はてなキーワード: ゆで卵とは
コメント及びトラバありがとうございます。いろいろ教えていただいて本当に助かります!
買い物から帰ってきたら袋に調味料と肉を放り込んでモミモミ。日数分の袋を作って冷蔵庫にしまっておく。当日は焼くだけ。
クックパーの4辺を折り上げてその上で焼くとグリルもお皿も汚さないから楽。
焼いている間に
の中から何か作れば2品目完成。
余った分はタッパーに詰め込んで常備菜と言い張る。
レシピ中やたらジップロックを押してくるけど適当な代用品でOK。
揚げ物は油の後始末が大変。
でも意外と油を使わなくても揚げ物ができる。
要は、火が通りやすいように細かく切る or レンジ等で加熱して火を通しておく → フライパンに多めの油で焼く
仕事に出かける前にセットして、帰ってくると煮込み料理ができてる。
ガス代節約 + 時間の節約 (火を使わないので目を離しておける→煮ている間他のことができる)
あとは火から下ろしたお鍋にバスタオルを巻いて煮込み料理とかできるらしい。
だいたいの物が冷凍保存できる。
常備菜とか余った食材とか余ったおかずとか小分けに冷凍しておくと便利。
鍋よりも電子レンジを使う方が早いし楽だし栄養価も高いしで積極的に利用したい。
レンジで30秒。温玉or半熟卵 お好みのままに♪ レシピ・作り方 by sundisk*|楽天レシピ
生クリームとか卵黄とか気軽に言ってくれるなよぉぉぉ!って時に
[生クリームは「牛乳」+「溶かしバター」で代用できるらしい : ライフハッカー[日本版]
溶かしたバター1/3カップと牛乳3/4カップだそうですがこの割合、かなり適当でも大丈夫でした。
牛乳入れて多めにバター入れておけばOK。あとは味の好みで増やしたり減らしたり。
どう使えって言うんだ! と思いきやいろいろ使える
[ハンバーグを作る時、卵は卵黄だけですか? それとも卵白も一緒に入れるんでしょ... - Yahoo!知恵袋
サンマの塩焼きで品数が少なすぎると怒られた増田さんにトラバするつもりで書いてました。(私も新米で人ごととは思えず・・)
美味しいのにこんなに簡単でいいのかとびっくりした。混ぜるだけ。
鯛やさわらで作ると美味しい。家はトマトとニンニクをかなり多めに入れています。
ちょっと特別な日に鍋を囲んでワインとともにいただきます。締めでスパゲティをそのまま投入してゆでる(必要なら水を加えて)。
スープが麺に染み込んで美味しい。
他にもオススメを教えてください。
皆様どうもありがとうございます!ほんと助かります!
よく使う野菜をカットして冷凍→サッとスープ・野菜炒め・煮浸し・和え物などが作れます。※あな吉さんの『いちばんかんたんな、野菜フリージングの本』オススメー
冷凍野菜を作るときは一時間程度冷凍したら一回ばらばらにしないといざ解凍しようとしたときにものすごい塊になってるからそれだけは注意しましょう。
忙しい人やキッチンの狭い一人暮らしの人にこそ、中華蒸篭(セイロ)をお勧めします。5000円以下で買えるし、食生活が激変(充実)しますよ。
せいろが意外に便利で、使い方や手入れも簡単です。
保温調理器は煮詰まらないので濃縮効果が期待できず美味しくならない。圧力鍋も同じ。スロークッカーは濃縮するけど時間を間違えると焦げ付くし煮崩れるのでコツが必要。なんだかんだでル・クルーゼが最強だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140612135234
(後略)
圧力鍋スゴイ!欲しい! 鍋の説明のはずなのに読んでてよだれが出てくる。おかしい。
レシピ待ってました!ありがとう! うぉぉぉチャーシュー美味しそう。
兼業主婦には時間管理能力と脱完璧主義がより必要かも。作り置きは家族に好かれないメニューが多くてあんまり使えない。食材以外に種類と時間選べるレシピサーチ便利。 http://www.bh-recipe.jp/recipe/list.php
今日の料理ビギナーズおすすめ。基本以外にも作り置きレシピとか時短料理とかの特集多い。電書版あるし。何よりおばあちゃんかわいいし。
子持ち主婦には"レシピ付き食材宅配"じゃないかな。ヨシケイとか。いざという時の為に、栄養バランス考えてある冷凍弁当もオススメ。テンパってる時に色々できないって。常備菜作れる主婦はたぶん新米じゃないよ……
こんな便利なサービスが!とりあえずググって見つけられた分だけ・・
他多数
あばばばそうですよね。すみません。
本当は作り置きに頼らず「冷蔵庫を見てぱっとその場で作る」のが理想なのですが私の料理スキルが低すぎてそれができません。1品作るので精一杯。2品目とか無理。な状態だったので「浸けておいて焼くだけレシピ」を主菜にして焼いている間に2品目を作る、というやり方をしています。「働く新米主婦のための」というのはタイトルがマズかったように思います。「料理初心者のための」ですね。
3日分の仕事服のメンテや準備が10時に終わり、やっと休日を家事やネットを右手に、読書を左手に満喫できる(両利き)
『サイバネティックス』ウィーナー
『コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史』 小林章夫
『金瓶梅 (上)(中)(下)』金瓶梅は長いから今日一日では読み終わらないだろう
ランチは冷蔵庫の卵とキュウリとパンが一枚あるから、ゆで卵とキュウリのサンドイッチにしよう そして4冊読んだら近所に夏用の靴買い、夕食買いに行こう
7月上旬に発売されるCDを一枚予約してから、昨日街頭ビジョンで見て気に入ったジャズバンドの曲を探してキンドルのMP3ストアで買おう(バンド名と曲忘れた 「何とかの501」だったと思う)これは夜の愉しみにとっておこう
それからはてブ一通りチェックして、昨日の分の増田全記事読んで、ネット巡海航行して、ヤフオクの官公庁オークション見る暇あるかな?無いかもな
スルーしそうになっていたのだけれど、我慢できないのでやっぱり書いておきます。
ガガ撮影写真家逮捕 レスリー・キー容疑者“男性器写真集”販売
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/02/05/kiji/K20130205005128840.html
わいせつか芸術か……有名写真家レスリー・キー容疑者逮捕で物議
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130204-00000036-rbb-ent
【衝撃事件の核心】「紀信さんに憧れ…」越えた一線 ガガさんら撮影、有名カメラマンの写真集は男性器のオンパレードだった
http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/130216/crm13021618000012-s.htm
写真家の猥褻罪での逮捕は十年一日のごとく繰り返されているけど、そのたびに「あの写真集にチンポが写ってた!」「マン毛が写ってた!」と中学生のごとく大騒ぎ。まるでアホです。
そのつど繰り返されるのが、お馴染みの「これはアートなのかポルノなのか論争」。しょうもなさここに極まれり。
いいですか。
なぜなら、レスリー・キーは写真学校で写真の訓練を受けて、ギャラリーで個展を開き、問題の写真集も、ギャラリーで販売されたものだからです。
ギャラリーに置かれたもの、美術館に置かれたものは、アート作品です。これは自明です。便器に「泉」って書いて置いてあってもアート、缶詰めのパッケージをプリントしたやつがあってもアートなのです。
別に、俺はこんなものアートとは認めない! っていう人がいてもいでしょう。しかし、俺は蕎麦は手打ちしか蕎麦と認めない! っていう人がいても、実際に流通し消費されている手打ちじゃない蕎麦が存在し、蕎麦であるように、アートも、美術館やギャラリーにあるもの、またはそれら周辺の制度で評価されているもの、ぐらいの定義しか、もはやできないんです。象徴的にいうと、デュシャン以降、ウォーホル以降は。
アートの枠組みを問うこと自体がアートになり、行き着くところまで行った結果こうなりました。
理想化された神話的なヌードから、生身のネイキッドへの転換という美術史の流れで起こった論争など、はるか昔の話しなのです。
生身の裸がエロティックに表現されていたからといって、アートではないといえたのは、近代以前のことです。
無論、ここでの「アートである」とは「アートとして優れている」ことを必ずしも含意しません。
アートだからすべて偉い、崇高なものなんだ、というのは単なる権威主義です。
作者の慰みにしかならないような、誰にも評価されないクソみたいなアート作品もあれば、社会や人間に対する深い洞察を含んで、歴史的な鑑賞に耐えるポルノもありうるのです。
純文学とライトノベル、どっちが素晴らしいのかを問うようなもので、しょうもない純文学もすごいライトノベルもあるに決まっている。
警察は、チンポが写った写真集が売られたら捕まえる。これは、まあ、当たり前です。そういう法律があるんだから。
夜中にクラブで客踊らせたら逮捕されるのと一緒で、そういう法律があるんだから、逮捕も起こりうるでしょう。法治国家なんだから。
むしろ警察が芸術か否かを判断して法律を運用することのほうが不当なのではないかとも思います。
アートかポルノかなんて警察に判断できるわけがないし、されるべきでもない。
では、どうすべきか。
この場合、真に批判され、変わるべきは警察ではなく、こんなカビの生えた法律を放置している日本国民の意識である、と私は考えます。
根本的に間違ってるのは、警察ではなく法律なんです。そして、アート/ポルノ論争とか始めてしまう、ダンスは健全な文化なのか論争とか始めてしまう、幼稚な日本人です。
どれだけ俗悪で、低劣な表現であっても、被害者がいない限りは、ある朝突然、国権に身柄を拘束されることがないのが民主主義なのではなかったのでしょうか。
タテマエでは日本では猥褻なものは売られていないことになっている。これが欺瞞でなくてなにが欺瞞なのでしょう。
アダルトビデオにモザイク入れて、警察の天下り機関でチェックして、これはモザイク入ってるのでポルノじゃないです、猥褻じゃないですって、これが茶番でなくてなにが茶番なのでしょう。
ポルノ大国の日本で、写真集で外国人の写真家が逮捕されたというニュースは、海外からはどう見えるんだろう。
ちなみに、私はレスリー・キーの写真が低劣だと言いたいわけではないです。むしろ、写真集持ってるぐらいには好きです。腕もあると思います。
彼の仕事は、LGBTアクティビズムとしても、アートとしても、ポルノとしても、素晴らしい価値のあるものだとおもっています。
実は、ヌード撮るのってすごく難しいんですよ。嘘だとおもった人は、手持ちのカメラで自分の裸を撮ってみてください。立体感も質感もなんもない、みすぼらしい写真のできあがりです。
実は、ただのゆで卵でも、陰影をつけながら、その白さや丸さを撮影で表現するのすら、すごく技術や経験のいることなんです。いわんや人間を美しく、そして自分の表現になっている写真にすることはとても難しいことなんです。
写真というのは、見たものが見たまま写るというものではないです。たとえば、見慣れた花が、写真家の写真でみると、とんでもなく艶かしく、エロティックに写されたり、グロテスクに写されたり、ロマンティックに写されたり、こんな世界の見方があったのか! と驚嘆できるのが写真です。
当然ヌードも、そこには様々な解釈があり、無限の文脈があるものなのです。そこにモザイクという検閲が入ると、文脈は抹消され、猥褻なものがそこにはあった、という意味だけが立ち上がってしまいます。性器を隠した不自然なポーズやトリミングも同様です。
もちろん、春画などの例をだすまでもなく、ポルノもアートとして制度に回収され、認められる場合もありますが、現状、猥褻の線引きは、鑑賞者や捜査員がエロいと思うか、勃起するか否か、メールヌードに至ってはペニスが写っているかで判断されてしまいます。この思考停止。
ポルノは(特に性的少数者のそれは)作者が自分自身にとことん正直な、まさにパンツを脱いだ嘘のない表現に出会える数少ないジャンルです。どれだけ反社会的に思われ、政治的に正しくないものでも、実存の奥底にある、どれだけ押し込めても潰しきれない、人間のどうにもできないものが表現されてしまうのがポルノです。その凄みや執念は、アートのそれを上回るとさえ思えます。
我々は、アートやポルノ、健全さや猥褻さの枠組みの中で表現を擁護するのではなく、そして巧拙で擁護するのでもなく、低俗か高尚かで擁護するのでもなく、すべての表現を、すべての表現者を守るのだ、と宣言するべきなのです。
しかし、このニュース関連のツイートや、ダビデにパンツ履かせろクレーム、会田誠騒動などをみていると、法律を変えるなんて、あと数十年は無理っぽいですけどね。
ややこしい国に生まれたなあ……。
たとえば本を読んでるときに黒板を爪でひっかく音が聞こえたら、イヤでもそっちに集中しちゃうだろ?
強力に不快な感覚はたぶん優先されるんだと思う。きっと危険信号だからだろうな。
臭いにはもっとキツい特徴もあって、かなりの確率でなんの臭いかわかるんだ。
昨晩のアルコール、ネギとかニラ、肉類、臓物類、それに今朝のコーヒー、ゆで卵、タバコ、それにときには生理とか尿の臭いも混じる。
そういうのが混ざった臭いは、最悪に臭いんだが、同時に中身の情報まで入ってくる。俺はこれでコーヒーが飲めなくなった。
音楽を聞いてても、そういうキツイ臭いが入ってきた途端、そっちに集中力がごっそり持ってかれる。情報の明晰度の違いもあるような気がする。
編集時刻: 2012/10/30 05:12:27 編集者: nigga 編集内容: 7d6 11d9 12a11,14 -その凄まじいまでの快感と危険性は数多の麻薬のなかでも最高峰に位置するものと語られ、しばしば<b>薬物の王者</b>(<b>The king of drug</b>)とたたえられる。 +その凄まじいまでの快感と危険性は数ある麻薬のなかでも最高峰に位置し、しばしば<b>薬物の王者</b>(<b>The king of drug</b>)とたたえられる。 +-<a href="http://mimizun.com/log/2ch/ihou/1071563246/">『コ-ルドタ-キ-』</a>...“SICK”氏談(レス12以降) +-<a href="http://wiki.nsview.net/What_does_it_feel_like_to_inject_heroin%3F">『ヘロイン打ったらどんな感じがするんですか? | YA庫』</a>
編集時刻: 2008/03/07 11:27:02 編集者: nigga 編集内容: 1,2c1,7 -グレープフルーツを食べてダイエットをしようするダイエット方法 +グレープフルーツを食べてダイエットをしようするダイエット方法。ゆで卵とグレープフルーツを組み合わせたダイエット方法が有名。 -ゆで卵とグレープフルーツを組み合わせたダイエット方法が有名 +アメリカ合衆国の場合は、1930年代のハリウッドに起源を持つとの伝えから『ハリウッド・ダイエット』とも呼ばれ、食事の量を極端に制限するというその様相と、18日間という期間をあらかじめ設定することなどから、クラッシュ・ダイエットの一種であるとも言える。 +日本では『国立病院ダイエット』との異称がある。偏った食事メニューを基本にすることから、あまり推奨はされないようである。 + 参考資料:<a href="http://wiki.nsview.net/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88">グレープフルーツ・ダイエット</a>
編集時刻: 2007/11/15 10:53:15 編集者: nigga 編集内容: 8,12c8,13 --[http://w.nsview.net/v/00080/:title=摂取寺] - 光明山と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区の立花寺というところにある。 --[http://w.nsview.net/v/00088/:title=西専寺] - [[紫雲山]]と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区の諸岡というところにある。古くは岡山[[西専寺]]または諸岡山西専寺と号した。永正三年(西暦[[1506年]])の銘のある梵字板碑を寺宝として有す(1989年から県の有形文化財)。諸岡川と御笠川との合流地点に近い。 --[http://w.nsview.net/p/IMGP0752.html:title=無量寺] - 智願山と号する浄土宗の寺で、福岡県春日市の須玖というところにある。智願山、深広院、無量寺。 --専修寺 - 一向山と号する浄土宗の寺で、福岡県久留米市の藤山町というところにある。元々は行基菩薩の開基で天台宗であったが、兵火で失したことから、行明の手により浄土宗寺としての復興を受けた。 --浄土院 - 安楽山と号する浄土宗の寺で、福岡県古賀市の新原というところにある。 +-[http://w.nsview.net/v/00080/:title=摂取寺] - 光明山と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区の立花寺という町にある。 +-[http://w.nsview.net/v/00088/:title=西専寺] - [[紫雲山]]と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市博多区の諸岡という町にある。古くは岡山[[西専寺]]または諸岡山西専寺と号した。永正三年(西暦[[1506年]])の銘のある梵字板碑を寺宝として有す(1989年から県の有形文化財)。諸岡川と御笠川との合流地点に近い。 +-[http://w.nsview.net/p/IMGP0752.html:title=無量寺] - 智願山と号する浄土宗の寺で、福岡県春日市の須玖という町にある。智願山、深広院、無量寺。 +-[http://wiki.nsview.net/%E6%AD%A3%E6%B3%95%E5%AF%BA_%E3%80%94%E5%A4%A9%E9%BE%8D%E5%B1%B1%E3%80%95:title=正法寺] - 天龍山、八部院と号する浄土宗の寺で、福岡県福岡市南区の横手という町にある。境内に行明の『假墓』なるものがあるという。常に山門を閉ざしている。門を閉ざすというその時点でそもそも仏教の根本理念を全く理解していないという信仰上のことはとりあえず置いておくとしても、寺がなぜ法人税を免除されているのかを全く理解していない点は笑止に尽きよう。 +-専修寺 - 一向山と号する浄土宗の寺で、福岡県久留米市の藤山町という町にある。元々は行基菩薩の開基で天台宗であったが、兵火で失したことから、行明の手により浄土宗寺としての復興を受けた。 +-浄土院 - 安楽山と号する浄土宗の寺で、福岡県古賀市の新原という町にある。
wiki.nsview.netってid:nigga氏のウィキ? nsview.netへのリンクを張ってSEOしたいわけですね。
はてな村の連中よ、かかって来いよ、俺は剥身だ
いまや肉や卵がネットできるようになったのか。
かがくのちからってすげー
すき‐み【剥身】-日本国語大辞典
〔名〕魚肉などの薄く切ったもの。また、さっとひと塩にした魚の切り身。
むき‐み【剥身】-日本国語大辞典
〔名〕蛤(はまぐり)や浅蜊(あさり)など貝類の殻をとった中の肉。また、ゆで卵の、殻をむいたものにもいう。
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%89%A5%E8%BA%AB&fr=dic&stype=prefix
http://anond.hatelabo.jp/20120923132824
今の時代、ずっと正社員でいられる保証なんて、どこにもない。問題は「この年収じゃ、正社員の女性と共稼ぎしかないか」じゃなくて、「最低限の生活レベルを維持するには、いくらかかるか」だ。朝飯200円(トースト、ゆで卵、サラダ、コーヒー程度)昼食300円(おかず4品くらいの手弁当)夕食500円(1汁3菜程度)の食事を用意するだけで、月3万円かかる。ちょっと材料のグレードを上げれば、1.5倍。お昼ご飯を買えば500円、夕食を外食すれば1500円。あっと言う間に2倍、3倍だ。逆にこまめに手作りして量も抑え、特売品を使うような家庭なら、半分になることもある。食費が一番目安として、わかりやすいから食費にしたが。
つまり、1カ月の食費が1人1万5千円2人なら3万円で済む生活と、1人月6万円2人なら12万円かかる生活がある。お互いにどの程度が「満足できる生活」になるのか、よーく摺り合わせておこう。でないと、生活費がかからなくても、かかりすぎても不満の元になる。
ちなみに「子どもの教育は高校まで、あとは本人の自覚と努力」で済ますのなら、養育費は総額1千万円くらいで済むはずだから、そんなに心配いらない。
痛みはそんなにないんだけど脱水気味でなんか気持ち悪くなってきた。
あれか。朝食べたキウイフルーツ。いつ買ったものかちょっと思い出せないキウイフルーツ。一週間くらい前だったかな?
剥いたら普通のキウイで、食べても普通のキウイで、ただ何かちょっと色が白っぽくて身がやらかくて酸味が全然ない感じはしたんだけども、あれがまずかったのか。
それともあっちか。奮発した生ハム。サラダに入れて食べた生ハム。食い慣れないもん食うからか。
あるいは普通に牛乳か。それともゆで卵? 蒸しカボチャってことは無いだろう。
原因がさっぱり分からない。俺が食べたもので時間的に見て引っかかりそうなもんはこれで全部だ。あとフルグラとトーストとフルーツキャンディひとつかみ。
おお神よ私が何をしたとおっしゃるのですか!
昨日、帰宅したら父が魚焼きグリルに薄切り牛肉を器用に広げて焼こうとしていた。
「は?なんで薄切り肉をグリル?」
思わず父に聞いてみたところ
「あ、焼いて食べようと思ったんだ。」
そして出た衝撃の発言
かなり衝撃を受けた。
だって、私の認識だと、我が家で一番料理が美味いポジションにいたのが父だったから。
もうすぐ70にもなる父は、別に自分から率先しては作らないが、お腹が減った時や母がいないときは料理をする。
そして、かなり上手い。
と、私は思ってた。
固ゆでなのにパサつかないしっとり感。
まさに火が通ったちょうどその瞬間の固ゆで卵だ。
なにを焼いても、茹でても、煮ても、火加減、水加減、塩加減が完璧だった。
鍋を使わせてもオーブンを使わせても電子レンジを使わせても、家族の中で誰よりも火加減がうまい。
そんな父が、フライパン一つ扱えないなんて。
よくよく聞いてみると、やっぱり"わからない"という感覚らしい。
油をどのくらいひいて、どのくらい熱せばいいのか、焦げ付かないようにフライパンをゆすったりあおったりするとか、それが"わからない"らしい。
空気や水や赤外線やマイクロ波じゃなくて、鉄板との接触面から熱を加えるという方法がなじめないらしい。
ホットプレートで焼肉をするときはあまり食べようとしない父が、焼肉屋ではやたら箸がすすんでいたのは、店の雰囲気ではなく鉄板ではなく網だったからなのだろうか。
「この歳の男のなかじゃそれでも料理はできるほうだぞ。最近の女なんて魚も捌けないっていうじゃないか。」
とばつが悪そうに言った。
人は、家族のことでさえ、実はよくわかってないのだと思う。
私の妹は、(審美的な意味で)ボタンが嫌いで、高校の制服を最後に見える場所にボタンがついた服をほとんど着ていない。
そのことも、私が気付いたのはつい数年前のことだ。
たぶん父も母も気づいてはいないだろう。
彼らは兄が蝶結びを正しく結べないこともきっと知らないだろう。(間違ってはないがちょっと変なのだ)
人はこんなにもお互いのことがわかっていないということを思い知らされたのだけど、それでも平和に暮らしていけるというのは、なんか素晴らしいなって思う。
追記
意外とブクマされちゃってるんで白状しにくいんですが、なんとなく書いてみた小説です。
すいません。
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。
a. ただいま
b. おかえりなさい。
a. 今日、ニュースでサリンジャーが亡くなったって言ってたな。
b. そうね、でも、いいのよ、 そんな、 お ・ は ・ な ・ し は。 ちゅっ。
どうだった、お仕事は?
a. ばか、サリンジャーが亡くなったんだぞ。
b. うん、そうね、 でも、 ね。 お風呂にする? それともお食事? それとも・・・
a. サリンジャーはなあ、 あの偉大な・・・
b. わかってるわよ、 そう、 そんなに そんなお話がしたいの?
そうね、 その前に服を脱いで着替えてからにしたら?
a. 『ライ麦畑で』は良かったなあ、 『ナインストリー』も、
b. でも、はい。
着替え、ここに置いておくね。 私も着替えよかな。
a. でも、なぜあんなに偏屈になっちゃったのかな。 どう思う?
b. うん。 もう、 は ・ や ・ く 着替えてって。
a. 結婚して子供も生まれてるし、なのに塀で家の周りを囲んでじゃって
その中だけで生活するって。
b. へー、 そうなの。
はーーあ あ あ。 ちょっと、疲れちゃったは、わ ・ た ・ し。
a. それからが謎なんだよなあ、作品、残してるのかな?
b. えっ、何? えっ、 あっ、 そんなことしないでっ もう。
a. 何言ってるんだよ、たぶん残してないだろうな。
残してても案外、くだらないものばっかりだと神話が崩れちゃうしな。
b. 神話って、昔話しみたい。 イヤ、どうしちゃったの? そんなお話しばかり、
わたしのことキライになっちゃった? どう、この下着。 いいでしょ。
a. 一度、行ってみたかったよな。サリンジャーが隠棲してたって言う、ニューハンプシャーの田舎に。
b. 下着が邪魔なのかな? そしたら、脱いじゃおうかな? いい?
a. 誰か、何か書いてるかな、
サリンジャー氏は1974年に20年近くの沈黙を破ってニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙の電話インタビューに応じ、次のように語った。「作品を出版しないでいれば、驚くほど平和な毎日だ。何かを出版すれば私の個人的な生活がひどく脅かされることになる。私は書くのが好きだ。書くことを愛している。でも今は自分自身のため、自分の喜びのために書いているだけだ」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2553970/3647218
だからビートルズファン、ジョン・レノンファンにとっても、サリンジャーはちょっと特別な存在だ。その死のニュースを目にしたときは、やっぱりある種の感慨があった。けれど、そうか、まだ生きていたかというキモチも正直あったり。
この人、ノルマンディーでユタ・ビーチに上陸してるんだよねぇ。歴史だなぁ。今晩、家に帰ったら、ひさしぶりに「プライベート・ライアン」でも見るかなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/curragh/20100129/p1
91歳。世界でいちばん好きな本の作者が死んだ。偉大な人がまたこの世から去っていった。このニュースを知ったとき、なんとなくヴォネガットの死を思い起こした。彼が亡くなったときはもう読めなくなるのか…という感じがあった。だけど、サリンジャーの場合、亡くなってからのほうが、隠遁生活後も書いていたらしいモノを読めるんじゃないかと思ったりする。
http://d.hatena.ne.jp/miexpo/20100129/1264767180
あらためて思いますけど、サリンジャーは言葉選びのセンスが抜群なんですよね。ちょっとした短い文章の中に、読む者の心をグッと惹きつける魅力がある。コピーライティングの技法にも通じる彼の文体は、今後も「クールな文体」の手本として永遠に生き続けることでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/marukoshi-an/20100129/p1
http://d.hatena.ne.jp/platycerus/20100129/p1
120 : ゆで卵(石川県) :2010/01/29(金) 03:31:04.20 ID:AnGQMgQs
ライ麦は話自体は別に大したことはないが、
疎外者の視点で語りつくすという方法論は素晴らしい。
38. Posted by 以下、ゴールデン名無し がお送りします。 2010年 01月29日 12:31
サリンジャーはもっと長生きするかと思ったのだがな。
著名な文学の大御所(レヴィ・ストロースは哲学者でもあり文学者でも有名)が二人も亡くなったな。
ご冥福をお祈りいたします。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51427492.html
たとえば教師のタッパーの話した時もやな、お前の目普通ちゃうで。人殺すときみたいにぎらぎらしすぎや。光りすぎや。あいつが教室に来る前にトイレ行って髪の毛わざとばさばさのぼさぼさにしてくるゆうあの話。そら全部お前がゆうたとおり間違いないと思うけどさ、でもそんなもんお前に関係なくないか?あいつが自分の髪の毛をどうしたこうしたってええやんけ、あいつなにを気取ってんねん、ププ、ダサイやつやなー思てたら済む話やんけ。悲壮美なんですねーゆうてそんなもんいちいち演出しなあかんほど自信ないんやなあゆうて、同情したったらええんとちやうの。そやのにお前は、ええか、これだけはゆうとくけどおちょくってるんやないで。お前が喋ってんの聞いとっら、あいつの髪の毛自体が、なんかお前の仇みたいになってて、それはちゃうやろ。んでお前がそれをわかってるっちゅうのがもっと気に入らんわ。
http://www.mieko.jp/blog/2010/01/post-4885.html
ニューヨーク公共図書館(NYPL)のウェブサイトに、2010年1月27日に91歳で死去した作家のサリンジャー(J.D. Salinger)氏を悼む文章が掲載されています。
The NYPL Says Goodbye To J.D. Salinger(2010/1/28付けNYPLのNews)
http://nypl.org/press/press-release/2010/01/28/passing-author-jd-salinger-resonates-throughout-nypl
J・D・サリンジャー氏死去 米作家(2010/1/29付け47Newsの記事)
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012901000109.html
A Farewell to J.D. Salinger from the New York Public Library(2010/1/28付けResourceShelfの記事)
http://www.resourceshelf.com/2010/01/28/a-farewell-to-j-d-salinger-from-the-new-york-public-library/
http://current.ndl.go.jp/node/15711
b. どう、これで満足したの、 は ・ や ・ く こっちへ 来て、
東海地方において喫茶店というと名古屋のマウンテンに象徴されるようなモーニングセットを想起させる。
そう、喫茶店はおばちゃんの集いの場であり、憩いの場でもある。そして、優雅な週末のひとときを過ごす
場でもあったりするわけだ。
俺たちは誰でも、350円でコーヒーを頼めば、小倉トースト、サラダ、茶碗蒸し、ゆで卵を食べられる。
なんてお得感があって、リーズナブルなんだろう。こういうのは、都会にはない。
いや、名古屋のすべてがこうではないが、幼少時代を過ごしたあの地はそういう文化であり、ゆったりとした
時を感じさせるものであったのだ。確かに、スタバもセントラルタワーズ12階にあるし、栄にもあるが、
地域、文化にはなじまなかったんだろう。スタバには、おばちゃんはタバコをすうおっさんもいない。
不景気の中、客数は落ち込む一途だが、東海途方の喫茶店はそういう場を提供しているのだ。
外見としての喫茶店、コーヒーを出すだけという価値観だけでは語れないものがある。
あっ、ルノワールには行ったことがないのだが、、なんだろう、それは立地だったり、客層の怪しさとか、
そういうのだったり、地元でない都会という地であったりするからなのかと感じている。
本人気付いてないかも。あるいは「あーメシ前にあれやんなきゃ、でもまだ準備中だしいっかテレビみちゃえ…え?もうできんの?ちょ、その前に電話…」とかいう単にだらしない理由かもしんないよ。男ってそういうとこある。うっすら自覚あるのにばれてないと思うみたい。
だから、詰問口調にならないように、シンプルに「なぜ?」ってきく。で、返答をきいてみたうえで、「できたてを食べて欲しいとおもって一所懸命作ってるから、止めて欲しい」って伝えてみたら?
うちの場合はおかんが卵を必ず固ゆでにして出すのがいやだった。自分は固ゆで卵嫌いなのに!ってもやもやしてたんだけど、ある日そのように言ってみたら「え?固ゆでが好きだと思ってたごめん!」とさっくり転換wそれ以降気をつけて半熟にするようにしてくれてた。すごいつまんない話だよね。でも家族で、細かいことだからこそ、気付かないし、ストレス溜まるってことあると思うんだ。
仲良く暮らせるといいね。
お前にこの二つのコピペを送る
ロットマスターとして店内の秩序を守ることたびたび、店主もそろそろ俺を認めてくれているはず。
シャッターオープンとともに入店、店主にあいさつするが忙しそうで返事は無し。
この媚びない態度にプロ意識を感じるね。
大豚Wに全増しコール。 麺を茹で上げる釜から漂う小麦粉の香りが食欲をそそる。
第一ロッター、第二ロッターの前にどんぶりが置かれ・・・やってまいりました、俺の二郎!
シャキシャキ山盛り野菜にざっとタレをかけ回し、テュルンテュルンの脂とにんにくをからめ、戦闘開始!
・・・というところでちょっと異変に気づいた。
おや?チャーシューの姿が見えない・・・。
野菜山の向こうにいるのかな?どんぶりを半回転させる・・・いない。
そうか、野菜に埋もれているのか!野菜を軽くほじくる・・・いない。
チャーシューの仕込みに失敗したのか・・・?と思い両隣のロッター見ると、そこにはしっかりチャーシューの乗った二郎が。
まあいい。このくらいはブレの範囲と言えるだろう。プルプル脂身さえあれば俺は幸福だ。
さて、野菜をワシワシ攻略、そろそろ愛しの極太麺ちゃんにご対面・・・w
のはずが、一向に麺が見えてこない。ていうか、麺が入ってない。野菜のみがどんぶりに盛られている状態。
なんだこれは・・・俺は何かを試されているのか?店主も助手も向こうを向いたまま、次のロットワークに取り掛かっている。
・・・まあ、これも、ブレの範囲と言えなくもない、か。
「ごちそうさま!」と大きな声で挨拶したが、返事は無かった。
家に着いた俺はそっと布団にもぐりこみ、そして声をたてずに泣いた。
ここしばらく仕事が忙しく、カネシと脂でドロドロだった血液もスッカリサラサラ。
これはいかんと会社帰りに少々遠回りし、かねてからの宿題店をこなす為松戸駅にて下車。
少々道にお迷ったものの、町の喧騒の遥か彼方におなじみのジローイエロ-を発見!
赤いマントを見た荒牛の如く、猪突猛進!最早周りの景色など見えません(爆)
ようやくたどり着いたお店にはなんと先客ゼロ!まさにアイアムロットレジェンド状態!
さっそく券売機にお金を投入。おや、本店とメニューの呼び名が微妙に違うのね?
とりあえず大盛りゆで卵入りの券を購入。パッと見インド人風の女性に渡します。この方が噂の松子さんかな?
さっそく「ヤサイマシマシニンチョモカラメアブラブラ」をコール!松子さん、ちょっと首をかしげていたけど大丈夫かね?
程なくして注文のブツが到着!
盛りはちょっと少なめだけど、香りは中々スパイシーで、思わずヨダレがじゅるり…。
さっそく金属製のれんげでスープをすくってパクリ。かなり粘性が強くまるでカレーのよう!
ちょっとカネシが弱めだがまぁブレの範囲か。これはこれで全然あり!
さらにビックリなのが麺。おなじみのゴワ麺だと思うが、外国米みたいな長さと大きさにコマ切りにされ
サフランで色付けされているみたいな色合い…
つーか見た目、食感、味的にはまさに「米」そっくりだったが、まぁブレの範囲内だろう。
さらに驚いたのがヤサイ。本日限定なのか、ニンジンとジャガイモが煮込まれて入っている。
またここの店ではテーブルにニンニクがサーブされていて、自分で好きなようにいれられる様になっている。
赤い甘酢?につけられたそれには、ニンニク以外にも大根や蕪なども一緒に漬け込まれており
全体的に多少のブレは感じたが、それ以上に二郎の基本を守りながら、それにとらわれず
様々な変化を見せてくれた店主の研究熱心な人柄がに感心。
大満足で店を出ると松戸駅南口に向かった。