はてなキーワード: 息抜きとは
やれやれ。ようやく今週の週報を書ききってほっとしているので興にまかせて書いてみる。
テレワークが始まってはや6か月。俺ドマイナー外資系製造業の営業。給料はそんなに悪くない。GAFAみたいに高くもないが普通の生活する分には十分だし少しだけど貯金もできている。日々Zoomで営業営業会議会議。気づけば毎日7時。NHKニュース見ながら作り置きのメシ食って風呂入って寝るって感じの生活。少しは事務作業させろよクソがと思うんだけど言い出せないチキン。しかたなく重めのやつは週末にやってる。
でもテレワーク始まってよかったのはやっぱり通勤しなくてよくなったこと。毎日毎日朝6時半に起きてクソほど混んでる電車に乗って1時間半かけて会社行ってクソみたいな会議したり2時間かけて田舎の客(お客様!!)のところいかなくて済むようになってマジでQoL上がった。おかげで朝ランニングもできるしシャワー浴びて着替えて仕事すっかって感じでできる。最高だよ。永遠にテレワークにしたいね。
で最近思うのは結構田舎にも都心にあるようなもの欲しいなって。具体的に欲しいのはこういうのだ。
こういうのって割と東京都23区内にしかないと感覚的には思う。あんなところに住みたくないけど利便性もほしい。今みたいな状況があと10年ほど続いてくんねーかなと思う。そうしたらこういうものも地方にできてくるんじゃないかな。需要あるよ俺ぜんぜん金払うし!
はー書いて満足した。風呂入ってクソして寝るわ。じゃあな!
私は美容専門学校の1年生。彼は動物専門学校の2年生。高校時代、部活動が同じだった。付き合い始めて約半年。私が高校を卒業した直後、彼が久しぶりにLINEをして来たのがきっかけだった。
ここまで書いて気がついたけれど、この半年間で彼が自分からLINEを送ってきたのはこのきっかけとなった時と、珍しく私のインスタストーリーを見た時の2回だけだ。タイトルの通り、彼は連絡を寄越さない。
今どき珍しく、スマホをほとんどいじらない人なのは知っている。Twitterはアカウントを持たず、インスタはアカウントこそあれど投稿は0。私のフォロワーの中でひとりだけストーリーを見ていない人がいたとしたら、それは確実に彼だ。
じゃあ普段は一体何で息抜きをしているのか尋ねたところ、野球中継を見ているという。自分の部屋にスマホを置いたままリビングのテレビで野球中継を見ているのだと。
ジジイかよ。
申し訳ないがジジイかよ以外の感想が何一つとして思い浮かばない。ちなみに私は野球は一度たりとも見たことがない。この人なんで私と付き合ってるんだろう。
とはいえ彼も常に野球中継を見ている訳ではない。彼は現在就活の真っ只中である。コロナ禍であるが故に中々難航しているようで、いつもつらそうだと彼の同級生でもある共通の友人から聞いた。それならば連絡を寄越さないのも仕方があるまい。迷惑にならない程度に、私の方から時々LINEしよう。そう決めて早2ヶ月。私たちがLINEをするのは、2週間に1度、5往復ほどとなっている。(ちなみにいつも彼の既読スルーで終わる)
まぁまぁ仕方ない。忙しいしね。と思いつつ、彼と似たようなスケジュールで過ごしている共通の友人が恋人にマメに連絡しているのを見ると、仕方なくもないんじゃないかと思えてもくるもの。流石に愛されているのか不安になって共通の友人に聞いてみたら「絶対にそんなことはない!」と返されてしまった。彼は常に私に会いたいと零しているし、スマホのホーム画面も私の写真にしているというのだ。スマホほとんど使わないくせに。
じゃあなんで連絡してこないの?
元々私も常に連絡を取っていたいタイプでないため関係が続いているが、普通なら別れていると思う。いやだって、おかしくない?もしかして私だけがおかしい?
極めつけに前回のデート(1か月前)の時、「連絡少なくてごめんね、頑張って増やすね」と私は確かに言われている。まったくもって増えていないからもしかしたら聞き間違いだった可能性もなくはないけれど。
そんなのでも彼のことは好きだ。だからオチは特にない。ただちょっと愚痴じみたものを垂れ流したかっただけである。
この令和の時代に、ここまで連絡を寄越さない人が他にいるのだろうか?男性から見てどう思うんだろう。私はまだ彼のことを愛していられるけれど、一体いつまでもつだろう。
一年くらい前に唐突にオリジナルの小説を書いてみよう! と思い立ち、半年くらいかかって書いた。そしてそれをコンテストに出品しようと思って、半年くらいかけて書き直した。残念ながらコンテストには出品できなかった。なぜかというと、どうしてもコンテストの募集規定文字数の枠内に収まらなかったのだ。三万字くらいはみ出た。
え、馬鹿じゃん? 普通さぁ、文字数で応募不可っていうのは、最低文字数まで到達しなかったとかじゃん? てかまず普通、締め切りまでに物語を最後まで書き終わらないもんなんじゃないかな。馬鹿じゃん? 最後まで書き上げたけど文字数何万字もはみ出たし、どう頑張ってもコンパクトに纏まらないとかどんだけ?
はぁ、小説を書くのって、難しいなぁ……。
もう疲れちゃった。
ここ2ヶ月ずっと、コンテストのことばかり考えてたら、全身に蕁麻疹が出るようになってしまった。日常の他のこと何にも手につかないくらい追い詰められてしまい……。本業の賃金労働が一番の息抜きであり癒しになってた。仕事の時は他のことを考えてる訳にはいかないので……。しかしこれまた馬鹿かよ。何で糞ジョブに癒しを感じるようになってしまったのか……。
文章を書くのはただの趣味だった。趣味なのに、別に賞を狙っていたわけでもないのに、とにかく出品する! ということに異様に拘ってしまい……。好きで書いているものを、応募規定の為に削って削って削りまくるとか、本末転倒の感しかなくて……何やってんだよ……と思った。
はぁ、もうやだやだ。
でも文章を書くのが好きすぎて、文章を書いている状態が当たり前になりすぎてしまって、あーもう当分書かないぞーと思ってるのに、実際何も書きたいネタが降ってこないのに、なんかね……書かなきゃと思って、ネタを探し始めてるし、頭と指がウズウズしてたまらない。どうしたらいいのかわからない。
取り敢えず図書館で借りて来たのに読めないで積んでた本読もうと思うけど、それより自分の書きかけの原稿を必死に読む暮らしに戻りたいと思ってしまう。変態か。こういう私に誰がした? あ、私か。ははっ!
GoToトラベルだったり、満席で演劇が上演できるようになるだったり、社会が徐々に明るい方向に向かっているというのに。自分は、映画館もスタバも劇場も何もない田舎から出られないでいる。
産まれてから18年間、同じような生活環境の田舎で住んでいたのだから平気だろうと思っていたけれど、一度都会の娯楽に溢れた生活を知ってしまったら、もうこの「何もない」田舎の生活が苦しくて仕方がない。
大学進学を期にいわゆる都会という生活に触れた時も感じたけれど、田舎は圧倒的に選択が少なすぎる。または、選択を広げるためにかかる時間とお金の負担が大きい。当たり前だけれど。
だって、スタバの抹茶フラペチーノにチョコチップいれたやつを飲みたいと思ったら、電車で30分揺られなきゃいけない。タリーズのヨーグルト&アサイーを飲みたいと思ったら1時間近く電車に乗る必要がある。500円の飲み物を飲むために、その三倍以上の交通費を支払う必要がある。
映画を観たくても電車で1時間かかるし、そもそも一番近い映画館は県をまたがなきゃない。朝日が昇るまでバーで飲むなんてこともできず、日付をまたぐ前にどこの飲み屋も大概閉店してしまう。刀剣展示を見た次にミュシャの展覧会に行ったり、プッチーニのオペラを観た帰り道に箱で頭振るなんて芸当もできない。
きっとこの話を北海道に住んだことのある友人に聞かれたら「こっちはセブンまで〇〇時間かかる」とか言われそうだけど、今はそんな話をしているんじゃない。私が、私の経験してきた人生と照らし合わせて、今の生活がつらいっていう話をしたいんだ。私が今どうしても苦しいっていう話を聞いてほしいんだ。
こんなコロナがはやる前は「また田舎に住むことになったけど、大阪にも名古屋にもすぐ行けるし余裕っしょ。むしろ岡山(長船)にも高知にも福岡にも近くなってラッキー!」ぐらいのノリでしかなかった。ほんと馬鹿。
今じゃ大阪・名古屋はおろか、プライベートでは自転車で動ける範囲での生活に縛られているんだぞ。あの頃の能天気な自分を助走つけて殴ってやりたい。もっと足元を見ろ。
その自転車で行ける範囲にある娯楽はカラオケしかないし、大好きだった大判焼きを売っていたお店は、結局コロナ休業が明けることなく閉店してしまった。
そのくせ、駅前の通りにはデカデカと看板を掲げたキャバクラが立ち並んでいる。これで若者の移住やUターン就職を政策で掲げているのが、むしろギャグとしか思えない。(だからと言ってじゃあスタバを作ればいいのか、という話ではないから難しいけれど)
社会情勢を見るに、まだしばらくはこの田舎から出られない生活が続く。そう考えるとぞっとする、というような感情は薄らぎつつある。今は諦め、の方が感情に占める割合が大きいきがする。それと怒り。
諦めは、この人生を選択したのは自分だから、というもの。都会の生活が良ければ、就職の時に都会の会社を選べば良かった。それをしなかったのは自分の判断なのだから、今この状況に置かれているのは自分の責任だろう、ということ。
この田舎でコロナ初感染者が出た時、その家の窓ガラスが割られた。そんな話、ネット上の創作でしょ、と高をくくっていたけれど本当だった。風の噂によれば、その家族は引っ越したとも自殺したとも聞いている。どっちが本当かは分からないし、知りたくもない。
自分が、自分の家族が次の感染者になるかもしれないのに、よくそんなことができるなぁ。
おそらく、これは自分の想像でしかないけれど、「こっちは我慢しているのに都会に遊びに行った挙句コロナにかかって」といった憂さ晴らしでそうした行動に移ってしまったのだろうと思う。
実際、パートのおばさまたちの「〇〇さんこの前大阪に行ったんだって……」という陰口を叩いている場面に出くわしているので、当たらずとも遠からず、といったところだと思う。
自分は、その憂さ晴らしを、自分の中にある嫌だなと思う気持ちを、こうして文章にして出力することができるからまだ救われている。他人の家のガラスを割るよりは、よっぽど健全な毒の吐き方だと思う。
ただ、万人がこの毒の吐き方ができるわけではないことも分かっている。自分だって本当は、美味しい酒を飲みながら、誰かに自分のつらさを聞いてもらって同情してもらいたい。
それが叶わないからこうして、家で冷凍庫から出したウォッカを、瓶のまま飲みながらこの文字を打ち込んでいる。
Twitterが見れなくなった。舞台や美術館の上演・展示情報を見ると、そこに行けない事実を突きつけられるから。「行く!」と言っているフォロワーに後ろ暗い感情を持ちたくないから。
今の私の手には入らない美味しそうなお料理、綺麗な品々、素敵な物語。「どうせ自分はいけない……」と、いちいち悲しむことに疲れてしまった。
先日、上司(この田舎に住んで十年以上)に息抜きの会話の中で「(大学生活を送った土地)に帰りたいんですよね~」と話したら、「万一コロナに罹った時村八分になるからやめた方がいいよ、ガチで」と改めて念を押されてしまった。
その会話の数日後に、仕事終わりの終電に飛び乗ってその地に行こうと画策していたけれど、その計画もぽっきり折れてしまった。
久しぶりにワクワクした。全部終電を乗り継げば、日付は越えるけどその地に辿り着ける。出勤前に駅のコインロッカーに旅行カバンを預けようとか、馴染みのバーのマスターにはあのお土産を買っていこうとか、あっちに帰ったらあのレストランのご飯を食べようとか、旅行用の歯磨きセットが無いから買わなきゃとか、いろいろ、考えてたんだけれど。
結局そのお休みは、昼過ぎまで寝てYouTubeで酷道走行動画を見たりしていたっけ。
どんどん預金残高が増えるけれど、これっぽっちも嬉しくない。いくら円盤を買っても生の演劇・映画・演奏とは別物。いくら高い酒を買ってもバーで飲む味には到底及ばない。
何で自分は働いているんだろ。
生きてるって言えるのかな、これ。
コメ返信
https://anond.hatelabo.jp/20200919145352
そんなささやかな希望すら叶えられない田舎クソだな〜〜〜ってほんと思う。京都の確か四条通りのカフェのカヌレとかも食べたい。あと博多のShinShin。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145353
映画自体じゃなくて映画館に行くまでの道のりが電車しかない(車持っていない)なので詰んでるんですよね。別に映画館とか行くの自体は大丈夫でしょって思ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145626
明日トラックに轢かれて死ぬかもしれない刹那主義で生きてるから相容れなくてすまんな……あっでも10万給付で貯金額増えた時は嬉しかった。
https://anond.hatelabo.jp/20200919150005
近゛く゛に゛美゛味゛し゛い゛お゛酒゛飲゛め゛る゛バ゛ー゛が゛な゛く゛て゛困゛っ゛て゛ん゛だ゛よ゛!!!!!!!高い酒ストレートで飲む分にはいいけれど……さ……あとバーの雰囲気が好き人間だからよ……
https://anond.hatelabo.jp/20200919150734
分かりみすぎて笑ってしまった。わかる予言するわ多分「都会の生活は時間が早すぎる、こんな溢れた情報の中で振り回されるような人生は送りたくない」とか書いてそう。生きるの根本的に向いてないな???
二人の子どもを車の中に放置して、熱中症で死なせた母親が、「知人男性と飲食店を3軒ハシゴし、その後その男性の家を訪問した」などとニュースで報じられているが、私はその母親をけしからんと思う以前になぜ子どもなんか産んだんだろうと思った。
子どもを産んだら自分の自由とお金がなくなるということに前もって気付いていれば、こんな悲劇を起こさずとも、自由に彼氏とか男友だちと飲み歩けたのに。
自分は子どもを産むのがイヤで離婚したので(原因は他にもいろいろあるけど)、子どもの世話より自分の時間を大切にしたい人は始めから子どもなんか産むなと思う。しかも上の子を産んだ時点で育児にかかる手間はだいたい分かるだろうに二人目まで産むなんて、現実認識能力が低すぎる。
私が結婚していた頃…というか結婚する前から子どもを持つかどうかというのは元夫とのケンカの種だった。ヤツは子どもに対して愛情が深いとかまめに面倒を見たりするタイプではまったくないのに、男は30歳を越えたら家庭を持ち、妻と子どもがいる生活を送らねばならないという形式に囚われていた。
私は実家育ちで家事はずっと母任せだったので、結婚して仕事に疲れた身体で家に帰り、晩ごはんを作る生活を送ることを考えるだけでうんざりした。仕事を辞めることはまったく考えていなかった。結婚前に二人の名義で家を買ってしまい、ローンを組んでいたので返済せねばならなかったのと、夫と対等に生活費を家に入れないとヤツは「誰のおかげで飯が食えると思っているんだ」と威張りそうだったからだ。
案の定、新婚生活は面倒が増えるばかりで楽しいことなど一つもなかった。私は家に帰る前にちょっとウインドウショッピングをしたりして息抜きをしたかったのに、なるべく早く食材を買って家に帰り、食事の支度をしなければならないのが苦痛だった。だいたい前日の夕食の準備で使った鍋が汚れたまま台所を占領しており、それを洗ってからようやく当日の食事の準備にかかるもんだから余計時間がかかって疲労した。
たまに夫が早く帰ってきて、私が台所で闘っている間テレビを見て笑っているのを見ると殺してやりたくなった。これに育児が加わったらどんな地獄が待ち受けているのかと思うと、絶対に子どもなんか欲しくないという気持ちは強くなった。
子どもたちを熱中症で死なせた女が、専業主婦だったのか働いていたのか知らないけど、家族のことばかり考えて、自分の楽しみを犠牲にする生活は長続きしないと思う。男友だち(?)と飲みに行きたかったら子どもたちは家に置いて行った方が良かったんじゃないかと思うけど、他に面倒を見てくれる人がいなかったんだろうか。とにかく母とか妻とかいう立場が窮屈で、何か発散したかったんだろうなと想像する。結婚とか育児とか、楽しいことより面倒の方が多いと思う。家庭に縛られることに向いていない女は一定の確率でいると思うので、自分の適性を見極めてから子どもを産むか産まないかを決めてほしい。
ここ2日間で「パパはもう限界」「子供を殺したい」等々のダイアリーがランクインしているのが目立っていたのを見て、「やはり今の時代に子なし夫婦を選んだ自分達の人生は間違っていなかったのだ」と安心できてしまう自分がいる。
我が家はお世辞にも高所得家庭とは呼べず、かと言って貧困でもなく、おそらく子どもを産めばマイルド貧困層に足を突っ込んでしまうんだろうなあという程度の、平々凡々な20代夫婦だ。
夫婦共にフルタイムで働き、都会のど真ん中で広めかつ古めのちょい安アパートを借りて暮らしている。
私自身家事がとんでもなく苦手で、夫と家のことを分担するための大義名分としてフルタイムで好き勝手に働いている。
もちろんそのお金は夫と同額家に入れている分以外は好き勝手に使っているし、夫も夫で自分の財布は好きに使っている様子だ。
仕事帰りにスーパーで食材を買って帰り二人で作って食べるか、適当に外食するかはその日の二人の気分。休日の朝はいくらでもゴロゴロできるし、ゴロゴロしたままNetflixを付けたってゲームをしたって本を読んだって誰にも怒られない。
夫は夫で同じようにゴロゴロしたままだったり勝手に朝食を食べたりゲームをしたり。
好きにだらけるだけではなく、心の底から娯楽をとことんまで楽しむことだって自由に許されている。
大人同士誰にも邪魔されず、好きなように宿を取り好きなようにスケジュールを組み、酒を飲みながら旅行だってできる(今の時期は流石に難しいけれど)。
コロナウイルス流行前は思いつきでフェスにだって行っていたし、ふらっと街に出て適当に映画館をハシゴすることも可能だ。
趣味柄、自分の自由な時間を最大限に使って創作に勤しむ楽しみもある。
ここ数日のランキングを読んで、ああやっぱり子供を生むと上記の自由な時間・娯楽全てが取り上げられてしまうんだなあと再確認させられてしまった。
仕事さえ満足に集中できず、家に帰ると子供の世話。母親は特に世間との分離が激しく孤独を感じやすい生活に一転してしまう。
上記に書いていないような細々とした幸せや娯楽、日々の息抜きでさえまるで子を生んだ罰のように禁止される生活。
突き詰めてしまえば、子作り子育てとは現代の文化的な娯楽から正反対の位置にある一種の労働だ。
ひとえに「子の成長」を支援する立場として、一切の見返りを求めずひたすらに子に尽くす無償ボランティアのような労働である。
ぶっちゃけ年収倍になってもやりたくないし、お金もらっても生みたくない。
多様化する社会の中で子なし夫婦だけが正義だとは言わないし、子どもがいるからこそ人生に意味を見出し暮らしている人も沢山いるのだと思う。
在宅でテレワークやってみたけどキツかった感想がいくつか上がってるけど自分も同感。
https://anond.hatelabo.jp/20200825185628
住環境にもよるけど、個人的な体験で言えばステイホーム期はそれこそ一日中ワンルームに閉じ込められて発狂するかと思った。
自分の部屋だと気持ちの切り替えもできないし、ノイズも多すぎて全然集中できない。
サボるとかじゃなく、集中できないで何もできずに時間だけが過ぎる状態とかよくある感じ。
あと、都心のオフィスに通うことによる刺激ってのが想像以上に重要だった。
ずっと家周辺で過ごすからどんどん毎日が平坦で退屈になってしまって、気がついたら一瞬で時間が過ぎる、何もやってないのに。
通勤で歩くことによる程よい運動もできなくなるので、これも地味にストレス。
結局オフィスや、オフィスが難しいときはコワーキングスペース、のような状態に切り替えたら、だいぶ調子が戻った。
コミュニケーション面については、個人的にはそこまでオフィスで同僚と交流する、ということが大好きではないタイプだが、
それでも雑談や交流の機会がまったくなさすぎるのも、今後のコミュニケーションにじわじわと影響するなーと思った。
もちろんメリットも大きいけど、自分は以上のようなデメリットが上回るので在宅でのテレワークはやめました。
というのは個人的な感想だけど、ずっと思っていたがとくにはてな世論(?)は、
テレワーク万歳!テレワーク最高!みたいな意見が大多数で、常々違和感を覚えていた。
例のブログにも「テレワークできるのにしないやつは公衆衛生の敵!許さん」と言わんばかりのコメントが並んでいて、やっぱ怖いなと。
あと、テレワークではないが、湘南や奥多摩に人が溢れました、ってニュースに対して「なんでそんな外出たいのかわからん」みたいなコメントが通例で並ぶけど、
「いや、ずっと家にいるのは苦痛でしょ、そりゃ自然や海で息抜きしたいでしょ」って自分は思うんで、そこでも感覚のズレを感じる。
おそらくインドア派が優勢というか「普段(休日)も家にいるの好き、新作ゲームやNetflixあれば外出る必要ないじゃん?」ってタイプが多いのかね(偏見)
でも、世の中はそうでない人だっている、っていうかそうでない人のほうが多数派なんじゃないかな。
まあ何が言いたいというと、自分が在宅テレワークになって嬉しいからってみんながみんな同様に、諸手を挙げて大歓迎しているって思わないでほしい。
あと、在宅テレワークしないやつは非国民!っていうのも謎の全体主義ムーブ吹き上がっていて怖いっす。
もちろん、人それぞれが好きな働き方やライフスタイルを選べるってのは大賛成。
子供育ててる人がまじでくたびれてて大変そうなんだけど
未就学児って身の回りの世話以外である程度一人遊びさせておけないの?
外出して長時間放置はできないかもしれないけど、在宅してて読書とか映画見るとかもできないの?
家にいてできるようなことは、そもそも息抜きにならない人が疲れてるだけ?
それとも、大変なのってそういうことではない場面?
本音を押し殺せばそれは必ず後々歪みとして出てくるので、
お互い限界が来る前に嫁と話し合った方がいいと思うけどな
まあ「辛い。息抜きに一人で外出したい」だけだと「じゃあどうするのよ!」って話になると思われるので
単発で数時間どっちかの子供だけでも面倒見てくれるシッターの当たりをつけておくとか
何らかの案は用意した上で話し合った方がいいとは思う
人それぞれだよ。仕事は大変だけどある程度自分の裁量で気分転換できた。息抜きにコンビニに出かけたり、気分転換に同僚とおしゃべりしたりごはん食べに行ったり、そういう時間が当たり前にあった時は、それがいかに自分の精神を救ってたか気づかなかったな…
番組途中に番宣CMがはさまるのだが、なんでギャーギャー叫ぶシーンばっかり継ぎ接ぎしてるの。
別に番宣CMというコンテンツ自体は不快でも何でもなくて、個人的には息抜きになって悪くないなくらいに思っている。
でもその内容が番宣開始初手絶叫みたいなのだとちょっと心臓に悪いというか、正直いって不愉快でしかない。音漏れしないようヘッドホン越しに視聴しているのでなおさら。
CM流す側としてはそれで注意をひこうとしているのかもしれないけど、そしてたしかに注意は向かうけど、それはたとえるなら可愛い犬猫や風光明媚な景色に対して抱く関心ではなく、往来で叫び散らしてる異常者に対して抱く警戒心だ。「観たい」ではなく「避けたい」としか感じない。
「CMの内容を問わずCM認知者全体のn%が番組視聴者になる」みたいに決め打ちをして、そのうえで認知者の総数を増やそうとしているのかもしれないが、仮にそうだとして、その方法が怒声って、、、
有料プランに加入したら広告スキップが可能なのかと思ったが、それは放送済みの番組に対してのみらしく、生放送番組は適用外のようだ。(きちんと調べていないのでこれは誤認かもしれない)
某ネット放送サイトさん、もう少しCMでの声のトーンを落としていただけないでしょうか。まぁここにこんなこと書いても無意味なんだけど。