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はてなキーワード: ポリティカルとは

2020-01-27

anond:20200126232858

俺は表現の自由戦士なので

抗議するのも自由だと思うからこの投稿もそれはそれで良いと思う

そして擁護するのも自由なので「異種族レビュアーズ」を擁護させてもらう

俺は表現の自由戦士なので

表現活動とそれを見るのが大好きだ

しか表現ならなんでも良い、と思っているわけではない

俺の評価基準政治的に正しいか、誰かを傷つけない表現であるかではない

表現として納得できるかどうかだ

まあ、納得できない表現もなくせとは思っていないが

具体的には

キャラクター人格を感じられ、一貫性があること

そして変節するならそれなりの理由があることだ

大した理由もないのに主人公を好きになり奉仕する女キャラが嫌いなのはポリティカルにコレクトでないからではなく、キャラクターとして人格が感じられないからだ

他にもあるが、今回関係するのはそのあたりだ

そのような意味で今回のことは「風俗通いが趣味オッサン視線として」納得できる表現だと俺は思う

現代常識的感覚で言えば嫌悪されるようなキャラであり、こいつらふざけんな、と思うのも正しいだろう

でも妙にゲイ理解があるほうが俺は違和感を覚えるだろうな。もちろん見せ方しだいだが

とはいえみな性に貪欲なので、お尻をほじられるのも悪くないな!となったり

リムきゅんが可愛すぎてムラムラするので男も女も関係ないぜ!となる可能性もある

それでも同性「愛」、というよりは性欲や快楽観点からいくのが「レビュアーズ」のテーマであり

それもまた人間の一面の真理であろうと俺は思う

2019-12-01

大阪チャンネルバナー増田に貼ってあると

「でもその笑いはポリティカルインコレクトなんでしょう?

ツッコミ待ちなのかなあ、勇気あるな」っておもっちゃうね

そのくらい逆張り増田デフォルトだなっておもってるの自分だけじゃないと思う

2019-10-30

anond:20191029133051

いや問題点エロかどうかですらなく、自分不快なのでなんとかやり込めてしまいたい、そういう対象ポリコレと思しき今一番硬直してる何かの価値観を棒状にしてぶっ叩いてやろうという事なのではないのですか。

エロですら芸術というかアート放言すれば不快感勢をアートポリティカル棒でズンズンとコレクトネスする事ができる現状がありますよね。

自分の歩く道に犬の糞と思しき他人権利を見つけると私様の出歩く公共に相応しくないので犬は死ねとおっしゃる

私様の人権をもって他人生産性という人権よりは一つ格下の項目を攻撃する事によって犬の生命線を断つ補給破壊作戦に、私様が「私が死んでもいいと言うの?人権は?」と自殺を引き合いに自爆テロにて訴え出られる事についてどう対処すべきかという議論必要なのではないでしょうか。

2019-10-22

anond:20191022123011

だいたい「専門家に対する素人感覚優越」なんて図を求めたの左派の皆さんだしなあ

専門家の言う通り金をジャブジャブつぎ込むことに対する弊害があったのはたぶんある程度事実だし、まあそれ自体はわかるんだけど

今になって自分らの推すポリティカルアートに流れ弾が当たったからってわめいてもしょうがないよね

自分らの理屈が世の中に受け入れられた結果でしょ、としか言いようがない

2019-10-14

anond:20191014200805

だいたい「専門家に対する素人感覚優越」なんて図を求めたの左派の皆さんだしなあ

専門家の言う通り金をジャブジャブつぎ込むことに対する弊害があったのはたぶんある程度事実だし、まあそれ自体はわかるんだけど

今になって自分らの推すポリティカルアートに流れ弾が当たったからってわめいてもしょうがないよね

自分らの理屈が世の中に受け入れられた結果でしょ、としか言いようがない

anond:20191014164044

だいたい「専門家に対する素人感覚優越」なんて図を求めたの左派の皆さんだしなあ

専門家の言う通り金をジャブジャブつぎ込むことに対する弊害があったのはたぶんある程度事実だし、まあそれ自体はわかるんだけど

今になって自分らの推すポリティカルアートに流れ弾が当たったからってわめいてもしょうがないよね

自分らの理屈が世の中に受け入れられた結果でしょ、としか言いようがない

2019-10-12

anond:20191012133658

だいたい「専門家に対する素人感覚優越」なんて図を求めたの左派の皆さんだしなあ

専門家の言う通り金をジャブジャブつぎ込むことに対する弊害があったのはたぶんある程度事実だし、まあそれ自体はわかるんだけど

今になって自分らの推すポリティカルアートに流れ弾が当たったからってわめいてもしょうがないよね

自分らの理屈が世の中に受け入れられた結果でしょ、としか言いようがない

anond:20191012060522

現代アートの発展に公金投入が必要さらにはある種のエリート主義必要というのも認めるが、現代民主主義でそれが受け入れられるとは思わない。

アートだけ「税金よこせ、でも素人には分からないんだから庶民役所政治家文句は一切聞かない」という聖域的立場を得ることが許容されるとは思えない。

温泉に行ったぐらいで首長をクビになるぐらい税金の扱いはウルさいというのに、アートだけなぜ?と言われるのが現実ではないか

個人ボーナス作品を買う程度には現代アート好きだが、それでも現代アートハイコンテクストすぎて国民理解を得るのは不可能だと思っている。

税金基本的にわかやすものしかつけられないものなので、本質的現代アート民主主義は相性が悪いのだと思う。

もしタウンミーティングなどで直接民主主義的に作品を一つ一つ審査したら、現代アート、ましてやポリティカルアートなんてまず予算通らないだろう。

こういう話はMOTリキテンシュタイン購入なんかでもあって、今までも薄氷を踏んでいたところがあった。それがいよいよ本当に破れてしまったのがあいトリだと思っている。

  

コメントを見て思い出したので追記

アーティスト美大教員なんかと話しているといつも思うのだが、アート業界の人は現代アートがどれほど好かれて「いない」のかの自覚が弱い。

結構な年のアーティストが「業界外の人と飲みに行ったらあまりアート理解がなくて傷ついた」みたいなことを言っていたりする。

興味ない人なんてそんなもんでしょう?と私が言うと「アート絶対に正しく素晴らしいモノであり、わからない人は無知か騙されているんだ」といったイスラム原理主義者のような返事が返ってくる。

からすれば、現代アートなんて変なガラクタをありがたがっている裸の王様みたいに思っているのが多数派だと思うのだが、彼らにその自覚はないらしい。

無理解人間多数派なのだからアート業界はその意義を相当戦略的説明しないといけないし、それでも徒労に終わることはある程度覚悟しないといけないと思っている(私は後者)。

だがそういった認識は極めて弱く、業界内の内輪に引きこもりあいトリみたい事案が起きれば活動家まがいに騒ぐだけ。粘り強く合意形成を目指すことはなく、熱が冷めたらうやむやになって終わり。

アーティスト左翼が多い業界のはずなのに、アート好きとばかり固まり多様性」がないし、アートに興味ない人と「対話」や「共生」する気はないように見える。

彼らの言う「民主主義」とか一体何なんだろうか?本当は民主主義とかどうでもよくて、単にアート至上主義人間けがまり独裁する社会を望んでいるだけなのでは?と感じている。

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-10-08

anond:20191007120113

ポリティカルインコレクトな生き物を産んで社会迷惑をかけた罪を噛み締めましょう

2019-10-01

視野が狭いって普通に外見差別じゃね?

・目と目が近すぎる

・目が細すぎる

・目が小さい

・寄り目

こういったことを連想させるよね。

たとえそういう意図がなくても、耳にした誰かしらがそう思うならそれはポリティカルにコレクトレスだね

2019-09-30

anond:20190930114841

サイコパス意味違うとおもったけど、そうかこれがポリティカルコなんとかか!

2019-09-29

anond:20190929131935

お前の性欲は、ポリティカル意味を持たないからどうでもいいよ。

前も「LGBT差別してはいけないということは、ゲイから告白されたらセックスしなきゃいけないってことか」とか言ってたアホいたけど、「好みのタイプじゃない人間セックスしない」ことは差別でもなんでもないよ。ただ、好みじゃないかセックスしないだけだ。

お前のちんこ社会的意味はないから、ちんこ意見はお前の心の中にしまっとけバカ、って話でしかないよ。

anond:20190929131935

それは、ポリコレ問題ではなく、ポリティカル・エレクトネス の問題ではなかろうか。

2019-08-15

anond:20190815120809

登場人物の年齢層の比率もきっちり現実の年齢分布に揃えるんだろうな

田舎舞台にしたアニメ映画場合女子高生とその友人達が主役張ってること自体ポリティカル問題ありそう

2019-05-27

空母いぶき と ストライクウィッチーズ

佐藤浩市炎上話題映画空母いぶき」、専門家が指摘するこの作品の別の問題点 | デイリー新潮』のブックマークを見ていて引っかかった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2019/05160602/?all=1

シャドーボクシングか それはつまらなさそう ”

空母いぶき」を劇場で鑑賞するのが2019年5月後半におけるもっとも贅沢な時間の使い方である婉曲表現)ことに議論余地はないが、ちょっと待って欲しい。

カレドルフ軍(東亜連邦軍)というのは広義のアレではないか

https://togetter.com/li/1195690

人類を開幕滅亡に追い込まれている状況に追いやるために設定されている正体不明で一杯湧いてくる意思疎通不可能な色々なアレ

のアレ。

このご時世、意思疎通できる宇宙人や、哺乳類爬虫類連想させる敵は「殺したらかわいそう」「彼らにも権利がある」「我々がすべきだったのは戦うことじゃない、愛だったんだ」的なご意見により、避けられる傾向にある。「ハニワ幻人♪全滅だ♪」と長閑な作劇ができた時代とは違うのだ(※)

地球上に存在する国家国民を敵にして、エンターテイメント劇をつくることの困難さは想像に難くない。監督脚本プロデューサーも苦労したんだろう。(※※)

・・・何が言いたいかというと、シャドーボクシングであっても、面白いエンターテイメント作品は作れる。「空母いぶき」はそういうレベル作品ではない、ということ。

中途半端にアレなヤバい感じを出しつつ(「やつらにとっては国際法は何の意味もない!」)、なぜか最後デウスエクスマキナ常識が通じてしまうとか。

シャドーボクシングからまらない…そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…

※  そういう意味で、会話が成立するけれど話が通じない、という「アベンジャーズインフィニティ・ウォー」のサノスの敵キャラクター造型はすごいと思う

※※ 現在公開中の潜水艦が主役のポリティカルシーミリタリーサスペンスアクション映画ハンターキラー 潜航せよ」では 敵をロシア軍の中の強硬派(悪いロシア人)にすることで処理している。

* 

2019-05-08

anond:20190507164856

労働組合方向性を決めるうえでポリティカル方向性は必ず決める必要があるけど、平和活動あんまり関係ないってのは増田同意かな。


右派的に弱肉強食組織にするか左派的に下を底上げするかってので左右は大事

でもやっぱ平和活動はあまり労組活動内容から遠すぎる。

そういう意味ブコメしてた人は話しそらしてるとしか思えないよね。

2019-05-07

[] #73-2「娯楽留年生」

≪ 前

ラボハテ』っていうロボットメーカーが、以前から力を入れている企画があった。

それが『魔法少女プロジェクト』とかいうヤツだ。

「誰でも魔法少女に変身して、素敵な力を使える」っていうふれ込みらしい。

プロモーションの一環で、俺の住む町にも魔法少女がいる。

時おり、町で自警活動やらアイドルの真似事をやっているのを見かけるが、そんなに大したもんじゃない。

やってることは大掛かりだが、実際にはキツい格好をした少女アンドロイド遠隔操作しているだけ。

使える魔法超能力の応用に過ぎない。

変身しているというよりは、ゲームキャラクター現実で動かしているようなものだ。

この町にいる魔法少女だってアラサー女性ボランティアでやっている。

ロクな企画じゃないし、企業としてもどうかと思う。

技術的にはすごいことをやっているのかもしれないが、夢のある話とは言いにくい。


ラボハテも手ごたえを感じていなかったのか、プロジェクト認知度をより上げるために新たなプロモーションを打ち出す。

そうして『キュークール』というアニメ放送された。

キュートでクール女の子たちが主役のアニメで、魔法少女に変身して様々な事件解決するのが主な内容だ。

主役以外にも、老若男女なゲストキャラも変身して「誰でも魔法少女に変身して、素敵な力を使える」ことを強く宣伝している。

ある種ノスタルジーを感じる作りと、現代的なテーマが一部の大人たちにウケて、にわか話題を集めているらしい。

バイト仲間のオサカが、そう言っていた。

子供向けじゃないねあれは。いや子供騙しって意味じゃなくて中々に侮れない作りって意味だけど。一昔前の女子向けアニメオマージュした演出が多くてでも話のテーマ現代社会問題を扱ってて話題性がある。あれは子供向けアニメの皮を被った大人向け作品だ」

こんな調子に、聞いてもないのに隙あらば語ってくる。

「お前がその作品を好きなのは十分伝わったから、その辺にしないか。その口を動かすエネルギーバイトのために温存しておこうぜ」

「いや別にキュークール』好きじゃないよ」

「えぇ?」

「まず基本子供向け作品だという視点で作られていない。エンターテイメント性が希薄子供が置いてけぼりだ。大人しかからないようなネタは昔のアニメにもあるが大筋は子供でも理解できて楽しめるように作られていることも多いのにそういった噛み砕きが『キュークール』には足りない。現代的なテーマ選びや話作りも説教臭くて陳腐だとすら言える。画一的ソーシャルアジェンダ推し進めようっていうエゴ押し売り感が酷い」

ほんと、こいつはどんな作品だろうがわざわざ観て、やたらと熱心に話したがるよな。

そうまでして語らせる、何らかの魔力でもあるのだろうか。

カタリノ夜

作詞:ナツニ 作曲DK.HONMA 歌:ポリティカルフィクション

大人のために作られた 子供向けなんかに

僕は簡単に 想いを重ねたりはしない

「善良デアレ」と責める この界の基本構造

イージジャスト! イージーダウト! イージードーン! 

想像していたよりも ずっと未来は堅実的だね

彼らもしばらく 普通になる予定はなさそうさ

 

そして今日ビート坂に乗り 無口な他人ネットで語るよね

からLOLI LOLI ダメから

虚構でも 許さな

暴力 暴力 エロだけは

オリジナル作品貫いて

あの意図だけ 心の清涼剤

忘れてるね

ドンミー ドンミー ツヨクヨワイ女性

ドッチ ドッチ カタルヒトリノ夜



「……つまり自分が言いたいのはそういうことさ」

「どういうことだ。なんだその歌」

「あれこの歌をご存じない? ジェネレーションギャップ

俺とタメのくせに、何を懐古ぶってんだコイツ

次 ≫

2019-03-18

ここで突然の社長ブラックボックスの登場!

中小企業に勤めてるんです。

一応、大っきい会社の子会社なんでまぁまぁそれなりに色々とちゃんとしてるんですよ。

今日の朝礼で新しい人事評価制度の話がありました。

一応ね、今までは、年に2回の人事評価して、管理職レベル会議してその人の人事評価が決まる...

みたいな一般的な感じだったんです。

ところがですよ、来期からボーナスの内70%は、社長が決める(意訳)みたいなこと言い出しましてね。ええ、うちの社長が。

もう、株主了解も得た!みたいなね。ノリノリかよ。

今までの民主主義的な合議制での人事評価は、どこに行ってしまうのか。

彼は何がしたいのか(自分権力集めたいんだよね)

ほえーーく、くだらない。

ポリティカルウォーには絶対に巻き込まれないぞ。

2019-01-16

松本人志ポリティカルインコレクト発言

正直言って松本発言が叩かれる度にいつも違和感を感じてる。松本あくまお笑い芸人だし、その辺のおっさんポジションから喋ってるだけ。別に政治家みたいな「正しい発言」をする必要などない。まずこれが大前提だ。芸人芸人なりの意見を述べて何が悪いんだ? お笑い界、芸能界で大物になってしまたからといってそれは同じ。お前らが勝手松本に「権威」を感じているからといって、松本が「お笑い芸人」であり「その辺のおっさんである事実は変わらない。松本社会問題なんて分かるわけねえだろ。そして政治家じゃないんだから分かるようになる必要もないのだ。

勿論、おまえらが次に「分からないなら時事問題について喋るな」と言い出すのは分かってる。でもそれは“テレビ番組”であり、そのインチキエンタメ議論によって時事問題についてふんわり分かった気になれるB層やジジババにニーズがある。“良く分からないけど世間で真面目に語られている問題”に視座を与えてもらい、自分もその議論に参加したように錯覚でき、何か考えたような気になれる。内容が卑近であればあるほどバカにも分かりやすくなるし、視聴者ニーズは満たされる。それがテレビ番組だろ。お前らが毎日はてブで分かりもしない記事デタラメコメント付けてるのと同じじゃん。

2019-01-10

anond:20190110194722

いや訳がわからん、だったら男湯女湯分ける必要すらないってことじゃん

平等であれば無法地帯であってもいいってのがポリティカルなんとかの考え方なのか、おかしいとしか思えん

2018-12-22

シュガーラッシュオンライン面白かった。

anond:20181220141210

これ書いた増田なんだけど、シュガーラッシュオンラインめちゃくちゃ面白かった!!

ディズニー映画が嫌いな人ほど見て損はしない映画なのではと思う。

以下ネタバレしながら話します。









まずね、ディズニー映画GTA(グラセフのことね)が出てくるってだけで面白すぎる。そりゃあ、未就学児も見れるレートの映画からストリップ小屋も立ちんぼも出てこないけど、やったことあるやつならニヤニヤしちゃうようなどうしようもなくGTA世界が描かれてる。しかも、最終的にはそこにヒロインが住みついちゃうって展開も、是非は置いといてポリティカルにコレクトを追求した結果感があって良かった。

あと、主人公ラルフ気持ち悪いおっさん部分を取り出した分身ヒロインのベネロペに執着するシーンなんか見てられないくらいに良かった。

あ、そうそう。プリンセス全員集合のシーンも予想に反して良かったです。プリンセス達がインターネット内のディズニーサイトで働いてる設定なんだけど、その楽屋スウェットパジャマになってるところがキャバ嬢しかなくて良かった。パジャマ姿を満喫した後、ドレスに着替えて出勤してくとこなんか最高。

そして、物語最後ではラルフとベネロペが別々の場所で暮らすことを決める。劇中で2人の関係親友として描かれてたけど、新しい生活を選んだ女が新鮮味のない男を捨てるための「前向きな(笑)離婚」にも見えた。しかも男側が未練タラタラ自分の執着心に向き合って、「俺だってめちゃくちゃ悲しいし嫌だけど、そんな姿キモいくて見苦しいだけだからやめろー!!」って説得までするんだからめちゃくちゃ泣いてしまった。

正直、子供向け映画としてはそんなに高く評価出来ないと思う。ファインディング・ドリーでさえ、最後はドリー家族を見つけさせてあげてたのを踏まえれば。

コミュ障キモいおっさんが新しい世界に行っちゃう幼女に執着して結局は捨てられちゃう身もふたもない映画だけど、俺にとってはめちゃくちゃ刺さって好きになってしまった作品です。

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