はてなキーワード: 無意識とは
いや普通に漫画家が雑なnote描いてるのみてとうとう吹き上がった女ですわ
無意識に「世界がエロい雌豚色に染まれ」とかおもってるタイプの男子校育ちでないと
現実の女性(女子高生となる)をモデルにしたあの広告、世界中に向けて発信するのは容認できんわ
二次のピクシブ投稿のときでさえR18以外にも性的(キスとか)ありますかって聞かれる
二次創作者のほうが細かく場を弁えてる
商業は売上とか金がからむせいかほんと広告に無神経、我欲、名声欲がひどい。漫画にでてくるモブ金持ちみたいなことを平気でやる
現実で嫌な思いする女性もいるよ、それは認めようよ。認めたうえでだ。
俺は男だけど凄いクセ毛なんだ。
そんな俺は「クセ毛を生かす!」みたいな広告を見ると滅茶苦茶イラっとして血管切れそうになるんだわ。
広告主、雑誌記事ともに全然悪気はない、でも当人を傷つけてるわけ。
だから俺はそういう広告なんかをみると毎回憤死しそうになりながらも絶対買わないという抵抗を続けている。
つまり何が言いたいかと言うと、今はたまたま女体というセンシティブな広告だったから目立ってるけど
そうじゃない広告もありませんか?ってこと。
いまたわわ広告を叩いている人たちも、無意識にクセ毛の人を精神的に殺すような広告は見逃してませんか?
ってこと。
もちろん、これは俺のお気持ちだよ?でもそういうお気持ちも考えたことある?
クセ毛じゃなくてもいいよ?ゼクシィの広告だって恋愛弱者は滅茶苦茶嫌がるかもしれないじゃん。
そういう無自覚の悪意を見逃してませんか?
一般的には、成人女性より、少女・児童を性的に好む「ロリコン」は、男子の中でも少数派と思われてる。
しかし、ウクライナ侵攻のニュースを見るにつけ、成人男子は、ロシア人でも日本人でも、実は「ロリコン性癖」を無意識に内包してるのではないのか?
いわゆる「戦場レイプ」の局面において、成人女性を襲う兵士と同じ位に「少女を襲う」兵士が頻発してる。
これって、戦争という極限状態では、兵士というオスは、成人女性もだが、未成人少女も性的対象に、生殖対象に、見なしてしまうという心理的メカニズムが働いてる、としか考えようがない。
この増田を見てるアナタ、「俺は成人女性しか興味ないから」と平然と思ってるだろうが、徴兵されて戦場へ派遣され、生きるか死ぬかの修羅場を潜り抜けると、アナタも「目の前に12歳の少女がいる、ヤってしまえ!!」となり、少女の下着を引摺り降ろすのです。ア・ナ・タ・が。
戦場という異常空間では、性的嗜好が、より年少・未成年女性へ傾くという心理的メカニズムが働くのでは?仮説を唱えたいが、これ、犯罪心理学・性慾心理学・戦争心理学的に証明出来ないのか?
一昨年うつ病と診断された現役大学生だが服薬しながら休んでたけど、薬を飲んでも悪夢ばかりで全く休めないこと、ネットで薬のことを調べるとあまり良くない情報が目に入ってしまい、怖くなってきて勝手に断薬した。
シャンビリ感、反跳性不眠、頭痛、肩こり、筋肉の強張りとか離脱症状に悩まされてるけど、最近少しおさまってきて、生活リズムをできるだけ直して、漢方を飲んだり、たんぱく質とかマグネシウムを摂るようにご飯をちゃんと食べたりして養生中。
なぜ自分が解離性健忘なのかと思ったのか、経緯を話したい。(書いてみたら結構長くなってしまったので読める人だけどうぞ…)
去年の春休み、ひたすら眠ることしか出来ず、トイレに起き上がるのも一苦労だった。すごく死にたがってて(これもちょっと記憶が曖昧)、どうせ死ぬなら今まで読もうにも読めなかった漫画を買って読んでから死のうと思い、気になる漫画を電子書籍で数万単位使って買った。
昔から漫画は好きだったし、コロナ禍で外に遊びに行くことは減り、バイトで貯めていたお金が余っていたのでそれを崩して買った。活字だけの本は読めなかったけど、漫画なら読めた。それから夏休みはずっと漫画を読んでいて、寝るか、漫画を読むかの生活だった。何もやる気は起きなかったけど漫画だけは読めたから、これが酷い時期から脱する回復に繋がったのかもしれないと今では思う。
春休み明け、春休み前にいくら読んでも内容が理解できなかった活字だけの本を、レポート課題のために読み直した。すると、なんとスラスラ情景が浮かび、登場人物の名前も覚えられる。今まで登場人物の名前、関係性がぱっと理解できず、悩みまくってたことを不思議に思うくらいに。
頭の中の霧が晴れるようだった。今までの悩み事が全部解消された感じ。
でもよく見慣れたはずのゼミの人たちと話している時に違和感があった。顔と名前は覚えているけど、第一印象とかその人と話していて自分が感じたこと、思ったことは全く思い出せない。
その後も仲のいい友人と会って思い出話になる時、表面上では「そんなことあったね〜」と流してはいたが、ほとんどの場合は「そうだっけ?」「そんなことあったっけ?」「その時、自分はどう思ったんだっけ?」「その時、自分は何も感じなかったから覚えてないのか?」と考えることが多かった。ただ忘れただけかと思ってたけど、あまりにも覚えてなさすぎる。なぜ自分はこんなに出来事を覚えていないんだ?
調べてみるとうつ病の人は物忘れが多いこと、短期記憶が難しいこと、あと薬の副作用でもそうなるらしいことがわかった。該当しないことはないが、本が読めるようになったから違うのでは?と思った。さらに調べていくと、健忘というのが目に入った。全般性健忘、解離性健忘…周りから見ると普通だが、本人からは同一性がなくなっているだとかなんとか…。これっぽいなと思った。自伝記憶?エピソード記憶?というのがあまりないように思える。付け焼き刃の知識なので、勉強不足のように感じると思うがそこは許してくれ。
自分にまつわる「事実」を思い出すことはできる。自分の名前、出身地、生年月日、母校、家族の名前と顔、友人の名前と顔、アルバイト先、所属していた部活、通っていた病院…これらに密接に関係していた時に、付随しているはずの感じたこととか思ったことの記憶がほとんどない。
昔の記憶を思い出そうとしても、主観的ではなくて、自分をその場の第三者視点から見ているようなものが多い気がする。
去年の春休み前までの記憶がすっぽり抜け落ちている感覚。海面の部分は見えるけど、そこから下はすぐに深海みたいなイメージ。…分かりづらいな。本当に氷山の一角だけ思い出せるような感覚かも。
書きながら思ったが、むしろ記憶を失くす前の自分が覚えすぎていただけか?
これと言ってトラウマになるような戦争体験とか事故、性的な虐待経験はないが、無意識下の心理的葛藤が原因なら該当するかもと思った。人間関係でよく悩んでいたし、自分の一挙一動を振り返って反省する癖もあった。
病院に行って診察受けて自己同一性を再獲得すべきなのか、このまま生きていってもいいのか、ここ数日悩んでいたため書いてみた。でも医師を信じるという行為が今の自分にはまだ難しいので、通院は無理だろうな。せっかく断薬したBZ系の薬も飲みたくないし。
今までと同じように接してくれている友人、家族に感謝しつつ、このことを打ち明けようか、かなり悩んでいる。一時的なものですぐに記憶が戻ればいいけど。
長々と書いたが、とりあえず今の自分の気持ちを誰かの目の止まるところに吐き出したかった。
とりあえず飯食って休むのが今は良いのかもしれない。
医者を変えても良いという言葉を聞いて、だいぶ病院への向き合い方が変わりました。ありがとうございます。
その後、他の病院に行って大学も休学し、とりあえずうつ病の治療に入った。離脱症状はなくなりました。
医者によって処方の仕方とか診断とかかなり違うんだな。
健忘のことについては、今のところ日常生活に支障が出るほどではないのでもう少しして辛くなることがあったら後々医師に話そうと思う…。
ロリコンの俺のことかーーーーーーーッ!!
当然チャイルドマレスターじゃないし、あくまで二次元の少女のみを性的対象にし。
三次元の少女はジロジロ見ることはおろか、頭の中でさえもマスターベーションのおかずにしたことがない、俺(追記・夢の中で出てきたことはある)。
俺は現実に性加害をしてないのだから、犯罪も、倫理規範的な罪も、何もおかしていないよな?
誰も傷つけてないのだから、何の dis りを受けるいわれもないよな?
人はね、目的とする情報以外を無意識に絞っているわけ。だから事前に「リンクがあるはず」と予期しているかどうかが大事。メールにせよサイトにせよ、まずリンクのデザインが明確で通常のテキストと区別しやすいことは前提として、そこにたどり着くまでの間に「リンクがあるのかな」という予期を発生させられるかどうか。
あとは当然、情報量を絞れば目につく確率が高くなる。極言、ひとつのリンクのみが設置されているだけであれば、見落とすということはないだろうし。
意外とザルなんだよ、人間。
こんなことを改めて説明しなければならないのは、少なくとも俺にとって、ため息をつくしかない事態なのだけど…
本当にごく一部のブックマーカーらを除いて、キモいは無害な感想だから好きに使っていいでしょう、みたいなノリの人たちばかりなので解説します。
死ね と同じようにイジメで多用されるのに、死ね と違って控えられる様子がない。
エロい と同じように、発言者の内の感覚を相手の属性にすり替える言葉であることも問題だ。
客観的評価じゃなくて主観的評価なので、評価者の物差しがわからない限り反論のしようがない。
バカでないことは証明できるが、エロくない/キモくないことは証明できないんだ。
無根拠のままに、エロくない/キモくない、と言い返すのも無理がある。それは相手の感情の否定になってしまうから。
「この部屋暑い? いや暑くないよ」
気軽に人の感情を否定する人はハラスメント気質として忌避される。
だからキモいと言われた側は一切の非がないのに、みずから悪人にならなければ突き返すこともままならない。“そっちこそどうなんだ式”の反撃をするにしても、 「自分はキモい」というネガティブなイメージを一旦は抱えることになる。
感想のテイをとった無敵ワードである「キモい」。あまりに便利なのでリベラルもフェミニストも、正義側を標榜する人々でさえ惜しみなく使う。
しかし、痛みを知る人は決して使わない言葉である。でも、使わない理由が語られることは少ない。
自分がイジメられていたと告白するのは、インターネットで獲物を待ち構える魑魅魍魎の餌になりにいく行為だからだ。
LGBTへの生理的嫌悪、腐女子への生理的嫌悪、オタクへの生理的嫌悪…
無意識のうちに差別をする人たちは、自分の感情を生理的嫌悪と称する。まるで生物の根本から来ているシグナルだから仕方ない、みたいに。
でも「生理的」の根拠なんて本当は何もないんだ。実際は、差別対象の実態を理解してないか、あるいは関心を払う手間さえ惜しんでいるかに過ぎない。
「悪い男」に押し上げられる周囲は、それをよしとする「悪い男」の社会でしょ。
(園監督みたいな例はあるけど、それは周りの人も実際悪い男だったし。だから今制裁受けてるんだし)
確かに悪い男に惹かれる女はいるけど、それこそ子供の頃から「男は強いのがいい。女は弱い生き物」みたいな価値観で生きててそれが無意識に染み付いてるバカ女じゃん。自分が虐げられることを男の強さ=魅力と勘違いしてるだけ。自分で自分の価値を下げていることにも気づかないバカ女を相手にする必要ある?
ん?だからあなたのことを加害者だとレッテル貼らずに「声をあげたらいい」と言っているんだが?w
どこが差別主義者なんだ?w あなたのことを加害者だと一言でも言いましたかね?加害者はあなたではなく、日本の社会通念だと言っているのが読めなかったかな?
例えば、(これは一例です!あなたのことを言っているのではありません!)日本の社会通念では、「男はやんちゃ」「女は優しいのがいい」みたいな考え方があるけど、性格の理想を性別によって括られるのっておかしいよね?でもそういう社会で生きてきているから無意識にそういう価値観が根底にあって、男がやんちゃしても「まぁ、男の子だから…」と無意識に容認したり、「女の子は夜1人で出歩いちゃだめよ」となぜか行動を制限される場合があったりする。そういう話をしているんだよ。
その炎上内容は「未成年の体に欲情しているオスはキモい」ってのが大多数。
登場キャラは未成年だし確かにキモいと思うのも頷けるんだけど、
なぜ俺を含め男の多数は、若くて美人で豊満な女を良しとして求めてしまうのか。
未成年まではいかないけど、やっぱり20代くらいの美女をみると劣情を抱いてしまう。
少しネットで調べてみると、
美女は左右対称であるから遺伝的に強い子供を産むから無意識に選んでいるとか、
そのようなことが書いてあったけど本当にそうだろうか???
特に身長が高く筋肉がつきやすいアフリカ系の遺伝子なんてかなり強いと思うけどな。。。
多くの人が美人を良しとして崇めているから、美人は美人ってことだろうか?
あれをみて元気がでるのではなく「バカで弱い女性未成年が野良に放り出されているからまともな性教育や保護をしなければ。ああまた家庭内・家庭外の仕事をふやされて鬱だなあ」と思うのがまともな社会人の感覚なのですよ。その無意識のおしつけ・よりかかり・神格化という名の奴隷化への負担感を140字内に収まるようにちぢめたものが「気持ち悪い」です。
正直、スカートの長さやジャケット・ベスト未着用の時点でちょっと温度調整もできない感じの発達障害ありそうな子にみえます。こういった発達障害の子が相手の思惑に気づきにくく性被害に疎いまま性的搾取されてしまう問題はすでに発達に詳しい精神科医により何度も指摘されています。
進学校は教科書参考書が重いので全員リュック推奨で部活なくても10キロかついでる、それがまともな高校生です。
まあ、増田はいつまでもアダルトチルドレンなので高校生の同級生目線でふわついて元気だしてればいいとおもいますよ。
増田が日経支えてるわけでもなんでもないことだけはわきまえて、漫画買い支えるなりはご自由にどうぞ。
日経も官公庁の発表さえまともに伝えられないおっさん媚び媚び紙なのはわかってるので(一時期の宇野こう一郎の女性がやたらに濡れて喘ぐエロ小説を載せてた夕刊フジと変わりないとおもいます)こうやって女子高生カワイイネとエサでも載せなきゃ就活生も騙せなくなってますよね。おっさん向けファンタジー広告をおっさん向けファンタジー専門紙が掲載するのはいいことなんじゃないですかね。どうせ女性は読まないし。真に受けて電車で日経よんで痴漢に至る人とかまさか男性さまには居ないでしょ?w
本来ならばバイキンマンを言葉で説得するか、あるいは彼を拘束したのち裁判によって量刑を決めるべきであって、アンパンマンの独断で暴力を振るってもバイキンマンの肉体的精神的自由を損なうだけで、更生をうながす効果がないのは明らかだ。
鉄拳制裁ののちに、バイキンマンが反省して悪事を控えたなどという話は聞いたことがない。
分別が未熟な成長過程にある子どもの観るアニメなのだから、親たちが「本当は暴力で解決するのはいけないんだよ」と教育することで修正しているのだろうが、果たして本当に私たちはそういう教育を受けてきたか…? 反暴力の教育は、一体いつ施された?
実は大人になった今でも、「バイキンマンは鉄拳制裁を受けて当然だ」と密かに思っているのではないか。
いつかバイキンマンがあなたを訪れて、ほおに出来たアザを見せてアンパンチの被害を告白してきたときに、あなたはバイキンマンに寄り添えるか。
「まずそもそもバイキンマンも悪いよね」と口を滑らしてしまうのではないか——…
コラム・ “殴っちゃダメ” は反暴力の教育ではない
暴れまわる幼稚園児を、先生や親は「殴っちゃダメ」と叱る。幼児は一旦それで大人しくなる。
でもそれだけでは反暴力の十分な教育にはならない。それは応急処置に過ぎない。
「殴っちゃダメ」の丸暗記では、のちの人生で直面する複雑な局面に応用が効かないんだ。
暴力への理解レベルが初期値のままに知性だけがレベルアップすると、迂回のために高度な理屈が発明されることになる。
- 殴っちゃダメというけれど、殴るとは己の欲望に身を任せて無辜の他人を傷つけることであって、アンパンマンは「殴って」などいない
- バイキンマンの横暴もある意味、暴力だ。バイキンマンこそが先に「殴った」
- 「殴っちゃダメ」だからこそ、それをあえてすることでバイキンマンの悪事の酷さを思い知らせることができる
- アンパンチを受けてなければ、バイキンマンはいずれ厳しい社会的制裁にさらされる羽目になるので、バイキンマンにとっても殴られたことは良かった
私はこんな感じの意見をみるたび、暴力が働いているのでは、と疑う。
暴力の主要な効果、内面化——… 暴力を目の当たりにして心がひるんでしまい、対抗を諦めて暴力側を受容するために自分を説得する説明を積極的に作り出してしまうこと。変形した心の殻に沿うように成長した精神は、暴力を正当化する理屈を、本当に自分の自由意志で作り出したのだと錯覚する。歳を重ねる過程で、暴力側が正しくて間違ってるのは自分だ、という考えに矛盾しない論理だけを無意識のうちに選択して摂取するようになる。ある日、暴力に侵された彼が自分がされた行為をコピーするように他の誰かに手を上げてしまったときに、彼の中にはもはや暴力を否定する理屈は残っていない。暴力を客観的に認識できない。自分の暴力が見えない。
麻耶さんも麻央さんも恐らく、自分の気持ちを抑圧する事で、家族の平穏と自身の安全を守ってきた(そうして生き抜くしか方法がなかった)タイプの方々ではないかと思う。
幼少期に何があったかは知らないが、もしかしたら苦労もあったのかもしれない。
表に見せる表情と、心の内にあるとても繊細な気持ちとが乖離せざるを得ない環境にあったのではないか。
つまり、本当は寂しくても悲しくても、本当は傷付いていても、家族の為(あるいは自分の為)に無理に笑顔を作り続ける必要性があったのでないか。
そうする事で乗り越えられた事、うまくいった事も確かにあったのかもしれない。
特に麻耶さんは、姉という立場もあり、背負うものが多い分、小さい頃から自分の気持ちよりも家族や誰かを優先する機会も多かったのだろう。
自分の気持ちを自身が無視し、心の傷がなかったかように振る舞う機会が多ければ多いほど、「私は平気だという顔」と「笑顔」の仮面が張り付いたように剥がれなくなる。
一方麻央さんは、そんな優しい姉の健気な努力に守られつつも、姉の無理を案じ気遣っていたのだろうと思う。
本当は繊細な姉の心を、これ以上犠牲にしなくてもいいよう「お姉ちゃん、少なくとも私は全然平気だよ」と、のほほんと、しかし図太く逞しい自分を無意識に演じていたのではないかと感じる。
そのため麻央さんも麻耶さん同様、複雑な思いを抑圧していたのではないだろうか。
似たような特徴を持つ麻耶さんと麻央さんだが、2人には決定的な違いがある。
麻耶さんは、背負うものの重さによりその時その時が精一杯で、また、張り付いて剥がれない笑顔の仮面と繊細な心との狭間で、どうしても「のらりくらり」状態になってしまう。
とても苦労をしているのに、苦労をしてるからこそ、フラフラとしているように見られてしまう。
一方麻央さんは、姉に守られている分の余裕を最大限に生かし、姉の苦悩をひっそりと支え続ける為の洞察力と安定感を磨いてきたのではないだろうか。
麻央さんなりに姉を守る為、のほほんと図太く鈍感な自分を保ち続けるというある種の信念を掲げていたであろう麻央さんは、とても真っ直ぐで、そして実は頑固な方だったのではないかと思う。
麻央さんは海老蔵さんに、麻耶さんと似たようなものを感じていたのではないだろうか。
海老蔵さんは、麻耶さん以上に強く強く自分を抑圧して生きてきたように見える。
しかし麻耶さんとは違い、海老蔵さんには、いくら自分に圧をかけ抑えつけても漏れ出してしまうほど、溜め込んできた強い感情のエネルギーがあるように感じる。
その強いエネルギーを抑え続ける為に、人間らしい感情を極限まで削る事を意識しながら、生きなければならなかったのではないだろうか。
そしてストイックに自分を追い込み、恐らくあるであろうルーティーンをこなす事で安心感を得つつ、それでも足りない部分はさまざまな方法でガス抜きのように発散し、やり過ごすように生きてきたのではないだろうか。
麻央さんはそんな海老蔵さんの内なる心を、分かっていたはずだ。
今まで、抑圧して生きてきた姉をそばで見ていたのだから。そしてそんな姉を、ひっそりと支えてきたのだから。
海老蔵さんと結婚した時点で麻央さんは、今まで姉にしてきたように、彼を支え守るという信念を掲げたのだろう。
彼の心をこれ以上犠牲にしなくても良くなるように「少なくとも、私は全然平気だよ」と、強く逞しく穏やかに。
麻央さんはどれだけ辛くても、自分を犠牲にしようとも、その信念貫き通したのだ。
麻耶さんの話に戻そう。
妹は耐え難い苦しみを抱えながら、それでもひたむきに信念を貫こうとする姿。
麻耶さんは、そんな麻央さんをどう見ていただろう。
察するに余りあるが、麻耶さんは妹と妹が掲げた信念を守り抜く為、今まで以上に自分の心を抑圧し、「笑顔」で麻央さんと甥姪を支え続けていたのだろうと思う。
しかしもはや、今までのように「笑顔」では乗り越えられないほどの理不尽な現実と、今までのようには抑えきれない強い感情もあったはずだ。
それでも、それでも麻耶さんは、笑顔を崩さなかった。崩せなかったのかもしれない。
妹を失っても尚。
麻耶さん自身、すでに剥がし方のわからなくなってしまった、そして結局何も救えなかった自分の「笑顔の仮面」を憎んだだろう。
どれだけ自分を責めただろう。
その「笑顔の仮面」が、ガラガラと崩れて剥がれるキッカケとなったのが、麻耶さんの元夫、國光あきらさんだ。
國光さんはとても優しい方なのだと思う。
恐らく麻央さんしか知らなかった、麻耶さんの笑顔の仮面の下にある本当の顔を、彼は優しく撫でたのだ。
麻耶さんが今まで、家族や何かを守る為に笑ってやり過ごしてきた長い長い年月。
そして、抑圧してきた悲しみと怒り。
國光さんは自らが、麻耶さんの心を写す鏡となり、本当の姿を麻耶さんに思い出させた。
そして、そんな麻耶さんの全てを愛し守ると誓った。
「怒っていいんだよ、僕はとっても怒っている」
麻耶さんは時に恐る恐る、時に解き放つように、今まで抑圧してきた感情を放出し始めた。
本当はとっても傷付いてきたのに、それを無視するように笑ってやり過ごしてきた自分自身。
そうして傷付けられたことを、許したかのように振る舞ってしまっていた自分自身。
そんな自分を変える為に、もうこれ以上後悔しない為に
心からの笑顔は、抑圧した気持ちを素直に吐き出し受け止めた先にあると信じ
私には、そんな風に見えて仕方がない。
え?お前は子供を持つくらいの年齢になった今でさえも、自分が働くことの楽しさは親から来てると思ってるの?
親が夢中で仕事をしていて、楽しそうにしていたから、自分も働くことが楽しいの?
お前は親の姿を尊敬して努力して得た能力をいくつか挙げてるよね。将棋、受験、子供のサッカーもそうか。そのどれもが敗者いることが前提になっていることに気が付いているか?
なんならお前が父親からもらった「頑張ってるな」ですらも父親の会社で働く部下たちがその子供に言うはずだった「頑張ってるな」だったかもしれない。
お前のような"勝ってる”奴は”負けてる”やつから無意識に吸い取って今の営みを続けているんだよ。
人生に意義を、働くことに意義を見出せない奴を親ガチャに外れたやつだと見下すのは結構だが、そいつらをガチャに外れているやつとして認定していること、そして何よりそういう境遇へと追いやっていることがお前らであることにもっと自覚的になるべきだ。
お前は「働く事」が良い事とされる価値観の評価軸上で数々の敗者を生み出して、相対的に良い思いをしてきたから認めることができないかもしれないけど、その敗者たちには「働かない事」が良い事とされる別の評価軸が見えてるんじゃないのか?
その声優の声にその人自身の属性みたいなものが乗っかっちゃって
そういうのが積み重なると「キャラと声が合ってない」という話につながると思う。
上手い下手の話じゃなくて、声優自身の属性(どんな食べ物が好きとか、
どういう趣味を持ってるとか、個人の性格がどういうものかといった情報)を
声に無意識に当てはめてしまうから、それが演じているキャラとズレていると
「キャラと声が合ってない」と感じるんだと思う。
特定の作品がアニメになる前から消費しているときに無意識に声を当てる、といったことも
キャラの属性と似通った声優個人の属性を照らし合わせていたりしないかが気になっちゃう。
作品の外の情報を無理矢理作品にねじ込んでいるように感じてしまうので
ただ、これは俺自身のこだわりの話なので「声優は声だけ当てろ」という主張ではない。
初めに断っておく。これは全部俺の実体験だ。
最近、壁を歩く男に会わなくなった。
日本中どこにでもいて、みんなが見たことがあるだろう、あのニンジャだ。
なに、ニンジャを見たことがない? 車や電車の窓からぼんやり外を眺めていると、風景と並走して走っているのを幻視した子供は多いと聞く。
俺はニンジャを見た記憶はないが、これから話す男は、それに属するものだ。
学校、午後、お昼時。
眠気に耐えながらぼんやり授業を聞いているときに、そいつはよく現れた。
窓の外なんてもんじゃない、室内の、目と鼻の先をそいつは歩いている。
壁は泥のように変化し、足首まで壁にどっぷり浸かりながら、そいつはえっちらおっちらと室内を歩いている。
俺の足は壁に浸かっているし、足には苦労しながら壁を歩いている感覚がある。
そして同時に、椅子に座りぼんやりと授業を聞いている俺の感覚と意識も確かにある。
本来の俺と壁を歩く俺、二人の体の感覚を共有しているかのような、そんな奇妙な感覚だ。
俺はたぶん、三半規管だか何だか、とにかく脳の重力に関する部分に欠陥か緩みかがあるんだと思う。
お昼時のように意識が緩む条件のとき、その箇所が無意識からささやく。「あれ、おかしいぞ? 重力が真下じゃなく横を向いてるぞ?」と。
両者を脳がうまいこと折衷した結果が、「壁に立つもう一人の俺」であり、「足首まで壁に埋まってなんとか踏ん張る俺」なのだ。
子供の頃、俺は満天の星空や青空の大伽藍を異常に怖がる子供だった。それと何か関係があるのかもしれない。
脳科学者、オリヴァー・サックスならどういう診断をしただろうか?
そんな壁を歩く男だが、成人を超えてからも時々見た記憶がある。しかしここ最近、年をとってからはめっきり会うことがなくなった。
年をとったことで、脳のその辺の配線が変わってしまったのかもしれない。
もう、あの男には会えないのだろうか。もう一度、あの男に会いたい。
そして俺はあの男になって、もう一度壁を歩きたい。