はてなキーワード: 液晶とは
鏡のように磨かれたタイルの上に電話ボックス程の機体が一台置かれている。
見た目は真っ白なただの箱かな。
4面のうち1面にカーテンが取り付けられていて、その奥にタッチパネルとタッチペンが用意されている。
液晶に「画面にタッチしてね」の文字がピンクで点滅していて、タッチすると画面が切り替わった。
画面の左側には三頭身ほどの人間の素体が表示されていて、のっぺらぼうでばんざいの格好をしている。
画面の右側には目、口、鼻、顔の形、のボタンと、その下に顔のパーツが複数並んでいる。そのスクロールバーがどえらく小さくて大分下までスクロールできる事がわかる。
ただ、中には選択できないパーツもあるみたいでグレーアウトしてるパネルもチラホラあった。
そして画面の右上端には60の数字が。
この数字は刻々と変化していて、59、58……どうやら制限時間らしい。
初めは目のパーツ、口のパーツと選んでいたがなにぶん数が膨大で選びきれそうも無い。
画面の数字が30を切ったところで諦めておまかせボタンで作ることにした。
が、これもくせ者でなかなか思った顔にならない。作った顔の一時保存もできないので次にいい顔が出る保証もない。
制限時間が終わり、画面に「この顔でいいですか?」のピンクの文字と「はい」のボタンが表示された。
あ、これキャンセルとか無いんだ。
妊娠悪阻で1ケ月入院したことあるけどLINEどころじゃないのは確かだった
私の場合視覚にもきていて液晶画面を見ると吐く、色彩の強いものを見ると吐く、
あと観葉植物を見ても吐いていた。今から思うと謎過ぎるんだけど・・・
自分は悪阻始まってすぐに妊娠初期の段階で職場の同僚に話したけど
(本当に発覚後すぐ出社も危うい感じだったので)
世間一般的には安定期まで公表しないというのが広まっているので
逆に自分の時は上司と同じ部署の同僚にしか話してない妊娠のことを
流れてたら尻拭いどうするつもりだったんだよとちょっとヒヤっとした。
私自身同僚が妊娠で一気に2人減りめちゃくちゃ仕事がしんどかった時期があるので増田の気持ちよく分かる。
先が見えないんだよね。社員の枠には入ってるから人員の補充もないし、作業量も見積もれない。
休んだ本人から何か一言あってもいいじゃん、と思ったし。それだけでもモチベーション変わるし。
増田のストレスとしては先が見えないことが一番大きいと思うので
私自身別部署の業務とは関係ない人から心配のLINEをもらったときは正直に妊娠のこと伝えた。
自分から何かアクション起こすの悪阻が酷い人はまじでしんどいレベルなので返事のほうが楽なんだよね。
それで相手から常識ない扱いされても相手も増田に負担をかけていることには変わりないので
堂々と聞いちゃっていいと思います・・・
UQ mobile端末補償サービスに電話したら、規定に書かれた無償補償の条件を満たしていたにも関わらず、有償での交換を迫られ、散々な対応をされた。以下ではその一部始終を記載する。
UQ mobile のスマホを利用している。最近のスマホは大きいので持ちにくいこともあり、カバーとストラップもつけて気をつけており、もちろんや水漏れや端末の落下等もなかった。それにも関わらず利用していたスマホの液晶が浮いてきてしまい、スマホ本体のスピーカーもイヤホンジャックに繋いだイヤホンからも音が出ず、電話もできない状態になってしまった。そこで、仕方がないので、他人の携帯電話を借りて、契約していた端末保証サービスを利用しようと UQ mobile端末補償サービス受付センター へ電話した。
端末補償サービス受付センター担当Hさん「液晶が浮いてきたとの申告のため、有償で5000円にて交換をします」
担当Hさん「皆さまに同じようにご案内しているので今回のケースの場合、有償5000円にて交換となります。」
たかが5000円ならとも思うが、恐らく難癖つけて全てのケースで有償交換を迫るのであろうと思ったら言い返したくなってしまった。
私「どこにもそんな説明書いてありませんけど?」
担当Hさん「サービス規定に基づいて皆々さまに同じサービスを案内しております。」
色々言われるので、よくよくサービス規定を見ると以下のように書いてあった。
(3) 補償のお申込みが、本サポート制度対象移動機のお買い上げ日から1年以内になされたものであって、補償
請求事由が本条第2項第1号に規定するものである場合は、前二号の規定にかかわらず、無償で補償を提供しま
す。
(1) 本サポート制度対象移動機の自然故障 (取扱説明書などの注意書きに従った正常な使用状態のもとで発生
した故障)。
いやいや・・・。契約して半年経ってないし、無償で補償を提供する条件に当てはまっているけど・・・。
UQ mobile担当者Hさん「社内で精査するので2、3日後に連絡をします。」
いやいや、電話壊れてて話せないし
私「すぐにでも新しい電話が欲しいのですが?」
サマって書いているが、実はここまで1時間以上話していた。何度も保留音楽を流して待たされ、担当者も同じHイニシャルの別の人に入れ替わっていた。
担当Hさん「やはり規定に基づいて皆さまに同じようにサービスをしているので、今は有償5000円で交換の案内になります。」
いやいや、皆さまに規定とは異なるサービスを提供してますって・・・。
そして、サービス受付時間の21時を過ぎていたことで、さらに追い打ちをかけてきた。
担当Hさん「サービス受付センターの営業時間が過ぎているため、途中で電話が切れてしまうかもしれません。2、3日後にお電話差し上げますのでいかがでしょうか?」
私「自分のスマホが壊れていて、今も借りた電話で話しているので、メールで返答をいただけませんか?」
いやいや、あのさーー。もう訳わからず。
そんな中で電話が切られた。
私「さっき端末補償サービスに問い合わせてーー、電話を切られたのですが?電話を繋げていただけませんか?」
担当Oさん「問い合わせたところ、営業時間外のためか補償サービス受付センターに電話が繋がりませんでした。」
私「自分のスマホが壊れていて、今は借りた電話で話しているので、メールで返答をいただけませんか?」
担当Oさん「わかりました。明日の朝イチで必ずメールするように伝えます。」
と案内されて、翌日の一日が過ぎたが、メールは届いていない。
本の場合、電子書籍を液晶画面で読むと目が疲れるという人がかなりいて、それは「デジタル配信の音楽を聴くと耳がおかしくなる」という人よりだいぶ多いと思われる。
電子ペーパーのKindleなんかだと目の疲れは緩やかだと言われるけど、あれこそパソコンに対するワープロ的な存在っぽいんだよな。
なので、革新的な電子書籍リーダーが出ないかぎりは、紙の書籍はCDほど急激に減少しない。
そして、現在でもCDがかなり残っていることを考えると、30年程度では紙の本は無くならないだろう。
あと、電子化されていない古い書籍が、レコードやCDの比でなく大量にあるので、古書店的な存在は無くなりづらいのではないか。
※この記事でのパチスロとはパチンコのことではなく演出用の液晶画面付きスロットを指します。だから、打つものではなく回すものだし、お金に関してはコイン換算の話になりますのでご了承ください。
パチスロとガチャは射幸性がよく似ていると言われているが、両方にハマってしまった身からすると、実は全然違うと思う。
私の場合パチスロは射幸性を楽しんでいる。一つの台をやり込んでさりげない激アツ演出とか一通り覚えてそれらが出てこないかどうかを楽しむ。当たってる最中はそういう射幸性を煽る演出があまり出なくなるので消化試合になってしまってイマイチ好きじゃない。
一方のガチャ(というかFGO)は射幸性を煽るような演出は全くと言っていいほどない。時々虹発光や金発光が見えて当たりが出てくる、もしくは外れたと思わせて当たったという場合もあるけど、射幸性を煽るような演出はこのくらいで、パチスロの演出の多さと比べたら無いに等しい。でも、ガチャにはパチスロにない所有欲を満たすという要素がある。ガチャにハマっている人は射幸性に煽られて回しているわけではなく、所有欲を刺激されて回しているのではないだろうか?というか私は完全にそういうタイプで、欲しいと思ったキャラ(大抵の新規実装キャラは欲しい)を手に入れるために回している。だから、ガチャ演出は飛ばしている。
これはガチャの方が圧倒的に速い。ガチャは大抵10連単位で回していくが、この10連を回すのに約3000円かかる。パチスロで3000円あれば普通の速さで回して15分くらいは楽しめる。しかしガチャの10連は演出を全部律儀に見たとしても3分で消える。私みたいにガチャ演出を飛ばすようになると30秒かかるかどうかぐらいだ。
しかし、この点をもってガチャよりもパチスロにお金をつぎ込もう、という気にはならない。先ほども説明したが、パチスロを回す動機とガチャを回す動機は別物だからだ。
これは実は両方どっこいどっこいだと思われる。
まずパチスロはホールに20歳以下は入れない。しかし、一旦中に入ってしまうとニコニコ現金決済の世界だ。札になった現金だけあればいい。どうでもいい知識だが、ホール内にある銀行ATMは1日に3万円までしか下せない。
一方でガチャはクレカを持っていれば課金へのハードルは低くなるものの、クレカを持てない若年層はコンビニとかでプリペイドカードを買わなくてはいけないので課金へのハードルがやや高い。
これらを比べると、どちらの方が課金へのハードルが低いかなんて一概には言えない。
これは多分ソシャゲの方がハマりやすい。ソシャゲの方がパチスロよりもゲーム性が豊かだからだ。
ソシャゲにはキャラを手に入れるためのガチャがあり、楽しむべきシナリオがあり、キャラを育成する楽しみがあり、頭を使ってクリアするバトルがある。そして基本は無料で手を出しやすい。
一方パチスロにはゲーム性は皆無と言っていい。昔は技術介入の余地があったらしいが、今はガッチガチの規制のためプレイヤーの腕は全く必要とされず、ただコインを入れて回して当たるかどうかを楽しむだけというなんつーか砂漠みたいなゲーム性だ。当たるかどうかを楽しむにしても、基本的な演出を覚えてからじゃないと楽しむも何もなく、よくわからんけど回すたびに液晶画面のキャラがなんか喋るなくらいの感想しか持てないので普通につまらない。当たったときの快感がそのつまらなさを超えるような人じゃないとパチスロにはなかなかハマらないだろう。その上、基本はコイン1枚20円で、1回回すのにはコインが3枚必要になるお高い遊びだ。そして150回転で初当たりが見れたら運のいい方なので、初見が手を出すにはちょっと辛い金額だろう。
パチスロとソシャゲ、どちらがよりタチが悪いのかなんて人によるので言えない。
なので私の場合で話すと、パチスロの方が虚無だった。当たりそうな演出に煽られて、あと少し、あと少しとお金を追加して予算を大幅オーバーしてしまう。当たったとしてもそれで満足して止めることができず、当たり分のコインを全部つぎ込みさらに追い課金してしまう。その結果何が得られているのかというとあと少しで当たりそうというワクワク感だけだ。そのワクワク感も最初のうちだけで、2時間も打ち続けるとその日の損切りができずに多分あと少しで当たるはずと虚しい思いでお札をつぎ込む。時々、その日つぎ込んだ以上のコインが戻ってくるくらいの大当たりに遭遇するけど、トータルで見ると負けているのでそれで虚無が埋め合わされる訳ではない。
けれどもFGOの方はストーリーは楽しいし育成もイベントもそれなりに楽しいし戦闘もそこそこ頭を使うので楽しい。音楽もいいなと思う。予算内でガチャが当らなかった時はちょっとだけ虚しいけど、他の要素が埋め合わせてくれるので虚無だとまでは思わない。
おれは大衆が嫌いだ 人間の何もかもを娯楽として(しかも一過性)消費する人間どもが気持ち悪い 存在を認めることも無理 人間は大好きだ 一方通行の愛は暴力とおばあちゃんが言っていたがそれでも人類は好きだった 多分 認識できる範囲内の人類は誰よりもこよなく愛していた 電車の窓から覗く街の灯りひとつひとつに思いを馳せて幸福を願った 今思えばあまりにも気持ち悪い自慰行為である だが大衆のかたちをとった人間はどうあがいても気持ち悪い
誰かの鮮烈な感情をインスタントなコンテンツとして液晶越しに消費する人間 あたかも弱者のような顔をして群れて無敵になる人間 ひとりひとりが考えを持っているのにきまって同じ行動を取る人間 虫か?(虫スキーに誤解されないように言っておくと僕はは虫がもうめちゃくちゃに嫌いなわけではない)
その比喩は確かに分かりやすいんだけど、能力が1次元と仮定するのは現実を捨象しすぎていて議論ができないから現実に話を戻したい。
自分はさっき一般的に会社で行われる業務に必要な能力として3つの能力を挙げたけど、別にその3つの能力が必要だと思っている訳じゃない。
価値っていうのは他の物との差異だから、楽器が上手く弾けるとか手芸が得意だとかそういうのでもいいし、なんなら色々な物を組み合わせて新しい分野を自分で作ってしまってもいい。
現実は足が速くなくても跳躍力があれば高跳びの選手にもなれるし、腕力が強ければ砲丸投げの選手にもなれる。
目の前にある端末の液晶を開発した人とスピーカーを開発した人とアプリを開発した人はみんな違うし、それを1つのシステムとして組み合わせようと考えた人もいるはずだよね?
つまり、他の人より何か上手くできるものを作ってしまえば認められる世界ではある。(マーケットも必要だけど)
この世界は想像力があればなんでも作れるし、想像力は知識と経験を積めば向上していくものだよ。
もちろん生育環境とか時代背景とかの外部環境の問題はあると思うけど、そういう価値を生み出すための何らかの行為をしてこなかったことに対して自己責任が無いとは思わないかなぁ。
外部環境が良かったために人生必死になってない人と比べられるのが辛いとかあるのかもしれないけど、でもその人たちも尊属の誰かが価値を生み出してきたからこそそうなれたんだよね。
だからよりよく生きたいなら自分がどこかで必死になる必要があると思うし、自分でカバーできる部分は多々あると思うんだよね。
それこそクラウドファンディングみたいにビジョンと熱意と努力を見て投資したくなる人もいるんだし、外部環境を変えることだって可能なんじゃないかなぁ。
視線を合わせないように俯いてスーッと通り過ぎる。
「上司と目が合えば嫌味の一つや二つ言われるに違いない、、、」
特に悪いことをしてるわけではない
定時で上がっただけなのに私は小走りで
逃げるように
会社を後にする。
「夕焼け小焼け」が聴こえてきた。
早く帰ろう。
退屈だ、大体のことに興味が持てない。
冷めた日常を押し流すように
強めのアルコールを喉に流し込めば
朝になるまでの数時間は気がまぎれる
そしてまた 現実を突きつけられる日々
後輩の冷ややかな目
を思い出すと憂鬱になる。
あげる
最低限の会話と最低限の仕事をこなして
終わりを告げるチャイムが鳴れば帰路につく。
しかし確実に歳はとり、 老ける。
シワが増え 記憶力と体力も低下していく
白髪が混じりの44歳。
考えたくもない。
この日も上司に定時で上がることを告げた。
正直、気分が高揚していた
リビングへと向かう。
夕食を広げると同時にテレビの電源をつけた。
映し出されるスタジアム。
誰にも言ってないが最近の楽しみがこれだ
点が決まると独りで雄叫びをあげる。
お酒が進む進む。
前半戦が終わりハーフタイムになって
一息ついた時、我に帰った、
「俺が応援したところで何があるのかな。」
「ただ1人で叫んでいるだけではないか。」
たまにあるのだ、
そんな時はアダルトビデオでも見ればいい
ひとりの時間は十分過ぎるほどあるんだ
そう思い、ブックマークしてあるエロサイトの中からDMMの文字をクリックした。
しばらくページを眺めるが
すぐに手が止まっていた。。
違うなぁ、何か違う、何かこうなんとなく虚しい 虚しくて涙が溢れてきた
泣いても 仕方がないのはわかっているが
こんな年にまでもなって、いつまでも同じことを繰り返している自分が情けない。。。
こんなはずじゃなかったなぁという思いが
込み上げて涙が次から次へと溢れて止まらない。 無理して住んでいる家賃が高いアパート。
無理して新車で買った車。
すべて偽物の願望で、空虚な心を埋める為に過ぎない。
顔を上げて洗面台に写る、幼いじじい どうしようもない。 声を上げ奇声を上げ咽び泣く。
疲れては果てて、感情を抑えきれなくなり
横になって体を震わせた
そして胎児のように丸くなった。
そこに写っているのは
まだ幼い頃の私と弟と父、母
あぁ、この頃に戻りたいなぁ。
意識が遠のく。やり直したいなぁ。
生まれ変わりたいなぁ。
しばらくして
隣の部屋に置いてあった携帯の着信音が珍しく鳴っていることに気づいた。
のそのそと音のなる方に近づき、なんなら出る前に切れてほしい思いとは裏腹に
着信音は鳴り続けた
また昔みたいに県外に泊まりでさ! 」
声に出してはみたが頭の中で
反射的に面倒という文字が浮かんだ。
思えば相手の要求に対してつい良い顔をしてしまうのが昔からの癖だ。
数年前、自分含め友人三人でスキー行ったのだが自分以外の二人はちょくちょく会っているようで
そこにどう入っていけばいいか分からず あんまりいい思い出はない。
翌日
スキーの為になまった体に鞭を入れようと地元のフィットネスクラブに向かった。
土曜の昼過ぎと言うこともあり、閑散としている
受付と着替えを済ませ
鏡の前で、20代後半らしき女性がストレッチをしているのが見えた。
自分もとりあえずランニングマシーンの電源を入れペタペタと歩いてみる。
視界に入る女性のヨガか、太極拳かよくわからないがとにかく気になって悶々とする。
顔に出ないように心がけるが、むっつり顔になっているのが自分でもわかる。
30分くらい走っただろうか、顔と背中に汗が滴っているのが分かる。鏡に映る自分はいつもより爽やかに見えて
この際ストレッチをしている女性に声でもかけてやろうか!と考えた。
「おつかれさまです!! 体柔らかいですね!」
「よかったら一緒に走りませんか?」
いつのまにかおばさん達もいなくなって
あと一回り若ければチャンスだったかもしれない。
こっちに向かってくる男性が目にとまる。
私はすぐにマシンを降りて気付れないように二人の様子を伺った。
すぐに二人が親密な関係なのが見て取れた。
危ない危ない
まるでスーパーマンのようにきらきらと輝いていた。お似合いなのだ。
そう悟ったら一気に恥ずかしくなった。
着替えてジムを出てそのまま
また涙で視界がぼやけてきた。
どのくらい時間が経とうが構いやしなかった。
予定も何もない土曜の昼過ぎに汗だくのおじさんがただ独り、意味もなく命を消費している。
人としてこの世に生まれ 私は何を残せているだろうか?
目を瞑り、答えのない答え探しの時間に入った。
それは蜂やハエやムカデだったり季節ごと様々だが、見つけたら容赦なくシューズで踏みつけ
その死骸をつまんで作業台の上に乗せる。
拡大鏡を取り出し、潰された虫の変わり果てた姿をまじまじと見つめていると段々気持ちが楽になる。
少し経って死骸に問いかける
「お前は何の為に生きていた?
私に殺された気分はどう?死んだら生まれ変わったりする?」
返事はないようだ。
鬱陶しければこの虫けらのように
いや既にされているのかもしれない。
目立たず大人しく弱々しく
誰にも見つからないように
生きてきたのに、存在自体が認識できなくなって今じゃまるで透明人間のようじゃないか
行き交う人はすり抜けるように私のことなど見てはいない。それは自分が望んだことでもあるが
そんな気持ちも心の片隅に顔を出している
これからどんな事をして、何を食べてどんな生活を送れば 世間からいいねを貰えるのか。
案外私と同じ悩みを抱えているの人も多いかも
しれんなぁ。」
なんだか前にも同じこと考えた気がする
びっくりするほど撫で肩になった。
指先がとても冷たい。帰ろう、
間接照明が照らすダイニングキッチンの隅に小さく丸くなり、ぼんやりと薄暗い部屋を眺める。
出てきた検索欄に「女性と話す方法」と入力したページを無表情で黙々とスクロールしていくうちに。ガールズバーに行こうと思った。
丸見えだし気が引ける
次の週
前より孤独感や焦燥感、不安で目眩と吐き気が増した気がしたがなんとか踏ん張った。
上司に「今日は体調が悪いんで定時で上がらせて下さい」と告げ会社を後にした。
いつもならまっすぐ、アパートに帰り
空いた時間をゲームとアダルトビデオで埋めるのだが、今日は久々に実家に帰りたくなった。
ドアを開けると空き家という感じはしなかった。
まだ生活感で溢れているせいか、つい最近来たようなそんな感じがした。
父も母も数年前に亡くなり、四つ離れている弟も
県外で暮らしている。
数年ぶりに二階にある
自分の部屋にも入ってみた。
しばらく、ぼんやりと立ち尽くしていたが、市の防災無線から流れる「夕焼け小焼け」
のメロディーが
部屋を出る前に押入れから家族写真を取り出してポケットに入れた。
繰り返される日々
(冒頭に戻る)
#
泥酔しながら書いた。
20XX年、スティーブジョブスシアターから中継される光景に、日本人は狂喜乱舞した。
ジョナサン・アイブが更迭されて間も無い中の発表会を、一部の信者は心配そうに見守り、残る大多数の一般人は期待を持って目の当たりにしていたのだ。
そこで発表された新製品は、大多数の一般人が求めていたまさにそれであった。
2018年のRetina 13インチは、皆が求めていたものだったが、今年のMacBook Airはさらに一味違った。
「OK、分かった。MacBook Airはスペックは平凡、その割には値段が高く、MacOSとデザイン以外、魅力のないラップトップだった。」
「それも今日で終わりだ。MacBook Airは、世界の第一線で戦える最強のラップトップに仕上げた。それは値段にも反映している」
「899ドル。世界で尤も安く買えるハイスペックUnixシステムの一つだ」(1アップルドルは105円とする)
特盛にしても2500ドルのMacBook Airは飛ぶように売れた。
なお、無印MacBookはCPUをArm 64bitとして、物好きどころか割とヘビーユーザーにもそこそこ売れた。こちらは599ドルから。
USB Type-Cも2つ付いたのは嬉しい悲鳴。重い処理はできないが、Armに最適化されたバイナリのAdobeもまあまあ動くし、Logicも動く。ピンク色の筐体が、オルチャンメイクで丸眼鏡な女子大生にウケた。
「Mac Mini買えばいいじゃん」
違う、そうじゃない、デカくて早くて(排熱が)燃えるように熱いMac Proが欲しいんだよ。GPUとかいっぱい積んじゃってさ、CPUもサーバのいいやつがよう。
「OK、小僧。用意してやったさ。これで好きなだけFacebookとTwitterをやるがいい。」
「おいちょっと待てよ、Thunderboltディスプレイ、Thunderboltディスプレイじゃないか。お前ちょっと痩せたか。ベゼルがないじゃないか」
Mac Proのお披露目の影に隠れるように、こっそりと。そうThunderboltディスプレイが帰ってきたのだ。
幾年ぶりかの再開に、マカーたちはサムスンとLGロゴの入ったディスプレイを窓から放り投げた。
CPUが新しくなった。価格は1099ドルから。なんか新しいRadeonが乗ってる。
CPUが新しくなった。価格は1299ドルから。こっちもなんか新しいRadeonが乗ってる。
訓練された貧乏信者たちは、涙を流しながら、メインボードを傷付けないようにそーっとメモリを増設した。もちろん保証は効かない。
iPhone XSとXRの登場はAppleの企業価値を大きく傾けさせた。あまりにも売れなかったのだ。
しかしそれも今日までだ。そうiPhone SE2、皆が待っていた小さいあいつがパワーアップして帰ってきたのだ!
既に世界の半分以上はLenovoを使ってるし、残りのシェアの大半をDELLが占拠していた。安価かつハイスペックなWindowsは、僅かなMacBookのシェアをさらに削っていった。
そして、中国のAndoroidのシェアが100%になった瞬間、iPhoneは既に過去のモノとなってしまったのだ。