はてなキーワード: 漁師とは
もう幼女レイプモノとか飽きたから、もっと俺が読みたくなるようなハードコアコンテンツでせめてくれないなあ。
俺が読みたいのは「グルメ系」、わかりやすく言うとアニメや漫画で擬人化された動物系キャラを食肉にして同じ作品内の仲間キャラに食われる展開。
たとえばポニョが漁師に捕まって生きたままの活け造りにされて、そうすけとそうすけママに頭付きの活け造り刺し身で美味しく食べられたり、イカ娘のあいつが「食人族」の連中みたくケツの穴から口の先までやりで串刺しにされて、それを丸焼きにしたイカ娘ゲソ焼きをBBQパーティでみんなで食べるとか、最近では見てないけどケモノフレンズの草食系キャラが肉食キャラにサバンナで追い詰められて生きたまま腸を食い散らかされていくシーンとか。
このコンテンツの肝は最初はあんなに愛らしいキャラだったアイツラが最後には哀れな肉塊になって慕っていた別キャラに美味しく食べられる展開。「そうすけーーーー」って叫び声あげたいのにすでに喉元を包丁で断ち切られて、絶命前に口をパクパクさせてる魚にしか見えないポニョ。最後には目から生命の痕跡が消えてタダの刺し身とかしたポニョ。その刺し身をそうすけが「あれ、どっかで見たことあるような。。。でも美味しいー!」って食べてるシーン。ああ、たまんないね。
いやまあ、20年を経て初のアニメ化*1ってことでちょっと期待しちゃって、ちょっと違うな感が残るのは分からないでもないんだよな。
でもあれ1本で原作の骨子にまで踏み込むのは普通に考えて難しいってのも皆分かってたはずなんだよな。
ちょっとでも違うと思ったらシャッターをバシャン!って閉めちゃうオタクの感想とか読んだりしてちょっと悲しかったけど、どんなオタクにも譲れないポイントってのは必ずあるので仕方ない。
でも個人的にあの劇場版はポジティブに評価したい。作品面も、Netflixを通じた海外配信というビジネス面としても。
弐瓶勉本人も語ってるように、BLAME!原作は作中での設定や世界観の説明を徹底的に排除していて、
そんな中でたとえばシボが超構造体を突破できなかったと述懐したり、ドモチェフスキーが超構造体を盾にして戦ったり、
そういう小さいエピソードの積み重ねで「超構造体とかいうやべーやつ」「それを破れる重力子放射線射出装置とかいう超やべーやつ」という謎めいた層が読者の中に形成されていって、
霧亥も霧亥で倒れては蘇り倒れては蘇り…ってのを積み重ねるうちに「霧亥とかいうやべーやつ」という分厚い謎の層ができあがるんだよな。まるで階層都市そのものみたいに。
そういう厚みがBLAME!世界の広大さを引き立てる要素だったわけで、その体験を映像で丸々再現するには同じことをするしかないんじゃないかなと思う。
翻って劇場版を観ると、電基漁師との邂逅エピソードを抜き出して整理した感じ。
東亜重工や珪素生物など原作のキー設定をばっさり切って説明的なシーンを足したという点は原作の厚み・スケール感を大きく損なったが、ストーリーは相当分かりやすくなり、
シドニアのヒットを受けて原作ファン以外も取り込まねばならなかった制作陣の判断がうかがえる。(「説明しすぎ」という感想もあり、それも分かるのだが、あれでもチンプンカンプンな人は結構いると思うのでSFは難しい…)
ただ、いわゆるダメ実写化とかダメ映像化にありがちな「物語の根幹から大きく外れた設定・キャラを出して破綻」というのが殆ど見受けられなかったのが何より良かった。安堵した。
好悪あれど、原作をしっかり軸に据えた上で、その枠内でエンタメにしようとしてくれたのが嬉しかった。サナカン侵入シーンとか原作より恐怖を感じた。
「トフボーデン(塗布防電)」とか初見じゃまず分からないガジェットもぼかさずそのまま出してくれたし。「駆除系を妨害するわ!」みたいに説明セリフで済まされてたらもうどうしようかと。
ラストについても賛否あるけど、シボやサナカンは体を乗り換えられる世界だから原作との整合性もある程度取りやすい、それ故のアレなのかもね。百合妊娠世界救済エンドはまだありますよ。ありますとも。
原作ファンにも初見客にも共通する正解ではないし、そもそもそんなもの存在しないけど、少なくとも105分という枠の映像化としてはまあほぼ最適解だったんじゃないかなって思いました。
(*1) 正直これまでに制作されてきた短編群の方が原作の雰囲気をよく伝えていると思うが、やはり商業的に難しいのだろう。今作の方向性が皮肉にもそれを示しているように見える。
・ズルに感情移入させようとすることがそもそも失敗。漫画は押し付けられた感情移入キャラがない中で読者が勝手に感情移入するのがいいんであって原題の魅力と真逆のことしてる。
・ざっくりいうとBLAME!に関しては弐瓶劣化してる。20年前の原題書き上げた弐瓶よりも明らかに劣ってる。今の弐瓶はシドニアの騎士を描く上では正解だがBLAME!にはもはや適してない。牙を抜かれたおっさんがBLAME!を改変したところで正解するわけがない。
・散々会議したくせにカオスの元凶のケイ素生物出てこないってどういうことだよ。設定すらない。明らかに予算不足で敵キャラ減らすことになったのは目に見えてる。なら電器漁師のパート減らしていいからほんの少しでもいいから出しとけよ。ケイ素生物に対してとことん非常なのがキリイなのにそれを見せないとかありえない。
・タエがサナカンに乗っ取られたエピソードとかせっかくキャラにおしゃべりさせてたくせに妙に引っ張って違和感すごかった。そこはちゃっちゃと説明するかサラッと流して無常観だせよ。ここらへん余計なドラマチックにしてコケて大けがするのが今の弐瓶。
・既に似たようなこと書いたけどこの作品は弐瓶が昔の俺アイタタだわーw的な改修されてるせいで尖った魅力がおっさんの脂肪分でマイルドに丸くなってる。そういう黒歴史っすわwみたいな態度が逆につまらなくする悪例として反面教師にしたい。
・キャラがブレてなかったようなキリイも終盤エレベーターシーンで、黙って勝手にエレベーターのボタンを操作するでもなく、声優にお仕事させるために意味不明なコミュニケーションをねじ込まれる。余計なラブドラマ要素への決着がここにきて噛みごたえ最悪のホルモンみたいに残ってしまった。これで会議したのかよ。
・キリイの魅力として簡単な善悪では測れない行為、苦しんでるやつを放置せず殺したり、かといってお人よしのように見返りがないのに助けたり、強く求められると断れないところみたいなそんな冷酷な面もあるけど人間を助けたいという行動に一貫性があるし弱者に味方をする点が浮き彫りになっていくところでしょ。でも舞台を電器漁師の村だけにしたらその辺りの話積み重ねられない。駄目過ぎ。
・人気キャラが悉く出ない。あれもこれもあれもこれも。説明いらないからポッと出でいいからねじ込めよ。そのための映画だろうが。そのための構成だろうが。何のための会議だよ、酒飲んでるだけだろいい加減にしろ。
・戦闘シーンに限っては、原題ではあった重力子射出線放射器の遠距離で透視した状態で打ち合うという、全てを貫通する銃だからこそできる撃ち合いがCG代節約なのかなんなのかとにかくもったいぶる。あと効かないから撃たないなんて発想はキリイにはないし、銃使うとキリイ自身が充電が必要なのも酷すぎる設定。そんな欠陥銃でどうやって生き残ってこれたんだ1人で。
・階層ごとに生活圏が分断されているというのがこの世界の絶望的な設定なのにそれを感じるエピソードが少なすぎ。「下 6000階層」の言葉の意味も初見じゃ訳わからんだろ。超構造体の説明じゃなくて監視塔の説明だと色々矛盾が出てくるけど村が孤立している理由を超構造体のせいじゃなく監視塔のせいにするからおかしくなる。これも原題設定とのズレで出てきた破綻部分。キリイだけが階層を渡り歩くことができるってことをちゃんと村に行くまでに見せておくべきだった。説明するようにしたといってるけど口だけで描写が下手過ぎて映画素人か。
・統治局がイカになってた。
・分かりやすい省エネ作画の電脳描くくらいならもっとましな表現考えてくれマジで。なんどもくるーくるーゆっくり回るシボがカットインされて変な笑い出そうになった。
・そして基底現実の肉体は死んだけど電脳ではまだ動けるっていう描写も原題では現実世界で一刻の猶予も無い中での設定だからいいんであってシボの行動と戦闘中のキリイとまるで関係ない話を勧めててアホかと思った。
・ラストシーンでシボがキリイと残らなかったのも意味不明。シボが自分の安全のために下に逃げるなんて行動取るか?またキリイに工場へ連れて行かせるためにもエレベーターには乗らないだろ。
・他でも言われてるけど超構造体の「重力子放射線射出装置でしか壊せない」っていうルールのある世界だから成り立つことを説明するべきでしょ、それ説明するだけでなんでジリ貧に陥ってるのか建設者が厄介なのかを分かってくるのに。
・ズルかわいい。
・キリイかっこいい。
以上。
要するに映像化して良かったところは良かった。
BLAME!を黒歴史だと認識して余計な事してるのがまさに今、新しい黒歴史作ってんのを弐瓶は理解できてんのかね?
というかBLAME!こそファンである製作陣に丸投げさせてノータッチで作らせるべき作品だったろ。
中学生の頃は辞書の隠語で興奮してたけどそれは別に恥ずかしいことじゃないし、
男がみんなそこで共感性を持つからこそBLAME!は海外でもヒットしたんだろうが。
それを描いた本人が既に理解できなくなってるんだから月日の流れってのは恐ろしいな。
というか普通に予算足りなかったのならグチグチ言い訳せずに素直にそう言え。
逆に不信感出るわ。
PS:
観に行って良かったか悪かったかで言えばキリイが観れただけで良かったけど
PS2:
>このお話「強い旅人が通りすがりの村の問題を解決して去っていく(そして旅人は村の伝説として語り継がれる)」って話じゃなかったんですか
弐瓶はこういうことをしたいのならそもそもBLAME!という原題を用いて映画にする意味がない。
BLAME!がBLAME!のまま映像化されるのをファンたちは期待してたのに初見も楽しめるようにではなくて初見を軸に据えてどうすんだよアホ弐瓶。
PS3:
>世界観に初めて触れる人にとっては、あれでも展開が早すぎるって人も居るみたいだよ
じゃあ世界観説明させるためにキャラにおしゃべりさせましたってのすら失敗してるってことじゃねーか。
まあ、初見にストライク取れたかどうかは売上で分かる事だからここでどうこう言っても仕方ないが。
PS4:
>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。
大の大人が集まって脂汗垂らしながら構成やらシステムやら今後の方針練るところだろ。
PS5:
あかんよ。
PS6:
>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。
昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ芝刈りに。
おばあさんは川に洗濯に行きました。
おじいさんは芝狩りに行く途中、景色が綺麗だなと思いました。
おばあさんは川で洗濯をしていました。
すると、上流からどんぶらこっこ、どんぶらこっこと大きな大きな桃が流れてきました。
「あら」
おばあさんは驚いて洗濯物を全て川に流してしまいましたが、気付きませんでした。
「よいしょ」
おばあさんは勇気を振り絞って上流から流れてきた大きな桃を掴み、岸にあげました。
「ふう。こりゃ大きい。これでしばらく食べ物には困るまい」
おばあさんは桃を家に持って帰りました。
「ひゃあ!なんだいこれは」
大きな桃を見ておじいさんは驚きました。
「なにって、桃だよ」
「はあ。こんなに大きな桃があるんだねぇ」
「とりあえず、食べましょ」
おばあさんは大きな鉈を取り出して、真ん中に切り込みを入れた後、
すると、桃が一度大きく揺れて、中からなんと赤ん坊が出てきたのです。
「「どひゃぁぁぁ」」
「おんぎゃあ!おんぎゃあ!」
「あ、赤ん坊じゃと?!」
おじいさんとおばあさんはそれはそれはとても驚いて腰を抜かしましたが、
桃から生まれた赤ん坊を桃太郎と名付けて育てることにしました。
それから桃太郎はおじいさんとおばあさんに育てられ、すくすくと成長しました。
しかし、その間に鬼が度々世間を賑わせており、何度かおじいさんとおばあさんの家には来て、
幼心に桃太郎はそれを覚えていて、鬼は悪い奴という認識を持つようになりました。
そして物心がつくと、桃太郎はおじいさんとおばあさんに言いました。
「僕、鬼を滅ぼします」
「えっ」
「も、桃太郎!」
「おじいさん。おばあさん。今まで育ててくれてありがとう」
「……そうか」
「わかったよ」
おじいさんとおばあさんは桃太郎の話を聞いてなんと無謀なと思いましたが、
村の相撲大会ではいつも熊を倒していたので、ひょっとしてと実は期待していました。
「よし!わかった」
「これを持っておいき」
おばあさんはご自慢のきび団子を渡しました。
「ありがとう!おじいさん!おばあさん!」
そうして桃太郎は家を出ていきました。
「鬼倒すとかさすがに草」
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰につけたきびだんご。ひとつ私にくださいな」
「むむ」
歌い喋る犬を前に桃太郎は大変驚きましたが、一呼吸置いてこう言いました。
「わかった。君は大変かしこい犬だ。このきびだんごをあげるから、鬼と戦いなさい」
「わかりました」
そしてまたしばらくすると、桃太郎の前に雉が現れました。
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰につけたきびだんご。ひとつ私にくださいな」
「むむ」
歌い喋る雉を前に桃太郎は大変驚きましたが、一呼吸置いてこう言いました。
「わかった。君は大変かしこい雉だ。このきびだんごをあげるから、鬼と戦いなさい」
「わかりました」
「桃太郎さん。桃太郎さん。お腰につけたきびだんご。ひとつ私にくださいな」
「むむ」
歌い喋る猿を前に桃太郎は大変驚きましたが、一呼吸置いてこう言いました。
「わかった。猿は大変かしこい犬だ。このきびだんごをあげるから、鬼と戦いなさい」
「わかりました」
こうして桃太郎は、犬、雉、猿という心強い仲間と出会ったのです。
しばらくすると港町に着きました。
「鬼ヶ島に行きたいのですが」
その後も何人かの漁師に聞きましたが、いい返事はもらえませんでした。
しかたが無いので桃太郎は漁師から安い船を購入し、それで鬼ヶ島へと向かいました。
鬼ヶ島に上陸すると、直ぐに鬼の形をした大きな門がありました。
「ようし。ここだな。ここに鬼がいるんだな。行くぞ!」
「はい」
「ええ」
「いきましょう」
桃太郎は勢い良く門を叩きました。
「はい。どなたですか?」
門の中から鬼の声が聞こえました。
「はあ。今開けますね」
すると門が開き、中から大きな鬼が現れました。
「どちらさ……ひゃぁ!」
「くたばれ!」
「ワン」
「ウッキー」
桃太郎は刀を鬼に向け、犬は牙を向け、雉は目をつつき、猿はひっかきました。
「うわぁ……ちょ、まってwwww」
鬼は言いました。
「それなら」
桃太郎達はつづらに入っている綺羅びやかな物品を目にして、刀を下げました。
「あっはっはっ!」
「ワン」
「ウッキー」
桃太郎達は手に入れたつづらを荷台に乗せて、おじいさんとおばあさんの所に帰ってきました。
「やや!」
「も、桃太郎!」
「おじいさん!おばあさん!つづら貰ってきました!」
「鬼を倒したんだね!」
「これで安泰だ」
「いや。鬼はまだいますよ」
「えっ」
虚空を貫く稲妻のように、私の体を痛覚が走り抜ける
「このウンコはビッグでハードだ。私はこのウンコを生み出す痛みに耐えられない」
私が便座の上で悶えたのは、その数秒後だ。ウンコが空気に触れるその刹那まで、私の体は痛みを感じることすらないのだ。
そして私の体はあらかじめわかっていた痛みに悶える。雷雨をいち早く察知する漁師のように。大海原でそれを避けることは誰にもできないのだ。
痛みの後に押し寄せてくるのが、臭いだ。
ウンコが着水するそのゼロコンマ数秒の間に、匂いの粒子は私の鼻に到達する。
こんな臭い物体を身に宿して、誰もが自分を地べたを這っている。
まるで自分は普通の人だと訴えるように。自分は今まで臭いウンコをしたことがないように。
しかし、現実問題として私のウンコは臭い。昨日食べたシーチキンの匂いがする。確かに咀嚼されたはずのシーチキンは、姿を変えてTOTOの便器の上に鎮座している。このシーチキンも、何ヶ月か前はあの大海原を自由に泳いでいたはずなのに。
シーチキンにとってせめてもの救いは、転生したその姿がビッグハードウンコだだったことだ。
宿主に呻き声を上げさせる、ソリッドなウンコだ。
あんな柔らかく芳醇なシーチキンが、どうしてこんなに固く拳を握りしめて、私の肛門を裂くんだろう?
まあ、もう手遅れだ。なんにせよ、ビッグハードウンコは私の体を裂いたのだ。
あれだけ硬いウンコならば下水管を流されても、ウンコとしてプライドを保ち続けるのではないか?
そして、そのウンコはいつか大海原に到達し、回り回ってまた再びシーチキンになるのではないか?
そのとき私は、自分が生み出したビッグハードウンコに気がつくことができるのだろうか?遠い日に離れ離れになった恋人たちが、お互いの体臭を嗅ぎ当てる様に?
全てはまた遠い未来の話だ。さよならビッグハードウンコ。次に出会う時は、もっと健康な消化器官を持って、適切な固さと控えめな匂いで生まれ落としてやりたい。
ものごころついて以来、サバ漁師である自分に違和感を感じながら生きてきた。自分みたいな「他県のサバ漁師」が、さも「関サバ一本釣り漁師」であるかのように装ってはいけない気がして、大分県にも瀬戸内海にも関あじにも、近寄らずに生きてきた。中身が違うのにパッケージだけ関サバ、詐欺だと思ってる。
ときどき、今までの自分の人生や、漁師であることへの違和感を吐き出したくて、どうしようもなくなる。でも、自分が言いたいことに近いことや共感できることが書いてある書き込みには、大抵、「関あじと違うワタシ乙w」「典型的な偽装関さばw」「はいはい関サバ関サバw」「めっちゃ陰湿なザ・偽装w」みたいな反応がつく。日本海も魚網も許されない雰囲気が蔓延してて、怖い。
自分の人生の全てが「関さばというもの」に絡め取られてて、嵌っても「関さば」だし、はみ出ても「さば」だし、一本釣りにはバリエーションが認められなくて、全てがただ「関サバ」に収束していく感じがして、息苦しい。
SupersonicとWonderwallはいい曲だと思うけど、
バンドとして総括的に見ればフォークソングをオーバードライブかけたギターでまとめてもっさりさせたようなバラードばっかり。
なんというか極寒の港町にある飲み屋で、若い漁師がカラオケで歌いそうな曲。
Oasisってそういうこてこてのバラードをひたすら量産してノエルが飽きて行き詰まったバンドじゃないの?
Youtubeとかで聞いてると「そのやり口しかないんかい」って思っちゃうよね。
似たような曲でもキラーチューンをいくつも出せたあたり、有象無象のブリットポップとは違ったのかもしれないけどさ。
野暮な例え方をするなら、亀田兄弟がGLAYの曲歌ってるようなバンドじゃん、Oasisって。
イギリス人からすればBELOVEDとかBE WITH YOUみたいな感じでしょ、Oasisの曲って。
ロキノンの洗礼を受けたようなアラフォーのおっさんのドンルク好き率を冷ややかに笑いながらそんなことを思うけど、
なぜかたまにSupersonicは聴きたくなるんだよな。
まあ僕は断然Blurの方が好きなんだけど。
テイジー同盟成立以来ずっと続いてきたともいえる
地軸がこけた。
そのため、地軸は傾きを安定させるウエイトに欠け、大きく変動する定めにあった。
戦争中も少しずつ少しずつ傾いていき、ついに文明の限界を超えた。
鯖鰈漁に出た漁師が悪態をつく。成立時点から漁業への依存が強かった増田アース人の文明は
やっぱりそれは冬眠を捨てていた悪影響だった。
最初から無理をしていた人々は、さらなる無理に耐えられなかったのだ。
生産量の低下に輸送をはじめとする社会システムの破綻がくわわり、
人民の冬眠時期を調整して食糧不足を緩和するなどの手を打った。
彼らが奮闘したおかげだった。
なお直接的な脅威がなくなったおかげで、モレツ帝国は「冬眠という呪い」から
もう半分クリアしちゃったけど
最初は船のシーンでアドルが船員のバイトみたいなのしてるとこから始まる
近くのセイレン島に流れ着く
そこでは船長とかドギもいて漂流村っつう拠点作ってそこでサバイバルしていくことになる
ラクシャっていう貴族のお嬢様、サハドっていう大雑把だが気弱な漁師も仲間になる
運びやだという素性以外何も明かさないあやしいヒュンメルって男も仲間になったり外れたりする
仕立て屋とか鍛冶屋とか医者とかの漂流民が都合よくいたから、漂流村はだんだん充実していく
しかし古代種っていう古代の恐竜(普通の武器じゃ歯が立たない)と、
巷を騒がせていた切り裂き魔が同時に現れて不穏な空気になる
後者は人当たりのいい善人(すぎて逆に怪しい)の医者が犯人だったが、最後は古代種に食われて死んだ
次は島脱出を試みることに
ひょうりゅうむらのある島南部だけでなく、北部にも足をのばして探検しようということになる
一方アドルは夜な夜な夢の中でダーナという少女の夢を見ていた・・・
移動シーンでカメラがすごくアドルに近くて周りが見えづらくて移動しづらくて、
こりゃ駄作かなと思ってしまったくらい船での一連のイベントはクソだった
でも夢の話はだらだらとなる前にさらっと終わるのはうまいと思った
昨日は古代種を新しい金属で倒して、北へ向かうための山越えをしてボス倒したところまで
新しい金属入手するあたりでリコッタっていう元野生児が仲間になるけどこいつがめっちゃかわいくて使いやすくてこいつばっかつかってる
女の下着も同じなんだろう。
http://digital.asahi.com/articles/ASJDV320XJDVPQIP001.html?rm=655
「自分らのはいたデニムが倍の値段で売れるなんて信じられんけえ。普通は新品がええじゃろ」
田頭さんは最初、無料で1年間デニムをはいてくれという企画に、半信半疑だったが、
「タダではけるんじゃったら作業ズボンも買わんでええし、やってみよか」と軽い気持ちで引き受けた。
1年後、色落ち具合や生地の傷みをチェックされ、4万2千円の値がついた。
自分のはいたものに高値がついてうれしかった半面、「そんな高値で誰が買うんじゃ」
と心配した。ところが、間もなく買い手がついて2度驚いたという。
「さっきからお腹の調子がどうもよくない。昨夜の深酒か、風邪を引いたか、それとも昼に食べた牡蠣のせいか。」
とブログに書いたら、牡蠣漁師から腹痛の原因にするな!って怒鳴られるようなものかと。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161127-00000503-san-soci
しかも、牡蠣と関係あるんだか、ないんだか、よくわからない人が吠えている。
「過去の腹痛原因」を「過去に犯罪者氏名公表を避けられた者」と置き換えてみる
牡蠣=渦中の方々
過去の犯罪未公表事例から原因を推測しただけでアウト!になるなんて、
今回吠えている方々がヒステリックに断固反対する「言論弾圧」やら
「表現の自由を奪うこと」なんじゃないの。
結局、自分らの都合の良くないことは、これまでの主義主張を曲げてまで
反対しているように見えてしまい、つくづくかわいそうだ。
今、三十代半ばなんだけど、曾祖母が健在なんだ。100歳。
小学校に上がった頃だったと思うんだけど、勉強をして立派な会社に入ればクーラーの効いた部屋で仕事ができると、そんな事を言われた。
曾祖母は百姓の出で、百姓に嫁ぎ、6人の子供を産んだわけだけど、時代がら学校に通っていないんだ。
60過ぎまで道路工事の作業に従事した曾祖母の目には、エアコンの効いた部屋で仕事をする俗に言う「ホワイトカラー」がとてつもなく楽そうで、そのうえ高級取りで、ずるく見えていたのだろう。
周りにいたのは、百姓、大工、漁師くらい。総じて学がなかった。
そんな曾祖母からすると勉強をして、ホワイトカラーになるのは幸せなことだったんだろう。
僕自身、ホワイトカラーの一種に分類されて十年以上たつけど、さて、そんなに幸せか。
だが、仕事は辛い。
会社に500人いると話すと、半分は寝てるだろ、とか、下駄箱で靴を間違えられるなとか、とんちんかんなことを言う。
本を読んでいると、理解不能。生野菜のサラダを食べると顔をしかめる。
100歳にしては元気な方で、特に介護は不要だが、耳はさっぱり聞こえない。
たまに帰って飯を食うと、動かないのによく食べると、嫌みを言う。
僕は曾祖母の意向により進路を曲げられたこともあり、当時は、曾祖母が死んだら元に戻ろう、くらい思っていた。
実は内心、早めの退場を願い続けてもう20年も経つが、まあ来年くらいにはお別れがきそうだ。
多分、僕は泣くだろう。