はてなキーワード: 平行線とは
「それでも京阪神に暮らす7つの理由」を書いた元増田だが、ブコメの中で
「何故京阪神の食が美味しいことを書かない?」というお叱りブコメが散見された。
原エントリでは、「自分は味音痴だから評価保留」と逃げておいたのだが、
他地方のお勧めエントリーを見ていると、大体「食が旨い」の記載がある。
結局、食の美味しさって、主観的要素が多く、数値化出来ない、それに尽きる。
幼少期からの慣れもある。食べ慣れない料理だと、人間はあまり美味しいと感じない。
地元出身者が、地元の料理を他地域料理より美味しいと感じるのは当たり前、なぜなら「お袋の味」だから。
だから、自分の京阪神推しエントリーでは、主観で分かれるような項目は排除し、客観的記載に務めた。
逆に他地域推しエントリーを眺めて、必ず「食が美味しい」と書いてあるのを見て、
必ず、と言っていいほど「●●県は魚が美味しい」「●●県はコメが美味しい」とアピールしてる。
しかし、味覚のような主観的要素で地方のアピールするのは「下策」だと思う。
「俺は東京の食の方が美味しいと思う」のような主観論争、神学論争に陥ると、平行線になってしまうから。
データ材料が少なくて苦しいかもしれないが、客観的数値から地方の魅力を説明すべきでは?
あと「女の子の質」も、食以上に主観に左右されるから、避けたほうが・・・
「そのエリアの魅力を、5~7つのキャッチフレーズにまとめあげる」のは、仕事的にトレーニングされてる。
自分の京阪神エントリが「読みやすい」と支持された理由も、その辺にあると思う。
不動産屋は「う~ん、この地域はどうかなあ・・」というエリアでも、ちょっとした長所を最大限に膨らませて、
それも客から突っ込まれないよう、なるだけ客観的データを用いる
自治体の観光担当者、UターンIターン担当者も、その種の「トレーニング」「プレゼン力、キャッチフレーズ力」を
積むべきじゃないか、と思う。
なんなら、不動産屋の「プレゼンライター」をスカウトしてみてはどうなのか?
自慢じゃないが、自分なら東北某県とか、四国某県とか、九州某県とかで、
某学会誌の表紙がアニメ調?な女性型ロボットだったせいで話題になった。
乱暴に要約しちゃえば、このデザインはパブリックな刊行物の表紙にはふさわしくない! これにGOを出した編集委員は無知すぎる、ということっぽいのだが、さて、お話はその問題提起の是非でも問題そのものでもなく、どうして、そういわれるとイラッとくるのか、ということだ。
ぶっちゃけったところ問題提起自体は、ああ、そうかもしれんね、と簡単に流せるようなもののはずだ。
「こども」の表記を「子供」とするか「子ども」とするかの違いみたいにジェンダーに関心がなければ、どうでもいいレベルの話のはず。でも、現実にはジェンダーに関心がなくても熱くなったひとがいるように見えた。いやいや、その女性型ロボット=女性蔑視とか短絡的すぎじゃね? みたいな反抗を生んだ。
この反抗したくなるイラつきの原因は、適当に歩いていたらいきなり「お前、馬鹿じゃね?」と言われたようなものだからだと思う。
問題提起だから当たり前なのだけれど、提起されるまでそこに問題は存在しなかった。だれもそれが問題だとは考えていなかったし、それを取りあげて問題にするとも思えなかった。だけれども、指摘は黒船のように唐突にあらわれて、鼻息あらく問題だ! と指摘された。キーワードは「海外」だ。海外では、学会誌でこういうイラストが起用された非難されるという指摘。もうね、それはどうしようもない言われ方だ。なぜなら海外ではこうなんです、と言われると、それが本当なのか嘘なのかを確かめることもできないうえに、ステロタイプみたいに海外は日本より優れているという劣等感が少なからず(ガラパゴス化という言葉があるぐらい)あるものだから、神経を逆なでにされる。ついカッとなって、反論したくなる。そうじゃないのだ、と。しかし、その反論はとどかない。なぜなら、問題を提起した人間も「海外」は日本より優れていると考えていて、海外を知っているという点で優越感を持っているから、ガラパゴス化した思考をした人間の反論は子供の戯言と流すことができる。
かくして、両者は平行線をたどり、指摘された側はうちにイライラを溜めていくのだ。
指摘した側はこれだから日本人は……と肩をすくめて、指摘された側はその指摘が理解できないんだけれど、とイラつく。
じゃあ、どうすればいいん? となると難しい。
ただ、「海外」が優れているという視点に立っての問題提起は、おそらく問題提起になっていない。問題を突きつけられた側は、その「海外」を知らないから問題を理解できない。歩みよりが必要なのだけれども、優れていると考えている人間は、みんなが自分と同じ過程をへて、ここに至ると考えているから歩みよってこない。手は差しのべた、あとは掴めばいいとか考えている。
伸ばした先には誰もいないのに。
自分(30代)=自営業で収入は同年代リーマンの1.5倍くらい
嫁が嫁としての役割を満たしておらず、リスクヘッジ要因として割り切るべきなのかと、最近考えるようになった。
セックスレスになってもう何年になるだろうか。思い出せないくらいセックスレス。
自分は性欲満載だが嫁が拒否る。
オレっちのことが生理的に嫌なんだそうだ。
自分にとってセックスは重要な要素なんだけど、嫁はセックス軽視なもんだから、話し合っても常に平行線をたどる。
セックスレスになってからは、自然と距離が出来てきて他人のような関係になってきた。
会話も業務連絡のみで、二人が同じ空間にいると、どちらかがスッと移動するような。
だがもうすぐ乾燥機能付き洗濯機を買う予定なので、その役目も自分に回ってくるんだろうな。
自分は自営なんで自由な時間が多いから、自然と家事をやるのが当たり前のような風習になってしまっている。
嫁も働いているけど、世帯年収にプラスアルファされる程度な感じ。
こうやってみると嫁の存在価値は、夫である自分にとってほとんど無い。
子供の成長には、母性が必要なんだろうけど、嫁が仕事を終えて家に帰ってきてもスマホに夢中だから、子供と関わることも少ないので価値は薄い気がする。
嫁は平日休みなので家族で遊びに出かけることもほとんど無いしね。
(「自分は不安定な自営」で「嫁は正社員(収入がすごい安定した仕事)」だからね)
これはレアなケース何だろうか?
男女が逆になったケースはそこそこありそうな気がするけど。
●価値があるかないかで、人のことをモノ扱いしたらあかんのちゃうかな…
確かに家族を「価値」で判断するのは、良い結果にならないと思う。
今は無いんじゃないかな。
けどいつかはするだろうなと思う。
そう考えると、胸が苦しくなる。
だから自分を守るために、嫁を「他人」だと思いたいのかもしれない。
風俗はごく稀に行く。
年1回行くか、行かないかくらい。
まあ抜けるんだけど、全然気持ちよくないんだよ。
けどそれとは逆で、嫁とのセックスはとても気持ちがよかった(遥か昔の思い出だが)
●生理的に嫌な相手とよく一緒に暮らせるなあ、奥さん
まあ子供のため。
自分もだけど。
●自分のことを「オレっち」というトコロが生理的に受けつけないのでは
●「性」のところさえ上手く行ってりゃ、「家事」とか「経済力」なんてぶっちゃけどうでもいいんだよな。
まさにその通り。
飲みに行きたい。
労働者派遣法の見直しを議論する厚生労働省の労働政策審議会部会が十二日開かれ、規制を緩和し、すべての職種で企業が派遣労働者を使い続けることができるようにする骨子案が示された。臨時的、一時的な仕事を担う例外的な働き方と位置付けられてきた派遣労働の「普通の働き方」への転換を意味し、派遣労働の固定化や、労働現場で正社員から派遣労働者への置き換えが進む恐れがある。
部会は労働者側と使用者側、公益代表の各委員で構成され、骨子案は公益委員案として出された。労働者側委員は反発するが、同省はこの案を基に年内に取りまとめ、年明けの通常国会に改正案を提出する方針。
現行制度は、通訳や秘書など「専門二十六業務」で無期限の派遣を可能としているが、それ以外では、一つの業務に派遣労働者を従事させられる上限を三年としている。
骨子案では専門業務の区分を撤廃した上で、どの職種でも原則三年を上限とする。企業がさらに派遣労働者を使用したい場合、労働組合から意見聴取すれば、別の人物に入れ替え、三年ずつ受け入れ延長を繰り返し、実質的に無期限で派遣労働者を使用できる。
一方、派遣労働者側から見ると、派遣会社と有期契約を結んでいる場合、同じ職場で働ける期間は最長三年になる。派遣会社との間で無期の雇用契約がある場合、派遣期間の上限は設けない。
また、派遣会社に労働者の雇用安定化を義務付け、三年働いた人については派遣先に直接雇用を依頼するよう求めた。直接雇用にならなかった場合は、別の派遣先の提供や派遣会社での無期雇用とする。労働者側が求めてきた派遣先社員と同等の待遇については、派遣会社の要求で派遣先が労働者の賃金情報を提供することなどにとどまっている。
日雇い派遣の原則禁止など昨年十月に施行された改正部分についての見直しは見送る。
派遣法の見直しをめぐっては、同省の有識者研究会が八月、人材派遣会社や経済界の意向におおむね沿った内容の報告書を提示。労政審の部会では、報告書を支持する使用者側と反発する労働者側が対立し議論は平行線をたどっていた。
<解説>
労政審に示された骨子案は、派遣労働を限定的な働き方としてきた現行法の理念を根底から覆し、企業があらゆる業務に派遣労働者を充てることができるようにするものだ。派遣が普通となり、雇用が不安定化する恐れがある。
案では派遣労働を「臨時的・一時的な働き方」とするものの、実際には企業は働き手を入れ替えれば、永続的に派遣労働者を使うことができる。三年ごとの使用延長の際には、労働組合の意見を聞くとしているが、形式にすぎず、最終判断は企業側に委ねられる。
一方、労働者の立場から見ると、三年働いた労働者の雇用安定化対策として出されたのは「派遣先への直接雇用の依頼」だけで、実際に雇用が実現するかは疑わしい。正社員らと同等の待遇も重要な課題だったが、根本的な対策は出ていない。
厚労省は見直しの狙いを「派遣労働者の保護の強化」としながら、正反対の方向性を打ち出した。それは規制改革会議などを通して派遣を使いやすくするよう求める政府の意向をくんだ結果だ。不安定な派遣労働者の増加は、裏返せば正社員が減ることにつながりかねず、労働行政全体に責任を持つ官庁の姿勢はまったく見えない。
警察庁と国交省が激怒!トヨタが首都高で“違法”自動運転を実演 http://biz-journal.jp/2013/10/post_3120.html?utm_content=buffer3a193&utm_source=buffer&utm_medium=twitter&utm_campaign=Buffer
先に述べておくと自分は車いなければ赤信号でも渡る派なんだが以前友人と論争になったんだね。
友人は(その信号は小学校の前なので)子どもが真似して事故になったらどうするんだ!と言っていて
自分は「子どもは視界が狭く判断力も低いのでもし大人が渡っていても青信号になってから左右を確認し横断歩道を渡れ」と我が子に言い含めているが、余所のお子さんについては存ぜぬ。私が信号無視したのを真似して渡る子どもを見たら止めるが知らんとこで事故にあった際の責任はとらん。大人のやることを何でもかんでも真似しちゃいけないと教えるのは親の役目だ。という趣旨のことを述べた。
結局議論は平行線だったのだが、気心の知れた友人との論争なのでお互い違う意見があるということを知って勉強になった。自分も小学校の前のような子どもが常時渡る信号は絶対に守ることにした。大人としてそのほうが適切だと気がついたからだ。
ただし全ての信号を守るわけではない。あくまでケースバイケースだ。状況判断ができるのが大人だと思う。
しかしネット上の論争というのはお互い意見を容れることなく、モラルのあるなしで勝敗をつけようとする傾向があって実に下らない。佐々木さんはよく相手してるなと思う。反対意見の人でも許容してるように見える。会ったことないから知らんけど。
自分が車を運転していたら自転車邪魔、歩行者邪魔、急いでるのに押しボタン信号押すなよ、横断歩道渡れ轢いちまうぞ、
でも歩いてる時は何で横断歩道遠いの、あんな一瞬で人を殺すものが横行してるの、そんなに急いでどこいくの、
どちらの立場も経験あるはずなのに自分のことしか考えられない人がネットでは多いな。
あるいは想像力の欠如なのか?
あんな風に人を断罪して喜ぶ手合いを、自分には理解できないんだが、佐々木さんを見習って根気強く考えてみようか。
よく考えたら自分だって浅はかな考えを無視されたり許容されたりしながら「自分の考え」を形成してきたんだから。
まあでも、どんな個人的事情があっても法律を守れって人に言う人はレミゼラブル見て感動することもないんだろうし議論できる友人にも一生ならないんだから時間が勿体無いかな。
どうしてあなた(他人を断罪する人)はそんなに凝り固まってしまったのか、には興味はあんだけどさ。
違う考えが許せなくてつっかかるのは甘えてるのかなー。
ネットが発達して、実際自分が体験していないことを知ることができるようになったからなのかな?
その小学校前の信号の話でも、轢かれた子どもは存在しないわけですよ。
けど「もしそうなってからでは遅いんだ!」というわけ。
「あってはならないことで、絶対に事故を起こさない対策をしています」というけど
事故は起こるものなので、具体的な避難計画を決めて頂きたいんだけどさ。
全員が同じ考えで決まりを守っていれば事故は起こらない、という考えなんだよね。
不景気なのも(あんなのはお金で遊んでるだけだと思うが)努力してない人がいるから、だとか
嫌だねぇ。
社内の業務をいくつかIT化することになった。ACCESSとかでも頑張ればできそうな感じだったんだけれど、システム屋にやらす方向で進めることになった。
何社かシステム屋呼んで、こっちのやりたいことをいって、概算金額出させてた。この時出てきた金額が350万~2200万。こんな簡単なシステムなのになんでこんなに金がかかるのか・・。なんでこんな差があるのか・・。(この時点でシステム屋業界に対しての不信感が社内に生まれることになった。)結局、一番低い金額で出してきたところが、営業の印象もなかなかよく、そこに決めることになった。
その後、細かい金額出させるために何度か呼んで、必要なことを事細かく伝えて詳細見積りとスケジュール表を出せっていった。それで出てきたのが、A3の紙1枚で4項目ぐらいのざっくり見積りと、設計期間・製造期間・動作確認期間っていう期間を表す太い長方形が三本かかれたエクセル。
へ?こんなんじゃ、何やってくれるか全然わからないんですけど?っていうか、自分らが事細かく話した内容をシステムに落とし込んだらどうなるのかっていう資料的なものがないから、どんな画面でどんな印刷物がでて、顧客ごとのの入金の流れとか、その他諸々がどんなふうになるのか全く分からない。わかってないのに金額だけだしてきたもんだから、自分もカチッときたし、上司も半ギレで散々時間とって打合せしてやったのに、ふざけてんのかよ、みたいなことをいって、次までに資料作って出してこいってことになって、そうしたらその営業もわかりましたって確かに言ったんだよ。
そうしたら昨日、その営業の上司から電話がかかってきて、資料を作るには工数(費用)が必要で、それにはまず契約が必要だ、みたいなことを言ってきやがった。
だーかーらー、その契約のための資料を出せっていってんだよ、何にいくらかかるかわかんねー状態で契約とかありえねーんだよ、っていってやったら、「いやいやですから、設計資料を作るとなると人が動くのでその分の費用は・・・」みたいになって平行線状態。
家の場合だったら、普通は設計図と各パーツの詳細見積りで初めて契約だろうが。なに作るかわからねーモノに対して契約とか有り得ないと思うんですけど、システム業界ってこんなもんなのかね?
------
あれ、なんかトラックバックみると、こっちが責められてるみたいな感じになってるけど・・。なにか大きなもの買うときでも、面倒臭がって、見積もりの明細までみないでぼったくられる(ぼったくられてることにすら気が付かない)タイプがここには多いのかな?
下に見てるわけじゃない、ってわざわざ断ってるのになあ。マニュアルで出来る単純労働なら「大学に授業料払って買ってる時間」以外でもできるだろうってこと。長期休暇中でもいいし、金に困ってるなら休学したっていいし。(「マニュアルでできる」ってところが引っかかった? 別にバカにしてるわけじゃなくて、「仕事に人生賭けます、仕事通じて自己実現します」って人じゃなくて、「他にやりたいことがあって、金稼ぐ手段として仕事したい」って人のために最適化された仕事ってこと。最近は仕事で自己実現が流行って、前者の仕事でないと尊くないみたいな風潮が醸されてるけど、あれはマーケティングだから。どちらの仕事も世の中を回すために同じくらい重要よ。)
アカポスでない専門職についた人なら、専門分野の中でも、大学の研究室では経験できないことが現場にあるってわかるんじゃないかな。優先順位が違うから。もちろん大学の研究室じゃないとできないこともあるし、現場経験ないとだめとかいうつもりはない。ただ、大学でやってる自分の研究がどういう具合に世の中で応用されてるかを、反対側から見る経験って結構役に立つと思うけどな。
まあ専攻によっても違うから平行線になるのは仕方ない。俺としては、マニュアル仕事って別にバカにしてるわけじゃないよってことだけ。
速読に関していたるところでセミナーなんかが開催されたり、本がでていたりする。
1冊数分で内容が全て頭に入るだの、専門書でも同様に速読が可能であるだの、本当にそんなことができるなら夢の様なスキルだとは思う。
私はインチキだと思ってるがインチキか否かは議論が平行線にしかならないので置いておくとする。
中を見て、速読を信じないものには絶対できるようになりません。ってことが書いてあってだいたいのことは悟った。
疑うことを禁止するのはカルト宗教でも社畜教育でも常套手段だからね。
速読セミナーの講師たちはどうしてこんな素晴らしいスキルを持ちながら速読セミナーの講師なんていうくだらない仕事をやってるんろう?
本当にそんなことができるなら学者にだってなんだってなれる。速読法を出版してお小遣い稼ぎをしなくたっていくらでも稼げる方法はあるだろう?
最近流行ってる、株やFX稼ぐ方法とかとかネット副業で何百万稼ぐ方法とかをちまちま情報として売って小遣い稼ぎしてる奴ら同じパターンなのか?
自分もBMI16.57らしいけど今はあんまり気にしてない。昔はもっとやせてたけど、そのときよりはマシになった。
20代だから同世代だし毎日それなりに飲んで食っているところは同じ。
体型もだいたい元増田と同じ。肩幅広め、胸うすい、貧乳。ただ、手足はすこし長い。あと、手のひらが長い。箕輪はるかを少し太らせた感じかと。
作る加減がわからずにたくさん作って残すともったいないから食べる を繰り返していたら3年くらいで緩やかに5kgくらい太ってそれから平行線。
あとは精神的な抑圧が消えたせいもあるかも知れない。実家はちょっと疲れるところあったから一人暮らしで解放されたのかも。
元増田ももしかしたら何か無意識にストレスに感じてることがあるのかも知れない。すこし体型のことから頭を離して小さいときからずっとついてきてる物事について考えてみては。
自分の場合やせすぎで病院にかかったことはないけど、変な体の痛みに小さいころから悩まされていて病院にかかっていた。
けど元増田と同様に検査はいろいろしたけど何も引っかからない。
病院も大小いろいろ行ったけど、総合病院なんかだと科をたらい回しにされるし、結局「原因はわからないです。痛みと付き合っていくしかないですね」と言われる。
病院に行っても何も解決しないし、なんかめんどくさい患者と思われていそうで病院がきらいになったよ。
登場人物
俺 30歳 会社員 年収500-600 一人っ子 実家を離れて2人暮らし中。転勤族。
嫁 28歳 パート 年収100未満 早く子供が欲しいらしい。
父親 62歳 今春ガンであることが発覚。先月リンパへの転移が見つかる。現在抗がん剤治療中。
約1年半前。
結婚をした。
・2人とも働けるうちは働く。
・嫁の収入は全て貯金し、今後の大きな出費(出産、引越し、子育てなど)に備える
結婚後。
時々ケンカをする。
主には価値観の違い。
俺が怒るときは、嫁が自分勝手な(あるいは二人の生活にとって非協力的な)ことをしたとき。
昨年秋。
嫁が流産をした。
原因は不明。しばらくは落ち込んでいたが、しばらくすると元のように元気になったように思えた。
当時フルタイムで働いていた嫁。
妊娠発覚後に、思ったタイミングで病院にいけないことを愚痴っていた。(が、決して病院に通えなかったわけではない)
今年3月。
嫁が仕事を辞めると言い出した。
上司が気に入らないらしい。
精神的につらい思いをしてまで仕事を続ける必要はないだろうと思った俺は合意した。
ただし、一つ約束をした。
「辞めた後も、今までの収入レベルをなるべく維持して、今後の生活に備えて貯金をしよう。」
今年4月。
嫁がパートを始めた。
気が付いたら、嫁が俺の扶養に入ることになっていた(年収130万円以下)
当初の約束と違うということを話し合ったが、
・なれてくれば、収入はあがっていくはず
・またすぐ子供ができるかもしれないし
という点を主張して嫁は譲らなかった。
当時の貯金は約300万円。
子供を生んで嫁が(あるいは俺が)理想とする新生活を始めるには少し心もとない額であるように思えた。
俺は子供ができたときに休みやすくするのであれば、日雇いバイトをパートの合間にいれる方法もあることを提案したが、拒否であった。
今年6月。
嫁は自分の父親に服(1万円未満)を贈るという。
俺は、入院生活が多くなった父親を少しでも励ませればとタブレット(3万円)を購入しようとした。
ここで嫁の言葉。
「金額的にお互いの両親の扱いに差をつけたくない。あなたが3万円使うなら、うちの母親にもプレゼントする」
俺は言った。
「通常のときであれば、差をつけるべきじゃない。ただ、今うちの父親は病気であり、困っている家族がいれば助けるべき。仮に嫁親が同じ状況だった場合、俺は快く払うよ」
結局2人は分かり合えなかった。
これまでも口論になることはあったが、嫁に対して出て行けと言ったことはなかった。が、このときは言ってしまった。「出て行け」と。
今後、お互いの両親にプレゼント(あるいは金銭的に援助)する場合、お互いの個人資産から行うこととなった。
これまで異なる環境で育ってきた二人。
価値観に違いがあるのは仕方ない。
幸い、ある程度独身時代の貯金があった俺は、釈然としないところもあったけれど、このルールでいくことにした。
父親のガンがリンパに転移していたと。これから抗がん剤治療を行うと。
些細なことでケンカになった。
話は発展し、俺は嫁に「もっと働け」と言った。
怒鳴らず、今の我が家の現状を、論理立てて説明した。(子供を産みたいのであれば、もうすこし貯金いるよね、という趣旨)
が、結局嫁は「家事がしたい」ということだった。
結局、俺は言ってしまった。「出て行け」と。
嫁は出て行った。実家に帰った。
俺は後悔した。
「出て行け」とは言うべきではなく、もう少し話し合うべきだったと。
その旨を嫁に伝えた。
何度か話し合いをした。
このことが嫁には納得できないらしい。
今の俺は、もう一度やり直したいと思っている。
嫁は離婚したいと思っている。
嫁の主張
・今後も俺の親が金銭的援助を求めてくる可能性がある。そのとき、俺の貯金が無くなったら、どうするのか。不安すぎる。離婚。(嫁の親も同じ趣旨のことを言っているし、今回の件に関してはかなり怒っているようだ)
俺の主張
・俺の貯金がなくなるのはまだ数年先のこと。そして、そんな先のことは誰にもわからない。もしかすると、他の原因でお金に困っているかもしれない(嫁が働かない、嫁の両親がお金に困って援助を求めてくる)。今はもう少しお互いわかりあえるように努力をしたい。
結局議論は平行線のまま。
もう価値観が決定的に違いすぎて、お互い分かり合えないのだろうか。
まだ話し合えば修復可能な範囲なんだろうか。
ちなみに、我が両親の具体的貯金額は聞いていません。
ただ、もともと年収はそこまで高くなさそうで、そんな中、私一人を大学院まで一人暮らしで6年間通わせてくれた。
それが負担になっていたというような気はしています。(だから、恐らく、保険とかにも入っていなかった可能性あり)
そんな両親を嫁から見ると、「子供にお金をたかるほど生活に困窮しているようには見えなかった」そうで、俺もそこは一度話し合う必要があると感じています。
私は色んな解釈の可能性があるっていうことをずっと言ってるだけで、今まで全ての解釈に可能性があると思って読んでますよ。
あなたが「麻生太郎がナチスに好意的で馬鹿で歴史認識を誤っている」という前提でしか考えてないので色々質問してみただけです。
正当性について語っているのは、民主主義で良い憲法下にあったドイツでもナチス独裁政権が生まれたのを例に出して、同様のことが同じく民主主義の日本でも起こりうるという例えでしょ。
その原因が、この短い発言の中で麻生氏が少なくとも4回は強調している「狂騒・狂乱」です。
あなたもご存じだと思いますが、当時のドイツはヒトラーのメディア戦略のプロパガンダなどで異常な熱狂・狂乱の中にいたのは世間の常識です。
普通「ナチス下のドイツ=静か」とイメージする人ってかなり少数だと思いますよ。
だからナチスのようにならないよう、憲法改正の議論は冷静に落ち着いて吟味すべきと読んだ方が私は自然に思えます。
狂乱の中であれば悪法のナチス憲法でも「みんな良い憲法と納得」してしまいますからね。
あと、麻生氏は後半でメディア批判をしてますけど、これだとヒトラーの手口と真っ向から反対しますよね?
ヒトラーはメディアに騒がせておいて、麻生氏はメディアに騒ぐなと言っているんで、あなたの意見だと完全に矛盾しちゃってますよ。
あなたは麻生氏が憲法改正に意欲的なように解釈してますが、私は相当慎重だという印象を受けましたよ。
このみんなというのは会場に来てる一般聴衆ですよ?憲法改正に意欲的な人がこんなこと言いますかね?
発言全体通して聞きても麻生氏は憲法改正慎重派にしか見えないのですが。
事実、この公演の後、憲法改正推進派から「もっと熱く議論すべき」と批判されてます(笑)。
ナチス憲法という言葉を使ったのは、一般聴衆にも分かりやすいように全権委任法という言葉を避けた可能性があります。
(僕も大勢の前で話すときは専門用語とか堅い言葉を避けて、みんなに伝わりやすい言葉を選びますよ。)
これで麻生氏が無知だと推測するのは、あまりに考えが浅すぎると思います。
あなたはどうしても麻生氏を批判したいがために他の意見は完全にシャットアウトな状態ですね。
色々ご意見ありがとうございます。
割り当てられた業務(8割はExcelファイルでの作業)の効率を上げるために、VBスクリプトや自動処理マクロ等を仕事の空き時間に作って使っていたんだけれど、会社を去る時に殆ど全部を削除していったのよね
いくつかNASに残ってた奴もあったけれど、当然ながらマニュアルやドキュメントなんぞあるはずもなく、きちんとした使い方は誰も分からない
この件が上司の知るところとなり、どうやら派遣会社と揉めてるらしい
派遣会社(と当人達)からしてみれば、契約上は業務外で生成された副産物なので納品の対象ではない、という事なのだが、うちの会社からしてみれば、社内のネットワーク上にあったもの何であれ全てうちのものだから、それを勝手に消すのは駄目だと、もう完全に平行線
俺個人は派遣会社よりではあるんだけどね
特に問題になってるのは、今まで週に一回、手作業で2時間くらいかかってた冗長な作業が、Excel開いて画面のど真ん中のボタンを押して約1分待つだけで完了するようなやつ
そんなのツールをおおっぴらに提供したら派遣会社の仕事自体が減っちゃうし、短縮された2時間に値する別料金を貰わないと割に合わないよなあ
生にコミットできないので、死のうと常々考えていて、でも、親が悲しむだろーなー、なんて思ったので、あんま悲しまないように話し合いを重ねているが、議論は平行線を辿る。親が泣くばかり。別に悲しむべきことではない、と言っているが聞かない。もっと人が自らの意志で死ぬことを受け入れて欲しい。
死ぬことも、生き続けることも、平等に判断されるべきだと思うが、宗教的教義のように死が否定される。老人ホームや病院行くと、莫大なコストをかけて生かしておく価値があるのか疑問に思う老人がいるな、といつも思うよ。彼らの中には、死にたい、生きている意味がない、って言ってる人も少なくないのに。死にたい人には死を与えてやろうよ。
経験上、このようなクレーマーと話が平行線になったら時間の経過に頼る
下手に刺激せずになるべく話をする機会を先延ばしで約束する
(話しても解決はしない、次の話する機会を約束しないと怒鳴り込まれる可能性がある)
注:このやり取りは実際にあったものと架空のものを織り交ぜていますです。
==
店「レシートをお持ちであれば返金に応じます」
客「そんなもん取っておくかバカ。俺は女じゃないんだ。」
店「いつ頃お買い上げになりましたか?」
客「個人情報だ。お前の店は客が返金しろといっているのに応じないナメた店なんだな。覚えてろよ(ガチャ切り)」
客、すぐにかけ直す。その際に代表(庶務の人)に対して「使えないバカに回すな。責任者につなげ」と怒鳴りつける。
責任者とは上と同じやり取りをする。ただし責任者の最後の謝罪に対して「謝罪なんていらねーんだよ!金返せ!(ガチャ切り)」というやり取りが追加される。
客、他店に電話をかけ同じやり取りを何度も繰り返す。
しびれを切らしたのか、ついに客自ら店に出向き、レジの人に入店一番「責任者につなげ!」と怒鳴りつける。
このレジの人は近隣の某国立大学に留学している中国人。その日はアルバイト。他の仕事も任されていたが、今回たまたまレジに居合わせた。
責任者が来るまで当然時間差がある。客、相手が中国人だとわかるやいなや、「なんで中国人がこんなところでアルバイトしてるんだよ!」と怒鳴りつける。
「ここは日本だ!お前らが住んでいい所ではない!出て行け!出て行け!キチガイ中国人!」などとわめきちらし、他の客も「何あの人・・・」と見る。
責任者、来る。客、通路の奥からレジに早歩きで来る責任者に「遅い!」「ちんたら歩いてんじゃねーよ!」「走れ!人の時間を奪うな!」と連呼。
以降、返金のこと、中国人のこと、謝罪はいいから往復の交通費をよこせということ、などなど延々とまくしたてるも、一向に進展しないので「このクズ野郎が!お前ら全員クビにしてやるから覚悟しておけ!」と怒鳴り散らして退店。
とにかく買い上げの証拠がないなら返金には応じられないという主張には「なんで俺がお前らに合わせなきゃならねーんだよ!俺を誰だと思ってるんだ!客商売だろうが!」と平行線であったことは付け加えておきたい。
その後、客はその店で買った包丁を振り回し、従業員のみを刺傷する事件が発生。客は容疑者としてその場で取り押さえられ逮捕されたが、刺されたうちの従業員ひとりについてはのちに死亡した。中国人留学生はそこには居合わせなかった。
==
ケースバイケースといってしまえばそれまでだが、最悪の事態を想定すれば、レシートがなくても返金に応じたほうがいい場合もある。
しかし、一般的にレシートがなければ返金は不能だ。
どこで線引すべきだったか。
片山さつき×安田浩一 生活保護に関する対談 「本当に困窮して三食食べられない人がどれくらいいると思う?ホームレスが糖尿病になる国ですよ」
やや旬を過ぎた話題かもしれないが、このまとめを面白く読んだ。
片山さつきの晒す無知と無理解にツッコミを入れる読み方をした人が大半だと思うが、この対談における片山さつきの発言から生活保護にネガティブな反応を示す者の抱える典型的な感情を探るという読み方もできるというふうに思った。その意味でこのまとめは大変面白い。
生活保護嫌悪者の典型的な感情が最もよく表れていると思う発言は以下だ。
『私は自力で大蔵省に入りましたよ。問題は自力で頑張った人と頑張らなかった人に差がつかなかったら、誰も頑張らない』
努力の差に対して結果の差をつけることにより努力することの動機付けを高めるべきだ、という趣旨の発言だが、「私は自力で大蔵省に入りましたよ」という言葉からは別の側面もうかがえる。それは社会はどうあるべきか、という大きな話ではなく、もっと個人的な感情だ。
ずばり言おう。生活保護を嫌悪する者が抱える典型的な考えはこうだ。
『私は多くの努力をした。だから、その対価としてより多くを受け取るべきだ』
こうである。
自分の努力を認めてほしい。そんなプリミティブな感情が生活保護嫌悪者の根底にある。
努力というのは支払いである。より多くの努力を支払えばより多くの報酬を受け取ることができる。より多くの練習をすれば試合でより良い成績を残すことができる。より多くの勉強をすればより良い大学に入ることができる。あまり勉強をしなかったAさんと一生懸命勉強をしたBさんならばBさんのほうがより良い大学に入ることができる。そのようになっていることが正しい。そう彼らは考える。
これが彼らにとって正しいのは、人々の努力することに対する動機付けを高めたほうが社会にとって良いからというわけではない。彼らはそんな理屈を口にするかもしれないがそれは頭の中でこしらえたものだ。より努力した者がそうでない者よりより多くを受け取ることが彼らにとって正しい理由、いや、正しくなければならない理由は、単純だ。権利意識のためである。
彼らは例外なく「自分はよく努力をした」と思っている。多くの努力を支払ったと思っている。支払いに対して対価を受け取るというのは実に正当な権利だ。だから、自分が支払った努力に見合う対価を求める。
ここで重要なのが、彼らの求める対価が「これだけのものが私に必要なのでこれだけのものが欲しい」という絶対的基準によるものではないということだ。あくまで彼らは「努力に見合う」対価が欲しいのである。それは相対的な基準による。仮に10の努力をした者が10の対価を受け取っているならば、100の努力をした私は100の対価を受け取る権利がある。もちろん他の人が1000の努力をしたならばその人は1000の対価を受け取る権利がある。彼らはそのように考える。
もちろん実際には努力量を数値化することはできない。自分の10分の1しか頑張っていないように見える人がいたとしても、その人が本当に自分の10分の1の努力しかしていないのかはわからない。
しかし、仮に自分の10分の1の努力しかしていないように見える人間が自分の半分の対価を受け取っているとしたら(この場合対価=年収と考えるとわかりやすいだろう)。おそらく、自分が受け取っている対価が正当な権利の5分の1しかないように感じるのではないだろうか。本来自分はあの人の10倍を受け取る権利があるはずなのに実際には2倍しか貰っていないのだから。
あるいは努力の払い損だと感じることだろう。自分の10分の1の努力で自分の半分の対価が受け取れるのであれば、自分が受け取っている対価に見合う努力量は現在の5分の1だ。不必要に5倍の努力をしていることになってしまう。
このとき、あの努力していないように見える人間も私の見えないところで努力しているのだろう、と考えられたら幸いだ。しかし、その人が働かず毎日パチンコばかりしているような人だったら。見えないところで努力しているのだというストーリーを信じることはできないだろう。そして、権利が侵害されたという感触が鮮やかにに残る。その人が多くを受け取ることにより、私の受け取る対価の価値は目減りしてしまったのだから。私は無駄な努力の支払いをしていたことになってしまうのだから。
この権利が侵害されたという意識、そして己の努力が否定されたという意識が生活保護嫌悪者の根底にあるものだ。
この意識はその人の実存に深く関わることであり、簡単に否定できるものではない。自分が費やした努力の価値を否定できるほど強い人間などどれだけいるだろうか。だから、いくら生活保護の重要性を論理をもって説いたとしても、こういった被害者意識を持つ者には決して響かないだろう。彼らは「正直者が馬鹿を見ない社会を」というあのお決まりの文句で被害者意識をアピールし、対話は平行線上を辿る。
説得の文句としては「生活保護を現物支給にしても余計コストがかさむだけだ」なんてのは最低だ。なぜなら彼らは努力していない者の待遇を悪くすることにより自分の権利を守ろうとしているのだから。そのためならコストなど二の次三の次に決まっている。
これまで様々な生活保護制度を擁護する言説を見てきたが、この生活保護嫌悪者の被害者意識を解体できるようなものはいまだ見たことがない。私としてもこの被害者意識を解きほぐせるような理屈というものは浮かんでこない。