はてなキーワード: 不細工とは
職場で同じ課に若い女子社員が2人いるのだが、片方の子(見た目ふつう 痩せてる)がミスしたときは「ちゃんと確認した?前にも同じミスしてたよ 何度も同じ失敗は駄目だよ」と普通に怒ってしまう
もう片方の子(ちょいブサ 巨乳)が同じようにミスしてもついおっぱいに免じて許してしまう
口では「〇〇さんこれ違ってない?気を付けてね」って優しく注意してあげるのだが、自分の脳内では「大きなおっぱいが邪魔で手許の書類がよく見えなかったんだよね仕方ないね」とセクハラに近い発言をしてしまっている
やんわり注意しながらも視線はずっとおっぱいを注視してるから向こうもおっぱいを見られていることに恐らく気付いていると思う
自分は注意するフリして大きなおっぱいを真近で見ることが出来るので幸せ、ちょいブサの子も自分のおっぱいのおかげで上司にあまり怒られないですむので幸せ
おっぱいのおかげでwin-winな関係が築かれているのだなぁとしみじみ考えてしまった
【追記】
酷い叩かれようなので少しだけ反論させて頂きたい
私の文章の「巨乳」を「美形(または美人でもいい)」に置き換えて考えてみる
美男美女に対して、業務上でより丁寧な対応をとったり親切にしたりしたことが一度もないと言い切れる人が一体何人いるだろうか
「私は容姿で差別はしない 不細工だろうがイケメンだろうが対応は一律だ」と言い切れる聖人君子ばかりのはてな そんなのあり得ないでしょう
容姿に関する依怙贔屓はOKで巨乳に対する依怙贔屓はNG⇒どっちも見た目の問題でしょう であればどちらもNGのはずだ
顔をじろじろ見られるのは不快じゃないけど胸をじろじろ見られるのは不快⇒あまり興味ない女性に顔をガン見されるのはイケメンさんにとっては不快ですよ
人気とお金があっても、顔があちこちで売れていればいわゆる有名税というのはいっぱいあると思うよ。ネットでの誹謗中傷もあれば、プライベートでも誰かに見られていると思うと自由に動けないとか。
むしろ匿名でここにいろいろ吐き出してすっきりできる無名の増田たちの方が気楽かも知れない。不細工だろうが貧乏だろうが毒親に困らされていようが、ここは不幸のデパートだから、だいたいの人たちは自分より不幸な人を見つけて少し楽になれるんじゃないかと思う。
私は女なのでアイドルとか女優の美貌やスタイルを羨ましいとは思うが、芸能界のように平均レベルの高いところにいると、容姿を維持するための努力が大変だし、枕営業までして仕事をとらないといけないこともあるようだし、あまり楽しくなさそうな業界だと思っている。普通の人ならでの気楽さや幸せというのがあると思うよ。
まず、以下の文書では「インセルから卒業する(しようとする)」事を仮に「良い事」だと定義します。
さて、今回あなたは不幸にも顔面偏差値が40以下のいわゆる「不細工」として生まれてきてしまいました。
両親の仲は悪く、あまり頭もよくありません。悲しい事に人に自慢できるちょっとした特技すら身に付けられませんでした。
同世代の異性からは邪険に扱われながらもすくすくと育ち、気がつけば30歳の誕生日を迎えます。
次第に、周囲とのコミュニケーションや恋愛を卒なくこなす同性や異性への不満を募らせます。
そんな中、あなたはインターネット上で強くシンパシーを感じるコミュニティに出会います。
そこでは恋愛やルッキズムに批判的なリーダーを中心として、異性に対する誹謗中傷が渦巻いていました。
あなたはコミュニティに向けて「今までずっと感じていたが、周囲から共感を得られなかった事」を吐露すると、想像以上の温かい同調が返ってきました。
今まで感じた事のない、未知の欲求が強く満たされるのを感じます。
あなたはついに精神的な拠り所、「居場所」と「仲間」を見つけたのです!
よかったですね。
しかし、あなたはここからこのコミュニティを卒業しなければいけません。
唯一無二の「居場所」を失うかもしれません。
あるいは、コミュニティに所属しつつ、「仲間」を裏切る形で影でコソコソ努力をするのか?
そんな度胸があったらもっとマシな人生を送れていたかもしれませんね。
とはいえ、同世代の異性や同性とは既に覆せないほどのビハインドが付いているのが分かります。
さて、ここからあなたが「インセル」コミュニティを効率的に卒業するために必要なものは一体何でしょうか?
答えはCMの後で!
増田やSNS見てたら男も女も「女はメダカやフナのようにいい男がいたら平気で裏切ったり顔や家柄や金で股開く生き物だ!」とか「男なんて女をモノや動物扱いしかしてない軽薄な畜生だ!」っていうような過激な思想にまで陥ってる人間って
とてつもない貧困とか、醜男や醜女とかでもなく「本当の意味での才媛才男エリートやリア充には歯が立たないが、かといってそこまで悲惨かといえるほどの境遇でなく、寧ろ中途半端に顔や能力は平均よりやや上」って層が大半なんだよね、努力では届かない限界の先に自分がなりたい理想像を見出しちゃってるアッパーマスみたいなのが多い
寧ろ最初から「俺(私)すっげー不細工だから結婚諦めてます」くらいの人たちの方が心に余裕があって友人とかも多い場合がかなりある。
別にそんだけの能力や地位があるのなら、普通にしてれば普通にモテそうな人たちに限って、なんでそんな愛憎と執着に狂って悲しいモンスターになってしまうことが多いんだろうか?
【7/7追記】
まさかぽっと吐き出した感情にここまで反応が来るとは思わなかった
自分はいわゆるジャニーズや若手俳優に沼ったことが一度もなく、ジャニーズや2.5次元系の若手俳優たちに散財している同性たちを見て「なんでこの程度の顔が悪く頭も悪そうで裏でファンの女と繋がっててたまに性犯罪事件を起こす男たちにバカスカ金出せるんだ?」と疑問に思ってたし、それなら韓国アイドルやLDHはどうだと思って覗いてみたがハマれなかったので、自分はイケメンにはまったく興味がないタイプの女なんだな…と思ってきた
それが中国男性アイドルたちを見て彼らを知ってからからは一変し「私は本当のイケメンに出会ってなかっただけだ」と気づいてしまった
ジャニーズを応援している方々は親しみやすいかわいい男の子が好きなんだろうが、私は目が覚めるような圧倒的な美しさに凌駕されたい派でした
それだけの話なのかもしれない
あ、全員整形だろって書いてる人がいたけど整形じゃなさそうなんだよね 微博に流出した幼少期や高校・大学時代の写真を見ててもデビュー前はちょっと芋くさいだけでメスはいれてない顔だった
とにかく中国男性アイドルたちに出会ってからは私もイケメンが好きな女だった!と新たな発見があったし、彼らの活動を毎日見守るのが楽しくて生きるのが100倍楽しくなった
顔よく美しく中身も人ができていてお芝居がも上手な男、最高の存在です
↓↓以下昨日の文↓↓
ここ5年ぐらいの間に中国の男性アイドルカルチャーが盛り上がっており、
全員180㎝以上の身長、高い演技・歌唱力、凄まじく美しい顔、学歴アリというスーパーイケメン揃いで
彼らばかり見ていたらジャニーズや日本の若手男性俳優が芋に見えてきて
世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分の思考を言語化する目的で表題について考えてみることにする。
冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。
かなり幼い頃から自分は不細工だと認識していたし、運動もからきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。
ほとんどの男子児童は小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。
ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。
口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手が複数になると大体泣かされて帰宅していた。
男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。
やや特殊な環境で、中学は完全に男子校、高校は女子もいたが全体の10%前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)
高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリーのクラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。
そんな理由で、高校は男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。
ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。
私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。
恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまでネタとして捉えているオタクが自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。
ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分を男子校出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。
「クラス対抗競技で女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしまう自分にも気づいていた。
総括すると、ややマイルドなホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。
男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。
そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。
そういう懐の広さが男子校の良さだった。
男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。
ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。
一定の人々は、そういう排他的な感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。
もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。
さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学に入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。
社会のメジャーな領域において女性が男性よりも不利な立場にあることは理解している。
しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。
日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。
男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。
だから、メジャーな領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストのわずかな瑕疵やオタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。
女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニストを批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。
多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストをフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰だからである)。
そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性のホモソーシャルを攻撃していることにも。
第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義でしかないのだと考えた。
私のフェミニズム的思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。
(ちなみに私はシスのストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情は女性にしか持ったことがない)
つまり身体性から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。
だから、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものはガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。
私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。
第二に、女性だけが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。
私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである。
そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性だけが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。
何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。
弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。
実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。
相手が女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。
性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。
男性の多くはセルフケア能力も性的に興味がない他人をケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。
基本的に男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。
だから、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。
もちろん、ケアをする能力というものを女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性に相談するという女性も多いのだろう。
それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。
しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。
男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。
自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。
結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものでしかないのだ。
自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。
少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性はGLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。
ストレートの人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。
男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーでしかない。
男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。
あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルにインコレクトで不健全なものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)
愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。
私はやっぱり異性の恋人が欲しい。
生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。
何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。
大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業したころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。
まだ若い頃の話。天性のコミュ障に加え前職の家族経営型ブラック企業のトラウマで超絶コミュ障に陥っていた私は、なにか失敗をするとフリーズしてひたすら謝るしかできなくなっていた。少なくとも職場で大人がする態度ではないひどい振る舞いだけど、本当に会社や会社の人が怖くて仕方なかった。けれど、上司はそんな私に呆れたりキレたりすることなく、まるで子供に諭すように冷静に、ミスを責めるつもりはない、どうしてそう考えたのかを知りたい、と言った。びっくりした 会社というところでそんなに理性的なやり取りがあるものなのかと 私は一発で彼の役に立ちたいと思ってしまった。それからは必死だった。新しい仕事を覚えて、少しでも多くの量をこなそうと、ない頭をフル回転させて仕事にあたった。それなりに成果は出たと思う。上司に褒められたかったし、なんでもはできなかったとしても何か光るところのある部下だとは思われていたかった。ただ提出物にOKをもらうだけで一日中じんわりとした喜びがあった。おかしな思慕をしている自覚はあった。でも、私は不細工だ。生来の発達気味なのもあって全体的に清潔感がなくてぐちゃっとしている。このままではよくある「キモい社員に業務上必要な程度の愛想で接していたら惚れられた」ってやつになってしまう!だから極力感情を出さずに、業務上最低限の会話しかしないようにした。まあバレバレだったかもしれないけれど。それから少しの年月がたって、会社はゴチャゴチャして、上司は転職していった。それを聞いてからはほぼ病んだと言っていいぐらい落ち込んだけれど、とても月並みな感謝を伝えて見送った。最後に上司は一言だけとても嬉しい言葉をかけてくれた。その言葉は今でも心の支えになっている。いまその上司がどこで何をしているかは全然知らないけれど、幸せになっていてほしいなと思う。あなたと仕事ができて、幸せでした。ありがとうございました。
はじめてのコミケで本が売れた。
生きててよかったと思った。(※ここからは本人特定されないために嘘も混ぜるがそこは許してほしい)
ずっとダメ人間だった。顔は不細工。もう女子とは学校を卒業してからほぼ話してない。
リーマンショックのせいで、ブラック企業に偽装請負で働いてた。
それでメンヘラになった。
それで4年間ひきこもりをやった。
自分は何も残さず、家族に寄生したまま死ぬんだろうと思ってた。
怖かった。
家族が死んだあとどうするんだろう。自分も後を追って死ぬかとか考えてた。
自分にも夢があった。
西尾維新とか奈須きのこみたいな作家になりたいとかずっと思ってた。
でも新人賞への小説を一作も書かずどうせ無理だろうと思ってだらだら過ごして、アニメを見たりラノベを読んだりして青春は終わった。
そんななか創作クラスタをずっと、「うらやましい。でも失敗しろ。お前らなんかどうせプロになれず終わるんだ」と呪詛と羨望を混じった眼で見続けてた。
twitterで「こんなに絵がうまくなりました」っていうツイートが流れてきた。描き始めの絵と現在の絵の差をみんなで楽しむって企画。名前は伏せるが、大嫌いな絵師の絵が流れてきた。いけ好かないリア充野郎だと思ってた。
悔しかった。
最初の絵はノートに鉛筆で描かれた落書きだったのに、現在の絵はラノベの表紙に使われてもおかしくないクオリティだった。
その日から、一か月ぐらいずっと、悶々と考え続けてた。あいつはプロになるんだろうか、漫画家になるんだろうか、失敗したらいいのに、炎上して消えればいいのに、そんなことばかり考えてた。
そして、俺は、自分も絵を描くことにした。なんでそう思ったのかわからない。ネットに乗ってる、サルでも描ける萌えキャラの描き方講座を読み、コピー用紙に萌えキャラを鉛筆で描き始めた。
あれはきっと逃避だったんだと思う。自分の将来と向き合うのが怖かった。だから美少女に救いを求めたんだと思う。我ながら馬鹿だと思う。
最初の一か月はつらかった。どんなに描いても人間の顔にならない。美少女を描こうとしてるのに不細工どころか人類の顔になってくれない。何とか人間に見えるようになるのに1か月かかった。
ネットの情報を見ていると、萌え絵を描くにはどうやらパソコンとペンタブが必要だということがわかってきた。お絵かき用のPCとを調べてみたら、7万円はかかるということが分かった。
気が付いたら、アルバイト雑誌を入手し、アルバイトを探していた。
アルバイトを探している、と言ったら年老いた両親が驚いていた。
医者も驚いていた。
家の近くのコンビニバイトを探していたが、引きこもりオーラのせいで全部面接で落ちた。
唯一受かったのが、コンビニに調理パンを卸している食品工場のバイトだった。
一日7時間。深夜勤、時給1000円で7000円を一日で稼げた。
ずっと立ちっぱなしだったが、1か月でPCとペンタブとペイントソフトが買えた。
そうして気が付いたら社会復帰していた。
毎日昼の15:00に起きたら絵を描いて、夜の21:00に出勤し、終わったら寝る。そういうダメ人間の生活を2年ぐらいやった。
絵は下手くそだったが、お絵かきアカウントを作り、ネットにアップするようになった。
このころから、新しい友人がネットででき始めた。中にはフォロワーが1万人超えのような上級絵師さんも相互フォローになった。
アップした絵が初めて10RTぐらいされるようになったのもこのころ。
そうしたら、会社から「正社員として働かないか」と言われた。本心は嫌だった。創作に使える時間が減るから嫌だったのだが、会社は先に親のほうに話を通してしまった。こうなるともう正社員として働くしかなくなってしまった。ひきこもりとして実家に寄生しているのに「絵を描く時間が減るから嫌なの」とか言えるわけがない。いやいやながら、正社員になって働くことになった。絵を描く時間が一気に減った。一日一時間ぐらいしか描けなくなった。そんな日が2年続いた。
気が付いたら、預金残高が300万ぐらいたまってた。家に住んで近くの会社で絵ばっかり描いているし、生活費を払っても自動車も買わないのだから、それぐらい溜まる。
それからさらに数年。そして俺はコミケに出た。本当はずっと出たかったのだ。創作クラスタが11月と6月になると「東ア‐12」とか名前の横につけるのがずっと格好いいと思っていた。でも、1部も売れなかったらどうしようとも思っていた。ネットで一部も売れなくて重い在庫を持って帰るとか、そういう話を読んで怖いと思っていた。でも、預金残高を見て、売れなくても大丈夫だと考えなおした。
で、申し込んだら最初は落ちた。
二回目で初めて通った。
そこから「初めてのコミケのサークル活動」みたいな記事を読んで必要な物を一式買った。
ポスタースタンド、防炎加工の敷き布(いわゆるあのぬの)、カラーのポスター、小銭入れ。そういう物を買うたびに、不安が募っていった。
それで初めてのコミケ。
最初の一時間は全く売れなかったから、「ああ、やっぱり。不安的中しちゃったよー。もう止めとけばよかったよー」とそのまま帰って寝ようと思った。
社会と初めてつながったような気がした。
買ってくれた人に「ありがとうございます」と心から言えた。
数十部売れた。
生きててよかったと思った。
自分はコミケとか創作とか、そういうのがなければ、ずっとひきこもりだったのだと思う。
あそこがあるから生きていられる人はきっとたくさんいると思う。