はてなキーワード: にわかファンとは
昨日、近所のグランドシネマサンシャイン行ったんです。グランドシネマサンシャイン。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、「デューン 砂の惑星2」IMAX上映、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、「デューン 砂の惑星2」如きで普段来てないグランドシネマサンシャインに来てんじゃねーよ、ボケが。
「デューン 砂の惑星2」だよ、「デューン 砂の惑星2」。なんか親子連れとかもいるし。一家4人でIMAXか。おめでてーな。
よーしパパ最前列の真ん中座るぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。お前らな、800円やるからその席空けろと。
IMAXってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。隣に座った奴がいつスマホ光らせて喧嘩が始まってもおかしくない、注意するか我慢するか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
にわかファンは、すっこんでろ。で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、上映中にスマホいじってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。あのな、上映中のスマホなんてきょうび映画館でやっちゃダメなんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、上映中のスマホだ。お前は本当に映画を楽しみたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、スマホ光らせたいだけちゃうんかと。映画通の俺から言わせてもらえば今、映画通の間での最新流行はやっぱり、スマホの電源を切る、これだね。
上映中はスマホの電源を完全に切る。これが通の鑑賞スタイル。スマホの電源を切ることで誘惑に負けない。
そん代わり上映中に連絡取れない。これ。で、それにトイレにも行けない。これ最強。
・良良良ー・良ー良良だった
思ってたけどこんなに可愛らしいお顔立ちかつ
「存在」するとは、ね…
・年齢マ?22か23かと思ってた
・本当に生身の人がSpotifyで聞いた歌歌ってる〜!
ってビビった
・途中、「もっと元気にー!」みたいになったとこ、
嫌いに…ならないでッ…!
ファンの感じになった
「音楽」って完成するんだ」って驚いた
・「これを生の声で歌ってるのを聞けたら
成仏する…」と思っていた曲4〜5曲
(スーパーボール・グレープフルーツムーン・オセロ・シンデレラとか)を全て歌って頂き最の高だった
何度も何度も聞いた好きな曲を「ライブ」で
「わからせて」頂いた
おらず「思ってたのと…違う、な…」って
出てきて「おっ仲間」ってなった
・学生さんの頃作った曲?の
と思って聞いてたけど秒で屈した
もうあの歌ウマが直撃したら抗えねえ…
・twomoonは録音室?のオーディオが
・クソにわかファンなのでイントロで「この曲だ!」ができず「この曲は〜(しばらく聞いて)あっこれtwomoonに入ってたやつや!」になった 使う脳がカラオケの歌詞うろ覚えの時に思い出しながら歌う時と同じ脳の部分が働いてる感じした
歌聞くときも歌う時も「音楽の記憶を思い出す」時って同じ脳の部分が動くんやな…って新たな発見をした
・「バンドマンはモテる」を理屈ではなく心で分からせて頂いた これはモテる
(写真は撮らん心の目に焼き付けるわ~心の目とか無いやろ〜おまいとは絶交や〜のくだり)
・開演前のBGMで目茶苦茶好き曲流れたので
リズムに乗って体揺らすのやってみたいけど
恥ずかしい///」ってなったけど前に
体揺らしニキネキがいたから乗れた
・中国語?韓国語?喋ってる人多すぎて日本語喋ってる人より多いぞ
・上に立て続いてチェックイン街ロビーでハングル?ラジオ垂れ流しおじさんいたり国際離婚?したいのに相手に逃げられてる話ネキがいたり「もしかして…この辺…治安あんまり良くない…?」ってなった
・おっバーガーキングやん!地元にないなら行ったろ!と思ったらバーガーぬるいしパイは温かくないしションモリした
特に冷めたパイは外食マズランキングの2位を更新した 1位はあの階段の傾斜がヤバい中華屋
チェーン店のパイは色々なものを熱とパリパリ皮でごまかしてナンボなのに冷めたらもう…もう…
ティルスープ頼んで食べきれず
なにより牛背骨×3個の凄みがスゴい
1.5メートルにつき1人の間隔でいる
バター滲み出とるのよき
・昼でもなんか怖い
中国フェスやってる傍ら移民反対デッカ声演説の選挙カー走ってて思想のぶつかり合い発生してて
その場にいるだけで緊張した
なった
・名古屋、都会と聞いてたが予想以上に目茶苦茶都会でビビった 車社会で駅前だけ栄えてて少し離れるとションモリでなく広範囲で都会だった
車無くても生きていけそう
あと夜も朝もどこかしらでアマプロ問わず小規模ライブがやってて都会だった 都会は…文化が…あるな…!
・電源周波数違うの忘れてて
・行く先々で駿河屋寄ってるから全国駿河屋巡りしてんの?ってなる 実家のような安心感
予定を詰め込み…過ぎた…ネ…
>探索
攻略情報がすぐ触れるところにいくらでも出回る世の中。攻略情報見たい人は見ればいいし、見たくない人は舐めるように探せばよい。
舐めるように探せばちゃんと見つかると思ったので、結論としては良い塩梅だと思う。
>周回
周回といえば周回だが、随所に新しい要素が追加されていくし分岐ミッションもあるのだから、3周合わせて1周なんだと思えば別に退屈でもないしいいと思う。
>パーツの出し惜しみ
にわかにとってはいろいろ理解しないうちから選択肢が多すぎても困ってしまう。「ゲーマーなら選択肢が多い方が嬉しいに違いない」という考えは改めるべきである。
これも3周合わせて1周と考えればよいタイミングでの増え方だろう。
>マップが狭い
一部わからないでもないけど、マップが広がることでより面白さに繋がるのかといえば疑問である。
オープンワールド探索ゲームやってるわけじゃないんだから、適度な制限は進め方がわかりやすくて良い。
・(ガチのファンを見て)お金も時間もかけて現地に行って楽しめるものがるっていいな。自分には何もない
・(にわかファンをみて)この人たちは生き続ける限り何度も楽しめるものを見つけて楽しめるんだろうな。いいな。自分にはちょっとしたことを楽しめる感性も一緒に楽しんでくれる友達もいない。
・何年もつらい練習をできるくらい努力し続けられるものに人生で出会えるってどんなに幸せなことだな。私には人生でずっとやったることなんてない。
・こんな大人なのに、有名な人なのに、テレビに映ってるのに、負けてこんなに泣けるって、そこまで本気で向き合ってたってすごいよな。自分の人生で負けて、失敗して泣けるほど頑張ってきたことってなかったよな
曽我部恵一および山本直樹のファンとして、またPLAN75で好演を見せた磯村勇斗のにわかファンとして、
ビリーバーズを見てきた。副議長の濡れ場への期待ももちろんあった。
副議長を演じる北村優衣がしつこいぐらい何度も裸になって、セックスやフェラを頑張っていた。
北村と同じ1999年生まれのアイドルには、乃木坂の山下美月、わーすたの廣川奈々聖、アンジュルムの上國料萌衣などがいて、
彼女らと同い年の北村がここまで体当たりの芝居をしているのかと感慨があった。
孤島で暮らす宗教信者がなぜか銃を持っていて、島に漂着した五人のチンピラをすべて打ち殺すシーンがあり、
クライマックスには山本直樹本人も登場し、宗教集団と機動隊との間で派手な銃撃戦が繰り広げられた。
あの時、にわかファンだと自称したのは、一つにはずっと以前からファンでいる人たちに対する遠慮があったからです。
言い方のせいでまさに軽薄な感じに受け取られたでしょうか。
ひねったり変化つけた言い回しが素直ではなかったと今思っています。
でもそれには理由もあって、まじめすぎたり重すぎたりする私の話と話し方になんとか親しみやすい軽やかさを組み込めないかという、工夫をしてきたからなんです。お分かりのように、面白い話なんて未だにできていないですけど。今回のことで言えばにわかファンだと自分を笑うことでちょっとおかしさを出したかったのですが、結果的に苦笑いですかね。
また、もともと口数がすくないのを改めようとして、大したことない話を引き伸ばしたり寄り道したりするように努めてきた経緯もあります。「世間話」を身につけたかったから。それがなんとも白々しいうわべだけの言葉のやりとりになることがあります。
ともかく、私はあの時は普通に注目していました。たしかに以前からのファンではないです。でも、それを卑下したかのような言い方はしないほうがよかった。
知らない人に説明すると、ナナブンノニジュウニ(22/7)通称ナナニジとは、秋元康さんがプロデュースする11人組のデジタル声優アイドルグループ。リアルのアイドルと、キャラクターのアクターの両方を演じるグループってところが特徴的だと思います。
そこで今何が起きてるかというと、2月末にリーダーの人が卒業して、先月も同時に3人の卒業が発表されて、もうTwitterとか大騒ぎ。
増田は「22/7計算中」という3Dアバターのキャラクターがバラエティをやる番組のシーズン2期からグループの事を知って、まあ日の浅いにわかファンなんですが、人生で初めてアイドルグループってやつに興味を持ったんですよ。その計算中でも先の4人はほぼ中心メンバーってくらい目立つ人たちだったので、非常にガッカリ。
で、何が書きたかったかというと、積もりに積もったプロデューサーや運営への愚痴。メンバーたちは活動やセルフプロモーションからほんと頑張っていて何一つ不満ないんだけれど運営が酷すぎて、もう言いたいことがたくさんあった。卒業自体は前向きに受け止めたい気持ちもあるけれど、静かに崩壊していく様を見るとやっぱりもっと何か出来ただろうという思いが強い。何ヶ月も前からずっと書きたくてやっと言語化してみた。※ちなみに2月末に卒業されたリーダーの帆風千春さん(愛美さんの妹)は響から「千春」さんとして声優としてソロで再デビューしました。ホントめでたい。
で、増田が思うナナニジの残念なところ列挙。
コロナ禍になってからはオンライントーク会になったけれど、AKB商法とか言われて批判されてる事を未だにやっている。無駄にCD買わせて小銭を稼ぎつつオリコン何位ランキングってのをアルバム発売毎に繰り返して、資源を大量に無駄にして彼女たちの土日も毎終日潰れてる。秋元氏や運営はいつまで経ってもこんなやり方しか知らないのかと。ファンとの交流は必要だと思うけれど、例えばYouTubeでライブ配信でファンサービスやってスパチャ送ってもらうとかの方が遥かに健全ではないかな。
声優アイドルという触れ込みでオーディションしただけあって、メンバーのほとんどがアニメやゲームが好きな子が多い。多いのに、アニメ関連の仕事がほとんど無い。ライブで聴いた時は涙腺緩んだくらい良曲の持ち曲沢山あるし、歌唱力も悪くないと思う(歌唱力高い人が卒業してしまいそうだけど)。なのに、アニソンとしての曲の提供は0。少なくともA応Pみたいな立ち回りはできるはず。乃木坂でさえ「心が叫びたがってるんだ」の曲歌ってたのにねえ。どうしてあんなに営業力が低いのか。アニメ業界での存在感皆無ですよ。仕事の幅が減るわけだよ。
声の仕事と言ったら、せいぜいアニプレックス関連のイベントでインタビューするとかその程度がほとんど。あとはラジオに出たりとか。声優としての仕事も少女Aとか、よくてチョイ役の脇役があるくらい。アニメの声優の仕事はもちろん高いハードルがあるのは知ってるしオーディションも何度も挑戦しないと役は取れないだろうけれど、数年間の活動で準主役級の役一つ無いというのは事務所としてやる気がなかったのだろうなと。要するに握手会やライブで全員揃ってないと困るので、定期の収録が必要な仕事は事務所として嫌がられたんじゃ無いかと邪推。
元リーダーの帆風千春さんを始めとして、何人かはオーディションを受け続ければレギュラー取れるだけの実力はあったと思う。インタビューとかで今後の抱負を聞かれて「声の仕事をもっとやってみたい」という人が何人もいたよ。脱退の理由の一つでもあると思う。泣けてくる。※ちなみに帰国子女の天城サリーさんは貪欲に声の仕事を拾ってて偉い。実力も高い。アイドル活動やりながら大変だと思う。
グレーな話だけれど、今年の初め頃だったか、ナナニジファンのアカウントからYouTubeにアップされていたShowroomやインスタライブ、ラジオ配信とかの動画が一斉に消え始めた。削除要請があったのかは実際のところわからないし、そもそも違法アップロードを削除要請したとしても当然の権利というのは踏まえた上であえて書く。Showroomやネット配信はアーカイブ機能がないので、見逃した配信を追いかけたり、自分がグループを知る前の配信とかを少しずつ消化していたので非常に困った。それでもできる限りライブで見るように頑張っていたけど、今年になってShowroomで3人同時配信とか意味のわからない事をやり始めて完全に詰んだ。物理的に視聴できない、アーカイブはアップされない。なんでわざわざファンの心を折ってくるのかと…。テンションが下がる一方だった。
さすがにテレビ番組の計算中は予算かけてプロが何人も関わってるだけあってクオリティが高いのだけど、それを低予算でやる技術力が全くないみたいで、実験的にやった配信とかも非常に残念なクオリティだった。そのショボイ配信さえスタジオで専門機材使ってやってたみたい。PCとWebカメラとちょっと良いマイクがあればLive2D使って個人勢でもVTuber活動ができる出来る今の時代にだよ。ノウハウが無いなら、外部に支援を頼もうと思えばいくらでも頼めたでしょ。結局3Dアバターのキャラクターは計算中でしか見ることがない存在になってしまった。可能性がたくさんあったはずなのに勿体無い。
メンバーの1人が舞台をやってそれが成功したら、他のメンバーも続々と舞台をやり始める。ニコ生の有料チャンネルを始めて、それが成功したら他のメンバーも続々と以下略。成功体験のバリエーションが少なすぎでは。
「五輪中止に賛成の意見が世論調査の結果7割を占めた」だなんだ言っても、所詮は世論。
2019年のラグビーワールドカップを思い出したらいい。
開催前は(森元総理が私情で引っ張ってきたとか色んな要素があり)あんだけ不評だったのに
蓋開けてみれば「にわかファン」まで大量発生して大成功した例がつい最近あったんだから。
とりあえず反対しといて、いざやってみて楽しいんならそれでいいじゃん
ってことでなぁなぁに終わっちゃう感じ。
と同時に多くを学んだんじゃない?
「要は何が何でも開催させて、成功させりゃいいんでしょ」って。
ただ、回答者にその答え合わせをする機会なんて未来永劫来なくて
逆にあってはならないと思うんだよね。
別にこれは、「五輪を強行すべきだ」なんて言ってるわけじゃない。
創作物、ずっと応援してきたもの、にわかファンごときにわかられたくないし、自分が一番の理解者でありたいみたいな気持ち。
これが、良いのか悪いのか。
なんかわかったような。
たとえ作者が犯罪を犯していても、作品そのものに罪はないし。作者がいけ好かなくても、作品だけは良かったりはしばしばある。作者が気に入らんからと、作品まで毛嫌いするのはアホのやることなんだと。
それが正しいと思ってたし、結論、それが正しいと思う。
でも、その理論を信仰するのであれば、創る側に立った時も同じことを唱えなければならないと気がついた。
たとえば僕の作品愛しさに、作者である僕に嫌なことを言ってくる人がいる。続きみたいから早くかけよ、別の物を創るな、俺の欲しいもんを創れと。そういう人にはそもそも僕の作品を理解できる素質ないとか思ってた。僕がそういうことを言われるのが嫌で、だから人にもそういう言葉はかけない。それゆえにどうしても、そういった行動は作品内でも間違った行動であるという価値観で評価されてしまう。
そういう、僕が間違ってると思うことを平気でやるような人間に、僕の価値観をベースに創られた作品など、僕の世界など理解出来るはずないのだ。善悪の考え方が違うし。
って思ってたけど。
それはつまり、僕のことを理解できてなければ僕の作品を理解することはできないということにほかならないじゃん。
言ってること真逆じゃんな。
あーこれだわ、と思った。僕が創作物を公開するのに、足りてなかった心がまえ。
創作物に対する解釈の正しさ、というのは個人の中にしか存在し得なくて、それが「正しい」という価値観も、その人の中でしか通用しないこと。
Aさんには目の前の絵の中の鳥が赤に見えて、Bさんには青に見える。それを描いたCさんは、緑で塗ったと言っている。
この中で、誰が正しいのか。
創作物は、僕が僕ではない誰かにそれを見せた瞬間、その誰かの主観というフィルターを通して解釈される。例えそれがどんな解釈であろうと、その誰かにとってはその解釈が一番正しい。
僕が、極力作者本人を知ることを避け、不純物の混入を防ぎながら他人の作品を自分の主観フィルターで濾すように、僕の作品を見る人にはみな等しく僕の作品を解釈する権利をもっているし、それがこの世で唯一正しい作品の解釈、と信じる権利も持っている。
もちろん、そのフィルターの性能によって作品は悪に見えたり善に見えたりする。でも仕方ない。僕が持ってるフィルターと同じものは、この世のどこを探しても存在しない。
僕が「正しい解釈」を発表したところで、その正しい解釈すら他人のフィルターを通してから他人に入っていくわけで、それはもはやまったくの別物であり。
「正しい解釈」として何かを発表することが不可能である以上、正しい解釈というものはこの世に存在することができないものであることになる。僕以外のだれにも、観測不能なのだから。
だからこそ、どこまで作者ことを知り、作品をどう解釈するかは自由。作者もまた、作品を発表した時、その作品はもはや作者の手を離れて、見る者一人一人の中で展開され、その人の回路で理解される、その人の中でもう一つの作品ができてしまうようなものだと考えた方がよいのだと思う。
自分の作品なのだから自分の解釈が正しくて、文句をつけてくる人は理解できてなくて、褒めてくれる人は理解できている、みたいな考え方は、創作をする上でメンタルを守っていくためには正しいけど、向き合い方としては正しくないのだと気づいた。
心がまえ、間違ってたなって話。
別に鬼滅が好きか嫌いかなんて個人の感想だし、どう思おうとそれは自由だ。俺はブームに乗ってるにわかファンだが、別に鬼滅嫌いな奴がいたっていいと思う。ただ、鬼滅叩いておけば通ぶれるみたいな逆張り連中見てるとどうしようもなく頭悪いんだなって軽蔑する気持ちになる。お前らは鬼滅を浅い作品と叩いてるかも知れないが、お前の思考はその作品より遙かに浅いんだぞ。ブーム叩いておけば上に立てるとか思ってる連中も所詮は唯のネットイナゴだからな。
アナ雪、君の名は。の時も同じような連中が沸きまくってた。正直、この作品に関してはそこまで感動しなかった(あくまで個人的な感想)。それでも「流行叩いてる俺かっけ~(シコシコ)」みたいな連中沸きまくっててゴミを見てるような気持ちになった。
まあ、これからもジブリを語るときに君の名は。とか鬼滅を引き合いに出す連中が沸くんだろうな(現在進行形で沸いてるけど)。お前らのジブリ愛は他作品disらないと語れないほど薄っぺらいものなのか。そんな奴が「俺は古き良き作品の魅力知ってる通だよ笑」みたいな顔してマウント取るとか滑稽すぎる。
別に作品を叩くなと言いたいわけじゃないが、流行disればかっこいいとか思ってる奴は一度自分を客観視した方がいいぞってはなし。手遅れかもしれないが
鬼滅の刃が流行しすぎて一つ一つの要素を紐解くことはもう無理だということはわかっていいる。
ただ、やっぱり映画の空前の大ヒットについてはどうしても考察せざるを得ない。
そうして紐解いた結果、実は鬼滅の刃の映画は、今までやろうしなかった、やれたとしてももできなかったものなんじゃないかなという結論に至った。
・何が?
結論から言うと、「ストーリーの一部を切り取って映画化したこと」が、である。
御存知の通り、劇場版鬼滅の刃は無限列車編のみを抜粋した映画だ。
実は、そのことに違和感を頂いた人は少なくないんじゃなかろうか。
マイナーな作品は除くとして、今までのメジャーなアニメの劇場版は、大きく3つに分類できる。
理由は単純。
劇場版を見に来るターゲットが、原作やテレビアニメ版を知らない層を含むからだ。
事前情報を必要としない2時間の娯楽として楽しんでもらうために、そうせざるを得ないのが本音だろう。
上に挙げたどれもが、原作を知らなくても楽しめて、それをきっかけに原作が欲しくなるように設計されている。
ところが、劇場版鬼滅の刃は、原作にあるストーリーの一部、「無限列車編」だけを切り取って映画化した。
本来ならばそれは、原作を知っている人しか楽しむことができないという、ターゲットを絞り込む行為に他ならない。
ところが、この映画はターゲットを絞り込むどころか、記録を塗り替えんばかりの勢いでヒットを続けている。
本来ならばありえないことが起こっていると言っていいだろう。
しかし、頭ではそう考えている反面、実に自然に、自分でも不思議なくらいに、この映画を見てみたいと思う自分がいたのも確かだ。
・紐解かれた動機
自分はコミックス完結後にやっと買い揃えたくらいの鬼滅の刃ファンの中ではかなり後発組だ。
もちろんアニメは見ていないし、最近ではアニメを見る習慣もなかった。
(そんな人間がこんなことを語っていて申し訳ない。第一次オタク世代、今は隠居の身なのだ。)
興味がなかったわけではない。しかし、今の生活リズムには、アニメを見直すには時間が重すぎるのだ。
また、最近では作画崩壊ややりがい搾取問題など、がっかりするような話も多く聞かれてなおのこと足が遠のいてしまっていた。
そんな中にぽんと投げ込まれたのが無限列車編だけを切り抜いたこの映画だ。
アニメ全話を見直す気力はないが、2時間に絞って、しかも最初から最後まで劇場版クオリティで見ることができるというなら、ぜひ見たい!と手放しで思えた。
テレビ版特有の尺を合わせるための間延びだってないに違いない。
なんの根拠もなく、漫画の尺と映画の尺を脳内で比較して勝手に期待を膨らませてしまったほどだ。
劇場版鬼滅の刃前と後では、劇場版アニメの役割は大きく変化するであろう予感がある。
今までの劇場版アニメは、新規ファンの開拓とテレビアニメファンの両方を楽しませることが目的だった。
しかし、劇場版鬼滅の刃は、ともすれば原作を知っている人しか楽しめないような内容になっている。
それなのに、むしろ多くのファンを取り込むことに成功した理由は他でもない。
多くのにわかファンにとっては、むしろ原作にあるストーリーを映画化したほうが、素直に見てみたいと思える要素になりえるということなのだ。
これには、鬼滅の刃特有の、大ヒットに至るまで長い時間をかけてじわりじわりとファンを獲得していったという、その独特なヒットの形態も寄与しているものと思われる。
しかしながら鬼滅の刃劇場版は、今後もこうして原作ストーリーを切り取りつつ、高いクオリティをもって提供されつづけることで、今後もヒットが続くであろう確信がある。
なぜなら、アニメ全話をダラダラと見る気にはなれないが、ハイライトだけを切り抜いて、高いクオリティに濃縮されたものならいくら払ってでも見たいと思えるからだ。
これは、あれだけオタク以外の人間を巻き込んで成功したエヴァンゲリオンでさえなし得なかった快挙と言える。(原作ありきの鬼滅の刃と比較するべきではないことは承知した上で。)
・まとめ
今までは、漫画、アニメ、劇場版と、それぞれ独立したコンテツとしてファンが存在していたと言っても過言ではない状況だった。
しかし、鬼滅の刃がぶち壊したものはそうしたコンテンツの垣根であり、こと劇場版においては、今までの劇場版としての役割を全く覆した上で、今、劇場版として求められている役割とは何かを突き詰めた究極の形に至ったと言っても全く言い過ぎではないだろう。
これは、今後後追いコンテンツがヒットした際の劇場版のありかたを大きく変えることのきっかけになるはずだ。
現代人のライフスタイルにとって、全話アニメは見るのが難しいけど、一部をハイクオリティにして凝縮した2時間の劇場版なら見たいって人が沢山いることがわかったよ!
そしてそれは、いままで原作を知らない人を取り込めるのは原作にないオリジナルストーリーだというのが思い込みで、むしろ原作をしっかり切り取るほうが人を呼べるんだよ!
ということ。
よくわからない新キャラ。それに当て込まれる芸能人。無理やり2時間でお涙頂戴。
こんなの国民の誰一人として望んでないことがわかって本当によかった。
自分は鬼滅の刃アンチでもファンでもないものである。が、鬼滅にクソデカ感情ポエムをしたためる者である。
にわかファンでいられなくなった者として、アンチにだけはなりたくないものとしてポエムを書いて去ろうと思う。
黙って去れよと自分でも思うが、なんか大げさなテンションでお別れを世界に発信しないとずるずるひきずってタチの悪いアンチになりそうなのでクソデカ感情の供養として誰かがみてくれるんじゃないかという期待と誰も見ないから大丈夫という慢心のバランスが最高なはてなに投稿させてもらう。
まず初めに、作品及び制作陣、宣伝も含め関わる全ての人におめでとうございますを述べる。正直ここまでのコンテンツになるとは思っていなかったので、凄いとしかいいようがない。おめでとうございます。
次に、鬼滅の刃に初めて触れたのは去年くらいで、その後もファンだったかといわれると怪しいし、ファンが闇堕ちしてアンチになろうとしているというある種同情できる立場でもない、本当になんだお前という立ち位置の者でしかない。我ながら苦しんでいること自体が意味不明だ・
私にとって、鬼滅の刃は動物園で大事にされているうつくしく高級なうさぎのような作品でした。一見同じようなうさぎはいるけれど、一線を画す上等な毛並みで手入れも一級品。柄も独特で動きもダイナミック。動物園まで見に来るにふさわしい素敵なうさぎでした。新聞の一面を飾ってもおかしくない、どこに出しても恥ずかしくない立派なアニマルだったのだ。私は特別うさぎが好きではなく、詳しくもなかったけれど素人目にもその評価はゆるぎなかった。でも、世界で数頭しかいない絶滅危惧種とかではなかった・。
アニメも一挙で見て漫画も借りて読んだけど満足感と共にブラウザを閉じて、Twitterを空けてキーワードを打ち込んだり連続ツイートをしたりすることはなかった。
いい作品だと思う。でもどうしても、ワンピースやBLEACHやジョジョと同じカテゴリには入れられない。
それらの作品の持つ、本当に世界がもう一つあるような、悪魔の実やスタンドや斬魄刀といった架空物が実在の遠い国の首相の名前と同じように一般名詞として存在感のあるものと感じられる気分にはなれなかった。面白いとか面白くないとかそういう問題じゃなくて、コンテンツとしての質量の大きさが違うのだ。現実の世界観を侵食してしまうような、作中世界の物理法則や法律や人種差別問題が好き嫌い以前に自然に頭に入ってしまうような、そんな性質の作品だと思えないのだ。もっと素朴で、たまに頷くような、そんな作品だった・
全く関係ない作品だけど、ちょっと前に終わったサンデーのムシブギョーとかと同じ立ち位置だった。大きなヒットはしなかったけど、メジャー少年誌に載るにふさわしい面白さで、派手じゃないけどグッとくるシーンがあって、キャラのことを穏やかに愛していられた。
でも、今の鬼滅の現状を見ると視界がぐるぐるしてとてもとてもいたたまれない気分になる。
高級ですばらしい兎を、そろそろ種の存続が怪しいホワイトタイガーとして売り出しているような違和感。
そんなに無理をしなくても立派な価値があるのに、これこそ当世イチのスーパーアニマルでござい、と売り出しているようなちぐはぐさ。
そういう売り出し方やマスコミを批判するつもりにもとてもなれない。不景気きわまる昨今、ここで売らなきゃどうするのかとすら思う。迷惑だとかしつこいとかいう記事を見るたびに、難民船のSOSに文句をいう様なものではないかみたいな感想が出る。理性がたしかにそう叫んでいるのだ。
でも、それでもジブリを越えるかもといわれると宇宙を背景にした猫のような顔になってしまう。
そんなことを考えている自分も嫌だ。好きか嫌いかならいいものの、それとは別に「作品としての格」みたいな厳然とした基準を勝手にもっていたことを痛感する。
スラムダンクと黒子のバスケが比較された時、どちらも素晴らしいといったのはきれいごとだったのだと、今は思う。
自分は黒子のバスケが大好きだ。初めて単行本を買い、はじめて二次創作を書き、コラボ商品を欲しがり、劇場へと足を運んだ。今でも心の大事な部分を占めている作品である。しかし、もしも黒子のバスケがニュースで「スラムダンクを越える」と言われていたら、きっと同じような気持ちになっただろう。個人的に思い入れがあるぶん、もっと苦しかったかもしれない。ファンの誰かが「スラムダンクよりすごい」というたびに「それは作品の為にならないからやめてくれ」と思ったのは、謙虚さへの希求ではなく比べられたら困るというある種の逃げだったのだと思う。
私はこのところおかしい。もはやニュースから紅蓮花が聴こえれば耳を塞ぎたくなり、緑と黒の市松模様が目に入ればブラジャーファンアートだとしても笑顔にはなれない。
バラエティにゲスト出演する花江さんの笑顔すら、もう穏やかな気持ちでは見れない。
土曜プレミアムの特別編は二週ともフルで見た。いい作品だった。一緒に見ていた初見の家族の質問にも逐一答えて、CMに入れば解説をした。最後まで楽しめた。どうだ私はファンなのだと胸を張れるんじゃないかという気分になった。でも、翌朝のニュースで鬼滅を見ると、やっぱりくるしかった。
自分にはもうこの熱狂の内側に入ることはできないのだと実感して、さびしさが半端ない。妬ましさと惨めさで、ファンの泣けたという素朴な感想まで胸が痛くなる。
進撃の巨人も、鬼滅と同じようなキャンペーンの経緯で見た。ハマったか、好きだったか、と言われるととても楽しませてもらったけどファンといえるほどのめりこみはしなかったと思う。でも「とんでもないぞ」と思った。好き嫌いじゃなく、えらい生き物が発見されてしまったと思った。世界が変わってしまうのも仕方ないと納得せざるを得ないような、そんな理不尽なエネルギーを持つ作品だった。
鬼滅にはそれはなかった。何度見ても、高級で毛並みがよくてすてきなうさぎだった。それから何度も鬼滅の話題のニュースを見て、うさぎの毛並みすら褪せてみえるようになってしまった。
グッバイ鬼滅。自分の知らないところで幸せになって、というとおかしいのでみんなを幸せにしてください。いつかこんなめんどくさい気持ちが死に絶えたら何らかの形で気持ちよくお金を落とします。