はてなキーワード: 不利益とは
怪しげな儲け話などはさすがに信用しないが、基本的に、人が発した言葉(口頭、メールやLINE等の文字、etc.)をそのまま信用してしまう。
ビジネスの世界においては不利なことだらけだが、仕事は会社員だから自分1人だけで抱えることはない、よって会社員生活にはあまり支障はない。
対して人間関係においてはどうだろうか。
もう随分昔、学生時代のことだが、見知らぬ老人に現金25,000円を騙し取られたことがある。
(その老人は後日逮捕された、詐欺・窃盗等の常習犯だったらしい)
冷静に考えればおかしな点だらけだったが、当時の私はその老人の言葉を素直に信じ、結果現金を騙し取られるという被害に遭ったのだ。
事例は他にもあって、同じく学生時代、仲良くしている女の子(仮にA子とする)がいて、早い話好きだった。
そしてAの友人で私とも面識があるB子がいた。
私はA子のことが好きで、B子はA子と仲良し、そしてB子は私のことが好きだった。
私はB子にはさして興味なかったので、その申し出はお断りをした。
B子からは「増田には幸せになってほしいから増田のことを応援する」などの言葉があり、「ふられはしたが最もよき理解者でありたい、あわよくばそこから再び恋人の座を奪ってやる」という感じだったか。
未練的なものは感じたが、人間ならば誰もが抱くであろうものくらいにしか思わず、特に疑問も抱かなかった。
そして次に私が動いた。
A子と2人で会いたいと持ちかけ、実際に楽しいデートができた。
デートでは相当にいい雰囲気となり、いわゆる「OKサイン」も多々あり、その後機は熟したと判断した私は告白に踏み切ったが、結果は撃沈。
それどころかA子とB子、2人示し合わせたかのように共同して私を非難し始めた。
非難の内容は、「私がB子に対してひどいことをした」的なものだった。
はっきりってそこまで言われるほどのことはしていない。
つまり端的に言ってしまえば、B子は私を理解しているふりをしながらA子との関係を妨害し、さらにA子をも巻き込んで私に対して腹いせをしてきたのだ。
そんな予測も立てられず、B子の言葉や態度を安易に信用した私、そしてそれを見事に裏切られた私。
お金は取り返す方法があるが、人の気持ちは何をしても取り返すことはできず、詐欺被害のときとは比べ物にならないほど傷ついた。
また、程度の問題はあるにせよ、一時は自分が発達障害(「言外の意味を理解できない」ってやつ)なのではないかと疑ったほど。
障害ではない(本当に大学病院で数時間かけて検査を受けた)が、理解しづらいことは間違いない。
だが、それでもなお「人を信じたい」欲求がある。
人を信じて、信じて、信じ抜いて、最後には相手もまた自分のことを信じてくれたなら、これまでに経験したことのないような幸福感が得られるのではないだろうか。
前出の例のような、色恋の場面においても、簡単に相手の言葉を信じてしまうから、駆け引き的な意味で圧倒的に不利で、うまくいくものもいかず、ずっと自分の首を絞めてた。
そして今、好きな人がいる。
しかし、相手がこちらを思いやるような言葉があっても、過去の経験からどこか疑心暗鬼になってしまうときもある。
あるいは、それらの言葉は、あたかも営業トークのように、大半が本心ではないのかもしれない。
ただ、本心ではないのにわざわざこちらを思いやるかのような言動をするのはなぜ?
もしそこで「勘違い」されたら最終的に不利益を被るのはあなた自身なんだよ?
私の常識で相手をはかってはいけないのと同じで、あなたの常識で私をはかってもいけないんだよ?
私はもしかしたらあなたの言外の意味を理解できないかもしれないのだから。
それでもなおその人を信じたい、信じ抜いて最後には信頼を勝ち取りたい。
・夫と揉めるのが嫌で夫婦別姓にしたいと言えなかった。夫が配慮して尋ねるべき。
・痴漢がなくならないのは男に痴漢は犯罪だという意識が薄いから/男が痴漢の取り押さえに協力しないから。
・女性は本当は化粧なんかしたくないけど「女は化粧をするもの」というマナーを男に押し付けられて仕方なくしている。
・共働きなのに夫が家事をしない。家事は女の仕事という価値観が云々。
その他挙げればキリがないんだけど、「女は男のせいで苦労/我慢を強いられている」という認識でいる人がものすごく多い。で、「女性を抑圧から解放するために男がなんとかしろ、協力しないやつは死ね」みたいな調子なのよ。
言えよ、話し合えよ、としか言いようがない。それに、男女問わずいろいろな理由で同姓を好む人も多いわけで、夫の側だって「別姓にするかとか言い出したらかえって傷つけるかも」とか思ってあえて言い出さなかったかもしれない。とにかく話し合わないことには始まらんだろ。現実的に男の姓に寄せるのが一般的で、男としては別姓にすることでメリットもデメリットも特にない、つまりどっちでも一緒、となれば別姓にしようとかわざわざ提案する理由がないわけ。
これは本当によく見かけるんだけど、まず痴漢本人ですら痴漢は犯罪だなんてよくわかってるわけ。そして男の大半は痴漢をしないし痴漢をしようとも思わない。なので妻や娘が被害にあってるのでもない限り、言い方は悪いけど他人事なわけ。他人の厄介事にわざわざ関わりたくない人が痴漢事件に限らず多いというだけ。カツアゲの現場を目撃したって特に都会では大半の人間は見て見ぬふりだろ。目の前で人が刺されてるとか、車に轢かれたとかならともかく、ケツを触られてるとかだと、カップルがイチャついてるだけなのか痴漢なのかもすぐにはわからない。
時と場合に応じてある種の身だしなみが求められるのは女に限らない。男だって背広を着たくて着てるんでも、短髪黒髪73分けにしたくてしてるんでも、髭を剃りたくて剃ってるんでもないわけで。まして、男が女に化粧を強いてるわけでもない。女の皆さん、「さっぱりした髪型で小奇麗な服装の男」と「ジャージに無精髭、ボサボサ頭の男」、言ってることとやってることが同じなら同じように扱いますか?と聞きたい。
単に、多数の人が好む(もしくは習慣的にそうしている)ことを拒んだら変わった人と見られるという当たり前の話で、そういう社会的な抑圧をなくしていこうという話ならわかるけど、少なくともフェミニズムの文脈で主張することではない。
化粧がしたくなければしなければいい。まず自分が実践して、それを普通にしていけば良い。
文句も言わずにやってるなら、それ自分がやりたくてやってるだけじゃん、ということ。夫婦なんだから文句を言えよ。公平に分担しないなら一部なり全部の家事をやめれば良い。自分が選んだだらしない夫の価値観を男や社会全体の価値観にすり替えるな。
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保守的な価値観を変えたい、という方向性は結構なんだけど、なぜか無理やり「男に抑圧されたかわいそうな女」vs「女を抑圧して得している男」という構図に持ち込もうとする。それでいて、どうやって変えるのかという話になると男におんぶにだっこなわけ。
「男に抑圧されたかわいそうな女」vs「女を抑圧して得している男」という構図は事実として成立してないので、話にならない。
保守的な価値観を変えるということであれば、そのように啓蒙すればよい。ただ、社会的な価値観や慣習はちょっとやそっとでは変わらないし、まず自分が実践しないことには説得力もクソもない。実践すると当然周囲と摩擦が生じて短期的には大なり小なり不利益を被るわけ。でも「普通はそうするから」というだけで普通になってることを変えるには、それを普通じゃなくするしかない。
なぜかフェミニストにはそういう覚悟が皆無なの。一切の不利益を被りたくないから自分は変わる気はない、だから他の誰か頑張って!って、赤ちゃんかな?
SI派遣の財務とか人事やってる増田だけど、派遣される技術者の場合、以下のどっちの条件が良い?
1.
仕事が無くなった場合、報酬も0となる(正社員に一方的な不利益変更は認められていない為、契約社員という雇用形態)
研修無し
2.
仕事が無くなった場合、休業となる。その場合、報酬は過去の2/3となる
年度末に会社の利益が1.のケースとの差額分生じた場合、それを決算賞与として支給する
まぁ結局のところ朝三暮四で、ハイリスクハイリターンか、ローリスクローリターンのどちらを取るか、なんだけどね。
どっちもクソという回答はご遠慮いただきたいです。
当社は2のパターンなんだけど、後で派遣単金とモデル賃金出しますね。
3/6 23:55 追記
派遣単金等々書きました。
「相手の属性によって扱いを変える」のは、人間にとってごく当たり前の基本行動だろ。
なのに、それで気に食わない事がある奴が「差別だ!」と武器のように都合よく使うから訳が分からなくなるんだよ。
もともとは、部落差別で一生ろくな扱いを受けられなかったり、黒人差別でやはりろくな扱いされず下手したら殺されたり、なんて「ひどい差別」がまかり通っていたから、「差別はダメ、絶対」だったんだよ。
自分が悪くないのに、一生不当な扱いで"まともな"人生を送れないなんて、この現代で許されないから「差別はダメ、絶対」なわけ。
割引がないだの、車両が別だの、も、そりゃ差別ではあるわけだけど、だから何よ。そんなことで「ひどい差別」を利用するのは「ひどい差別」を軽んじる事でもある。
軸 | ひどい | 良くない | どうでもいい |
---|---|---|---|
誰がやってる差別か | 行政 | 企業・公人 | 私人 |
どういう属性での差別か | 生まれつき | 変更が難しい | 変更が容易 |
差別で受ける扱い | 人生に大きく関わる不利益 | そうでもない不利益 | ほとんどない。区別されてるだけ |
この表で左が多い差別はやめるべきだが、右が多い差別は、その事象を判断するにあたってのメリットデメリットの単なる1要因でしかない。
人間にとってごく当たり前の基本行動をさも絶対悪であるかのように刷り込まれているから、どうでもいい事にエラく被害者意識を持つ奴が現れる。女性車両にワーワー言って乗り込んでる奴もこれの被害者。
https://togetter.com/li/1204475
追記:
でもさあ、学歴フィルターのない説明会に偏差値30の高校を卒業した人たちが大挙して、自分達が応募できなくなったら、それはそれでまた憤るんでしょ
結局、自分が不利益を被ったから文句を言っているわけで、自分が利益を受ける立場になったらだんまりだと思うんだよね
帝京大学とか大東亜帝国みたいな中堅大学は人数も多いし、ネットを利用する人の中では中堅大卒の若者の占める割合は特に多くなるから、学歴フィルターは悪なので滅ぼすべきみたいな雰囲気がネットにはあるけど、ネットの多数派にとっての正しさが、世の中に適用されるべき正しさとは違うと思う
学歴フィルターとか、自分にとって理不尽なことに憤るのはいいんだけど、その理不尽を理由に、世の中から無くすべきって言い出したら、なんか違うと思う。「トリアージは可哀想」論争と似たようなものって言ったら炎上しそうだけど、「学歴フィルターではじかれる俺たち私達は可哀想だから全員救うべき」ってことだと思うんだよなあ
女性専用車両も少なくとも反対してる人にとったら不利益なんだろうけれども、それは無視してもいいってことなんだろうか…
確かにでも1両だけ専用車両があると言うだけでそんなに著しい不利益はあるのだろうか。
ただほんの少しの不利益であっても、そのくらい…と他人がおざなりにすることは正しいことなのだろうか。
元々は女性専用車両も痴漢が怖いですという女性のためにできたわけで、そういういたわりの心があってしても、反対する人に対しては、ただ理解がないと切り捨てていいのだろうか。
そういう人にもいたわりの心で接しなくても矛盾にはならないのだろうか。
女性専用車両はミソジニストが主張する様な男性差別ではなく、合理的な制度だ。「許される差別」ではない(そもそも差別という物は許されない)。しかしこの事を日本国内だけでなく、世界中の人々にもきちんと理解してもらえるのかというと不安が残る。
丁度この女性専用車両のトピックと同時期に、平昌五輪に関する様々なニュースが流れている。考えてみる良い機会だ。2年後の東京五輪の開催時、女性専用車両の存在に訪日外国人の方が戸惑う可能性はないだろうか。
東京周辺エリアでは、女性専用車両が複数の路線で運行されている。そのエリアで五輪が開催されるのだから、外国人観光客にもこの車両の必要性を理解してもらい、スムーズに乗客を運ぶ必要性が出てくる。
そこで世界中のどの国の人々でも、必要性を理解してもらえるような方法を考えてみた。
本題に入る前に、考える対象になっている問題が現実に起こる事かどうかも考えておく必要がある。
「訪日外国人に女性専用車両の必要性を説明する場面自体が、現実的に起こりえない。」つまり倫理的な判断を無理やり絡ませる非現実的な問題について、考える事自体が不適切という可能性もあるだろう。
例えば「トロッコ問題」を取り上げた以下のブログの議論では、非現実的な問題を出題するサンデル教授本人を殴るのが正解という解決策が示されている。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/08/06/105035
仮に、今回考察する問題がトロッコ問題のように非現実的であれば、黙って私を殴るのが解決策となるかもしれない。
ネトウヨが散々大失敗大失敗と騒いでいた平昌五輪は、実際に国際情勢上の懸念事項や設営トラブルもあったが、結果的に成功裏に終わった。世界各国から選手だけでなく、沢山の観光客も訪れた。次は平昌五輪と地理的、文化的な条件も、開催時期も近い東京での五輪だ。しかも、一般的に冬季より夏季五輪の方が参加国が多くなる。そうなると平昌五輪と同じかそれ以上に、人数も多様性も上回る外国人が訪れると想定する事は現実的だろう。
更に、女性専用車両の運行時間には、多数の外国人観光客が電車で都内を移動するだろう。そして、女性専用車両の存在に不慣れな地域から来る人も多数含まれるだろう。事前にトラブルの回避策を考えておく事は、十分現実的な課題だ。
東京五輪の計画自体を頓挫させる事で、訪日外国人の数を抑制するという手段も存在するだろうか?しかし、一度国際的合意をもって決定された五輪は実施されるのが通例であり(懸念事項のあった平昌五輪も無事行われた)、この手段の方が寧ろ非現実的だろう。
また、女性専用車両が必要になる背景事情として、東京の人口の過密さを挙げる人もいる。しかし、残り2年間で人口を分散させる現実的な手段も思い浮かばない。
そこで、この問題が現実的な課題であるという認識については、ここで合意をとっておきたい。その上で、いくつかの予想される場合ごとに、理解してもらう方法を考える。
イスラム諸国を中心に、女性専用車両が存在する国は他にもある。そうした国から来た人々には、「女性の権利を守るため」と伝えれば理解してもらえるだろう。
既に述べた通り、女性専用車両の扱いに不慣れな人々、そうした車両が制度として存在しない国も多い。しかしそうした国から来た観光客にも、必要性を理解してもらわなければいけない。一方で、世界には多様な文化や価値観があるため、全員に同じやり方で説明しても、理解してもらえるか怪しい。少しずつ条件を分け、できるだけその条件に沿った理解を促す事が必要だろう。
そこで有用だと考えられるのが、世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数だ。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/01/nippon_a_23263093/
各国の男女が置かれている状況を比較することができる、国際的指標だ。これをもとに、順位が日本(2017年度は114位)より上の国々と下の国々に条件を分けて考えてみたい。
まず、順位が日本より下の国から来た人々には、自国よりも順位が上の国(日本)で実際に行われている、有力なジェンダー平等化制度の一つとして理解してもらうのが良いだろう。希望の範囲だが、自国での採用も検討してもらうのも良いかもしれない。
順位が上と一言で言っても、アイスランド(1位)、ルワンダ(4位)、フィリピン(10位)、イギリス(15位)、ボリビア(17位)、南アフリカ(19位)、アメリカ(49位)等、様々な文化圏の国が存在する。女性専用車両への強硬な反対論が影響力を持っているイギリス、以前に陸上競技のジェンダー問題で世論が揺れた南アフリカ、トランプ大統領を選出してしまったアメリカ等、個別の不安要素も存在する。
しかし、共通理解の助けとなる国際指標として、ジェンダーギャップ指数の日本の順位は皆さんの国よりも低迷している事を伝える。また、日本では実際に性犯罪や女性の被る不利益が深刻である事を合わせて伝え、この男女間の不均衡(権力勾配)を是正する措置として専用車両が必要である事を理解してもらうのが良いだろう。
どうしても個別に考えなければいけないのは、南アフリカやアメリカといった国々の黒人の方、中でも男性への説明だ。(「黒人」という表記には場合によって望ましくない含意がある事は私も理解しているが、「アフリカ系アメリカ人」と表記してしまうと南アフリカ人との混同が避けられない。また、両国で表現を揃える場合は「アフリカ系南アフリカ人」という論理的に整合性のとれない表現を使わねばならない。したがって、やむをえず「黒人」を用いる)。
なぜ南アフリカ人あるいはアメリカ人全般ではなく、黒人に限定しているか?彼らは「Whites only」といった看板を掲げる人種隔離政策がかつてとられていた国々で、隔離されていた側のマリノリティグループの人達だ。「Women only」といった女性専用車両の表記を見て、特別な感情を覚えてしまう可能性があるからだ。
それでも黒人女性であれば、自分が乗車可能なカテゴリーだと認識できるだろうが、黒人男性の場合は通常は乗ることができない。そのため「差別を受けた」という彼らの誤解を招きかねず、特別に理解を促す説明方法を考える必要がある。間違って専用車両に乗ってしまい、彼らが乗客に締め出されるような事態は何としても避けたいし、日本人が決して名誉白人ではない(差別などしていない)という姿勢も示さなければならない。
また、たびたびネトウヨやミソジニストは、「女性専用車両は白人専用車両と同じ差別」という雑な議論を展開する。両者が全く別の物である事を明確にするためにも、女性専用車両について黒人男性に理解してもらう方法を丁寧に議論する事は大切だ。
「Women only」とは書いてあるが、「Whites only」の様に(彼らの想像する様な)排他的な中身ではなく、障がい者や高齢者、幼児といった社会的弱者であれば、男性でも乗れる事を伝えるのが良いだろう。例えば世界的な有名人として、南アフリカにはパラリンピック陸上競技のピストリウス選手(両足が義足)がいる。彼の様な身体障がいがある男性も、女性専用車両には乗る事ができると伝えるのが分かりやすいだろう。
特にアメリカの黒人の方には、アメリカの多くの大学入試基準で採用されているアファーマティブアクション制度に例えて説明するのが良いだろう。アファーマティブアクションの必要性、そしてマイノリティの地位向上に対する有効性については、既に社会的議論が尽くされており、比較的スムーズに受け入れられるだろう。
現時点では私の知識不足により、アメリカのパラリンピック選手、南アフリカのアファーマティブアクション制度等の具体例を思いつかなかった。実務的には各国の有名な事例を事前に調べておき、観光客の出身国に合わせた例で説明するのが良いだろう。
最後に、男女別に分かれているトイレや風呂に例えて説明する方法もとれないか検討した。しかし、これは「なぜ車両は男女で半々になっていない?」「既に男性がいるトイレや風呂に後から入ってくる女性なんかいるか?」といった問いに答えにくくなるため、断念した。
例えば、揺れる電車で杖ついてるじいちゃんに席譲るのって差別なの?うちのじいちゃんのことだけど、良く譲ってくれる。相手も当然差別だと思ってないし、俺もじいちゃんも思ってない。そして、誰も不利益被ってない。こんな差別が世の中に存在してるなんてどうかしてるぜ(笑)
自分の人生について、これは失敗したんじゃないかと何度か思ってきた。
とある漫画でそんな台詞があった。極論だし、勿論例外はたくさんあるんだろうけど、間違ってはいないと思う。
二十余年生きてきて、自分がどれだけ生きるのに向いていない人間なのかまざまざと見せつけられた。
きっと、これからも自己嫌悪を続けながら生きていくことになるんだと感じている。
ここ数年は、ずっとそんなことを考えている。
どうにもならない、気がする。
もう、終わらせてしまいたい。
痴漢防止策としての機能があまりに疑わしいので、そういう意味では現行の女性専用車両施策にはあまり賛成ではない
一方で差別だとかそういう論点で見ると任意協力の現行の女性専用車両には特になんの問題もない
どうしても急いでて目の前に車両に乗りたい時は乗れるし、急いでなければ普通車両に乗ればそれで事足りる
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。
元増田の主張の基本線は上記の記述に集約されるのだが、そもそもこれはかなり疑わしい主張である。外形上区別できないならその時点で全部同じカテゴリーにくくるべきだという主張は全く自明ではないし、もっともらしいものでもない。我々は外形上区別できないものは区別すべきでないんだろうか? そんなことはない。
たとえばある人物が解雇されたとして、それが雇用差別の結果であるかどうかは外形上(解雇された)の議論では決着がつかない。差別の結果として職を失うということは当然あり得ることだが、だからといってあらゆる解雇は外形上雇用差別と区別がつかないので差別であるなどというのは馬鹿げた主張である。元増田の主張はそのレベル。
我々は提起されている「差別」(女性差別でも、男性差別でも)の実質について、倫理的・技術的・合理的・歴史的観点から精査を加えることができるし、そうすればよいだけの話である。
そしてそれは「変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕う」こととは違う。その種の精査を「変な理屈をこね」ることだと頭から決めつけて、差別論が外形的・表層的な次元に留まり続けなければならない理由はない。もちろん、提起された「差別」が差別ではないことの指摘や反論の中に「変な理屈」が紛れ込んでしまうことは当然ある。しかし我々はその「変な理屈」をあらかじめ排除することなどできないし、あらゆる指摘や反論が「変な理屈」であるわけでもない。外形上区別できないものの実質を精査することを「変な理屈」と規定するのであれば、我々は差別について意味のあることをまるで考えられなくなるだろう。
さらに、
加えて、差別が差別であると認識されていない状況はそれ自体が不正義であるから、というのもある。「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。
と元増田は述べるが、しかしその代わりに「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」の区別が是認されるのであれば(そして、女性専用車両は前者に属するので一定の正当性があるとする増田は当然是認するわけだが)、「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞は、「○○は現今の環境下では許容せざるを得ない差別だから、不当な差別じゃないよね~」に取って代わられるだけであり、彼の主張にとってこの区別の是認は自滅的である。
むしろ、現下の社会においては「差別」という言葉に強い道徳的負荷が伴っているため、ある行為が「差別」ではないかという疑義を呈されれば、疑義を呈された側は「差別でないこと」の証明に取り組まざるを得ない。女性専用車両が差別ではないかという元増田の問題提起が強い反発や反響を呼んだのも、この「差別」という言葉が持つ道徳的負荷ゆえなのである。
ところが「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言辞は「差別そのものはアプリオリには否定されない」という前提の導入を意味するため、「差別」という概念が持つ道徳的負荷を希釈することになる。それが被差別者の発見や救済につながるという主張は甚だ疑問である。
なぜなら、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言い方によって新たな差別の問題が認識されたところで、それが「現今の環境下では許容せざるを得ない」と認められているうちは、その問題が真剣な吟味の対象になることはないからだ。
むろん、これは「差別と区別」のレトリックでも同様であるわけだが、要は「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という概念を導入すべきという元増田の主張が、彼自身が提起している問題の解決に何ら貢献しない(それどころか、悪化させる恐れすらある)ことを意味している。
以上を踏まえると、「差別ではあるよね」の合意はナンセンスであるばかりか有害なものである可能性もあり、ロジック自体も自滅的であると言わざるを得ない。
言うまでもないことだが、ある社会制度が差別的ではないかという不断の提起と検討は、差別のない社会を実現するうえで極めて重要なものである。女性専用車両が男性差別ではないかという提起も例外ではない。
だが提起の妥当性は、「他の差別と外形的な一致をみるから」という一点のみによって証明されるわけではないし、議論をそこでやめるべきでもない。
女性専用車両がいかに不当に男性の尊厳を傷つけるものであるか、不利益をもたらすものであるかについて、丁寧に議論すればよいだけの話である。もちろんその議論は様々な批判や反発に晒されるであろうが、そういった議論の応酬以外に我々の差別に対する認識を深化させる方法はない。
その議論の過程においては、「痴漢被害経験のある男性」の存在が指摘されるだろうし、セクシャルマイノリティを包括した社会制度の必要性といった論点も出てくるかもしれない。
しかしそれは、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」という区別の導入の所産ではないのである。
なお筆者は、女性専用車両自体は女性の安全な公共交通機関の利用を保障するうえで次善的に妥当な措置であると考えるが、そもそも女性専用車両が存在しなければならないような社会の在り方は女性差別的であると考える。女性専用車両は男性差別であるという主張もそれ自体排除するつもりはないが、元増田を含め外形上の一致以外の議論が提示されないので検討しようがない。現時点での本邦の司法判断は、女性専用車両を男性に対する不当な取り扱いであるとは見なしていないようである。
そもそも女性専用車両は抜本的な痴漢対策ができない日本社会、警察、鉄道会社が、はいこれが痴漢対策でございとその場しのぎで出してきたもんだろ。
で、日本社会、警察、鉄道会社の意思決定を担っているのは圧倒的に男性だろうが。
犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為は、差別だよね?
違うでしょ。
それを「その生得的な属性を持っていない人達」がやれば差別だろうけど。
「犯罪率が高い集団の成員をまとめて排除するのは差別じゃない」という論理は、たとえば歴史的に差別されてきた結果として犯罪に手を染めることが他の地域の人よりも多くなってしまった地域の人を差別することにつながる。「私企業なんだから別に勝手に『女性専用』を設定していいだろ」という理屈は、私企業が「日本人専用」や「○○人お断り」をすることを許容してしまう。「これは差別ではない、区別だ!」という言い方は、女性が不利益を受けたときに「でもこれは区別だから」で済ませる余地を与えてしまう。
なんねーよ。
特定地域の人を他の地域の人が犯罪者予備軍扱いしたら差別だし、日本企業が○○人お断りをやったらそりゃ差別だろ。
実際データがあるから根拠として、みたいな話で延々とループしてるけどその根拠てなんなんだ。
統計的に人は必ず死ぬんだからお前今死ねよ、ってのは根拠があるって話じゃないだろ。
黒人が実際に犯罪率が高いから、ってそりゃ高いかどうかは知らんしそういう境遇の人数が多いか知らんが今そこにいる黒人が犯罪者かどうかは別問題だろ。
ホテルにとまる中国人や特定の性癖の人が問題を起こすから立ち入り禁止にするって統計的にそういう傾向があるからそんな客こないけど張り紙してみたってのは差別かもしれんがそのホテルをつかわない被差別者にとってはかまいもしないしだれも被害をうけてないだろ。
そもそもそのホテルがわるさをされているのでそのホテルに限ってそういう条件を出しているわけで全世界的に展開しているホテルが全世界的に禁止しますといったわけでもないだろ。
痴漢にあった人間に対しても痴漢にあっていない人間がいるのだから痴漢にあったなんて嘘をつくなとかいわれても当人はそういう被害にあっていれば「統計的に痴漢にあっていない人間に似た個所がおおい人間」のその当人にも「統計という根拠があるから」そうすべきだとかいうのか。
わるさをする中国人もわるさをした黒人も犯罪だしひっ捕まえて隔離すべきだよ。でもそうじゃない中国人や黒人はすべきじゃないだろ。
だからといってスラム街に乗り込んで無事で帰れるはずだってこともない。
それはゾーニングだろ。スラム街にもいいやつはいるかもしれん。上流階級にだってゲスはいる。
そいつらがそいつらむけに自分でゾーニングできる場所を設けるってのは差別とかそういうもんじゃないだろ。
統計とは無関係にそこにいる当人がどうであるかを判別する機会を設けるのは差別か?
TPOで判断されることもあるだろうが、そのタイミングで差別かどうかの判断は不快かどうかじゃないだろ。
不快だけでもいいかもしれんが、不快で不利益なことをされた被害にあったのならば差別だが、ちょっと虫の居所がわるくなった癪に障ったというのなら差別被差別関係なくそんなことは日常にあるだろ。
割り込んできたり信号ぎりぎりで走ってくる車や電車の割り込み、電車で席を譲らない優先座席にするわる若者とかなんでもあるだろ。不快なことくらい。
それを字義的に捉えたら、特定の車両に性別を原因にして乗ることを禁じるのは不利益で不平等なのだから差別である、という結論が補強されない?
あくまで、社会全体で性暴力の横行などの女性に対する差別があって、それを是正するためにはある局面で男性が一時的に不利益・不平等を被る施策も必要だって話だよね?
権力勾配っていうのも、要するにそういうことでしょ。女性専用車両に乗れない男、という構図だけを見るんじゃなくて、全体として女性の移動の自由という観点から見るってことだよね。
私はそれに大いに賛同する。まったく反対しない。
でもそれは「より大きな差別を解消するために、小さな局面で差別する」ってことでしょ。
正当だ、とか、やむを得ない、というのは、「より大きな差別を解消するために」という目標のための施策であるからで、それはその排除が差別ではない、ということにはならない。
それを否認してしまったら、「より大きな目的のためなのだから、これは差別ではない」という理屈が通用しちゃうことになるよね?
そっちの方が危うくない?