はてなキーワード: 賢明とは
朝、目が覚めたら雪が降っている。けっこうな勢いで雪が降っている。
外に出るのはよせと、天が示しているのか。
天は沈黙の中で人に何ごとかを伝えようとするようだ。市場も同じだなと思った。市場は明確な言葉ではなく現象で以って人に語りかける。金利であったり特定の商品の価格であったりである。市場の伝えんとすることを正確に読み取れるかどうかでその人の市場との付き合い方の巧拙が変わってきて、上手に市場と対話できる人は自らの金融資産を増加させられる。市場との対話は神との対話を彷彿とさせる。
日本人の致死率が極端に低い。世界中の医者、感染症の専門家を戸惑わせているレベルである。
BCG接種が免疫を強化させているのではないかという仮説がある。オーストラリアはその効果について研究を始めたという。
日本における病床数の多さも人口あたりで見れば世界一だそうだ。
満員電車の状況が連日続いているはずなのに、東京都内での感染爆発が未だ起こっていないように見えることが不自然ではあった。
神の国…なのか?
武漢肺炎ウイルスの蔓延によって見えてきたものがある。いろいろなものがクリアになる。付き合っている人間のこれまで見えなかった本性ようなものが明らかになってくる。ウイルス騒ぎが人の本性を暴く。ある人は、私のことを駒としか考えていなかったのだ、人扱いされていなかったのだと知れた。
付き合うべきでない人が見えた。人の本性が見える場面が増えた。
世界的なキャッシュクランチが起こっているようだ。現金化を急いだ多数の投資主体が投げ売ったせいで、株価は極端な低下を見せた。どう考えても安いという会社が続出している。致死率はさほど低くない。特に日本においては。ペストを考えればとても低い。かつてヨーロッパが黒死病で壊滅的なダメージを被った頃に比べれば、医学は発達しているし適切な対応についての方法論もある程度確立されている。専門家たちが賢い対策を立ててくれていて、それをしっかりと守れば少なくとも自分自身の身の回りの人々の命を守ることもできるようだ。これもまた天啓と考えるべきか。

日本の報道番組は「幼稚」に見える。芸能、スポーツ、天気、グルメが満載、というかそればかり。世界で何が起きているか分からなくなる。国内ニュースでも政治や社会問題には賢明な論評もなく、権力者サイドの広報と化している。コメンテーターという存在もいるが、大した批評をしていない。CNNなどを観ていると、キャスターも専門家もなかなか鋭く厳しい話をたくさんする。面白い。そして真剣だ。さらに付け加えると、日本の場合、なぜか「子ども」や「タレント」がコメンテーター席に座っている。CNNなどとは全く画面の様子が違う。そもそもあちらのキャスターはひとりだ。こちらは司会者、アナウンサー、コメンテーターがずらりと並んでいたりする。そして、ひたすら語るという場面がない。日本人はバカなのだろうか?作り手も視聴者も。エンタメ化しないと理解できないの?
コロナの動向について、厚労省からのいくつかの発表や、識者のコラムなどを読んでわかってきたことがある。
日本のやり方は奇跡的に最適解に近い道を選ぶことができたが、その奇跡は何人かの天才のひらめきによって得られたものであって、奇跡は奇跡だが完全な偶然ではないということだ。ただしあくまでも奇跡であるので、場合によってはヨーロッパ諸国のようなパンデミックを起こす可能性は十分にあったように思える。
野党の動きについてはかなりわかりやすい事案もあったように思う。
緊急を要するあの場面で、桜がどうだのと声を荒げ、あらゆる審議を止めていたのは非常に印象深い。まともな人間であればもともと異常者の集まりであることを理解していただろうが、今この状況になってようやくわかった人も多いのではないかと思う。
彼らが二度と国政に関わるようなことがないように願わずにはいられない。
デマを拡散し、国民の不安をあおろうとしたのは到底真摯とは言えないが、これまでの流れも鑑みるにわからなくもない。いや、これは別に彼らの行いを肯定するわけではなく、誰もがやるだろうなと思っていたところ案の定やらかしたというだけの話だ。
それによって風評被害を受けた企業が番組名すら名指しで謝罪を求めるに至ったのは、彼らの認識が世間と大きく乖離していること、甘すぎたことを示している。
民間企業だけでなく、行政ですらマスメディアに対して苦言を呈している。
新型コロナに関する発表に関する文書の末尾には必ずマスメディアに言及する文章が載っている。これはかなり異常というか、進歩というか、ついに世の中が彼らの悪行に我慢しきれなくなったことの現れであろう。ある意味において、これまで行政が放置してきたことのツケではあるが。
個人的に興味深いのは、厚労省の発表の多くが文書のみになっている点だ。
記者会見のようなものはほとんどない。これはわざわざ会見を開いてマスメディアのしょーもない質問に受け答えしている余裕がないということもあるだろうが、それ以上に悪意を持って映像や音声を切り貼りし、事実と異なる情報を流そうとするメディアに対する自衛策でもあるのではないだろうか。
つまり、メディアは既に国民だけでなく行政の信用も失っている、ということだ。
しかし人知れず文書で発表しただけでは周知されることがない。何せメディアは自分たちがのけ者にされているわけだから、拡散することは期待できない。故に理解ある人によって拡散されるべき、という意見すら出ている。
https://note.com/kyoshimine/n/n6bf078a369f9
既に自粛要請から一か月になろうとしており、中だるみというか、もういいんじゃないかといった雰囲気があるように思う。
先日にK-1の件も、金銭的な事情はもちろんだが、当初危ぶまれたほど拡散しておらず、緊張が解けつつあることの証左であろう。
沖縄の家族についてはもう本当に愚かで救いようがない。また沖縄の知事には北海道の知事のような賢明は判断は期待できない。下手をすれば内閣から要請があれば逆張りするような人間だ。かなり絶望的な状況にあると思う。のんきにスペインなどに行って、なおかつ止められたにも関わらず飛行機に乗り込んでしまうような愚行を平気で行ってしまうのは大変残念であるが、あの程度の知事を出す土地ならば仕方がないというような諦念もある。
賢い諸氏には全うな行動を選択する能力があると信じたいし、多くの人が声を上げることによって正しい(とされる)行動を強制できるような環境を作りたい、とも思う。
現状、テレビの情報は本当に信じるに値しない。積極的にシャットアウトして情報収集するのが正しい道のように思える。しかし残念ながら多くの人はテレビしか情報源を持たないし、スマホも似たような情報源しか持たないだろう。
真に正しいかどうかはともかくとして、正しいものとして扱われるべき情報にリーチさせるのが今するべき活動ではないだろうか。正しいものとして扱われるべき情報というのは言うまでもなく行政発表の情報であり、その文書のURLを貼るとか、とにかく情報を見てもらいやすいようにすることだ。
ただし、文書をスクショしているようなのはダメだ。これはメディアのやり口と変わりがない。その情報の信用度を行政のものと誤認させるが、実際は発信者の信用度しかない。なぜならば改ざんが可能だからだ。
このような匿名を主とした空間の情報など鵜呑みにするべきではない。
故に私は最後に必要な情報へのリンクを貼ってこの文を終わろうと思う。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
https://anond.hatelabo.jp/20200322025040
They walked along by the old canal
A little confused, I remember well
And stopped into a strange hotel
( ・3・) ふたりは古い運河に沿って歩いた。少しまごついていたのをわたしはよく覚えている。そしてふたりはネオンの輝く奇妙なホテルに入った。
――「奇妙なホテル」とは?
( ・3・) ホールにフランク・ザッパの蝋人形でも飾ってあったんじゃないか? ああ、この strange というのは unfamiliar ということだな。――ネオンの輝く見知らぬホテルに入った。彼は夜の熱気に打たれるのを感じた。まるで運命のひとひねりと共に走る貨物列車がぶつかってきたようだった。
( ・3・) 夕暮れの公園にいたふたりが歩きだす。ネオンが光っているから、あたりはもうすっかり暗くなったんだろうな。「わたし」の記憶によると、少しまごついていたようだが……。
――「わたし」が出てきましたね。
( ・3・) ふたりの背後に忍びよる謎の人物……。落ち着かない心の内までお見通しとは、たいした観察力だ。
――……。
( ・3・) いや、分かってるよ。賢明なる読者諸氏ならば、「わたし」の正体は説明せずともお分かりになるはずだ、ってことだろ? 分からないとおかしい。ナボコフの『 』を読んで、「 」と「 」とが同一人物だと気づかないようなものだ。
――『 』は読んでいないのですが……。
( ・3・) だから少しは本を読めって。ただしまともな本だぞ。『死にたくなければラ・モンテ・ヤングを聴きなさい』みたいなのは読書にカウントされないからな。
――話を元に戻しましょう。
( ・3・) 三人称の物語だったはずなのに、一人称の「わたし」がぱっと現れて、さっと消える。聴き手は混乱するんだけど、何事もなかったかのように、彼と彼女との物語が続いていく。
――はい。人称の問題は後で見直すとして、脚韻についてはどうでしょう。
( ・3・) 1行目と2行目、canal と well は母音が合っていないんじゃないか?
――子音しか合っていません。脚韻は、強勢の置かれた母音以降の音が一致しないといけないので、この箇所は韻を外していることになります。そのうえ、1行目と2行目とでは旋律も違います。
( ・3・) 違ったっけ。
――違うんです。第一スタンザでは、1行目・2行目・3行目はきれいに韻を踏んで、旋律も同じかたちでした。ところが、第二スタンザでは、1行目・2行目で母音が揃わず、canal は上昇する旋律、well は下降する旋律です。というか、"I remember well" のところは、はっきりした音程がありません。そこだけ語りのようになっています。
( ・3・) 例の「わたし」が出てくるところだな。ひょっとしたら、わざと韻を外して、旋律も外して、「わたし」に対する違和感を際立たせようとしているんじゃないか?
――わざとかどうかは分かりませんが、定型から逸脱することで、聴き手の注意を喚起する効果はあると思います。
( ・3・) となると、韻を踏まないことにも意味がありうるわけだ――あれ、6行目と7行目、train と fate も韻を踏んでいないぞ。
――6行目は train ではなく freight train の freight が脚韻にあたります。
( ・3・) まず列車の概念があって、それからより具体的には貨物列車、という思考の流れではないんだな。まずフェイトという音の響きがあって、その響きが無意識の言葉の渦からフレイトをひっぱり出してくる。それから列車の概念がフレイトにくっついてやってくる。意味が音を追いかけているみたいで面白いな。
A saxophone someplace far off played
As she was walkin’ by the arcade
As the light bust through a beat-up shade
( ・3・) どこか遠くでサックスを吹いている人がいた。――これは順番をひっくり返さないとうまくいかないな。――彼女がアーケイドを歩いていると、どこか遠くからサックスが聞こえてきた。くたびれた日よけから光が差し込み、彼は目を覚ました。
――まだ覚ましてはいません。
( ・3・) ――彼は目を覚ましつつあった。彼女は門のところで盲人のカップにコインを入れた。そして運命のひとひねりのことは忘れてしまった。
( ・3・) 夜から朝になった。どこか遠くでサックスを吹いている人がいる。時を同じくして、彼女はどこかへ歩いていく。そしてまた時を同じくして、夢うつつで横になった彼の部屋に光が差す。一行ごとに場面が切り替わって、映画みたいだ。
( ・3・) どこかへ歩いていく彼女は、そのまま消えてしまう。盲人のカップにコインを入れる、というのが何か象徴的な行為なんだな、きっと。運命、盲人、テイレシアス、と連想が働くせいでそう感じるのかもしれないが。
――何を象徴しているんですか?
( ・3・) 何かをだよ。メルヴィルの白鯨は何を象徴しているんだ?
――何かをですね。
( ・3・) そう。ある行為や対象が何を意味するのか一義的に定まらないとき、その行為や対象は象徴性を帯びるんだ。ひとつ賢くなったな。
――とはいえ、門のところの盲人は運命を告げるわけではなく――
( ・3・) それどころか、彼女は運命のひとひねりなんて気にしてないんだな、ちっとも。
――強い。
( ・3・) 強い。運命に抗う者は悲劇的な最期を遂げるが、運命に関わらない者はいつまでも幸せに暮らすんだ。――じゃあ、ありがたい教訓も得られたことだし、次に進もうか。
――その前にひとつだけ。わたしが面白いと思うのは、彼女が去っていくのを誰も見ていない点なんです。まず、どこか遠くのサックス奏者は物語に関与しない。
( ・3・) 音だけの出演。
――部屋では彼はまだ寝ている。そして門のところの盲人には――
( ・3・) 彼女は見えない。なるほど、興味深い指摘だ。きみ、名前は?
――……。
( ・3・) 名前は?
( ・3・) アルトゥーロ、ありがとう。そんなところにも彼女の強さというか、優位性が表れているのかもしれないな。
He woke up, the room was bare
He told himself he didn’t care
Felt an emptiness inside
To which he just could not relate
――ハーモニカの間奏を挟んで、ここからは後半です。彼と彼女とがいっしょにいる、あるいは少なくとも近くにいるのが前半でしたが、ディラン先生のハーモニカを聴いている間に、彼女のいた世界は彼女のいなくなった世界に変わってしまいました。――では、どうぞ。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は熊だった。
――クマ。
( ・3・) 「かすみの間」「うぐいすの間」みたいに、「グリズリーの間」だったんだよ。泊まった部屋の名前が。
――真面目にやりましょう。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は空っぽだった。彼女はどこにもいなかった。どうってことはないと自分に言い聞かせ、彼は窓を大きく押し開いた。心の内に虚しさを――
――虚しさを?
( ・3・) 虚しさを感じた。で、その虚しさというのは、彼がどうしてもリレイトできない――
――He just could not relate to an emptiness inside ということです。
( ・3・) どうしても関わることのできない虚しさ?
( ・3・) おまえが引きたいというのなら。
――ランダムハウスにちょうどいい例文が載っています。I can’t relate to the new music of Miles Davis. マイルス・デイヴィスの新しい音楽はわたしにはしっくりこない。――1972年に『オン・ザ・コーナー』を聴いた人はそう感じたかもしれません。そもそも1967年の『ソーサラー』からして、もう調性は不
( ・3・) 自分自身の虚しさとうまくつきあっていけない、と考えればいいのか。――どうしてもなじむことのできない虚しさを感じた。運命のひとひねりによってもたらされた虚しさを。
( ・3・) さっき "he was wakin' up" のところで「まだ目を覚ましてはいない」って添削が入ったのは、このスタンザの "He woke up" が念頭にあったからなんだな。
――そうです。ここではっきりと目を覚ます。
( ・3・) 彼女はいなくなっている。大丈夫だと自分に言い聞かせるってことは、大丈夫ではないわけだ。窓を開けたら心の内に虚しさを感じた、のくだりはなんだか分かる気がするな、感情の流れが。ぐっときたぜ。
――まず部屋が空っぽだという状況が語られる。でも本当に言わんとしているのは、彼の内面が空っぽになったことです。開いた窓のところに立って外と内とを画定することで、内面という言葉が自然に導かれています。
( ・3・) きみ、名前は?
He hears the ticking of the clocks
And walks along with a parrot that talks
Hunts her down by the waterfront docks
( ・3・) 時計がチクタクいうのが聞こえる。言葉を話すオウムを連れて歩く。水夫たちがやってくる港で彼女を捜す。また彼女が彼を見つけてくれるかもしれない。どれだけ待たなければならないのか。もう一度、運命のひとひねりが生じるのを。
( ・3・) 時計の音が聞こえてくるのにあわせて、時制が現在形になった。ここからは彼にとってまだ過去の出来事ではないんだな。
――彼女のいない現実が、一秒ごとに動かしがたいものになっていく。コンクリートが固まるみたいに。
( ・3・) 「言葉を話すオウムを連れて歩く」は何を意味するんだ? アメリカ文学で鳥がしゃべるといったら、ポウの「ザ・レイヴン」だな。死に別れた恋人と天国で再会できるだろうかと訊くと、鳥は「二度とない」と予言するんだ。
――このオウムは実在するんでしょうか? どこからともなく現れましたが。
( ・3・) そこを疑うの? 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」「エヴィデンスは?」みたいなものじゃないか。
――いえ、そうではなく、おそらく肩の上、耳元でオウムが話しているわけですよね、彼女を捜して歩いている間ずっと。それは暗喩ではないかと思うのですが。
( ・3・) おじいさんは暗喩としての山へ暗喩としての柴刈りに行きました。
――「周囲の人たちの話が、オウムの言葉のように空疎に聞こえてしまう」を暗喩的に言い換えると「言葉を話すオウムを連れて歩く」になりませんか?
( ・3・) 心ここにあらずだから、「よう、調子はどうだい?」と声をかけられても、「ヨウ、チョウシハドウダイ」と聞こえるわけか。まあ、そうかもしれないな。
To know and feel too much within
( ・3・) 内面を知りすぎてはいけない、感じすぎてはいけないと人は言う。わたしは今でも信じている。彼女はわたしの双子だったと。しかしわたしは指輪をなくしてしまった。彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた。運命のひとひねりのせいで。
( ・3・) 「わたし」が出てきたな。二番目のスタンザでは存在をちらっと匂わせる程度だったが、ようやく正体を現した。
( ・3・) そう。三人称・過去のかたちで物語が始まり、彼女がいなくなって時計の秒針が意識に上ったときから三人称・現在になる。そして今、一人称・現在で「わたし」=「彼」が胸の内を明かしている。
――すべて過去形で書くこともできたし、すべて三人称、あるいは一人称で書くこともできたと思うんですが、どうしてそうしなかったんでしょう?
( ・3・) なんだか「学習の手引き」みたいになってきたな。時制が変わるのは、彼女の不在が彼にとって現在の出来事でありつづけているから。人称が変わるのは――そうだな、最後のスタンザの心情は、客観的に、距離をおいて語れないんじゃないか。まだ傷が生々しくて。
――第四スタンザの「部屋は空っぽだった」から「窓を大きく押し開いた」のあたりはハードボイルドの流儀で、あまり感傷的にはなるまいという抑制が働いているんですが、最後のスタンザになると――
( ・3・) 抑制が外れて、ついでに三人称の仮面も外れる。他人の物語であるかのように体裁を保っていたのが、保てなくなる。こういう効果を生むためには、人称の変化が必要だったんだな。
三月十七日(火)
今朝は猛烈な便意で電車を降りた。昨晩の肉が生焼けだったせいだろうか。それとも、日曜日のシュラスコに含まれていた脂肪分のせいだろうか。下痢というほどではないが軟便気味で、午後にも強烈な便意。とはいえ、一度排泄すれば具合はよくなるし、腹痛もほとんどないので、それほどたちが悪いものではなかったのだろう。昼は大事を取って薬膳カレーにしたが、いつものように唐揚げを添えたので、どこまで胃腸に優しかったかは疑わしい。それにしても、屁と便の区別が肛門の感覚で区別できなかったので、トイレに駆け込んで正解だった。年齢を重ねて肛門による直感が衰えてきているのだろうか。いつ服を汚す羽目になるのかと思うと恐ろしい。
業務中のムラムラは昨日よりも強め。集中力をそぐほどではないが、今晩にでも抜いておきたい程度の欲求である。帰宅時に風俗に寄ってもよかったのかもしれないが、腹具合があまりよくないし、人と話をするのも面倒だ。爪もまだ治っていない。血はもうにじんでいないので絆創膏は巻いていない。
コロナウイルスについてはほとんど心配していない。性病のほうがよっぽどリスクが高いと考えている。とはいえ、余計なことをしないで家にこもっているのが賢明だというのもまた本当なのだろう。増田で日記を書かずに、とっとと抜けばいいのである。
関係ないのだが、最近は土日に時間をつぶすために映画を見ることが減った。別に嫌いになったわけでもないのだが、十年前のように優れたものは何でも見なければいけないという危機感が薄れてしまったらしい。感受性の停滞だろうか。ただ、そうした芸術鑑賞により内面を太らせるよりも、誰かいつくしむべき相手がそろそろ欲しいところだ。自分一人だけの話ではないので、簡単にできる話ではないだろうが。
ところで、今日は業務を遂行する上でのちょっとした工夫を思いついた。明日から少し作業スピードが速まるといい。
あと、新年度が近いのでそろそろ手帳を入手しないといけないが、コロナウイルスのせいで近所の雑貨屋が早めに店じまいをする。同じ手帳が欲しいのだが、職場近くにも置いているだろうか。都内だから何の心配もないだろうが、知らない店をうろつくのも面倒くさい。
別の部署に出した書類については返信なし。特に不満がないので、何も言ってこないのだろう。明日は上司との会食なので、体調を整えておきたい。基本的に祝いの席なので、肩ひじ張る必要はどこにもないし、話しやすい相手なのではあるが、それでも上司は上司なのである。
って言われないように、きちんと新型コロナに触れて挨拶をしたいんだが、まったく思い浮かばず。
お足元の悪いなか、的なさ、みんなが開催を納得するというか「郎婦もちゃんとコロナのこと気にしてて気を遣ってくれてるんだな」と思ってくれるような一言が欲しいんだ。
下記前提
・「けしからん」なんていう人は呼んでなくて、みんな祝ってくれてるが内心では不安には思ってる人もいるかもしれないから言葉だけでもケアしたい
・式中のマスク着用許可と各所にアルコールの設置はしようと思ってる
公的行事とか大規模イベント(1000人単位)とか毎日繰り返されるルーティン(通勤、通学、打ち合わせ)とかほど影響ないし、かといって飲み会ほど気軽に中止・延期できるものでもない。
あなたの言いたいことは分かりました。しかしそれは陰謀論です。あるいは憶測です。
なぜそう言い切れるのか。それは、陰謀論というものは、可変的であるからです。
株式相場が上がった理由を解説するアナリストのように、いくらでも筋書きを後付けすることができます。
もちろん、その中には真実に近いものもあるでしょう。しかし、それは偶然です。
ほとんどの場合、その真実性はフィフティー・フィフティーと仮定した方が賢明です。
権力者側が都合のいいように法整備するという点は同意できますが、権力者は一枚岩ではありません。
千葉県の衆議院選共産党候補、漫画の表現規制に賛同する【追記】同党地方議員も賛同
https://togetter.com/li/1458667
https://togetter.com/li/1459426
「少女との性行為を許容されるという誤った考え方」「それらがなくても生きていける」と断罪された英国の39歳男性がPC上で持っていたのは「制服少女の性行為マンガ」。「表現の自由」を盾にしない英国司法の賢明で潔い判断に大きな拍手を送りたい。
@wired_jp https://t.co/csPV9dPfeV— 浅野ふみ子(史子) (@asafum814) 2020年1月21日
2019年参院選分野別政策【文化】憲法を生かし表現の自由を守る。芸術は自由であってこそ発展する。日本共産党は「文化芸術基本法」や憲法の基本的人権の条項を守り生かし表現の自由を侵す動きに反対する。「児童ポルノ規制」を名目にしたマンガ・アニメ等への法的規制の動きに反対する。ーこの立場を→— 浅野ふみ子(史子) (@asafum814) 2020年1月23日
何これ草。
コンフリクト起こしてるじゃん。
どちらにしろ遅すぎる気がするが。