はてなキーワード: 早口とは
https://note.com/prosekkyoshi/n/n94afcb06373a
まずは堀口代理人からの質問でした。結構長かったそうです。話を聞いて印象に残った大事そうなポイントは以下のような感じとの事でした。
論点となっているSNS等のプロフについて、どのような経緯で投稿したのか、詐称の意図はあったのか
→SOASは卒業にチェックボックス入れないと中退表示になるから入れた
なぜ今は削除したのか
→清谷氏のような指摘が今後も来る可能性や弁護士である福田先生の指導を考慮して消した
誤解を招く可能性があることは認めるのか
→その可能性があることは認める
(後にそれは想定してない旨の回答もあったのでちょっと意図は怪しいそうです)
→人との繋がり、SOASの友人たちとの交流や思い出してもらうために必要だと思った。学士終了と第三者が思うかどうかは考えてなかった
清谷氏の質問状をどう思った
→しようとしたができなかった。断られた。清谷氏と揉めてるからほとぼり冷めるまでは、というような理由で
序盤は緊張してたのか、かなり噛みながらでしたが徐々に落ち着いて、いつもの早口な感じで答えていたそうです。ここまでは意外と長かったがまあこんな感じなのかなと思っていたとの事。
エグかったらしいです。かなりの圧と厳しさで、原告弁護士も異議を連打していたとの事。通ったり通らなかったり
現在もKCLに在籍しているのか、いま何年次なのか
→している。休学を繰り返しており、今は2年次。様々な理由から今は日本にいるが在籍はしている。20-21年ほぼ休学、22-23も休学。
2年次?!
→志してない
→そのつもり。ジャーナリストではないが情報の発信は色々続けていきたい
→システム上、大学がなくて自動で取得と入った。誤解を招くので(中退)と書いた
渡英のため退学と書いているが、これは何故か。不正確ではないか
→そのタイミングで留学したい、行くならイギリスがいいなという希望はあったので、不正確とは思わない。
→TVで芸人が中退でも〇〇出身芸人に出てるから出身はありだと思った。レビューに説得力を持たせるためにそう書いた
その理屈だと、1日でもいたら出身って書いて良いことにならないか?
→まあそのような解釈もあるでしょうね解釈次第では(的な回答、ちょっとよく分からなかった)
中退と書いてるということは、学習院の教養課程は修了したのか?
→間違いない
※ここで異議が入って止まる
SOASの学歴に〇〇専攻と書いているが、本当に専門的に学んだのか?
→選択式の授業があってそれで選んだから専攻と書いた。専攻欄がシステムの仕様上必要だった。
SOASの卒業記載を削除したのは虚偽の記載に当たると思ったからではないのか?
→消したのは本意ではない。本当は残したい。いちゃもんつけられても困るし福田先生の指導もあったから消した
プロフに学習院書いてない事もあるよね?SOASだけ書いてたよね?
→学習院には愛着がないから書かなかった。SOASには愛着があるからかいた
SOASの学歴記載は人との繋がりを維持するために書いたってさっき言ってたけど、これ書いたのコース開始前だよね??
→いや、訴求してかけるからそうとも限らない。
→認める、開始前
でもプレコースもあったから、その時会った人もいるし、IFCそのまま入る人もいるコースなので………
Course Endが2024/5/31だが、20年入学だとおかしくない?
→最初の休学後に再発行したものだから。issue2になってる
その後再び休学したと言ったがissue3も持ってるのか?
→再発行してないから持ってない
(こ、これは……駅前留学は一体……)
勤務の記載って何?どこに勤務してたの?
→防衛省の予備自衛官補を16-19か17-19か、よく覚えてないが3年くらいやってた
→登記簿はとってない。ネットで閲覧できるサービスがあったのでそれで見た
2019年4月に学生じゃないのに当事者の学生を名乗って投稿したのはなぜ?
六
https://anond.hatelabo.jp/20241001172740
ベルが鳴って、講師は教室から出ていった。三四郎はインキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。
「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」
与次郎は三四郎のノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。
「なんだこれは」
「講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」
「そう不勉強ではいかん。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」
「どうだとか言った」
「聞いていなかったのか」
「いいや」
与次郎は自分のノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、
「おいちょっと来い」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。
ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎が入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験を都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史を与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎は俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしかし与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から、文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。
「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものである。しかし零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。
「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。
「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」
「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたものか標題でわかるだろう」
「うん。こうして輿論を喚起しておいてね。そうして、先生が大学へはいれる下地を作る……」
「いや無勢力だから、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。
「何部ぐらい売れるのか」
与次郎は何部売れるとも言わない。
「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。
だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌に関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎と文壇との交渉を聞いたくらいのものである。しかし与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。
いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。
「君は九州のいなかから出たばかりだから、中央文壇の趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか。文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」
三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。
「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」
「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しかし雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎に相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気である。ベルが激しく鳴りだした。
「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」
二人は玄関を上がって、教室へはいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートのそばに文芸時評をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。
「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。
「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間の経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。
「今晩出席するだろうな」と与次郎が西片町へはいる横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、
「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろへペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である。三四郎は承知した。
下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep の意味がこれでようやくはっきりした。
与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。
手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。
しばらくしてから、三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣り込まれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句を読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。
しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆に感服した。
論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当の日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生は十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給と無名に甘んじている。しかし真正の学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会と交渉のある教授を担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。
その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月を田子の浦の名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは、広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈に比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分が広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代の遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。
よく考えてみると、与次郎の論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本を代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。
袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手口からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そばに与次郎がかしこまってお給仕をしている。
「先生どうですか」と聞いている。
先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。
「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである。
「妙なものを食うな」と聞くと、
「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる」
「どこから」
三四郎はおかしくなった。こういうところになると、さっきの論文の調子とは少し違う。
「先生、どうです」
「堅いね」
「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」
「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」
「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」
「なぜ」と三四郎が聞いた。
「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」
「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」
三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議であった。
「ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。
「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」
「先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか」
「うん乱暴だと言った。なぜ」
「どういうところを乱暴というのか」
「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代の女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」
「言った」
「イブセンのだれに似ているつもりなのか」
「だれって……似ているよ」
三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。
「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」
「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」
「それはないだろう」
「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」
「君はそう思うか」
「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」
「君の家の先生もそんな考えか」
「だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」
「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」
と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。
「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」
「きょうあれから家へ帰って読んだ」
「どうだ」
「先生はなんと言った」
「そうさな。おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」
「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」
すごい早口で言ってそう
増田がそんなに薦めるなら…と思って20話すぎまで読んでみたけど、「とりあえず一試合目の最後まで読んでもらえれば」の一試合目はいつ始まるんだ? 20話は既に「とりあえず」で薦めて良い量じゃないぞ…
とりあえずここまで読んだ感想としては…テンプレ萌え系のキャラ造形とシリアス系の野球ストーリーの食い合わせが悪すぎないか? テンプレ萌えキャラも野球漫画も好きだから、続きを読みたい気持ちも作者を応援したい気持ちもあるんだけど、二つの要素が合わさると違和感が凄くて読み進めるのが正直つらい
あと、追加で増田にダメ出しで申し訳ないんだけど、他人に漫画を薦めるときに「全体にとにかく面白いから読んで」みたいな薦め方はダメだよ。この薦め方だと各自が各自の基準で完璧に面白い漫画を想定しながら読み始めるから、際限なく面白さのハードルが上がるだろ。結果として、読んだ奴らのお眼鏡に適わない所が一つでもあれば叩かれる。実際、トラバもブコメも銘々勝手なところにツッコミいれて収拾つかなくなってるだろ
そうではなくて、漫画を薦めるときは「自分に最も刺さった部分をひたすら具体的に推す」と良いよ。内容は、「15話のひまりちゃんのユニフォーム姿が可愛すぎて萌え死ぬ」でも良いし、「30話でひまりちゃんがスポンサー集めに奔走するシーンが健気で泣ける(30話は未読なので仮の想像ね)」でも良いし、「45話でひまりちゃんが敵のレインボースパークボールを攻略する見開きコマの構図が凄い(45話は未読なので仮の想像ね)」でも良い。この薦め方なら、まず増田と好みが遠いヤツは近寄らないし、逆に好みが近いヤツは読みたくなるだろ。さらに、とりあえず指定された話数は読んでみようかなって気になるし、それで刺されば最初から読む気になる可能性は高い。なにより、「早口で好きな物を熱く語るオタク」は世間では敬遠されがちだけど、はてなでは間違いなく歓迎されるから
というわけで、もしこれ読んでたら、増田に最も刺さった部分を具体的に教えてくれ
レントゲンを撮るための健診バスが職場を出てすぐの道路に停まってたんだけど、知らないオッサンが入り口のカーテンをめくって中を覗こうとしてるところに遭遇した。
一瞬、他部署の知らない人かと思って、(今は女性の時間ですよ)と伝えようと「あの〜」と声をかけたら、「アッスイマセン」って早口で走って逃げてった。社員証はつけてなかった。
とりあえず中にいた看護師さんに「外部の方が中を覗いていたので、バスの外にも人を置いてください」って言っといたけど、今回はたまたま誰も覗かれなかっただけで、私がもう少し早く検査を受けにきていたら私が覗かれてたかもしれないと思うと、とてもキショい。
前職の時も健診バスって無防備だよなーとは思っていたけど、会社の健診って(というか、健診バスって)どこもそういうもんなの?
適当な話をして、後からツィッターで検索して個人アカウントを特定すること。
いつも会ってる女の子とエッチの時に勃たなかった。びっくりして色々考えて余計勃たなかった。
インポになったの?とか勃たなくなることなんてあるの?とか思われるのが嫌だった。
だって昨日はオナニーしたし、今勃たないことが自分でも分からないから焦ってるので。
スマホで調べるふりしてエロ動画見ても勃たなかった。もう諦めてご飯食べて帰った。
家に帰って来て、いまオナニーするなら勃つし射精もするだろうと思ったけどそうではなくて、
ブスは可愛いけどデブは無理。だけど気は弱いので普通より良かった感を出して対応する。
プロフに雰囲気写真は送りませんって書いてあったから、「雰囲気写真ってなんですか」と聞いたら、
「今写真を撮って送ってとか言う人がいるんですよねー。気になるならお店に行けっていうの」。
雰囲気写真を送らないのは良いけど、昔の痩せてるときの写真を載せてるのは違うと思った。
部屋に入って、「実はいつも会ってる女の子と昨日した時全然勃たたくて」「あー」
「それで違う人ならどうかな。違う人なら勃つのもおかしいと思うんですけど」「なるほどなるほど」。
年齢は30歳くらいかな。おっぱいはいなかっぺ大将の涙みたいに垂れてた。
若くてすごく可愛いAV女優にもこうゆうおっぱいの人がいるけど。
こんな人でもお金もらおうとするんだよな。ブスでもお金もらってもいいと思うけど、
それじゃみんなからメール来ないから可愛い写真を載せるのは二重でおかしいと思った。
雑談しながらシャワー浴びで、「じゃあ寝てくださいね」となにかの施術をするような。
全然勃ってないちんこをフェラする。目を閉じて大きな身体に手を回すと人肌がエロくて、
この人にも痩せてるときがあって可愛かったから、精神は痩せてる可愛い女の子が舐めてて。
喋り方やデブの雰囲気はデブに見合った精神をえんじてるだけでとか考えたりなかったりしたら、
「ちゃんと勃つじゃん。硬い硬い」じゅぽじゅぽじゅぽ「ちゃんと挿れられるくらいに硬く勃ってるじゃん」
「他の女の子なら勃つのかやっぱり」「マンネリなんじゃないの?もう挿れる?ビンビンだよ」「挿れます」
コンドーム付けてデブが横たわっていて、ちんこは長いわけじゃないから、
デブだと太ももの脂肪でちんこが入らないどころか届かないばあいもあるんだけど、
なんとか半分挿れて、「入ったね」、どっこいしょと座ってる位置を奥にして全部入って、
押し当ててもう何センチ。どこを見てもエロい要素はないから、デブも目を閉じてることを良いことに、
僕も目を閉じて、熊田曜子とやってると思いこんだら意外と3分くらいでイケた。
「ちゃんとできるから自身持っていいよ」。別に自信が無くなった訳では無いし。
大きなテレビで最新作のAV見て、可愛さとかスタイルとか性格とか全然違うじゃん。
まだ僕の方がキムタクに似てる。
ちんこ揉みながらAVを2本見て「、大の字でちんこ出して寝た。
20歳の女の子がメタクソ可愛くてエロくてベロチューもされて、
延長して3回抜いた。時間が余って話してるとき、立膝から見えるまんこがエロくて、
自分でシコってたら「そんなお店なんだから自分でしないで。言ってくれれば」って。
「手でいきたい?口でいきたい?」「手で」「じゃあキスしようかな。
おっぱいも女の子の大事なところも触って触って。気持ちいい?」
「あ、」「いきそう?」シコシコも早くなって、「お口に出したい?このまま?」「はい、あっ」。
「4回目なのに普通の量出たよ。すごくない?」
「他のお客さんは最後はお口に出したい方が多いんですけど、手のほうが好きなんですか?」
「自分より若くて可愛い女の子にお前なんて手で十分何だよって扱いされてるMっけとゆうか」
「あーありますよねそうふうの。、前に推してた女の子は、こっちがわざと手コキの時にイッたのに、
ごめーん、タイミングずれちゃったねーって。知ってます?まだ残ってるの」って尿道にあるのを吸い取るのやってくれて。
「あ、それ私もやってみよう」「他の子なら口じゃなくて手コキで済んでラッキーみたいに思うかもだけど」
「そんなに変わらないですけどね」「そうそう。さっきも口に出すのかわざわざ聞かれて」
「口のほうがエロいのかなーと思って」「もう二度と出会い系で会うの止めよう」「私に会いに来て」「ほんとそう。
だけど、だけど、あっちは越えられない壁が無い場合もあって」「壁?」「
部屋がすごいんですけどびっくりしないでくださいねってl部屋が洗濯してない下着でふかふかでたのしかったり。
履くの無いからノーパンで部屋出てユニクロとかで買って、2~3日履いたら汚れて履きたくないからって。
捨てないのは布地は燃えるゴミじゃなくて衣類にで出さなきゃいけないとか。
ブラは付けなくていいくらいのおっぱいだった。でもTシャツとかタオルはは洗うんですって」
「一緒に洗うだけなのに」「1枚もらって帰っていいですか?ってきいたら、
「ゴミ袋に詰めてもってってくださいよって」つめてもらいました。
22歳の可愛い女の子だったから役に立つと思ったけど家に帰るよ熱は冷めてて、
でもオナニーするときそのショーツで包んで中に出して拭いて捨ててます」「すごい!」
「あのパンツ1枚300円で10枚組で売れると思う。たまにきれいなので口拭いたり。
女の子の部屋のトイレにウォシュレットが多分ついてないと思うから、
「なんか楽しそうですね!」「楽しいことだけ話すなら」「確かに」
「また来てねのキス。今日は来てくれてありがとうざいました!」
おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せくだされ(早口)。
まず、キュウリのサンドイッチを極めるには、味付けが一つの鍵でござる。マヨネーズを使うのは悪くないが、キュウリ自体の瑞々しさとさっぱり感を引き立てるには、少々工夫が必要でござる。
すなわち、キュウリは薄くスライスするのが基本。塩を軽く振って水分を少し抜くと、食感がシャキシャキしてさらに美味しくなる。また、そこにちょっとしたアクセントとして、塩だけでなく、レモン汁を一滴加えるのも良いでござる。これがキュウリの自然な甘みを引き立て、マヨネーズとのバランスも絶妙になるでござる。
また、マヨネーズだけではなく、クリームチーズやハーブ入りのスプレッドを使うと、味わいが一層深まるでござるよ。さらに、パンも少しトーストしておくと、サクサク感が加わって全体の食感がより一層楽しめるでござる。
そして、紅茶はおっしゃる通り、欠かせない存在。紅茶の渋みとキュウリサンドのさっぱり感が互いを引き立て、まさに至福の一時を演出するでござる。しっかりと濃いめに淹れた紅茶、例えばアッサムやダージリンと合わせると、より一層贅沢な気分を味わえるでござるよ。
いかがでござるか、これで少しでも「なんか違う」が解消されれば幸いでござる!
おお、その話ですか、キュウリのサンドイッチの話でしたら拙者にお任せくだされ(早口)。
そもそもキュウリというのはインド周辺を原産とする植物でしてな、大航海時代に香料と一緒に西洋に広まりました。
日本にはシルクロードを通って陸路で伝わっておりましてな、途中に「胡」の国がかつてありまして、そのルートを通って入ってきたものには「胡」の漢字を充てるのです。
胡瓜(きゅうり)、胡椒(こしょう)、胡豆(そらまめ)、胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)、などですな。
当時の西洋の貴族では自宅に植物園・菜園を所有しているのが当たり前でして、ま、ま、当初は観賞用植物として広まったようですが。
キュウリのサンドイッチはそのような菜園を所有している貴族の最大限のおもてなしだったのです。
当然、そのレシピとしては午後のティータイムに合わせたシンプルなものです。
キュウリはできるだけ薄切り、パンのほうにマヨネーズを塗ってはさみ、手で持って食べられるサイズに切れば完成です。
現代でも、当時の雰囲気を味わいたければ、マリアージュ・フレールなどで注文できます。
それで観終わったらどうだった?とか言い合うんだけど、毎回結構いい感想を言ってくれてた
私は映画観るの下手(?)だからいつもその子の話聞いて感心してて あの台詞ってそういう意味だったんだー、とか
あと、おもんない映画のときはそれもまたハッキリ言ってた おもんなかったな!(笑)話の意味分からんかったわ!って
ネットのレビューも賛否両論で真っ二つに分かれてて、私は面白くないなって感じた側の人間だった
で、観終わったあと私が「ちょっとあのへん意味分からなかったなー」「歌はいいけどちょっと長かったな」とか言ったんだ
〇〇ちゃん(映画のキャラ)かわいいじゃん!最後めっちゃ泣いたよ私!〇〇と✗✗の関係マジ良いわ……みたいなこと早口で言われて
すごい、ん??って思ってさ
でもその後もずっとその子そんな感じでさ
なんかドラマとかの話しても、最高!とかヤバい!とかしか言わなくて
ここは正直面白くなかったよね、とかそういう話を一切できなくなった
なんかすごい浅い褒め言葉を連呼するようになったというか、語彙力が低下したというか
人並みにこれは面白い、あれは面白くないって分けるのができなくなってた
勿論元々そういうタイプの人だっていっぱいいるんだけど、その子は以前そういう子じゃなかった
おもんないときはおもんないって言ってたし、雑な褒め方もしなかった
なんでいきなりそんな感じになったんだ?
今もずっとそう
ずーーーーっとオタクみたいな感じ
どういう心境の変化なんだよこれ 元に戻ってくれよ