はてなキーワード: 昭和時代とは
「SMAP会見で言わされているような中でアイドルさらしさをのこそうとした一面」があると考え、それを出してみる。もちろん、それは事務所などの思惑の可能性も否定出来ないけれども、あえて紹介してみる。また、そこから考えたことについて考える。
私は、この件に関しては詳しくは追ってはいないけれどね。
草薙剛:皆さんの言葉で気づいたこともたくさんありました。本当に感謝しています。
今回、ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて、今ぼくらはここに立てています。5人でここに集まれたことを安心しています
「木村くん」って言葉だよね。ものすごい苦しい状況であったとしても、やはり、「アイドル」として発言しているって言うことには変わりがないという感じ。かなり「公式な謝罪のはず」なので、「木村さん」と表現されるはずで、「木村くん」と表現する(セリフを言う)のは事務所的には問題にはならいけれども。もちろん、別の問題が大きいからそんなに事務所に不都合なセリフ以外は自体問題にされないだけともいえなくはない。もしかしたら、台本では違ったのかもしれないけれど、「SMAP」としての発言だったのだろうな。と思わせる一瞬だった。
花を売っているのは花屋っていう言い回しは昔からあって、「SMAPタブー」とかで知っていたのだと思う。これなら「前を見て進みたい」という言葉なら発信しても大丈夫というセリフを、役者経験などから導き出したんじゃないかと思う。「世界に一つだけの花」などの歌詞と自身がアイドルであることを自覚しての発言だったと考えている。((もちろん、そう思いたい。というのもあるというのは否定しない))
SMAPのタイムリープネタが受けるのって、「変えられない運命」的なものがあって、それに対して行動できるような人(たち)、行動してきた人たち、だからじゃないかとも思える。例えば、タイムリープネタ「運命を変えるために、何度も繰り返した」というフレーズは、練習や試練などの繰り返して変えてきた強さにも使えてカッコを入れると、「運命を変えるために、何度も(練習や試練を乗り越えるようなことを)繰り返し(いままでして)た」というところで、他のSFものよりもしっくり来るんじゃないかと思う。
少し話がそれてしまったのだけれども、この運命もどうやってか乗り越えようという考えのもと、行動して、ゴシップ紙に「裏切り」などと書かれたのだし、「前を見て」っていうのは、もしかしたら、事務所に対する反逆の一つだったのかもしれない。それは草薙が「ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて」といっているから。事務所的に問題なく、社会的に物議を醸し出す発言になり得るのは、理解していたのだろうと思う。経営者論が昭和時代と変わっているのは、わかっているはずだし、学ぶことはアイドル(役者)としてのの勉強と言えば、特に止められることもないだろうし。経営者とTVなどで話す機会も実際にあるだろうし。もちろん、経験で培ったところもあるだろう。この放送は修羅場であり、逆に言うとチャンスでもあるかもしれないのだし。起死回生をかけた可能性は、否定出来ない。
「前を見て」って状況の中で言わされているのか、それとも自分で考えた言葉なのだろうか。
事務所的には、日付を言うくらいは問題にならなくて、でも、「あえて言った」というところは、何を意味するんだろう。というのは分からない。希望的観測から「記録されるべき日」にする事を目指したんじゃないだろうかと。考えている。「今日は2016年1月18日」これを聞いた時、『パイレーツオブ・カリビアン』の「今日という日を忘れるな、キャプテン・ジャック・スパロウを捕り逃がした日だ」というのを思い出した。『パイレーツオブ・カリビアン』の作中ではエリザベスに彼にまつわる話のどれだけが真実なのか質問するのだけれども、けれども、真実などない。ような答えを返している。現在のSMAPの取り上げ方、「真実などない」は話(や物語)が一人歩きするということがわかっていてやったのかもしれない。とも思える。
真実がどうあろうとも、もしかしたら、あの放送で、昭和の怪物の一部分が一つ壊れたのかもしれない。というより、あらわになった。それにたいして、「前を向いて」私たちは何ができるのだろうか。ということを考えている。
あの放送は、ものすごい違和感があったのだけれども、錯綜はあって「散ってでも、一矢報いたい」ようなものは、あったはずだと思っている。
その次が子育て支援だと思う。
その中でどうして人口が減少しているか原因を調べてる本や書物はたくさん存在していて
解決すべき方法もたくさん明かされてる。
それなのにそれを実行せず一時しのぎとして移民受け入れの準備を進めるのは理由がある。
この二点を以って移民政策を進めようとしていると思う。
少子化になったとしても食料自給率的にはむしろ好転する可能性もある。
それを維持していけば、日本は海外から食料輸入をせずに済んでいたけど、
自由化によって食糧生産性を思いっ切り下げて行ったのは、主に老害や経営者が自分を守る為にやった事。
つまり今ある少子化の原因の多くが老害や経営者のせいなんだよね。
ここんところずっと体調が悪い……。
原因は分かっていて、新規デスマーチ案件のプロジェクトマネージャーに抜擢されたからだ。
まだ入社して1年にもかかわらず、9月にそのマネージャーに「若手の大抜擢」
という名の押しつけをされ、その日のうちから毎日終電、土日返上で働いている。
体調はひにひに減退していった。
おなかもゆるくなりここんところ下痢気味が続いている。
そんな日々の中、今朝、いつものように出社してトイレに行くと、
びっくりするように、もりもりと快便が出てきた。
まだ、わたしにもこんな力があったんだ!と喜ぶと同時に、
「あれ、あれれ、いつまでキミたち出続けるの!!」と焦りだした。
うちの事務所の入っているビルは築30年を超える年季のはいった昭和時代の遺産で、
その便器に一の字を書くように、わたしの身体から排泄物が伸びていく。
わたしはかなり焦り、肛門に力をいれた。
「ぐっ、ぐぬぬぬぅ……」
思ったよりも硬いそれは、容易には切れ無い。
「はっ、はっ……」
しばらく身体をよじりながら下腹部に力をいれると、ちょっとだけはみ出した程度で被害はおさまった。
こんだけ見事な一本糞ってでるんだなぁ。
と関心すると同時に、事故にならずに本当によかった。
「スプラッター惨劇&戦闘ものとあとは謎」ってぜんぜん明確にジャンル分けできてない気がするんだが。
コンクリートレボルティオは、Wikipediaから引用すると
「現実日本における昭和時代後半の歴史をなぞらえた世界観で、マンガや特撮にアニメなどで生み出されてきた、星の数ほどいる“ ヒーロー ”たちが全部同時に存在している物語を描きたい」
というのが分かりやすい。
一話完結でいろんなタイプの昭和ヒーローをオマージュしているので、
ウルトラマンが出てきたり魔女っ子が出てきたり怪獣が出てきたりロボット刑事が出てきたりする。
オムニバス的に観たほうがいいかもしれない。
書いた日記に、高校生くらい?という指摘があった。精神年齢が幼いのは本当だ。10年以上前に、10歳年下の小学生に「先生は、頭の中身がオレと変わんねーよな」と言われたしな。その指摘通りなら、やっと高校生レベル。
親について書こうと思ったのは、ibi さんのブログを読んだから。読んでて引き込まれた。体格は完全に負け。コンプレックスなほど羨ましい。親の様子は、今の時点では、こっちのが毒が弱い。今、ホームレスとなっているそうなので、今の境遇は大差がある。
何が違ったのか?という一つの例として、思い出せる限り、書いてみようと思う。
12歳くらいまで
転校を繰り返していた。嘘つきになってた。テストの点はよかった。母親は父親の悪口ばかりだった。俺も父親が嫌いだった。単身赴任になったとき、心から解放感を味わった。夕食がバラバラになった。好きなときに食べる形。誰も何も言わなかった。父親も俺を嫌いなのは、いつも感じていた。母親はよく赴任先に行っていた。「??嫌いなんじゃなかったけ??」と思った。嫌いなはずの父親を、俺より優先して、会いに行っている、合わせて暮らしている?? なるほど、俺は悪口ばっかり言ってる相手より下なんだな。。。と、頭ではなく心が受け止めた。夫婦の悪口を子供に言うって、こういう結末をたどる。
中高生あたり
さらに転校していた。家庭不和な状態での転校って、本当にキツい。唯一の逃げ場の学校が、ガラッと変わる。転勤するサラリーマンの人へ。家庭が円満なら転校は問題ないはず。家庭不和だと子供は確実に死んでいく。刑務所か、病院か、墓場か、そこらへんで子供と会うことになる。俺も捕まらなかっただけだ。死ななかったのは運。偶然。
高校はほとんど記憶がない。思い出すと気持ち悪いから、一番マシな小学校4~5あたりを、ずっと反芻していた。好きな子も、仲間も、自分の頭の中も、ずっと小学校の時代で止まっていた。勉強だけは上位だった。だから学校は異常に気付かなかった。
憐憫・同情・軽蔑に、異常に敏感だった。胃はずっと痛かった。潰瘍だと思っていたが、医者は「若いから心配ない」としか言わない。検査もしない。昭和時代って、こんなバカばかり。室内でタバコ吸うの当たり前だったし。教師も医者も異常な時代。今のロリコンばっかりのほうが、だいぶマシだ。
大学へ
ずっと昔に戻りたいと思っていた。そのまま大学生に。小学生のメンタルで、一人暮らし。かろうじてマトモだったのは1か月くらい? 誰ともしゃべらない、、、しゃべれなくなる。出会い系の電話サービスだけが声を出せる場所。そして鬼のような請求が来る。
つづく かなあ。
昨日はオフだったので、
「昭和カフェ」とはその名の通り、昭和を愛する人たちのための喫茶店である。
それほど流行ってはいない。若者たちの溜まり場にはなっていないからだ。
ここでは「昭和」の空気を徹底的に再現されることが求められる。
入店するにあたってはロッカーに、
iPhone は論外として、ガラケーやポケベルさえも使わせては貰えない。
つまり平成になってから刷られた紙幣や生まれた貨幣は使えないわけだ。
どうしても「昭和」の空気に浸りたい人たちはここで困ることになる。
一時期はそういった紙幣や貨幣を法外な値段で取り引きするダフ屋が
問題になったので、現在では店内で昭和時代の紙幣や貨幣を模した
チケットと一旦両替して使うという、やや面倒臭いシステムを採っている。
本当なら店長も昭和時代の本物の紙幣や貨幣を使って貰いたいのだけれど
盗んでいく不届き者が居るのだ。だからまあ、これはこれで仕方がない。
だがこれで終わりではない。昭和生まれのものしか使えないということは、
そういう本もロッカーに預けなければならない。
貸し出されるし、古本屋も軒並み繁盛している。
私はそのあたりには抜かりがないので昭和時代の貨幣や紙幣を貯め込んでいる。
本だって父親の蔵書を選んで、店内で古びた
テーブルはもちろんインベーダーゲームがプレイ出来る台が用意されている。
私は興味がないのだけれど。
『限りなく透明に近いブルー』を読んで来た。
充実した一日だったと言えるだろう。
宮脇睦のメルマガに「転載ご自由に」と書かれているので転載します。
編集後記
かり活用していました。
を認めなければ、モータリゼーションの到来に気がつきませんし、
スマホの普及を知らなければ、「パズドラ」の売上高を信じること
はできません。
の解禁です。実際の所、いままでも「政治活動」として選挙活動は
黙認されていました。
会議員のポスターには「区政報告会」と告知がありますが、みな選
挙後の日程が刻まれ、その日時に実際に開催されるかは誰も知りま
せん。
想信条の自由から取り締まることが困難という理屈が、ポスターへ
と繋がります。
動画配信とやりたい放題。さらには「ニコ動」のイベントというリ
アルにまで党として進出しているのは各党同じ。
非難することの愚かさを知ります。昭和時代の学生が抜き打ち検査
で、校則で禁止されたグッズが摘発され、それを非難するような幼
稚さです。
き始めたようですが、不発を叫ぶのは、マスコミの不勉強に過ぎま
せん。
もうひとつの理由は、日本のネット有識者、Web業界人の傲慢さに
あります。
と政治ブログを立ち上げました。以前はこの人、「ゼゼヒヒ」なる
彼岸は「非自民政権」。彼の御尊父は社会党の偉いさんの秘書だっ
たようです。
もマイクロな。
ことはないでしょう。本家の朝日新聞の信用失墜は、致命傷になっ
たかもしれません。
ネットの専門家、オーソリティーで、仮に民主党を支持するなら、
党の内部に入り、宣伝文句を量産し、サイト運営のノウハウがある
ならこれを提供し、技術があるなら・・・あるならばですが・・・
自らソースコードをかくこと。すなわち
「自ら銃を手に取り戦う」
ことをどうしてしなのでしょうか。
「観客席からのヤジ」
党と支持する理由を表明ぐらいはしなければ。政治について何も語
らないのならそれもありですが、支持政党無しとは、言質を取られ
せんが。
より私の文章にかかる「バイアス」を読者は知ることができるから
です。
暇を取りボランティアとして陣営に参画します。銃のかわりに、マッ
クブックを片手に戦います。
あれば、すぐにサイト作り替え、時に新設します。著名人なら積極
的に賛意と支持を量産します。ファンの離反を招くとしても、リス
クを取らずに手に入れる果実がないことを、アメリカ人は知ってい
ます。
ネット選挙を語らせているので、「定着」しないと嘆いているだけ。
したより良い方向で。
(おわり)
「保守」っていうけど、それは、既成構造の擁護。革新をしないという意味なんだろう。決して、日本古来の文化や伝統や歴史を知っているわけではない。
例えば靖国神社というのも、国家のために国民が戦争で死ぬことを肯定するプロパガンダで、明治時代につくられて昭和時代に強調された思想にすぎない。これは決して、日本古来の文化や思想ではない。日本史上最近である明治時代以降のプロパガンダ。
「保守政党」というのは、明治時代以降の資本家中心の社会構造を維持しようとする政党。
それと、日本の農業は、敗戦までは大地主中心の農業で、旗本みたいな武士も地主だし、民間の地主というのもつまりは資産家。戦後に農地改革で小作農を原則としてなくしたから、戦後には農家=地主だと思っていい。それで、この農家という地主も既成構造の恩恵を受けてきたわけで、だから自民党の支持層。
戦前も戦後も、日本の政治の特色として、こうした企業や地主のような資産家を中心にした政策とその意思決定が進められてきたことがある。
いま、「ネトウヨ」だのといって、そのなかには自民党を支持するデマゴーグを連呼しているのもいる。けれど、かりにいま貧困なのだったら、それは既成の社会構造によって虐げられているのだから、自民党を支持するのは論理的に破綻している(損だ)。騙されている、釣られているのか。それとも、ただ気分的にスカッとして面白おかしければいいのか。たぶん後者。
いまの政党や政治団体には、おそらく、日本古来の文化や伝統や歴史を真にわかっているのは、ほぼ皆無だと思う。
理解するためには、いま流布されている「日本とはこういうもの」というステレオタイプ(=プロパガンダ、デマゴーグ)を捨てないといけない。全国各地で互いにとんでもなく相違している文化習俗(言語や食や生活習慣や行事などなど)も知っているべきだし、神道や日本仏教や儒教という日本の三大宗教・文化慣習にも造詣が深くなければならない。三大宗教・文化慣習については、それが絶妙な形で社会統治構造(封建社会)を実現してきたことも知らないといけない。言語や食など、明治時代以降に没個性化されたものであって、江戸時代以前には日本国の各地域が物理的・文化的にかなり隔絶されていて、おそらく言葉も通じないことが多かっただろうし、料理もかなりの相違があって互いにびっくらこくレベルだったはずだ。
ところが、いまの政治家や、あるいは一般国民にしても、そうした本当の姿を知らないし、学校でも教えてくれないし、教科書にも載っていないと思う。
自分自身の(自国の)本当の姿を知らないままで、いまの自分自身を制御できるのかも疑わしいし、ましてや将来へ進むことができるのだろうか。昭和時代まではおそらく、欧米を(戦後は特に米国を)追っかけるだけでよかったから、つまり真似するだけで済んだから、自分自身を知らないままでもやってこられたのだろう。
昭和時代では社内で大卒男子と高卒女子が知り合って結婚という伝統があったが、現在ではそんなものはごく一部の企業でしかない。某大手企業は社員の嫁要員として派遣で事務社員を雇っているみたいな話も聞くが、ドワンゴの技術チームにはそんな人材は不要である。
経営者から見れば、男子社員はさっさと結婚してくれたほうが安定するし生活も規則正しくなるしで好ましいのである。しかし、タダでさえIT企業の開発チームは男子ばかりだ。そのうえ、ドワンゴの社員と言えば国内IT企業のなかでも激しくオタク系・内気男子が多いことでも知られている(要出典)。社内に一般女子が多少いるくらいでは、なかなか化学反応を起こすのは難しい。だが、ラジオ体操で強制的にコミュニケーションの機会が生まれれば、多少はなにかが起こる可能性がある。
なー。こういう男性の人権だって否応無しに制限するのが元増田の案なのにな。
制度が変わって男性の給料が上がっても、コミュ力が低く人と暮らせる適性がない、考えなしに金を遣ってしまう、そもそも女が嫌い、子供が欲しくない、という家庭適性のない男性の心は変えようがない。彼らに無理に女をあてがったらどうなるかなんてバカでも想像がつく。男性自体が壊れるか、壊れたついでに妻子も壊すかの二択だ。
それこそ猫も杓子もバカもキチガイも否応無しに番わせて繁殖を強要した結果、機能不全家庭を大量発生させた悪しき昭和時代の劣化レプリカにしかならない。昭和の時代と違って景気は低迷して男性の給料が右肩上がりになることもありえないから、あの頃よりも状況は悪くなる。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0131/291550.htm
最近あるきっかけで、だいぶ前に立っていた発言小町のトピを思い出す機会があって久々に読んでみた。
要約すると、不細工な父親と美人の母親の間に生まれた父親似の高齢喪女が、お洒落や婚活をどんなに頑張っても彼氏はおろか男友達にすら恵まれないでいたところに、父親が「いい加減結婚しろ」としつこく言ってくるので「オメーに似たせいで一生結婚できねーよ!」とブチ切れたら父親が泣いた、母親似の美人で無神経な姉貴が親父に謝れと言ってきてウザイという話。
自分は「お前の遺伝子のせいなんだからお前が謝れよw 自分似のブスに結婚結婚と無理ゲー強要してた自業自得なのに何被害者ヅラして泣いてんのこの父親www」とまず父親に対して考えたのだけど、意外と世間の親って自己中なのね。
「父親が可哀想だから謝れ、結婚できないのはお前の性格が歪んでいたり努力が足りないからで親のせいじゃない」という、トピ主への説教や非難の方がずっと多かった。
子供の立場の人が自戒を込めてそう言ってるのには頷けないこともなかったが「幼い我が子が将来トピ主と同じことを言うかと思うと悲しくて泣いてしまう。お父さんに謝れ」なんて、自分似の娘を持つ不細工な父親とおぼしき連中が泣き言をほざいているのを見た時には軽蔑の気持ちで一杯になったわ。
自分に似たせいでいじめられ、いくら望んで努力しても結婚できず辛い思いをしてきた娘の30年もの心の傷より、たった一回(自業自得で)娘に返された言葉の傷の方を大げさに痛がって、我が子に謝りすらしない。「自分のせいでブスになって/結婚できなくてごめんね」まではどうかと思うが「余計な干渉をしてごめんね」「つらい気持ちに気付けないでごめんね」とすら言えないとは。
不細工や貧乏や無能は子供作るなとまでは言わないけど、自分の都合で子供に大きいハンデ背負わせておきながら、結婚だの子作りだのが誰でも出来た昭和時代の尺度を子供に押し付けて、これが正義の親心でございとふんぞり返られるのは見てて非常に気持ちが悪い。
「(何も錘を付けてない)あの子たちと同じ速さで走れるのが普通なのにお前は何故出来ないんだ」なんて、我が子の足に錘を付けた張本人が普通言うか?
「落石や落とし穴といったアクシデントが他にも沢山あるのに、錘ひとつを理由に走れないというのは甘え。足に錘がついてても死に物狂いで速く走っている子もいる」という説教が仮に正しくとも、錘を付けられて思うように走れない子供と、錘を付けたうえ『速く走れと強要している』親、ほんとに同情されるべきはどっちなの? って感じ。
ハンデ付けた張本人はせめて黙れよ、どうにかノロノロ錘を引きずってる我が子の後ろ姿を黙って見てろよと思うのは、子供のいない人間の理想論ですかね?
ほんの一部についていた「私なら子供に謝る」という親御さんのレスが、まるで地獄で仏を見たような気分だった。
※追記※
リンク元のトピを思い出したきっかけは「不細工やブスは子供が可哀想だから作らない方がいい」という、煽りなのかマジなのか微妙なレスを某所で見たことだった。『不細工が作った可哀想な子供』の立てた件のトピを連想し(自分が「こんな容姿能力諸々が劣った人間が子供を作ったら可哀想だ」という考えを持っていることもあり強く印象に残っていた)、久々に読んだ結果がこれだ。
改めて全文読むとおそろしく心に突き刺さることがいくつも書いてあったので、本当は上記以外にも色々なことを3倍くらい考えて書いては消して、(この内容ですら)一番穏当なところを残したので、もうトピを思い出した理由と増田本文があまり関係なくなってしまっている。そのぐらい滅茶苦茶に書きなぐりまくった残骸がこちらになります。
時間のある人は出来ればこんな乱文の増田ではなく、リンク先の「トピ主のみ」だけでも読んでもらえたら有り難いです。多分、いろんな立場の人がものすごくいろんなことを考える機会になるトピだと思うので。