2019-10-22

「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ→ネトフェミ

架空映画ネトフェミ』の内容に触れています。また、当然のことながら、あくま個人の感想文にすぎないものです。

この映画主人公であるMはツイッターキズナアイ真空パックAV叩きで細々と承認欲求を満たし、福祉の補助なども受けながら子供の世話をしている中年女性だ。彼女が彼がこのたびの「ネトフェミ」、今まで何バージョンものキャラクター提示されてきた伝説ヴィランの最新バージョンである

彼女が住むのはもちろんツイッターランド。バッドガイのいる、あの町だ。すなわち、中世ジャップランドのように大きな都市でありながら閉塞した田舎のような空気をも漂わせ、オタクたちは精神病院にぶちこまれる(そしてひょいひょい脱出する)、例の町である

のちに「ネトフェミ」になる主役の生活は貧しい。しかし、それほど激しい貧困状態ではない。ありふれた、なんなら「ちょっとした貧しさ」にすぎない。これはとても大切なことから、先に述べておきたい。『ネトフェミ』は理不尽男女差別に苦しむ女性が蜂起する映画ではない。映画の前半では、Mの貧しさ、Mの病気、Mの不運が描かれる。そしてそれらはすべて「ありふれている」。

たとえば、Mの子供は保育園に落ちる。だから彼女増田日本死ねと叫んで人々から不気味がられる。だから彼女カードを持っている。男だったら垢BAN必死発言でも「トーンポリシング」のカードを渡すことで批判封殺できる、ラミネート加工したカードを。「女性が汚い言葉を使うのは表現の自由です」そう、これはいい手だ。M、適応しているじゃないか、と観客である私は思った。世の中には不随意twitterで男の金玉をつぶそうとつぶやいてしま病気があるし、言動尋常でなくなる病気もあるが、それらのためにtwitter自粛しろというのは無茶苦茶な話で、それらを抱えてtwitterで男に向かって暴言を吐き続けるのは当然の権利だ。不随意発言や、尋常でない外見を不気味がるのは無知によるものである。不気味がるほうが悪い。私も若い時分に脳器質の病気ネトフェミになり、自分でも「こりゃあすげえな」と思ったが、しかし一方でこうも思った。「とはいえ、これくらいの怪物性を帯びたネトフェミは、ありふれてもいるけどね」。

たとえば、Mの生活はつましい。お金の余裕はぜんぜんなさそうであるそもそもツイッターランドでは、成人してだいぶ経つ女性が親と住んでいる段階で「お金ないんだな」感が出る。しか彼女は文筆家としてもまったく売れていない。映画評論ピエロ仕事もたくさんもらっているようには思われない。心の貧しい人である

しかしそれは「(文筆家)という夢を追う女性」としては標準的といってもよい貧しさだと私は思う。カネの入りにくい職業をめざしているのなら、副業や何かで収入サポートするのは当然のことだ。ピエロ仕事だけでは食えないなんて当たり前のことであるピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディ舞台に立ったらいい。そんな人はジャップランドにはたくさんいる。

 さあ、おわかりいただけただろうか。Mは貧しく不運だからネトフェミになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜMが、Mだけがネトフェミになったのか。

 「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす

 これがMをしてネトフェミに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というそ思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。

彼女らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネット文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。私は最初、その怒りの意味がまったくわからなかったのだけれど、何人かと遭遇して理解した。彼らはこう言っていたのだ。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない、それは本来おれ(わたし)に向けられるべき賞賛だ」。

ネトフェミ金持ち父親の夢を見る。Mは映画の中でずっと、手を変え品を変え金持ち父親の夢を見ている。貴種流離譚的な夢だ。お金持ちの、人格者の、有名人の、素晴らしい男が、私を迎えに来る。そういう夢である。Mははじめから、いわゆる「信頼できない語り手」だが、それは彼女性格からして当然というか、「Mは金持ち父親からまれテレビ賞賛されるのが自分本来の姿だと思っていた」という、それだけのことである。そう、Mは自分王女さまだと思っているのだ。王女さまのはずなのに王さまのパパがいないから気も狂わんばかりにそれを求めつづけているのだ。

 昔話の王子さまは冒険の旅に出るが、Mはその点、昔話のお姫さま的に動かない。簡単に言うと、すてきなパパの夢を見ながら、「金持ちの男が自分に恋をする」とも思っている。だからといって具体的に男を口説くことはしない。まるで王子さまを待つ白雪姫であるグリム童話白雪姫家出して七人のこびとと仲良くなって家事などしていたからMよりぜんぜんマシだ。Mは家出もしない。りんご食って寝てるだけの白雪姫、完全無欠の受動である

狂を発して「M」からネトフェミ」になるときでさえ、彼女は「与えられる」側でなければ気が済まないのだ。りんご食って寝てるんだ。永遠に家出をしない白雪姫なんだ。

さあ、おわかりいただけだたろうか。Mの怪物性がいかなるものであるかを。Mはなぜネトフェミになったか。Mは貧しかたかネトフェミになったのではない。Mは不運だったかネトフェミになったのではない。Mは「自分大金持ちの有名人の子に生まれテレビスポットライトを浴びて子どもたちに大人気のコメディスターであるはずなのに、そうじゃなかった」からネトフェミになったのだ。Mは、自分無限賞賛を浴びて当然の人物だと(無根拠に!)思い上がっていたから、ネトフェミになったのだ。

 私にはそういう映画しか思われなかった。だから本作を観たあと、映画通の友人に「怖いね」と言った。「Mみたいな人、増えてるもんね、なんかこう、無限賞賛を求める系の人。主演がMを魅力的に演じすぎていて、まるで時代ヒーローみたいに見えて、よろしくないよ、あの映画はだから、私は支持できないよ」。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん