はてなキーワード: Rom専とは
いろんな人と社交的に暮らすのって大変なんだなぁと思った
今は学生だからほとんどガチぼっちでもそこそこ快適に暮らせてるけど
授業とか仕事とかで迷惑をかけるのは嫌だから予習復習宿題グループ課題はきっちり行うけど
プライベートでの世間話が全く思いつかないし自分の興味が無いネタを仕入れようとも思わない
たまたまむこうがアニメオタクとかだったら多少は弾むけどそうじゃなかったら何の話もできない
まぁむこうがオタクでもその場しのぎの会話はできるけど深い付き合いにはまずならない
twitterもpixivもやってるけど全部ROM専で交流は全くしない
リアルでもサークルとかの飲み会に本当に数少ない友達に誘われて参加しても、酒が飲めないから酔っぱらってはしゃいでいる周りを
「はしゃいでるなー」とただ見るだけ
輪に入ってはしゃいだことは一度もない
多分見た目は上の下くらいだし性格も害はないから小学校の時以降は(周りに恵まれたからか)いじめられたことは無い
数少ない友達からその子の学部の人間関係の愚痴とか噂話を聞くたびにそう思う
あと、その子から「●はこういうはなししても絶対漏らさないから信用できるー♪」と言われるけど
それは決して私の性格が良くて真面目だからという一点のポジティブな理由じゃない
ただ単純に興味がないから一々それをまた人に話そうとか思わない
その子のことは好きだし大切に思ってるから”その子の”友人関係やら恋人関係は覚えてるけどそれ以外は忘れてしまう
あとまた人に伝えられるほどそんな話を気軽にできる友人なんていない
人の噂話を聞く時間や他のグループで誰がどういう立ち位置にいるのかとか誰と誰が付き合ってるっぽいかを観察する時間があるんだったら
好きな芸人のラジオを聴きながらpixivで好きなジャンルの絵を見たり電子書籍で漫画をひたすら読んでいたい
今は学生だし周りにも相当恵まれてるからこれでなんとか成り立ってるしヤバいと思ったことはほぼないけど
今になって少し焦ってきた
でもまぁ結局焦るだけ焦って結局全く努力しないで無駄に精神削るだけなんだろうな
いつものことだな
学校だけとか会社だけとかの同僚やら上司やらとかかわるのは嫌だけど趣味の友達はバンバン作るっていうのが普通なんだろうけど
多分根っからのストーカー気質なのか信じられないくらいの自己中なんだと思う
あと、自分の中にもう一人の自分がいる感覚があるからそいつに無意識に話しかけることで満たされているんだと思う
こういうただ一人が好きなだけでも社会人になって周りと交流を持たなかったら
「あいつ斜に構えてるwwかっこいいと思ってんのアレww」とか馬鹿にされるんだろうな
ていうか今までだって馬鹿にされてるんだろうし馬鹿にすること自体は全然かまわない
ただそれを私自身に感づかせないでほしいだけなんだ
でもまぁそんなわけにはいかないんだろうなーめんどくさい
人とかかわりを持つのがめんどくさい
趣味でも人とつながりたいと思えない
小さい頃から親の影響でゲーム・マンガ・小説・アニメ等々オタクの英才教育を受けてきた。
初めは中学生の時出会った夢小説をきっかけに夢女子として。サイトを作って小説を書いたり、色んな人とリンクを繋げて交流をし、ランキングサイトにも登録をしていた。
腐女子になったのは高校生になってから。某支部で見かけた小説を見て、自分でも形にしてみたくなったものを細々と投稿していった。
最近はスマートフォンのゲームに夢中だった。そこで私は初めてツイッターを始めた。
サイト時代は絵チャやチャットを偶にして交流していた私は、サイトから支部へ活動を移してから何年も長らく他の人との交流をしていなかった。アニメを見て萌えた事は小説に全てぶつけ、マンガを読んで叫びたい程萌えた事も小説にぶつけていた。
そんな私がツイッターを初め、支部に「始めました」とリンクを貼った後。支部でフォローしてくれていた人達が話し掛けてくれた。リアルタイムで萌え語りをした。それはもうとてつもない喜びだった。
支部に投稿したとツイッターで呟けば今までよりも沢山の人が反応をくれた。フォロワーも増えた。それに比例して今まで以上に作品を書くようになった。反応を貰えるのが嬉しくてツイッターのサービスを利用して短編も定期的に上げるようになった。とても充実していた。
そんな私が最近、好きだった作家さんや絵師さんすら追うことも無くなった。小説はもちろん萌え語りすらやめてしまった。熱をすっかり無くしてしまったのだ。
今ハマっているスマートフォンのゲーム、仮に作品名をゲームAとしよう。ゲームAは若い人が多い。そして、配信が始まったばかりか人口はとても少なかった。そこから話題になるにつれ人は増えていき、作家も絵師もROM専も増えていった。
私の支部のフォロワーも、ツイッターのフォロワーもありがたいことに沢山増えた。感想も沢山貰う事が出来た。前々ジャンルから知っていて同じ作品内で活動出来る事が嬉しいと言われたこともある。正直嬉しかった事も沢山あった。それ以上に気疲れしてしまった。
端的に言えばゲームAはトラブルが相次ぐ界隈となってしまったのだ。音源や映像の無断転載、公式イラストへの加筆・加工、度重なる公式の運営に対する炎上、等々。
今まで支部に引きこもっていた私がツイッターに来てしまったばかりに目に付くようになってしまっただけかもしれない。それでもあまりにも多過ぎる。
そしてトドメが人間関係。鍵垢なんてロクなものではない。まるで学生時代の派閥争いを見ているようだった。いざこざが原因で垢消しをした人はもう何人も見ている。その度に私の中の何かが擦り切れていた気がする。
気が付けば新規の話すら追わず、カードを揃える気力も無くし、つい最近あれだけ開いて検索を繰り返していたツイッターももう二週間開いていない事に気が付いた。あれだけ好きだった人々の新規の作品を見ても何も沸いてこない。ぽっかりと何かを無くしてしまった気分だ。
今までは新しいものにハマりジャンルを移動することばかりだったので、今回のようにただ興味を無くして燃え尽きてしまうことは初めてだ。好きになった過去のキャラは未だに好きなのにゲームAの作品のキャラは無味無臭、本当に何の気持ちも浮かんで来ない。あんなに夢中になってゲームを進め、飽きる程ネタが浮かぶものだからその都度作品を書き上げていたのに。アプリを開く気も無くなってしまった。
皆さんは一度でも萌えをお休みしたことがあるんでしょうか。カップリングもそうですが、今はキャラ萌えすら全く無い。小さい頃から何かしらの作品にハマり、常に推しキャラが居た私は今の状況がとても心許ない。人生の楽しみを半分以上奪われた気分だ。
私はまた何かにハマれるのか、それが分からなくて、今までのとても楽しかった何か(主に創作意欲や視聴・読書欲)を無くした現状がとても怖い。
今はのんびりと何も考えずとも出来る、やり込んだ大好きなファミコンのゲームで楽しい気持ちのリハビリをしながら萌えをお休みしている。
https://note.mu/shiokona/n/n43ff70db7b1b
これね。
全体的に無知すぎて突っ込む気すら起きないけど一点だけ書いとくわ。
ないに決まってんだろ。性器無修正の「オタクイラスト」がどんだけあるんだよ。誰も見ないような個人サイトですら性器には修正かかってるし、かけなきゃプロバイダが速攻でBANするだろ。本社がアメリカだからで好き放題やろうとしたfc2ですら有罪判決受けてんだぞ。しかもfc2は実写だから無修正はまずもって国内では違法なのははっきりしてるが、「オタクイラスト」で同じ基準を持ち出してすんなり通るわけがないだろうが。当然、商業流通してるものに「わいせつ物」なんかあり得ないし(あり得ないからこそチャタレイ事件は裁判にまでなってんだよ)、同人誌も同様。それを「正式にわいせつ物認定」だって?言葉悪いけどさ、馬鹿も休み休み言えよ。
んで、今回に限らずだけど特にこの手の話題で目立つのが、こいつのように救いようのないバカで無知なくせにいっちょ噛みしてくる奴ら。
こいつもさ、これだけの駄文を長々書いてアップロードボタン押す前にちょっとでも考えなかったのかな?「私って法律とかいろいろ言及したけど知識不足じゃないかしら?」って思わなかったのかな?思わないんだよね、バカだから。無知だけどバカじゃない奴らは無知の知があるから黙ってるもんね。幸色のワンルームの時もいたよね、オタク男向けの作品だと思い込んで子供のために!と批判しまくったら実際は女子中高生から支持されてたと知ってnoteに駄文書き散らかしてツイ垢消した奴。「わいせつ物」「ゾーニング」「合法・違法」「モラル」なんて知ったかぶって使うくせに言葉の意味も知らないとかいうレベル。それで議論のステージに上がろうとしてくるってマジで共感性羞恥に襲われそうなくらい恥ずかしい。
無能な働き者って言葉があるが、なんでこういう奴がこの手の話題には多いんだろうと考えたんだよ。こいつも自称オタクらしいが、オタクなら自分の好きな作品鑑賞したり二次創作したりで忙しいもんなのにな。
結局のところこういう奴らってオタク活動においても充実してなくて暇なんだと思う。創作もできない、できても人気は出ない、読み専ROM専だけど買い漁るほど金もない。どんな活動も充実させるには金かクリエイティビティが必要だが、そのどっちもない奴ら。ツイッターで興味のある界隈を眺めてても注目されないからつまらない、私もいろいろ考えてるの!私の意見も聞いて!私は私は!って思いだけがバーストして、今回のようにオタク界隈(敷居が低そうに見える)の論争に異常な情熱を燃やすことになる。ラノベ(敷居が低そうに見える)なんかよく知らないけどゾーニングとか差別とか語ればそれっぽく見えるでしょっていうね。もちろん本人は本気で問題提起してるつもりなんだろうけど、リサーチもなければごく一般的な法知識すらない。なぜならバカだから。バカが注目されるためには雑な炎上しかないわけで、いろんな人が長年ああだこうだと精緻に議論している土俵に知識不足のまま乗り込んできて「これはわいせつ物だと思いまーす!」とかやらかす。
あのな、お前のようなバカのせいで175条という稀代の悪法が拡張されたら末代まで祟るからな。
バカの言う「あれもこれもわいせつでーす」が是認されることなどあり得ないが、せめてお前がしてることは議論を邪魔するだけのゴミの撒き散らしなんだと分かれ。無知でバカの暇人だからって真面目な議論の最中に議論ごっこを仕掛けるな。議論っぽいことをしたいならきのこたけのこ論争でもしてろ。
しかしなんだね、walkawayなんてことも言われるようになってきたらしいが、リベラルが正義と寛容を掲げる以上は無能なバカでも包摂せねばならないわけで、こういう奴らの意見(笑)ですらいちいち取り上げていかねばならんなら歩みは遅々として進まないのも当然というかね。意見を述べたいならまず勉強しろよと思っちゃうのも切り捨てになるのかねえ。
ここを訪れる者である限り、日記というものの慣例にしたがうべきだ。
日記に書くような題材をきちんと選び、日記のようにほぼ毎日書き続けなければならない。
ROM専門やブコメ専門、トラバ専門というのもありえない。それは卑怯者のすることだ。
自分の内から湧き上がるものがない者が、他人のそれに口をだす権利はない。
そう、ここはBBSではないし、まして煽り合い他人を嘲笑する場所でもない。
気が向いたときだけフラっとやってきて目に留まったものに噛みつく場所でもない。
自分の日記とともに、他の増田たちの日記も毎日これを読み返して、アノニマスな人々の日々に思いを馳せるためにあるのだ。
もう分かったと思うが、言及機能はあくまで従であって、自らの思いを吐き出す、他人の思いを受け止める、それが主たる場所なのだ。
増田の民たちよ、ゆめゆめ忘れることがないように。
誰にも伝わらなくていい自分用
ROM専鍵アカしか持っていなくて反論する術もないしわかってもらいたい相手もいないけど言われっぱなしは嫌なので。
百合が好きな男性を「百合豚クソオス」と呼び「百合に関わる女性ごと彼らの為のポルノ」と、百合の創作を楽しむすべての女性を踏み躙る発言、本当に許せない
百合を楽しむ男性、女性、異性愛者、同性愛者、すべての人にとってあまりにも失礼
私が百合を読んだり描いたりするのは「百合豚男」に「消費」されるためではない
女性と女性との間にある様々な関係性や物語に胸が高鳴り、自分の経験に重ね合わせたり、経験のない感情に思いを馳せたりして、その時に感じたことを自由に表現したいから
ちなみに「動く肉」という発言について「あの発言は悪くない」と言わないのは、あの発言が悪いと思っている人たちが誤読をしていて、私は発言者がどういう意図でその言葉を使ったのかわかっていて「悪い」と思っていないから(過激で誤読を生む言葉のチョイスだとは思うが)
リズと青い鳥の試写会の写真に百合が好きな女性が映っていないというけど、アニメ映画の試写会って内容に関わらず声優が好きな声優オタクが集まることもあるんじゃないですか?「リズと青い鳥の試写会に女性が少なくて男性が多い」は事実だけど「リズと青い鳥の試写会に女性の百合好きは少なくて男性の百合好きばかり」は妄想ですよ
あさがおと加瀬さん。がマイナビティーンズで女性限定試写会の募集をかけているのは、「百合豚」が10代女性を「消費」するためではなく、あさがおと加瀬さん。という作品が君に届けのような少女漫画風の作品だからじゃないですか?
百合憎しで目が曇り、自由な心で創作活動や百合作品を楽しむ人々を「男様の奴隷」というような言葉で踏み躙るのはやめてもらいたい
ネット上で好き放題に中傷しまくる者がおり、それに対し度が過ぎるほどに制裁する正義マンがおり、「もはやどっちが悪だか分からんな」と冷静に傍観しているふうを装いつつも段々とヒートアップしてしまう客観視マンがいる。
さらにこれらを外側から眺めて「くだらねえな」とわざわざ書き込んじゃう客観視マンがおり、その書き込みに対し「『くだらねえ』とわざわざ書き込むお前もウンタラカンタラ‥‥」というウンタラカンタラ客観視マンもいるのだ。
で、ROM専がキングオブ客観視マンかと思わせておいてそうでもない。ROM専はストレスがたまるのだ。「ああ、俺だって(私だって)何か書き込んでやりたい」とスマホ(もしくはパソコン)の前でつぶやくしかない。「何も書き込まない自分って大人だぜ」とたまに思うこともあるが、参戦しないことが必ずしも最強というわけではないと、どこかで感じている。
先日、とても大好きな書き手さんが怒っていて心が痛んだ話をします。
怒っていた理由は簡単なんだけど、ジャンルが変わって一部読み手に悪と指摘されたからです。
変わったと言ってもツイッターのアカウントも消してないし次のイベントの予定もあるし
わたしとしては今アツいのが別のジャンルなだけで、今までだって大切なジャンルなんだろうなと思っていました。
仕事でもないし、好きなことすればよくないですか…。
そして少し休憩されているのには寂しい気持ちもありますが、自分だってジャンルを移って今のジャンルにいるので文句が言える立場ではないです。
特にいま身を置いているジャンルが、どうしても原作がかなり前に終わっていて
新しく入ってくるものがほぼ皆無な状態で、ずっとずっと高いモチベーションを保つのは難しい人だっているし
どんどんいろんなものが入ってくる別のジャンルが楽しい時だってある。
楽しいのが一番!ではないでしょうか…
ずっと熱量を持って二次創作していたジャンルを、嫌いになるかな?と思うんですけど…
そうは思わない人もいるんだなあと、そしてそれを本人に決めつけで言ってしまう人もいるんだなあと思いました。
そういう人のせいで嫌いになってしまうことはあるかもしれないので、好きな書き手さんのことはいっぱいいっぱい、応援したいです。
これまで鉄道会社への投書など以外の活動はしていない。していなかった。
これの皮肉なところは、(少なくとも「差別のせるな」の所は)専用車両反対派も同じことを掲げている点だ。
賛成派→(被害者の大半が女性である)痴漢、あるいは女性専用車両撤廃がが女性差別と捉えている?
しかし、大半の男性は加害者ではない。なんら、敬遠されるいわれはない。
犯人と他の男性の見分けがつかないのは他の犯罪も一緒。隣の人が殺人犯でない保証はない。
痴漢によるPTSD、男性恐怖症は当然ながら痴漢個人の責任である。私(含む非痴漢男性)には何の関係もない。
「女性にとってのみ安全でない電車がそもそも差別」という論もそれに通じるものがある。
その論でいうと、女性を差別=安全でなくしているのは「痴漢」個人であり、やはり我々(非痴漢男性)には何の関係もない。
なぜ、我々非痴漢男性が協力を要求される(そして拒否すれば「差別」呼ばわりされる)必要があろう?
ところで、私が気になったのはむしろ「安全守れ」の部分である。
誰が安全を守るのか?
誰にとっての安全なのか?
なぜ、大上段から「守れ」などといえるのか?
上にも書いたが、電車内を安全でなくしているのは「男性」に非ず、あくまで「痴漢」である。
賛成派もよく使うセンテンスで返すなら、「文句は痴漢に言ってもらおう」。
御堂筋線の事件?関係ない。私はその場に乗り合わせてすらいないのだ。
さらに言うと、我々非痴漢男性には(自分が犯罪を起こさない以上には)電車内の安全に寄与する義務はない。
賛成派の女性諸氏はよく、「痴漢にあっても助けてくれない」「傍観者も同罪」などと無関係の男性をののしるが、むしろ助けられないのがデフォルトなのだ。
無関係の非痴漢男性にとっては、まず気付かない。女性が声を上げたとしても、犯人と確実に分かる状況でなければ(自らの恐れるものでもある)痴漢冤罪の片棒を担ぐことになる。
助ける男性には(当然と言えば当然だが)何のインセンティブもありはしないにも拘らず、だ。
「助けてくれた人、ありがとう」ならまだしも「助けないお前は同罪」などと口にしたら、これはもう戦争であろう。
自ら助けてくれる可能性のある第三者を減らしているのは滑稽というほかない。
あと、「傍観者も同罪」というからには、助けない女性もまた同罪である。分かっているのだろうか?
「助けない女性など一人もいない」とでも言うのだろうか?
こんな状況で、なぜ(女性にとっての)「安全守れ」などと強要されねばならないのか?
(現状の)このハッシュタグに付随する男性への罵詈雑言は見るに堪えない。
これまで私は鉄道会社に抗議こそすれ、女性専用車両に協力はしてきた。
にも拘らず、誰に感謝されるでもなく、当然のような顔でしかも暴言すら吐く。
だから、私は決心した。
私は女性専用車両(とされているシール付き一般車両)に乗ろう。
このハッシュタグの崇高な理念(皮肉)を体現するためにも、電車内に差別を許すわけにはいかぬ。
twitterをしていない(ROM専)私はタグ付きツイートをすることはかなわない。
神絵師、神文字書き、神レイヤー……。あなたの界隈にもきっといることだろう、そのジャンルのいわゆる「神」な人。
神〇〇の作る作品が大好きだ。今日も推しカプ描いてくれてありがたい。でもね、でもね、でもね、最近少し苦手。
ここから先はクソ腐女子のヤベー偏見とヤベー嫉妬しか書いてないので、うるせー知るかって方は戻って結構です。
前提として、わたしは文字書きで、最近は精神崩して創作意欲がズタボロ、それでも同人作品は好きだから、生産せずにROM専になって数ヶ月経つ。
というか、もともと同人ジャンルにおいて「小説」の需要は極端だ。
その界隈の神の作品は結構、18禁でもそうでなくても一定数は読んでもらえる。本当にこれは汚い嫉妬でしかないんだけど、わたしみたいなその他大勢は埋もれがちだ。18禁ならとにかく推しカプのエッチなのが読みたい!って人が少なからずいてくれるのでわりと見てくれるが、そうでない作品は本当陽に当たらない。
わたしは同人界隈に入ったのがわりと新参なので、個人サイトが云々〜な時代の話はできない。が、最近顕著な気がする。
とあるカプのワンドロに参加した。
イラストはいわゆる「界隈の神」の作品はもちろん、ワンドロで始めて出会った方の作品もかなりふぁぼりつをもらっていた。対して小説は、そのカプ界隈の神文字書きさんでも数リツイートぐらいだった。
読んでよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最高だから!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!推しカプ好きな全人類読んで!!!!!!!!!!ってなった。
小説は相当面白い人か相当界隈で名のある人じゃないとやっていけない。んじゃ面白い話書けって話だよね、そう簡単に書けるかアホ。うるせえ絵描きも大変だと言われればそれまでだ。努力は同じだけ、もしくはそれ以上だろう。どちらがより努力、って話をしたいんじゃない。
先日も「同人イベントでサークルにいると、サークルの前を通って行く人が『小説はちょっとなあ〜』と言われて傷つく(意訳)」な内容のツイートを見かけた。
国語できりゃ誰でも文書けると言われたらそうだし、それより専門的な知識(絵描かないからよく分からないけど、人体のパーツとか、構図とかか?)や道具が必要な絵描きが大変と言われたら、それも一理あると思う。
いや、文字と絵の界隈の話をしに来たんじゃなくて。
「〇〇さんの作品なら外れない」みたいな、いやそれも作品探しの方法として間違っちゃいないのかもしれないけど、それでも、あまりにブランド化してないか?
ブランド化って言い方が良くない?だよね思う、でも実際そういうところあると思う。
〇〇さんの作品だからリツイートする、〇〇さんの作品だからとりあえず読む。
ぷらいべったーの閲覧数が1でも、ああ良かった!!!一人でも見てくれた!!無意味じゃなかった!!こんな小説でも多少の需要には答えれた!!と思える。たとえ事故でリンク押しちゃっただけでもいい、もう見てくれるだけで感謝感激雨霰なのだ。
文字は、本当に陽に当たらない。
神絵師さんの描くものが大好きだ。今日も推し描いてくれてありがとう。大好き。
でもね、でもね、わたしがこれだけ応援して、わたしがこれだけ好きで、こうして思ってるのに報われない、もう推しカプのお情けでもいい、見てほしい。
あーーーーーー!!!!!!!むかつく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしも一生懸命書いた!!!!!!!!!!わたしも推しカプ好きだから書いた!!!!!!!!!!書いたんだよ、わたしなんかの文章出すの恥ずかしいしもっと神がたくさんいるけど書いたんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!なのに!!!!!!!!!!ただ界隈で有名なだけで!!!!!!!!!!ア゛ーーーーーー!!!!!!!!!これ以上言うともう本当ただの妬みにしかならない、割愛。
神からふぁぼをもらったりフォロー返してもらうと何か自分の人間の株上がったような気さえする。ブランドだ。
神〇〇好きだ。だけどこの神にはこんな応援してくれてる人がいて、わたしもその一人で、それなのに。何がダメだったんだ、やっぱ才能か?フォロワーか?なんなんだ、謙遜する心か?こうやって読んでほしい読んでほしい言ってるやつのは読みたくないってか?もうなんでもいい。そんなこと言ってる暇ありゃいいもの書けるように努力しろってか?うるせえしてるわ。
神〇〇、大好きだ。大嫌いだ。
twitterを見ていると思う。
好きな同人作家には「好き」だと伝えるべきだという風潮が、どんどん広がっている。
それはとても良いことだ。
三年間ほどROM専だったが、ジャンルを移動して、また創作をするようになった。
始めに書いたのは、凄く人気という程でもないが、商業で活躍されている作家さんがいるCP。仮にA×Bとする。
好きになった勢いで、一作目を上げた。
熱が冷めなくてもう一作書いた。ブクマがどんどん伸びていく。旬ジャンルはすごいなぁと思ったものだ。
数ヵ月後、今度は違うCPで一作書いた。仮にC×Bとする。
C×Bは、A×Bよりはマイナーだが、そのCPにおいてそれ以上ないほど完成された創作が上がっているCPだった。
C×Bが好きな人ならば誰もが読んでいる創作だ。私自身もその創作を見て、C×Bを好きになった。
好きになった勢いで上げた。すると、その投稿ツイートにいいねやRTがちらほらいただけて、驚いた。
この言葉のお陰で、今も私は創作をしている。感想をいただけるということは、こんなにも嬉しいものか、と思った。
だから、書く予定のなかった続編を書いた。書いていてとても楽しかった。
移動して来る前のジャンルは、好きになってもう七年目になるジャンルだ。
旬とは言えないジャンルの、そこそこマイナーなCPなので、その界隈のほとんど全員が顔見知りといった状態。
三回イベントに参加して本を出したが、どんどん売れなくなっていった。
たった20部が捌けなかった時は落ち込んだ。自分の中では結構自信のある本だった。
最初の内は感想を言い合える方が居たが、その内には私がその方に感想を言っても、私の創作については触れられなくなった。
恥を忍んで「感想いただけたら嬉しいです」と書いたこともあったが、駄目だった。
私は感じた。
私は今も前のジャンルで創作をされる方に感想を送るし、楽しんでいる。
何か勢いのつく出来事があったら創作も出来るかもしれない。だが、今のように書き続けることはないかな、と思う。
C×Bでは、A×Bほどのブクマはないが、本当に沢山感想を貰うことが出来た。
twitterではひとりごとを呟くだけでなく、リプライのやり取りをするようになった。
流行りの質問箱を置いたら、そこでもちらほら感想をいただけるようになった。
数年間、創作なんか何が楽しいのか分からないと思い続けていたが、今は凄く楽しいと思えるようになった。
見てくれている、好きだと思ってくれる人が居る、そう実感出来ることは、こんなにも原動力になる。
ただ、「好き」を伝えることはとても難しい。
毎回毎回「好き」だと送って、鬱陶しがられないだろうか。
感想を送ったらとても喜ばれたからまた感想を送ろうとしても、何度も送ったら義務で送られているという印象を与えないだろうか。
嫌だと思われることは流石にないだろうが、感想を伝えて、お礼を言われる、そのやり取りで気を遣わせてしまわないだろうか。
でも、前は「好き」だと言ったのに今回は「好き」だと言わなかったら、この創作は駄目だったのか、と落ち込ませはしないだろうか。
そんなことをうじうじ考えてしまう。
創作をする私自身がそうなのだから、例えばROM専の方などは私以上にそう思ってしまうかもしれない。
だからこそ、いただけた「好き」は本当に大事にしたいと思うのだ。
例えば、私がC×Bを上げる。すると、それから数時間も経たない内に、フォロワーが「C×Bほしい」と言っている。
私は、さっき私が上げてるのに、あれじゃ駄目だったのかな? と思ってしまう。私は基本的に、こんな風にうじうじしている。
だが、私がC×Bを書きながら「本当にC×B書けない、全然駄目だ、面白くない」と呟いたとする。
もし私に感想をくれた人がそのツイートを見たら、「あんなに好きだって伝えたのに、やっぱり自分からの感想は嬉しくなかったのかな?」と思わせてしまうかもしれない。
そうなってしまったら嫌だなぁと思うから、ネガティブな発言は控えるようにしている。
そういったこまかいところで、いただいた「好き」を大事していく。
少し話は変わるが、自分に向けられる「好き」の言葉は、「嫌い」よりも軽く受け止めてしまいがちだ。
でも、人間は「嫌い」を繰り返すことはほとんどない。「嫌い」なものにはわざわざ触れないからだ。
美味しくない食べ物を食べて、これは「嫌い」だと言う。その食べ物を二度と食べることはないから、「嫌い」と言い続けることはない。
でも、美味しい食べ物に対しては何度でも「好き」だと言いたくなる。繰り返し言うから、「好き」は結構印象に残りやすい。
一度も話したことのないフォロワーさんが頻繁に「好き」だと言っているものを見かけると、その人を思い出す。
普段会話をしない人でも、その人が「好き」だと言っているものが自分のTLに流れて来たら、教えてあげたくなる。
そういう時はとてもほっこりした気持ちになる。誰かの「好き」で、自分も幸せになる。
それが自分に向けられたものじゃないにしても、ほっこりと温かい気持ちになることがある。
「好き」は大事にしたいし、一人でも多くの人に、この思いが伝わればいいなぁと思っている。
この言葉は表面だけ独り歩きしすぎたと思う
今や掲示板に限らずインターネット全般に於ける金科玉条、大前提のように広まっているけど、
最近って「嘘を嘘と見抜いて終わり」なんだよね。その最たるものがFF外から嘘松認定。
それで思ったんだけど、本当に大事なのは「掲示板を使う」の部分じゃないか?
掲示板が普通のWEBサイトと違うのは、双方向性があるということだろう
ならば掲示板を使うというのは、すなわち自分も書き込むということ。主体的に参加することじゃないか?
インターネットでいろんな物の上っ面だけつまみ食いして生きてきた代償だ。
いろんな物に目移りしすぎたせいでそのコア部分だけを10分程度でなぞってきた。
でもそれで見落としてきた物が多すぎる。
イキって「フォーチュンクッキーって聞くとAKBじゃなくてRitaの方が浮かぶわww」なんて言ってみせた所で、「でもゲーム自体はやったことないんだよな」と自分でも気づいてるからただ虚しくなる。
なんだか空虚だ。
上っ面だけの思い出って短期的には問題ないけど長期的には崩れ去っていくんじゃないかと思う。
単に自分がそういう事気にしすぎてるだけなのかな。
知った事か、なんか知らんけど友達が薦め来て聞いてみたらめっちゃ気に入ったんだ、なんて言えれば問題ないのかな。
まあそんな友達居ないけどな。
居ないけどな。
何もねえなあ。
インターネットは色んな物をくれたけど、完成品をそのままくれるもんだから自分で何かを作ってきた思い出がなくなってしまうよ。
でもそれは自分が作る側に回ろうとしなかっただけなんだよなあ。
ROM専気取って目立たず何もせず誰にも石を投げられないようにすることが最適解だと思ってた。
でも違ったのかもなあ。
一瞬でスクロールされていくようなAAを書くのに何時間もかけるような人種や、一分で見終わるようなFLASH作るのに何十時間も消費する生き方の方が楽しいのかなあ。