はてなキーワード: 不細工とは
ルッキズムとかカシコい連中がゴチャゴチャ理屈こね回してらっしゃるけどよくわからん
顔いいほうが良くない?単純に
顔いいやつが得していかんの?
頭いいやつだって頭の良さで人生切り開くやん。それと何がちがうの?
ルックスの良し悪しで差をつけてはいかんけど頭の良し悪しで差をつけるのはokってのはなんでなん?
おっさんの乳首を見たくないのはおっさんが醜いからってロジックだとしたら日本人女性の大半は不細工なんだから夏場に肩露出してるような服着てる女もアウトにならない?
自分の周囲にはリベラルな人が多く、自分もまたそうである。周囲からもリベラル側の価値観を持った人間と認識されている(恐らく)
当然、フェミニズムには共感的であり、現在の日本にある数々の女性差別に憤りを覚えている。
ただ、時々、きつくなる事が有る。
ツイッターでフェミニストの女性をフォローしている。知り合いも居るし、有名なフェミニストだからと言う理由でフォローしている人も居る。
TLには「時々」くらいの頻度で女性差別に関する話題や、発言が現れる。
それを見て自分は憤り、早く世の中から女性差別が無くなって欲しいと思う。本心からそう思う。
ただ、時々、きつくなる。
そこではいずれも男性が責められている。特定の個人に絞られている事もあれば、性差別的な男性や犯罪者に絞られている事、特定の性癖の持ち主や愛好者に絞られている事、または男性全体が責められている事が有る。
段々と、参ってくる。「参ってくる」と表現すれば良いのか、良く分からない、嫌な気分になる、脳が重く茶色くなる、だろうか?分からない。
理由もはっきりとは分からない。男性全体なら兎も角、ロリコンや(自分はロリコンではない)、痴漢が糾弾されているのに、そうでない自分がストレスを感じる理由は無い筈だ、
そう頭で分かっていても、その発言に男性嫌悪を感じ取ってしまう、被害妄想だ、(いや、しかし男性嫌悪を抱える女性は実際に存在するだろうし(それが正当な事もあろう)そこで男性嫌悪の感情を表に出すために痴漢を使う事も絶対に有り得ないとは言えないのでは無いか?)などと勘繰ってしまう、それ自体救い様の無い妄想なのか、1%くらいは合っているのかも、良く分からない。
そんな懊悩は全く見せない様にして、さも「私こそ完璧なリベラルでござい」って顔で、リベラルな男性を演じている。
オタクでありながらリベラルである、というのがどういうモノであるか、イメージを出来る人がどの位の割合なのか、いまいち実感は無いが、兎も角居る。
表では、フェミニズムによる表現への批判を分かったような顔で読み、同意を示したりする。そこには本心の同意もある。
女性を蔑視する様な表現は勿論公に出す事は許されない、ゾーニングするべきだ。女性を性的に消費するコンテンツは・・・・・
考えれば考えるほど、いや、そうじゃない、考えない様にすればするほど、分からなくなる。
私は考えない様にする、ゾーニング、しかし「公」とはどこまで?ネットも?民間の組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳の女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムはアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマや俳優やほぼ全てのテレビ番組や女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?
・・・・そういう事は考えない様にする。
どうせ表には出せない、出せたとしても、何かしら上手く回避した説明や言い訳が返って来るだけだろう、そこで公正で偏りの無い答えが返って来るという信頼を自分は持てない。しかし、何故そんなにも自分はいつの間に色んな者に対する信頼を失くしてしまったのだろう・・・・。
宇崎ちゃん、キズナアイ、ラブライブ、彼方のアストラ・・・・他に何が有ったっけ?思い出せない、随分忘れっぽくなってしまった。
それらが次々に叩かれて、それに納得したり、納得できないのを考えない様にしたり、そうして納得したふりで遣り過ごして、を繰り返して。
疲れてしまった。
時々、TLにフォローしてる人がいいねしたツイートが流れて来る。
フェミニズムへの疑義や、控えめに矛盾を指摘したツイートを、あの人がいいねしている。あんなに普段リベラルっぽい人が、男性が、
とても苛烈な男性フェミニストをフォローしている。彼には私の様な迷いは全く見えない。妙ないいねも見たことは無い。
そんな彼が、最近、シスヘテロ女性やフェミニストによるトランス女性差別を厳しく批判している。
彼の態度は一貫している。私等及びもつかないほどリベラルな価値観をきちんと内面化している彼が何であろうと差別に厳しい態度を取るのは当然だろう、でも、
ふと、考えてしまう。彼もまた、フェミニズムによる男性批判に納得がいっていなくて、トランス女性差別はそんな彼の鬱憤を晴らすのに格好の機会だったんじゃないか?
多分、そんな事は無いのだろう、でも、そんな想像をしてしまう。
女性と話す事もあまり無い、仕事で話す機会もあるが、兎に角下心と思われない様に細心の注意を払う。リスクだからではない、私の様な男が女性に好意を持っている等と誤解されて、「キモい」と思われるのが怖いからだ。
私は女性が怖い。
「キモい」と思われる事が怖い、しかし、顔も、行動も、客観的に見れば「キモい」と思われても仕方が無い。
リベラルである事で得をする事は無い。当たり前だ、得をするためじゃなく、正しいと思うから、そうしている。
フェミニストっぽい発言をする時も、もちろんそうだ、それで得をする事は無い、ただ差別は有ってはならないという当たり前の信念の下に、発言をしている。
ただ、時々、分からなくなる、彼女らは俺より不幸なんだろうか?
地獄の様だった学生時代の苦しみが何も清算されぬまま、今自分は成人ヘテロ男性であり、つまり強者で、加害者で、抑圧者で、悪である。
学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女は弱者で、自分は強者である。
キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性を糾弾する。
俺は一体何なんだろうか?
ずっと罪悪感が有る。
石の様に残っているのではなく、スライムの様に、日々追加され、合体していく、TLを流れるツイートを見る度。
そう言う罪悪感を男性に持っていて欲しい女性と、そうでない女性が居る。両方居る。
片方の女性は「そんな罪悪感を持つ必要は無い」と言うだろう、でも、もう片方の罪悪感を望む女性には言及しない。ずっと、女性は見ている。
こんな事はツイッターには書けない。こんな考えを持っている事は周囲の人は知らない。迂闊ないいねは絶対にしない様にしているし、懊悩もおくびにも出さない様にしている。完璧にリベラルだと思われているだろう。
私はこれからも、リベラルを続ける、フェミニストを続ける。疑いも懊悩も表に出さない様にして、
既に若干病んでいる気もするが、離れるつもりは無い、そもそも正しいと思っているから続けている、正しいと思う物から離れる事は出来ない。
疑いを表に出して、例えば周囲の人に解決を委託する、という事もしない。
正直に言って、それが出来る程頭の良い人は居ないか、頭が良い故にそれが出来ない人しか居ないと思っている。
こんな長い駄文を読んでくれる人が居るかは分からないが、居たとして、
出来れば、この駄文を単純化したり、カリカチュアライズしないで欲しい。そういう風に書いた。できるだけ取り留めも無く、よって、感想もうまく考えられ無いような。
ありふれた話だけど、自分の顔が嫌いだ。
久しぶりに自分の顔が憎くてたまらない波が来たので、感情を小さくするために、自分の中の顔に対する思いの変遷をまとめてみた。
今となっては愚かすぎて笑っちゃうんだけど、小学生の時は自分のことを絶世の美少女だと思っていた。親に溺愛されて育ったのと、親戚にも地域にも小さい子が少なかったので、褒められる機会が多かったせいである。
しかも捻くれたことに、(自分は美人だからおしゃれなんかしなくても充分だ)と思っていて、おしゃれに目覚めて盛り上がる女子たちを小馬鹿にしていた。
その考え方はやがて女子=愚か、という結論にたどり着く。小学校高学年の頃は、男子と混ざって馬鹿な下ネタを言う自分が格好いいと思っていた。そして、体つきの変化を隠すためぶかぶかの服ばかり着ていた。つまり、小学生にして名誉男性思想を獲得していたのだ。我ながら最低だと思う。
しかし、中学生になって分別が出てくると、さすがに自分の顔が美しくはないことに気づき出し、その反動で自分の顔も体もとことん嫌いになってしまった。
毎日マスクをつけ、夏でも長袖チェックシャツに太めジーンズで、前髪を伸ばし、制服のスカート丈も靴下すれすれまで長くしていた。服屋なんて鬼門中の疑問で、滞在時間を最小にするために絶対試着をしなかったから、ジーンズの裾をいつも何重にも折り返していた。
写真にはとことん写らないようにしていたため、冗談抜きで中高の写真は高校の卒業アルバムの個人写真1枚のみである。(中学の卒業アルバムは、受け取った瞬間自分の写真を切り取ったせいで親と大喧嘩になり、貰った翌日にはもう捨てしまった。)
その頃の私が一番恐れていたのは、周囲の人に(あいつ不細工のくせにオシャレしてて、身の程知らずだな)と思われる事だった。自分の体を隠し、不細工の自覚をアピールすることに必死だったのだ。
ただ一つ恵まれていたことは、私の母校は穏やかな私立の中高一貫女子校で、私がゼロ年代の男オタクみたいな服装だろうと、毎日毎日「私不細工だから〜」というフォロー待ち感満載の発言をしようと、派手な子から地味な子までみんなフレンドリーに接してくれたことだ。(というか派手な子地味な子普通の子、みたいなヒエラルキーすらほとんど無かった。)中高時代の私が私が醜形恐怖症にならなかったのは、間違いなく同級生のおかげである。
自己嫌悪と同じくらい自己愛が強い私は、共学の大学に入学すると、オシャレへの拒否感との板挟みに苦しみながらも必死に自分磨きをした。
詳細は省くが、努力の結果、ゼロ年代のオタクから垢抜けない女子大生くらいにはアップデートできていたと思う。(ちなみに、アラサーの今までついぞ垢抜けることはできていない。)
しかし、顔だけでなく性格も悪く、社交性もほとんどないので、多少見た目が改善されても全くモテなかった。女子校時代とは比べ物にならないくらいの恋愛至上主義の中で、数年にわたって誰からも好かれないということは異常事態である。特に文系大学生にとって、彼氏ができたことがないといのは、ほとんど社会不適合者のお墨付きをもらったようなものだ。当たり前のことが当たり前にできず、みんなやすやすと飛び越えたハードルの前でいつまでも立ち尽くしている気分だった。
このモテなさを改善するには、性格をよくする努力をしたり、社交性を磨いたりするのが正しい道だとわかっている。しかし、他人と話したりポジティブな振る舞い(人を褒めるなど)をしたりすると、必ず不細工な自分が不細工な笑みを浮かべながら必死に媚びへつらっているイメージが頭をよぎっていたたまれなくなる。そして何もできなくなってしまうのだ。
大学時代を経て、顔へのコンプレックスが、容姿も含めた自分という人間全体へのコンプレックスに変わったように思う。小学校時代は明るいお調子者だった自分が根暗に変わってしまったのは間違いなく顔へのコンプレックスのせいなので、顔と性格の間に負の連鎖が生まれてしまったのだ。
その負の連鎖は今でも続いている。自分の行動がうまくいかないと、その事だけでなく自分全体を憎んでしまい、最も慣れ親しんだ顔への憎しみに帰結するのだ。仕事で失敗すると、トイレの鏡に映る自分の顔の醜さに絶望する。ちょっとした不幸(通販で失敗するとか)があると、何時間も鏡を見て、自分の顔のレベルをいつまでも考え込む。あまり他人に顔を見られたくないので、いまだに人の目を見て話せない。それどころか、不細工が調子に乗っていると思われたくないので、気持ちを奮い立たせないと自分から人に話しかけられない。
この増田を書いているのも、見知らぬ誰かに、自分は不細工の自覚があることをアピールしたいからなのかもしれない。やっぱり自分は醜形恐怖症なのかなとも思うけど、顔がいい人が醜形恐怖症になりやすいっていうのを聞くと、もう醜形恐怖症を疑うことすら調子に乗っていると思われそうで怖い。周囲の人は着々とライフステージを進めているのに、こんな思春期半ばみたいなことで悩んでいる自分の幼稚さも嫌いだ。
自分の感情を小さくするために書き出したのに、結局変に興奮してしまった。でも、朝起きてこの文章を見返せば少しは冷静になるかもしれない。明日は少々自分の醜さに折り合いをつけられる気持ちになっているといいな。
黒人見かけたらなんか怖いし
茨城出身ですって言われたらスウェットとキティのサンダルで夜ドンキに出かけてるんだろうなって思うし
北海道出身ですって言われたら内地の人間は不細工が多いとか見下してそうだなって思うし
慶応出身ですって言われたら金持ちなだけで本人は何もできないんだろうなって思うし
東大生ですって言われたらなぜかフェルミ推定大好きでどや顔で披露してそうって思うし
中卒ですって言われたら趣味はパチンコスロットぐらいなんだろうなって思うし
ただし不確定事項を元に悪意を直接本人に向けた時点で加害者側になるのだと思う
センター試験当日、移動中のバスで小学生の頃の同級生に偶然再会したことがある
地方、近所の大学が会場だったためある程度の範囲の同年代の学生が集まるのは必然ではあった
再会を喜ぶような会話をしようかとも思っていたら開口一番
「お前いつ韓国に帰んの?」と言われた
生まれも育ちも日本だが韓国人であることを特に隠してもいなかったため
小学生の頃は韓国人であることをきっかけにしたこういった会話は珍しくなかった
「家は日本にあるし、韓国語話せないし韓国に行く予定はないよw」
よくあるイジリに対して返すよう対応したが続けて、
と明らかに悪意のこもった口調と追撃があった
小学生の時に似たような会話はあったし、
高校3年生にも関わらず、無邪気に、素直な質問として出てきたわけではない
よく遊んでもいたその子の言葉に無力感を覚えて脱力したのを良く覚えている
その後もなんやかんや言ってきたが
在日韓国人であるのを理由に何か、というとこの1件ぐらいのものだ
(センター試験自体は数ⅡBが思うように解けなったことを記憶している)
子供のころ、韓国人は被害者であるように祖父が家庭内で度々話をしていた
というような図々しい態度の方に疑問を覚え始め
話半分で聞き流すようになっていった
そういう風にできているならそういうものだと納得する
と会話する度に帰化を考えるけれど、
自分自身がどうであろうと
と本人がそうであったり、そう主張しようが
いやがおうにも家庭の影響は受けるもので、
全ての中卒が勉強ができないと思うな
と言われても、はぁそうですか、である
上坂すみれファンに出会ったら素直に射精するか聞いてしまうと思うし、
AV女優と出会ったらその日にワンチャンないか考えてしまうと思う
良くも悪くも偏見と付き合って生きていくんだと思う
みなさん。reiというツイッターアカウントをご存知でしょうか?
https://twitter.com/rei10830349
ツイッタラーにありがちな生き辛さや発達障害あるあるを140字に納めた秀逸なツイートが話題を呼んでいる方です。
https://note.com/beatangel/n/n32ff4498424e
rei氏が先日投稿したこちらのnoteがあまりにも杜撰で酷いにも関わらず、多くの人の共感を呼び瞬く間にシェアされ、チー牛ミームの拡散に一役買ってしまっているこの状況に警鐘を鳴らすべく、彼の文章の基本的で根本的な誤りを一つずつ指摘したいと思います。
・rei氏は「ストレス」の語を児童虐待や親からの被虐の意味で使っているが、引用論文内では新規状況に対する精神的ストレスの意味で使われており、なおかつ被虐児は実験の対象から除外されている。
・rei氏はテストステロンが低下すると男らしくない顔つきになると主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切ない。
・rei氏は先進国全般で女性は男らしい顔つきを好む傾向があると米国の実験で確かめられたと主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切なく、引用論文はシンガポールの大学から発行されている。
・rei氏は進化論における適者生存の概念を用いているが、正しく理解しているとは考え難い語の使用をしている。
このチー牛顔の特徴は言うまでもなく、
・男らしさの特徴が薄い
・表情筋の未発達
・眼鏡
の4点に集約されるだろう。
最初から数えて三段落目の部分です。もうさあ、この箇条書きの仕方からして気にくわないんだよな。三つ目のポッチの”上記2点の相乗効果により何処か幼く見える”の項目。項目間で参照しないでくれ。せめて箇条書きから外してまとめるか、”上記2点の相乗効果により”を省いてほしい。この程度の体裁すら整えられていない文章を書く人が本を出すんですね。校閲の人は大変そうです。おや、rei氏の固定ツイートに記載してあるamazonのリンクが存在しませんね。スクリーンネームも”rei@生きてるだけで疲労困憊発売延期"となっています。何か問題でも発生したんですかね?
チー牛顔の特徴に話を戻すと、"男らしさの特徴が薄い”は後述する論文にも確からしい記述があるので横に置いておきますが、"表情筋の未発達”という表現はどう考えても不自然で、表情筋が発達しなかったら目を開けたり閉じたりできないし、ましてや口を動かして発語して「牛丼ください」なんて言えないはずなんだよな。"幼く見える”は主観的な印象にすぎないし、眼鏡をかけていることが不細工の代名詞「チー牛」の特徴の一つとまで言うのはもはやただの罵倒だろ。眼鏡っ娘を馬鹿にするな。
百歩譲って、ここまでは話題の提示部分であって、rei氏の過失ではない点が多分にあることは認めよう。
だが、ここから先で繰り広げられる、様々な論文の結論部分やrei氏の脳内妄想を継ぎ接ぎして構成されたストーリーは断じて許せない。許してはならない。てかこんな意味わからん文章を読んでへ〜なるほど!あるあるとか俺もチー牛じゃんwwwとか言ってスキ!やリツイートした奴全員どうかしてる。反省しろ。ちゃんと読め。
さて、こうした所謂「非モテ」や「陰キャ」独特の顔つきの由来については、実は実証的な研究においてほぼ答えが出ている。結論から言えば、こうしたチー牛顔を形作るのは「低いテストステロン値」「精神障害」「虐待やイジメ経験」の3要素であるが、これらはそれぞれ相関している。
らしいです。非モテ・陰キャあるあるとかいうマジでしょうもない中学生までには卒業しておきたい話が始まる予感がプンプンしますが、とりあえず聞くだけ聞いてやりましょう。
過去においてASDの原因は「極端な男性脳」と考えられ、彼等の拘りの強さや反復傾向やコミュニケーション不全の原因は高いテストステロン値にあるとされてきたが、研究の進展により近年はそれが否定され※、むしろASD男性は物理的に両性具有であることが示され始めている。身体の性的2形(身体の男性的特徴)が乏しい傾向にあることが示唆されているのだ。その1つに自閉症の顔を調べた研究があり、それによればASD男性の顔つきは「男らしくない」特徴があるという。
https://jneurodevdisorders.biomedcentral.com/articles/10.1186/s11689-015-9109-6 (論文a)
rei氏のnoteに言及した人はここで挙げられている論文aを全員読んでいるはずなのですがもしかしたら忘れてしまっている人もいるかもしれないため改めてざっくり説明します。チー牛画像の説明でrei氏はなんの根拠も明示せずに男らしくない顔つきである、と断定していましたが、この論文aはなんと、「男らしい顔、女らしい顔とは一体どんな顔であるのか?」という大変根元的な問いについて画像解析を用いて答えを出しているんですね。ふむふむ、どうやら男性は女性に比べて額の幅が広く、鼻は飛び出てて横幅も広いらしい。 で、次の実験②で、自閉傾向の強い人と弱い人とで顔つきの特徴を比較してみたところ、自閉傾向が強い男性は弱い人と比べて額の幅が小さかったり鼻先が飛び出してなかったりしたと。なるほどこれは確かに男性的な特徴とは言い難い。逆に自閉傾向の強い女性については、より額の幅が大きかったり鼻の幅が大きかったと。ここまでデータを見せられたらさすがに自閉傾向のある男性は男性らしくなくなり、女性の場合だと女性らしくなくなると納得せざるを得ませんね。ASD男性は性的二型(生殖器以外に男性と女性を区別する特徴のこと)に乏しく両性具有の外観をもつ、ええ、rei氏の言いたいことはわかりましたよ。じゃあ次の段落へいってみましょう。
また発達障害男性の顔つきが「男らしくない」事に関して、環境の影響を示唆する研究もある。恐らくこの記事を読んでる方の半分ぐらいは心当たりがあるだろうが、発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスはストレスホルモンであるコルチゾールのレベルを高くし、コルチゾールのレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。
えー、まず、発達障害男性は幼い頃から学校や家庭で加害され、そして精神的ストレスや肉体的ストレスに晒される傾向がある、きっと読者の皆さんも身に覚えがあるでしょう?とrei氏はおっしゃるわけですが、いくらその主張が正しくても、その根拠は自分の人生で起きた主観的な事実というたったサンプル数1の寄せ集めなわけですから、読者の共感を喚起したところで、発達障害男性全体の傾向や、発達過程における諸要素間の相関や因果関係といったマクロの話には全然繋がらないでしょう。
また、この「ストレス」という単語について、引用されている論文bでは、いやそもそも彼は論文の引用のルールすら守ってないので、この論文bが本文のどこと対応してるのか全然わからないんで、マジでこのリンクはたまたま偶然横に貼られている本文との関連性が一切見当たらない論文のURLなんですけど、えっじゃあさっきまでわざわざ論文を読んでた俺バカじゃね?学術的な考察を武器に世相を舌鋒鋭く、そして時には優しく切り込んでいくインターネット論客期待の新星っぽい雰囲気にまんまと騙されてんじゃんうわ恥ずかし!えっとなんでしたっけ、そう、この横にペっとはっつけられてる論文における「stress」とは、自閉症児が苦手とする経験したことのない新しい状況や環境のめまぐるしい変化といった意味のストレスなんですよね。introductionのパラグラフ二つ目、
"Individuals with autism are commonly observed to react abnormally to environmental changes or novel situations that might not be stressful to others. “
って書いてあるじゃないですか。ところでrei氏の言う「ストレス」ってなんでしたっけ?"発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスは"–––––––って、ええ!論文の「stress」と意味が全然違うじゃないですか!しかも実験の被験者のうち虐待やネグレクトの経験がある子供は除外されてるんですよね。Participantsの段落に、
"Children were excluded if they had a history of abuse or neglect."
ってちゃんと書いてあるんですよ。
本筋と関係ないので手短に実験の内容をまとめると、自閉症の小児について、コルチゾール(ストレスに応答して分泌されるホルモンの一種)の値を安静な状況、新しい環境、採血後のそれぞれで測定してみたら、発達障害の既往がない人よりずっと高い数値を示したんだってさ。
rei氏はコルチゾールが高くなると男性ホルモンのテストステロンが下がる、って書いてるけど、残念ながらこの論文bにはテストステロンのテの字も書いてないんだわ。Ctrl+Fで単語検索してもテの字も引っかからなかったんだわ。でさ、俺こんな場末のインターネットでネチョネチョしちゃってるけどさ、曲がりなりにも医学部通ってて、手元に教科書とかあったりするのよ。ギャノング生理学原書25版、CHAPTER20、副腎髄質と副腎皮質の章、433ページ。"副腎アンドロゲンの分泌は急性にACTHにより調節され,性線刺激ホルモンによって調節されない.”と書いてあります。テストステロンはアンドロゲンの一種。ACTHは副腎皮質刺激ホルモンの略称で、コルチゾールやテストステロンを分泌させるのに働くホルモンです。教科書のこの記述から類推するに、コルチゾールも糖質コルチコイドもテストステロンの分泌には関わってなくね?や、もしかしたら教科書の隅から隅まで読んだらちょろっと一行書いてあったり、コルチゾールが高くなったことでフィードバック機構が働いて副腎皮質刺激ホルモンの分泌低下が引き起こされて結果的にテストステロンが下がったりするのかもしれないけど、rei氏はどこにも出典を明記せずに本文中でいけしゃあしゃあと"コルチゾールのレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。"なんて書いてやがるわけですよ。許せなくない?ありえんでしょ。なんでわざわざこいつのデタラメもデタラメ、エロゲで鍛え抜かれた迫真の想像力で快楽排泄した駄文に付き合っていちいちファクトチェックしないといけないんですか?そうだ、reiさん。医学部レポートコピペ学科の学生に任せてみたらどうですか?少なくともあなたよりロジカルで科学的に正しい文章を書いてくれると思いますよ。なんなら紹介しましょうか?彼らは優秀で知性溢れる優しい友人がいるおかげでいつも成績は満点みたいですしきっと心強いと思いますよ。ところでreiさんにはいるんですか?優秀で知性溢れる優しい友人。いえこれは単なる興味です。
次の段落行きましょう。まだまだありますからね。先は長いですよ。
更に上記取り上げた海外チー牛ことThe Virgin Walkに関しても、インターネット等で語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」などの特徴は発達障害の運動協調の苦手さや感覚過敏や身体感覚の不全等の特徴と1致する。
https://www.scientificamerican.com/article/autism-in-motion-could-motor-problems-trigger-social-ones/ (記事c)
なんなんですかね、この抜け字。めちゃくちゃ気になっちゃうんですが。話の流れで飛ばしちゃったけど、なんかチー牛ミームの類似品は海外にもあるらしいですね。俺は細かいところが気になる性分なので、The Virgin Walkの画像を見せられた後に”インターネットで語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」"なんて書かれるとつい画像の中の英文と対応してるのかな〜なんて思っちゃうんだけど、全然対応してなかったです。じゃあこの例にあげてる印象ってどこの誰が言ってるんですか?対応してないっていうので言えば、ここで発達障害の特徴をいくつかあげてますけど、運動協調の苦手さ、身体感覚不全、まあ上述の印象と概ね一致するとしましょうよ。でも感覚過敏はどれとも対応してないですよね?何と何が一致するか、そういう細かいところキチッキチッと詰めていきましょうよ。文章はグルーブ感が大事なんですから、この後きっとこうくるだろうなという読者の予感みたいなの丁寧に扱ってあげましょうよ。リンク先の記事cについては特にコメントないです。自閉症児の多くは運動機能の発達や社会性の発達に障害を抱えるよ、くらいのことが書かれた科学ニュース記事で、論文とかじゃないですし。あ、でも自閉症児の運動障害が社会性の発達に悪影響を及ぼすという理論に、そもそも社会性の発達より運動機能の発達の方が時系列的に先に生じるからそう見えるだけなのでは?と反駁している記述とか、自閉症患者の困難は取り入れた視覚情報と運動性・社会性とを接続させられない点にあるという指摘は面白かったですね。はい次!
またこれは研究事例を示すまでもない事であるが、人間は自分の言動を揶揄されたり叩かれると自分に自信がなくなり、表情が暗くなったり、あまり表立って活動しなくなったり、人との関わりに消極的になってしまう。その為、こうした人間は表情を使う機会が乏しくなり、表情筋が発達しなかったり、表情をノンバーバルコミュニケーションとして使う経験が蓄積されず、表情が常に無表情気味かつ幼くなってしまう。
いや、研究事例はちゃんと示そうよ!まあ書いてあることはわからんでもないよ、わからんでもない。上司や先輩に怒られたり同級生にバカにされたりインターネットで誹謗中傷されたら凹んじゃうよね、引きずっちゃうよね。ウンウンわかるわかる。それはそれとして、この段落後半、同じことの繰り返しになっちゃってません?「顔の表情を使う機会が乏しくなる」、「顔の表情筋を使わないから発達しない」、「表情を使う経験が蓄積されない」、「表情が無」。極め付けには「顔が幼い」と、今まで一度も論じられてない幼さという主観的な形容詞を持ち出しちゃってます。GooglescholarやPubmedを使いこなしありとあらゆる論文を引用して鮮やかなストーリーを提示し、英語はおろかちょっと黒々とした文字の集合体さえ読めないパンピを納得させてみせるrei氏が、こんな小学生みたいな感想文をうっかり混ぜ込んでしまうなんて、とても私には信じられません。きっと何かの間違いでしょう。
まとめれば「発達障害男性は幼少期から多大なストレスに苛まされる事によってテストステロン値が低くなり、また人間との接触を避けるようになってしまい、結果として顔は男らしくなく、表情筋が発達せず幼い印象の顔になってしまう」という事だ。尚これは傾向の話であり、チー牛顔である事イコール精神障害であったり、虐めや虐待経験があったりする事を意味しない。
ツッコミどころが満載のまとめですね。簡潔にいきましょう。
・rei氏はストレスの語を、援用した論文とは異なる意味で使用している。
・rei氏は発達障害男性のテストステロン値が低くなる根拠を示していない。
・発達障害男性の顔は男らしくない傾向にある、と解釈できる論文はあるものの、rei氏が主張するところの表情筋の発達とは関係のない目や鼻や額といった器官そのものの位置に関する論文である。
・rei氏は、発達障害男性の顔が幼い印象を与えることについて言及する記事や論文を示していない。
腹立つのがさ、あくまで傾向の話なんですよ〜私はチー牛顔は精神障害者とは一言も言ってませんよ〜って逃げ道じみた一文を付け加えてるところなんだよね。何が原因で何が結果である、みたいな因果関係ってすごくややこしいじゃん。すぐコロッと逆転させちゃったりするじゃん、人間は愚かなので。今書いてる俺も、うん?どっちが先なんだ?って立ち止まっちゃうともうダメ。あーもう、こっすいよなあ、この一文を付け加えるだけで責任逃れられるみたいに思って書いてんですよ、この人。こんだけ嘘や誤認を誘導する駄文書いといて、「いや俺はそこまで言うてませんから、ほな^^」みたいな態度、要は舐めとるんですわ。文章を書くということも、読者のことも、発達障害者のことも、生き辛さを抱えてる人たちのことも、毎日研究室でせっせとデータ取って論文読んで人類の知の水平線を広げんと奮闘してる研究者のことも。腹立たしい。論文読むならちゃんと読め、使うならちゃんと使え、筋の通ってないこと書き散らかすな、知の冒涜も甚だしい。
入りきらなかったので後半に続きます