はてなキーワード: 過激派とは
そもそもこれが間違ってるんだけど、(少なくない)ヴィーガン自身もアンチヴィーガンもこの間違いを理解できないから未だにごちゃごちゃ言ってるんだよね。
「ヴィーガニズム」と言うように、これは「イズム(主義)」なんだよ。
「男は強くなければいけない」「女は可愛くなければいけない」そういう「主義」を自分の中に持ちながら、ジェンダー多様性を尊重して他人に押し付けない人なんて今の時代いくらでもいるよ。ポディービルダーやアイドルの多くはそうじゃないかな。
それでも日本で酒は禁止になっていないし、欧米でも同性愛は禁止になっていない。
それらを絶対に許さない信徒のことは「過激派」と呼ぶ。それが普通の人の認識。
一般論として言えば、「倫理規範は他人に押し付けるものじゃない」んだよ。
ただし例外的に、殺人や窃盗のような「主義に関わらず、広く一般的に共有されている倫理規範」に限っては、他人に押し付けることが許される。その「広く一般的」を決めるのが立法議会。
ヴィーガニズムは今のところ、そのように「広く一般的に共有されて」はいない。
例えば「ヴィーガン党」のような政党を作って、食肉禁止の立法を目指すことまでは想定可能だが、立法議論をすっ飛ばして暴力行為に走るのはテロリズムでしかない。
他人に押し付けない個人の主義としては、ヴィーガニズムも宗教と同じように、尊重されなければいけない。それが「信仰の自由」と「思想の自由」というもの。
【追記】
コメントで寄せられた種々の意見について反論しようと考えたが、いずれも下記でリンクを張ったサイトを読んで貰う方が早く、正確なのでそうしてください。
だったらこんな記事を書く意味はないじゃないかということになるが、まあサイトの紹介記事として書いたと思えば無意味ではないと思っています。
http://therealarg.blogspot.com/2019/02/VeganFAQ.html
【追記おわり】
ツイッターでヴィーガンがトレンド入りしてて、覗いてみると過激派ヴィーガンのテロ行為が炎上しているという内容だった。
そのニュースを受けて、そういった活動だけではなくヴィーガニズムそのものへの批判が多く為されており、その中にはヴィーガンに必ずと言っていいほど寄せられる批判がいくつか見られた。
というわけで以下でそれに勝手に答えておきたい。
ちなみに、ここで書いてあることを読むより以下のサイトを見てもらう方が良いので、時間があるならそうしてください。
http://therealarg.blogspot.com/2019/02/VeganFAQ.html
これは一見かなりもっともな主張に見えるし気持ちもわかるのだが、「押し付けるな」という反論はズレている。
なぜならヴィーガニズムというのは「動物の権利を侵害するのは止めよう」という倫理規範だからで、「野菜を食べて健康になりましょう」という思想ではないから。
「殺人や差別をしてはいけない」というのは思想という以上に倫理規範である。「お前が差別しないのは自由だけど、俺は自由に差別して生きていく。それに口を出すな。住み分けて生きて行こう」という理屈が通らないのと一緒で、倫理規範は他人にそれに従うことを要請するという性質がある。
だから、ヴィーガンに反論するのであれば、「「動物の権利を侵害しては行けない」という倫理規範は存在しない、成立しない」とか、「そもそも肉食という行為は動物の権利を侵害していない」「そもそも動物に権利なるものは存在しない」という方面で反論しなくてはならない。それなら議論は成立する。
上記に付随して当然出てくる疑問だろう。
だが、結論から行くとこのテーマをここで書き切ることは到底不可能なので、おのおので関心を持った分野の本を読んでくれということになるが、
①権利というものは現状では人間にしか認められていないが、それはなぜなのか。「神が人間にだけ権利を与えた」といった説明も出来るが、論理的ではない
②ひとつには、権利は「苦痛を回避すること」と説明出来る。つまり、理由なく苦痛を与えられてはいけない、という考えは権利の1つの側面である
③大半の動物は痛覚を持ち、苦痛を回避するように振る舞う。よって、不要に苦痛を与えられない権利は動物にもある
だから動物を不要に苦しめるような畜産産業はやめるべき、となるわけですね。
・植物は殺していいの?
これも極めてよく用いられる反論で、「プランツゾウ」という名前までついている。
上記したようにヴィーガンは動物の権利を擁護する立場であり、おおざっぱに言えばそれは「苦痛を与えてはいけない」という言葉で要約できる。そして現在の科学的な知見でいえば、植物は痛覚を感じていない。だからヴィーガンは植物の権利は擁護しない、というか植物に権利を見出していない。
逆に言えば、明確に知性や痛覚を有する植物にたいしては、ヴィーガンは同様に権利を見出し、擁護することになると思うよ。
これを言う人だって、道端の草を踏んづけるのと野良犬を踏んづけるのなら後者の方が抵抗あるんじゃないかな?
・人類は長い歴史を肉を食べて生きてきたので、それが自然だし、文化でもあるのでは?
長い歴史があっても間違っているならやめるべきでは。間違っていないなら根拠を示すべきでは。
一つ考えてほしいこととして、「完全に動物肉と同じ味、同じ値段、同じ栄養素の人工肉」が開発されたとする。あなたはその状況で、あえて実際の動物の肉を選ぶだろうか。
多くの人は「それなら動物を殺さないでこれを食べよう」と判断するんじゃないかな。ピアノの鍵盤とかハンコにあえて象牙を使わないでいいのと同じ理屈。
もちろん、現状でそんな便利なものはないんだから現実的にヴィーガンになるのが難しいのは解る。解るが、ヴィーガニズムに理があることも解ってもらえるんじゃないだろうか?
感謝していれば権利を侵害してもよいということを主張してるわけですが大丈夫ですかね…
「いつも働いてくれてありがとう」と感謝すれば人を奴隷してもよいってことなってしまうのでは?
・ヴィーガンが自分たちの活動をアピールするために牛乳をぶちまけたりしているのは矛盾では
要するに言論でおとなしく反論しても世界は変わってくれないということで、それは全く間違いではないのかも知れないが、個人的にはこうしたパフォーマンスが有益だとは思わない。
ただ、一部の過激派を例にして全体を否定できないことも言うまでもない。
現実的に今すぐヴィーガンになるハードルがかなり高いのは実際のところかなりわかるけど、すくなくとも理屈としてのスジはわかってもらえるんじゃないかな。
ランジでいい(ランジ過激派)
一人の無政府主義者が政治家を殺害したので、すべての無政府主義者が取り締まられるというのは、不当なことだが、あり得ないことではない。だが、こんなシナリオはどうだろうか。「無政府主義の敵」を自任する右翼過激派の一人が大統領殺害の容疑者になり、大統領は「無政府状態に甘すぎる」ようなので断罪されるべきだ、と主張した。それを聴いた分別ある米国市民は、無政府主義者を非難するのは理に合わない、と考えるはずだ。責めを負うべきは、最も過激な犯罪者だからだ。
しかし、これは正に、安倍晋三氏暗殺事件後に日本で起こっていることではないか。文鮮明師によって設立された統一教会が、その犯罪に絡んで非難され、信徒たちは職場や学校で中傷され、人権に関わる緊急事態を引き起こしている。仮に暗殺者が統一教会のメンバーであったとしても、このような事態は不当なことだ。宗教団体だろうがなかろうが、大きな集団が、構成員一人の不祥事のゆえに罰せられなければならない道理はない。しかも安倍氏の暗殺者・山上徹也は統一運動のメンバーではない。それどころか当人は、文師が設立した団体を憎み、その関連団体が主催した二つの行事にビデオメッセージを送った安倍氏を罰しようしたというのだ。
平たく言えば、この事件で被害にあったのは安倍氏と統一運動なのではないか。
(全文は以下で)
アメリカはちゃんとアルカイダを敵として扱っているから、多少のことは許容される
あくまで今ある社会の一員にとって殺人やテロやクーデターは脅威である、というだけのこと
社会そのものがひっくり返れば、それこそ天狗党の所業みたく、後から遡って正当化されるかもしれない
だから昔の過激派みたいに「日本帝国主義の敵」でも名乗って、その上で堂々と称賛すればよろしい
むしろ君らはなぜそうしないのか
だからアウトローとか無敵の人とか過激派とか、そうやって腹くくった奴が最終的に暴力に訴えるのは、もうある意味「しょうがない」んだよね
いくらダメって言っても、そいつらにとっては既存の国家や社会なんかどうでもいいんだから守るわけない
善悪とか主張とか間違いとかそういうのは割とどうでもよくて、あっちが勝ったらタリバンみたいにあっちの言うことがローカルな正義になっちゃうんだから
そういう奴は逮捕でも死刑でも現場射殺でもいいから、とにかくできる限り止めるしかない
逆に言えば、今あるものから堂々とはみ出す気もないくせに、俺に都合のいい暴力だからちょっと擁護してやろうって
そういうヤカラがいっちゃんセコいの
なぜ、反共だけはやめられないんですか?
主にツイッターを使って好きな絵師や字書きを追っかけ続けているが、ここ最近、界隈の人間関係がめんどくさい。
あまりにめんどくさいので推しCPから離れたくなってるけど、でも好きだし、ほかに吐き出すところがないのでここに書き捨てる。
推しCPは逆CPのほうがメジャーで、規模が10倍くらい違うし、両方いけます!の雑食/リバ派も多い。
あるとき、一人の推しCP固定過激派の作家が逆CPに対して、冗談交じりに攻撃的な文面をオープンに呟いた。
それに対して固定穏健派の作家が「脅迫だ、怖い」と彼女を非難し、同意する固定穏健派および雑食派と、それに反発する固定過激派で界隈が対立してしまった。
固定過激派が逆CP攻撃に至った経緯は、作品が拡散されていくうちに逆CPとして消費されたりコメントされたり、色んなストレスが重なってのことだろうと思う。
界隈の中には推しCP固定と名乗りながら実は別アカウントで逆CPも創作してます、みたいな人もいて、そりゃー詐欺だよ良くないよ住み分けは大事だよと私も思った。私も固定派なので、やっぱり生産元が逆も書くならそのことは誤魔化さないでほしいんだよね。明記しろとは言わないので。こっちでチェックかけるし本物の固定過激派は「危うきに近寄らず」で対処すると思う。アカ分けて「固定です」は詐欺ですやめてくださいブロックブロック。
攻撃的なツイートと言っても冗談交じりの文面で、身内のノリを軽い気持ちで表に出しちゃったって感じだった。
でもどんな理由があっても冗談でも、「逆CP殺す」とかそれに類することを呟くのはダメだと思う。
そういう配慮のない呟きをオープンにした固定派も、それを宥めるでもなくいきなり「脅迫だ」と糾弾して騒いだ穏健派も、逆CP創作することを隠しながら活動していた自称固定派も、私は全員なんだかなあと思っていた。
そんなわけで逆CP絶許固定過激派と、そこまで言うのはちょっと引く固定穏健派(と逆OKな雑食派)で対立してしまった。それ自体はよくある「固定」と「ゆる固定」と「雑食」の小競り合いだと思うんだけど、めんどくせえことに固定派と穏健派、CP解釈でも小競り合いを始めた。
どっちから吹っ掛けてるとか正直外野からはよくわからないけど、「この解釈は地雷」とか「こういう推しCPは解釈違い」とか「〇〇じゃないなら推しCPを名乗るな」みたいな、そういう呟きが界隈に散見されるようになって、えーいやだなー困ったな~~~って思ってる。私は固定派だけど、それが推しCPなら受けが姫化していようが攻めが鬼畜化していようが殺伐だろうがイチャイチャだろうが生きてようが死んでようが、なんでも構わないオタクだから。
「〇〇じゃないと推しCPじゃない」って言われても「いや〇〇じゃなくても推しCPですけど?」としか思えないし「原作設定が地雷とか言うのは原作への侮辱、創作をするな」って言われても「そもそも無許可の二次創作は全部原作への侮辱じゃん?」としか思えない。二次創作大好きな私が言うことじゃないけど、二次創作において「あの創作はダメ、この創作だけが正しい」みたいな言い分って通用しないと思うんだよ。あれもこれも全部原作無視したファンの妄想にすぎないでしょ。そういう色んな「もしもの世界」を原作者の知らないところで好き勝手に作って楽しむ趣味だと思ってた。
ていうか親友だって書かれてる二人について攻めとか受けとか言ってる時点で原作へのリスペクトとか微塵もないでしょウケルwwwwww
これは自虐だけど本当にそう思う。
だから、正直、今の界隈の空気はとてもしんどいなーと思ってる。あれもこれも素敵な創作なのにいちいち「これが正解」とか「これしかない」みたいな呟きが目に入るたびに他の創作が否定されているような気持になって憂鬱になる。
いいんだよ、身内同士で盛り上がってるぶんには。鍵かけてそういう褒め方するのは全然いいと思うんだけど、オープンにやられるとやっぱり気になる。ミュートすりゃいいんだけどさ、そうするとどんどん界隈が静かになっていく。
匿名箱への凸もお互いにあるみたいで、チクチクチクチクお互いに空リプやbioで嫌味を言い合ってるのも鬱陶しいし、当事者だけじゃなくて外野も含めて「この人は固定派さんの仲間」「この人は穏健派さんの仲間」みたいなのがうっすら見えちゃうのも鬱陶しい。中学生か。
お互いに「あいつから一方的に凸られてる」って被害者ぶってるけど、お互いに推しCPの中では数字取ってるほうだからファンが勝手に凸ってんじゃないの?って気もするし、もう泥沼。こんな状況で推しCPオンリーイベントやるとか正気か?なんか事件起こりそうで怖いよ。
なんかもうマジで面倒くさい。何も考えずに推しCPを楽しみたいだけなのに、ちょくちょく流れてくる人間関係の呟きがめんどくさい目に入れたくない。
漫画・ラノベ・アニメ・ゲームは大好きだけど、声優のラジオとかライブも受け付けないタイプのオタク。
声優はキャラクターを演じるプロであって、キャラクターが大好きでも、いわゆる「中の人」には興味を持てなかった。
2.5次元とかも全部駄目。
なんなら漫画家のTwitterを見てしまい、がっかりして、その人が描く漫画まで苦手になりそうで慌てて見るのをやめたこともある。
何人かユルく見てるけど、まあやっぱりコンテンツは「中の人」そのものなんだよね。
今のVTuberブームにも当然乗れてないし、オタ友がアイマスやラブライブのライブに行って大盛り上がりなのにも全くついていけなかった。
それでも十分オタクだと思ってるし、オタ友には二次元過激派として認識されてる。
オタクのジャンルはどんどん広くなってるし、全てのジャンルに精通するのは無理だ。
VTuberだけにしても、メジャーどころを全員押さえておくなんてもう無理だよね。
だから、これからも俺は自分が好きなものだけを追いかけて行くし、それは俺の「好み」の問題であって、他人やオタ友が好きなものは否定しない。
それでいいじゃないか。
そもそもがめちゃくちゃズボラで、自分の身なりを整える行為が苦手なんだけど、お風呂に入るとか髪を洗うとか、服を清潔に保つとか、そういう日常的な行動の中でもとりわけサボりがちだったのが「歯磨き」という行為だった。
極端に忌避する何かがある訳ではないんだけど、漠然と歯磨き粉の味はあまり好きではなかったし、1日実施しないだけで即座に虫歯ができるわけでも歯が黄ばむわけでもないので(いや歯垢は付くんだけど)即効性のある効果が見られないのであれば少しぐらいサボっても大丈夫と楽観視していたんだと思う。
きちんと毎食後に歯磨きしてる人なんかは信じられないかもしれないけど、私はそんな具合で1週間に1、2回ぐらいしか歯磨きをしない人生を送ってきた。
舐めプもいいとこ。
そうなってくると当然虫歯になるんだけど、舐めプの私は歯医者にも舐めプ対応を繰り返した。
歯が痛めば生活に影響が出るので仕方なしと歯医者へ向かうものの、根本的には面倒臭さが勝っていたので、痛みの原因となった大きな虫歯の応急処置が終われば、次の予約をブッチ切りそのまま通院しなくなった。
幸いにも(?)筋金入りの喪女なので、恋人とキスする時の事なんて全く心配の必要がなく、口内環境を整える事についての優先度は限りなく低かった。あと普通にお金もなかったから治療代を渋った面もある。
そんな感じで10代〜20代半ばまでの10数年、口内ケアに対してひたすら最悪な対応を繰り返していた私に転機が訪れたのは2020年も後半に差し掛かる頃だったと思う。オタクとしては別に珍しい事でもない、あるアプリゲームのキャラにハマったのだ。
直接的に作品名を挙げる事は控えるが、某社から展開されている、悪役がモチーフのイケメンがたくさん出てくるやつである。
作品を知ってる方なら、記事のタイトルとハマった作品でもうお察しかと思うが、私がビジュアルで一本釣りされた真面目そうな眼鏡のキャラにはあまり一般的ではない趣味があった。
これまでの人生で、出会ったキャラ……いや、現実も込みで思い返しても、「歯磨きが趣味」なんて言い出す奴には出会ったことがないが、推しは「普通」を自称しておきながら歯磨きが趣味だと宣った。何だ歯磨きが趣味って。性癖の間違いだろ。公式プロフィールに書くな場を弁えろ。
とはいえ、ゲーム本編を読む限りでは歯磨きの印象より他の特技の方が動きとして目立っていたので、初めは私も「言うてちょっとこだわりがある程度でしょ」と楽観視していたわけですが、推しは私の予想を上回る正真正銘、他の追随を許さない歯磨き過激派男だった。
自分の歯磨きで部分用、舌ブラシ、フロスを使い分けるまでは想定内だったが、後輩の歯の磨き方に細かく指導したり、仕上がりチェックのため口を開けろ等と言い始めたあたりから雲行きが怪しくなり、主人公の相棒の魔獣に歯磨き用グッズを買い与え用とする姿でファンもいよいよコイツがマジのガチ勢である事を察しはじめた。
後輩の1人が歯科医の息子と判明した折には、普段の落ち着いた姿から一変、「実家が歯科医院だって!?」「素晴らしい職業じゃないか!!」「余程専門知識が豊富なんだな…是非お前のお父さんに会ってみたい!」とパイロットに憧れる小学生の如きはしゃぎ様を見せられ、お前……そんな顔できたんだな……てか声でっか……と困惑したのは未だ記憶に新しい。
そんな歯磨きガチ勢を推しはじめて間もなく、ジャンルにハマってすぐの頃の勢いとは恐ろしいもので、早々に推しのぬいを手元に迎えた。それまでは所謂ぬい活というものに手を出していなかったのだが、そのジャンルで展開されていたぬいがめちゃくちゃ可愛いデザインに仕上がっていたもので、とりあえず入手するだけ……と軽率にゲーセンへ突撃したわけである。
外食時にはご飯を食べる姿を写真に納め、ぬいぐるみ用の靴や服を用意し、キャラの関連グッズや好物を買い与える生活になった。なお現在進行形である。
不思議なもので、そうやって愛着をもって接していると不思議とぬいに"感情がある"と感じるようになる。
このあたりはぬい活をしている方なら理解してくれると思うけど、頭ではぬいぐるみと理解しているものの、撮った写真や、ふとした瞬間の角度、目線、表情で「いのち」を感じるのだ。
推しを模してつくられた小さきいのちに私がより一層入れ込むようになったのは言うまでもない。
ここで誤解のないように説明しておくと、私は夢女子ではないので、推しに対して付き合いたいだとか出会いたい、推しに褒められたいといった感情は持ち合わせていない。
強いて言うなら握手した手を後ろ手でこっそり拭われたいし愛想笑いで雑に流し対応をされたいモブおじさん願望があるが、話題の本筋とは関連性が薄いので割愛。とにかく、歯磨きが趣味のキャラを推しはじめたからといって「推しくんに会っても恥ずかしくないようにしよう!」なんて意識の高い事は1ミリも考えず、推しを推しはじめた当初は自分の歯磨きに対する意識改善をしようともせずに「趣味が歯磨きってなんかえっちだな」とか考えていたのが私というダメ人間であった。
変化は、推しのぬいに感情や自我を見出すようになった頃に訪れた。
飼っているぬいが、部屋でゴロゴロ寛ぐ私を責めるような目でを見てくるのだ。まるで「まだ歯磨きしないのか?」「寝るまでには磨くよな?」とでも言わんばかりの硬い表情でこちらを見てくる。
この頃には私はすっかり推しぬいをひとつの個として認識しており、もやは「推し」とは別に「ぬい」を推しているような状態にあった。
画面の中の偶像的に愛を注ぐ対象とは別に、手元のぬいに個性を見出し、「自分ちのぬい」という存在として可愛がっていたわけである。飼ってるネコチャンにメロメロのでうちの子が1番可愛いと主張する飼い主に構造は近いと思われる。
「推し」に良く見られたいという気持ちは微塵もないが、飼っている「ぬい」には嫌われたくない。責めるようなその目をやめてほしい。※なお幻覚
そんなわけで、私はぬいの顔色を伺いながら日々歯磨きをするようになった。現状では朝と夜の2回が精一杯だが、理想は毎食後に磨くことらしい。
過去に検診をブッチしたことや長年の舐めプが原因で口内の各所に点在していた虫歯を治すため、数年ぶりに歯医者へも通い始めた。もちろん通院の際にはいつもぬいを連れている。
歯科医院の前で、看板と並べて写真を撮ってあげるとうちのぬいはとても良い表情で笑うのだ。
今日は長年認識しているまま放置していた大きめの虫歯の治療が終了したので、ひとつの区切りのように感じてこの記事を書いた。
幼少の頃から自覚しつつも一向に改善される見込みもなかった年季の入った私の悪習慣は、「推しのぬいに自我を感じたから」というわけのわからん理由で改善へと向かっている。
それはそれとして
最近の Twitter では過激なトランス女性排除派が跋扈している(ように見える)んだが、
この手のトランス女性排除派が見えて無い現実について、雑多に書きたいと思う。
あくまで「トランス女性を女性用スペースから排除する」と言う事を肯定している人間を指します。
これは「は?何言ってるんのお前?」と言われそうな話なんだが、単純な算数と比率の問題で、
例えばある女性用スペース(A)を利用する人間が 10人いたとして、この内1人がトランス女性で、残りは9人普通の女性一般だったとする。
この前提でこの女性用スペース(A)で2名性暴力の被害を受ける事案が発生すると、仮に1名のトランス女性が被害に合った場合、
そのスペースを利用する女性で被害に合い得るのは残りの 9名で、この場合だと性暴力に合う人間はトランス女性が1名、女性一般が1名となる。
しかしこの女性用スペースからトランス女性を完全に排除し、女性一般しか利用できない様になった場合、
前例と同じ様に2名性暴力の被害を受ける事案が発生すると、今度は確実に女性一般の2名が性暴力の被害に合う。
つまり、ある女性用スペース(A)からトランス女性を排除すればするほど、その女性用スペース(A)の女性一般の比率は上がって行き、
トランス女性の完全排除が成された場合には、その女性用スペースで性暴力の事案が発生すれば女性一般が被害に合う比率は 100% になる。
こう言う理屈から、トランス女性排除派は「女性一般の安心・安全」を守ると言うことを目的(だよな?)としてトランス女性排除を訴えるが、
実際には女性用スペースを利用するトランス女性を排除すればするほど、女性一般が被害者となる確実性が上がってしまう。
なのでこの辺りがトランス女性排除派が見えてないか、あるいは都合良く無視している事の一点目だと俺は思う。
次にトランス排除派に取って都合が悪い、と言うか分かってないだろうと思われる事は、
「女性一般を安心と安全を守る」と言う名目でトランス女性の排除を肯定し続けると、
「トランス女性の排除」が女性の身を守る解決策だ、と言う思い違いが発生し、
本来解決すべき問題から目をそらす結果に繋る、と俺は思ってる。
まずそもそもの話として、なんで女性用スペースからトランス女性を排除するのが肯定的に捉える向きがあるか、
と言えば、トランス女性の出生時の性別、つまり「男性」から性暴力を受ける身の危険などがあるためで、
これは性暴力の多数が男性一般からのケースが多い、と言うのが理由になっていると思う。
そしてその上で、だ。
まずトランス女性(出生時には男性)と男性一般の比率を考えると、これはどうがんばっても男性一般の方が比率が多い。
まぁ具体的なデータを持っている訳でも無いんで常識的な範囲での考えだが、社会一般でトランス女性が男性一般より数が多い、
なんて事は、当事者会の現場でも無いかぎり、まず有り得ない、と考えても良いだろう。
となると、社会に多い「出生時男性(トランス女性・男性一般の合計)」の内、「女性一般を安心と安全を守る」、
と言う目的を達成するために干渉しないとダメなのは本来であれば男性一般の方で、トランス女性ではなく、
性暴力を振ってくる様な男性一般から身を守られなければ、女性一般の性暴力の被害は減りようが無い。
そして先にも言った様にトランス女性と男性一般の数としてはトランス女性の方が数は少なく、
女性に性暴力を振ってくる「出生時男性(トランス女性・男性一般の合計)」の内、
つまりトランス女性の排除を「女性一般の安心・安全」を守ると言う観点から見た時、トランス女性と男性一般の比率から、
トランス女性の排除「だけ」を熱心に行なうのは「女性一般の安心・安全」を守ると言う目的からしてみれば焼け石に水で、
少数のトランス女性犯罪者をなんとかするより、多数派の男性一般の犯罪者をなんとかする方が効果的だろう。
さらに補足すると、Twitter に跋扈する様な過激なトランス女性排除派は、トランス女性こそが女性一般を襲ってくる犯罪者だ!
と言わんばかりの勢いで RT なり Like なりを飛ばしまくっているが、先にも言った様に現実に女性一般を襲ってくるのは男性一般の方が多い訳で、
トランス女性の排除の排除を徹底したところで、男性一般をなんとかしなければ、女性一般の被害は無くならないし、無くしようがない。
そう言った意味ではトランス女性の排除を徹底したところで、女性一般を男性一般の性暴力から守ることは出来ないだろうし、
トランス女性の排除の完遂をしたところで、女性一般の身の安全を守れる訳もない、と言うのは明白だろう、と俺は思う。
ここまでで書いて来た様に(真面目に読んでいれば)トランス女性を女性用スペースから徹底的に排除することは、
女性用スペースで女性一般が性暴力に合う確実性を上げるし、さらに男性一般と比べ少数でしかないトランス女性の犯罪者だけに目を向けることは、
性暴力を振ってくる男性一般の犯罪者から身を守る手段になり得ない、と言うのが理解できると思う。
つまるところ、女性用スペースからトランス女性を躍起になって排除したところで、
トランス女性が云々なんて事が一切関連しない男性一般の犯罪者を放置すれば、
無論、トランス女性が股間の手術をしないで風呂に突っ込んでくる、と言う様な事例での排除はまぁ当然としても、
それ以外の場面、例えば多機能トイレが無い場合での女性用トイレの利用だとか、
あるいはトランス女性の性別移行度に合わせた社会的サービスの利用の場面なんかで、
と言ったところで、実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ちだけで、 実際の安全はほぼ確保されない。
そしてこの記事を書いている俺としては、トランス女性の排除で「実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ち」だけ、
と言う現実を放置することは、女性一般の安全を守る意味でも、かなり好ましくない状況だと思ってる。
さっきから何度もこの記事で書いてるが、女性一般の安全を守るためには、大多数の男性一般の犯罪者をなんとかする方が先だ。
しかし少数しか居ないトランス女性の排除だけにこだわり、「実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ち」を得られるだけの行動が優先されると、
今度は実際の防犯対策がおざなりにされ、「実際に女性一般の身を守るために必要な事」が見逃されるんじゃないか、と言う危惧を俺は持っている。
分かり易く言うと、今回見てきた様な「トランス女性を排除すれば身の安全が得られる」と言った主張は、
と言った勘違いを発生させ、これが跋扈すれば男性一般の犯罪者にとって都合の良い状況が作り上げられかねない。
しかも性質の悪いことに、この手の「充実感」だけを得られるに終わる社会運動は、実際の社会の向上にはさして影響を持たらさず、
勘違いと自己満足、あるいは倒錯した市民社会が実現される、と言った恐れさえ有る。
これは例えば表現の自由関連の界隈だと有名(?)な韓国の「アチョン法」と言うのがあるが、
この法律は「現実の性犯罪」よりも「ネット上での創作のエロを見たとか作った」と言う方が刑罰が重い、
と言うトンデモになっている法律で、これがあるせいで現実の性犯罪を取り締まるよりネット監視が優先され、
現実の性犯罪の被害者の方たちが「私たちの方を見ろ!」と言う声明を出さざるを得ない状況になっている。
そしてこれを今回のトランス女性の排除、と言う文脈で言えば、「トランス女性の排除」の徹底が社会合意とされ、
「トランス女性の排除」を目的とした法律、あるいは実務運用が成されてしまえば、
「男性一般の(犯罪目的の)女性用スペースの侵入」より「トランス女性の(正当な)女性用スペース利用の発覚」の方が重罪とされる、
と言う様な、倒錯し現実の被害者を軽視する様な馬鹿げた市民社会の実現にも繋りかねない。
無論、こんな馬鹿馬鹿しい話が出来上がるとは思いたくもないが、参議院選の前に立憲民主が「女装男性から女性を守る」と言う様なことを公約に書いていた事案や、
自民党と癒着していた旧統一協会が反 LGBT を掲げていたりすることから、こう言った「トランス女性排除の過激派」が政策決定の意思に関与する接点が増えると、
こう言った様な現実の脅威を無視し、倒錯し馬鹿げた法律が出来上がる可能性が無い、と言う保障はない。
なんで俺はそう言った意味で、トランス女性の排除「だけ」にこだわり続けるトランス女性排除過激派は、
かえって女性一般の安全を損なう行動を取ってるんじゃないか、と思ってるし、女性一般とトランス女性の共通の敵である、
「男性一般の性暴力を振ってくる犯罪者」から身を守ることへの協調を妨げ、単にトランス女性との分断と、
現状の犯罪行為の放置が続くだけなんじゃないか、と思ってます。
以上。