虚空を貫く稲妻のように、私の体を痛覚が走り抜ける
「このウンコはビッグでハードだ。私はこのウンコを生み出す痛みに耐えられない」
私が便座の上で悶えたのは、その数秒後だ。ウンコが空気に触れるその刹那まで、私の体は痛みを感じることすらないのだ。
そして私の体はあらかじめわかっていた痛みに悶える。雷雨をいち早く察知する漁師のように。大海原でそれを避けることは誰にもできないのだ。
痛みの後に押し寄せてくるのが、臭いだ。
ウンコが着水するそのゼロコンマ数秒の間に、匂いの粒子は私の鼻に到達する。
こんな臭い物体を身に宿して、誰もが自分を地べたを這っている。
まるで自分は普通の人だと訴えるように。自分は今まで臭いウンコをしたことがないように。
しかし、現実問題として私のウンコは臭い。昨日食べたシーチキンの匂いがする。確かに咀嚼されたはずのシーチキンは、姿を変えてTOTOの便器の上に鎮座している。このシーチキンも、何ヶ月か前はあの大海原を自由に泳いでいたはずなのに。
シーチキンにとってせめてもの救いは、転生したその姿がビッグハードウンコだだったことだ。
宿主に呻き声を上げさせる、ソリッドなウンコだ。
あんな柔らかく芳醇なシーチキンが、どうしてこんなに固く拳を握りしめて、私の肛門を裂くんだろう?
まあ、もう手遅れだ。なんにせよ、ビッグハードウンコは私の体を裂いたのだ。
あれだけ硬いウンコならば下水管を流されても、ウンコとしてプライドを保ち続けるのではないか?
そして、そのウンコはいつか大海原に到達し、回り回ってまた再びシーチキンになるのではないか?
そのとき私は、自分が生み出したビッグハードウンコに気がつくことができるのだろうか?遠い日に離れ離れになった恋人たちが、お互いの体臭を嗅ぎ当てる様に?
全てはまた遠い未来の話だ。さよならビッグハードウンコ。次に出会う時は、もっと健康な消化器官を持って、適切な固さと控えめな匂いで生まれ落としてやりたい。