はてなキーワード: Rom専とは
私はかれこれ15年ほど同人とか二次創作という界隈に身を置いている、しがない字書きだ。
ここ数日、ツイッターのタイムラインでやたらと「同人誌の作者に感想を送るべき」だの「感想を送ったところで引き止める理由にはならない」だのと議論されているのを眺めていた。
これは、特に目新しい議題ではないだろう。
学級会と称されて、既に何度となく同人活動に関わっている人たちのツイッターでは話題になっている。
作者視点でも読者視点でも各々数パターンの意見傾向があり、いつも泥沼化しており、結論が出ないまま風化し、またふとしたきっかけで議論が行き交っているのだ。
私も二次創作をしている立場であるから、色々と思うところはある。
まず、私が何よりも強く感じているのは、議題テーマを「感想」にするからややこしくなっているのではないか、という点だ。
作者の目線に立てば、感想が欲しい!という意見が大多数だ。当然である。
読者の目線に立てば、感想を送るのは難しい!と躊躇する人も多い。理解出来る。
だが、ここで意見が噛み合わない原因は、各々が抱いている「感想」がどのようなものであるのかが食い違っているからのように思えてならない。
読者が想定している「感想」は随分とハードルが高いような気がするのだ。
どの場面のどのキャラクターがどうであったのがどう良かったのか…と読書感想文さながらの「感想」を送らなければ、と身構えている読み手が多いのではないだろうか。
もちろん、そういった感想をいただけるのは嬉しいことであるだろうし、幸せなことだろう。(私は長文の感想はいただいた経験が無いから想像に過ぎないけれども。)
ツイッターで「あー!最高の同人誌読んだー!マジ尊すぎてしんどい!しんどい以外言えねぇ…」などと呟いたりしているが、その本の感想を作者本人に伝えたことが無いという読み手は割と多いだろう。
要は、その「最高」「しんどい」を一言でもいいし匿名でも全然構わないから作者本人にぶつけてくれると嬉しいな、という話なのだ。
文章になっている必要など無いし、「あなたの○○大好きです!今回も最高でした!」で十分であり、その一言が生きる糧となる作者は多い、という話だ。
同人活動をしている描き手(書き手)が作品を公開しているのは、人によって程度に差はあれどレスポンスを期待してのものだ。
何の反応もいらないのであれば、自分のノートなりスケッチブックなりPCなりで創作欲を発散出来ればいい。
そうではなく、見てほしい!読んでほしい!そして私のこの萌えに共感してほしい!という気持ちがあるからこそ、作品を公開している。
ポイントは、見て!読んで!だけではなく、何か反応して!という期待を抱いている創作者が大半だという点だ。
これは、同人誌即売会でもピクシブでもツイッターでも個人サイトでも共通している、創作者の欲であり目的なのだ。
気持ちを込めて創作した作品を見てもらって、それに対してのポジティブなレスポンスが貰えると喜びに繋がり、もっと頑張りたい上手くなりたい更に共感を得たいというやる気に発展するわけである。
ピクシブであればいいねやブクマ、ツイッターであればRTやいいね、個人サイトであればWeb拍手など、必ずしも言葉を必要としない手段だってある。
「感想」ではなく、この作品を創り出してよかった、描いてよかった、書いてよかった、と作者が感じられるような「手応えのある反応」が欲しいのだ。
イベント会場で自分のスペース前で立ち止まってくれる人がいない寂しさと、ネットで公開している作品の閲覧数だけがただただ増えていく切なさは、とてもよく似ていると思う。
このジャンルにいてもいいんだ、このCP界隈で自分を必要としてくれる人がいるんだ、という安心感が欲しい。
その安心感が、居心地の良さが、創作欲へと繋がっていき、ジャンルやCPへの愛着にもなる。逆もまた然り。
個人的な話ついでに。
私はいくつものジャンルを渡り歩いてきており、前回までのジャンルではいつも寂しさと孤独を抱えていた。
作品はそれなりに閲覧されているのに反応が全く無かったり、普段は何も反応が無いのに何かちょっとした不備があれば鬼の首を取ったかのように文句だけは長々と叩きつけられたり、SNSやイベントで仲良くしてもらっていると思っていた人たちから突然無視をされるという苛めに近いことがあったり。
最終的には心が折れて早々にジャンルから立ち去っても、気にしてくれる人など誰もいなかった。
ジャンルにはまる時の気持ちの大きさや熱量は同程度で、現在いるのは今までの中で一番マイナーである界隈なのに、なぜ現ジャンルが一番長いのか。
前ジャンルでSNSに疲れ切った私は、ピクシブもツイッターも退会して個人サイトにひきこもった。
(※創作者としてはアカウントを持っていないが、ROM専用の別名アカウントは持っている)
サイトサーチの運営者様には感謝しているが、正直なところあまり機能はしておらず、ピクシブを利用していた頃と比べれば閲覧数は格段に下がった。
しかし、サイトを訪れてくれる数少ない人たちは、皆さん懸命に「頑張れ!」「頑張れ!」と背中を押してくれる。
しかし、定期的にWeb拍手を押してくれたり、何か更新すれば一言掲示板に「新作読みました、面白かったです」と本当に一言だけだけれど書き込んでくれたり、イベントに出れば本を手に取ってくださる時に「いつも読んでます、これからも頑張って」と一言声を掛けてもらえたり。
そのひとつひとつに心から「ありがとう」と思っているし、その感謝が新たな作品を創りたい欲へとなっているし、口下手ではあるがなるべく御礼を伝えている。
頻度は多くなくとも、あたたかく手応えのある反応があるからこそ、私の同人活動は続いているのだ。
だからどうか、読み手の方は好きな作者の方へ「手応えのある反応」を贈ってほしい。
それは次の作品を催促しているとかジャンルへ留めておくための手段などではなく、作者の創作魂を殺さないための支えのひとつだ。
同人活動は趣味であるから、作者も読者もジャンルから離れることはあるだろうし、それを止めることなど出来ない。
だが、同じものを好きだという気持ちを共有している間は、「作品」と「手応えのある反応」を贈り合うレスポンスループが幸せなのではないかと、私はそう思う。
時々自虐を挟んで同情誘ってるけど、それは謙虚に自己抑制をしてますよーと見せかけてる。
自分はやべぇ奴なんだと言い出す人って、そう本気では思ってなくて、己のことが可愛くて正確に客観視はできてないんだよね。
他の方が言ってるように感想送ればよかったとは言わない。感想は本人のモチベ上がる可能性はあるかもだけど、送ったところで相手の活動を強制するものではないし、ジャンルにそのまま留まるとは限らないから。
というか何を作るなんて自由だし、創作する上での目的なんて人それぞれなのが創作でしょうよ。
最大限に気持ち悪いのが、なんで他人が増田の思い通りじゃないといけないのかってところ。
人の自由を認めてあげない時点で酷い。
増田の創作におけるその固定観念、何を根拠にどこまで通用すると思ってるんだろうか。宗旨替えしちゃいけない法律なんかどこにもないのに、何様目線?
増田からAさんのためにしてあげたこと、何一つないんでしょ。徹頭徹尾、貰いっぱなしの受身のままでいたのに陰で文句を言える立場?
「好きになったものは一途だと自称する増田こそが地雷を理由にAさんを裏切った」の間違いでは?
Aさんがまるで自分のために作品を作ってくれてたみたいに、勘違いしてるところあるよね。
感情に訴えて、脳内片想いBLや百合に変換できる人達に対して綺麗で共感してもらいやすい文章を書いてるけど、あの人自分のためのA×B萌え製造機ではなくなったんだよ!悔しい!ってだけじゃない。
ROM専ならまだしも、同じ作り手の立場で描くCP変えたら即裏切り者扱いとかね。
けどそれを絶対悪と責めていいのが当然なら、誰も二次創作なんかしなくなるね。
嫌だもん、ずっと私好みの話を作り続けろなんて面倒くさいのが粘着してくるなんて。
創作者は同じものを生産し続けるメーカーなんかじゃない。思い思いのアートを紡いで作品作ってるんだよ。それをわきまえずに創作者を名乗らんでくれ。
ずっと好きなものは変わらないといいながら、もうAさんのことは好きか嫌いかわからんみたいなことを述べる矛盾はどうなのさ。
当人の作る作品好きだからカプ変わっても好き、までには至らなかったわけでしょ。
結局Aさんの作品よりカプ優先。条件付きの好意だからカプにだけ一途ってことだよね。
作る作品が地雷になった=増田にとって都合が悪くなった、だからこうやって文章公開して攻撃してOK。
これだけ都合よく使われる一途ったらない(笑)
この話がAさんに届いたとして、察しのいい人ならもしかして自分のことかと思うかもね。
Aさんではなく思い当たる人も、傷ついたでしょう。
実際Aさんのこと、傷つけてやりたいんでしょ?
悪意の意図が透けて意地汚い。
今までさんざん行動しなかったのに、遅きに失したところで遠回しに恨みつらみを吐くなんて陰湿極まりない。
つらいよーってドタバタ騒いでるけど、あなたは間違いなくつらいと話す他人の痛みは100年我慢できる。
愛憎とかタイトルでカッコつけたこと言ってるけど、Aさんはただの作品製造機であり、好きなのは一貫して萌えるA×Bだけ。
他人に供給源作ってもらえなくなった!!ヤダーー!!って話を大袈裟にしたまでのこと。
仮にもファンだったこと、自身も創作者を謳っておきながら、こんな安全なとこで自己愛に酔うってのが片腹痛い。
みんな優しい言葉コメントしてあげててめちゃくちゃ気を使ってて、ほんと聖人だと思った。
これに賛同したり許容して、中には私は過激な行為した、同じ考えだからメールしてとかくだらないことほざいてる人もいて笑うけどさ。
私が言いたいのは固定がダメ、雑食ぐらい許せってことではないよ。
今のジャンルには最近ハマったばかりで歴が浅いうえ、それほど面白い話も書くことが出来るわけでもないため、Twitterを中心に底辺で好き勝手に作品を上げて活動している。
別に大手なわけじゃない。素晴らしい作品が書くことが出来るわけでもない。好きだと言ってくれる人はいるものの、ファンがたくさんいるわけでもない。
それなのに、つい最近、ことごとくやることなすこと真似ばかりされていることに、激しく苛立ちを覚えたので吐き出したかった。
Twitterで相互にフォローをしているA氏がいる。A氏は文字書きだが、ROM専門よりであることを自分で言っており、あまり作品をTwitterやpixiv等に上げることはない。
私がA氏と繋がって長いのだが、近頃、A氏がやたら私の真似をするなと思うようになった。
きっかけは、私が上げたとある作品の数時間後にA氏も同じような作品を上げたことだ。
同じような題材、同じような書き方。
その時は「何だか似ている作品を上げているなぁ」としか思わなかった。
しかし、A氏はいつも私が作品をTwitterに上げた後に、似たような作品をTwitterに上げるようになった。
しかも、A氏はそれをいかにも自分が考えたようにTwitterに上げる。
【△△で作品作ってみました///】といったように、さも自分が先駆者であるような言いぶりで、私のものに似た作品を上げる。
その時はA氏とは相互フォロワーであり、ミュート等の設定もしていなかったため、何度も自分の作品に似た、A氏の作品を見ることになった。
ネタが被る。書き方が被る。
何度も続くと真似やパクリを疑いたくなったが、私は底辺の文字書き。
私なんかを真似する理由もないなと思ったし、何よりも騒ぎ立てることで「自意識過剰すぎだろ」と言われるのが怖かったため、何も言わなかったが、作品を上げることを控えるようになった。
すると、A氏もTwitterに作品を上げることがなくなった。
私が作品を上げていた時は数時間後に似たような作品を上げていたのに、ぱったりと作品を上げるのをやめたA氏を見て、自分が真似されている確証はなかったものの、すごく嫌な気分になった。
なんだか作品作りをする気力がそげてしまったため、一度息抜きをしようと私はフォロワーさんたちと会話を始めるようになった。
創作の話は勿論、フォロワーさんの日常生活等の話をしていたのだが、また、A氏が出てきた。
A氏は私がリプライを飛ばした相手にすべてリプライを飛ばしていた。しかも、リプライの内容が私とほぼ丸被り。
勿論、この時だって、自分の勘違いだろう、私は自意識過剰なんだと思おうとしたが、それにしたって内容が被りすぎている。
フェイクを入れるが、フォロワーさんのとある作品に対して「この作品、泣き出しそうな表情が素敵で堪らなくいいです…!」と私が、リプを送れば、その数時間後、早ければ数分後に「泣き出しそうな表情が素敵…!」とか、「●●さんの作品が素敵なのでフォローさせてもらいました!」と私が送れば「●●さんの作品が素敵でフォローしました!」いった感じで、リプライの内容まで被る。
間違い探しじゃないかと思うくらい似たようなリプライが続いた。
一回、二回であれば時間や内容が被っても変には思わない。そもそもA氏とは共通のフォロワーも多いため、リプライの時間が偶々被っても物凄く違和感があるわけじゃない。
内容も被ってしまうことはあるかもしれない。
さすがに違和感があるなと、腹に据えかねて、私はAさんに対し、メッセージを送った。
作品の件もそうだが、A氏と共通の私のフォロワーさんに対するリプライも似たような感じであまりいい気分がしない。
「なんだか私のリプライとか作品作りとかと被ってあんまりいい気がしないな~」というような軽いノリでA氏にメッセージを送ったところ、帰ってきた答えは【あなたが面白そうなことをやっていたため、真似した】というものだった。
悪びれもしないが、いかに自分が悪くないかという文章が長文でつらつらと書き連ねてあった。
ただ、私がやっていることが楽しそうだから真似した、それだけの理由だった。
今私のいるジャンルは、昔、大手サークル間のネタパク事件で話題になり、ネタパクされた側のサークルが筆を折ってしまったことで有名なジャンルだ。
A氏はその筆を折ってしまったサークルさんが好きであったということもあり、以前その話題で話したことがある。
それを見て「はああ?」と思った。何を言ってるんだろう、こいつはと。正直ぶん殴りたくて仕方なかった。
少なくともどんなに底辺でもどんなに面白い作品が作れなくても、ネタ作りには必死になるし、ない頭を必死にこねくり回してどうすれば面白いのが出来るだろうかと逡巡する。
そうしてようやくできた作品を、【面白そうだから】という理由だけで真似されるのは腹が立って仕方ない。
いや、【面白そうだから】と理由だけで真似がされたことに怒っているというよりも、真似された挙句、【さも自分が先駆者です】と言わんばかりようにツイートされたのが腹が立って仕方がなかった。
例えば、A氏が「●さん(私)がやっていたから、面白そうで真似しました~」という一言があれば、私はここまで苛立たなかっただろう。
さも自分で考えたように、自分で生み出したように言っていることに対してこんなにも腹が立っているのだと思う。
とある人は「作品が作成された時間を見れば、どっちが先であるのだからわかる。パクリパクられは簡単に判別がつくものだ」という。
しかし、作成した時間まで見る人は少ない。それが24時間以上過ぎてしまえばなおのことだ。
例えば、私よりもA氏の作った作品がより高い評価を受けたとする。それは私の技術不足であり、A氏の方が技術を多々持っていたため、沢山の人に高い評価を受けたということだろう。
しかし、先に作ったのは私であり、A氏ではない。それをA氏がさも自分が作ったように言いはればどうだろう。
私の作品がむしろパクリであるというふうに取られかねないだろうか。
リプライについても同様だ。
先に考えたのは、私なのに、なんとも理不尽な話だ。
今のところそのようなことはないのだが、そんなことが起きるのではないかと思い私はTwitterに作品を上げることが出来ないでいる。
また、真似されるのではないかという恐怖が付きまとい、作品を作る意欲は多大に削られているのが現状だ。
A氏が「私の作品にインスピレーションを受けました!」とでも言えば、私は許したのか。
答えはきっとノーだ。
なぜなら、インスピレーションというにはA氏の言動や作品はあまりに被りすぎている。
この人の作品が好き!自分も作ってみたい。自分も真似してより良いものを作ってみたい!
けれど、さも自分が始めたような言い草で、話を進めてしまえば、それを考えた人を傷つけることになる。
そして、そうやって傷付けられた人間は創作意欲を失うことは身をもって学んだため、それだけはしないように気をつけたいと思った。
平成生まれ、今までずっとROM専だった私が、結婚してから同人活動を始めたらとんでもなく楽しいっていう話。
腐女子になったのは小学生だったかな?きっかけは従兄弟に読ませてもらった某少年漫画のweb二次創作小説。今までそんな世界があることを知らなかった私はそれはもうのめり込んだ。だって今まで原作しか語られなかった好きなキャラの、過去や未来やifが読めるなんて!元々本を読むのが好きだったのもあって、好きな作品のありとあらゆる小説を、漫画を、BLもオールキャラギャグも夢も読みまくった。
ただ、きっかけがwebだったから、イベントの存在なんか知らなくて、もちろん二次創作雑誌も知らなくて、リンクやサーチを廻ってはROMするだけの毎日。周りの友達にそういう話は一切しなかったから、感想などをいう人もいないし、自分で二次創作もしないし、ただただ読むだけの受け手だった。
ROM専だったのは、自分の知らない物語を読むのが好き、から入ったせいで完全雑食なのも理由だと思う。本当に駄目なものがなくて、周りには沢山の知らないお話があって、それだけで満たされていたから。自分で創作する必要がなかった。
もうどうしても感想とかを言いたくて、ツイッター垢をとって。そこからイラストを描きはじめて。ツイッターでみんな即売会の話をしてるから興味を持って。
実際行ったら私の知らない世界だった。みんなとってもキラキラしてた。熱気が凄かった。一体感があった。みんなの好きが溢れてて、テンションマックスになって、思わず涙ぐんでしまった。
スポーツとかで感動した時とか、心臓破裂しそうになってドキドキして、涙が出そうになるときあるじゃん?あれと同じだった。本当に凄かった。みんな、こんな楽しい空間を知ってたのか!!って思った。
一度その空気を味わったらもう駄目だった。向こう側の空気も知りたくなった。一般参加でこんなに最高の空間なら、サークル参加してしまったらどうなるんだろう?って。気がついたらサークル申し込みをしていた。
サークル参加するからには、なんとしてでも本を出したかった。スペースの上に本があるのに憧れたから。全然慣れないイラストで、人生ではじめての入稿をした。
最近はいいよね、知りたいことは大抵ネットに載ってるから。同人友達がいなくても、気軽に聞ける人がいなくても、自分だけでなんとかなるもの。
当日。
3人の人が本を買ってくれた。まさかだった。実はジャンル最大手CPなので他に沢山の素晴らしい作品があったから、お世辞にも上手いとは言えないイラスト本(愛と気持ちは込めたけど)に出すお金は余るとは思えなかったから。だって凄くない?沢山あるスペの中で、沢山ある本の中で、限りある予算の中で、私の本を買ってくれるなんて!!って。3人だよ3人。凄い。
他にもハンドメイドグッズを出してたんだけど、わざわざお品書きを印刷して買いに来てくれた方とか、通りすぎようとして戻ってきて買ってくれた方とかいて。本当になんかもうサークル参加してよかった、って思った。
買ってもらえたとき、買わなくても立ち止まって見てくれたとき、もう心臓バクバクで。例えるならスポーツで一発逆転大チャンスのときみたいな興奮で。これは病みつきになってしまう、って思った。
同人誌出したら、出さなかった頃の側にはもう二度と戻れない、って言われる理由がわかった。
誰にも買ってもらえなくても、全然気にしないつもりだったから余計にそう思ったのかもしれない。
このジャンルにはまるまではROM専だったから、イラストなんか描いてなかったし、お世辞にも上手いとは言えない絵で。
ただ大きなジャンルだからサンプルはまあまあの人に見てもらえたんだよね。それだけでもテンション上がってて、もう満足だった。
沢山の人に見て欲しいとか、勿論承認欲求もある。でも元々ROM専だから感想もらえたらラッキーぐらいのテンションだったし。サークル参加の空気を吸いたかっただけで参加したから。
でももう私は知ってしまった、他人に自分の創作物を認識してもらう快感を。手にとってもらえる感動を。イベントの空気を。参加者の一体感を。あれはシャブだね。本当にすごい。死ぬほど楽しい。やばい。語彙力がないけど本当に本当に筆舌に尽くしがたいものがある。
ここまで書いて結婚のけの字も出してないことに気づいてしまった。
同人活動にはまるのに年齢は関係ないし、遅くてもすごく楽しんでるよ、って世の中に言いたい。私は今毎日楽しいし、次どうしよう、って何を描こう、って思ってる。
勿論パートナーの理解があるからこそ楽しめてる、っていうのはあるけど、結婚してるから、って思わなくていいよ、って言いたい。
ありがちな話だけど、pixivやtwitterでの評価を氣にしすぎて楽しく二次創作活動ができなくなった
twitterはやってなかったので同ジャンルの人と特に交流をしたことはない、オフ本も出したことはない
好きな作家さんからブクマがついたり、pixivで相互フォローになってたりするとほっこりした
ただ当時大学生でリアルの生活のほうが忙しかったのと、原作が終了したこともあり徐々に熱が落ち着いていき投稿しなくなった
アニメを見てむちゃくちゃに興奮し、萌えのままに小説を書きpixivに投稿した
この時初めて「同ジャンルの人と交流したい」という気持ちが芽生え、twitterを作った
すごく楽しくて転がり落ちるようにのめり込んだ、当時仕事があまり忙しくなかったこともありあっという間に同人が生活・交流の中心になった
「いつみ見てます」「あなたの話が好きです」という言葉、差し入れの山、回り続けるブクマ、どれもが麻薬のようだった
そのうち、それなしでは小説が書けなくなっていった
どうすれば売れるか、どうすればちやほやしてもらえるかばかりを考えて話を書くようになった
目立つ大手の絵描きや文字書きとだけ交流したい、(自分が思う)下手な人、ROM専とは交流したくないと思うようになった
自分よりブクマがついている人、売れている人を妬むようになった
自分が書いているのは「小説」なんだというよく分からない自意識に取り憑かれていた
原作に対する萌えを失ってもなお、1年くらいは承認欲求のために小説を書いていた
早速二次小説を書き始めたが、動機は萌えのままというのももちろんあったが、pixivやtwitterでそのカプがそれなりに盛り上がっていたからだった
2つの前ジャンルである程度の読者を集めていたから、このジャンルでも読んでもらえる、ちやほやしてもらえるに違いないというゲスい考えのもと小説を書いた
ジャンル者のtwitterはフォローしなかったし、新ジャンル用のアカウントも作らなかった
既に多数のフォロワーがいる今のアカウントを使った方が箔がつくと思ったのと、このジャンルで投稿を始めてからのほうがフォロバしてもらえると踏んでいたからだ
数ヶ月書けて書いた大作を投稿した、SNSは期待の新人が現れた!と自分の話題で持ちきりになると信じてやまなかった
結果は爆死もいいところだった
途端にジャンルに対する熱がすーっと冷めていった
ジャンルBの人もCの人も、爆死した自分をあざ笑っているのではないかという感覚に陥った
せめてtwitterのアカウント分けをしていれば恥さらしにならなかったかもしれない、別人として振る舞えばよかったと後悔した
それでもCジャンルで書きたいという気持ちはまだあるから、自分の中にある小説を書くことへの原動力が、100%の承認欲求だけではないのだと思いたい
今、どうやったら二次小説を楽しくかけるのか完全にわからなくなってしまった
冷静に考えれば、ジャンルCで投稿した話には上で書いたようなゲスい自意識が滲み出すぎていたんだと思う
ジャンルAやジャンルB初期に書いていた話は、推敲も全然していないし日本語もめちゃくちゃ、自分が見下してきた二次小説そのものだけれど読んでてとてもわくわくした、純粋に元の作品が好きで書いたんだろうなという感じがする
ジャンルB後期は「日本語うまいね」「文章がきれいだね」と言われることはあっても、「萌えました」と言われることは格段に減っていた
承認欲求が悪いこととは今でも思っていないけど、自分はあまりにもそれにまみれすぎてしまった
私は2ちゃんねるが好きな女オタクだ。今は5ちゃんねるになっちゃったけど。
所謂ROM専ではなく、たまに書き込みもする。でも最近それも疲れてきた。
掲示板に書き込むのに疲れるもクソもないだろと思う人もいると思う。疲れるのにもちゃんと理由があって、わざわざ男のふりして書き込まなきゃいけないからだ。
私のよく見るスレはアニメやゲーム関連のスレが多く、そういうスレの住人はほとんどが男性だ。だから、そこの書き込みに自然に混ざるには男のふりをしなきゃいけない。自分のいつも使っている言葉遣いで書き込むと、「女は入ってくるな」なんて言われるし。
当然、2ちゃんねるの歴史はほとんどが男性が作り上げてきたものだというのは私も知っている。だから、女性が男性に合わせるのも当然っちゃ当然だろう。
でもやっぱり、わざわざ異性のふりをするのは疲れる。だから、しばらく女性の多い板に籠って、ナチュラルなレスのやり取りを楽しんでみようと思う。
はてなブックマークってある記事に対して自分の言いたいことを書いてブックマークするサービスで、
記事の作成者ははてブのサイトを見れば「自分の記事に対して誰がどんなことを書いてるか」がわかるけど、
そのブックマークにどんな罵詈雑言が書いてあっても、記事作成者とそのブックマークしたユーザーとは(はてブのサービス内では)意思疎通できない。
だからブックマークする側は、記事作成者が傷つくとわかる内容でも好き勝手書けるわけで、記事作成する側としてはすごい怖いサービスだと思う…
自分はROM専であんまりブックマークすることはないんだけど、はてブのコメント見てると「なんで一方通行だからってそこまで酷いこと書けるのかね」ってコメントあって怖いわ。
元がガラケーサイトというだけあってかネット界隈で最低レベルの民度であり、
僕は爆サイを覗くのが好きだ。
いい大人たちが、本気の罵り合いをしたり、悪口を吐いたりしている。
僕はもっぱら見るばかりのROM専で、書き込むことはしない。
思いっきり僕の会社の社員に向けた悪口(一文字だけ伏字だがほぼ実名で)が書かれていた。
一文字だけ伏せられていたというのもあるし、
その名前から思い当たる人間は割とありふれた名前の人だったから、
まあ名前が似てるだけの人だろうという結論にいた・・・りたかった。
そのスレをどんどん読み進めていくと、
社名なんかまではっきりと出るようになった。
しかも、エピソード的に、僕は書いた人間まで分かってしまったのだ。
書いた人は、数個上の女性社員だった。
僕は彼女を優しい人だと思っていたし、
普段ROM専だからトラックバックこれでできてるか自信ないし、少し前の投稿だから投稿者の目にとまるかもわからないけど。
同じく宮廷(笑)の修士卒見込みとして就活してる身として、とても気にかかったので…。
博士じゃなくて修士という前提で書きます。博士課程の方だったらごめんなさい。
修士課程の論文は努力賞って言われることもあるくらいだし、もう少し自分への研究面での負荷を減らせるといいなと思います。
もちろん研究して当然って空気はよくわかります。研究>>就活って思考の教授がいることも知っています。
でも、明らかに投稿者さんはキャパオーバーの段階だと思う。教授に事情を話して、研究のペースを落とさせてもらえないか交渉できないのかな。
同じように自分を追い詰めて潰れてしまった人を知っているからとても気にかかります。
潰れる前に負荷を減らせたらいいな…。
増田でもブログでもtiwitterでも、過去何度も経験している。
実生活において、辛辣な言葉を浴びせられること、侮蔑的な言葉で罵倒されること、は少ないけれどもそれも無くはない。
そのような批判に対して真っ向から反論した際に、何故ここまで話にならないんだろう、こっちの話聞いてるのかな、と疑問を持つことも多い。
色々と分析して分かった、そうした批判的な意見を受けた際に注意しておくべきことがあるので書いておく。
○批判には大きく分けて3つあると考えている。
2.文章を読む中で自分が気に入らないことがあると、主張を考慮せずに、その表現に噛みつくような批判
3.一見批判しているようで、実はそれを借りて自分が言いたいことを言っているだけのもの
言うまでも無く、タチが悪いのが、2と3
○2について
例えば、「主張をした後にその例を挙げる」パターンで何か意見を言ったとする。
まず、文章に表現の間違いがあれば、まずそこで揚げ足を取ってくる。
そして、例示に噛みつくものの、そもそも主旨を理解しないまま書き込んでくるから、話にならない。
(肝心な部分のそれを指摘しても、無視あるいは人格非難に走る)
→主張、意図を組めない人とはそれ以上話をしない
○3について
その実、普段から自分が不満に思っていること、主張したいことを、
たとえこっちの主旨から離れている内容でも、我が物顔で押し付けてくる。
関連するキーワードのみに反射的に反応するきらいがあり、いつまでも議論が平行線を辿る(本来の主張が別のものであるから当然)ことが多い。
→ストレス溜まってそうなら相手にしない、あるいは聞き役に徹する
2ちゃんとかは本当にこれが多い。
コミュニケーションを取るのはラインがメインで、それ自体は数年前から使ってる。
けど、中高一貫の男子校に通っていたときは要件を短く送るのが普通で、「!」なんて使ってるやつがいたら、「なんでそんなに興奮してるの?」ってみんなに突っ込まれてた。
ところが、大学生になって出会う人ほとんどが、語尾に句点を付けるんじゃなくて「!」を使ってくる。
おれ、そんなに驚かれるようなこと言った?って聞くと笑われるし、驚かなかったら、気難しそうとか言われる。
なんかもう最近は怖すぎて、グループラインでは発言できなくなってきて,rom専だ。
円滑にコミュニケーションをとるためには、もっと驚かないといけないのか?
ほんとに教えてほしい。
特別なにかキッカケがあったわけではない。過ごしていて、ふと気になった事を、その時に見た光景と、思考の移り変わりについて描写したモノだ。
はてなのフォーマットに自分の文章が表示されていて、それに対して反応が起こっているのを眺めるのは、何か不思議な感覚と、素直に嬉しい気持ちがあった。
いつもは読むだけで特にブックマークやコメントをするでもなく、面白い場所だなぁと傍観する立場だったので、その場所を形成する要素の一員となった気がして嬉しかったのだ。見ているだけじゃ分からなかったし、想像もしなかった事なので、思わぬ体験だった。
日常生活で、自分の感情や思考について、そのまま全てをさらけ出す事はあまりない。
既に出来上がってしまった自己像を踏まえた上で、逸脱しないように。そして今後つきあっていく事も含めた上で、損なわないように。「今までとこれから」からは絶対に離れられない。
かつて、そういった、しがらみから解放されるタメに、ネットへ居場所を求めた。
顔も本名も知らない人たちと自由な交流をしてきたつもりが、気づけば10年以上も付き合いが続いた。
顔や年齢、家族や仕事についてもお互いに知っているような関係に進んでいて、実生活で知り合った人たちよりもよっぽど付き合いの長い事も多い。そんな人たちも見ている中で、まとまった量の文章を、気兼ねなくブログなどに投稿するのは気が引けてしまうようになった。
そんな不自由を感じていたときに、ふと思い立ち、はてなを開いた。
今までの自分に甘える事も無く、この発言をした後の責任を取る必要も無く、誰でもない誰かとして文章を書いた。
自分が誰であるか説明する事もなく、その時の感覚についてだけ集中して書けば良かった。
自分が自分として振る舞わなくて良い事が、こんなにも楽だったとは。
いつになく新鮮な気持ちになれて、居心地がよくなった。
といっても、嫁はただアプリに並ぶ記事を読むだけでブコメは愚かブクマすらしないROM専だが。
そんな中、先日料理を振る舞ったのだが、それを見た嫁の一言目は「これ増田でみたやつだー!」だった。
「へー、ほんとにおいしいね。」などといいながらももぐもぐと食べ続けている妻には知られていない事実が一つある。
それだけじゃない。
先日笑ってくれたそのネタも、世の中に対する憤りに共感してくれたそのネタも、おれの書いた増田だ。
ところでわがやのセックスレスを題材にした増田を、君は読んでくれただろうか。
あれだけ伸びた増田を読んでないとは言わせないよ。
ねぇ。だったら今夜久しぶりにどうだい?
もしこの増田を読んだら、今夜はいつものよりも少し値段の張るあのハイボールを出しておくれ。それが合図だ。
時間を忘れるくらいに熱くまぐわろう。
そうして無事にせいこうできたら、それをネタにまた増田を書くんだ。
私がどれだけお前を愛しているか思いの丈を熱く書き連ねるよ。
そしてそれをみたはてなー男子は、今夜妻を抱いてそれを増田に書くのだ!
もしボクがダメでも、増田がせいこうできたことをはてなーに思い知らせてやるんだ!
You are not the 増田 but You are a 増田.
I am not that 増田 but I am the 増田.
because we are 増田!
増田 we are!増田 we are!増田 we are!
増田 we are!増田 we are!増田 we are!
増田 we are!増田 we are!増田 we are!
今期こそ、全社を挙げて移行すると主張している。
自分が提案したリニューアルの提案や売上増につながる新たな施策は、
ことごとく無視され、まったくノータッチのまま、新たな経営方針が決まった。
その内容は、以前に提案したものとほとんど同じだったが、核となるターゲットは違っていた。
最初に提案した2009年、遅くとも2013年あたりにに実行していれば、
何度も繰り返した提案は、いずれも上司のもとで止まっていたのだろう。
オンライン重視を掲げつつ、実務はアナログベースの旧態依然のまま。
スマートフォンが普及し、世の中は、確かにインターネットユーザーは増えた。
2000年代に若者だった1970年代生まれ以降の世代が高齢になれば、
しかし、その使われ方は、身内でのやり取りが中心で、
昔、勢いがあった頃のインターネットは、趣味や嗜好が同じ無数の他人との交流が中心だった。
もちろん、ROM専の人も多かったけれど、とにかく、匿名で何でも書ける雰囲気があった。
「ネット上で発信すること」の影響力が大きくなり、制約が増えてきたと感じる。
ここでさえ、所属を特定されないように、ぼやかして書くしかない。
言いたいことは、誰にも言えず、リアルな叫びは、ネット上には、どこにも残せない。
ネットに残らない情報/言葉は、すべて「なかったこと」になる。
自分の人生の痕跡はどこにも残らない。結局、何者にもなれなかった。
アーティストや漫画家など、クリエイティブ面で実績を残した著名人は40代で亡くなる人も多い。
「人生は40年」とすると、残り数年。残りわずかな人生に悔いのないよう、本当に書きたいこと、伝えたいことを書き綴りたい。
正当な評価を得られず、創業者や上司に振り回されるばかりの仕事より、プライベートを充実させたほうがいいと、ようやく気づいた。
プログラミングや工作系は始めてから長いこと経つが、たまに思い出したようにやるくらいで毎日はしていないし、最後まで完成させるほどやる気が続かない。
部活などで運動するのは好きだったが、部活に入っていない今は運動後に汗を処理しなきゃいけないのや翌日体が痛くなることを考えると自発的にやろうとは思わない。
誰かに誘われたらやるけど。
小さい時から好きだったゲームは起動してからスタート画面が表示されるまでの時間で萎えてしまい全然やっていない。
また特に気に入ったゲームも成績に伸び悩んでからはプレイする頻度が急激に減り、今は気分転換で軽くプレイするぐらい。
音楽は毎日のようにsoundcloudで垂れ流ししているが、何のジャンルが好きかと聞かれるとうまく説明できない。
アニメは録画鯖を立てて観ているが、どんなに好きな作品が出来ても数日経てばキャラの名前や物語を忘れてしまう。
ここ1年位は消費するのが面倒になって週1本くらいしか見ていない。
もう30分間画面を見続けるのが辛いと感じるようになってしまった。
最近はtwitterのTLかはてブの新着・人気記事一覧を眺めていることしかしていない。
何もしなくても新しい情報が入ってくるのが楽しすぎてやめようと思ってもやめられない。