はてなキーワード: 平行線とは
なるほど。むかし「ぼくらの」のアニメ化の際にこの問題あったな。監督が原作を「嫌い」だから「原作」と銘打ちつつ原作否定の物語にした、みたいな。もちろん、媒体が異なり表現手段も変われば、原作といいながら異なる物語になってしまうこともある(たとえば富野の書いたオリジナル「機動戦士ガンダム」小説と、富野の監督したアニメでは、全然違う話だ)から、元の作品からの逸脱だけが問題ではないと思うけど。
こういうケースについて思うんだけど、原「作」と原「案」とを分けたらいいんじゃないかな。そして、原「作」ならタイトルは原則変えない、原「案」なら基本的に別タイトルにする(サブタイトルに原作タイトルを使用するなどは可)、みたいな自主ルールを作っていけばよいのでは。少なくとも、そうやって「こういう作品ですよ」ということを明示したらいいんじゃないかなあ。
たとえば二次創作系は基本的に原「案」だから、そこに目くじら立てても仕方ないんじゃない、とか。アニメ化に際して監督が「今回は原『案』ということでやりたいので、原作とは異なるテーマを描きます」とか最初に明言しておけば、みんな心静かにいられるのではないかと思う。原作ものでも原案ものでも、名作と駄作がある。原案物の名作と言えば、なんだろう。古いところではナディア、新しいところではおそ松さんか。
こういう例で分かるけど、「『原作』だからよい」ということもないし、「『原案』だからダメ」ってこともない。要は作品の出来だ、って意見にも一理ある。ただ、そこを分けないと、「(原作物として見れば)ひどい」「(原案物として見れば)面白い」という意見がいつまで立っても平行線な気がするんだよ。
つまり2004年頃から議論になってる自己責任論はリバタリアンとリベラルの思想闘争というか。
どこまで国家が国民(つまり日本国籍を持ってる人)を助けるべきか?
という話に過ぎない。
重要なのは「自己責任論」という言葉に踊らされすぎて具体論まで落とし込めてないことだと思う。
「自己責任」という用語で議論される範囲があまりにもでかすぎる。
例えば、俺は生活保護費を受けざるを得なかった人をことさらに責めるべき
と言われると同意できない。
もちろん、嘘をついていたとかなら別だけど。
本来であればそういう個別具体的な文脈と経緯に基づく詳細な議論が必要なはず。
であるならば、今回議論しなきゃならないのは「自己責任論」じゃなくて
の話なわけでしょ?
もし、以前と同じようにあらゆる事象をごたまぜにしてメディアや市民が
「自己責任論は~」
っていう風に曖昧模糊とした用語で議論した場合以前と同じように何の結論もでないよ。
両者の溝は縮むことも離れることもなくただの平行線でずーっと進むだけ。
これって名前付いてないのかな?
「私がAと思うんだから皆Aにするべき」とか
「このグループでは皆Aで揃えましょう」みたいな、差を許容しない同質化の考え方と
「私はAだけど、隣の人はBで構わない」とか、基本個人の自由で不干渉みたいな異質許容の考え方
世の中にある用語はどうにも歴史的に要らない意味が拡張されてて当てはまりづらい
どちらが良いかと言えば、正直どっちもメリット・デメリット出てくると思うんだけど
どちらをより好むかで、その人の性格が分かれる印象がある
規律・規範・ルールで縛る なのが同質化側、真面目で保守的でお硬い印象、和を大事にする、最たる例は学校や軍隊
自由で最低限のルールにするのが異質許容側、行き過ぎるとアウトロー、他人とは別の行動するタイプ
世界的には異質許容が主流なように見えてるがそうでもない
「『一部の異質なこと』を許容する」ことを同質化しようとする動きも多くて、あれは同質化側だと思ってる
これ厄介で、自分は異質許容だと思ってるようでいて、実はよりマイノリティーを許さない同質化側がいる
社会的に認められた「異質」は「許容を同質化」するが
社会的に認められていない「異質」は「排除を同質化」するタイプ
あれはやっぱり同質化
社会的に認められているかどうかってのは個人の観測になるから、ややグラデーションが存在するし、年齢によって下手すると真逆の答えを出す
だから一瞬その人がどっち側の性格なのか分かりづらくなるが、何個か話を聞いてみるとやはりどっちかに偏る
もちろん両方をバランスよく使ってる人も居ると思うんだけど、有能な経営者とか
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我ながら説明がわかりにくい
言いたいことは「同質化タイプと、異質許容タイプの人が分かれているのでは?(名前付いてないのかな)」って主張
そして色んなラベリングをされながらお互い殴り合ってるけど、一個のルールで説明つくのではないかと
例えば
・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」が同質化
・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」は、同質化
に見えるけど、①が異質許容、②が同質化であるとすれば、それぞれ矛盾したことになり一貫性がない
主体が考えて決めたのか、社会のコンセンサスで決まったのか、誰かに影響されたのか、あるいはそれ以外なのか(感情的など)
もし、主体が考えて決めたのではないのであれば、「主張」はまだ成り立つのではないかと思った
例えば同性愛の話をすると
それをベースに考えれば
これを最近にすると、「同性愛は許容すべき」が社会的に主流だから
主張が逆転してるんだけど、考え方の根っこはお互い変わってないんだよ
最近は「◯◯の人たちが以前と逆のこと言ってる。彼らは本当に◯◯なのか?」みたいなことを言われるが、こういうからくりなんだと思ってる
そういう風なラベリングがされたら、話がスムーズなんじゃなかろうか
ていうか、同じ結論の中でも同質化/異質許容が混ざってると思う
どうしても「同じ結論」「同じ思想」でグループは分かれちゃうからしょうがないけど、内部でお互い仲悪い印象
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こんな分かりづらい意見聞いてもらえて嬉しいのでもう少し書かせてくれ
差別なんかで
みたいな話がたまに出るんだが、あれの考え方もこの話に似てる
異質許容タイプってのはおそらく、世界を一貫性を持った小さいルールベースで理解したいタイプで
「差別はいけない」を「グループを作って排除する行為」と捉えている
そのため「差別するものを差別する」という行為が頭の中で矛盾してバグる
差別をもっと深掘りすれば「肌の色で差別してはいけない」「性別で差別してはいけない」みたいな社会共通認識があるが
何故それが特別化を理解できないので、異質許容タイプは受け入れられない
一方同質化側は、「差別」を特別ななにか(例外)だと脳内で定義できている
(ただ、「それは差別だ/差別じゃない」に揺れがあるのでボーダーラインで矛盾を起こす)
(どちらが良いという話ではなく、会話がぶっ壊れる理由の話)
2.同質化が嫌いで、異質許容を同質化したいタイプ(不寛容排除タイプ=寛容同質化タイプ)
3.同質化が嫌いだが、異質許容を異質許容するタイプ(関わりたくないタイプ)
それをもとに3タイプの人が嫌韓になったが、結局別々の道を辿っている
実は1は少なく、その後攻撃的になったのが2だと思う
最近の所謂フェミニストへの反発や、何か立法で制限を加えるといったときに反発するのが2だ
(これについては名前ついてそう)
よくそういう一群を指して「あいつら」とか言われるのは、思考タイプが同じだからではないだろうか
「ルール vs 定義は話が平行線になる」と言ったほうが説明しやすいかもしれない
増田で書くのも何だが、子供の幼稚園選びに本気に迷ったという話を書いておく。
自分の住んでいるところは11月1日に全ての幼稚園が面接を行うので、併願が非常にしにくい環境にある。頑張って併願したところで、面接代を両方に払って問題を先送りしてるだけなのでやめた。
親が決めにくいからと子供に聞いてみたら、3歳児が要領を得る答えをするわけも無く、どの園に行きたいかは毎日変わり、ますます混乱する。そもそも、語彙力があまりないので紛らわしい名前の幼稚園を混同していたり、記憶が混濁しているとしか思えないことを言ったりする。
結局我が家で子供の行く園が決まったのは11月1日になってからだった。選ぶ時の比較要素はこんな感じだった。
家庭は社会からの逃げ場で無くてはいけないという想いがあるので、子供の嫌がる食事はあまり出さないようにしているが、それだと子供の経験できる食事の幅が狭まるので給食があるところにしようと思った。
人間が認識できる人数は数百人程度という話をどこかで聞いたことがあるので、園児数が多すぎるマンモス園は避けることにした。
この条件ですでにかなり絞れていたのだけれど、それ以外はどちらにもいいところ・悪いところがあると悩むことになる。
10月31日は日付が変わるまでけんけんガクガクの平行線の議論をした上で、見学に行った時に児童の雰囲気がよく、生活リズムが想像できた幼稚園を選んだ。
幼稚園によって児童の雰囲気は面白いくらい違う。見学に来た人たちに絡んでくるところもあれば、認めてはいるもののシャイになって絡んでこないところ、排他的な態度をとるところと様々。
こういう話題を見るたびに思うんだけど
はてな民は男の性欲軽視し過ぎじゃない?
男は女の人格を軽視しているので男は女を肉オナホとして見て、性的搾取している
みたいな話がエピソードつきでてくるけどさ
言及したとしても社会的、文化的背景が云々だとか過去の家父長制が云々とか
ややこしい話ばっかり
実際は根本的にはそんなややこしい話じゃなくて
単に女を肉オナホとしてしか見れなくなるほど男の性欲が強すぎるってだけなんだよ
極度の空腹に襲われてる登場人物の目に、動物や動物系のキャラクターがこんがり肉のような食べのものに写ってしまう
もちろん性欲には個人差もあるし
が、(性欲のベクトルが違う気がするので単純に比較できないが)通常の範囲において性欲の強さというのは
女は50か80かで性欲の強弱が決まるのに対し男は400か900かで性欲の強弱が決まるようなものなのである
女にすれば男の性欲は強弱に関わらず異常なレベルであり
表面的に見える男の性欲ってのは
性欲の強弱というより理性等の強弱によって決まっている
ゆきずりの異性から性的に求められるということは基本的に「嬉しいこと」なのだ
元増田へ「デブスとか言いながら求められるくらいの容姿なんだろ」ということを言っている人がいるが、これも勘違いしてる人間が多いように感じる
前述したとおり男は性欲モンスターであり、「セックスしてもいい相手」のハードルはめっちゃ低い
空腹さえ満たせれば「こんがり肉」の形が多少違おうが構わないのだ
実際性欲モンスター同士でカップリングするゲイコミュニティにおいてセックスまでのハードルは著しく低い
ジェンダー論、特に男性が女性を性的搾取しているという問題を語るとき
なぜなら男からすれば異性から性的搾取されることは羨ましいことであり
女が性的搾取に「苦しんでいる」ことを本能的に理解できないからだ
いくら「女性は性的搾取にこれだけ苦しんでいる」ということを主張しても加害者となる男性にはまったく無意味なことは理解できるかと思う
社会学に限らず人文科学・社会科学(いわゆる「文系」)が自然科学(いわゆる「理系」)と大きく立場を異にするのが、「社会現象に絶対的真理はない」ということ。
自然科学において1+1=2というのはごく当然のことで(1+1=10という2進法を用いると法則がかわるよねとか、平行線が直交しうるという概念を新設して非ユークリッド幾何学が生まれたとか、そういう話はあるがその辺は措く)、人文科学・社会科学ではそういった明確な自然法則は存在しない。ただ、それでもやはり仰る通りの「科学」の手法をとるなら、科学的な手法で研究をしていかねば、という話は出てくる。
大学時代に受講していた政治学ゼミの教授が言った印象的な言葉がある。一字一句覚えているわけではないのであくまで要約と思ってもらいたいが、ざっとこんな感じだ。
「目の前に特定の政治現象を説明する理論があったとする。そこで重要になるのは『それが正しいかどうか』ではない。社会科学である以上、その理論に対する例外的な現象が発生するのは当然なので『例外があるから間違っている』と考えるのはそもそも誤りだ。それよりも、『その理論がどのくらい多くの現実を説明することが可能なのか』が重要な論点だ。その理論が否定されるとしたら、その理論よりも『より多くの現実』を説明できる理論が立てられたときだろう」
この辺の話はおそらく「パラダイム理論」という名前がついている。「正しいかどうか」ではなく、「どのように現実を説明できるか」というのが「文系」では論点になる、というのは覚えておいていいかもしれない。
俺がめったに会えない旧友との飲み会に来ていたとき、彼女からヘルプの電話が来た。焦燥感や不安で過呼吸気味で、明言はしなかったが家に来て一緒にいてほしいという感じだった。彼女は一ヶ月ほど前に親を亡くしており、不安定になるのは理解はできた。
俺は飲み会は抜けられないことを伝えた。本当に久しぶりの再会で、飲み会は始まったばかりで、話すべきことが山ほどあったからだ。俺はマンションの常駐受付人(コンシェルジュというほど大層なものではないが、同様の存在)に一緒にいてもらって、過呼吸が続くようなら夜間病院に行くよう伝えてその電話を終えた。
終えたのだが、そこから鬼電がはじまった。ゆうに20回は着信があったと思う。俺はマンションの受付人に電話を代わってもらい、行けないので代わりにタクシーで病院へ連れて行ってほしいと伝えて、それ以降管理人からの電話のみ取り、彼女からの鬼電は取らなかった。
飲み会を終えて彼女のマンションへ向かった。点滴をしてもらっていくぶんか落ち着いた彼女と話した。「私は飲み会以下なのか」と、何かのセリフのようなことを聞かれたのを覚えている。俺はマンション受付人というこのようなときのためのサポートシステムを利用し病院へ送り届けたのに、ひどい言い方だと思ったのでそう伝えた。話は平行線だった。
俺はもう限界を感じ、恋人だからといって何から何までそのようにサポートを求められても困る、別れよう。と言って、別れてきた。
で、彼女と俺の共通の友人の間で、俺がまるで外道のごとく彼女を捨てたという設定になっていることを知り愕然としているのが今。俺は冷たいのか?外道なのか?
納得できない
PATMに関しての某ブログのコメント欄のやりとり(NATROM氏とsakurasuisan)のまとめを記載します。
People Allergic To Me の略で、周囲の人にアレルギーを起こす症状を言います。
PATMを訴える人の中には「精神的なものが理由で思い込んでいる人」と、「実際にアレルギーを起こしている人」の2タイプが考えられる事で合意しました。
この点は意見が大きく異なりました。
PATROM氏のブログ文章は見知らぬ加害妄想の人を救うためという大義のためみたいですが、
sakurasuisanとしては、まだ医者のコンセンサスもとれてなく解明されていない段階では、一般の人たちに誤解や偏見を招くようなネット投稿は、医者を名乗っておこなうべきではないという考えです。
ここは考え方の違いなので恐らく平行線のままでしょう。
現段階だと誤解を招くので全く同意はできませんが、理解はしました。
https://anond.hatelabo.jp/20180919145651の続き。
約束の日にいきなりこの件についてはもう何もできないからディレクターに直接メールしろと日本人スタッフから英語でメールがくる。流石にもうブチギレて泣きながら日本人の友人たちに連絡する。その後なんとかメールを作ってディレクターにメールを送るも無視。一日おきに2,3通メールを送るも無視され、らちが明かなくなりディレクターに初めてメールを送ってから3日後に知ってる学校スタッフのメールアドレス全部にディレクターにこのメールが届いているか確認してくれと送る。そうしてやっとメールの返事が来て、直接話すことになった。
まずディレクターがすごい圧迫的に話をしてきて、こっちが英語上手くしゃべれないのをいいことにいろいろ言われた。ルールに則って追い出してほしいと言うだけなのにも関わらず、「生徒たちのふるまいをコントロールすることはできない」「貴方だけを特別扱いすることはできない」「あなたにいろんな提案を何度もしてきたけれども(部屋を動く、ホームステイをするなど)あなたはそれをすべて拒んだ。だからそれ以上何もすることはできない」と言われた。私はただルールに則って追い出してほしいとだけ話していた。「それはurgedであってルールではない」と言われ。でも最後に確実にIf find you have ignored the rules above you will be asked to leave the house immediately without a notice period.と書いてあるということも言ったが「それでも追い出すことはできない」と言われた。
そのうえ話が飛び「貴方は私が体調が悪い時に三回もメールを送り他のスタッフにもそのメールを送った。しかも他の先生には夜の1時にメールを送ったらしいけど、それはいいふるまいとは言い難いのでは?」と言われた(うるさくて眠れなくて助けてほしいというメールを夜の1時に送ったのは事実。しかしそれほど事態が緊迫していたのも事実)ディレクターはさらに「私は手術も重ねるほど具合が悪くてそれでも責任もあって戻ってきたからこちらにいる間は貴方のサポートをするつもりだけど、それはいいことですか?悪いことですか?」と聞かれた。仕事に私情を持ち出すこと自体もう訳が分からないし、そもそも貴方が手術してたことと一部の寮生がルールを守らないことは全く関係がない。
さらに「私の生活が脅かされている」ということをメールで書いたら「レジデンスにいたいの?それとも離れたいの?」と言われて、私は何度も何度も繰り返し言った「私はレジデンスにいたい。なぜならばルールを守っている私が動いてルールを守れない彼らが留まるのはおかしい」と言った。ディレクターは「不思議で仕方ない。生活が脅かされているのに何故そこにいたいんだ?もしそれが本当ならば私たちは貴方を他の場所に動かさなくてはならない」と言われた。だから私が動く意味が分からないしルールを守れない彼らがどう考えても動くべきなのに何故私が動かなきゃいけないのか。それを何度も言ったが掛け合ってもらえず、終始圧迫的にものを言われすごく怖かった。
ハラスメントを受けている側とハラスメントをしている側であればしている側の方が悪いのは事実。それでも私を動かすことばかりを提案してくる。そうではないと何度言っても話は平行線になる。
何度も提案をしたとは言うけどもどれも私が動くと言うものばかりでルールに則った行動は何一つとしてない。でもディレクターはこれはルールじゃないと言い張る(テナンシーアグリーメントにそう書いてあって、さらにこれを無視した場合は追い出すとまで書いてあるのに)しかも態度が酷すぎる。どう考えてもパワハラだった。ここには私の英語補佐係として日本人スタッフとあともう一人ディレクターの上司がいたけどこのディレクターを止めるものは誰もいなかった。
該当する生徒を動かすのであれば私も動かす必要があると意味が分からないことを言われ、理解できた?(Do you understand?)(この言い方はめちゃくちゃ失礼な言い方)と何度も聞かれる。どうあがいても平行線で、ここにずっといても怖い思いをするだけだし、最終的に「もういいです」と泣きながらキレた。ここでもう一度日本人スタッフに「貴方たちのせいで私は嫌がらせを受けた。それなのにこの態度は酷すぎる。こんな学校だとは思わなかった」ともう一度言うも、「それは違うよ、ああいう話し合いの場を設けるべきだと思ったから……」と言われてもう駄目だと思い諦めた。もう話すことなど何もない、この学校は最悪だと言って部屋を出て行った。友達に会って大泣きした。
ちなみにこの後、寮の共用の冷蔵庫に入れていたもの(日本から持ってきた味噌などの調味料、作り置きのおかず、野菜や果物や作ったお茶)などがすべて捨てられた。これは私の者だけではなく、他の寮生のものもだ。物価の高いイギリスでなんとかやりくりして暮らしていた私はもうどうしたらいいか分からずに泣いた。しかも捨てられたものの中にはおばあちゃんの形見の味噌も含まれていた。Replaceできるものはすると言われ、こっちで調達できるものじゃないから金を払えと損害賠償を請求するも日本人スタッフからディレクターに回り、無視。催促するとキレるくせに、催促しないと無視。本当に最悪な学校だわ。
私は学校選びを間違えた。日本人スタッフがいるから安心と思って選んだのが裏目に出た。
Concorde Internationalは表面的にはとてもいい学校だと思う。小さくて、生徒皆顔見知りみたいな感じで、先生との距離も近いしスタッフの人もすぐ顔を覚えてくれる。アットホームな語学学校だと思う。でもトラブルがあった時は多勢に揉み消される。基本事なかれ主義の学校で、こうやって表に出る前にも何度も何度も騒音のメールを送ったけど、基本「対策をする」とだけ言って無視。今回は数で対抗するために交渉の場に持ってくるという卑劣な手を使われる。ここで行ったのは確実に私の間違いではあったけど。その後は学校側が積極的に生徒にパワハラをして揉み消そうとする。
大袈裟じゃなく、留学は人生を変える。少なくとも私はこの留学で大きく変わった。そんな人生を大きく変える留学だからこそ、学校選びは慎重にしてほしい。
異国の地で、母国語が通じない世界で、どんなトラブルが起きるだろう。そんなとき、頼る人は誰だろう。それをよく、考えてほしい。
トラブルがあっても揉み消されて、眠れない日々、騒音におびえながら異国で過ごす時間は酷く辛い。私みたいな思いで留学して、異国の街を嫌いになる人が少しでも減るように、この記事を書いた。
「カンタベリー」「語学学校」「Concorde International」「評判」「口コミ」などで検索したときにこの記事がヒットするまでになってくれたら嬉しいと思う。難しいと思うけど。
すべての留学を考える人の目に、この記事が留まりますように。この記事は転載翻訳自由です。少しでも多くの人の目にこの記事が留まるよう、協力してくれると嬉しい。長々と失礼いたしました。最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。皆の留学生活がよりよいものになることを祈っています。
http://blogos.com/article/321033/
言ったのがフェミニストなので、「フェミが男叩きしてる」と道化効果をしていて
更に「反対してる奴がフェミの男叩きと言ってるがゾーニングの話だ。反対してる奴は馬鹿だ」と道化効果をしている
やがて話は平行線になり、コミュニケーション量が増え炎上のようになる
今日、都内のそれなりにデカい本屋で新刊漫画コーナーをチェックしてて思ったんだけど
漫画だとエロやBLコーナー以外では全然見かけなかったんだけど、自分の気のせいか?
(もちろん両者とも例外はあるけど)
一般漫画みたく肌色率を抑えるか、いっそエロい表紙のは内容を問わず
エロコーナーの方に区分すりゃ今回のような事故(?)は避けられたんじゃないかなー。
エロコーナーにわざわざ来て傷つく子供はさすがに自己責任だと思うし。
まぁ、それを
(ゾーニングしても)子供が間違って足を踏み込むかもしれないじゃないか!とか
今思い付いたんだが、漫画とライトノベルでは面積が違うから、表現に差異が出ざるを得ないのかな。
お色気キャラをどーんとかいうの以外のアピールの工夫はできないもんかね。