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はてなキーワード: 軽工業とは

2024-09-22

anond:20240922145947

軽工業の女手って歴史的にも無視できないはずなのに

旧来の左翼女工哀史として扱うだけで

労働運動が下火になってフェミニズムが台頭すると語られなくなるよね

彼女たちはどこに行ってしまったんだ

anond:20240922135651

軽工業の女手って歴史的にも無視できないはずなのに

旧来の左翼女工哀史として扱うだけで

労働運動が下火になってフェミニズムが台頭すると語られなくなるよね

彼女たちはどこに行ってしまったんだ

2022-12-11

anond:20221211173455

中卒で単純労働できる場所がたくさんあった時代感覚で、今や建設業工場でもある程度の教育があること前提でなんだかんだ資格必要だったりただの体力バカでは迷惑って感じになってる社会少年の働き口を考えちゃうとこうなるんだろうなみたいなのはあるよな。

女の子は中卒で軽工業工場住み込みお手伝いさんみたいな仕事普通にあった時代ではないか風俗売春に流れちゃう、というのは正しく理解されてるんだけど。

2019-03-03

中国語技術書ジャンル分けの話

Amazon中国語の本のカテゴリーを見に行くと下のようになっている。

  1. テクノロジー
    1. 写真技術
    2. 建築
    3. エレクトロニクス通信
    4. 電気工学
    5. 軽工業手芸産業
    6. 林業
    7. 化学工業
    8. 冶金産業
    9. オートメーション技術
    10. 冶金および金属加工
    11. 機械器具産業
    12. 石油およびガス産業
    13. 油圧工学
    14. マイニングエンジニアリング
    15. エネルギー・電力工学
    16. 原子力技術
    17. 武器産業
    18. 情報科学と知能の仕事
    19. 車と交通
    20. 産業経済
    21. 産業技術
    22. 参考書
    23. 一般産業技術

本の内容をみた印象だが、日本だといくら本を読んでも実務との間に溝がありOJTで頑張らないといけないが、

中国本だと実務にすぐ使える印象がある。


写真技術普通に写真を撮ったりRAW現像する類のものだ。ストロボスコープのようなものではない。X線撮影はこのジャンルに入っている。

ライトフィールドのような計算機を使っての撮影も入っていた。


建築Autodesk Revit、BIMなど。コンクリート下水処理などもある。


エレクトロニクス通信は、FPGAPLC光ファイバレーザーなど。

日本と違う点だと、衛星からターゲットトラッキングするといった本がある。

Space-TimeAdaptiveProcessingというのがあり、Google検索かけたら英語がほぼなく中国語ばかりだった。

ステガノグラフィなどの暗号もそこそこ見かけ得る。

MATLABの本も定期的に出ている。

LTE-V2Xなどの無線系の書籍もある。MIMO、5Gの信号アルゴリズム実装など。


電気工学は、送電関係スマートグリッド太陽電池パワーエレクトロニクスなど。

品質管理事故防止についても目立つ。


軽工業手芸産業は、なぜかCNCが入っていたりすが、食品加工高分子など。

食品ハイパースペクトルで検出するもの食品トレーサビリティエビの加工技術微生物、精度保持技術食品大量生産する際の技術

3Dプリントもここ。光硬化樹脂。


林業ザリガニ繁殖方法と疫病予防があるのは流石と思う。鯉やガチョウやうさぎ、亀もある。

ぶどう野菜きのこなど商業的に育てるのに着目した本が目についた。


原子力に関しては、もう日本タブー化されていると思うが、普通にある。

原子力発電所のモデリングシミュレーションといったエンジニアリング寄り。


武器産業が一番違うところかと思う。

ミサイルシミュレーションや、弾頭のデザイン兵器開発のプロセス品質管理ミサイル誘導制御システム設計

武器テスト化学兵器毒物魚雷発射システム原理設計スーパーキャビテーション理論基礎、

砲兵弾道学、核兵器防護技術弾薬製造技術などなどガチ理論本がある。


情報科学は、検索エンジン関係がある。


車だと、AUTOSARの制御ソフト開発といったニッチものがある。

自動車コーティング技術タイヤ力学など。

トラック修理ように内部の電線回路図エンジン制御回路、シャーシ制御回路)もある。

2018-07-23

仕事をつくって生きていく、ということ

私は間もなく45才になる経営者だ。

父親の立ち上げた会社を引き継いで7年が過ぎ、その間に売上は右肩下がり。自分自身が売上に貢献しているとは言い難く、それまでの蓄積と家族社員)の頑張りで、なんとか食いつないできている。ほぼ家族のみの小さな会社

業種は、小売でもなくメーカーでもなく、流通中間位置する卸売業地場産業品を海外に輸出するのが主業務で、一昔前はずいぶんと儲かった業種だったようだが、現在ではその大半を中国製品に置き換えられており、日本製品は主にコスト面、デザイン面で競争力を失っている。メーカー設備投資をする体力もなく、ジリ貧状態だ。当然、ウチの売上も激減している。

輸入もしていた。15年くらい前までは、中国製品の雑貨品が大変にもてはやされ、日本で作るのより大幅にコストが抑えられるということで、毎月コンテナで何本も輸入しては得意先に卸す、ということを行っていた。私がこの会社に参画したのもこのあたり。それまではプログラマをやっていた。やがて雑貨輸入も落ち目となる。雑貨のような軽工業品は、比較的誰でも取り扱うことができるため、参入障壁が非常に低い。すぐに価格競争になったために、現在ではほとんど行っていない。

自社製品を開発してメーカーとなろう、と息巻いていたころもあった。有名なブランドライセンスを借りて、ちょっと変わった製品コラボさせて、自社製品として売り出そうという発想だ。モノづくりの手配なら一日の長がある。たまたま関係することができた有名ブランドからライセンスを借りることができたため、無事に製品化にこぎつけた。これが市場ちょっとした話題になって、予想を少し上回って完売した。しかし、その後が続かない。そもそもマーケット需要があるような製品であったかどうかが疑わしい。価格も安いものではない。それでもある程度売れたのは、それくらい強烈なブランドだったからだったと理解している。ただ単に運が良かっただけだった。

先代社長は大変に有能なビジネスマンで、関わる人みんなからの信頼を取り付け、どんな不利なディールでも最後までやり遂げることができた。最初は親の借金を背負い(つまり私の祖父借金)、バッタ品を集めてそれを売り歩き、やがて輸出を始めた。時代背景もあって地場産業品はどんどん売れた。相当なハードワークをこなしてきたらしい。出張から痛風で飛んで帰ってくることもあった。やがて取引先の紹介で輸入も始めた。先述の通り、最初は大変に売れた。そして私が会社に入り、程なくして社長を引き継いだ。先代の始めた事業は、どれもものすごい勢いで下火になった。現在仕事はほぼゼロ。前期末で大幅な赤字が出た。

「何か新しいことをしなくては」

社長を引き継いだときから毎日毎日、寝ても覚めても、一分一秒たりとも、呪いのようにこの言葉が頭から離れない。何度か新しい取引先を作って、新規事業として立ち上げてみた。が、どれも事業としては育てることはできずに、フェードアウトしてきた。客先とメーカーをつなげる立場としては、究極的には中間業者は無いほうがコスト的には望ましい。私達は独自の強みを発揮することができず、淘汰されるのは必然だったというわけだ。

さて、こんな状況でどうやって会社を立て直して行こうか。

現在地場産業品の輸出に加え、雑貨輸入で培ったOEM精算業務を行っている。ただし、こちらも現在は引き合いが非常に少ない。

地場産業品については、取り扱う製品自体需要が減ってきているため、我々がこれをどうにかするのは難しい。たぶん、近い将来見切りをつけなければならなくなると考えている。

OEMについてはどうだろうか。ウチの場合雑貨を中心として、いろいろな製品を手がけてきており、頼まれれば割となんでも作ってしまえる。こんな世の中なので、どんな製品メーカーでも大抵は探せてしまう。そこを探し出して、クライアント要求通りに物を作るのが、我々の仕事の一つだ。ただし、なんでもできる、というのは、裏を返せば特に強みが無い、ということでもある。我々がアクセスできる情報なんて、その気になれば他の誰もが知り得る情報であり、クライアントメーカーと直接つながるケースも珍しくない。我々が選ばれるためには、何か特長が、強みが必要だ。

「何か新しいことをしなくては」

と、なるわけだ。これが毎回毎回、頭の中を駆け巡って、でも前進できずに毎日悶々としている。

もう、何から手を付けたら良いのかすらわからない。仕事作っていかんと、生きていけへんやん。

2017-12-27

anond:20171227161633

前半はその通り。

後半は違う。

すでに日本人給与先進国でも低水準で、様々な事情を抱える国外製造を新たに立ち上げるのはリスクコストが高くつきすぎるということ。

政情的に安定した地域では人件費が高く、人件費の安い地区ではリスクが高いと(原料の移送工場建設、防犯、役人への賄賂教育コストがかかる)。

製造業国内回帰傾向が強まっているのもその辺が影響している。

というか、軽工業食品工場製造コストに関する人件費の占める割合が大きいということで、海外に出てしまっている。

それ以外だと、人件費以外のコストが大きくて、海外に出るメリットが薄い。

2017-07-19

夕張市絶望に寄せて

夕張市が大変だ、と。

それでまあ、いろいろと思うことがあるのだけど、世の中に一発逆転の政策なんて都合のいいものあんまりなくて、結局は地道にいろんなものを積み立てていくしかない。

割と、バブル世代より上のオジサンたちに顕著なんだけど、一発逆転の秘策に走りやすい。

まさに、起死回生の復活策に賭けて、倒れた夕張市がこれ以上、無謀な掛けには出ないだろうと信じたい。国がついてるから、悪手もなにも無理なんだけど。

それはそれ、夕張市の再浮上に、全く目がないかと言えば、いくらかはあるだろうと思っている。

具体的には炭鉱

炭鉱が閉じたのは石炭が取れなくなったわけでも不要になったわけでもないのだ。

強烈な円高が進行した結果、単純に海外で買った方がはるかに安いから輸入に切り替えられただけだ。

しかし、長らく経済は停滞しており、日本国内賃金は20年近くも据え置かれている。

対して、石炭輸出国は一様に賃金が上昇しているのだ。国によっては日本と現地での賃金格差の逆転が起こっている国もある。

まりは、そのうち石炭自国で掘った方が安い、という事態の再来もあるのではないかというくらいは連想ゲーム的に考えることができる。

これは別に石炭に限らず、重工業でも軽工業でも『世界工場である中国東南アジアから撤退国内回帰が始まっていることを考えると特段、突飛なことを言っているつもりもない。

ただし、極端に人手不足のこのご時世、他の国内回帰産業や単純業務、一次産業輸送業建設業公務員ヤクザまで、必要人員を確保できないであえいでいる。

あえて、北の僻地炭鉱夫をやりたい人もすくなかろ。

結局は難民でも受け入れられなければ、夕張に限らずどこも、需要はあるけど生産施設が回せないで絶望が続く、広がるのかな、と思いますわな。

2014-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20140603234829

難しい話題だな。

自分達の社会と違う価値観を知ったら知ったで、いろんなことが疑わしく思えて、日常生活負担になる。

科学的知識が増えると、簡略化しすぎなニュースに逐一苛立つのと似てる。

いっそ何も知らない子供の方が幸せそうだし愛されるのを見て、複雑な気分だ。

でも、社会一部の人が違う価値観を持つのは、最終的には社会を強靭にすると思うんだけど。

今居る所をより良くするために、という感じに帰結するしかないのだろうか。

例えごまかしと言われようと、新しい安定産業が見つかればさほど社会的には心配ないんだけどな。

浮き沈みの激しいハイテク分野よりも、軽工業あたりの方が案外いいかもしれない。

テレビPC世代交代しても椅子や服の需要は続くし、デザインなどの知的要素・付加価値も生かしやすいし。

2011-09-30

もしも日本韓国自由貿易協定を結んだら

今月初め、東京千代田区ホテルニューオータニで開かれた「東京韓国産業展」。

主催した大韓貿易投資振興公社(KOTRA、日本日本貿易振興機構=JETROに相当)の

洪錫禹社長(中略)主催者を代表して壇上に立った洪社長は、日韓政府企業関係者を前にこう呼びかけた。

経済グローバル化と円高を考えれば、両国を1つの経済圏と考え、関係を深めていくのが日本

そしてお互いの利益にならないだろうか」政府メッセージを広めるためだったのだろう。

8月に韓国大使館がしていた説明とよく似ていた。韓国EU中南米米国などに続き、

日本ともFTAを結びたい――。

(2011/9/21 7:00日本経済新聞 電子版より)

上記の記事を読んでぞっとした。

確かに日本自由貿易協定を結べば、サムスンロッテなど、一部の企業は今以上に儲かるだろう。

だが間違いなく、韓国の中で力の弱い産業は、壊滅的な打撃を受ける。

それは、アメリカ自由貿易協定を結び、農業が壊滅的な打撃を受けた今のメキシコを見れば一目瞭然だ。

メキシコの現状

アメリカ農業産業としての力は、決して圧倒的に強いわけではない。

このところの資源高で、ようやく利益が上向きになりつつあるが、そもそも工業生産に比べれば利益率は低い。

加えて労働時間が長いこともあって、農業従事者の数はアメリカでも年々減っていたのが実情である

それでも、メキシコと比べれば、生産性利益率も高い。

そして、強者と弱者が同じ籠の中に入れられた場合、強者が弱者を駆逐するのではなく、弱者同士が争って、より劣るものを駆逐する、という現象が発生する。

工業生産がうまく棲み分けを行ったのに比べ、アメリカ産業の中で弱い産業である農業が、メキシコのそれを圧倒し、壊滅した。

その結果、食えなくなった農民たちが多数発生し、難民となって都市部へと流れていく。

ついには治安が悪化、元農民たちが非合法麻薬取引に手を染めるようになり、現在メキシコ世界でも有数の犯罪率を誇るようになった。

協定締結後の未来

日本韓国自由貿易協定が結ばれたら、全く同じような現象が生じるだろう。

工業生産や大三次産業では、うまく棲み分けができるだろうが、問題はそれ以外の、例えば繊維産業などの軽工業や、農業漁業などの第一次産業間の競争である

韓国人は自負心が高いので、日本人能力を大変低く見積もっているけれども、弱い産業になればなるほど、日本人の優位性は揺るぎないことがわかっていない。

衛生観念、丁寧な仕事、均一な製品工程管理能力など……。

韓国では未だに、白菜寄生虫が発生する事件が頻発しているが、日本では皆無とはいえないものの、韓国に比べれば圧倒的に少ない。

韓国人能力も素晴らしいが、兩班の愚民化政策の悪影響が尾を引き、まだまだ一般大衆仕事レベルは、日本に比べて低いのが現状だ。

もしも韓国日本自由貿易協定を結べば、たぶん韓国軽工業第一次産業は壊滅するだろう。

仕事にあぶれた元農民らは、日本逆恨みするのは間違いない。

日本を滅ぼす役に立つなら、喜んで覚醒剤日本人相手にうりさばくようになるだろう。

メキシコ麻薬王たちが、反アメリカという点で一致し、アメリカを滅ぼすために誇りを持って麻薬産業に従事しているように。

もっとメキシコの惨状の報道

韓国の力の弱い大衆を救うためにも、決して自由貿易協定を結んではならない。

サムスンなどの一部の成功した企業だけを救い、多くの韓国人を困窮のどん底に沈ませないためにも、今メキシコで何が起こっているかマスコミは正確に報道し、

同じことが日韓の間で起きる可能性について、問題提起しなくてはならない。

だが、日本マスコミでそのような報道をしている局は皆無。

対岸の火事だと思っているのかもしれないけれども、日韓自由貿易協定を結ぼうという議論が始まった今、他人事ではなくなった。

メキシコの窮状を、日本人韓国人で共有した方がいい。

ソ連経済貧困ぶりの報道があったから、共産主義への正しい忌避感がはぐくまれた。

同じく、行き過ぎた自由貿易がどれほど人々を苦しめているのかを、マスコミにもっと報道して欲しいのだ。

2011-06-11

円高

ドル安、ユーロ安であって、円の価値も毀損されているが、毀損の度合いが相対的に低いので、結果的に円高となっている。

それにしても、ずいぶん前から80.00を割ると言われていたのに、自動車業界全然準備をしていなかったようである

海外生産という下策で対策を取ったとしている軽工業は論外である

円高になって海外市場では値上げしなければならなくなっても、その値上げを正当化できるだけの機能や性能の向上を恒常的に維持し、日本国内に工場を作り、雇用して生産し、海外に輸出するという構造を作らないと、日本経済は衰退するばかりである。その為に、政治に対する影響力を行使するならばまだしも、円高対策を求めるというのでは、状況が悪化していくだけとなる。

日本工場を残す事は間違いとなっていくが、海外に出て行っても、政治に対する影響力を正しく行使できないのであれば、技術資本を吸い取られるだけで終わるであろう。母国ですら使いこなせなかったのが、余所者である他国において使えるわけが無い。

2010-01-19

搾取を語るなら論文を読め

http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034

日本韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。

でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない

結局、日本韓国もこの件ではバリバリ当事者な訳で、どうしたって中立的な議論は出来ない。純粋に学術的に中立的な議論をしても、その裏の政治的思惑を勘ぐられるのがオチだ。なら、第三者たる欧米の、それも世界最高峰大学で教鞭を執る学者の議論を参照することは決して無意味な事じゃないはずだ。

それに、10年前と違って、我々はほぼ自由にこれらの議論にアクセスできる。Google Scholarで”Japan Korea colonization”を検索してみるだけでいい。10回くらいクリックすれば議論の形はある程度つかめてしまう。いい時代になったもんだ。

で、2時間ほど仕事をさぼって論文を流し読みした結論。それは、

日本韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある

ということ。ついでに言うと、欧米開発経済学者と何度か話した時も、この結論をある種自明のように語っていたので、現在でもこのコンセンサスは有効であるように思う。私自身は門外漢なので断言は出来ないが。

日本植民地政策の総論として、大体平均的な見解になっているのは、Bluce Cumings(シカゴ教授)の以下の下りだと思う。

エトウ教授日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカ植民地主義独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年韓国人達は日本植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。

ちなみに、このCumings教授北朝鮮よりの言動が過ぎると批判を受けているくらいであって(英語Wikipedia参照)、決して日本よりのスタンスを取っているわけではない。むしろ、日本植民地政策は朝鮮政治的に分断される一因となったと書いている(人となりの雰囲気はこの辺りのブログで分かるかもしれない。http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20090208/1234060826)。それでもなお、36年間の日本経済政策については、むしろ肯定的な言及が多い。日本植民地政策についての興味深い言及もあるので、興味のある人は以下のリンクを読んでみると良いだろう。英語は平易なので、特に苦労なく読めるはずだ。

B. Cumings (1984), “The legacy of Japanese colonialism in Korea”, RH Myers and MR Peattie eds., The Japanese Colonial Empire: 1895-1945, Princeton UP.

http://brightrising.com/pdf211/week10/Bruce%20Cumings%20%27The%20Legacy%20of%20Japanese%20Colonialism%20in%20Korea%27%20-The%20Japanese%20Colonial%20Empire-%20p.%20478-496.pdf

似たような議論としては、

LG Reynolds (1983), “The Spread of Economic Growth to the Third World: 1850-1980”, Journal of Economic Literature.

G-W Shin (1998), “Agrarian Conflict and the origins of Korean Capitalism”, American Journal of Sociology.

CJ Eckert (1991), Offspring of Empire, U of Washington Press

などがまとまっている(最後のは読んでないが)ので、興味のある人は参照して欲しい。Google scholar検索すれば他にも沢山出てくる。個人的にはReynoldsが俯瞰的にまとめていて良いと思う(アクセス権がないと入手が困難だが)。

さて、ここからが本題だ。欧米の碩学達はなぜ「日本植民地政策は有益であった」と結論づけたのだろう。正直、上のリンクを読みやがれの一言で済ませてしまっても良いのだが、一連の議論がある程度まとまっている論文を見つけたので、以下で抄訳してみたい。プリンストン大学のAtul Kohli教授論文なのだが、まず彼は94年に「日本植民地政策は、戦後韓国経済発展に重要な貢献を成した」という論文を発表したのだが、これにS. Haggard(UCサンディエゴ校)、D.Kang(ダートマスカレッジ)、C-I Moon(延世大学)の3人が「いやいや日本の影響なんてたいしたことないから」という反論論文(以下HKM)を寄稿した。これに対して更に「いや、君たちの言うことはおかしい」という再反論をKohliが行った、という流れになっている。この最後の再反論の論文が短くまとまっていて論点も明確なので、これを取り上げてみることにしよう。

1.The economic records and legacies

HKMではKohli論文に対して4点の反論を試みている。まず、日本統治下での韓国経済成長と、終戦後韓国経済成長とを過大評価しているという点。『私の原論文では、主によく知られたS-C Suh (1978)のデータに基づいて、植民地時代の米の生産量は年率2%相当の伸びを示しており、その相当量が土地1単位辺りの収量の増加によると議論している。生産性の向上は、日本政府による計画的な灌漑、品種改良と肥料の使用を反映したものだ。

日本の行動が利己的なものであって、多くの韓国人はこれらの植民政策の恩恵を受けていなかったという不快事実に関係なく、安定的で近代的な農業生産の成長は植民地主義歴史の中でほぼ無類の成果であった。この経験韓国を他のアジア諸国(除日台)から一線を画す存在にした。そして、この経験はその後の韓国経済成長へ貢献する一要素となったことは間違いない。』

HKMはこれに反論を試みているが、『HKM自身が提示した資料によれば、1911年から38年までの植民下の韓国農業成長は3.17%増加しており、私の提示した数字よりも更に高い。』Dehliはなぜ彼らはこの事実をちゃんと議論しないのかと指摘した上で、もう少し細かい議論をしている。さらに他の研究を引いて、Myers and Yamada (1984)は1920年から40年までの農業生産の伸びを年率1.15%、S-C Suh (1978)は穀物生産が25年間で45%、米は30年間で100%増加したと推計しており、『これらのデータを前にして、植民政策下の韓国農業生産と米の生産が植民経済の基準から言ってかなりの増加を示したことを誰が疑うのだろうか?』と問うている。

『より重要なのは、これらの、特に米の生産の成長の源泉は何かと言うことだ。Suh (1978)とMyers and Yamada (1984)の双方が、この時期に耕地の大幅な拡大や、農業への労働者の大量投入は見られないと指摘している。これらが強く示唆するのは生産性の向上である。HKMは生産性の向上はあくまで緩やかなものに過ぎなかったと主張するが、30年間で60%もの生産性の向上(Suh, 1978)を緩やかと表現するのは不可能だ。籾付米の栽培パターンの変化は韓国農業に“生物学革命”が起こったことを示している:品種改良された種籾を使用する水田は倍に増え、肥料の投入量は10倍になり、灌漑された農地は年率10%近いスピードで拡大し続けた(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1894, Ishikawa, 1967)。

これらの改善明治時代農地革命の日本から韓国への計画的な普及の成果(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1984)であった。日本植民地政府韓国農業改革の努力によって、“近代的な農業革命が開始され”、日本台湾と同様に、“これはアジアにおける近代農業改革の端緒となったと言って良いだろう”(Myers and Yamada, 1984)。更に、他の研究者達が指摘するように、この革命は終戦後も引き続き行われた。これでもなお、「ユニーク植民地の運営は大戦後の韓国経済発展への足がかりとなった」ことを否定することが出来るのだろうか?』

日本工業政策の影響については、『HKMは3つの伝統的な-そしてあまり説得的ではない-理由から反論している。曰く、工業部門は殆ど日本人が所有していた。曰く、その殆どは北朝鮮に位置していて韓国経済発展には関係ない。曰く、どちらにせよ、朝鮮戦争であらかた破壊されたので関係ない。

日本人への所有権の集中という最初のポイントは説得的とは言えない。韓国1965年以降の経済成長においても、企業所有権はかなり集中していた。こっちは問題ではないとでも?日本資本について言えば、「外国資本ニ支配サレタ工業化ハ真ノ工業化トハ言エナイ」的な議論は、既に説得力を失って久しい。第2に、工業資本朝鮮戦争破壊されたという点は私が原論文で指摘済みの点である。繰り返すが、当時の工業資本の約半数は南朝鮮にあったのである。さらに、南朝鮮にあったのは繊維工場のような軽工業資本であって、北の重工業に比べて輸出産業としては離陸しやすかったはずである。』

Kohliは、更に反論として、脱植民地運動朝鮮戦争破壊からの急速な回復は、韓国人近代工業を運営した経験があったからこそであること、(2) 工業資本戦争破壊されたのは事実としても、知識は消え去らないこと、近年のRomer (1993)などの内省的成長理論においても知識の重要性が強調されていること、などから、日本植民地時代の「正の遺産」は韓国経済発展に寄与したとしている。

2. On the developmental state

政治プロセスの話をしているのだが、「てめーの読み違いだよ」という話なので省略。

3. On the origins of Korean capitalism

『主にEckert (1991)の重要な著作に依って、私は原論文日本植民地主義韓国資本主義が孵化するためのフレームワークを構築した、と論じた。』『HKMはEckertはある特定の例しか研究しておらず、日本植民地政策の影響がなかったとしても、韓国固有の資本主義がいずれ芽生えたはずだ、と主張している。』

これに対する反論として、Kohliは3点の反論を挙げている。(1) Eckert (1991)の“韓国資本主義日本の統治の下で、日本の公式な承認(official Japanese blessing)をもって花開いた”という議論は依然として受け入れられており、仮に例証の少なさが問題だとしても、多くの研究者がいくつもの例証を発見しつつある(例えば、Ho Su Yolの研究によれば、韓国企業家の数と、韓国人所有の企業の規模は、1930年代に共に増加している。(2) 歴史にifはありません。 (3) 『確かに、植民政府利己的な動機で動いていた。確かに、多くの企業日本人に所有されていた。しかしそれでも、その政府で、企業で、多くの韓国人が働いていた。そして、その過程で日本式の資本主義はゆっくりと、しかし確実に韓国に根付いていった。更に言えば、多くの韓国人起業家がそのビジネススタートさせたのはこの時期なのだ (Eckert, 1991)。確かに、有力な財閥企業の多くは大戦後に設立されている。しかし、資本主義というのはある日突然芽生えるものではない。多くの財閥企業(現代、三星Lucky Starなど)の創業者達が最初に事業を興したのは植民地時代なのである。』

5. On the state and lower classes

最後に、日本政府による朝鮮人労働者の使役の問題について。『私は原論文で、韓国での日本人は、きわめて抑圧的でそして日本自身のそれによく似た労使関係の構築に寄与した、と主張した。マネージャー達は若い韓国人を雇い、OJTを施し、愛社精神を植え付け、とんでもない長時間労働を要求し、そして国家権力を後ろ盾として労働組合政治的な活動を禁じた。さらに、“サンポ”システムで「産業愛国クラブ(industrial patriotism clubs)」を組織して経営者労働運動リーダー達を同じクラブの一員とし、彼ら労働運動リーダー達を経営者が雇い挙げる仕組みを作り上げた。この厳格なアメとムチのシステム日本人経営者に「生産性上昇よりも低い賃金アップ」という恩恵をもたらしただけでなく、政治運動を無視して生産性向上に集中させることを可能にした。この仕組みは韓国政府に受け継がれ、その高度成長期まではこの仕組みは維持された。』

以下結論が続くが省略する。残念ながら、この論文大学関係者以外はアクセス権がないので、興味のある方は大学図書館で以下を当たって欲しい。

A Kohli, (1994), “Where do high growth political economics come from?”, World Development.

S Haggard, D Kang, CI Moon (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a critique”, World Development

A Kohli, (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a reply”, World Development.

念のために書くが、別に権威ある意見が全てだと言っているわけではない。自分の足でデータを探して考えるのはとても大切なこと。でも、それだけではたどり着けない議論というのがあることも分かってもらえればありがたい。上で紹介したKohliは帝国主義経済発展が専門分野で、日々そんなことばかり議論する毎日を送っているはずだ。そういう人たちがたどり着いた「日本植民地政策にはありきたりのvices(悪徳)と、ユニークなvirtues(美徳)がある」という結論には、それだけの重みがあると私は思う。

2009-03-16

アキバ暮らし

東京都千代田区神田から台東区上野に至る一帯が秋葉原と呼ばれる。行政区画としての秋葉原はもっと狭い範囲を指すのだが,一般的な認識としては,JR秋葉原駅を中心に,メトロ銀座線神田から末広町までのあたりを含む地名と言えるだろう。本メモでもこの広義の用例にしたがう。

地理

JR山手線によって内神田外神田に分割され,またそれと交わる神田川によって各々2分割される。だいたいこの4区画で考えるとわかりやすい。地図上でJR秋葉原駅を原点にみたてると,第1象限が佐久間町,第2が電気街,第3が須田町で第4が岩本町となる。オタショップメイド喫茶などいわゆるAKIBA的なものは電気街に集中している。他の3つはビジネス街で,繊維や食品など軽工業オフィスが群立している。

JR日比谷線秋葉原駅に加え,都営新宿線岩本町駅が利用可能。また銀座線神田末広町駅も徒歩圏内にある。つくばエキスプレスの発車口でもある。どこに行くにしても交通の便は悪くない。

行政

区役所は九段下にある。所轄警察署万世橋。高い密度で交番が設置されており,徒歩やパトカーによる警察官の見回りも頻繁にある。公立小学校は昌平・千代田和泉と3校あり,いずれも幼稚園併設。これらは教育時間外は住民に開放され,プールや教室として利用される。公立中学校秋葉原内にはない。公園や広場といった運動用の施設については総じて乏しい。神田に区立体育館があり,水泳武道がおこなわれている。岩本町には老人保養施設がある。

数字としての治安は悪くないが,電気街方面は休日ごとに奇抜な若者外国人であふれ,若干の不安要素がある。事実,以前は空気銃の乱射事件などがあった。風俗店が軒を連ねており,屋外にまでパンツ絵を掲げていたりする。家族連れが住むにふさわしいとは言えない。4区画の中では岩本町がもっとも落ち着いている。

住居

賃貸物件が絶対的に少ない。つまり選択肢が少なく,競争率は高い。家賃ワンルームから1Kでだいたい9万前後。好条件の部屋であれば10万は覚悟しておく。それ以上のグレード,たとえば家族向けとなるといっそう競争が厳しくなっていく。貸し手が強いため敷金礼金については交渉の余地が乏しく,2ヶ月ずつきっちりとられてしまう公算が高い。ただし,小金持ち投資目的運用している貸し部屋が多く,そうした物件では話の流れでどうにかできることもないとはいえない,かもしれない。

生活

衣食ともに問題がある。ともに店が少なく,価格が高い。生鮮食料品を買うならUDX1階のワイズマートか,蔵前通りのハナマサハナマサ24時間営業だが現金しか受け付けない。どちらも単価に地代が上乗せされており,郊外スーパーでの価格が念頭にあると驚かされる。山崎製パン本社があるためか,デイリーヤマザキが高密度で展開されておりコンビニには不自由しない。岩本町から神田にかけての一帯はかつての繊維街で,紳士服の小売店がいまだに残っているが,若者カジュアルに着つぶせるような服がほしければ上野まで足を伸ばしたほうがいい。秋葉原からアメ横までは徒歩20分くらいで行ける。

家電製品に困ることはありえないが,机やタンスなどふつう家具は入手しづらい。通販で購入するのが妥当か。日用雑貨については,電気街ドンキホーテJR秋葉原駅無印良品でどうにかまかなえる。書店ヨドバシAKIBAの有隣堂神田川沿いの書泉が使える。

雑感

私はヌルい半オタで,秋葉原に住むようになったのは仕事上の都合によるもの。住み始めてから変わったことといえば,だんだんオタ趣味から遠ざかりつつあること。

祝祭空間としてのAKIBAに住んだからといって,毎日がお祭りになるわけではない。電気街の喧騒がだんだん嘘っぽく感じられてくる。美少女がにっこり笑う看板の下に山と積まれたゴミ袋,閉店してシャッターを閉めるときの店主の顔,そういったものに目がいくようになる。生粋オタクで毎日AKIBAに通っています!というような人でも,自分信仰を守りたければAKIBAに住むべきじゃないと思う。

 
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