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はてなキーワード: ポルトガル語とは

2020-12-01

anond:20201201184912

同じ英単語じゃなくて、ドイツ語読みとかポルトガル語読みとかなんだよね

英単語じゃないんだよね

2020-10-02

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名称語源

タバコの直接の語源は、スペイン語ポルトガル語の「tabaco」である

タバコ自体紀元前5000 - 3000年ごろ南米アンデス山脈栽培されたのが起源で、15世紀アメリカ大陸からヨーロッパに伝えられたものであるが、それ以前からスペインでは薬草類を"tabaco"と呼んでいた。しばしばアメリカインディアン言葉語源であると言われるが、それは誤りである

スペイン語の"tabaco"は、古いアラビア語薬草一種を示す"tabaq"という言葉語源であるとみられている。

この単語が、フランス語では"tabac"、ドイツ語では"Tabak"、英語では"tobacco"となった。日本ではポルトガル語の音に近い「タバコ」として広まった。漢字当て字としては「多巴古」、「佗波古」、「多葉粉」、「莨」、「淡婆姑」などが用いられる事があるが、「煙草」と書かれる事が最も多い。中国語では「香煙」と呼ぶ。なお、山口県の一部地域には「煙草谷」(たばこたに)という姓がある。

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2020-08-25

イタリア南米中国ブルマー修正版)、その1

今回の目標

この調査も、今回で三回目になった。隙間時間の気晴らしにあまり系統的でない方法で調べているため、ところどころ抜けがあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

さて、前回は、イギリスからロシアまでの広い範囲にかけて、ブルマー存在していたことを示した。つまり学校教育におけるショーツブルマー日本における特異的なものではなく、一時的とはいえ、そして年代のずれがあるとはいえ世界的な現象であったことを示した。

今回は、前回の調査から漏れヨーロッパの一部地域や、今までブルマー空白地帯であったと思われる南アメリカにも、ブルマー存在していたことを証明する。

イタリア人ブルマー

単純にイタリア語で「学校 体育 少女」と検索した。

http://www.castelbolognese.org/miscellanea/vita-sociale/quando-cera-lavviamento/

イギリスブルマーほど明確にショーツ型に進化しているわけではないが、その方向に向かいつつあることは確認できる。なお、ソ連ほどではないが、女子生徒の制服メイド服である。これは、過去欧州での女性向けの教育では、家事が重んじられていたことを意味するのだろうか? しかし、考えてみれば、日本女子制服海軍由来というのも、海外から見れば不思議に違いない。

https://www.convenevoleprato.edu.it/chi-siamo/la-convenevole-ieri/

小さい画像だが、間違いなくショーツ型のブルマーを着用している。

ファシズム政権イタリアブルマー

http://www.televignole.it/la-donna-fascismo-3/

ナチス時代ドイツほど短くはなく、短パンに近いが、ショーツブルマーへと進化する傾向が見受けられる。前回の記事ナチス少女たちも、よく見れば完全なショーツ型とはいいがたい。すごく短い短パンくらいか

https://www.routledgehistoricalresources.com/feminism/books/italian-fascism-and-the-female-body/chapters/fascist-models-of-femininity

これは書影だが、大体どんな雰囲気であったかはわかる。

ブラジル人ブルマー

ポルトガルブルマーの状況について調べていたが、図らずもブラジルブルマーがヒットした。方法は同じく、ポルトガル語で「体育 学校 少女」と検索した。時折、1950などの年代を付け加えた。

http://caetanistas78.blogspot.com/2011/10/uniformes-de-educacao-fisica.html

1958年からブルマーになり、1975年は赤ブルマーバレーボールをしている。

ありがたいことに、このサイト翻訳文を見る限り、サンパウロにおける体操着の変遷についての資料らしい。

http://www.lugardotrem.com.br/2012/06/estacao-38-80-anos-da-escola-industrial.html

これは提灯ブルマー

https://www.novomilenio.inf.br/santos/h0250v8.htm

1960年ブルマー

https://educacao.uol.com.br/album/historia_uniforme_album.htm#fotoNav=13

1970年バレーボールブルマー

以上より、ブラジル少女たちも、イギリスソ連とよく似たブルマー運動をしていたことが確認された。

チリの提灯ブルマー

https://www.museodelaeducacion.gob.cl/648/w3-article-28884.html?_noredirect=1

スペイン語で「体育 制服 学校」と年代検索したら、たまたまチリの提灯ブルマーが出てきた。

続き:anond:20200825074551

前回の記事anond:20200727074431

2020-07-31

anond:20200730225532

言語として優れているか国際的に使われるのではない。

武力経済力で、他民族制圧した征服者言語使用強制するとか、被征服者がご主人様の言語を使うとか。

からスペイン語ポルトガル語英語フランス語が使われているの。

日本語ドイツ語イタリア語戦争に負けてなければ植民地に残ってたはずなの。

2020-07-06

日本語(略)日本人超訳版)

日本語(略)日本人超訳版)

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 日本語をまともに使えない日本人というのがいる。お前らは遭遇したことは無いかもしれないが、俺はある。(俺の予想に過ぎないが、日本中に数千人いても良いと思う。)

 敬語が使えないだとか、読解力に欠けるだとか、そういうレベルの話ではない。

 「おはよう」「こんにちは」くらいしか語彙がない子。

 例えば、書類の欄に「名前」「氏名」とあったとき、「ここには、(自分の)名前を書くべきだ」と考えるような人は、日本語理解していると言って良いと思う。こういう人が日本語じゃなく、例えば、スペイン語書類名前を書いたとしても、日本語理解して書いたことには変わらない。

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(原文を読むのに疲れたゆえ、今宵はここまでにいたしとうございまする)

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(残りノルマ)読んでて気が狂いそうになってくる

そうじゃなくて、日本語がわからない日本人。語彙は100に届かない。「名前」が読めない。外国語もっとダメ

移民の子にごくたまにいる。

まれた時から日本にいるのだから日本語くらい覚えそうなもんだが、全く覚えない。

母語がない孤立した子。

まだマシなのは日系人グループではコミュニケーションとれてる子。ポルトガル語日本語も今一つだが、日系ブラジル人の間では話せるような子は比較的マシ。

孤立してなければどうにか生きていける。その移民コミュニティが、日本寄与する保障は全くないし、余り幸せにも見えないが。

移民社会にも日系人社会にも日本人社会にも不適応を起こしてる家族がある。

母語のできない子は孤立してる。大抵全く友達がいない。話せないから。

彼らにとって同年代の子危険存在しかない。世話焼きな子感謝要求して怒るから危険。まともな子はそもそも彼らを避けるから見えてない。まともじゃない子はまともじゃないので危険

母語のない子は悲しいほどに察しが良い。察しの悪い子はどこへ消えていくのか俺もわからない。

~の子と書いてきたが、成人しても問題解決しない。

職場での評判はすこぶる良い。働いてるうちは。

寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使える。突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。意味不明タイミングで泣き出す子もいる。

時間を守れない子が圧倒的多数マジで時間理解できない子もいるだろうが、恐らくうつかそれに近いんじゃないか

メンタルという単語も知らない。下手するとココロも知らない。訴える方法がないだけでメンタルボロボロなんだろう。

増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、国籍はあり住む意思があり職があったりなかったりし、日本祖国だと思ってる。

顔は違うし、文化にいたっては存在すらしない。

被害者はもちろん、加害者にもよくなる。

優しい子でも凄まじく残酷になる。他人に優しくなるには教養がいるんだろうな。

人権最高人権最高、お前も人権最高と叫びなさい。

2020-07-05

anond:20200705030158

怪文書だな。

冒頭から出てくるスペイン語とか、ポルトガル語ペルシア語のあたりから意味がわからない。

この増田文章日本語が変というか、結論先延ばしにしてダラダラ続くから「今なんの話してるの?」ってなる。とにかく読みにくい。

絶対仕事できないタイプだと思う。

anond:20200705115043

自覚していないようだがかなり読みにくい。

逐一挙げていくから覚悟して読んでくれ。

まれによくいる。

これはまだ理解できるからいい。ネットスラングでもあるし。

美しい日本語とか読解力とかそういうレベルではない。

おはよう」「こんにちは」で日本語力の限界に達する子。

名前」「氏名」と書かれてて、スペイン語で書いても平仮名で書いても良い。

五感四肢の先天後天どちらかのトラブルであっても、場合によっては知能の問題でも仕方ないと思う。

この辺の主語と述語の混乱がすごい。

この4行それぞれの、主語述語が省略されていない形を自身イメージできるだろうか?

3行目などは、文の途中で主語が切り替わっている。「名前」「氏名」と書かれているのは何?スペイン語平仮名で書くのは誰?「良い」とは何が「良い」のか?

日本語は省略が許されてるしいくらでも省略していいと思うけど、完全な形をイメージしてそれから省略したほうがいい。でないと読み手に混乱をきたす。

それに一般的日本語としてもこれは省略しすぎ。勢いで書いた文を推敲もせずそのまま投稿していないか

そうじゃなくて、ホント日本語がわからない日本人

移民の子にごくたまにいる。東アジアの子では知能が問題なければ見ない。

まれた時から日本にいるのだから日本語くらい覚えそうなもんだが、全く覚えない。

ここもそう。この1行目を見ると特に感じるが、あなたの使う体言止めは、全体的に非常に違和感があって文意もとりにくい。

それは何故かというと省略されていない形が直感的に復元できないからだと思う。

じゃあポルトガル語ペルシア語がわかるかと言うともっとからない。

まだマシなのは日系人グループではコミュニケーションとれてる子。

たいがい母国言葉も知らないが、それでも所属するグループのなかなら日本語くらいわかる子がいる。

この辺は文自体比較的読みやすいと思うが、全体としての文意が全く取れない。

ポルトガル語ペルシア語はわからない」

日系人グループではコミュニケーションがとれる」

母国言葉も知らない【が】、日本語くらいわかる」(この【が】も相当変だ。前後が逆接になっていない)

まりこれらを総合すると、「まだマシな子」はまだマシな子同士では日本語コミュニケーションを取れている、という意味でよいのだろうか?

そうであれば冒頭の「日本語力の限界に達する子」とは違う集団のことを言っているのだろうか?

文中で逆の例を言うことはもちろんありうることだが、この文章でこの位置に反例を出してこられても、シンプルに読者が混乱する以外の効果はないと思う。

めちゃくちゃ問題なのは核家族かつ両親は移民で、子供家族内でしかコミュニケーションがとれない。

義務教育はもちろん受けるが、授業が理解できない。簡易な単語は覚えるが、そこまで。

読み書きが壊滅的。

東京静岡ではそういう子のためのカリキュラムを組んでるとこがあるとかないとか。

ここが主張したいメインの部分なのだろうか?

この「めちゃくちゃ問題な子」の家庭内でのコミュニケーションは何語によって行われている?

ポルトガル語ペルシア語がわかるかと言うともっとからない」のではなかったのだろうか?

このあたり、何か大きな前提が書かれていないように感じてしまう。

そして、今更だが、この辺りでようやく、日系人日本まれの子がうまくコミュニケーションをとれないという問題主題なのかとわかってくる。

タイトルを読んで、本文を数行読んで、「ん?スペイン語??なぜ急に?」ときて、「移民の子」というキーワードが表れて、その上でここまで読んでようやく話の全体像が掴めてくる。

正直、ここまで読まないと全く頭が話に入っていけない。構成を工夫した方がいいと思う。

初めてあなた文章を読む読み手の、何も入っていない頭の中を想像しながら書き進めたほうがいいと思う。

子供日本人社会適応してれば問題ないが、もちろん適応してない。日系人社会でもベトナムフィリピン系の子ブラジルの子いじめられてたりする。

華僑の子ベトナムの子で、俺の方を指差して笑ったり、怒られるのを嫌がってこそこそ隠れたりする。

一行目。日本人社会日系人社会が立て続けに出てくる。

冷静に読めばここの文意は取れるが、親切でない。ここまでの文もそうだけど、近接する文どうしで急に話が変わるのは本当に読みにくい。

もちろん、対比したいとき、強調したいとき、逆接したいとき、隣り合う文の内容が変わることはいくらでもある。だがそういう時のために接続詞はあるのだ。

そして二行目。「俺」が突然登場する。

これは一般的日系人の子問題について語っている文章なのだと思っていたら、急に体験談が出てくる。

かといって今後またしばらく「俺」は登場しない。この文章を、論説・エッセイ体験談のいずれの性格を持ったものと思えばいいのか、この後ずっと混乱が続く。

子供が群れて大人悪口を言う。健全コミュニケーションであると思う。それはそれとして行儀が悪いが。

「誰」のこと?文脈から言って日系人ではない日本の子供たちの話?また説明不足のまま話が変わっている。

日本語のできない移民の子は全く違う。子供同士で話すところを見ない。話せないから。

大人を見るとニコニコ笑って、飛び付いてくる。

子供残酷からいじめをせずとも仲良くはできない。世話を焼きたがる子ほど、感謝要求するから尚更よく怒る。

結果して同年代の子危険存在以外の何者でもないので、隙あらば大人のところへ行く。

彼らは悲しいほどに察しが良い。興味を引くためのイタズラも行わない。

ここはわかる。文脈が繋がっているし、主語統一されているし、これまでの主張から裏切られることもないからだ。

~の子と書いてきたが、成人している子も多い。

「~の子」とは?上で書いている「日本語のできない移民の子」を省略して書いたという解釈なのか?

このような略し方は本当に見たことが無いし、めっちゃくちゃわかりにくい。変な表現を使わず普通に書けば良かったのでは?

働いてる子の評判はすこぶる良い。少なくとも俺へ悪口を吹き込まれるような関係を築いてる子はまずいない。働いてるうちは。

実は「子」ではないんですよ、という話をしたあとにまた「子」。

そしてまた出てくる「俺」。「俺」とは誰?あなたはどういう立場のどういう人間として何を伝えようとしてこの文章を書いているの?

それを最初に開示した方が圧倒的に読みやすくなると思う。

寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使える。突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。

時間を守れない子が圧倒的多数マジで時計理解できない子も多かろうが、恐らくうつかそれに近いんじゃないか

内科外科存在は知ってても(たぶん読めないが)メンタルという単語も知らない。

増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、国籍はあり住む意思があり日本祖国だと思ってる。

幼い子は突然ふさぎこむ事がある。何かあったのは容易にわかるが、決して言わない。隠す事もできないが話すこともできない。

そして加害者にもよくなる。

ここはまだわかる。

加害者にもよくなる。」は日本語の文として若干の怪しさを感じるけれど、まあわかる。

人権平等ゴミだ。誰かの前に飛び出してかばってくれた事なんてない。

「くれた」の使い方が変。誰かの前に飛び出すのなら、かば対象は「誰か」なのだろうけど、「くれた」は普通自分自分の身内がかばわれることに対して使うと思う。

そしてまた主語行方不明。「かばってくれた事なんてない」のは誰?

直前にある文章は「加害者にもよくなる」だから、これが繋がっていると考える?

それともそのもうちょっと前に出てくる「増田」がずっと隠れ主語として残っているのだろうか?

うーん、どうとっても不自然だなあ。

2020-06-06

[]マリーシア

サッカー用語で、様々な駆け引きを指す。もともとはブラジルポルトガル語

ブラジルでは困難な状況に直面した際、機転を利かせてその場を収める処世術やしたたかさを肯定的に見る考えがあり、それがサッカープレイにも反映された。ただし、相手意図的に傷つけるような汚いプレーや、相手に対する露骨時間稼ぎなどは褒められない。戦術的なファウルなんかはありとする地域はある。

また、国によってもどこまでをマリーシアに含むかは異なり、その土地文化依存する。

なんとなく、まっすぐなだけでは勝てない状況に直面した、少年漫画主人公のことを思い出す。

2020-06-05

anond:20200605103148

ポルトガル語少年が流ちょうにしゃべれなかったら公式プレスが堂々と嘲笑する国で何を言ってるのかね

anond:20200605100424

仕事で~とか

大義名分がないとPCを所持していてはいけないのだ

PCを持つこと

PCに詳しくなること

PC勉強することは恥ずかしいことで

たどたどしいポルトガル語サッカー選手質問する少年のように大人から堂々と嘲笑される存在なの

PCでお勉強」は建前の時点で笑いもの

嘲笑することは日本人のたしなみなのだ

anond:20200605095420

C・ロナウド「なぜ笑うんだい?」日本人少年の拙いポルトガル語に笑いが漏れた会場でナイスガイ対応

https://fundo.jp/6085

これは言語だけど

プレス公式みたいな場面ですら頑張る人をゲラゲラ笑う文化から

2020-06-04

anond:20200604071736

ポルトガル語の方が面白いよ。カステラとかかるたとか。

天婦羅合羽金平糖みたいに感じになってるのも珍しくない。

2020-01-30

言語上の、意図しないマイルド差別

長年モヤモヤしているが、いまだに着地点がわからない。

日本にいる外国人日本語をわからないと思って、すぐに英語で話しかけてしまうと、「おまえはガイジンしか英語しか喋れないんだろ?だから英語で喋ってやるよ」という自分自身偏見相手押し付けているような気がするので、まず日本語で会話をしようとすることにしている。

そのうえで、相手日本語で意思疎通が難しそうだと思ったら、自分運用可能なもうひとつ言語として、英語でのコミュニケーションを試みるという順序にできるだけしている。

これはまどろっこしい手続きだということは自覚している。

相手にとって違和感がないコミュニケーションの始め方をするには、まず何語で話すべきかという問題について、いまだに決着がついていない。

からとりあえず、「あなたが何人か私は知りませんが、日本国の公用語である日本語であなたコミュニケーションをとれますか?どうですか?」という意味合いを込めて、最初日本語で話すことにしている。

東京あたりだと英語である程度の接客ができる人が増えてきて、明らかに外国人だとわかりやすい人(つまり白人)がレジに来ると英語での接客スマートに切り替える人を見かけるようになった。だがその人の母語アラビア語ポルトガル語、あるいはスペイン語で、英語が話せない代わりにじつは日本語での基本的なやりとりはできる人だったら、相手はどう感じるだろうか、などと、そういうシーンを見るたびに考えてしまう。

モヤモヤして、答えが出ない。

2020-01-23

スペイン語 フランス語 ポルトガル語 イタリア語を第2外国語として選択できる大学も多い

これでもけっこうがんばってるとは思う。理系だと。ドイツ語はたしか先生がいなかった。

2020-01-12

私にとって親に褒められることが苦しみだった

小学生の頃に英語に興味を持って勉強を続けて弁論大会に出たら「うちの子英語できるんです」と人前で自慢なのか褒めるのか、そういうのに虫唾が走って英語を止めた。

それから生物学に興味を持って勉強を続けてたら「うちの子生物に詳しくて将来は理系大学に進めたいの」と人前で自慢されて、そういうのに虫唾が走って生物学を投げた。

中学生の頃にパソコンの仕組みに興味を持ってプログラミング勉強し始めて校内行事で3位以内にを入ったら「うちの子プログラミングできるんです」と人前で褒められたのに虫唾が走ってプログラミングを止めた。

それから近くにラテン系の人のお店があって、そこの人と仲良くなってポルトガル語を喋ろうと頑張ってたら「うちの子ポルトガル語まで喋れるの」と人前で褒められたのに虫唾が走ってお店に行かなくなった。

から離れるために全寮制の高校に入ったら「うちの子は何でも独りで出来て今の子と違うんです」と人前で褒められたのに虫唾が走って実家に帰らなくなった。

大学に入って英語の授業で朗読をしたら、教授の目がうわっと開いて「きれいな発音だね」って褒められて英語勉強を再開した。

生物学ネットワーク現実的シミュレーションには確率シミュレーション方法必要だったから、1週間くらい部屋に籠ってアプリ作ったら教授に「マジすげぇじゃん」って褒められて生物学プログラミングを両立させることに快感を覚えた。

留学生ブラジル人に片言のポルトガル語を喋ったら心の友だと言われてポルトガル語勉強するようになった。

実家に帰ったら、うちの天才息子がとか人前で自慢し始めた途端に全てが壊れそうになったか実家から離れた。

褒めることは成長につながるかもしれんけど、褒め方ってあるんだなって話。

たぶん親は俺を褒めてたんじゃなくて、褒める皮をかぶった自慢をしたかっただけなんだ。

そしてその自慢の種は自分の所有物だと思って一人格としての俺を見ていない。

以上、解散

2020-01-09

窓のない部屋

 バスが止まると、乗客たちは押し黙ったまま次々と降りて行く。車窓から見える煤けた家々の影に吸い込まれて行く彼らを眺めていると、いつの間にかバスの中には僕と運転手けがとり残されていた。分かるはずもないポルトガル語でなにかを伝えようとする運転手の表情を見て、ようやくここが終点のモシンボアプライアだということに気付いた。

モザンビーク共和国の最北部タンザニアとの国境に最も近い街、モシンボアプライアナンプーからミニバスに揺られること10時間、日も傾き始めた午後4時頃、やっとのことで到着した。

21世紀になった今でもまだ未開の森が残っているというモザンビーク北部。小さな村と村を辛うじて繋ぐ細い道路は言うまでもなく未舗装で、その上を走るトヨタハイエースミニバスは、重ねて言うまでもなくオフロード向きの車ではない。乗車定員をまるで無視したぎゅうぎゅう詰めの車内で、膝の上に拷問器具さながらの重たいバックパックを載せて、しか悪路を走る振動に耐えながらの10時間は、気の遠くなるような長い時間だった。

 あわてて荷物を引っ張って外に出ると、空になったバスはそそくさと何処かへ行ってしまった。降り立った場所バスターミナルなんて大層なものではなく、石造りの家々が建ち並ぶ小さな村の一角にポツンと広がった、ただの砂地の広場だった。広場の端に植えられたヤシの木の陰には何人かの女性や老人が座っていて、サトウキビバリボリ齧りながらこちらをじっと見ている。ああ、ここ数日と同じだ。

 モザンビーク最大の都市首都マプトは、南北に長い国土の一番南の端にある。南アフリカから陸路入国した時、最初に到着した街もマプトだった。首都首都なりに近代的なガラス張りの高層ビルが建っていたりもするのだけど、そこから北へ向かって縦断を始めると、車窓から見える景色がどんどん田舎に、自然に近づいていくのがそれはもう如実に分かる。白人観光客がいるのはせいぜいマプトの次の街のイニャンバネ辺りまで。国土のちょうど真ん中辺りを東西流れるザンベジ川を超えると舗装道路ほとんど無くなる。北部の街キルマーニを超えるともう公共交通機関が当てにならないので、道端にはヒッチハイクの代行をして日銭を稼ぐ子供達が居たりする。モシンボアの手前のペンバ辺りまでは、自分以外の酔狂バックパッカーを見かけることもあった。しかし、ここに来てついに異邦人自分だけになってしまったらしい。

 いわゆる発展途上国場合自分のような旅行者は、バスから降りるなり土産物押し売りホテルタクシー客引きにもみくちゃにされてうんざりするのが常だ。しかアフリカのこんな僻地まで来てしまうと、そもそも旅行者が訪れることなほとんどないはず。外国人慣れしていない土地人達も、突然バスから降りてきた肌の色の違う人間に驚きつつもどう対処したらいいかからないのだろう。一挙手一投足を全方位から遠巻きに観察されているような視線は、動物園パンダにでもなったかのような気分にさせてくれる。

惚けていても始まらない。まずは今晩の宿を確保して、それから英語の分かる人間を探さないと。ここまでの街で集めた情報によれば、モシンボアからは毎朝早くに国境行きのバスが一台出ているらしい。できれば明日の朝そいつに乗り込みたい。ここ数日、ATMもなければクレジットカードも使えないような場所を通ってきたせいで、手持ちの現金はもうほとんど尽きかけていた。今はできるだけ早く駒を進める必要がある。とにかく、話のわかる奴を探して情報を聞き出さないといけない。僕は檻から抜け出すようにしてその広場を後にした。

 重い荷物を背負って村の中へ入って行くと、ここでも同じように奇異の目を向けられる。それでも、こういう時は一度誰かにしかけてしまえば後は簡単だ。それをきっかけに周りで見ていた人たちも次々話に入ってきて、いつの間にか自分の周りは人だかりになっている。その中には英語を喋る奴が大抵一人くらいはいもので、今回もその中の一人、僕と同い年くらいの青年を見つけた。彼が言うには、自分兄貴が毎朝国境行きの車を運転しているとのこと。この村に来る外国人十中八九陸路タンザニアへ向かおうとしている奴だから、客になりそうな外国人がいると聞いてすっ飛んで来たらしい。村の奥、青年の指差す方向には一台のピックアップトラックが止まっていた。手を引かれ、群衆をかき分けながら近づいていくと、荷台に腰掛けた白いタンクトップの男がサトウキビバリボリ齧りながらこちらに視線を投げている。トラックの前まで来ると、男はサトウキビの食べかすを地面に吐き捨て、挨拶もそこそこに言った。

あんた、国境に行くんだろ。300メティカル明日の朝こいつの荷台に載せて連れてってやるよ。早朝三時にここに来な」

 なんとなく予感はしていたが、国境へ行く手段というのはバスや乗り合いタクシーの事ではないらしい。このトラックの荷台に乗って、荷物のついでに運んでもらうということなのだ。トラックの荷台には、明日の同乗者になるのであろうコーラの空き瓶が入ったケースや何が詰まっているのかわからない大きな頭陀袋が山と積まれているだけで、当然ながら座席のようなものは見当たらない。今日の移動もなかなか骨だったが、明日今日に劣らずタフな一日になりそうだ。

 運賃として提示された300メティカル日本円にしておよそ500円少々。交渉が前提になっているようなひどく高い金額でもないし、村を歩いて探し回っても他の交通手段があるとは思えない。500メティカルなら、あと一日くらいこのモシンボアに泊まってゆっくり骨を休める余裕ができる。聞く所によればこの男は毎日国境まで行っているようだし、出発を一日先延ばしにしてもさほど問題にはならないはずだが、でもこの時はそうしなかった。前へ前へと懸命に移動することに、ある種の快感のようなものを覚え始めていたのかも知れない。とにかく僕はこのトラック明日の朝、国境まで行く事に決めたのだ。

 握手を交わすと、男は表情を和らげて言った。

「寝る場所必要だろう。弟に宿まで案内させるから今夜はそこで休め。寝坊しても起こしに行ってやるから安心しろ

 男が目配せをすると青年は頷き、ついて来いと言って歩き始めた。もう一つの懸案だった宿の方も、彼らが世話してくれるらしい。それもそのはず、人や荷物国境まで運ぶ商売をしていれば、僕のような旅行者を載せる機会も幾度と無くあっただろう。そんな旅行者への宿の斡旋も、彼らの商売の一部なのだ

 青年背中を追って歩いていくと、少しずつ村の中心に近づいていくのがわかった。舗装された道幅の広い道路があらわれ、ガソリンスタンドや錆びたコカコーラ看板商店食堂などが民家に混じって見え始める。顔を少し上げると、視界の端にわずかに入るヤシの木や、朽ちて傾いた丸太電信柱の向こうに、どことなく湿った雨期の青空がいっぱいに広がるのが見える。

10分も歩かないうちに、僕らは一つの建物の前で立ち止まった。周りに見える民家や商店より少し大きい、ちょうど郊外コンビニくらいの大きさのその建物は、宿泊施設としてはやや小さく思える。水色のペンキで塗り染められた石の外壁には大きなひびが入り、風雨や土埃に晒されてくすんだ色になっていた。やれやれ想像通りのボロさである

「ここが宿だ。少し汚いけどこの村には宿はここしかない。悪いけど我慢してくれよな」

青年はそれだけ言うと、あっけにとられる僕をその場に置いて来た道を逃げるように帰っていった。僕が宿にいちゃもんをつける前に立ち去りたかったのだろうか。

入り口にかかる簾をくぐり、薄暗い室内にに踏み込む。簾に付いた鈴が音を立てると、奥のカウンターの向こう側から一人の老人がゆらりと立ち上がった。部屋が欲しいんだと大袈裟ジェスチャーを交えながら伝えると、彼は黙ったまま横の壁の一点を指差した。目をやると、石の壁に赤のペンキで直接文字が書かれているのに気付いた。

"Single 1200. Twin 1600."

シングルの部屋が日本円にしておよそ2000円ほど。いままで泊まってきた宿の中では一番高い金額だが、さて、どうするべきか。村にある宿がここだけだと言う青年言葉は、この宿の大きさから考えて恐らく嘘だろう。ここより安いという確証はないが、土地人間が使うゲストハウス位はどこの村にも幾つかあるものだ。しかし、重い荷物を再び背負って表を歩き回るのはやはり億劫だった。壁に書かれた赤いペンキの文字酸化してほとんど茶色くなっていた。いつからこの値段でやっているのかは知らないが、少なくとも僕を金持ち旅行者と見てふっかけているわけではないようだ。値段の交渉は望み薄だが、僕は試しに聞いてみた。

「もう少し安くはならないの?」

老人は困ったような、それでいて僕がそう言い出すのを知っていたかのような苦笑いを浮かべ、少しの間を置いて言った。

「窓のついてない部屋が一つあるが、そこなら600でいいよ」

なんと、意外なほどあっさり宿賃が半値になってしまった。一泊1000円なら上出来じゃないか。窓が無いというのは、まあ多少風通しと明るさに問題があるとは思うがこの際妥協してもいいだろう。どうせ明日は日が登る前にここを発つのから

「部屋を見せてくれる?」

僕が言うと、老人は鍵を引き出しから取り出し、カウンターを出て奥へ伸びる暗い廊下を歩き始めた。僕もその後を追った。

つのドアの前で立ち止まると、老人はドアノブに鍵を突き刺して、ガチャガチャ乱暴に鍵穴をほじくり始めた。なかなか開かないようだ。このボロさでおまけに窓の一つも付いていないときたら、本当に地下牢のような荒んだ部屋なのだろう。そんなことを考えながら、鍵と格闘する老人の背中を眺めていた。しばらくして鍵が開く。額に汗した老人は僕の方を向いて意味深な笑みを浮かべ、ドアを開いて見せた。

開け放たれたドアの前から覗いた部屋は、想像通りとても簡素ものだった。だが、想像していたより酷くもなかった。六畳程度の部屋のど真ん中にはセミダブルくらいの大きなベッドが石の床に直接置かれ、部屋の隅にはちゃちな木製の小さな椅子と机が、客室の体裁を取り繕う申し訳のようにちょこんと置かれている。そして、奥の壁の大きな窓からレースのカーテン越しに差し込む夕陽が、数少ない部屋の調度品と埃っぽい室内を舞う無数の塵を照らしていた。しかしこの部屋、さっきと少し話が違うんじゃないか

「いや…ご主人、僕が見たいのは半額の部屋の方なんだけど」

「ん? この部屋は600メティカルだが」

だって窓が付いてるじゃないか

僕がそう言うと、老人は黙って部屋へ入って行き、カーテンをめくる。そこにはあったのは確かに窓だった。窓だったが…窓にはガラスが入っていなかった。僕は思わず笑ってしまった。窓が付いていないというのがまさかこういう意味だったとは。明るくて風通しの良いこの部屋は、僕が覚悟していた牢獄の様な部屋よりよっぽどマシに見えた。しかし、中と外の境界を作るのが鍵の掛けようのない無い薄いカーテン一枚というのは、やはり安全面に問題ありすぎる。こんな部屋でおちおち寝ていたら命が幾つあっても足りないだろう。強盗マラリア、野犬、その他諸々の野生動物危険は数え出したらキリがない。半笑いでそんな事を考えていると、いつの間にか隣に来ていた老人に小突かれた。

「で、どうするんだ」

「…窓が付いている部屋も見たいな」

「だろうな」

ニヤリと笑みを浮かべた老人は静かに扉を閉めると、一つ隣の部屋の扉を開けて僕に見せてくれた。さっき見たのと一見全く同じ部屋だが、こっちのほうが心なしか手入れがされているように見える。中に入ってカーテンをめくってみると、くすんだガラスがしっかりと嵌めこまれた窓と網戸が見えた。

「1200メティカルだけど、いいよな?」

振り返ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた老人と目が合った。やれやれこちらの完敗である

「…いいよ。この部屋にする」

宿賃を渡し、僕は笑ってそう答えた。老人は僕の肩にポンと手を置いて、隣の部屋のとはまるで違う綺麗に磨かれた鍵を渡してくれた。やっぱり、あの部屋には最初から客を泊めるつもりなんてなかったのだろう。

明日の昼まで停電から電気はつかないよ。ロウソクが引き出しにあるから使うといい」

「一本いくらですか?」

サービスだよ」

僕が皮肉半分に聞いたことを知ってか知らずか、老人はどうだ気前がいいだろうと言わんばかりの誇らしげな笑みを見せ、ドアの外へ消えて行った。やり返してやった気にはまるでならなかった。

靴や荷物についた砂を振り払い、ベッドに寝転んだ。疲れ切った身体を動かす体力はとうに尽きていたが、不思議と気分は高揚していた。蓄積した疲労の中に滲む自虐的とも言える旅の充足感に気付いたのだった。

2019-12-14

古文をやめてラテン系言語をやれ

スペイン語勉強したらポルトガル語イタリア語フランス語ラテン語あたりの意味ボンヤリわかるようになった

英語知識だけでわかろうとするのとはかなり精度がちがう たとえば「いつ」の疑問詞はスペイン語だとcuando、イタリア語だとquando、フランス語だとquand こういう基礎文法みたいな部分がかなり似通ってるんで絶対便利 ちょっとでもわかる部分があると結構違ってくる

日本古来の文化ガーとか言いながら係助詞とかを学ぶのは絶対ムダだ

枕草子とか源氏物語大鏡とか徒然草なんかを多少読むのは全然構わないし、教養として大切だっていうのも頷ける でも古典日本語の動詞活用なんて覚えてどうするんだよ それならスペイン語の前置詞と定冠詞でも覚えたほうがまだしも役立つだろ

2019-11-24

anond:20191124215643

"映像の中で少年は、ロナウドのために書いてきたポルトガル語手紙を読み上げている。しかし、少年ポルトガル語発音は流ちょうとは言えず、その様子を見守っていた観客が笑い始めた。"

出典C・ロナウド日本人少年への「優しい心遣い」が韓国話題に...:レコードチャイナ

"ポルトガル語一生懸命話す日本人少年を笑う観客に対してロナウドは「何故笑うんだい?上手く話せてるじゃないか。」と言い少年かばった。"

https://www.youtube.com/watch?v=prDILp3KLA8&feature=emb_title

なんか美談みたいになってるけど外国外国語が怪しいアジア人っていじめ対象だろう

日本人がどうのこうのの人種の話にすり替えしてるんだ

2019-11-01

anond:20191101092001

今の時点でも工業地帯だとポルトガル語使えた方がいいなって思う。

看板とか日本語ポルトガル語で書かれてるし。色んな言語知っとくと良さそう。

2019-10-17

オシャレで意味エモい単語を教えてほしい

例として挙げるなら

トリコール:雨が降った時に、地面から上がってくる匂いのこと(ギリシャ語で石のエッセンスという意味)

フネポルトガル語愛する人の髪にそっと指をとおすしぐさ

みたいなのお願いしま

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