通の任天堂、独自のソニー、バンダイと提携するかもしれないセガの立場をそれぞれかみ砕いている。
8.売られた喧嘩 買ってます 任天堂勝利の青写真(1996年)
とてもアレな題名だが中身は大真面目。「王者任天堂に勝つのはセガでは無理だ。ソニーでしかあり得ない」という視点で、挑戦者ソニーを解説している。よほど念入りに取材をしたようで、初心会幹部へセガが引き抜き工作をした話などが載っていて驚いた。面白い本だから是非みんな読んで欲しい。
9.セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?(1994年)
任天堂山内、セガ中山の社長同士の経営理念や過去を対比させて現状を解説していく本だが、とにかく取材がすごい。任天堂の労働争議の話や、メガドライブ以前のセガのコンシューマ機が問屋から嫌がられていた話(1ケースがでかくて重い!)など、他の本ではでてこない話がバンバンでてくる。わざわざアメリカにいって各地の小売店でゲーム売り場の様子まで確認しにいく取材力は感嘆する。著者の国友隆一氏はゲーム関連の本をこれ一冊しか出していないのだが、残念でならない。是非今のゲーム業界を取材して本を書いて欲しい。そう思える良書。
「セガのドリームキャストは日立製のパワーVR2というCPUを採用している」や「入出力にはUBSホストコントローラー」といった腰砕けになる記述がある。お察しください。
「勝負を挑んだ」挑戦者氏が5日目の7/11(日)の予測の結果をまだ書いてない気がするけど、予測はKnoa氏が699人・挑戦者氏が702人・実際が614人で、3勝2敗1分だよね? これ、勝ち越しだ負け越しだと云々できるレベルの精度の差かなあ…と思うし、Knoa氏が見落としているデータも踏まえてモデルをきちんと作ってるから精度が高いと自負する挑戦者氏が、これだけ激しい乖離を出してしまっているということは、挑戦者氏のご自慢のモデルも、Knoa氏に噛み付くほど大したことないじゃないの?という感想も持ってしまった。
挑戦者氏はKnoa氏の予測について「説明変数の記述ばかりで、モデルの記述がない」と厳しく批判してるんだけど、おれみたいな外野からすると、モデルとか構築がどうであっても、そこそこの予測精度が出てるんだったら別にそれで構わないんだよね。ロジックよりもアウトプットと現実との対応のほうが大事なの。事前に書かれた予測が比較的実態に則してるなら、それを踏まえて自分の危機管理とか今後の生活の仕方や商売の指針にもできるわけだからさ。
いくら挑戦者氏のモデルが精緻でも、Knoa氏が念頭に置いてない重要な説明変数が考慮に入れられてても、それは挑戦者の頭の中で組み立てられたバーチャルな完全性でしかなくて、そのシミュレーションが現実世界と照応してないなら、おれにとっては特に優位性はない。「いや、このデータを入れなければダメなんだ、モデルを提示しなければダメなんだ」という主張は承るとしても、その主張の正しさを外野のおれたちが判断する時には、やっぱり的中率ありきなんだよ。
それに、挑戦者氏とKnoa氏の予測って言うほど乖離してないんだよね。「Knoa氏の予測は常に上振れする、悲観的だ」ということなら、過剰に危機感を煽る危険な予測だ、みたいな批判もできるけど、実際は挑戦者氏の予測のほうが下回ってる日もあれば、完全に同一だった日もある。たった6日間の予測でだよ。
自分は大局的判断のベースにするには、数人という単位での的中率のわずかな差よりも、外れたときにどれぐらい外れるか、どのぐらいに収まるかのほうが重要だと思ってるんだけど、6日間の両者の予測で、実際の数字との乖離が一番激しかったのは
予想者 | 日付 | 予測 | 結果 | 乖離率 |
---|---|---|---|---|
Knoa氏 | 7/6(火) | 705 | 593 | 18.8% |
挑戦者氏 | 7/11(日) | 702 | 614 | 14.3% |
で、大外れしたときの乖離率はたいした差はない。これじゃ「片方は当たるも八卦で、もう片方はちゃんとしたシミュレーションだ」とは言えないなと思う。
挑戦者氏はあんまり攻撃的な語り口を使わずに、粛々とモデルを磨いて、精度の高い予測を出し続けて、予測結果の信頼性の高さでKnoa氏を駆逐するのがいいんじゃないかと思うよ。両者の予測、楽しみにしてるよ。
実際の感染者数=822人、私の予測=823人。ほぼ的中っす。惜しかったっす。
評価期間 | Knoa氏平均 | 私の平均 | 実際の平均 | 勝敗 | コメント |
---|---|---|---|---|---|
7/6-7/9 | 910.75 | 815.25 | 807.25 | 圧勝っす | Knoa氏誤差=103.5人 vs. 私の誤差=8人 |
曜日 | Knoa氏予測 | 私の予測 | 実際の感染者数 | 勝敗 | コメント |
---|---|---|---|---|---|
7/6 (火) | 705 | 642 | 593 | 1勝0敗 0分 | 楽勝っす。明日も楽しみっす。 |
7/7 (水) | 1031 | 982 | 920 | 2勝0敗 0分 | 楽勝っす。明日も楽しみっす。 |
7/8 (木) | 962 | 814 | 894 | 2勝1敗 0分 | 14人差でまさかの惜敗っす。明日こそ勝ち越しを決めるっす。 |
7/9 (金) | 945 | 823 | 822 | 3勝1敗 0分 | 完勝っす。とりあえず勝ち越し確定っす。 |
7/10 (土) | 967 | 967 | ? | 3勝1敗 1分 | 引き分けっす。この日は絶対引き分けっす。 |
7/11 (日) | 699 | 702 | ? | ?勝?敗 1分 |
しつこいけど、専門家なら誰もが考慮しているあのデータをきちんと考慮してないというのがあなたの問題だと思うの。
あなたの予測が一貫して常に上ずれしてハズレた値になってしまっているのは、そういうことだと思うの。そのハズレ方は誤差じゃないと思うの。
(Knoa氏の「予測の説明」を読んでも説明変数の記述ばかりで、モデルの記述がまったくないから、今はこのくらいしか言えないの。)
※ 7月9日、ほぼ的中。すでに御祝いの言葉を下さった増田様ありがとうございます。何かうれしい。