はてなキーワード: 職場とは
「あのゲームのアプデどう思う?」
「昨日のマツコ見た?」
「ケンタの新作さ~~~」
みー
たー
いー
のー
さー
職場で延々とやるの辞めたら?
完全に手を止めて会話に集中してるじゃん。
毎朝、朝一で会社に行って会議室にあるプロジェクターを使って大画面にロックリールを流して一人でダンスするのが日課になっていた。
ストレス解消にはちょうど良かったんだ。嘘だと思うなら試してほしい。あの解放感は、一度試さないと本当に分からないと思う。
想像してみてほしい。
誰もいない早朝の会議室。軽妙な音楽に乗って一人ノリノリで踊る。
最初はちょっと気恥ずかしかったけど、慣れてくるともう無敵感すらあった。
あの日までは。
いつものように、テンション高めでダンスしていた俺が、ふと曲の終わりにバッと振り返ると、そこには同僚女がいた。
時間が止まったように思えた。いや、確実に俺はその場で固まった。
なんでこんな早くにお前がいるんだよ的なことを言ったと記憶している。
同僚女は何も答えなかった。お互い見つめ合って数秒間が過ぎた。
その瞬間、俺は悟った。もう逃げられないかもしれないなと。
昼休み前、彼女は俺のデスクに来て「あんたの秘密、知ってるんだけど」そう言って、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
でも安心して。誰にも言わないから。その代わり、毎日昼休み、私の肩マッサージね。
は?なんだそれ!?脅迫じゃん!!俺はそう思ったけど、彼女の目がガチすぎて逆らう気力がなかった。
だって、考えてみろよ。会社であんなダンスしてたことがみんなにバレたら俺の社会人生命は確実に尽きる。
噂はすぐに広がって、俺はロックリールさんと呼ばれるようになるだろう。
それだけは避けたい。脅迫女を前にして、俺は背汗をびっしょりかきながら頷いた。
昼休みになるとまず駐車場に向かう。同僚女の車へ向かい、鍵は開いていて、中には同僚女が待っており、俺は無言で肩を揉み始める。
女は「ん〜、そこそこ!あ〜、いい感じ!」と、まるでマッサージ店にいるかのようにリラックスしている。俺は無言で肩を揉み続ける。
女はたまに振り返って「あんた、思ったより上手いじゃん。これ、得意なんでしょ?」等という。
女の肩は柔らかい。肩が凝っているようには思えないのだが。
マッサージを終えると俺はデスクに戻って素早く弁当を食べ、深いため息をつく。
休息はない。悲しいし、悔しい。
しかしこの状況を打破する方法が思いつかない。言われるがままにマッサージを続けるしかない。
先日などはマッサージ中「次は、足もマッサージしてもらおうかな?」と俺に聞こえる独り言をつぶやいて来た。
同僚女は確かに美人だが、社内の評判で聞くような女でないことを俺は知っている。
乳は小さい癖に態度ばかりがでかく、実に図々しい。
人間関係が円滑で上司にも渾名で呼ばれるほど気に入られてるような社員に限って何故かすぐに辞めていく。
その後に新しく入ってくる別の若い社員、上司と他愛もない世間話で仕事中や休憩中も盛り上がってて職場に馴染んでると思ったらあっさり退職して驚く。
逆に自分は根暗で寡黙なので上司にあまり好かれてない感じだけど、上司と仲良くしてる社員がすぐに辞めていくものだから最終的に上司とほとんど会話しない人ばかり職場に残る状態。
・当日に終わらせる人
・期限日の午後過ぎになってようやくノソノソやる奴
の3つに分かれるよね。
そして
・当日に終わらせる人 → 仕事が常に舞い込んでとにかく忙しい人
・期限日の午後過ぎになってようやくノソノソやる奴 → 大した仕事やってないのに年中忙しそうにしてるポンコツ
・そもそも期限守らないボケ → そもそも毎日日中何してるかわかんないモンスター
だよね。
比率的には
・3割
・5割
・2割
ってとこか。
どこもこんなもんなんだろうか。
自分ひとりSNSから退却しても家族や知人や職場の人間が大半SNSに縛られたままなので逃げきれない
企業に関しては個人情報の取り扱いについて明確なコンプラを設けたりしてるとこは多いと思うが、まだまだフワっとしたままなとこも多いし、また職場以外の場でも曖昧になってる場面は多いと感じる。
写真については許容範囲やリテラシーに個人差があると思っていて、けっこうモヤる事が多い。よくある状況で整理してみる。
基本的に撮った写真を共有するのも比較的クローズドな環境が多そう(グループラインなど)なので、まあありかなと思える。
SNSに思い切り顔出し写真上げちゃう人もいたりするが、そのへんは似たような価値観で集まってる率が高いし、そもそもの拡散性の低さからまあいいかとか、友達関係なら「気になるから上げないで」で終わる話なので特に問題はなさそう。
主役がはっきりしていて他はモブ化しやすいし、晴れの場ということで一般的に許容されるものかなと思う。
さすがに誰かの結婚式で「いや写真撮らないで」とか思う人はあまりいないだろう。
この辺から怪しくなってくる。個人的には今の時代すでに「誰かの顔出しの写真をSNSやオープンなとこに上げるには確認は必要だよね」だと思ってるんだが、
単なる趣味友の集まりとかだとみんなで写真撮るってとこに明確なルールを設けるケースは稀だと思うので、たまたま写真撮りまくる人とかいた時に困るなあって思う人とかは出てきそう。
こういう場面が一番微妙な空気を生みやすいとこだと思ってる。ベンチャーとかIT系とかだと年齢層が若めだったり、ネット上含めて認知をより求める性質とかがあってゆるい感じだったりするが、
世代ギャップも大きかったりする会社なんかだと、飲み会の最中にやたら写真撮りまくる人って1人か2人はいたりして内心(え、やめてほしいなあ)って思ってても言いづらいという人は潜在的にけっこういるのではないかと思ってる。
いろんなTPOはあるのだけど、結局最後の職場での集まりの場が一番問題になりやすそうって感じてる。
いちいちみんな写真大丈夫?とか聞くのもなんだし、そもそもイヤですとは言いづらいと思う。
そもそもなぜこういうことを思ったかと言うと自分の職場でハッキリそうとは言わないけど明らかに写真は撮られたくないなって思っているであろう女性がそれなりにいると肌感で感じるからだ。
うちの会社の場合はコンプラ的に広報写真やメディアなどで例えばフロア内の写真だとか社員の顔が出るようなものに関してはしっかり本人の了承を得るというのは周知されている。
けど社内で展開するとか(例:こないだの~会の写真アップしましたとか)だとさすがにわざわざ各人に了承得るってのはしてなくて、曖昧になっていたりもする。
だけど今って他人に撮られる写真についての意識が昔とは明らかに変わっていて、それは自撮り文化がかなり浸透してる部分も大きいと考えていて。
自撮りであればどんな表情にするか、角度など含めて完全に自分の撮りたいように撮るのが当たり前になってるので、意識してない自然な表情を勝手に他人に撮られてるっていうのに抵抗感がある人が特に若い女性に多くなってると思う。
例えば付き合ってる恋人が撮る写真なら嬉しいかもしれないが、会社の飲み会でわいわい楽しくやってるとこを撮られるのは、なんかちょっとイヤだなあと思う人がかなりの率で増えてるんじゃないだろうか。
難しいのは一方でそんな細かいことどうでもいいだろ誰も見ないよ、社会人としてもっとオープンなマインドであるべきみたいな考え方がポジティブに捉えられやすい空気というのもあって、それがまた撮られたくない層の言いづらさを生んでる気もする。
個人的にはあんまりフォーカスして撮られたくはないけど、場の空気として写真撮ろうよみたいなのはわかるしそういう写真を残しておくのはいいなと思ってる。でも内気な子とかが顔出ししたくないなあという気持ちも理解できるから、基本的に自分から勝手に撮るということはしない。引きで全体を撮った時もエアドロなどでその場でのシェアはするがそれ以上の拡散はしない。
いやいや写真ごときでなにを細かいこと言ってんだ?という意見もあるだろうと思うが、こういう時ってより言い出せない側に気持ちを寄せたほうがいいんじゃないかって思っているのだ。
また職場の話なら会社側でコンプラ明確にしとけばいいんじゃないって話でもあるんだが、対外的(社外、ネットなど)へのコンプラは明確に基準を設けることはできても、社内に関してそこまで徹底するのはやり過ぎ感も出てしまいそうだから、結局雰囲気に合わせて常識の範囲でいきましょうってことになりやすい。
前述の通り肌感で社内の若い女の子なんかがそれをイヤだなと思ってる率高そうに感じるので、社会的にもこの辺の意識アップデートしていけたらいいんだけどなあなんて思う。
俺の嫁は保母さんやってるんだけど、預けにくる親って色々いるらしい。
例えば看護婦とか、女医さんとか、スチュワーデスとか。ハーフや外人、片親の子供も多いらしい。
他にも、百姓やってたり、坊主やってたり、日雇いやってる人もいるってさ。
驚いたのは、男で保母やってる人もいるってこと。
子供見るのは女に任せるのが一番!
俺の職場はさ、OLがお茶汲みとかコピー取ったりしてる。これは快適だよな。
俺の仕事は、言っちゃなんだがIT土方。ブラインドタッチでプログラムしてる。毎日残業。
でも職場に躁鬱やアスペや糖質やコミュ障のやつがいて困ってる。
こんなもん気の持ちようなんだから、気合いで乗り切れよって思うわ。
みんなもそう思うよな?
ていうか今まで浅い人間関係しか築いてこなかったからこんな風に嫌な思いする機会もなかったというか。
悩みの原因は女の先輩。
めちゃくちゃ仕事できる人で、たくさんお世話にもなってきたんだけど
その人と業務で関わる機会が増えてきて、だんだん嫌なところが目に付くようになった。
ぱっと見、天真爛漫な毒舌女っていうか。
だれにでもざっくばらんに接するしコミュ力高くてムードメイカーな感じだけど
たまにその物言いに傷つくこともあるし
だけど持前のカバー力で何とかなっている感じ。
かなりの良く言えば慎重、悪く言えば優柔不断。
そんな私にイライラしてきたのかだんだんあたりがきつくなってきた。
私だって、自分なりに考えての行動だったのに、その途中なのに、
かってこいつできない奴だとかまだできてないとか判断されて
またきつい物言いされる。
わかってほしいとかも思わなくなってきた。
だってどうせわかろうとしてくれないもんな。
日に日にきつい態度が目に付くようになってきてる。
その人たちとの態度の差にさらに傷つく。
ていうかそこが一番傷つく。
もう仕事辞めるべきかな…という気持ちと、なんでこんな人のために自分が職を失わないといけないんだという気持ちと。
だけど耐えるにも限界があって。
孤独で。
しんどい。っていうか、つらい。
同じタイミングでセクハラの規制により職場恋愛の実質的な規制が行われた
そのせいで氷河期世代の成婚率が下がり、仮に結婚できたとしても、お金がないので子育てができず、少子化につながった
なお、同じ時期にマタハラも行われ、それが産み控えにつながりました
雇用を維持せず、会社ごと崩壊するのに任せたほうがよかったかもしれないが、それだと生活保護世帯の増加と捨て子の増加にともなう半ぐれややくざの台頭により治安の悪化を招くので…
打つ手はなさそう
ホンモノは完全に自分が被害者だと思っており、完全なる被害者ムーブをするんだよ。
すると周囲のよく分かってない人や、善性が強い人は、追い出そうとするのではなくむしろ味方になろうとするのね。
初手の段階では。
当然コミュニティの共通認識なんて生まれないし、何なら多数決を取ろうとすると追い出そうとする人が悪者にされたりする。
(そういう意味では、職場の方がまともな上司がいるなら職権で何とかしてくれたりする。民主的なコミュニティこそ厳しいわけ)
ヤバさに気付いて何とかしようとした人が悪者にされたら、もうやってらんないよね。
するとホンモノの繊細さんは次のターゲット(自分に加害してくる人)を定めて、また被害者ムーブをかましてくるわけ。
そんでまた悪者にされる。
多数決では負ける。
この繰り返し。
まあ「繊細さん」ってネーミングが適切かどうかというと微妙ではある。
でもホンモノはいるんだよ。
セックスしなくても付き合うに入れるのか
俺は非もてを自称してるけど、
告白されて付き合った。買い物に行ったことは何度もあるが、彼女の胸をもみたくなったが、なかなかもませてくれないことしびれを切らせて、怒鳴りつけたら、疎遠になった
サークルで目が合い、色々話しているうちに趣味が合い、付き合うことになった。キスをしておっぱいをもんだが、その後なかなか発展できず、どことなく三段バラが嫌になり、疎遠に…
未成年をナンパした。一度デートをし、半年間のメールをやり取りだけで、いつの間にか疎遠に。
職場で知り合い、意気投合し、手をつなぎ、食事に行ったが、その後なかなか発展せず。いまだにメールのやり取りを続けている。
同じ職場で知り合い、キスをして、裸を見るまで行ったが、チンコがただず入れられなかった。その後、5人目のほうがやはりいいことに気づき、そのことを告白したが修羅場に。
サークルで知り合った。今年で5年目。三段腹のメンヘラだが、話を聞くのがうまい。たまにけんかになることがある。メンヘラで衝動性が強いタイプはやはり地雷。あと太ってる人は痩せないというのは本当だった。俺自身はDV属性一歩手前で、彼女はメンヘラなので、俺は種なしになり、子供は作らないことに決めた。
このことを話すと突っ込みを入れられる
でも、マジでもてねえんだよ
6人目の彼女から「ダメ男の雰囲気がするからもてないのかもね」「服装がかっこ悪い(彼女に選んでもらうとなぜか様になる。GUやユニクロだと合わない人はいるらしい)」とまで言われるし…
もてる人って何が違うんだろうな
図書館司書の非正規問題について昨今取り沙汰されているのを見る。
ざっと見た感じの問題点は、優秀な専門職が安月給で酷使されているということと、技術の継承が行われないということ。
私は先日、正規の図書館司書職を退職した。理由は、専門的な業務に従事したいという当初の動機と実際の現場が異なっていたところ。つまり、現場職員の専門性の低さに絶望して辞めた。
・30代
「優秀な専門職」と言うのは、何も知らない外野か自分たちを大きく見せたい現職だけ。図書館司書なんて単位を取ったら誰でも資格を取れるので、その資格一つで医師や教員のような実務実習を伴う国家資格と並べると思っているのが恥ずかしい。(課程の図書館実習は任意なことが多いし、たかだか一週間程度で比較にならない)
そして、専門職の専門性が発揮できる分野としてレファレンスが挙げられるが、これはレファレンスの難易度による。例えば、地域の「◯◯という地名の由来が知りたい」というレファレンスを受けたとして、まず地名辞典を見る。地名辞典になければ地方が発行してる地誌を見る。どちらかにはだいたい載っている。これの何が専門性だというのか。こういう定型化されたレファレンス対応について、口を大きくして専門性だの専門職だの言っていることが多い。逆に、人名辞典に載ってない郷土の人物などを、辞典や地誌など基本的な資料以外から、記憶や所蔵資料目録などをヒントに見つけることが専門的なレファレンスだと思う。このような真の専門的なレファレンスをできる人物がどれほどいるのか。私が勤務していたところでは、非正規職員は誰もできなかった。正規職員も半分以上できてない。
能力によって給与が異なるのはどの世界でも一緒で、非正規職員が非正規の待遇であるのは相対的な能力不足から当たり前のことであると思う。正規職員でもできてないのだから、そんな大きな声で「専門職の待遇改善をー!」なんて言える状況じゃない。そして、優秀な人間、例えば某国立図書館では正当な待遇が与えられていると思うし(ちなみに某国立図書館の応募資格に司書資格は必要ない。この点から司書資格の不安定さが伺える)、地方の優秀な人間は現状に見切りをつけて出て行く。
何度も職員の意識を変えようとしたけど凝り固まった40代後半以上の頭は変わらないし、上司層が変わらなければどれだけ下から頑張っても現場は変われないし、疲れた。非正規職員も、正規職員ですらも、基本的なコミュニケーションすらできない人がいるし(聞かれたことに答えられない、処理能力が低いなど)、現状維持ばかりで新しいことはせず、ただ自分の世代が円満に終わることばかりを考えている。こんなの一般企業の事務職ですら無能扱いだろう。一般企業で使い物にならないレベルの職員でも、一度公務員になってしまったら解雇はできない。そんな人たちがただの肩書きだけで「専門職ー!」と叫んでると思うと悲しいものがある。図書館司書の知識は年々新しいことが増え司書課程の内容も更新されていくが、大昔に司書資格をとった現状維持ばかりのおじさんおばさんたちは自分の頭を更新しようとしないので、なおさら「専門資格とは?」と思う。
図書館司書の世界では、募集の少なさもしばしば取り上げられる。募集もたくさんあるし、優秀な人は普通に就職できる。(気になる人はJLAの採用情報ページを見てみてね)40歳まで受けられるところも多く、年齢制限がないところもあり、他の公務員よりだいぶ応募資格が緩くなっている。それで若手をとろうが経験豊富な人材をとろうが、それはその館の方針によるので知ったことではない。挑戦し続けて正規職員に合格する人もたくさんいる。つまり、機会は開かれているのに挑戦しないことに問題があるし、たくさんチャレンジして受からないのであれば本人の能力の問題であろう。能力が足りなくて受からないなんてことは他の業種でも同じで、何も図書館司書に限った話ではない。それを何でそんなに特別に大々的にアピールできるの?と思う。他の業種でも、能力が足りないけど続けたいなら待遇を落とすしかないし、諦めて他の業種に行くだろう。それと同じ。
思いつくまま殴り書きしたので読みにくくてすみません。私が言いたいことは、周りが言うほど図書館の専門職に価値はないこと、専門職の中でも専門性にグラデーションがあること、能力に応じて待遇が変わるのはどの世界でも当たり前で現状に違和感はないこと(非正規職員のこと)、待遇を変えたところで職員あるいは職員の意識を変えないと半永久的な技術の継承は不可能なこと、です。40代後半以上の人たちを見て、ここにいたらこうなってしまうと思って辞めた。
こんなに読んでもらえるなんて思ってなかった。たくさんの反応ありがとうございました。いろんな意見があって面白かった。
◯タイトルと内容が違う。非正規職員の雇い止め等はどうなのか。正規職員にとって非正規職員はどうでもいいように見える。
どうでもいいです。非正規待遇が嫌なら正規になればいいし辞めたらいい。いわゆる氷河期世代など新卒時の社会状況に言及する人もいるが、正規職員の多くは中途採用(非正規職員経験者)です。社会のせいじゃない。昨今の非正規図書館員の話題を見てると、現状を変える気力や能力がないくせに空っぽの「専門性」を笠に着て「かわいそうな私たち」を演出しているだけのように思う。元職場でも組合から非正規雇用の待遇改善の署名がよく回ってきてたけど、バカだなって思ってたし一回も署名してない。私が見ていた世界では、前述の通り非正規職員の専門性なんていうのはまったくなかったので、辞めても職場や社会にとって問題ないと感じた。
私の元職場の管理職や上司は、個人の能力如何ではなく「図書館司書資格があること」を重要視し、「図書館司書資格保有者の職員数を確保すること」に専心していた。無能でも資格さえあればいいみたいな。私は資格なんていらないから優秀な人間と働きたかった。今は転職して、求めていた環境に身を置けて嬉しい。
タイトルと内容は少し違っていたかもしれません。すみません。私が図書館司書の非正規問題に触れる時、その前提にある専門性の具体的な話が出てこないように見えたので、こういう話になりました。
郷土資料は必要で、各地域の図書館が郷土資料を収集することで全国的に郷土資料を収集保存できる仕組みがある。それは大事だなと思う。場所や予算は限られているのでその限られた状況でどういう資料を収集するかといった選書にも、職員の専門性が不可欠。専門性はほとんどが属人化するから、それを半永久的に継承していくべき。実際に働いてみて、この辺はロボットやAIには難しいと感じた。
郷土資料を含む図書館資料の必要性で言えば、例えば陰謀論とか根拠のない噂話が力を持った時など、正しい情報や情報の比較検討に役立つ。図書館では全ての人がその機会を得られる。ググれば簡単な情報は出てくるけど、やっぱり紙の資料の量や質とは比にならない。少しでも調査研究をしたことがある人はわかると思うけど。
図書館は国民、県民、市民がユーザーなので、ユーザーから「図書館なんて必要ない、AIやロボットでいい」と言わしめてるこの状況を、図書館司書や図書館制度が変えていかなければいけないと思う。
私は前述のような現実に辟易していたので、一部の優秀な人間のみ残して専門性を保持し、あとの無能な正規職員と全ての非正規職員は指定管理に変えたらいいと思ってる。元職場でも一部指定管理が入っていたが、図書館業務のほとんどを占める定型化された業務なんて誰がやっても同じだし、むしろ公務員的な頭のかたさがなく新しい視点で物事を考えられるところはこれからの図書館運営に必要なのではと思った。無能は切り捨てられそうだし。図書館正規職員(公務員)の働かないおじさんおばさんや無能も切り捨てられたらいいのに。そしたら現場のモチベーションも上がるし優秀な人間も集まるかもね。
◯都道府県立図書館と市町村立図書館では非正規職員の職務が違う。(=後者では正規職員と同じような仕事をしている。)
市町村立図書館ならなおのこと、誰でもできる仕事ばかりです。図書館のあり方に関われるのは多くが館長レベルで、日常的な貸出、返却、選書(都道府県立と違って保存より利用を重視した選書)、目録(市町村ではほとんどがTRC流用)など、逆にどこに専門性があるか教えてほしい。
現職の人はこんなチラ裏に青筋を立ててないで、「図書館なんかいらない」って言わせないように頑張ってください。図書館や司書の存在意義を評価するのは仲間内じゃなくてユーザーですよ。内輪でヨシヨシしあってても意味ない。
◯コメントより抜粋「図書館司書は今の情報化社会に負けないよう専門性や職域を高めないと相対的に価値は低くなる」「専門性を定量化し、カテゴライズやレベリングを行うのは、業界のスキルアップだけでなく、権威づけや地位向上に必要」
私は図書館司書の専門性のなさと図々しさに嘆いてたばかりだけど、本当にその通りだと思った。現状に即してよりよくする方向に考えられるのがすごいと思った。
https://anond.hatelabo.jp/20240913011757
自分のコミュニティに「繊細さん」が現れてそのコミュニティが消滅に至った過程での知見らしいんだが、どう読んでもこの分析してる元増田自身がなかなかの「繊細さん」なのでは?と思ってしまった。
まあ具体的な話が書かれてないのでコミュニティ破壊するほどものすごい人なんだと推察するしかないんだが、それならそれこそコミュニティ全体の共通認識も生まれそうなんだけどなあ
普通に自分の属するコミュニティ、しかもプライベートの趣味の領域ならやべえ奴が入ってきたら単に排除すればいいだけで、なんでそんなことで善人じゃなくなるって話になるのかさっぱり分からない。
「繊細さん」と呼ばれるほど度を越した人に対しては仲間内でもある程度の共通認識ができるだろうし、数人でもいいからそこのすり合わせをした上でその人にいなくなってもらう方法を取ればいいだけ。
後味はよくないだろうけど、1週間もすればみんなそんなのすぐ忘れる。
これが職場とかだとちょっと話は違ってきててかなり慎重にならないといけないと思う(相手が精神的苦痛を食らったなどで会社を訴えるとか起こり得るし)んだが、趣味のコミュニティでしょ。
まあ変な恨まれ方されて粘着されたりネット上でギャーギャー言われたりとかの揉め方くらいはあるかもしれんけど、そこは大人ならなるべく上手いことやればいいし、時間が解決するようにも思う。
そこでまあ、かなり穿った見方をしてしまうんだが、少なからずこの元増田と「繊細さん」と呼ばれてる人の間に強い確執があったのでは?と邪推してしまう。
それがコミュニティ全体の空気に派生して結果的にうまく回らなくなった、みたいな。
実はコミュニティ内の他の人達からすれば「あの二人が揉めたせいで・・」みたいに言われてたらちょっとサイコサスペンスっぽくていいなあとか思ったり。
嫁こえ〜笑
俺なら「仕事でもそんな態度なの?それって仕事なら、新人や部下を追い詰めてモチベを下げて最悪退職に追いやる行為だし、全体の士気も下がって空気も悪くなるのが理解できないの?有能ぶってるけど、職場の和を乱す人材として疎まれていて人望もないし評価も低いんじゃないの?」って聞いちゃう
食器の類は、洗面所に水をはって、そこにドボンつけおきあらい → Done
ながしのネットを交換したい → Done
燃やせるゴミを出しておこう → Done
チケット持参をお忘れなく!! → Done
いや何様なんだよ接客業辞めろ。これはマジで接客向いていないからその仕事辞めた方が良いと思う。お引きこもってオナニーでもしてろ。互いにとって良くない。その程度のコミュニケーションにすら嫌悪を感じるのに何故接客業やってるんだ。他にもっと向いている職種あるだろ。こういうのがダメな人が接客業に向いてないってのは事実だと思う。こういう客は絶対いるし続けると擦り減る一方じゃん。だってこれからも同じことが何度もあると思うけど、我慢して接客業するの?俺はハッキリ言って向いてないと思う。別の仕事のほうが精神が楽だろこれが嫌かどうかで接客業というかコミュニケーション向いているか別れる気がする。たいした人格じゃないからこんな事にいちいち反応するのでは? 接客向いて無さそう。コミュ障が過ぎる。他人のどうでもいい発言を受け流せない人なんだろうな。生きてるだけで毎日嫌なこと、不快なことだらけでヘトヘトになりそう。違う日には同じ口で「いらないの一言だけ言う人が嫌だった。人扱いされてないと思った」って言ってそう。望んで不幸になりに行ってるように見えてしまうけど、本人にはどうしようもないのだろう。この程度でイラつく人が接客業やってるのは怖い。知り合いがこんなことを言ってたら距離取るわ。接客業向いてないアピールいらんて。この程度で嫌とか言ってたら人生何もできないだろいちいち気にしすぎだ。マンボウかよ。デリケートすぎるだろ。人のやることなすこと◯◯アピールって言い出す人がこういうこと言いそうで今現在嫌な気分です。
理由言っても言わなくても「はーい、承知しましたー。◯◯円になりますー」とか言えばいいだけじゃないの?「要る」「要らない」以外の発言はノイズとして処理すればいいだけ。質問してるのに無視する奴よりはマシだろ?お前の丁度いいなんてこっちは知らんし。まぁ、ノイズだよね。他人の出すノイズは許せない。自分の為の必要な情報以外は出すなってのは、ちと社会性がないよ。今の時代、こういうこと言うと「スモールトークができない人=コミュニケーション能力が低い人」という烙印を押されるよ。そんなに嫌か?人生生きづらそう。お互いもっとおおらかに生きようよ。いちいち理由言う必要ないのは分かるけど、わかりましたーで軽く流せばいいだけなのに、わざわざSNSに書くって時間の無駄&余計に疲れないんか?
そういうの飲み屋のネタとしてなら成立するが、本気だとしたら人間力低いと見做され見下される。これ以上傷つかないよう接客業をやめたほうがいいんじゃないかと思う人は非人間的か?モンスターASD自己中店員だ。そう尋ねる理由は特定条件でそういう鳴き声を発するように職場で命じられているからが唯一の理由かもしれないし、以外の理由かもしれないし、客も個別店員の事情なぞ知らんがな。
喋りたいんだから喋らせてやれよ、それが接客業っつーもんなんだから。この人はいちいち100%全部自分の中に入れるから大変なんだわ。スルー力を見につけろよと。 「そうですか」で終わりのことにいちいち反応せんでよろしい。他人は変えられないから自分が変わるしかないの典型例。勝手に嫌な気持ちになるのは損でしかない。生きるのつらそう。
手で食えっていうのか!とか言ってくる訳じゃないし気にしなきゃいいだけでは?
まあネットでたまに見かける「店員に顔を覚えられたら店変えちゃうくらい嫌」な客と相性がよさそうな店員さんだ。接客業をルーチンワークだと思ってると、決まったこと以外が嫌なのかな。店員も無駄な動きを一切しないのかな。不寛容が極まっている感がある。自分もかつては子供だったことを忘れたのかな。どうでもいいことでお気持ち表明する繊細くんがネットに多すぎる。
しかもなんで嫌だったのか説明がないのでモヤる。こういうツイート (ポスト) すごく嫌だ。こういう主張見ると、本当に多くの人が心を病んでいるんだなと感じる。こんなことを「すごく」嫌だと思う人は先天的か後天的か知らんがキャパなくなってるんだろうな。
コミュニケーションが嫌なのに客が店員にありがとうとお礼を言うのが良しとされる風潮はおかしい。どちらも距離を詰める行為ではないか。"コンビニ接客なんぞに自分の大事な人格を使いたくない"客も同じだよ。キモくて金のないオッサンのくせに、コミュニケーションしようとしてくんな!ってことでしょう?横浜流星みたいな若くてイケメンの客だったら「そうなんですか~!ありがとうございます」(にこ~)だろうよ。
この人は関西、特に大阪に住まないことをオススメする。このレベルで無理なら関西で接客業とか卒倒するんじゃないかな?おばちゃんとか天気なんてざらでツレなの?レベルの会話繰り出してくるぞ!知らんけど。客の”いちいち説明”部分がツッコミ待ちの可能性すらあるから、無機質な人にはストレスマッハでしょう。内面まで効率的なオペレーションに最適化されてしまうことのない人生経験積んだおじちゃんおばちゃん店員に当たるとほっとするよね。ほな、さいなら。他人とのコミュニケーションに一切コストを払いたくないって人とは友達になりたくない。