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はてなキーワード: 「M」とは

2023-11-24

anond:20231124165602

富田京子(元プリンセスプリンセス

昔、とても素晴らしい人と付き合っていた時期があったんです。

その時が。私の一番輝いていた頃といっていいでしょうね。

プリプリとして活動していた時期よりも、ずっと…

でも、付き合っているうちに「私なんかがこの人と付き合っていていいのかな?」

「この人が私に束縛されるようなことがあってはいけないんじゃないか?」

と考えるようになったんです。最後は私から身を引きました。

あの人の重荷になることが耐えられなかったんですね(笑)




別れた後に、奥居香さんが

キョンちゃん詞書きな。あんなに素晴らしい人と出会った想い出を、曲として残すんだよ」

と言ってくれたんです。それで生まれたのが「M」ですね。

今でも「Mって誰なんですか?」とよく聞かれます

私はただ「皆さん、よくご存知の人ですよ」とだけ答えるようにしてますけど(笑)




あのエルボー、あのトペスシーダ

彼との想い出は、私の一生の宝物ですよ



三沢光晴さんの一周忌に思うこと。

2019-10-22

「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ→ネトフェミ

架空映画ネトフェミ』の内容に触れています。また、当然のことながら、あくま個人の感想文にすぎないものです。

この映画主人公であるMはツイッターキズナアイ真空パックAV叩きで細々と承認欲求を満たし、福祉の補助なども受けながら子供の世話をしている中年女性だ。彼女が彼がこのたびの「ネトフェミ」、今まで何バージョンものキャラクター提示されてきた伝説ヴィランの最新バージョンである

彼女が住むのはもちろんツイッターランド。バッドガイのいる、あの町だ。すなわち、中世ジャップランドのように大きな都市でありながら閉塞した田舎のような空気をも漂わせ、オタクたちは精神病院にぶちこまれる(そしてひょいひょい脱出する)、例の町である

のちに「ネトフェミ」になる主役の生活は貧しい。しかし、それほど激しい貧困状態ではない。ありふれた、なんなら「ちょっとした貧しさ」にすぎない。これはとても大切なことから、先に述べておきたい。『ネトフェミ』は理不尽男女差別に苦しむ女性が蜂起する映画ではない。映画の前半では、Mの貧しさ、Mの病気、Mの不運が描かれる。そしてそれらはすべて「ありふれている」。

たとえば、Mの子供は保育園に落ちる。だから彼女増田日本死ねと叫んで人々から不気味がられる。だから彼女カードを持っている。男だったら垢BAN必死発言でも「トーンポリシング」のカードを渡すことで批判封殺できる、ラミネート加工したカードを。「女性が汚い言葉を使うのは表現の自由です」そう、これはいい手だ。M、適応しているじゃないか、と観客である私は思った。世の中には不随意twitterで男の金玉をつぶそうとつぶやいてしま病気があるし、言動尋常でなくなる病気もあるが、それらのためにtwitter自粛しろというのは無茶苦茶な話で、それらを抱えてtwitterで男に向かって暴言を吐き続けるのは当然の権利だ。不随意発言や、尋常でない外見を不気味がるのは無知によるものである。不気味がるほうが悪い。私も若い時分に脳器質の病気ネトフェミになり、自分でも「こりゃあすげえな」と思ったが、しかし一方でこうも思った。「とはいえ、これくらいの怪物性を帯びたネトフェミは、ありふれてもいるけどね」。

たとえば、Mの生活はつましい。お金の余裕はぜんぜんなさそうであるそもそもツイッターランドでは、成人してだいぶ経つ女性が親と住んでいる段階で「お金ないんだな」感が出る。しか彼女は文筆家としてもまったく売れていない。映画評論ピエロ仕事もたくさんもらっているようには思われない。心の貧しい人である

しかしそれは「(文筆家)という夢を追う女性」としては標準的といってもよい貧しさだと私は思う。カネの入りにくい職業をめざしているのなら、副業や何かで収入サポートするのは当然のことだ。ピエロ仕事だけでは食えないなんて当たり前のことであるピエロのない日に別のパートタイムジョブを持つか、さもなくばフルタイムで別の仕事をして土日にコメディ舞台に立ったらいい。そんな人はジャップランドにはたくさんいる。

 さあ、おわかりいただけただろうか。Mは貧しく不運だからネトフェミになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜMが、Mだけがネトフェミになったのか。

 「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす

 これがMをしてネトフェミに変身せしめた動機である。「すばらしいものを与えられるはずだった」というそ思い込みに、根拠はない。ないが、なぜかそう思い込んでいる人はこの世にいる。たぶん一定数いる。

彼女らは「自分にはもっともっとすばらしいものが与えられるはずだったのに」という激しい飢えを抱え、たとえばインターネット文章を書いているぜんぜん知らない人(私とか)に突然その怒りをぶつける。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない」と。私は最初、その怒りの意味がまったくわからなかったのだけれど、何人かと遭遇して理解した。彼らはこう言っていたのだ。「おまえなんかが賞賛されていいはずがない、それは本来おれ(わたし)に向けられるべき賞賛だ」。

ネトフェミ金持ち父親の夢を見る。Mは映画の中でずっと、手を変え品を変え金持ち父親の夢を見ている。貴種流離譚的な夢だ。お金持ちの、人格者の、有名人の、素晴らしい男が、私を迎えに来る。そういう夢である。Mははじめから、いわゆる「信頼できない語り手」だが、それは彼女性格からして当然というか、「Mは金持ち父親からまれテレビ賞賛されるのが自分本来の姿だと思っていた」という、それだけのことである。そう、Mは自分王女さまだと思っているのだ。王女さまのはずなのに王さまのパパがいないから気も狂わんばかりにそれを求めつづけているのだ。

 昔話の王子さまは冒険の旅に出るが、Mはその点、昔話のお姫さま的に動かない。簡単に言うと、すてきなパパの夢を見ながら、「金持ちの男が自分に恋をする」とも思っている。だからといって具体的に男を口説くことはしない。まるで王子さまを待つ白雪姫であるグリム童話白雪姫家出して七人のこびとと仲良くなって家事などしていたからMよりぜんぜんマシだ。Mは家出もしない。りんご食って寝てるだけの白雪姫、完全無欠の受動である

狂を発して「M」からネトフェミ」になるときでさえ、彼女は「与えられる」側でなければ気が済まないのだ。りんご食って寝てるんだ。永遠に家出をしない白雪姫なんだ。

さあ、おわかりいただけだたろうか。Mの怪物性がいかなるものであるかを。Mはなぜネトフェミになったか。Mは貧しかたかネトフェミになったのではない。Mは不運だったかネトフェミになったのではない。Mは「自分大金持ちの有名人の子に生まれテレビスポットライトを浴びて子どもたちに大人気のコメディスターであるはずなのに、そうじゃなかった」からネトフェミになったのだ。Mは、自分無限賞賛を浴びて当然の人物だと(無根拠に!)思い上がっていたから、ネトフェミになったのだ。

 私にはそういう映画しか思われなかった。だから本作を観たあと、映画通の友人に「怖いね」と言った。「Mみたいな人、増えてるもんね、なんかこう、無限賞賛を求める系の人。主演がMを魅力的に演じすぎていて、まるで時代ヒーローみたいに見えて、よろしくないよ、あの映画はだから、私は支持できないよ」。

2018-03-15

「お前Mかよ」みたいなツッコミ

「お前Mかよ」みたいなツッコミをたまに耳にするけど、その大半が的外れから聞いてて不快な気分になる。

言われた側は反応に困るし、そもそも「M」って下ネタだし、スベってるし、誰も得しないから、安易に「お前Mかよ」を使わないでほしい。

2016-10-01

カフェ ベローチェ改善して欲しいところ

http://togetter.com/li/1031145

見て思い出した。

職場のそばのベローチェのこと。


サイズは「大」「小」にしたら?

スタバタリーズの変なサイズ名、あれって紛らわしさを排除するためなんだよね。アルファブラボーチャーリーデルタと同じ。

それでベローチェは未だに「M」「L」みたいなサイズ設定をしてる。

日本人発音と耳には「M」と「L」はとても近い。


からそのプロセストラブルミスが多いのだろう、

メニュー通りに「カフェオレのL」とか注文すると必ず「カフェオレの大きいサイズですね?」と聞き返される。

どんなに滑舌に気を付けて発音しても「大きいサイズですね」聞き返される。

ならもうメニューも「中くらい」「大きいの」にしとけよ。そしたらお互い間違いようがないだろう。

ちゃんとメニュー通りに注文してるのに別の言い方で復唱されると、

やんわり間違いを指摘されてる時みたいな感覚になってちょっとイラッとしてしまう。

もう今は「大きいサイズで」と注文するようにしている。


袋の端は加工しておけば?

ベローチェテイクアウトで1番時間が掛かるのはどこか?

実は紙袋の端を折るところでめちゃくちゃ時間が掛かっている。

なにしろ固目の材質の紙袋で、3重ぐらい折ると決まってるらしく、大変なのだ

新人だと目も当てられないほどモタつくが

店長レベルでも簡単そうにはやれていない。


で、別に消費者としてはそこまで袋の折り方にありがたみは感じていない。

朝の出勤時とかだと「いいからそのまま渡してくれ」と言いたくなる時もある。

なんであの端折りを大事に徹底しているのだろうか。

どうしてもあれを続けるなら袋の端に折りやすい加工をしておいて欲しい。

はっきりいって現状は無駄作業工程無駄な客の負担になっている。


ベローチェなのに高級っぽくするのやめたら?

ベローチェはかなり安い価格帯のコーヒーショップだ。

であれば、客がレジで求めるのは早さと快活さだ。

なんか現状のベローチェ中途半端に高級感や重厚さを出そうとしているように思える。

そんなんいいからさっさとやって、と思うことが多い。

コンビニ店員みたいな感覚コーヒーを投げるようによこされても

それでサーブが早くなるなら全然気にしないしむしろ嬉しい。

 
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