はてなキーワード: ヤンキーとは
もうこれ答えだと思うんだ
親の躾がなんらかの理由で無かった人、たとえば親自身が極端にだらしないとか、親がネグレクトしたとか、
親的には子の個性や自主性を重んじたつもりだったが、なんかいろいろ噛み合わず子に伝わらなかった結果みたいな人は、
言っちゃ悪いけど他人のお世話が必要な人になっている可能性まぁまぁ高い
自分で金を稼がないと、メシ食えないし、電気ガス水道停まってみたいな、だから常に出来るだけ金稼ぐ方法考えてきたみたいなのでもOK
あるいは、強制集団生活で○○せざるを得ず○○の習慣が自然と付いたみたいなのでもOK
じゃあビシバシやっていけば良いのか?というとそう言う単純なことじゃないよね
たとえ、それが自分自身のためになることでも、『したくないこと』を強制させられてやらざるを得なかった人は、
『したくないこと』をしない人を許せなくなるか、見下したりするんだよな
そこそこ人よりもお金稼いでるワイくんも、ワイくんがしてきたことをせずに、金が無いとかギャーギャー言っている人を見ると、
『やるべきことやれば?』『やらなかったなりの生活送れば?』って気持ちになる
ワイくんは育ちがよくないので、親しい人にあまりお給料がよくない産業の人がいるし、親族に社会的に賃金が抑えられている福祉分野の人もいる
不条理な賃金格差をネットや本の文字の羅列ではなく、リアルの感情をともなった身近なものとして知ってるし、
なによりも通貨の弱い国のエリート・準エリートと接する機会がそこそこあるので、今の自分自身の立場は実力なんかではなく100%ガチャ運でしかないことを実感している
それでも、『やるべきことやれば?』『やらなかったなりの生活送れば?』って気持ちはゼロにならんのよな・・・
そこそこお金稼げるようになってようやく月20万程度貯金出来るようになって、明らかに自分自身の為になることだったんだけど、
『したくないこと』をし続けた結果の気持ちのバランスをとるのまぁまぁ難しいと感じているので、
お子様やお身内の教育、自分自身の育成選択は気をつけた方が良いかもしれない
共通善や能力主義の功罪については後ほど追記かトラバするとして、
いつも通りタイトルしか読まず、下記みたいに書いているブクマカがいるんだが
その理屈なら親の庇護のもとで20代まで気楽に勉強だけしてればいい大学生より金のない厳しい環境で育ち中卒で働いて自分の生計を立ててる人間の方が身なりも収入も良くなってないとおかしいはずだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231227082825
そうだぞ、厳しい環境にあった中卒・高卒の方が給与高い、(集団生活で強制されていれば)身の回りを衛生的に保つ習慣はつき易いし、
(ストレス受容・耐性はともかく)健康習慣はつき易いと書いてるんだぞ、何を読んだんだ?あっタイトルかって思った
あと稼がないと生活が出来ないので『自分は稼いでやっていける』っていう成功体験が強制的に積めた
行きたかった高校を定期代が払えないとか私服だとお金が掛かるとかいう理解不能な理由で却下されたので、
(なお、親は極端に教育に無関心なのでノーダメ。先生は荒れている学校だと言ったはずだけど何を思ったのか・・・。
このチンピラ学校の子は全日なのに高確率でフルタイムで働いて、20万以上稼いでいる子はザラにいた
そういう状況にない人も、
- 父母がそれぞれに浮気して家から出てて行っちゃって高校生でマンションで一人暮らし
- ずっと施設や祖母の家に預けられ、唐突に母親の元に呼び出されたが、もうひとりの兄弟とはあからさまに扱いが違う(もうひとりの兄弟は私立)
- 父親がアル中DVの犯罪者で母親と逃げてきた
・・・とか、みんなそんなん
で、高校在籍中に新卒以上に稼いでたわけだし、稼いでない子もただ普通に働くだけで今までの人生で一番いい状態になるし、
やっぱ、そういう人らは今も逞しくやってるよね。たぶん稼ぎも平均よりいいと思う
ただ、ヤンキーでも家がどうしようもない状態でもないのに、なぜか入ってくる子もいた
そういう子はフツーに親からお小遣い貰ってバイトもしていなかったけど、
卒業後は、なんとなく水商売やったり、なんとなくバイトや派遣やったり、そんな生活してたよね
(名前書けば入れる学校だったので、重ための学習障害やボーダーだった可能性はある)
真面目な増田に回答返そうってずっと考えてるが、やっぱこうじゃんな?
虐待=厳しい躾と読んでるのかな? 必要な躾をしないことの方がよほど虐待だと思いますけどね
結局のところ、人は厳しくされると、収入は上がるし、身の回りを衛生的に保つ習慣はつき易いし、(ストレス受容・耐性はともかく)健康習慣はつき易い
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ブクマカ:日々、周囲に迷惑をかけて謝りながら育児してるので、そう言って頂けると救われます……。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240704211400
俺はチンピラ感のあるとっちゃん坊やとしてのあり方が好きだったのに。
キャラ立ってたんだよ。
龍と苺の竜王を見てみろよ。
なんでそれをマイルドにしようとするんだ。
「オメー……AI使ったろ?あぁん???💢」みたいなキャラでいいんだよ君は。
その方がね、将棋界が盛り上がる。
単なる坊主頭でスポーツ観戦が好きなだけのオッサンでどうすんのよ。
そんなんじゃウケないよ。
有名なヤンキーキャラが居なくなっちゃって今将棋界はヤンキー枠が不足してるの。
後続を2人ぐらい育てるまでは君はヤンキーを降りちゃ駄目。
客商売なのよ。
スポーツ興行っていうのは実力勝負であってもキャラ作りを辞めたら衰退するの。
そこは切り分けなきゃ。
「俺はこういうキャラだからこういう戦い方をする」はしなくていいけど、「俺はこういうキャラだからこういうマイクパフォーマンスをする」はしないと駄目。
お客さんが見たいのは真剣勝負だけじゃないの。
だから自分をいじめてきたヤンキー階層が障碍者になったり死んだりした
いじめられっ子の異性愛男性は盗撮犯の恩恵に預かって生きているからその流れは都合が悪いわけだ
どういう心のメカニズムをしているのかが気になる。
犬も歩けばスタバに当たるレベルでどこにでもあるコーヒーチェーンなんて、なんの感情も抱かずに利用するのが普通でしょう。店内だってチェーン店の中では多少小洒落てるだけで特別ハイソな感じもしないし、商品価格もタリーズと変わらない(むしろタリーズの方が高いこともある)。客層も主婦からヤンキーまでめっちゃマス。スタバに対してだけ特別敵意を向けるような要素はないと思うんだけど。
今もスタバを憎む人って、過去スタバがもっと特別な存在だった時代を引きずってこじらせているのか、スタバレベルのお洒落さや顧客層にすら引け目を感じる弱者男性なのか、コーヒーに対してあの程度の値段も払えない貧乏人なのか。とにかくちょっと病的なものを感じる。
流行りのファッション(これって冗語か?)、お洒落な格好、みたいなものに反感があって、俺は逆にお洒落度の下限、逆ファッションリーダーになるぞっつう気概を持って生きてる
こう思うようになったのは、大学時代に友達が受けた講義で教授が言っていたらしい言葉がきっかけだ
「ファッションに気を遣わないのでは、獣と同じですよ」 だいたいこういうニュアンスだ
ファッションに気を遣うのは人間だけ、人間らしさの大きな要素にファッションがある、そういう話だと思う
ぶっ殺すぞ
俺の実家で飼ってたネコは日がな一日自分の身体をベロベロやって毛並みを整え、たまに毛玉を吐いていた
コイツ、おのれの身体を舐めて毛並みを整えるくらいしか娯楽がないのか?なんて矮小な生命なんだ、と俺は思っていた
何に見せんのかもよくわからん(去勢されてたし…)のにずっと毛並みを気にしているネコの姿は、高校時代、休み時間の半分くらいを男子トイレの鏡に向かって髪を整えるのに費やしていた長髪のヤンキーに通じるものがあった
ああファッションってネコの毛繕いと本質的に同じなんだな、というのが俺の至った結論で、俺はこの結論にけっこう満足していた
それがなんだ ファッションは人間にのみ許された特権なんですゥ〜? フザけんなよ むしろ逆だっつうの
砂の城を築いて壊す、みてえなことをやってるほうがまだマシだ 万物の霊長としての矜持がすこしは感じられる
身体に巻く布の色や形を変えて喜んでるのは、ネコの毛繕いと同程度の営みで、魂のレベルが低い
冬は毎日同じダウンジャケットを着て、下に着るのは中学生の時から着てるダルダルのトレーナー
それが人間らしく生きるってことだ
着飾りたい その気持ちに蓋をして、逆に着飾らないこと どうすれば一番着飾らないでいられるかを考える いや、考えない
なにも考えないってことなんだ
あっでもこれ逆に快不快しか判断基準がない下等生物っぽさがあるな
やっぱ、考えましょう
どうやったら着飾らないでいられるかを考えるってことだ
これは、「着飾らないオレを見て!」とか「ありのままの自分を評価してくれる人がいるハズ!」みたいな話ではない
逆だ
着飾らないことで、よりモテなくなる
そのまったく無意味な営為を、確かな意志・自我をもって完遂することで、ひとつ万物の霊長としての矜持を貫くことができる
俺はそう信じています
「ねえ、じゃんけんで負けた奴があいつにタッチするゲームやろうよw」「やだ~w」「キモーイwww」「キャハハwwww」と罰ゲームの小道具として扱われた というエピソードを語っていた
合コンでもキモい帰れと言われた、ゴミを食べさせられた、ヤンキーに何度もカツアゲされたトラウマでビーバップも東リベも見れない等
それを聞いて嘘でしょw何かの間違いじゃないのwと笑う共演者に「俺らみたいな奴“だけ”がやられてんの!!俺らみたいな奴だけが知ってんの!!女の人の嫌なところを!!」と絶叫していた
増田もとっさに言い返したり抵抗したりできない雑魚であることを一瞬で見抜かれて狙われたんだろう
そのカップルの男の方は「すれ違う」時点でアウト判定だったんだと思う
ぶつからなければいいというわけじゃなくてオレとツレが歩いてるのに前方から視界に入る、それだけで罪
語彙がないから「邪魔なんだよ!」って言葉すら出てこない、語彙は「死ね」しかない
ヤンキー男と同じでどうしようもなく幼稚で理屈が存在しない人種って普通にいるけど
弱者の世界が理解できない女性ってどうやって生きてるタイプなんだろ
育ちがよくたって動物みたいな連中のルッキズムでの競争に晒されることくらいあるでしょ、謎すぎる
(前part)
https://anond.hatelabo.jp/20231212192423
一人目の職員である。この人は女性だった。勤務態度は、ありていにいえばやる気がない……ということになる。社会教育課は、当時約15人ほどの部署だった。T区の社会教育に関する機能がこの一部署に集約されている。
ところで社会教育というのは、「学校・家庭以外の広く社会で行われる教育」をいう。身近なところだと、公民館でのサークル活動(生け花、カラオケ教室、絵画体験、パン作りほか多数)や、少年自然の家などの公共施設での活動講座や、大学で行われる公開授業、民間企業による通信教育、カルチャースクールもこちらの仲間だ。
Aさんは、そういった社会教育活動のうちスポーツを主に取り組んでいた。児童向けの運動体験教室や、レクリエーション行事、各体育協会と共催するイベントを担っていたという。体を動かす仕事である。
Aさんは高齢だった。50代半ばほどか。過去にスポーツの経験はあったというが、足腰が弱っている印象があった。私の視点だと、彼女には体育活動の振興とでもいえばいいのか、そういう仕事に適性はないように思えた。
※熟練の増田読者であればおわかりだろうが、人事部局としてはAさんが早期退職するように仕向けている。
それにしても、Aさんは士気が低かった。私やほかの仲間が仕事に集中している時でも、Aさんの上司である係長とやり合っている声が聞こえた。ひとつだけ挙げるとしたら、Aさんが仕事が間に合わない旨を述べた場面だ。当時の手帳に控えている。口調は文語とする。
Aさん「イベントの準備が間に合わない。だが今日は帰らないといけない」
係長「状況はわかった。それでどうする?」
「私は午後6時に家に帰らないといけない。何とかしてほしい」
「あなたの仕事である。時間外勤務をしてでも、休日に出てでも終わらせる必要がある」
「定時になったら帰る。休日も出られない」
「何か理由があるのか」
「断る」
「そんなことができると思っているのか。これは上からの指示である」
「関係ない」
「何が関係ないのか」
「公務員は上司の命令に従う義務が法律で定められている。そんなことも知らないのか」
「知っているが、今この状況と何か関係があるのか?」
「たとえ頭に拳銃を突き付けられても、人には抗う自由がある(※1)。私は自分の責任でそうすると言っている。どうしても家に帰らないといけない」
「そんなものは屁理屈である。これから課長にも相談するがいいか?」
「どうしてもと言うなら、(労働)組合に相談する。組合の女性部に言って、あなたのことを組合新聞の記事にしてもらう。不当労働行為は許さない」
「好きにしろや、ボケッ!! 我儘言うならさっさと辞めろ。この職場から消え去れや。人間の屑が」
「労働者の権利である。次にそんなことを言ったら、組合があなたを許さない(※2)」
※1…夜と霧の著者であるヴィクトール・E・フランクルがアウシュヴィッツ強制収容所にいた時の矜持のひとつ。頭に拳銃を突き付けられて、「殺す」と脅されている状況でさえ、人間には命令を拒否できる(運命に抗うだけの)意思の自由がある、という崇高な喩え話。
係長が口汚い言葉を発した直後、ほかの女性職員が間に割って入った。その人は、係長とAさんの間を取り持つことに成功したようだった。社会教育課の数少ない『良心』だった(Aさんの仕事はこの女性が片付けた)。この人のおかげで、教委が恥をかかなくて済んだ場面がいくつもある。今でも感謝している。
あの連中は、指導課が普通に仕事をしている時も、オープンの協議机で話をしている時も、小中学校の校長や教頭が来庁している時ですらも、あんなやり取りをしていた。
Aさんに限らず、ほかの職員もそうだった。社会人とは思えないほど粗暴な物言いだった。職場の人間関係は悪かった。目の前の来庁者に対して申し訳なくなる。
実際、あなたが標準的なはてな民であると仮定して、公務員にはどんな人がなると思うだろうか? 「焼酎学校の中でも真面目だった人がなるのでは……」といったところか。
国や県の職員の場合はそれで合っているが、例外がある。市区町村の場合は、いわゆる不良やヤンキー、チーマーといった類の人間が公務員試験に合格することがある。筆記試験のボーダー点数が低いのと、地元出身者優先という原則があることによる。地元に思い入れのある人ほど内定を取る構造がある――と、T区の幹部職員から酒席の場でうかがったことがある。
Aさんのほかにも、50代後半の男性職員が社会教育課にいた。その人は、Aさんと比べると人格はしっかりしていた。が、数年前に脳の病気になってしまい、体の右半身があまり動かず、常に足を引きずるようにして歩いていた。認識も少し弱っている。元はちゃんとした働きをする職員だったらしいが、人事部局としても扱いに困ったのだろうか。早期退職制度を使って早く辞めてほしいとばかり、このような部署に異動させることになった。あくまで想像に過ぎないが。
この男性職員は、どこの方言かよくわからないしゃべり方をする(おそらく関西の何処か)。彼は、教委事務局に毎週出入りしているヤクルトレディがいたのだが、いつもその人から昼食の一部を買っていた。彼は右半身の一部が動かないので、財布からうまく小銭を取り出せないのだが……そのヤクルトレディは、彼をうまいこと補助しているようだった。
ある日の正午、社会教育課から私の方に聞こえてきた声によると、彼はカップヨーグルトを買ったようだった。いつものように、左手を使って小銭入れの中を仕事机にばらまくと、ヤクルトレディが必要な額を持っていった。その後のやり取りは、こんなだったか。
「おいAさん。俺、さっきのヤクルトの人からヨーグルト買ったんだけどの~」
「なんかあった?」
「ヨーグルトにのう、ストローを付けよったんよ! スプーンじゃのうて」
「なんで、こないなことをしよったんじゃ、あいつは。わからんのお」
「まあ、飲んでみたら。どうなるかは知らないけど」
「なんでじゃ。なんで、こんなことをしよるかのう。非常識なやつじゃ。で、このストローをヨーグルトに刺して……こういう風に飲むんかのう、面倒じゃのう。どうしてあのヤクルトレディはこんなことを……うん、これが……」
「うまいんじゃのう!」
「え、おいしいの?」
「うまい!」
「どんな味?」
「デザートを飲んどるようじゃ」
「へえ~!」
「やるの~、あのヤクルトレディは。ほんまにやるのう……今度ほめてやろう」
ヨーグルトにストローを刺して飲むとおいしい、というのは私が教育委員会で得た知見のひとつである。あれは確かにおいしかった。
実際、彼は漢だった。若い頃の努力は老人になって出る、という言葉がある。それを地でいっている。顔に刻み込まれた皺が、地方公務員としての歴戦を物語っていた。脳の病気にさえならなければ、本庁のどの部署出身なのかは知らないが、今でも活躍していただろうに。
実際、この人は可哀想だった。上司からは腫れ物に触るかのように扱われていたし、若い職員からは、わざと聞こえるような声で、「役に立たない」「障害だから仕事が出来なくても許される」「人事課もちゃんと引導を渡した方がいいのでは」などと噂をしていた。
体が動かないから、活躍しようにもできないのだ。その人がびっこを引きながら廊下を歩いている時、すれ違いざまに「無理しなさんな。あんたも早く辞めればいいのに」~と声を出す職員もいた。
私は、ここまでひどい連中でも――この区役所は採用をしているのかと、むなしい気持ちになった。T区役所がひどい連中を採用しているのか、それともまともな人間が入庁後にひどい連中に化けてしまうのか、そのどちらかだろう。
なんというか、社会人というか、同じ人間として情けなかった。なお、私は都道府県の教委に採用されて給料をもらっていた者である。T区役所に対する直接の恩義はない。当時感じていた義憤については、何の遠慮もなく吐き出させてもらう次第である。
さて。上のような劣悪かつ悲惨な状況について、誰が悪いのか、誰に責任があるのか? 組織レベルでいうとT区役所の人事部局である。問題のある職員を特定部署に集めるという作戦を採っている。だからこうなる。一番迷惑を被るのは区民だろうに……。
蛇足になるが、いわゆる問題職員というのは――汗水を流して働く部署や、窓口での市民折衝がある部署に集う傾向があるという(建設、農業、体育、福祉、収税、環境、支所など。私が直接見知っているわけではない)。真に優れた職員は、企画や調整を担う部署に配属される。これは、学校教育を司る立場である教育職でも同様である。
私の見立てでは、このT区役所における社会教育課約15名のうち、少なくとも5名が問題職員番付とでも呼べばいいのか、そういうリストに入っている人間だった。ただし、そんな人間ばかりでは仕事で大事故が生じる可能性がある。よって、上の『良心』のような人も1,2名ほどは配置してバランスを取っている。
Aさんについては、その後もトラブルが続いた。
本人は、なにしろ仕事に対するやる気がない。区民が窓口にやってきても、朗らかにはしているが、できるだけ手間のかからない方法を取ろうとする。そのために、ルール上は出来ることを出来ないと言うこともあれば、反対に、出来ないことでも出来ることにして通したこともある。
Aさんのようなタイプは、私が知る地方公務員の中では一般的な部類である(数はそれほど多くないが、見渡せば普通に存在している)。確かに、社会教育という行政分野は人を選ぶ。向いている人はとことん向いているし、向いていない人はとことん向いていない。
かくいう私も、別の市区町村の教委に配属された折、社会教育課(※便宜上の名。T区とは違う名称)に二年だけ居たことがある。主査~主幹ほどの立場で、絵画展や音楽演奏会など文化芸術方面の仕事に携わった。
スポーツの仕事も少しだけやっていた。大雨が降る中、区営の陸上競技場で泥んこ塗れの陸上競技会を開催したのは今でも記憶に残っている笑
私もそこまで社会教育に向いている方ではなかったが、それでもやっているうちに楽しくなってきたものだ。Aさんには、その姿勢があるかも怪しかった。すなわち、気が向かなかったり、やったことがない仕事に対しても、真摯に、愚直に向き合って、その業務を好きになっていくという姿勢である。
ただ、彼女は人柄が悪いかといえば、そういうわけでもない。スポーツ団体や取引先業者との人間関係に問題はなさそうだったし、実際に話し方を見ても朗らかだった。私も、職場や飲み会では何度か雑談をしたことがあるが、異常性は感じない。普通の人だった。
Aさんは結局、それから約七年ほど社会教育課にいたらしい。私が教委から異動して中学校長になった後も、職場で働いている姿を見ることがあった。昔のように声をかけてみたが、どうやら元気がない様子だった。疲弊しているのだろうか。明らかに不健康だった。心も体も弱っている様子だったが、それでもゾンビーのように働き続けていた。職場には、おそらく這うようにして出勤しているのだろう。
定年後はどうしているかわからないが、それでも数年間は一緒の事務所にいた仲間だ。多幸であることを祈っている。
(追記)
金曜日は終日外出先のため、土曜日に2本を投稿して〆とします。
(次part)