はてなキーワード: 白雪姫とは
すいません。
この度は、一人の婚活動者として、どうしても、どうしても腑に落ちない、気に食わないことがあり、こちらを投稿しました。
以下、脚色ありの引用です。
「恋活アプリを始めてみたけど、なかなかマッチしなかったから、時間の無駄だった~
でも、人の本質を職業で見てる人とは恋愛関係になりたくない笑」
新世紀なって早20年。『マッチングアプリ マッチするには』とグーグル先生よろしくすれば似てるけど、普遍的なアドバイスがある世の中。
こいつの脳みそ、白馬の王子様がくると思ってそのまま腐っちゃった白雪姫じゃん。
私の不満は2つあります。
①社会人としての常識が0に等しい人間が、マッチングアプリを語るんじゃねぇ
①について。
私もマッチングアプリ。ワンナイト系から婚活相手本気なんだからね!系も使いましたし、合コン、街コン、友人の紹介等などあらゆるコンテンツで遊び尽くしました。
でもこの人そんな経験無いんでしょう。
自身のプロフィール内容が他者からどう判断されるか、わからない。でも自分の物差しは正しいと思いこんで、他者に選ばれない自分は悪くない。
逆にしてみれば、今時そ無職です私みたいな女も拾ってくれる男性がいるんですかって、己の心に問いかけてほしい。
②について
当該の男性には、自分の弱さに寄り添ってくれる恋人が欲しいとようです。
でも相手にされず、時間の無駄でしたと割り切ってしまいました。
もっとマーケティング調査して、別の界隈で若い燕ごっこでもすればいいんじゃないかな。
※あれ。そもそも働いたことのない人が定額制アプリを利用するにあたり、お金はどこから・・・。貯金であってほしいと願うばかりです。
オフ会でも最近カップルできるらしいですね。ネット弁慶の自分には遠い世界の話のようです。
「は た ら け」
と声を大にして伝えたいです。
おわり
整形していてもメイクであっても自分が可愛いと思った女の子のSNSを見るのが趣味でもある。
SNSが普及したことにより整形のレポートを気軽に見れるようになったり、インフルエンサーなどがモニターでPRしたり、昔ほど偏見も無くなってきたことにより、整形がカジュアルな存在になってきたのではないかと思う。
推測にすぎないが、二重埋没やヒアルロン酸などのいわゆるプチ整形はやる予定ややりたい人、整形済みの人も含めるとiPhoneの普及率くらいはあるのではないだろうか。
そして、メイク道具の進化やカラコンアイプチなどの登場により整形級と呼ばれるようなメイク方法もある。
そう考えると、女性のほとんどは整形やメイクを駆使し美人になっている。
『世の中の不美人が減っている。』
『ヒエラルキー△の底が不美人だと仮定すると◇ひし形のグラフになっているのではないか。』
と最近考えるようになった。
そう思うのも自分が真ん中より少し上くらいの顔面だと思っているからだろう。
白雪姫にでてくる継母のような心境なのかもしれない。
そこで私は整形を考えるようになった。
そういうのは被害妄想に過ぎない。
強迫観念だろう。
SNSを覗けば自分より可愛い人なんて沢山いる。天然美人よりもフォロワーが多いのは整形美人だったりする。
整形はダウンタイムを乗り越えて悩んでやっと美人になった、努力だ…
辛かったのに乗り越えてすごい…
ここまでは理解できる。
不良少年が更生して真面目に働くのが褒められて最初から真面目に働く人には注目されない。
そんな効果ではないのか。
そもそも、芸能人などの天然美人でさえ整形しているのだから焦る気持ちが倍になる。
そういう意見もあるだろう。
分かる…とても分かる…。
私は問いたい。じゃあ、何がそんなふうに思わせるのだろう…。
言われる人数が多いことから、その女優の何かしらの特徴と類似するパーツが自分にもあるのだろうと思い、自分なりに考えた結果…
顎という考えになった。
それからは、遠回しに顎がでている。立派な顎をしていらっしゃる。というふうにしか聞こえてこない。
〇瀬〇るかのことが嫌いになりそうだった。
どうしたらいいの…。
整形しかないのか…。
言いたいことが分からなくなってしまったが、整形美人が増えて世の中の基準が上がればこうやって生涯整形しなくてすんだかもしれない1人の女が整形を考え始めるきっかけになっているという事実がある。
暴論かもしれないが生態系が崩れているように感じる。私は不美人も一定数必要だと思う。
整形がスナック感覚になってしまう日本もそう遠くはないだろう。
※わたしは女性ですので登場人物は女性を想定して話しています。メイクや整形は男もするというのは知っていますのでジェンダー的な考えは持ち込まないでください。
拙い文章で申し訳ありませんが、最後までご覧いただきありがとうございます。(改行が不自然ですがなおし方がわかりませんでした。)
ほとんど想像の話にすぎませんので、整形は個人の自由だと思っています。
。
※ 架空の映画『ネトフェミ』の内容に触れています。また、当然のことながら、あくまで個人の感想文にすぎないものです。
この映画の主人公であるMはツイッターでキズナアイや真空パックAV叩きで細々と承認欲求を満たし、福祉の補助なども受けながら子供の世話をしている中年の女性だ。彼女が彼がこのたびの「ネトフェミ」、今まで何バージョンものキャラクターが提示されてきた伝説のヴィランの最新バージョンである。
彼女が住むのはもちろんツイッターランド。バッドガイのいる、あの町だ。すなわち、中世ジャップランドのように大きな都市でありながら閉塞した田舎のような空気をも漂わせ、オタクたちは精神病院にぶちこまれる(そしてひょいひょい脱出する)、例の町である。
のちに「ネトフェミ」になる主役の生活は貧しい。しかし、それほど激しい貧困状態ではない。ありふれた、なんなら「ちょっとした貧しさ」にすぎない。これはとても大切なことだから、先に述べておきたい。『ネトフェミ』は理不尽な男女差別に苦しむ女性が蜂起する映画ではない。映画の前半では、Mの貧しさ、Mの病気、Mの不運が描かれる。そしてそれらはすべて「ありふれている」。
たとえば、Mの子供は保育園に落ちる。だから彼女は増田で日本死ねと叫んで人々から不気味がられる。だから彼女はカードを持っている。男だったら垢BAN必死の発言でも「トーンポリシング」のカードを渡すことで批判を封殺できる、ラミネート加工したカードを。「女性が汚い言葉を使うのは表現の自由です」そう、これはいい手だ。M、適応しているじゃないか、と観客である私は思った。世の中には不随意でtwitterで男の金玉をつぶそうとつぶやいてしまう病気があるし、言動が尋常でなくなる病気もあるが、それらのためにtwitterを自粛しろというのは無茶苦茶な話で、それらを抱えてtwitterで男に向かって暴言を吐き続けるのは当然の権利だ。不随意の発言や、尋常でない外見を不気味がるのは無知によるものである。不気味がるほうが悪い。私も若い時分に脳器質の病気でネトフェミになり、自分でも「こりゃあすげえな」と思ったが、しかし一方でこうも思った。「とはいえ、これくらいの怪物性を帯びたネトフェミは、ありふれてもいるけどね」。
たとえば、Mの生活はつましい。お金の余裕はぜんぜんなさそうである。そもそも、ツイッターランドでは、成人してだいぶ経つ女性が親と住んでいる段階で「お金ないんだな」感が出る。しかも彼女は文筆家としてもまったく売れていない。映画評論ピエロの仕事もたくさんもらっているようには思われない。心の貧しい人である。
しかしそれは「(文筆家)という夢を追う女性」としては標準的といってもよい貧しさだと私は思う。カネの入りにくい職業をめざしているのなら、副業や何かで収入をサポートするのは当然のことだ。ピエロの仕事だけでは食えないなんて当たり前のことである。ピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディの舞台に立ったらいい。そんな人はジャップランドにはたくさんいる。
さあ、おわかりいただけただろうか。Mは貧しく不運だからネトフェミになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜMが、Mだけが、ネトフェミになったのか。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
これがMをしてネトフェミに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というその思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。
彼女らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネットで文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。私は最初、その怒りの意味がまったくわからなかったのだけれど、何人かと遭遇して理解した。彼らはこう言っていたのだ。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない、それは本来おれ(わたし)に向けられるべき賞賛だ」。
ネトフェミは金持ちの父親の夢を見る。Mは映画の中でずっと、手を変え品を変え金持ちの父親の夢を見ている。貴種流離譚的な夢だ。お金持ちの、人格者の、有名人の、素晴らしい男が、私を迎えに来る。そういう夢である。Mははじめから、いわゆる「信頼できない語り手」だが、それは彼女の性格からして当然というか、「Mは金持ちの父親から生まれてテレビで賞賛されるのが自分の本来の姿だと思っていた」という、それだけのことである。そう、Mは自分を王女さまだと思っているのだ。王女さまのはずなのに王さまのパパがいないから気も狂わんばかりにそれを求めつづけているのだ。
昔話の王子さまは冒険の旅に出るが、Mはその点、昔話のお姫さま的に動かない。簡単に言うと、すてきなパパの夢を見ながら、「金持ちの男が自分に恋をする」とも思っている。だからといって具体的に男を口説くことはしない。まるで王子さまを待つ白雪姫である。グリム童話の白雪姫は家出して七人のこびとと仲良くなって家事などしていたからMよりぜんぜんマシだ。Mは家出もしない。りんご食って寝てるだけの白雪姫、完全無欠の受動態である。
狂を発して「M」から「ネトフェミ」になるときでさえ、彼女は「与えられる」側でなければ気が済まないのだ。りんご食って寝てるんだ。永遠に家出をしない白雪姫なんだ。
さあ、おわかりいただけだたろうか。Mの怪物性がいかなるものであるかを。Mはなぜネトフェミになったか。Mは貧しかったからネトフェミになったのではない。Mは不運だったからネトフェミになったのではない。Mは「自分は大金持ちの有名人の子に生まれてテレビでスポットライトを浴びて子どもたちに大人気のコメディスターであるはずなのに、そうじゃなかった」からネトフェミになったのだ。Mは、自分は無限の賞賛を浴びて当然の人物だと(無根拠に!)思い上がっていたから、ネトフェミになったのだ。
私にはそういう映画にしか思われなかった。だから本作を観たあと、映画通の友人に「怖いね」と言った。「Mみたいな人、増えてるもんね、なんかこう、無限の賞賛を求める系の人。主演がMを魅力的に演じすぎていて、まるで時代のヒーローみたいに見えて、よろしくないよ、あの映画はだから、私は支持できないよ」。
ちょっと信じがたい誤解釈というか、ほとんどイチャモン感のある感想があったので、ツッコミを自分のツリーに下げておく。
私は元増田だ。
この人のブログは何度か読んでいる。面白く読ませてもらっている。
その人がこんなにも偏ったというか、ほとんど被害妄想では???という感想を書いてアップしていることに、ちょっと背筋が寒くなっている。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
作中で3人のエリート酔っ払いを射殺した件でニュースに出ていたトーマス・ウェインとおんなじようなこと言うてはる。
嘘やろ。あんなおもろいブログ書く人が。こんなにものが見えてへんようなこと言うものなのか。釣りか?
アーサーが父親に夢を見ているというのはある。あるが、所詮空想の範疇であって(それこそ彼の「母親」のように)病的妄想に駆られているわけではない。
後半で自分で言ってたように、彼はただ温かいハグや親しみの笑みをもって自分を受け入れてくれる存在として父親を欲しがっていただけだ。
だからランディから銃を受け取ってしまったのだ。"My son"とかなんとか言って本気で心配してるみたいなそぶりをしてくれたから。
パンフだったかWikipediaだったかによれば、あいつは実際にはものを深く考えてるように見せたいだけで大して後先考えないタイプで、
だからこそ雇い主に対してアーサーを売っちまい、のちの怨みを買うことになるのだが。
ランディといえば例の銃だが、多くのブログや記事で「小児病棟に銃を持ち込んだアーサーの自業自得」という評価を読んだ。
確かにアレはアーサーの失敗ではあったが、小児病棟に銃を持ち込むこと自体はそこまで責められることかどうか、個人的にはずっと疑問に思っている。
だって普通に通りで仕事してるだけで看板かっぱらわれて殴る蹴るされるんだぞ?
そしてその後に「自衛のため、自己防衛のため」といって銃を渡されるんだぞ?
持ち歩くのが当然だろうが。
アーサーが迂闊だったのはあの時あの場面でポロリしたことであって、
ピエロアクトを始める前にカバンにでもしまっときゃ良かったのにという一点だけだ。
そして発達の私としては、物が銃でなく場面が小児病棟でないだけで、
そういう不注意で細かいドジを踏む機会というのは日常では無数にある。
無数にあるからこそ、私は、銃で小児病棟というシチュエーションがそもそも発生しないように、
いろいろと立ち回ったり細かい工夫でしのいだりしている。
それらは今のところ実っている。
実っているが、なぜ実ったかというと、もうこんなの「運」でしかない。
そんなの私には責められない。
責められないから余計やるせないんだ。
大事なところに限ってやらかすタイプの、クビになって当然の、笑えないミス。
ああ、件の感想記事が、読み返せば読み返すほど恐ろしくて仕方がない。
ジョーカー観てきたとあるけれど、目に入ってなかったのでは?というほど誤読(誤観、か?)が多い。
アーサーはその上司を許さない。自分をあざわらう裕福な奴らも許さない。自分の「パパ」じゃなかった有名人も許さない。殺す。バッキュンバッキュンに殺す。そしてジョーカーになる。
アーサーは上司を殺していない。
殺したのは自分に銃をよこしたランディ、銃をくれたくせに我関せずで貫いてアーサーを裏切ったランディだ。
アーサーは笑われたから裕福な奴らを殺したんじゃない。
例の殴る蹴るをおっぱじめられたから殺したんだ。
そしてアーサーが殺したマーレイは、アーサーのスベり倒したライブの映像を彼に無断でテレビ放送し、更にスタジオに呼びさえした。彼を笑い者にするために。
そして、これは私の持論だが、アーサーはジョーカーになってないし、なれないだろやっぱり。あれら全てが事実なら。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに」。
そもそもアーサーに限っては、これは完全にその通りではないか?
幼少期に母親の恋人から虐待を受け、脳及び神経系に外傷を負った。
これさえなければ、もっと違ったルートもありえたんじゃないか、というのは、そんなに高望みだろうか?
アーサーは大人になった今も、日記で割としょうもない初歩スペルを誤字っている(「下ネタは、いづも、ウケる」)。
アーサーはピエロという「笑うのも仕事のうちだろう?by刑事」な仕事に就いている今でさえ、
「お前のことを嫌がる奴もいる。気味が悪いからだby冒頭のピエロ業ボス」。
ピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディの舞台に立ったらいい。
他の仕事、あったんかな?
でも、ラミネートカード戻って来んかったんやで、ゴッサムでは(←確かめるためもあって2回観た)
アーサーが徹底して受動的、「りんご食って寝てる白雪姫」なのは、三分の一くらいは肯定できるが、でもやっぱり悪意ある評価に思える。
まずアーサーはマジでかなり受動的ではあって、例えばコメディアンになりたいという夢自体、母が「人を笑顔にさせる人間になりなさい」と言ったから、という以上の動機はない。
その母の台詞も、おそらく「発作」へのフォローかはたまた「発作」等々に端を発するイジメを受けたアーサーへのフォローに過ぎず、母自身アーサーがコメディアンになれるとは思ってないぽい(入浴介助時「あなた、ちゃんと人を笑わせられる?」)。
もうなんていうか、こんなの呪いに等しい。
もちろん「普通は」これを呪いとは受け取らない。呪いと呼ぶには弱すぎる。
でもアーサーは呪われてしまう、その「将来の夢」にすがってしまう。脳の外傷のせいか、アーサー自身に素質があったのか?それはわからない。
アーサーの、あの受動性。ものを判断するときや、自分でその場で考えて何かするときの、微妙な、ちょっとボンヤリとした感じ。
あれと「発作」のコンボがジョーカールートへのかなり決定的なフラグであるってのはあると思う。アーサーが状況を変えることをものすごく難しくしている。
でも、じゃあ例えば受動態人間であるってことをアーサーが自分で変えられるかっていうと、どう考えてもひとりでは無理で(能動的な生き方の受け皿どころかモデルすらない状況だもの)、というか脳外傷から来るものなら誰がいても無理で、あーこれフラグ折れんわー、ツムツムだなあ、となってしまう。みんな病気が悪いんや。病気と虐待が。
まあそれはそれとしても、アーサーは「与えられる側でなければ気が済まない」んじゃない。気が済むとか済まないの問題じゃないだろう。
そもそもあの状態で、母親の介護放り出して家出してどうする??
メシ風呂が自力不可で「みんなが言ってるって、みんなって誰さ。今日誰と会話したの?」言われるくらい孤立してる母親、
郵便ポストを見に行けない母親をひとり置き去りにしたら逮捕されない??保護者責任遺棄的なやつで。
家出したあと住むところは?
あのエレベーターのイカれたボロ家以外にどっかある??アーサーに貸してもらえる???
それと女を口説くことをそんな冒険ポイントみたいに言いなさんなよ…そういうのもう流行んないんじゃないの。
それにアーサー最大の冒険をカウントしないのはフェアじゃない。
コメディアンとして舞台に立ったじゃないか。ネタ帳携えてでも、妄想に後押しされてでも。
母の話の裏付けを取ろうと、ウェイン邸にもデモ会場の劇場にも病院にも行った(どこまで妄想かはともかく)。結構行動している。
これがアーサーをしてジョーカーに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というその思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。彼らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネットで文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。
もうこの辺に至っては被害妄想入ってませんかね。飛躍がすごくてどうしてそうなった、みたいな話になってるというか。
アーサーが欲しがっていた素晴らしいものというのは、大衆からの賞賛もあるが、最大のものは愛だろう。アホみたいな結論になるが。
愛。親しさ。笑われないこと。爪弾きにされないこと。受け入れられること。その象徴としての賞賛。
一応言っとくけど、「この人に怒りをぶつける人々が欲しがっているもの」が愛だといいたいのではない。そんなことは知らない。
このツリーでは基本ジョーカーあるいはアーサーの話をしているんであって、賞賛が欲しくてネットで他人に突然キレる人のことはわからない。
ああ、それにしても。
確かに、怖い。怖いですわ、これは。
金のない奴への差別
若くない奴へ差別
が重なっているだけだ。どれか一つでも秀でている場合、差別されないこともある。金持ちのおっさん、ブサイクな権力者、貧乏劇団員のイケメン。だが、基本的に彼らも差別される属性を持っているわけだ。おじさんだけどお金はある、貧乏だけどカッコいい、という風に言われるように、KもKもOも「〜だけど」の対象なんだよ。
キモい奴へ差別は根深い。現実でもテレビの中でもブサイク・ブスは笑い者だ。俳優女優に言えば炎上必至のいじりを受ける。
ブスブサイクというだけで価値がないのだ。源氏物語きってのブサイクヒロイン末摘花は、あからさまに「ハズレ」として描写されている。逆に、美人はそれだけで高評価を受ける。白雪姫のプラス評価は殆どが生まれつきの容姿によるもので、彼女は働き者だったから幸せになれたのではなく、寝顔が可愛かったから幸せになれたのだ。この容姿に依存した評価基準を、フェミはルッキズムと呼び強く批判する。KKO差別反対増田はこの点においてだけはフェミと共闘できると思うのだが、そのルッキズムとやらはあまりに深く我々に根付いているので、これに抗うのはフェミだろうが弱者男性だろうが難しいだろう。
金のない奴への差別…というよりは社会的な地位のないものへの差別といった方が正しいだろう。猿山に序列があるように、人間社会にも序列がある。男は特に社会的地位を求め、求めれる傾向があるので、地位が低いことは女性よりも男性の方が評価に響きやすい。結婚においても、共働きが増えたと言っても、同条件の年収300万と600万の男がいれば後者が選ばれる。そして、600万と比べて300万と比べて「はずれ」扱いされる。貧乏なこと自体が辛いのに、その上蔑まれるのである。二重苦である。
若さは強さだ。若者は威張れる。おじさん・おばさんは威張れない。本質としておじさん差別もおばさん差別も特に違いはないと俺は思う。ただおばさんの方が群れを作る能力に長けているので、被差別者側に回りにくいだけだろう。気の弱そうなおじさんおばさんが、不良に「とろいジジイ」「クソババア」呼ばわりされているのを見たことがあるだろう。
若さも容姿も権力も力である。力のないものは虐げて良いというのが現代社会の差別のやり方だ。KKO差別という言葉はむしろ問題を薄っぺらにしているのではなかろうか。途中で力尽きたが大体俺の主張は以上だ。
開始当初のスペック
161.5cm、57〜59kgをいったりきたりのアラサー女性。
体脂肪は30%。
25歳ぐらいまでは50kgとかだったけど、
なんだかんだちょっとずつやることできることが増えて、
たぶん、腹筋がついて便を押し出す力が付いたんだろうな。
毎日とか2日に1回朝食後に出る。
以前は2週間出ないとか普通にあって、いつか便に殺されると思ってた。
今162.8cmらしい。超嬉しい。背筋がついて背筋がよくなったんだろな。
・くびれができた
驚くほどの寸胴だったんだけど、ちょーーっとくびれた。
背筋や背筋を鍛えるやつで腹斜筋?がどうにかなったんだろうな。
消化が遅い自覚がすごくあったんだけど、
基礎代謝あがったんだろうな。
・食べ過ぎても太りづらくなった
翌日はもちろん体重増えているけど、
ただ、痩せたわけではないので大体56〜57kgではある。
・驚くほど顔が細くなった
顔から痩せるタイプではあるんだけど、下を向いたとき「アゴどこいった?」
ちなみに顔が痩せたら誰でもかわいくなるわけではない、
という悲しい教訓も学んだ……
さっきも書いたけど体重はそんなに変わってないんだよね。
だけど、年齢のせいという見方もあるかもだけど
(気付いてないだけで実際見た目は痩せてるのかもしれないけど)
運動した翌日は体もよりスッキリするので、それ見るとなんか満足。
くびれとか視界に入ると「よく頑張ったね、まだまだ頑張ろうね」って思える。
これも多分腹筋背筋のおかげだろうね。
去年はいていたスカートやズボンのウエストは確実にゆるくなった。
健康診断でも1年で腹囲が2cm減ってた。
以前は常に57〜59kg(痩せたいときだけ55kg)をウロウロしていたのが、
今は常時56〜57kgで安定していると考えると、痩せたとも言える?
あと1、2年かけて、常時の数値を55kg代にしたと思ってる。
見方を変えれば、30歳超えて体重が増えてないってことになるね。
・常に疲れている
思わぬ弊害なんだけど、負荷をかけるのが楽しくて
部屋の片付けとかすごく雑になった。
私の部屋、ごめん。
・体脂肪率が1%も変わらない
ふくらはぎとかめちゃくちゃ固いんだけど、本当にどういうことなの。
まあ普通にお菓子の食べ過ぎだな。毎日甘いの食べちゃうからかな。
1%ぐらい減れよこのやろう。
そんな内容の増田があったけど、ムキムキ目指してるわけじゃないし。
自分だけではなく、周りを見ててもそうだなと思う。
私としては、結構満足した結果なんだよな。
体脂肪はおいておいて。
体を動かす癖がついたのは嬉しいし、食べても太らなくなったのは助かる。
2年通った効果ではあるけど、
だいたいどれも通って半年〜1年ぐらいで出てたよ。
みんな、腹筋だ!!