最近の Twitter では過激なトランス女性排除派が跋扈している(ように見える)んだが、
この手のトランス女性排除派が見えて無い現実について、雑多に書きたいと思う。
あくまで「トランス女性を女性用スペースから排除する」と言う事を肯定している人間を指します。
これは「は?何言ってるんのお前?」と言われそうな話なんだが、単純な算数と比率の問題で、
例えばある女性用スペース(A)を利用する人間が 10人いたとして、この内1人がトランス女性で、残りは9人普通の女性一般だったとする。
この前提でこの女性用スペース(A)で2名性暴力の被害を受ける事案が発生すると、仮に1名のトランス女性が被害に合った場合、
そのスペースを利用する女性で被害に合い得るのは残りの 9名で、この場合だと性暴力に合う人間はトランス女性が1名、女性一般が1名となる。
しかしこの女性用スペースからトランス女性を完全に排除し、女性一般しか利用できない様になった場合、
前例と同じ様に2名性暴力の被害を受ける事案が発生すると、今度は確実に女性一般の2名が性暴力の被害に合う。
つまり、ある女性用スペース(A)からトランス女性を排除すればするほど、その女性用スペース(A)の女性一般の比率は上がって行き、
トランス女性の完全排除が成された場合には、その女性用スペースで性暴力の事案が発生すれば女性一般が被害に合う比率は 100% になる。
こう言う理屈から、トランス女性排除派は「女性一般の安心・安全」を守ると言うことを目的(だよな?)としてトランス女性排除を訴えるが、
実際には女性用スペースを利用するトランス女性を排除すればするほど、女性一般が被害者となる確実性が上がってしまう。
なのでこの辺りがトランス女性排除派が見えてないか、あるいは都合良く無視している事の一点目だと俺は思う。
次にトランス排除派に取って都合が悪い、と言うか分かってないだろうと思われる事は、
「女性一般を安心と安全を守る」と言う名目でトランス女性の排除を肯定し続けると、
「トランス女性の排除」が女性の身を守る解決策だ、と言う思い違いが発生し、
本来解決すべき問題から目をそらす結果に繋る、と俺は思ってる。
まずそもそもの話として、なんで女性用スペースからトランス女性を排除するのが肯定的に捉える向きがあるか、
と言えば、トランス女性の出生時の性別、つまり「男性」から性暴力を受ける身の危険などがあるためで、
これは性暴力の多数が男性一般からのケースが多い、と言うのが理由になっていると思う。
そしてその上で、だ。
まずトランス女性(出生時には男性)と男性一般の比率を考えると、これはどうがんばっても男性一般の方が比率が多い。
まぁ具体的なデータを持っている訳でも無いんで常識的な範囲での考えだが、社会一般でトランス女性が男性一般より数が多い、
なんて事は、当事者会の現場でも無いかぎり、まず有り得ない、と考えても良いだろう。
となると、社会に多い「出生時男性(トランス女性・男性一般の合計)」の内、「女性一般を安心と安全を守る」、
と言う目的を達成するために干渉しないとダメなのは本来であれば男性一般の方で、トランス女性ではなく、
性暴力を振ってくる様な男性一般から身を守られなければ、女性一般の性暴力の被害は減りようが無い。
そして先にも言った様にトランス女性と男性一般の数としてはトランス女性の方が数は少なく、
女性に性暴力を振ってくる「出生時男性(トランス女性・男性一般の合計)」の内、
つまりトランス女性の排除を「女性一般の安心・安全」を守ると言う観点から見た時、トランス女性と男性一般の比率から、
トランス女性の排除「だけ」を熱心に行なうのは「女性一般の安心・安全」を守ると言う目的からしてみれば焼け石に水で、
少数のトランス女性犯罪者をなんとかするより、多数派の男性一般の犯罪者をなんとかする方が効果的だろう。
さらに補足すると、Twitter に跋扈する様な過激なトランス女性排除派は、トランス女性こそが女性一般を襲ってくる犯罪者だ!
と言わんばかりの勢いで RT なり Like なりを飛ばしまくっているが、先にも言った様に現実に女性一般を襲ってくるのは男性一般の方が多い訳で、
トランス女性の排除の排除を徹底したところで、男性一般をなんとかしなければ、女性一般の被害は無くならないし、無くしようがない。
そう言った意味ではトランス女性の排除を徹底したところで、女性一般を男性一般の性暴力から守ることは出来ないだろうし、
トランス女性の排除の完遂をしたところで、女性一般の身の安全を守れる訳もない、と言うのは明白だろう、と俺は思う。
ここまでで書いて来た様に(真面目に読んでいれば)トランス女性を女性用スペースから徹底的に排除することは、
女性用スペースで女性一般が性暴力に合う確実性を上げるし、さらに男性一般と比べ少数でしかないトランス女性の犯罪者だけに目を向けることは、
性暴力を振ってくる男性一般の犯罪者から身を守る手段になり得ない、と言うのが理解できると思う。
つまるところ、女性用スペースからトランス女性を躍起になって排除したところで、
トランス女性が云々なんて事が一切関連しない男性一般の犯罪者を放置すれば、
無論、トランス女性が股間の手術をしないで風呂に突っ込んでくる、と言う様な事例での排除はまぁ当然としても、
それ以外の場面、例えば多機能トイレが無い場合での女性用トイレの利用だとか、
あるいはトランス女性の性別移行度に合わせた社会的サービスの利用の場面なんかで、
と言ったところで、実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ちだけで、 実際の安全はほぼ確保されない。
そしてこの記事を書いている俺としては、トランス女性の排除で「実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ち」だけ、
と言う現実を放置することは、女性一般の安全を守る意味でも、かなり好ましくない状況だと思ってる。
さっきから何度もこの記事で書いてるが、女性一般の安全を守るためには、大多数の男性一般の犯罪者をなんとかする方が先だ。
しかし少数しか居ないトランス女性の排除だけにこだわり、「実際に得られるのは「安心感」と言うお気持ち」を得られるだけの行動が優先されると、
今度は実際の防犯対策がおざなりにされ、「実際に女性一般の身を守るために必要な事」が見逃されるんじゃないか、と言う危惧を俺は持っている。
分かり易く言うと、今回見てきた様な「トランス女性を排除すれば身の安全が得られる」と言った主張は、
と言った勘違いを発生させ、これが跋扈すれば男性一般の犯罪者にとって都合の良い状況が作り上げられかねない。
しかも性質の悪いことに、この手の「充実感」だけを得られるに終わる社会運動は、実際の社会の向上にはさして影響を持たらさず、
勘違いと自己満足、あるいは倒錯した市民社会が実現される、と言った恐れさえ有る。
これは例えば表現の自由関連の界隈だと有名(?)な韓国の「アチョン法」と言うのがあるが、
この法律は「現実の性犯罪」よりも「ネット上での創作のエロを見たとか作った」と言う方が刑罰が重い、
と言うトンデモになっている法律で、これがあるせいで現実の性犯罪を取り締まるよりネット監視が優先され、
現実の性犯罪の被害者の方たちが「私たちの方を見ろ!」と言う声明を出さざるを得ない状況になっている。
そしてこれを今回のトランス女性の排除、と言う文脈で言えば、「トランス女性の排除」の徹底が社会合意とされ、
「トランス女性の排除」を目的とした法律、あるいは実務運用が成されてしまえば、
「男性一般の(犯罪目的の)女性用スペースの侵入」より「トランス女性の(正当な)女性用スペース利用の発覚」の方が重罪とされる、
と言う様な、倒錯し現実の被害者を軽視する様な馬鹿げた市民社会の実現にも繋りかねない。
無論、こんな馬鹿馬鹿しい話が出来上がるとは思いたくもないが、参議院選の前に立憲民主が「女装男性から女性を守る」と言う様なことを公約に書いていた事案や、
自民党と癒着していた旧統一協会が反 LGBT を掲げていたりすることから、こう言った「トランス女性排除の過激派」が政策決定の意思に関与する接点が増えると、
こう言った様な現実の脅威を無視し、倒錯し馬鹿げた法律が出来上がる可能性が無い、と言う保障はない。
なんで俺はそう言った意味で、トランス女性の排除「だけ」にこだわり続けるトランス女性排除過激派は、
かえって女性一般の安全を損なう行動を取ってるんじゃないか、と思ってるし、女性一般とトランス女性の共通の敵である、
「男性一般の性暴力を振ってくる犯罪者」から身を守ることへの協調を妨げ、単にトランス女性との分断と、
現状の犯罪行為の放置が続くだけなんじゃないか、と思ってます。
以上。
トランス女性を排除すればするほど女性一般の被害者が増える このパターン、自分に都合がいい設定だけを抽出した嘘でしかなくて読む価値なかった。 女性用スペースに(自称)トラン...
女性用スペースに(自称)トランス女性が混ざることで犯罪が増えるというのが排除派の主な主張なのに これさ、トランス女性の排除の文脈で当り前の様に肯定されてるけど、具体的に...