はてなキーワード: 求職とは
働きたくない。
でも働かなきゃ、という言葉の前置きでしかないそれと違って大真面目に働きたくない。
世の中少なからずの人々も似たようなことを言うけれど、それでも求職に労力を割き、日々労働している。その程度には労働に対する気力を持っている、もしくは絞り出せるらしい。
それなりに暮らしていくには何かしらの労働をしなければいけない。どうせ働かなければいけないのなら少しでもマシな環境を探そうと折り合いをつけて、ちょっとの辛抱を耐え抜くのがきっとベターなんだろうと頭では分かっている。
そうやって考えてみても、やっぱり働きたくない気持ちは誤魔化しきれない。
こうやってくだらないことを考えているのが問題の先送りでしかない事も分かっている。現に今もそうしてきた割を食っている。
働きたくない、さりとてそこそこの暮らしをしたい、を反復横跳びしてばかりいる。出口のない考えをぐるぐるさせても仕方がないので、少し前から取り敢えず職を見繕うくらいはしてみようかと思い立った。おれにも絞り出せば少しばかりの気力があったみたいだ。
趣味を軸に生きたいと考えており、それを実現できる職場を探しています。
特別な技能、資格が要求されず、最低限の労働かつ高い給与水準という貴社の環境は私の希望と一致する所であり、応募させて頂いた次第です。
具体的な事業内容につきましては一切関心がありません。
と言って雇ってくれる、希望通りの待遇の会社は存在するだろうか。
志望動機も何も、そもそも働きたくないのだから嘘をつくしかない。100に膨らます1がないのなら、0から作るより他人から拝借した方が良さそうだ。
Unistyleの投稿を適当にコラージュしてみたESは案外通る。中学以来身に着けたその場しのぎの技術は中々役に立つ。大学でも通用しているのだし、これからもし働くがあれば役立つかもしれない。
そもそもESで落とされる事は無いのではなかろうか、なんて思う。時期のせいだろうか。でも面接では落ちる。
高望みのしすぎか。舐めた態度を隠しきれてないのか。経歴のキズをロクに取り繕いもしないからか。踏んだ場数の少なさから緊張や喋り下手が丸出しなのか。
どれも正解なんだろうな。割り切って精力的な就活生を演じるなんて簡単な事だと思っていたけれど、中々嘘に徹しきれない。
他人にはいくら嘘をついても良いけれど、自分には納得に従って正直に生きようと決めたのは人生の指針になった。それが特に間違っていたとは思わない。でもここに来てそれが枷となっている。今くらいは嘘をつくのもやぶさかではないのではなかろうか。
いや、本当にそうか?ESでは嘘をつきまくっているのだし。文面では隠せるものが対面のコミュニケーションで滲み出たりはするだろうけど、それだけか?
おれは今ゴミを売りつける営業活動をしている訳だけど、それっておれがやりたくない労働のトップに近い。
もしかしたら働きたくない気持ち以上に、今まさにやっている就職活動が嫌なだけではないか?
つまりこの営業を済ませて希望の職種にさえつけば、ライスワークといえどある程度は割り切ってやっていけるのではないか?
なんて考えてみるけれど、まあ働いたら働いたで一瞬にして仕事辞めて〜が口癖になりそうだ。
いや〜面倒臭い。
なんで働きたくもないのに働かせてくださいなんて頭を下げなあかんのか。まあ世の中そうなってんだから仕方ないわな。
おれの希望に合わせるよりも世の中の仕組みに合わせた方がラクだろうな。でも自分の納得に従った生き方をしなければ生きている意味がない。
今おれにある選択肢は何だろうか。
割り切って就職活動を進める。
まあグチグチ理屈を並べようが、これを進めるのがベストなんだろう。希望に近い仕事を得られるか、ロクでもない所に転がり込むかは知らん。おれと運次第だ。
心にもないモチベーションを語るよりは、出来る事を言った方が精神の衛生には良さそうだ。労働が減り余暇が増えるかは微妙な所だが、賃金は高くなるかもしれない。でもそもそも労働がイヤなのに、それを軽減するための労力を割くというのも倒錯している。投資といえば聞こえはいいが……
何にしても、これは今からではちょっと遅すぎる。考えるとすれば新卒就職後の転職とかになってくるのだろうか。しかし新卒採用程度でもやる気が起きないおれの無気力さを考えれば、働きながら勉強というのはちょっとありえなさそうだ。あまり考えない事にしておこう。
自殺。
悪くない。
生きる事に意味はない。生きて楽しい思いをする事には意味がある。楽しくないなら死んでしまった方がいい。
面倒事の一切から解放されるのはデカいが、好きなことをしている時間や憧れを追っている時の充足感も同時に全て手放すのは寂しい。
というか自分で言っときながら、どうせ死ぬ勇気は無いんじゃないかとも思う。でも時々訪れるデカめの希死念慮の全てどうでもよくなってしまう感じを思い起こせば、あるいは……
まあある程度本気で視野に入れておけば、こういう道もあるという精神安定剤として機能するかもしれない。
好きなことで、生きていく。
これはなさそうだ。だからこそ趣味に軸足置いて生きようと決めたんだし。得意な事は金稼ぎに繋がらない。好きな事はあっても得意な訳ではないし、金稼ぎに繋がる望みは限りなく薄い。
ライスワークの目処が立ったら、ちょっとずつ何かしらのトライをしていくのも悪くないかもな。
生活保護。
最近になってこれもまたかなり現実的なのではないかと思ってきた。他人に対する申し訳なさみたいなのが1ミリもないのはおれのアドバンテージだ。根気よくゴネれば働ける身体の人間でも受給できるとの話もあるし。
ただ、おれの想定するそれなりの暮らしを実現できるかは怪しい。楽器とか持っていいんだろうか。靴は何足まで持てるんだろう。あと中途半端に内面化した社会性がちょっと邪魔をしてくる。
しょーもない人生をただ維持させるだけになってしまうかもしれないし、おれの場合そこから抜け出せなくなる可能性が高い。
死んだり生活保護受けたりもあるよ、なんて気休めを胸に淡々と職を探すのがおれが今すべき事か。いくら理屈を並べようがやる事は変わらないな。
奴隷に仕事を任せて遊び呆ける古代ギリシャ人か、そうでなきゃAIが仕事を奪った未来に生まれたかったよなあ。
自分の為に生きるって結構大変なんだな。社会性をすっかり内面化してしまうのって実はラクな生き方への近道なのかもしれない。働きたくねマジで。
難し過ぎ笑う。
求職中で認可保育園に受かったけど、土日祝年末年始はやってない。
私は週5子育てしながら、通勤に一時間以上掛かる今の職場は難しいと思ったから辞めた。夫と沢山相談した。非現実的だし、妊娠中にも沢山欠勤してしまってたし、これ以上迷惑かけたくなかった。育休中だった。育休手当て泥棒だと思われてるだろうな。ははは。
今、土日祝日年末年始休めて、かつ週4で働ける介護の仕事を探している。きっと仕事が見つかってもまた発熱やら病気で迷惑かけてしまうんだろうな。
病児保育とファミサポは登録したけど、激戦だから難しいだろうな。頼れるかな。
夫も毎日毎日残業してて、夜勤やって、明けも残って帰って来るのは昼過ぎ。本当毎日頑張ってくれてる。沢山私の悩みも聞いてくれてる。
先々の事を考えてしまう悪い癖なんだろうけど、色々詰んでるよね。もっと先の事を考えて将来設計すれば良かったのかな。みんなどうやって育児してるの。ごめんなさい。
派遣社員、29歳女で社内のヘルプデスク(社内SE業務も少々)をしています。
学歴は高校中退歴のある通信高校卒(21歳卒業)です。実質中卒です。
今の就業先の業務量や責任の多さと賃金を比較した時に割に合わないと感じ嫌気がさしたので契約更新を辞退しました。
現在求職中なのですが周りから正社員になることを勧められます。
私はずーっと派遣社員をするつもりです。派遣じゃないと仕事に受からないだろうから。
派遣の仕事ができなくなったら自殺すればいいや、と思ってます。
でも周りは「若いんだから社員を目指した方がいい」「スキルがないわけじゃないんだからステップアップするべき」「中途なんだから学歴は関係ない」といいます。
氷河期世代のオタク。男。新卒の就活に失敗してブラック企業に入ってしまい精神を病んだ。
地下鉄の駅ホームに立っていたとき、無性に線路に飛び込みたい衝動に気づいて、1年で辞めた。
オタ活が楽しかったし、世の中は厳しいし、やりたい仕事なんてなかったし、それでいい、というかそれとしかないと思っていた。
いつか野垂れ死だけれども、仕方ないよね。と。
35歳になった。オタ活がまったく楽しく感じない自分に気づいた。アニメも漫画もゲームも音楽もいつもと変わらず、すばらしい。
けれども、何故かそれを楽しいと感じる自分がいなくなってしまった。
あんなに情熱を傾けていた、ライフワークかもと思っていた同人活動も、なんだかどうでも良くなっていた。
オタクでなくなった自分は巨大な虚のようだと思った。自分の人生、終わったと思った。
自分の人生は終わったのに、命は続いている、おかしい。でもこれを受け入れなくてはならない。なら受け入れよう。
私は転職エージェントに登録した。しかも4社。同日に。2ヶ月以内に就職する。心に決めて就活に入った。
転職エージェントはおそろしい。登録した翌日からケータイに電話連絡が来る。面談しましょう。会社に行く。
「ひとまずこのなかで気になったところにエントリシートを送付してみましょうか。」
こんなに就職先はあるものなのか。これが4社立て続けにあった。
合計100社近くにエントリーシートを一気に送付してもらうことにした。
すると送付して3日と経たずに連絡してきたところがあった。
しかし、運否天賦というものか、わたしはそこに就職することになった。
おそらくの決め手は、面接の場に持参した自分の同人誌だったと思う。
やることがないのだから仕事をすればいいのだ。ただ淡々と仕事をした。
ホワイト企業は仕事がスムーズだ。周りがみんな頭が良く、ロジックが正義なので理不尽なことは言わない。
言われたことを、言われたことのほん少し上のレベルでこなすだけで、どんどん実績と評価はあがる。
就職して2年ほど経過した頃に、気まぐれで埼玉に中古戸建も購入した。ローンは6年で返済した。
気まぐれで外貨預金やNISAもはじめた。これも今のところうまくいっている。
そして、4月末、預金通帳の残高が1,000万円を超えていることに気づいた。
しかし、巨大な虚のような自分というのは、10年前のあの頃と何も変わらない。
ただこのまま無限に与えられ続ける仕事をこなし、通帳の残高が増え続けるだけの日々を送るのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
ぼんやりとした虚しさをずっと抱えて、このまま生きていくのだろうか。
意外と内定たくさんもらえる感触があって、ありがてぇーと思ってる。ポテンシャル採用って結構とおるんだなぁ。あまりに経験が汎用的でないので凹んでたけど、意外と評価される部分もあった。面接までいったのが今日までに6件あった、そのうち3件内定。残り7件面接。30件応募でこれならまぁ、良いでしょう。ほとんど20代というだけで受かってるのは知ってるよ。志望動機は、本音のレイアウトを変えるだけだし、あとは割と、どこでも使いまわせる。
ただ、ほぼSES。。あまりに悪しきと言われていて実態が分からない。ニコニコしながら、夢のようなことを語ってくるところもあって、こいつらは詐欺師じゃないかと思いながら全力でにこにこして是非入社したいですと言ってるのもなんだかたぬきの化かしあいみたい。
1社につき約2時間で志望動機経歴関連と企業研究と逆質問を固めてまとめて頭に入れてって面接ではいつもすごく緊張して、今日はなんだか頭と背中とめんたまが痛い。明日はすこし、ディスプレイから離れる時間を作ろう。えらい、私。頑張ってる、頑張ってるぞー。。。
2011年に神戸の風俗嬢から「あなたの体質が悪いから射精できない」と言われ、それが引き金で風俗恐怖症になった。
それ以来、仕事一筋で婚活をすることもなく、2012年に岡山出向しながら年内に退職してしまった。
あれから半年間のニート生活、求職中を経て、退職したトラウマで正社員にならず、フリーターで働いた。
この間も、性犯罪弟は一度も一人暮らし経験なく、長男に迷惑ばかりかけていた。
それが祟り、2016年に週6日勤務は破綻して休職を強いられ、収入が落ちてしまった。
妹がいなくて、性犯罪弟しか兄弟がいなかったことで精神的に追いやられ、結婚相談所に登録できる年収は下回った。
そのため、出会い系サイトに託した結果、アダルト出会いの女にひっかかり、23000円を失った。
もちろん、出会い系サイトも長続きせず、年内に退会してしまった。
その怒りは、妹がいない抗議として性犯罪弟の存在を否定するため、11年間持っていた自動車免許を返納した。
これで日産は敵で、性犯罪弟はもっと敵になり、改めて人間の妹を確保する計画を立てた。
2019年夏、所持金が300万円を超えたら「川崎ドルチェ」に行く計画を立て、人間の妹をどう手に入れるか考えていた。
自分は風俗嬢を妹と見立てて、性犯罪をしない自信があるか、人間の妹をもうけるのではなく、彼女を妹の代わりに置いて大丈夫かなどを調べるために。
結局、60分の時間では足りず、風俗嬢は満足できなかったことを謝罪するも、俺はむしろ、この60分で自分は性犯罪弟の兄でも、
性犯罪する人間にはなれないこと、生まれてこれなかった妹を泣かせることができないということ。
帰り道、自分の前には生まれてこれなかった妹が現れて兄の俺に語りかけた。
「あなたは最高のお兄様。私の幸せのために結婚を我慢してくれたことを感謝しているわ。
お兄様は私の分まで幸せにはなりたくないと言ってたけど、恋人にはせめて、私の分まで幸せにしてほしい。
あとはお兄様が、妹を手に入れる活動を続けるか、実の子どもをもうけない前提で恋人を探すか決めたらいいと思う。私はどちらでも幸せだから・・・」
そう言い残して消えてしまった。俺は涙を流しつつ、改めて性犯罪弟を一切断捨離して、
「妹確保」か「恋人を探す」か、真剣に決めるきっかけになった。
そんな今年のコロナ明けは、酷く素晴らしい。
茜色の夕陽の先には離れ離れになった心のど真ん中にある人との大切な思い出、夢想は空を駆けて東京から北海道まで飛んでいくのだ。
結婚をして子どもを持つ希望はあったけれど、仕事を中心に生きたかった。
責任の少ない初期研修のうちに子どもを産み、なるべく夫中心で子育てをしていく事にした。
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10件ほど保育園を見学し、受け入れられると明言したのは1箇所だけだった。
ただでさえ激戦区、流石に厳しかった。
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自治体に問い合わせた。
「障害児を産んだら両親のどちらかが仕事を辞めて面倒を見なさい。月5万円の特別児童扶養手当が出る。」と言われた。
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初期研修終了後に働く予定だった病院の院内保育室に問い合わせた。
入職が決まっていない段階での相談は受け入れられないと言われた。
病状として保育が可能かどうかすら答えをもらえなかった。
病院側に相談したが、仮の入職予定としてでも保育室に話を通してもらう事は出来なかった。
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目処のついた障害児保育園に入るためには、その自治体に住所が必要だった。
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ただし、障害児保育園は短時間保育のみだった。延長の制度もなかった。
夫と私の力関係の問題で、私が限られた時間の中で働くしかなくなった。
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限られた時間しか働けないが、病院での研修をどうしてもしたかった。無給でも構わないから、研修をしながら保育要件を満たせる立場が欲しかった。
保育要件を満たすために、他の仕事もする必要があった。他の仕事を探すために、研修の曜日を確定したかった。
「曜日を決めて欲しい」と言ったら、突然「保育園に預けるために仕事をするならば辞めろ」と人事に言われた。
調整が面倒になったのか、そもそもまともに働けない人間は要らなかったのか。
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国公立大学の地域枠で多額の税金をかけてもらいながら医師免許を取ったのに、誰にも働く事を望まれていないように感じた。
子どもの事は愛していた。
だけど、医師として働く夢を捨てたくなかった。
毎日泣いていた。
思い描いた幸せは、どこにもなかった。
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勘違いしている方がいるようなので一応書いておきますが、収入で言えば夫より私の方が良いので、いわゆる「下方婚」と思います。
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障害児を産む可能性は充分理解していたつもりでしたが、障害児の受け入れ先がこれ程までに少ないとは知りませんでした。
院内保育は障害児を受け入れているとの情報は持っていたので、断られるとは思っていませんでした。また、実際その立場になるまで真剣には調べませんでしたが、さほど不自然な振る舞いではないと思っています。
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